2話 氷山の一角
探偵、土居島大貴が私立帝ノ森学園に転入してきた翌日の朝。
「はぁあああああ…」
クラスメイトでもありダイキの捜査の協力者でもあると指名された見崎陽耶は、自身の机に突っ伏して大きなため息を付いた。
「どーしたのハル。でっかいため息ついて」
「うん…いや、ちょっとね…」
友人である水野理恵の問いかけに、ハルヤは姿勢を変えずに無気力に答える。水野の方もハルヤのそんな様子を特に気にした風もなく、派手に装飾されたスマートフォンをいじっている。
「ねぇ、理恵。土居島君の事、どう思う?」
「土居島?転校生の?…何、一目惚れでもした?」
「え!?もう、そ、そうじゃなくってさ…」
からかわれているだけだと理解しつつ、ハルヤは頰を膨らませながら体勢を変え、頬杖をつく形で視線を教室の前方へ向けた。教室の右手側一番前には、昨日渡されたばかりの電子生徒証を操作しているダイキの姿がある。
「土居島君ってさ、何て言うか、ちょっと周りの人とは違う雰囲気があるっていうか、あんまり高校生っぽくないって言うか…」
その原因の一つにダイキが『探偵』である事もあると理解しつつ、ハルヤは自身の感想を述べる。折角クラスメイトになったのだから仲良くはしたいのだが、どうにも取っ掛かりが見当たらない、というのが正直な所だ。
「そう?普通にイイ奴だったよ。私の名前覚えてたし、失くしたと思ったイヤリング拾ってくれたし」
「えっ!理恵、土居島君と喋ったの!?」
「昨日ね。クラスの男子とも喋ってたよ」
「そう、なんだ…」
ハルヤは信じられない、という面持ちで前方のダイキの背中を見つめた。基本的には本を読んだり生徒証を眺めたりして一人で過ごして居るようだが、通り過ぎるクラスメイトに話し掛けられたり話し掛けたりと、確かにそれなりに交流を持っているようだ。ハルヤにとっては表情の読みにくい、不愛想な少年という印象だが、周りの人間にとってはそうでもないらしい。
(土居島君が『探偵』だって知ったら、皆どう思うんだろうな…)
自分だけがダイキの秘密を知っている事にハルヤは頭を痛めつつ、昨日の帰り道での会話を思い出していた。
「明日の放課後、生徒会室に行くから一緒に来てもらえるか」
校舎を出て校門に向かう道すがら、特に別れる理由もないため流れのままにダイキと並んで歩いていたハルヤは、突然の声掛けにビクリと肩を竦ませた。
理事長室に行くまで、理事長室で話を聞く間、そしてそこからの帰り道、ハルヤはいまだにダイキとまともな会話が出来ていなかった。人見知りという訳でもないし、むしろ友人・知人は多い方なのだが、無駄のない端的なやりとりを好むダイキとは相性が悪いらしい、というのがハルヤの認識だ。
「せ、生徒会室?何しに行くの?」
ただでさえ会話の盛り上がらないダイキと、理事長室に続き生徒会室という学園の要所に行くとなれば、ハルヤの声が上擦るのも不思議はなかった。
「理事長が『探偵部』の申請してくれたって言ってただろ。あれ、創部の書類を作ったって意味らしくて、実際には俺らの名前を書いて改めて提出しなきゃいけないらしい」
ダイキは御門から手渡されたファイルを指差し、「貰った書類にそう書いてあった」と付け加えた。
「そっか、結構大変なんだね…」
ここでハルヤは『探偵部』の部員として自分がカウントされている事に気付かず、あくまで他人事として同情の念を示した。
「生徒会室に行って申請書を貰う、そのまま部室を見学しに行く、申請書に記名して帰り際に提出してく。それだけだ。そんなに手間でもないだろ」
ダイキは順に指を折って今後の流れを説明し、ハルヤの言葉を打ち消す。言っている事は全く間違っていないのだが、それにかかる精神的負担を考慮しておらず、(そういう所だよ土居島君…)とハルヤは内心で苦言を呈した。
「でもそれって、私じゃなくても…場所が分からない訳じゃないんでしょ?」
やんわりとしたハルヤの同行拒否の言葉を、ダイキは「まぁな」とあっさり認める。
「場所は生徒証見れば分かる。けど、そこに居る人の事は分からない。だから、なるべくそこを分かってる奴と一緒に行きたいんだ。見崎は内部生らしいし、知り合いも多いだろ?」
