5話 嘘で真
「うぅ、どうしよう…」
探偵部の部室の前で一人、見崎陽耶は膝を抱え込んでため息をついた。一応人目を気にしてスカートを巻き込んだ状態でしゃがみ込んでいるが、どちらかと言うと職員室の面した廊下でしゃがみ込んでいるハルヤを見て怪訝な表情で通り過ぎて行く生徒の方が多い。中には体調が悪いのかと遠巻きに様子を窺っている生徒もいるが、ハルヤはそれに気付かず再度ため息をつく。
「困ったなぁ…どうしたら良いかなぁ…」
自分の背にある探偵部の扉、その向こうの様子を思い出す。どうにかしなければと思うが良い考えが浮かばず、そもそも自分でどうこう対応出来る事態でもない。ただ待つしかない状況に、憂鬱な思いばかりがハルヤの中で積もっていく。
「…早く帰ってこないかなぁ、土居島君」
ハルヤはぽそりと独り言ち、立ち上がって窓の外へと視線を移す。陽光を取り入れるための大きな窓からは、中央塔の北西に位置している図書室とそこへ行き来する生徒の姿が見える。
その中に一人、何故か本ではなく封筒型のファイルを脇に抱えて小走りに中央塔へと戻ってくる男生徒の姿があった。
「…っ!」
ハルヤは思わず名前を叫びそうになるのをぐっとおさえ、教師に注意されないよう早歩きで昇降口へと向かう。先程までしゃがみこんでいた女生徒がいきなり競歩を始め、その姿を周りの生徒達が不審な目で見ていたのは言うまでもない。
図書室を出て中央塔へと戻る道すがら、土居島大貴は電子生徒証に表示された時刻を見て、しまったと顔を顰めた。
(思ったより時間食っちゃったな…伴野先輩達待たせてたら悪いし、さっさと戻んないと)
封筒型のファイルを脇に抱えて、小走りで中央塔の昇降口へと向かう。体の振動と呼応するようにファイルに入れられた書類がガサガサと音を立てた。
(笹倉先輩、あの短い時間で結構な量の資料を準備してくれたんだな。本当に完璧主義と言うか妥協を知らないと言うか…)
ファイルの中には図書室で出会った笹倉理緒が選んだ、学園の七不思議に関する各部活の印刷物のコピーが大量に入れられている。元々それを目的にして図書室に出向き、ダイキから笹倉に協力を要請したのは間違いないのだが、笹倉の本に――と言うよりも『図書室』にかける熱意がダイキの想像を超えていた。
(明日にでもお礼しに行かないとな。と言うか、多分先輩って、)
ダイキが特殊な才能を持つ笹倉について考えを巡らせようとしたところで、それを遮るように昇降口に立っている小柄な女生徒の姿が目に入った。急いで来たのか遠目でも肩で息をしていているのが見える。
女生徒はダイキの姿を捉えると、力なく手を振って名前を呼んだ。
「土居島君」
疲れているのもあるのだろうが、女生徒――ハルヤは喜んでいるのか焦っているのか何とも判別の付かない表情を浮かべている。
「ハルヤ?どうしたんだこんな所で」
鞄も持たずに昇降口で出会ったハルヤの姿から、探偵部かもしくは家庭科部の部室か、とにかく教室以外の場所に居たのに何か用があってわざわざ昇降口に来たのだろうとダイキは推理する。図書室から戻ってくるダイキの姿が見えたから来たのだとすると、北側に面している探偵部の部室から来た、という方が可能性が高い。
だが、当のハルヤはわずかに顔を赤らめただけでダイキの問いには答えなかった。
「ハルヤ?どうした?」
上靴に履き替えながら再度名前を呼んで問いかけるが、ハルヤは唇を尖らせて不満そうに声をあげた。
「…昨日言ってたの、本当に実行してるんだね」
「昨日のって?」
「『協力者は下の名前で呼ぶ』ってやつ」
ハルヤの答えを受けてダイキは「あぁ」と納得したが、同時にハルヤが不満そうにする理由が分からず首を捻る。
「昨日言っただろ。その方が面識のない協力者同士が互いを認識しやすいって」
つまりハルヤが居る前でダイキが誰かの事を名前で呼んだら、その誰かは協力者であると、語らずともハルヤに伝わるという事だ。ダイキとしては合理的で分かりやすい協力者の判別方法だとして実行しているのだが、今の所ただ一人の協力者であるハルヤには不評らしい。
「それは分かるけど…。土居島くんって基本的に皆の事苗字で呼ぶじゃない。なのに私だけ名前で呼ぶのってちょっと変、って言うか…」
変、という言葉はダイキにはピンと来ていなかったが、ふと今朝のやり取りが思い出された。
