表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
才のハタム-帝ノ森学園探偵部-  作者: 常葉スイ
3/7

3話 おまじない

「で、さっきの理由って結局なんだったんだ?」


生徒会室で部活動設立の書類を受け取ったダイキは階段を緩慢な動作で降りながら、数歩前を行くハルヤに問いかけた。声をかけられたハルヤは肩程までの髪を翻し、不思議そうな顔をダイキに向けた。

「さっきの、って…えっと…」

三津峰(ミツミネ)と、伴野(バンノ)先輩だっけ?あの二人があの格好をしている理由」

生徒会室で出会ったメイド服の三津峰と執事服の伴野の姿を思い出し、ハルヤは「あぁ!」と納得したような声を上げた。

「どこまで言ったっけ。奉仕部に所属してて、までかな?」

金宮(カナミヤ)先輩がどうの、とも言ってたな」

「あ、そっか。そうだね」

ハルヤは歩くスピードを緩め、ダイキの隣に並んで言葉を続けた。

「金宮先輩って高等部の生徒会長なんだけど、お金持ちで豪邸に住んでるらしいの。で、コマチちゃんと伴野先輩はそこで実際にメイドと執事として働いてるらしくて、それで学園の中でもあの格好で奉仕部として活動してるだって」

「働いてるって…バイトみたいな事か?」

「うーん、多分違うんじゃないかなぁ。伴野先輩の家は元々金宮先輩の家に仕えてる、って話聞いた事あるし」

ハルヤの説明にダイキは「ふぅん」と相槌を打つ。執事やメイドとして働いているというのがどこまで本当なのかはともかく、要するに一番馴染みのある格好を部活動の制服としている、という事らしい。とは言えメイド服や執事服を制服とするなんて普通なら通らない要望のように思えたが、生徒会長と私的に繋がりがあるのであればその辺り融通を利かせてもらっているんだろう、とダイキは推測した。

「奉仕部ってのは何をする部活なんだ?」

「色々かなあ。学園の清掃したり、委員会の書類整理したり。一番多いのは生徒会の手伝いだと思うけど。そういうのを依頼を受けてやってるんだって」

「教師の手伝いもしたりするのか?」

「あ、あるらしいよ。司書の先生に蔵書の整理頼まれたとか、保健の先生に部屋の片付け頼まれたとか、聞いた事あるもん」

ダイキはハルヤの言葉に更に納得を深めた。どちらからの歩み寄りが先だったのかは分からないが、学園側からもWIN-WINの関係として特別視されているのだろう。

階段を降り一階に着いた二人は、目当ての探偵部部室へと歩を進める。

探偵部があるのは中央塔の一角にある教育棟の一階、職員室の向かいにある部屋だ。各部活動の部室は本来、同じく中央棟の一角にある部室棟の中に収まるものだが、探偵部は何故か教育棟に設定されている。

(あんだけでかい部室棟の部屋が埋まっているって事はないだろうし、理事長が個人的に融通を利かせられるのが教育棟の部屋だったって所か。職員室の目の前だし、探偵()を監視する意味もあるのかもな)

向かいの廊下を埋める巨大な職員室を眺めつつ、ダイキは理事長である御門(ミカド)から渡された鍵を取り出した。目的地である探偵部の扉は電子ロックが掛けられるという話に違わず、教室や職員室とは全く違う重厚な造りをしている。

(理事長室に少し雰囲気が似ているな。元々理事長室として使っていた、とかか?)

ダイキは頭の中で思考を続けながら、鍵のキャップを外し、むき出しになった機械部分を扉の鍵穴に差し込んだ。ピピッという電子音が解錠を告げる。

「あ、ちゃんと開いたね」

少し安心したようなハルヤの声を背に、ダイキはドアノブに手をかけ慎重に扉を押し開く。見た目通り頑丈な造りらしい扉はダイキが思っていたよりも重く、ギィイという大げさな音が響いた。ヒヤリとした冷気と少し埃っぽい空気が隙間から漂ってくる。

扉を開ききると、部屋の全貌が明らかになった。部屋の奥にある大きな窓からカーテン越しに外の光が差し込み、部屋の中央に置かれた応接間のようなテーブルとソファの輪郭を照らしている。その奥には横長の執務机とデスクトップのPCが設置されており、ダイキの印象を裏付けるように基本的な構造は理事長室に酷似していた。

