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才のハタム-帝ノ森学園探偵部-  作者: 常葉スイ
4/7

4話 紙の庭

探偵、土居島大貴(ドイトウダイキ)が帝ノ森学園に転入して来た翌々日。

クラスのホームルームを終えたダイキは電子生徒証を操作しつつ、昨日訪れたばかりの探偵部の部室へと向かっていた。その傍らにクラスメイトでもありダイキの協力者の一人でもある見崎陽耶(ミサキハルヤ)の姿はない。

(遅れて行くとは言ってたけど…部活か委員会かで用事でもあったのか?)

画面が付いたままの生徒証にチラリと視線を移す。理事長の御門(ミカド)の依頼を象徴する?マークばかりの協力者一覧ページには新しい顔写真と情報が記載されていた。


 H HEALER 治療師

 2年B組 32番 見崎陽耶

 対人での治療行為に優れる。知識よりもその行為に対して才が見られる。

 『おまじない』と称する暗示行為により相手の感覚に直接働きかけ、

 対象の痛覚を完全にシャットアウトする事が出来る。


(ハルヤの特技は治療師(ヒーラー)か。普段はともかく、有事の時には活躍してくれそうだな)

画面に映った大人しそうなハルヤの写真を見つめて満足気に息を吐き、ブレザーのポケットにしまい込む。職員室が近いだけに、歩き電子証(スマホ)だと注意されるのを避けるためだったが、ホームルーム直後のためか人の気配は薄い。

廊下の角を曲がるとやはり教師の姿は見当たらなかったが、代わりに目当ての探偵部の部室が視界に入ると同時に、その扉の前に立っている二人の人物の姿が目に入った。執事服の長身の男にメイド服の色白の女。ほとんど言葉は交わしていないが、見間違えるはずもなかった。

「あれ、伴野(バンノ)先輩と三津峰(ミツミネ)じゃないですか」

ダイキが声を掛けると、それぞれ掃除用具を手にした二人が同時に振り返った。すぐにメイド姿の三津峰が一歩身を引き後ろに控え、伴野と共に深々と頭を下げる。

「土居島様、昨日ぶりでございます」

相変わらず淀みのない、かつ隙もない二人の姿に、ダイキはえも言われぬ安心感を抱く。それと同時に二人の背後で抜群の存在感を放つリアカーが目に入った。中にはダイキ達も使ったホコリ取りのクリーナーやハンディタイプの掃除機、大小幾つかのバケツに大量の雑巾、色とりどりの容器に入った洗剤等、多種多様な掃除用具が積み込まれている。

「…もしかして、探偵部の掃除依頼で来てくれたんですか?」

「はい。昨日見崎様から依頼を受けましたので、早速参りました次第です」

「そうですか、迅速な対応助かります。今の状態じゃ部室としては使えないんで」

ダイキは伴野と言葉を交わしながらポケットから部室の鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで解錠する。扉を開けると昨日のような埃っぽい嫌な空気はしなかったものの、床に積まれたダンボールや薄汚れた壁や天井が露わになり、部室を汚い、古いという印象に仕立てていた。

「こんな感じなんですけど、どうですか?」

中まで歩を進め部室の様子をまじまじと観察する奉仕部の二人に声を掛けると、伴野が「成程」と言葉を返した。昨日のダイキと同じように棚の上で指を滑らせ、埃の積もり具合を確認している。三津峰も無言のまま棚を開けては中の様子を確認しており、どことなくピリッとした真剣な空気が漂う。

「思ったよりも片付いておりますね。長年使っていなかった部屋の清掃と聞いておりましたので、もっと埃まみれなのだと思っておりました」

「一応昨日軽くは掃除しておいたんで。後はこのダンボールを片して床を掃除して、壁に画鋲が残ってたりするんでそれを取って、変色してる箇所もあるのでそれも綺麗にしたいですね。それから壁の時計の電池を替えて、戸棚の食器を使えるように全部洗って、机の上の物を棚の空いたスペースに仕舞って…ですかね」

ダイキは残っている作業を指折り数えていく。漠然とは把握していたが、実際に数えていくと残っている作業はそれなりに多い。断られるとまではいかなくても難色を示すのではないか、とダイキは苦笑を浮かべながら伴野の表情を窺うが、予想通り――と言うよりも予想以上に、特にその心情を推し量る事は出来なかった。