(そう言えば朝ハルヤに挨拶した時、ハルヤもだけど周りの奴らも微妙な反応だったな)
転入して来たばっかりのダイキが大した共通点もないハルヤとやけに親しいというだけで、クラスメイトからしたら話の種になっていたのだが、それが急に下の名前で呼び始めたとなっては気にするなという方が難しいだろう。ダイキ自身は異性の下の名前を呼ぶ、という行為に対して特別意識していなかったが、呼び名の急な変化という意味では確かに変と言われても仕方がないのかもしれない、と考えを改める。
「まぁ、今の状態じゃ目立つよな」
協力者が一人だけの現状では目立つのも仕方ないだろう、と冷静に答えると、ハルヤは困ったようにダイキの腕を弱々しく叩いた。もしかしたらハルヤからしたらそれなりに強く叩いたつもりだったのかもしれない。
「分かってるなら止めようよぉ…今日だって皆に色々聞かれて、抜け出すの大変だったんだからね」
「もしかして放課後用事があるって言ってたの、それか?」
「うん、家庭科部の子達に捕まっちゃって。丁度先輩が来たからそのタイミングでようやく抜けられて、探偵部の方に…あ」
遅れて行くと言っていた真意を説明していたハルヤはしかし、探偵部の名前を出した途端固まってしまった。先程までほんのり赤らんでいた顔が見る見るうちに青くなっていく。
「そ、そうだった…土居島君、大変なんだよ!」
慌てた様子でハルヤは大きな声をあげたが、対するダイキはその様子をほっこりとした気持ちで眺めていた。
(ハルヤって本当普通だよな…)
ほんの数分前まで表情の読めない笹倉と話していたダイキの目には、表情のころころ変わるハルヤの姿がとても新鮮に映った。こういう相手に安心感を与えるようなある意味迂闊な様子が相手の警戒心を解き、結果的にハルヤの広い人付き合いの根幹を成しているのかもしれない、とダイキはそのままハルヤの言葉に耳を傾ける。
そんなダイキには気付かず、ハルヤは両手をバタバタと動かしながら続ける。
「今ね、探偵部にお客さんが来てるの。新聞部の人なんだけど」
「新聞部?何しに?」
「探偵部の取材がしたいんだって。でも土居島君居ないから…一回断ったんだけど、待ってるって言われちゃって。今部室で待っててもらってるんだ」
状況を説明するにつれてハルヤの視線は段々とダイキから外れていき、最後には完全に俯いてしまった。
探偵部の部長でもあるダイキが居ないので取り敢えずは帰ってもらおうとしたが、戻って来るまで待つという新聞部の部員を断りきれず、仕方なく部室に招き入れたという事らしい。ハルヤが俯いてしまったのは、部屋の主の許可もなく勝手に人を入れてしまったという事に罪悪感を感じているからだろう、とダイキは当たりを付ける。そしてそれと同時に、
(まぁそんな状況になったらお人好しのハルヤじゃ対応しきれないよな)
とハルヤの頭頂部を見つめながら心の中でフォローを入れた。
「伴野先輩と三津峰は?」
「掃除が終わったからって、二人共帰ったよ。あ、鍵も預かってるから先に返すね」
ダイキは探偵部の鍵を受け取りつつ、尚のことハルヤだけでは対応は難しいだろうと苦笑した。ようやく顔を上げたハルヤの頭にポンと手を置き、慰めの意を表しつつ考える。
(けど、これはチャンスかもな)
元から新聞部にも話を聞きたいと思っていたダイキからしてみれば、願ってもない機会だ。新聞部が持っている七不思議の情報を聞き出せるかもしれないし、単純に校内新聞で探偵部を宣伝してもらえればそれだけ動きやすくなる上に、情報が自然と集まりやすくなる。
「とにかく部室に戻ろう。あんまり部室に部外者を放置したくもないし」
ダイキはハルヤを促し、教育棟にある部室へと向かう。慌てて後を付いてくるハルヤの姿を確認しつつ、ダイキは新聞部の取材を終えた後の事に考えを巡らす。
(そうだ、後で笹倉の先輩の事、ハルヤに聞かないとな)
探偵部の厚い扉を開けると、中には一人の男生徒がソファに腰掛けていた。事前に声を掛けず、男生徒からしたら完全に不意の入室だったはずだが、ソファに深く腰掛けず背筋を正した状態で座している。ハルヤが出したのか男生徒の前にはお茶の入った湯のみが置かれているが、口を付けたような形跡は見られなかった。
(…警戒してるっぽいな。単に律儀な性格なだけか?)