「うわ…結構、散らかってるね」

だが、その他の物の量が明らかに異なっている。執務机の上には大量の本や書類が雑多に置かれ、中央の背の低い机の上にも電気ポットや茶器、救急箱、避難袋が所狭しと積み上げられている。床にも大小様々なダンボールが置かれ、その中にも書類やら布やら毛糸やらが詰め込まれている。

「ちょっとした物置だね…ん、これ五年前の文化祭のチラシ?こっちは修学旅行のしおりかなぁ」

ハルヤはしゃがみこんで興味深げにダンボールの中身を物色している。ハルヤの言うように、恐らく元々は理事長か、理事長に近しい人間が使っていた部屋なのだろうが、途中から物置として使われていたようだ。先日訪れた理事長室が新しく出来たとかで、不要になったのかもしれない。ダイキは部屋の中を一通り眺め、一番近い棚の縁を指でなぞりながらハルヤに声を掛けた。

「なぁ、見崎」

「ん?何?」

ハルヤの方を向かず、ダイキはじっと自分の指を見つめた。予想通り、棚をなぞった指には埃がうっすら付いている。どれくらい放置されたのか定かではないが、すぐに部室として使う事は難しいだろう。(まぁ、そんなうまい話ばかりでもないよな…)と部屋の状態を受け入れ、ダイキはため息混じりに言葉を続けた。

「奉仕部の二人に片付けの手伝い、頼んどいてくれるか?」



探偵部の部室に踏み入れた五分後、ダイキとハルヤは掃除用具を手に部室内各所の掃除にあたっていた。ダイキは所狭しと置かれたダンボールをどかしながら床の掃除を、ハルヤは棚や机の埃を掃除しつつその上に置かれた小物類の整理をする事で互いに合意し、黙々と作業にあたっていた。

(私、何で部室の掃除手伝っているんだろ…)

生徒会室へ寄ってメンバーをダイキに紹介し部室まで行った所で退散つもりだったハルヤは、右手に持ったクリーナーを見つめてはぁ、と小さくため息をつく。幸か不幸か探偵部の部室には豊富な掃除用具が備え付けられていた上、隣の部屋にはシンクも完備されており、掃除を開始するにあたって不都合は全くなかった。それもあってハルヤは退散するタイミングを逃し、気付いたら関係のない——と少なくともハルヤは思っている——部室の掃除を手伝う事になっていた。

横目でチラリとダイキを窺うと意外な程真面目に掃除に励んでいる姿があり、それが更にハルヤの心にずっしりとのしかかる。

(どうせコマチちゃん達に依頼するから最低限だけで良いって言われたけど…どこまで付き合えば良いのかなぁ)

黙々と片付けに勤しむダイキを放って一人だけ帰るような薄情かつ勇気ある行動を取る事は出来ず、ハルヤは

結果的に真面目に片付けに取り組むしかなかった。

(土居島君は私が協力者だから構ってくるんだよね…そんな大層なもの、私には無いと思うけどなぁ)

ダイキの様子を盗み見つつ棚の上でクリーナーを滑らせ、積もった埃を掃除していく。時々クリーナーのシートを取り替え掃除を続け、三十分程した所でダイキが満足げに声をあげた。

「よし、大体片付いたな」

ハルヤがパッと振り返ると、確かにダンボールが雑多に置かれ人が通る道もなかった床が、部室の壁際に整然と積まれていた。露わになった床も埃なく綺麗に掃除されている。よく見るとダンボールには「必要」「不要」「要確認」とマジックで記されており、ただ床を空けただけでなく分別をした上で積まれているらしい。

ハルヤが見た目からは想像の付かなかった几帳面さに感心していると、当の本人は大きく伸びをしながら首や肩を鳴らしながら息をついた。

「残りは奉仕部の二人に任せて、少し休憩するか。茶葉と急須があったし、お茶淹れてくる」

特にハルヤの反応を見る様子もなく、ダイキは電気ポットや急須、二人分の湯のみを持ってさっさとシンクのある隣の部屋に消えて行った。手伝いに行くべきかどうかクリーナーを手にしたままハルヤが迷っている間に、数秒何かを洗うような水音が響いた。戻って来たダイキは右手に茶器とどこからか出したらしい茶葉の缶を乗せたお盆を持ち、もう片方の手には水の入った電気ポットをさげていた。