ダイキは歩みを止めて、ハルヤの方に体ごと向けた。真剣な言葉と共に、真剣な眼差しがハルヤに注がれる。教室でのやり取りぶりにダイキと正面から向き合ったハルヤは、その無言の圧からゆっくりと視線を逸らして答えを返した。
「…確かに、生徒会には何人か知り合いも居るけど…」
「なら、決まりだな。頼りにしてるよ、『協力者』さん?」
ハルヤの頭に手をポンと置き一撫ですると、ダイキは踵を返しそのまま校門へと向かって行った。ハルヤは思わず自分の頭に手を置き、つい先程の出来事を反芻する。ぎこちなさを微塵も感じさせない、自然と出た動作のようだった。
(土居島君、ああいう事するタイプなんだ…)
ハルヤは遠ざかるダイキの背中を見つめつつ、頬が熱くなるのを感じた。そのまま半ば信じられないという気持ちで立ち止まったまま頭上の感触を確認するハルヤに対し、「あ」とダイキは声を上げて振り返った。
「ついでに生徒会長とか偉い奴を紹介してくれると、今後動きやすいから助かる」
「宜しく」と言わんばかりに手を振り、ダイキはそのまま振り返る事なく校門から出て行った。寮の方に向かったらしく、学園の外壁に阻まれてその姿はすぐに見えなくなった。
一人残されたハルヤは呆然としながらも頭上からゆっくりと手を下ろし、(もうっ!)と心の中で声を荒げた。
(そういう所だよ土居島君…!)
放課後、ダイキと並んで生徒会室に向かうハルヤは昨日のやり取りを思い返し、隠す事なく不満げな表情を見せていた。
(思い出したらムカついてきた!一瞬でもトキめいてしまったのが悔しいっ!)
生徒会室は教育棟の五階、連絡通路を渡ってすぐの場所にある。要するに昨日理事長室へ向かった際にその前を通っているので、ハルヤは特に場所の説明をする事なく黙々と歩みを進める。ダイキも特に何かを尋ねる事もなく無言のままハルヤの隣をスタスタと歩き、五分程で二人は生徒会室の前に辿り着いた。
「ここが生徒会室だな」
「あ、待って、土居島君」
じゃあ早速、とばかりに戸を叩こうとするダイキに、ハルヤは慌てて声を掛ける。
「生徒会の人とは私が話すから。気になる事があっても、勝手な行動しちゃダメだからね」
まるで小さな子供に説くかのようなハルヤの言葉に、ダイキは眉根を寄せつつ首を捻る。会って間もないのだから信頼されていないのは仕方ないが、ハルヤの口ぶりからするにそれだけではないらしい。
「それってどういう――」
ダイキがその意図を尋ねようとしたのとほぼ同時に、連絡通路側から声が掛かった。
「あの、生徒会室に何か御用でしょうか?」
二人が声のした方を振り返ると、そこには華奢な女生徒が立っていた。ただ、その格好がただの女生徒ではない。くるぶし程の丈の黒いワンピースに控えめにフリルがあしらわれた白いエプロンを身に付け、靴も学校指定の上靴ではなく、黒いストラップシューズを着用している。
(何で学校にメイドが…)
どこからどう見てもメイドにしか見えない装いの女生徒――もはや生徒なのかも怪しいが――を前に、ダイキは呆然としつつも冷静に観察を続ける。
(化粧っ気は薄いけど、顔立ちから見て同年代、少なくとも二十歳はいってないな。姿勢も仕草も綺麗だし、ただのコスプレって訳じゃないのか。上靴じゃないから学校から許可を貰ってるんだろうし、案外何かの部活か委員会のユニフォーム、って所か)
数秒にも満たない間に女生徒の観察を済ませ、ダイキがその正体に当たりを付けたのほぼ同時に、ハルヤが「あ」と声を上げた。
「コマチちゃん!」
コマチ、と呼ばれた女生徒はハルヤの姿に気が付くと、両手をきっちりと体の前で合わせ、丁寧に頭を下げてお辞儀をした。立ち方も洗練されている印象だったが、お辞儀もかなりやり慣れているようだ。
「見崎さんでしたか。ご無沙汰しております」
「うん、今年は別のクラスだからね。コマチちゃんは今からお仕事?」
「はい、ホームルームが長引いてしまいましたので」
ハルヤとコマチの親しげなやり取りを観察しつつ、ダイキは再びコマチに対して疑問を頂いた。
(同学年の生徒の顔は一通り目を通したはずなんだけど、あんな奴居たかな?)