ダイキが様子を観察し続けながら後ろ手に扉を閉める一方、ハルヤは申し訳なさそうに男生徒に声を掛けた。
「ごめんね、小菅君。待たせちゃったね」
小菅、と呼ばれた男生徒はダイキ達に気付くとすぐに立ち上がり、二人に向き直った。
「いや、押しかけたのはこちらだからな。これくらいは問題ない」
姿勢からも生真面目さが伝わってきたが、七三に分けられた前髪とフレームレスの眼鏡がその印象を更に強めている。口調もその印象に違わず、高校生にしては堅苦しさが目立つ。
「彼が件の探偵か?」
「うん、土居島大貴君」
小菅はハルヤと言葉を交わした後、扉の前に佇むダイキに視線を移す。射抜くような鋭い視線がダイキに突き刺さるが、ハルヤはそれに気付いてないらしく穏やかに続ける。
「土居島君、紹介するね。新聞部の小菅準君。中等部の時クラスメイトだったの」
「新聞部二年の小菅だ。宜しく」
小菅はハルヤの紹介の言葉を受け、スッと右手を差し出した。握手の意を示しているらしい。高校生がする挨拶か?と驚きつつも、ダイキもそれに合わせて右手を差し出す。
「同じく二年の土居島だ。宜しく頼む」
軽い握手を交わしながら、ダイキは小菅を観察し続ける。
言葉は丁寧、声音も柔らかく、口角も上がって最低限の笑顔を見せている。が、舐めるようにダイキの頭からつま先を見つめる目は、とても好意的と言えるものではなかった。
(敵対、とまではいかないけど、やっぱり警戒しているな。ただ取材しに来た訳じゃないって事か)
警戒心を見せる小菅に対し、ダイキは意外に感じつつしかし納得もしていた。
(二年の中途半端な時期に転入して来て、転入後すぐに探偵部っていう謎の部活を設立しようとしていて、しかも既に部室は用意されてて…って来たら普通はまぁ、警戒するよな)
握手を解いたダイキは小菅に元の位置に座るよう促し、自身は机を挟んだその向かいに座る。仲介を終えたハルヤはお茶を入れようとしたらしく隣の部屋へ一歩踏み出したが、「あ、俺の分の茶はいい」とダイキが声をかけると、「そ、そう?じゃあ…」と控えめに扉の正面に対する一人掛けのソファーに腰掛けた。どちらの隣でもない席取りを意外に思いつつ、小菅とも元クラスメイトという話から、どちらか一方に肩入れするのが躊躇われたのだろうとダイキは推測する。
鞄からノートやボイスレコーダーを取り出し取材の準備を進める小菅に対し、ダイキは先手を打って問いを投げ掛けた。
「探偵部の取材をしに来たって聞いたんだけど、探偵部のことはどこで聞いたんだ?」
正直ダイキにとっては知っても知らなくてもどちらでも良い内容だったが、全く気になっていない訳ではなかったので、時間稼ぎには丁度良い問いだった。牽制の意も込めての発言だったが、小菅はその意図を正確に読み取ったらしく、取材準備の手を止める事も視線を合わせる事もなく答える。こちらのペースに委ねるつもりはないらしい。
「新聞部の部長に聞いた。生徒会副会長でもあるからな」
「副会長…確か、渡良瀬先輩、だったか」
つい先日生徒会室に出向いた記憶を辿りつつ誕生日席に座るハルヤの方を窺うと、コクコクと小刻みな頷きが帰ってきた。
「その渡良瀬部長から取材に行って来いと指示されてな。俺自身、面白い同級生が来たと興味を持っていたので快く引き受けた、という訳だ」