その危なっかしい様子にハルヤは棚の上にクリーナーを投げ置き、慌てて駆け寄り声をかける。

「あ、て、手伝うよ!」

「おう、じゃあ電気ポッド頼む。こっちの方が軽いからな」

ダイキに差し出されたポッドを両手で受け取ると、思った以上の軽さにハルヤは少し驚きの表情を見せ、そのまま道を開けるためテーブルの奥へと進んだ。

(土居島君、本当そういう所あるよなぁ)

お盆を持ったダイキが扉正面の一人掛けのソファーに座ったのを見届け、倣うようにその脇のソファに腰掛ける。

「お茶、私が淹れようか?」

疲れた風なダイキの様子を見かねて声を掛けると、「あぁ、頼んだ」という力無い言葉が返って来た。体を伸ばしながら寝不足なのか時折欠伸をこぼす姿は、世話焼きな性質なハルヤの心をガッチリと掴んでいた。

「大丈夫?もしかして寝不足?」

ハルヤは急須に茶葉を入れてお湯を注ぎつつ、ダイキの顔色を窺う。ハルヤの心配を打ち消すように、ダイキは手をヒラヒラと翻して答えた。

「ちょっと遅くまで考え事してただけだ。気になったら眠れないタチなんでな」

「考え事…って例えば?」

「主には七不思議をどう調べるかを考えてた。人に聞くか、印刷物を調べるか、校内ネットで調べるかとか。あんまり無い依頼だから、大体の流れくらいは、」

掃除の疲れが出たのか喋りながら再び欠伸をもらし、「まぁ、見通し立てておきたくてな」と息を漏らした。

「そっか。…それで、見通しは立ったの?」

「まずは図書室に行こうと思う。古い校内新聞とか部誌とか保存してるらしいから、何かしら七不思議に関わる情報はあるだろ。その後行くとしたら新聞部、歴史研究会、オカルト研究会…は、まぁ出来れば最後にしたいな」

まだ少し眠気を感じさせる声を聞きながら、ハルヤは湯のみに蒸らしたばかりのお茶を注ぎ、ダイキに差し出す。すぐに湯のみを手に取ったダイキは一気に半分ほどのお茶を喉に流し込み、ふぅと息をつきソファに浅く座り直した。

「今の内に、埋められるとこだけ埋めちまうか」

ダイキは独り言のように呟くと、伴野から受け取ったファイルの中から書類を取り出し、机に転がっていたボールペンを手に取った。時折湯のみを傾けながら、部員欄に学年、クラス、名前を書き込んでいく。

(土居島君、結構字キレイだなぁ)

お茶を注いだ自分の分の湯のみを傾けつつ、ハルヤはダイキの手元をぼんやりと見つめた。そこまで丁寧に書いている様子はなかったが、元々あまり癖のない字を書くタイプなのだろう。掃除の際に垣間見えた几帳面さといい、色々と見た目の印象と違う所があるのだとハルヤは認識を改めた。

まだ熱のあるお茶を喉に流し、はぁと満足気に息をつくと、ハルヤの目の前に突然白い紙がすっと差し出された。

「はい、次は見崎な」

「……はえ?」

ダイキの淡々とした言葉がすぐには理解出来ず、ハルヤは呆けた声を上げた。自分が何かする約束をしただろうかと首を捻るが心当たりが何も出てこない。

「だから、見崎もそこに名前書いてくれよ」

ダイキはハルヤに差し出した白い紙——部活動申請書を指差し、更に持っていたボールペンを差し出す。そこでハルヤはようやく自分が探偵部に勧誘されているという事を理解し、困惑の表情を隠す事なく表した。

「えぇっそんな、困るよそんな急に…」

「急って事もないだろ。むしろ生徒会室行って部室の掃除も手伝って、それで探偵部に勧誘されないって思わなかったのか?」

「う、そうだけど…」

自分の浅慮を突かれハルヤは思わず口ごもる。確かにそこまで付き合っておきながら、部に勧誘される事はないだろうと高を括っていたのはハルヤも悪いが、だからと言ってすぐに受け入れられる話でもない。

「あ、そう!私もう家庭科部入ってるから探偵部には…」

「兼部出来ないとは校則に書いてなかったから、別の部活入ってても問題ないだろ。別に活動に参加はしなくても良い。名前を貸してくれるだけで助かる」

咄嗟に所属している部活を引き合いに出したが、ダイキには通用しない。(校則なんて一々見てないよ…!)と心の中で訴え、ハルヤは次の逃げの手を探す。

「そ、それなら私じゃなくても良いんじゃないの?クラスの誰かに頼めば…」

「それも考えたけど、どうせ名前を貸してもらうなら事情を知ってる人間の方が良いだろ。一から説明するのも面倒だし、あの場(理事長室)で話を聞いた見崎に入ってもらうのが一番合理的だ」