「承知致しました。それくらいの内容であれば数十分もあれば片付けられるかと存じます」

「えっ、マジですか…こちらとしては助かりますけど…」

伴野の力強い返答にダイキが驚愕の声を上げると、奉仕部の二人は揃って薄く笑みを浮かべ「えぇ、我々にお任せ下さい」と更に頼りになる言葉を重ねる。

ダイキは二人に対して改めて強い安心感と信頼感を抱き、「宜しくお願いします」と軽く頭を下げた。

「それじゃあ俺、ちょっと用事があるんで済ませてきます。三十分後くらいには戻るようにしますんで」

探偵部の部室を二人に任せてその場を去ろうとしたダイキに、それまでずっと無言だった三津峰が「土居島さん」と声を掛けた。

「恐れ入りますが一つお伺いしても宜しいでしょうか?」

「ん、何?」

「こちらの本は如何致しますか?」

三津峰が示したのは部室奥の長机に置かれた数冊の本だった。どれも古い本らしく表紙の所々が擦れている上に、紙も黄色く変色している。背表紙部分には小さな分類ラベルが貼られており、学園の図書室のものらしい。昨日の部室掃除の際にダイキが見つけ、分別のために机の上に纏めていたものだった。

「あ、そうだ忘れてた。丁度図書室に行こうと思ってたから、ついでに返してくる」

ダイキが机の上の本に手を伸ばすと、三津峰がやや困惑の色を見せながら確認の言葉を投げかける。

「宜しいのですか?私共が引き取る事も可能ですが」

「良いよ、これくらい。むしろ図書委員とか司書の先生に声を掛ける口実になるから、これだけは任せてもらえると有難い」

「そうですか…。それでは、そちらの対応はお願い致します」

いやに残念そうな三津峰を余所に返却すべき本を両腕で抱え、今度こそ図書室に向かおうと部室の扉へと歩を進めると、リアカーから掃除道具を取り出していた伴野がダイキに声を掛けた。

「土居島様、図書室へは何かの調査で向かわれるのですか?」

「えぇまぁ。ちょっと過去に学園で発行された新聞とか部誌が見たくて」

「左様でございますか」

ダイキの答えを受け、伴野はわずかに逡巡の様子を見せたが、すぐに「差し出がましいようですが」とダイキと向き合う。

「そういったご用件でしたら是非三年生の『笹倉理緒(ササクラリオ)』様をお訪ね下さい」

「…ササクラ先輩、ですか?」

ダイキは本を抱えたまま、突然同学年の生徒を紹介する伴野の意図を測るため、感情の薄い整った顔をじっと見つめる。だが、伴野は半ば訝しむようなダイキの視線に動揺を示す事もなく淡々と言葉を続ける。

「恐らくこの時間でしたら図書室にいらっしゃるはずです」

ダイキは伴野とのにらみ合いを諦め、名前の出た『笹倉理緒』について考えを巡らす。

(名前からして女性。図書委員、だとしても三年生だし委員長ではないか。司書の先生じゃなく一般生徒を勧めるってのが気にかかるが、伴野先輩が言うからにはただの生徒じゃない、よな)

本が好きで詳しい、本の扱いに慣れている、部誌関連の管理に優れている…様々な人物像が浮かんだが、ダイキはそれ以上の推測を諦め、バケツを手にした伴野に問いかけた。

「…笹倉先輩、っていうのは、そんなに本に詳しい人なんですか?」

「はい、それはもう」

部室の掃除を請け負った時と同じように伴野ははっきりとかつ力強く答える。その姿が、ダイキには心なしか嬉しそうに見えた。

「この学園で一番『図書室』にお詳しい方ですよ」



帝ノ森学園の図書室は教室や職員室、部室が並ぶ中央塔ではなく、校門に近い北側に別個の建物として位置しており、向かうには一度外履きに履き替える必要がある。生徒や教員からは『図書室』と呼ばれてはいるが、地上二階、地下三階から成っており、実質的には『図書館』と言える。

かなり古くからある建物らしく、西洋風の赤煉瓦の外壁と大きなアーチが印象的だが、コンクリとガラスで出来た近代的な中央塔や体育館とはあまり調和していない。ダイキも転入初日に見かけた際、ここだけ改築しそびれたのか?と怪訝に思った事がある。

図書館の入り口に到着し、外履きのままアーチの下を通り抜け中に入る。途端に、明るく開けた空間にぶつかる。外観からは分からなかったが入り口すぐの空間は吹き抜けになっており、二階の窓から控えめながらも明るい太陽の光が降り注いでいる。エントランスホール、という事なのだろう。