淀みなく喋る小菅の様子をダイキはじっと観察する。声音に変化はなく、息遣いも正常、視線をどこかへ動かす事もない。ダイキ自身も半信半疑ではあるが、興味を持っていたというのは嘘ではないらしい。
「ちなみに、新聞部って何人居るんだ?」
「高等部だけだと二十七人だ。文化部の中では少ない方だろう」
これも嘘ではない、とダイキは小菅の様子から推測する。とすると、先程の問いと合わせて新たな疑問が浮かぶ。何故小菅だけが選ばれたのか、だ。
(単純計算で一学年に九人。その中でたった一人選ばれてるって事は、それだけのものがこいつにはあるのか。…まぁ、頭の良い奴ではあるんだろうけど)
度々名前の上がる副会長の渡良瀬という人物を詳しく把握していないダイキにとっては、どういう意図で小菅が選出されたのか推測する手立てがない。事前に聞き出せるのはこんな所だろう、とダイキは観察を諦め小菅の言葉を待つ姿勢を見せる。
案の定、それを察したらしい小菅がボイスレコーダーに手をかけ、ダイキ達に確認を取る。
「他に質問が無いのなら取材を開始したいのだが、良いだろうか?」
「あぁ、取り敢えずは無い。取材後に聞きたい事が出てくるかもしれないけどな」
「その時はその時で答えよう」
ソファに深く腰掛け落ち着いた様子のダイキ。肩を縮こませ緊張した様子のハルヤ。
両者の様子を一瞥し、小菅はボイスレコーダーのスイッチを入れた。
「では、取材を開始する」
*
――では、取材を開始する。まずは改めて学年と名前を聞かせてもらえるだろうか。
「高等部二年、土居島大貴。と、」
「あ、同じく二年の見崎陽耶です」
――まずは探偵部について。そもそも何をする部活なのか教えて欲しい。
「特に決めてないけど、依頼が来れば何でもやるよ。ペットの捜索でもいいし浮気調査でもいいし、学園ならテストのヤマ当てとか?とにかく何か知りたい事があれば代わりに調べる部活、かな」
――探偵部を設立したきっかけは?
「詳しくは伏せるけど、ある人に依頼されたから。その人が活動拠点に用意してくれたのであって、正確には俺が設立した訳じゃない」
――ある人、というのは、学校側から既に部活動設立の許可が下りているのと何か関係があるのか?
「詳しくは、伏せる。想像にお任せします、ってとこだな」
――では質問を変えよう。『依頼された』という事は部室を拠点に何かを調査する、という事だと理解したが。
「まぁ、そうだな。その理解は正しい」
――その調査について、内容を聞かせてもらう事は出来ないだろうか。
「…七不思議について調べて欲しい、だそうだ」
――七不思議?踊る人体模型とかトイレの幽霊とか、あの七不思議か?
「そう、それ。理由は知らない。みだりに学園を騒がすのを防ぐためにその原因を明らかにしてくれ、って所だと見てるけど、実際はどうだか」
――七不思議を調査する理由を知りたいとは思わないのか?
「気にはなるけど、正直理由は何でもいい。調査のを依頼されているって事実は変わらないし。まぁ、気が向いたら探ってみるかもしれない、ってくらいだな」
――そうか。では話を戻そう。今後探偵部としてどんな活動をしていく予定なんだ?