「うう、じゃあ、他の「協力者」さんに頼むとか…」

「もちろんそのつもりだ。二人だけじゃ部活も申請出来ないしな。ただ、今は見崎以外の協力者は見つかってないんだ。この状況で見崎をスルーする手は無いだろ」

自分の拙い言い訳が瞬く間に論破されていき、ハルヤは完全に次の言葉が出なくなってしまった。持ちっぱなしだった湯のみを膝の上まで降ろし、揺れる水面をじっと見つめる。

「逆に聞くけど、何でそんなに探偵部に入るのを拒むんだ?名前を貸してくれるだけで良いし、そこまで困るような事はないと思うけど」

頑なに探偵部の入部を拒むハルヤを、ダイキは心底不思議に思い観察していた。

ダイキの見る限り、ハルヤはお人好しで気が弱く、頼まれ事を簡単には断れないタイプの人間だ。そもそもダイキが理事長室へ向かう際にハルヤを選んだのも、クラスメイトの中で一番断られる確率が低く、なおかつその後に何かあった時にも巻き込めるかもしれないと踏んでいたからだ。

(まぁ、そんな事本人にはとても言えないけどな)

黙り込んでしまったハルヤの姿を、ダイキはじっと見つめる。探偵として色んな人間に会ってきたが、こういう時は時間がかかっても相手の告白を待った方が良い、というのがダイキの経験則だ。

(さて、どんな答えが出てくるか)

沈黙に耐えかねたのか、ハルヤは小さくため息をつき、冷えてしまったお茶を流し込んだ。

「…別に、土居島君を手伝う事が嫌な訳じゃないの。転校してきたばっかりで分からない事もあると思うし、出来るだけ協力したいとは思ってる」

ダイキは(学園について分からない事なんてそんなに無いんだけどな)という空気の読めない言葉を飲み込み、ハルヤの言葉を静かに待つ。ハルヤはダイキと目を合わせないまま、不貞腐れたように唇を尖らせている。

「私…土居島君の、探偵さんの力になれるような、そんな凄い特技とか、何も無いよ」

小さく呟かれたハルヤの言葉に、少なからずダイキは驚き、そして納得する。

(成程、協力するしないの話じゃなくて、見崎の自信の無さが問題なのか。これは、ちょっと難しいな…励ますのは俺の仕事(特技)じゃないし)

すっかり黙り込んでしまったハルヤに対し、ダイキは半ば諦めたようにぶっきらぼうに言葉を掛ける。

「別に俺だって、そんなに凄い事が出来る訳じゃない。ただ人より少し観察眼があって、それがたまたま探偵っていう職業に昇華されたってだけだ」

ダイキなりに励ましの言葉を掛けたつもりだったが効果は薄いようで、ハルヤは唇を尖らせたままダイキの方を見ずに、湯のみを両手で持ったまま固まっている。沈黙に堪えかねたのか一度お茶を口に運んだが、その後は先程と同じポーズで再び静止し、それ以上の反応を見せる様子は無かった。

ダイキはハルヤへの励ましを諦め、「お茶、お代わり淹れてくる」と言い残して立ち上がり、電気ポットを持ってシンクのある隣の部屋へと向かった。中に入ってた温くなったお湯を捨ててシンクにポットを置き、蛇口を捻り必要な分の水を注ぐ。水音をBGMにしながら、俯いた状態で止まってしまったハルヤの姿をこっそり覗き見た。良くも悪くも動く様子はない。

(部員になってもらってから特技が分かれば良いかと思ってたけど、先にそっちを明らかにしないと話が進まないな)

ハルヤ説得の道筋を立てつつ、ダイキはため息をついて壁に手を付いた。

その時、ダイキの右手に小さくも鋭い痛みが走った。


「痛ッ…!」


隣の部屋から聞こえた小さな声に、湯のみの水面をじっと見つめていたハルヤはパッと顔を上げた。

「えっ、土居島君…?」

手にしていた湯のみをテーブルに置き、慌てて立ち上がって声の元へ向かうと、右手の中指を押さえているダイキの姿があった。わずかに眉根を寄せた表情に、ハルヤは血相を変えてダイキに駆け寄る。