時代を感じさせる外観から寂れているのだろうとダイキは勝手に推測していたが、予想に反して一階からも二階からも微かな人の話し声が響いていた。利用者はかなり多いらしい。

(まぁ、中がこんだけ綺麗なら利用したくもなるか)

辺りをぐるっと一瞥した後、ダイキは周りの声には構わず真っ直ぐに貸し出しカウンターへと向かう。カウンターには男女一人ずつ生徒が座していた。どちらも髪を茶色に染め、制服のシャツのボタンを大きく開けており、ネクタイとリボンもだらんと緩めている。女生徒の方はピアスもしているようだ。学年までは分からないが、顔立ちから見てまず間違いなく高等部の生徒だろうとダイキは推測する。

(とは言え『図書室に詳しい笹倉先輩』とは思えないけど。取り敢えずカマかけてみるか)

ダイキがカウンターの前で静止し、「あの」と声を掛ける。そこでようやく利用者の存在に気付いたのか、女生徒の方が顔を上げた。化粧をバッチリ決めた、今時の女子高生という印象の生徒だった。

「はーい。貸し出しですかー?」

つまらなそうに語尾を伸ばす女生徒に対し、ダイキは敢えて丁寧に言葉を返す。女生徒が目当ての『笹倉先輩』かもしれないと保険をかけたからではなく、こういう不真面目そうなタイプとは適度に壁を作って接したいというダイキの個人的な事情からの態度だった。

「いや、借りていた本を返却したいんですけど」

「返却なら返却ボックスにお願いしまーす」

女生徒はカウンターの両端に設置された大きなボックスを指差した。そのまま自分の仕事は終わったとばかりに手元のスマホに視線を戻そうとする。

「これ、大分古い本みたいなんですけど、返却ボックスに返していいんですか?」

ダイキがボンとカウンターに置いた数冊の本を、女生徒は面倒臭そうに手に取り確認する。すると、何かに気付いたのか隣でスマホをいじっていた男生徒に「ねぇ」と声を掛ける。

「これシールの色違うんだけど、学園の?」

「マジだ、見して。…あーハンコはあるから、下の書庫のかも」

「書庫の?えー、これどうすんの?」

「先輩呼んだ方が早いっしょ。ちょっと待ってて下さいねー」

最後の言葉はダイキに掛けたものらしい。相談を受けた男生徒の方が立ち上がり、奥の部屋へと向かっていく。司書室か何かだろうとダイキは部屋自体にはさほど興味を頂いていなかったが、扉を開けた男生徒の声は聞き逃さなかった。

「笹倉センパーイ、ちょっと来てもらっていいっすかー」

目当てにしていた人物の名前が出てダイキは思わず奥の部屋を凝視したが、扉に隠れて声を掛けた相手までは見えない。声は遠かったが、間違いなく笹倉、と声を掛けていた。先輩、という事は少なくとも二年生か三年生だが、ダイキは同学年に『笹倉』という苗字の生徒がいない事を、転入前の事前調査で既に把握していた。

(十中八九、伴野先輩が言ってた人だよな。…さて、どんな人が出てくるかな)

男生徒が声を掛けてから少し経った後、扉の奥から一人の女生徒が出て来た。ゆるく三つ編みにされた黒髪と切れ長の黒い目が印象的な女生徒だ。シャツの第一ボタンを留めネクタイもきっちりと締めており、シワ一つ無い膝丈のスカートからは黒のタイツで隠された細い脚が伸びている。真面目で規律正しく、潔癖な人物なのだろうと、ひとしきりの観察を終えたダイキは当たりを付けた。

「この本なんですけど、書庫の本じゃないっすか?」

笹倉を呼んだ男生徒がカウンターに置かれた本を彼女に指し示す。笹倉は先程の女生徒と同じように背表紙の分類ラベルを確認し、すぐに本をカウンターに戻した。

「確かに書庫の本ね。私が戻しておくから、貴方達はカウンターをお願い」

素っ気ない言葉だったが二人は気にしてないらしく、適当な挨拶をして元のように椅子に座ってスマホをいじり始めた。対してダイキの持って来た本を引き受けた笹倉はそんな二人の様子を注意するでもなく、カウンターに置かれた本に手を伸ばすが、

「………っ」

三冊程手にした所で眉を顰め、小さく息を吐いた。どうやら重くてこれ以上は持ち上げられないらしい。ブレザーの上からでも分かる華奢な体型の笹倉に、(この細腕じゃ、まぁ当然か)とダイキは残っていた本を抱え上げ、笹倉が持っていた本を一冊取り上げた。