「さっきも言ったように依頼されたら何でもやるけど、そうだな…なるべく色んな人が気軽に相談出来るような部になれれば、とは思ってる。まず話に来てもらわないと何も出来ないからな」
――ふむ、ありがとう。次に土居島本人について聞きたい。差し支えない範囲で答えてくれ。そもそも『探偵』という肩書きはいつから名乗っているんだ?
「一応訂正しておくと、自分から名乗った覚えはないからな。そう呼ばれるようになったのは、中学の…三年くらいからかな」
――成程。最初に解決した事件はどんなものだったんだ?
「『探偵』って呼ばれる前なら迷子探しかな。幼稚園の同級生を森の中まで探しに行った。呼ばれる後は…秘密って事で」
――秘密…何か言えない内容なのか?
「秘密は秘密だ。関係者のプライバシーは守るタイプなんでな。後は単純に話したくないんだよ、あんまり気持ちの良い内容でもないし」
――気持ちの良い内容ではない、か。もしや殺人事件にも関わった事があるのか?
「その事件がそうだとは言わないけど、関わった事自体はある。個人で遭遇する事はまず無いけど、警察に協力を依頼されたりすると、そういう事件にも関わらざるを得ないからな」
――警察に協力を依頼される、そのきっかけは?普通に生活していたら無いように思えるが。
「親族に警察関係者が居るんだよ。その人から依頼された。後はそこでの働きが評価されて、って感じかな」
――成程、なかなか稀有な人生を歩んでいるのだな。
「俺もそう思う。こういう特技を持っている以上は仕方ないとも思うけどな」
――では最後に。部としてではなく『探偵』として、今後の目標や目指すものを聞かせて欲しい。
「『探偵』としてか。そうだな…さっきの部としてどういう活動をしていくかって話に繋がるけど、気軽に相談出来るような人間になりたいな。町医者みたいなアットホームな感じ。そのためにも学園の生徒の信頼を得ていく、まずはそれが第一目標だな」
――ありがとう。以上で取材を終了する。
*
「以上で取材を終了する」
小菅はそう告げると、机の上に置いていたボイスレコーダーの停止ボタンを押した。特に応対していた訳では無いのだが、ダイキと小菅、二人の間に走る緊張感に気を張っていたハルヤは「はぁ…」と息を吐いてソファにもたれ掛かる。対するダイキは疲れたような様子こそないが、先程までより眉がやや下がっておりどこか安堵したような様子だ。
そんな二人を眺めつつ、小菅はメモを取っていたノートを閉じて問い掛ける。
「一つ聞いていいだろうか。これは新聞部は関係ない、個人的な質問だ」
取材の象徴でもあるボイスレコーダーをこれ見よがしに傍の鞄に仕舞う。新聞部は関係ないという自身の発言を証明する意図であるらしいが、それだけ核心的な質問という事だろう。
「もちろん。俺が答えられる範囲でなら」
絶対に答えるとは保証しない、と警戒の念を示しつつ、ダイキは小菅を促す。小菅もその警戒心には気付いているようだが、それも了承した様子で言葉を続ける。
「なら遠慮なく。と言っても、どう聞いたものか…難しいな」
「何だ、歯切れが悪いな。別に分かりやすい言葉である必要もないだろ。思った事をぶつけてくれ」
「ふむ。…では聞くが、」
小菅はわずかに逡巡したような様子を見せたが、眼鏡のブリッジを押し上げダイキと向かい合う。
「何故、取材の最中に一つも嘘を付かなかった?」
「…………」
ダイキは答えずに沈黙したが、言葉の真意を見定めるかのように小菅から視線を逸らさず、わずかに唇の端を歪めている。睨み合うように相対するダイキと小菅の顔を交互に見つめ、ハルヤは首を捻った。
「え、っと…嘘を付いてないなら、問題ないんじゃないの?」
「あぁ、尋ねる方としては有難い。だが、俺と対しているこの状況で何故嘘を付かなかったのかが気にかかる」