「どっ、どうしたの?怪我?」

「…何かで指を切ったみたいだ。大した怪我じゃない」

ハルヤはダイキの手を取り、怪我したらしい中指の状態を見る。ダイキの言うように棘のような鋭いもので切ったらしく、血の細い筋が走っている。出血量は少ないが、傷の周りが少し赤黒くなっている。

「た、大した事なくないよ!取り敢えず血を洗い流さなきゃ!」

ダイキの怪我の様子を見たハルヤは更に慌て、水を注ぎっぱなしだったポットをどけ、代わりにダイキの右手を差し出す。水が傷口に沁みてダイキは顔を顰めたが、

「沁みるだろうけど我慢してね。洗わないとばい菌が入っちゃうから」

とタイミング良くハルヤに声を掛けられ、大人しくハルヤの言葉に従わざるを得なかった。

仕方なく怪我した指を水にさらす間、ダイキは自分が手を付いた壁に視線を移し、怪我の原因を探る。電気を付けずに部屋に入ったのでハッキリとは見えないが、小さな金属の欠片が壁に刺さっているようだ。周りに小さな穴が残っている事から、画鋲の針が残っていたのだろうとダイキは推測する。

(この部屋自体が大分放置されてたみたいだし仕方ない事ではあるけど…。三津峰達にこの辺の確認と対応もお願いしておくか)

ダイキが壁の観察をしている間ハルヤはダイキの右手を水に晒し続け、血を洗い流しきったのを確認し水から引き上げた。そのまま傷口をじっと見つめて「よしっ」と満足げに声をあげ、掴んだままのダイキの手をシンクから出し、今度は自分の両手を洗い出した。一通り洗い終えると蛇口をキュッと閉じ、スカートのポケットにしまっていたハンカチで水気を取る。

「そしたら絆創膏貼らなきゃ。あ、念のため消毒しておいた方が良いよね。確か救急箱に消毒薬が入ってたはず…」

ハルヤは再びダイキの手を掴むと中央の部屋へと歩を進め、確認するように次の動作を独り言つ。相変わらず慌てた様子ではあるが、その表情は先程までの俯いたまま固まっていた人物とはまるで別人のように活き活きとして見えた。

ダイキを元のソファに座らせ、ハルヤは棚の上に置いてあった救急箱を取り、テーブルの上に置く。救急箱から消毒薬とガーゼ、絆創膏を取り出し、

「冷やしてるから大丈夫だと思うけど…沁みたらごめんね」

先に謝罪の言葉を口にすると、ハルヤは手際良く傷口を消毒していく。

ダイキは少し意外に思いつつそんなハルヤの様子を観察していた。この程度の切り傷に消毒は不要だろうという感想は別にして、怪我の対処についてはいやに要領が良い。随分とこの手順に慣れているようだ。

(そういえば、見崎は保健委員だったか。それだけが理由って事もないだろうけど)

指先から垂れる消毒液をガーゼで拭き取り、傷を押さえるように小ぶりな絆創膏を巻いていく。絆創膏を巻き終えたハルヤは「よし」と声を上げ、脇のソファに座り直した。

「随分手慣れてるんだな。保健委員だからか?」

「うーん、それもあるけど…家庭科部でもよく包丁で指切っちゃったりする子が居るから。それで多少は慣れたかな」

そう答えながら消毒液や使わなかったガーゼを救急箱に収納し、ハルヤはそのまま流れるように絆創膏のくずを回収して制服のポケットのしまい込む。一連の迷いのない動作は、ハルヤの言葉が嘘でない事を確かに裏付けていた。

「どう?まだ痛い?」

ハルヤは心配そうにダイキの顔を覗き見、絆創膏の巻かれた指先に触れる。

「まぁ、多少は。でもすぐ治るだろ」

「そっか…」

ダイキの言葉に納得したような返しをしつつ、ハルヤは変わらず指先に触れ続け、巻かれた絆創膏を撫でている。ハルヤの行為に対しある種のくすぐったさを感じたダイキは僅かに顔を赤らめ、思わず自分の指先から——ハルヤから視線を逸らす。