「手伝いますよ。持って来たのは俺ですし」

警戒心を抱かれないよう、ダイキなりになるだけ明るく声を掛けたつもりだったが、笹倉はダイキの顔をじっと見つめ、小さく「そう」とだけ呟くように応えた。

「鍵を取ってくるから、そこの階段の前で待ってて」

先程と同じように素っ気ない言葉を残し、笹倉は再び奥の部屋へと消えていった。



鍵を取りに行った笹倉を合流し、ダイキは地下への階段を下って行く。地上階のざわつきが遠くなった所で、ダイキは振り返る事もなく黙々と進む笹倉の背中に声を掛ける。

「さっきの二人、注意しないんですか?」

先程ダイキの対応をした男女の事を、笹倉は一切咎めずに見過ごしていた。他の人からしたら些細な事かもしれないが、笹倉が潔癖な人物であると推測したダイキの中では大いに引っ掛かっていた。

(他人に干渉するタイプにも見えないけど、それ以上に妥協するタイプにも見えないんだよな。制服の着方からしても潔癖と言うか、完璧主義っぽいし)

突然の問いに笹倉はピタリと足を止め、少し離れた位置で同じく立ち止まるダイキの顔をじっと見上げている。階段が暗いせいもあるだろうが、伴野と同じかそれ以上に表情が読めない。

「しないわ。する必要がないもの」

小さな声であったが、はっきりした口調で笹倉は答え、そのまま踵を返して階段を下って行く。笹倉の中ではそこで会話は終わったという認識らしいが、ダイキにはまだ腑に落ちずにモヤモヤとした感情だけが残った。

「必要がないって…図書委員としてあの態度で良いんですか?」

華奢な背中を追いつつ、更に問いを投げかける。

「確かに褒められた態度ではないけれど、彼らは望んで図書委員になった訳ではないのだから、言っても仕方ないでしょう?」

先程と変わらず、か細いながらも迷いのない口ぶりで続ける。

「態度はどうであれ、仕事をしてくれるだけ有難いわ」

前を行く先輩生徒の素っ気ない答えを受け、ダイキは笹倉への印象を改めた。

(あいつらにそれ以上の働きは期待していないって聞こえるけど、多分その通りなんだろうな。他人に必要以上の期待をしない…いや、協力を求めない、って方が正しいかもな)

ダイキが持ち込んだ大判の本を両腕に抱えようとしたつい五分程前の笹倉の姿が脳裏に浮かぶ。女性一人では明らかに持ちきれないと分かっていただろうに、笹倉は目の前のダイキに助けを求めなかった。恐らくダイキが声を掛けなかったらあのまま一人で事に当たっていたのだろう。

(伴野先輩は図書室に詳しい人だって言ってたけど、それも関係してるのか?)

ダイキが前を進む笹倉同様、表情の読めない伴野の言葉を思い出だして思考を巡らせていると、黙々と歩みを進めていた笹倉が扉の前で足を止めて振り返った。

「着いたわ」

義務的にそう一言だけ告げると、笹倉は制服のポケットに入れていた鍵を取り出し、扉の鍵穴に差し込む。探偵部の部室とは違うカチャンというアナログな解錠音がし、笹倉は扉を開けてさっさと中に入って行った。ダイキもそれにならい古い電灯で照らされた室内に入ると、「うわ」思わず声が漏れる程の紙の匂いが溢れていた。

「これが書庫…流石に本が多いですね」

本棚にキチンと収納された大量の本に驚嘆しつつ、ダイキが手近な本に手を伸ばそうとすると、

「ここは第二書庫よ。生徒への貸し出しが許可されていない本もあるから、あまり触らないようにね」

タイミング良く無感情に声を掛けられ、ダイキは伸ばしかけた手をすぐさま下ろした。

(そんだけ大事な本が仕舞われている書庫の鍵を自由に持ち出せるって事は、司書の先生と同じくらい信頼されているって事だよな。さっきも司書室みたいな部屋に居たし)

代わりに収納されている本のタイトルを眺めつつ、書庫の奥へと進んで行く笹倉の背を追う。

二冊の本を手にした笹倉はダイキが追って来ているかも確認せずに黙々と奥に進み、右折、左折を繰り返し、とある本棚の前でピタリと止まった。そのまま手にしている本を本棚の空いているスペースに仕舞い込む。本を本棚の奥まで押し込みきると笹倉はすぐに踵を返し、またどこかへと歩いて行った。二度の右折を経て隣の棚へと回り込み、再度手にした本を本棚の奥まで押し込んでいく。