「ん、んん…?」
ハルヤは更に首を捻り、呻き声にも似た声を上げる。小菅の言い方だと自分に対して嘘を付かないのがおかしい、という事になるが、どうしてそういう考えになるのかハルヤには理解が出来ない。まさか会話の中で嘘を付いて欲しい訳でもあるまいし、どうにも要領を得ない。
困ったようにダイキの方に視線を移すと、探偵はふっと微笑を浮かべハルヤの頭に手を置いた。
「順を追って話そう。じゃないと整理が付かない。まずは、」
ハルヤの頭から手を下ろすと、ダイキはぐっと身を乗り出し両肘を膝の上に乗せて小菅を見据える。
「どうして俺が嘘を付いていないと断定出来るのか。話はそこからだろ?」
ダイキは両手を組んだまま、右手の人差し指だけを伸ばし小菅に向ける。対する小菅は一度視線をダイキから外し考えるような――ともすると迷うような素振りを見せたが、「冗談だと思うかもしれないが」と前置きをした上ではっきりと告げた。
「俺は、人が嘘を付いているのかどうかが分かるんだ。視線が動いたり落ち着きがなくなったりして疑わしいとか、そういう理屈じゃない。感覚的に分かる、確実に」
「えっ、嘘!?…じゃあ、ないんだよ、ね?」
思わず出てしまった疑いの言葉を、確認するように打ち消す。元クラスメイトの初めて聞く告白にハルヤは目を丸くするばかりだったが、ダイキは驚いた様子もなく小菅に問う。
「何となく、って事だよな。勘みたいなものか?」
「近いものだとは思う。俺も何故分かるのか、それは分からない。ただ、これまでの経験上この『勘』は絶対に当たる」
「確かめた事があるのか?」
小菅は無言で頷く。ダイキは冷静に(こいつなら確かめてそうだな)と胸中で呟いた。
どう伝えるべきか躊躇っている様子こそ見られたが、適当な創作を話しているようにも虚勢を張っているようにも見えない。小菅の『勘』が本当かどうかはともかく、本人がその『勘』を信じて疑っていない事は明らかだった。
ダイキと小菅のやり取りをじっと聞いていたハルヤが、ぽつりと疑問を漏らす。
「えっと、小菅君が嘘が分かるとして…土居島君が嘘を付いていなかった事が、どう問題になるの?」
「例えば、俺がハルヤに私的な事を聞いたとするだろ」
そんなハルヤにダイキは柔らかいトーンで説明の言葉を述べる。その様子は不出来な生徒とそれを諭す教師のようでもあった。
「ハルヤの家族構成とか交友関係とか。後は恋愛遍歴とか。そういうのを聞かれて、ハルヤは正直に答えるか?」
ダイキはハルヤに問いかけつつ、とは言えハルヤなら案外正直に答えてしまうのではないか?と危ぶんだが、ハルヤは曖昧ながらも否定の言葉を口にする。
「…多分、全部は正直に答えない、と思う。濁すか誤魔化すか、するんじゃないかな」
「踏み込んだ事聞かれたら普通そうなるよな。しかもそれが初対面の奴だったらどうする?余計正直には言わないだろ?」
「そう、だね。あんまり本当の事は答えたくないかな…」
口元に手を当て考え込むような素振りを見せた後、ハルヤは「あれ?」と不思議そうに再度首をひねる。
「でも、土居島君は小菅君の質問に正直に答えたんだよね?初対面なのに、どうして?」
「それが、小菅が引っかかってる疑問、って事。だろ?」
ダイキは二人の会話に入り込まずじっと耳を傾けていた小菅に話を振る。
「あぁ。初対面の人間に審問じみた事をされてなお、正直に答える理由が分からない。俺の『勘』の事を知っていた訳でもないんだろう?」
「もちろん初耳だ。ハルヤもそうだろ?」
ハルヤは頷きを返しつつ、そこでようやく小菅の疑問に納得する。会話の中で嘘を付かないのは決して悪い事ではない。ただ、嘘が分かる小菅にとっては嘘を付かない事がイコール自分の『勘』を知っているのではないか、という疑いに直結するのだろう。だからこそ、ダイキに問い、その疑いを確かめようとしているのだ。