すると、ハルヤはダイキの指をきゅっと掴み、囁き掛けるように小さな声で呟いた。


「痛いの痛いの、飛んでいけ」


そしてそれまでの執着が嘘のようにダイキの指先からパッと手を離し、前かがみに倒していた上体をソファへと預けた。驚いてハルヤの方へ向き直ったダイキをよそに、何事も無かったようにニコリと微笑んでいる。

「…何だよそれ。それも見崎のルーティンか?」

突然出た子供っぽい言動にダイキは思わず苦笑をこぼしたが、当のハルヤは恥ずかしがる事もなく「昔からの癖でね」と穏やかに言葉を紡ぐ。

「おまじない。早く怪我が良くなりますように、って」

ハルヤは変わらず穏やかに微笑みを浮かべている。元々ハルヤに対して少し天然な所があるかもしれない、と思っていたダイキだったが、同学年の自分を幼児か何かと勘違いしてるのではないだろうか?という考えが巡り、思わず戸惑いの息をこぼす。

「おまじないって…」

そんな非合理的な、と続けようとしたその時、ダイキは違和感を覚え自分の指先をまじまじと見つめた。綺麗に巻かれた絆創膏の下にはうっすらと赤い筋が見えている。怪我で出血し、痛みを感じていたのは間違いない。

だが、いつの間にかその指先からは一切の痛みが感じられなくなっていた。

(痛みが消えてる?どういう事だ?)

試しに指先を軽く揉んで刺激を与えてみるが、絆創膏に赤い染みが広がるだけでやはり一切の痛みが感じられない。怪我をしているのは間違いないはずなのに。

「あ、ダメだよいじっちゃ!」

突然の奇行を止めようと伸ばされたハルヤの腕を、ダイキはぐっと掴む。ハルヤは思わず「わっ」と驚きの声をあげ、不思議そうにダイキの顔を見つめる。

「…土居島君?どうかしたの?」

ハルヤの表情からは怪我をしたダイキに対する心配の色しか見えない。ダイキの身に起こった現象についてはまるで知覚していないようだ。

(もしかして、見崎自身は気付いていないのか?だとしたら…)

ダイキは一瞬逡巡の表情を見せたが、すぐにハルヤに向き合って尋ねる。

「見崎、今の『おまじない』はいつもやっているのか?学園の誰かにやった事は?」

「え、な、無いよ。笑われちゃうから、子供相手にしかやらないよ」

やはり自分を子供扱いしていたのではないか、という疑念は湧いたものの、ダイキはさらに問いを続ける。

「『おまじない』をした相手の様子はどうだった?すぐ元気になったり、泣き止んだりしたんじゃないか?」

「ど、どうして分かったの?確かに皆元気になってたけど…」

心底不思議そうなハルヤに対し「ただの勘だ」と適当な言葉を返し、ダイキは思考を巡らす。

(言葉でか動きでかは分からないが、相手の痛覚に対して暗示をかけられる、それが見崎の才能か?それが正解なら名称は看護師(Nurse)…って、そんなレベルじゃないか)

ダイキは自嘲気味に笑みをこぼし、改めて絆創膏の巻かれた自分の指を撫でる。何度確認してみても先程までの痛みはない。

(まるで狐に化かされたような、いや、)

小柄で童顔な同級生を掴まえて狐はないだろうと思い直し、ダイキはふと子供の頃に見たファンタジー映画を思い出していた。どんな傷でも直してしまう、主人公達の頼れる仲間——

(そう、まるで、『魔法』にかけられたみたいだ)

らしくない考えだと理解していたが、いまだに不思議そうに自分を見つめるハルヤの顔を目にし、ダイキは唇を緩めそっと掴んでた腕を離す。そして「見崎」とハルヤの名を呼び、

「お前さ、お前が思ってるよりよっぽど凄い人間なんだな」

そう言ってハルヤの頭にポンと軽く手を置いた。

「え?ど、どういう事?」

ハルヤは困惑しつつも僅かに顔を赤らめ、両手をアタフタと意味もなく動かしている。自分の頭に置かれたダイキの手を振り払わない辺りがハルヤらしいと、当人であるダイキは微笑ましく見つめている。


「これから宜しく頼むよ。…『ハルヤ』」



 H HEALER 治療師

 2年B組 32番 見崎陽耶

 対人での治療行為に優れる。知識よりもその行為に対して才が見られる。

 『おまじない』と称する暗示行為により相手の感覚に直接働きかけ、

 対象の痛覚を完全にシャットアウトする事が出来る。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