黙々と本を収納する笹倉の姿を見て、ダイキはふと違和感を抱いた。

(あれ、先輩、もしかして…)

ダイキの違和感をよそに、手にしていた本を仕舞い終えた笹倉が振り返り声を掛ける。

「持ってくれてありがとう。助かったわ」

静かに歩み寄るとダイキの持っていた本の内二冊を取り上げ――どうやら二冊が自身の腕力の限界だと認めたらしい――またどこかへと向かって行く。まるで機械のように無駄なく歩む華奢な背を追いながら、ダイキは抱いた違和感を笹倉にぶつけた。


「…先輩、分類のラベル確認してます?」


ダイキが気になったのは、一度も背表紙の分類ラベルを見ることなく、また本棚のカテゴリー表記を確認することもなく、それでも正確な位置に本を仕舞っていく笹倉の行動だ。図書委員になった事のないダイキは本を規定の位置に仕舞うという体験をした事はないが、本棚に記された分類番号で場所を見つけ、本棚に収納されている他の本と比較し、手にした本を適切な場所に仕舞う、という一連のフローを普通は踏むだろうという事は分かる。

それなのに、笹倉は本棚も、本棚の本も、手にした本さえも確認していない。

訝しむダイキに対し、笹倉はこれまでと変わらずに淡々とした声で答えた。

「してないわ。見なくても分かるもの」

ダイキの方を振り返る事もなく、また手にした本を棚に仕舞っていく。

「本のラベルを全部覚えてる、って事ですか?」

「少し違う。ラベルを覚えていると言うよりも、本がどこにあるべきかを覚えているの。どこの本棚の、どこの段の、どこにあるべきか、全部」

誇るでもなくそう答えた笹倉は、まだどこかへと歩いて行く。正確な道筋は分からないものの似たような所を歩き回っている事から、歩く距離に対しては効率的でないようだ。

笹倉と一定の距離を空けながら、ダイキは先程の言葉を反芻する。

(本がどこにあるべきか、ね。天才的な記憶力…しかも特定の場面で発揮するタイプか。今までそういう人に会った事はあるけど、『図書室』に限定されるってのは珍しいな)

伴野が『図書室』に詳しい人間だと言った意味を理解したダイキは、またも分類ラベルを見ることもなく本を仕舞っていく笹倉に声を掛ける。

「笹倉先輩、一つ試しても良いですか」

「…何かしら」

一瞬の間を空けて振り返る笹倉に見えるよう、ダイキは持っていた最後の一冊を掲げる。古びた茶色い表紙には金色でドイツ語らしいタイトルが記されている。もちろん背表紙のラベルは笹倉からは見えない。

「これ、どこに仕舞えば良いか教えてもらえますか」

笹倉は眉根を寄せ怪訝な表情を見せたがすぐに元の無表情に戻り、すっとダイキを指差し――その向かって左側の本棚を示した。

「あなたの右手側にある本棚の、上から二段目。左端から三冊目よ」

ダイキは本を掲げたまま、笹倉の指示した場所を確認する。一歩後ずさり屈んで棚の中を覗き込むと、きっちりと本の並べられた中で一冊分のスペースがぽっかりと空いていた。ラベルに記された数字とアルファベットにも齟齬はない。

ダイキは手にしていた本を棚に仕舞い込み、そんな自分の様子をじっと見つめている笹倉に「流石ですね」と、賛辞を述べる。笹倉は自分の才能に気づいていないのか不思議そうに首を捻ったが、特に感慨もなさ気に「そう」と小さく呟いた。



最後の本を仕舞い込んだ後、ダイキは笹倉と共に第二書庫を出て扉の前に立っていた。再び鍵を差し込み施錠する笹倉に、ダイキは声を掛ける。

「先輩、協力して貰いたい事があるんですけど」

「…何かしら」

書庫の扉を施錠し終えた笹倉は、首を傾げながら応える。笹倉の三つ編みがさらりと揺れた。

「俺、今とある事情でこの学園の七不思議を調べてるんですよ」

図書室に来た二つ目の、だが第一の目的を打ち明けると、笹倉は意外そうに瞬きを繰り返した。ダイキは面食らった様子の笹倉に構わずに続ける。

「過去の新聞部の新聞とか、歴史研究会とかオカルト研究会の部誌とか、何でも良いんで七不思議に関係する印刷物が見たいんです。データでも構いません。とにかく七不思議に関する情報が一つでも多く欲しい」