ハルヤがぼんやりと(嘘が分かるのも大変だなぁ)という感想を抱く中、ダイキはしっかりとした口調で小菅の言葉を否定する。
「俺が嘘を付かなかったのは、単純に嘘を付くのが憚られただけだ。俺の経験上、嘘を付くと絶対にどこかで綻びが生じて自滅するからな。だから普段から極力嘘は付かないようにしてるってだけだよ。小菅の『勘』は関係ない」
ダイキの言葉に、小菅は「そうか」と納得の声を漏らした。つい先程まで図書室で聞いていた声がフラッシュバックし、ダイキは僅かに目を細める。
二人の間でやり取りを聞いていたハルヤも『探偵』としての経験上の話だと理解し、(そう言えば土居島君って嘘付いたり誤魔化したりってあんまりないかも…?)と納得しかけていたが、続けられた小菅の言葉に引き戻される。
「でも、本当の事も言っていないだろう」
断定的な言葉ではあったが、声音に変化は無い。憤っている訳でも責めている訳でもなく、ただ自分が感じた真実を述べているだけ、という風だ。
ハルヤは思わずそうなの?という困惑を隠す事なくダイキの方を見るが、当のダイキはあっけらかんと答える。
「それはお前もだろ?考えてる事は同じみたいだな」
再びハルヤはそうなの?と言わんばかりに目を見開き、今度は小菅の方を見やる。問いに問いで返されるような形になったが小菅は不満そうな様子を見せる事はなく、むしろハルヤにはどこか嬉しそうにも見えた。
二人の間で再度の睨み合いが起こり――しかし先程とは異なりすぐに終わりを迎える。
「…成程、俺とお前は同じタイプの人間のようだ」
小菅は探偵部に来て初めての柔らかな笑みを見せ、すっかり冷めてしまっているであろう湯飲みに口を付けた。
(確かに、土居島君と小菅君ってちょっと雰囲気似てるかも)
ダイキも小菅も頭の回転が早く、筋道立った物言いを好む。冷淡という訳でもないが、決して朗らかという訳でもない。人と対する時は挨拶かのように必ずその挙動なり発言なりを観察し、大抵の場合何かを疑っている。元クラスメイトの小菅はともかく現クラスメイトのダイキの事はまだあまり分かっていないハルヤだったが、現状ある情報だけでも確かに二人の性質は良く似ている、と感じていた。
きっと二人は仲良く出来るに違いない、今日が運命の日になるんじゃないか、とハルヤは微笑ましくその様子を見ていたが、そう簡単な話でもないらしい。
「だから、仲良くは出来そうにない」
「同感だな」
湯飲みを机の上に置いた小菅ははっきりとそう告げ、対するダイキも確かな同意を示す。
(あ、あれっ?)
てっきり熱い握手でも交わして友情を確かめ合う場面だと思っていたハルヤは、何故か対立的な二人に交互に視線を移す。どう見ても普段より上機嫌なのに、どうしてそんなに捻くれた事しか言えないのか、ハルヤには到底理解出来なかったが、二人の間ではそれで通じているらしかった。
「…もしかして、嘘、なの?」
互いに嘘だと見分けあっているからこその発言なのではないか、と淡い期待を込めて問うと、謎かけのような答えがテンポ良く返ってきた。
「嘘ではない、けれど本当でもない」
「言い換えれば、嘘ではあるけど本当でもある、って事だな」
「え、えぇ…?」
悪戯が成功した子供のように笑みを浮かべる二人を見て、ハルヤは更に混乱を深めた。嘘ではあるが本当でもある。分かるような、でもやっぱり分からないような表現についての思考を諦めてため息を付き、ふと思う。
(って言うか、やっぱり仲良しなんじゃない…)
二人の様子に若干呆れつつもハルヤは笑みを浮かべ、脱力するように再びソファにもたれ掛かった。