「…校内ネットで調べた方が、早いんじゃないかしら」

相変わらずの素っ気ない言葉だったが、面倒だから他所をあたってほしい、というネガティブな感情は見えない。単純にネットの方が早いのに何故そんな手間のかかる方法を選ぶのか、その真意が分からないという風だ。

「確かにネットで調べれば早いんですけど、あんまり信用してないんで。生徒が書いたものであっても、印刷物の方が信用出来て好きです」

笹倉の正直な問いに対し、ダイキも自身の考えを偽る事なく誠実に答える。すると笹倉は「そう」とだけ答えると、手を口元にあてて考え込む素振りを見せた。初めての長い笹倉の沈黙に、ダイキはごくりと喉を鳴らす。ここで断られても手詰まりではないが、七不思議調査の第一歩で大分時間を要する事になる。あまり歓迎したい事態では無い。

断られるか、良くて納得出来る理由を求められるかを想像していたダイキはしかし、笹倉の「年代は?」という簡潔な問いに思わず耳を疑った。

「え、年代、ですか?」

「最近のものの方が良いのかしら?それとも古いものも見たい?」

「あ、っと、散らばってると嬉しいです。古いのも新しいのも見たいんで」

時代が偏っていると得られる情報も偏るだろうとダイキが答えると、笹倉は「そう」と何度目かの小さな呟きを以って返した。

「二十分程時間をもらえるかしら。コピーを取らないと持ち出せないの」

声のトーンが変わらないので分かりにくいが、協力してくれる、という事らしい。すぐにはその事実に気付かなかったが、「ついて来て」という笹倉の言葉でようやくダイキは状況を飲み込む事が出来た。

「あ、ありがとうございます!」

笹倉は、今度はダイキが後ろから付いて来ている事を確認し、階段を下っていく。地下三階にある、第三書庫へ向かうらしい。笹倉によれば、第一書庫には貸し出し頻度の低い一般書籍が、先程まで居た第二書庫にはその内入りきらなかった書籍と貸し出し禁止の重要書籍が、そして向かっている第三書庫にはこれまで学園内で印刷された掲示物や新聞、部誌等、まさしくダイキが探しているものが収められているらしい。

(そういう事を教えてくれるって事は、少しは信頼を得られたのか?)

先を行く笹倉の背中を追いつつ、その心中を探る。が、背中越しでは分かるはずもなく、直接聞いた方がこの先輩の場合は早いのだろうと思い、ダイキは苦笑した。探偵の出る幕ではないらしい。

階段を下りきり第三書庫に着くと笹倉は先程と同じように古い扉を解錠し、電灯のスイッチを入れて真っ直ぐ本棚へと進んで行った。

ダイキも中に入って本棚の中身をまじまじと見つめる。上階の第二書庫と違い、収められているのは殆どがリングファイルで、その背表紙には『歴史研究会 昭和38〜42年』と印刷物の発行元とその年代が記され、きっちりと分類されている。中には受験生向けの学園紹介用の冊子も収められていた。

「先輩はこういうのも全部覚えてるんですか?」

「えぇ。全部目を通したから」

何気なく聞いた事ではあったが、ダイキは笹倉の答えにぞくりとした。『目を通したから』と答えたという事は、恐らく笹倉が覚えているのは自分が目を通した書籍や印刷物に限られるのだろう。その記憶力にも驚嘆せざるを得ないが、ダイキが注目したのはそこではない。

(こんだけ量があるのに全部目を通したって、完璧主義と言うか執念深いと言うか…どちらにせよ並大抵の人間が出来る事じゃないな)

ダイキは改めて、伴野の言っていた言葉を思い出す。『学園で一番図書室に詳しい』というのは比喩でもなんでもなく、図書室に収められている本や印刷物の内容も収納場所も全て覚えている、という意味だったらしい。伴野が勧めるはずだと、ダイキは改めて笹倉の能力に感嘆の念を抱いた。

当の笹倉は黙々と本棚からファイルを取り出してはコピーを取り、機械的にすら見える無駄のない動きで元の場所に戻している。迷いなく動き回る笹倉の姿を見て、ダイキはぼんやりと思う。

(成程、図書室は先輩の管轄下…じゃあ、文学的じゃないか)


(そうだな、言うなら『庭』――さしずめ『紙の庭』、なんだろうな)


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