ダイキの疑問に反し、ハルヤとコマチの会話はスムーズに進んでいく。
「生徒会のどなたかに御用のようでしたら、私が呼んで参りますが」
「あ、部活の申請書を受け取りに来たんだけど…金宮先輩か渡良瀬先輩居るかな?」
「会長様か副会長様ですね。承知致しました。少々お待ち下さいませ」
コマチはそう答えると、「失礼致します」と戸を叩き、生徒会室の中に消えていった。コマチの姿が見えなくなって数秒立った後、ダイキは静かにハルヤに近付きそっと耳打ちする。
「さっきのメイドは見崎の知り合いか?」
「うん、三津峰小町ちゃんって言うの。去年クラスメイトだったんだよ」
「何でメイド服を着てるんだ?」
「うーん、説明するのはちょっと難しいんだけど…一番は奉仕部って部活に入ってるからかな。後は金宮先輩っていう――」
2人が小声で会話を交わす中不意に戸のすぐ向こうから足音がし、すぐにガラリと戸が開けられた。
「お待たせ致しました」
中から出て来たのは先程のメイド服を着たコマチではなく、今度は背の高い男子生徒だった。ただし同じようにただの生徒ではなく、白いシャツの上に灰色のベストと黒のジャケットを羽織り、手には白い手袋をしている。
(メイドの次は執事か…)
執事服を着込んだ男子生徒の姿を捉え、ハルヤは「あれ、伴野先輩」と声をあげた。どうやらこちらも顔見知りの人間らしい。黒い髪をきっちりとオールバックしており、見た目から既に生真面目さが漂っている。
「金宮先輩と渡良瀬先輩は…」
「申し訳ございません。会長様も副会長様もただいま中等部生徒会との会議に出ておりますので、私が代わりに対応させて頂きます」
伴野と呼ばれた執事姿の生徒は、先程のコマチと同じように丁寧に頭を下げた。こちらもかなり慣れている様子だ。
「三津峰から部活動の申請書を受け取りにいらっしゃったと伺っておますが、『探偵部』の申請書でお間違い無いでしょうか?」
伴野が差し出したファイルをハルヤが受け取り、それを覗き込む形でダイキも中の書類を確認する。書類には『新規部活動申請』と大きく書かれており、既に探偵部の名が記されている。下には記名欄が設けられておりまだ空欄のままになっているが、許可欄には既に幾つかの判子が押されていた。
ハルヤが振り返ってダイキの方を伺うと、無言の頷きが返ってきた。会話はハルヤに一任する、という約束を律儀に守っているらしく、ハルヤは少し意外に思いつつ頷き返した。
「はい、間違い無いです」
ハルヤが代わりに返答すると、伴野は「ありがとうございます」と礼を述べ、再び頭を下げた。
「ご覧の通り、既に生徒会と学校側の許可は下りておりますので、部室は自由にご使用頂けます。場所は二枚目の構内図をご覧下さい」
ハルヤはファイルの中から書類を取り出し、言われたように二枚目の書類を確認する。部屋が幾つか記された記された中、一箇所だけ赤枠で囲まれている箇所がある。ここが探偵部の部室という事らしい。
「申請書の方は部員の皆様に自筆でご記載頂き、再度生徒会の方にお持ち下さい。生徒会のどなたかに直接手渡しでも構いません。他に何かご質問は?」
伴野の問いにハルヤが振り返る前に、ダイキが小さく「期限は?」と耳打ちをした。
「あ、あの、申請書はいつまでに出せば良いんですか?」
背の高いダイキが屈みこんでハルヤに耳打ちし、頑なにハルヤだけが会話しているのはかなり奇妙な図だったはずだが、伴野は特に表情を変える事もなく淡々と返答する。
「既に申請は済んでおりますので特に期限という期限はございません。が、そうですね、予算編成がありますので今月中には提出して頂けますと幸いです」
ハルヤが再び振り返ると、今度はダイキは横に首を振った。質問はもう無い、という事らしい。
「分かりました。大丈夫です」
「承知致しました。宜しくお願い致します」
ハルヤが答えると伴野はわずかに目を細め、三度深く頭を下げる。そのまま生徒会室の戸を開け、伴野は「失礼致します」と言葉を残して戻っていった。
伴野との会話を終え、ハルヤは書類を手にダイキを振り返った。
「場所分かったし、部室行く?」
何でもない様子で自分を見上げるハルヤを見つめ、呆然とした表情を浮かべながらダイキはポツリと感想を呟いた。
「…この学校、思ったより色んな奴が居るんだな」
特別科に才能ある生徒が揃って居る事はダイキも事前情報として知っていたが、普通科にメイドと執事が居る事は予想していなかった。転入二日目で会う人間としてはかなりの変化球だろう。
ダイキと話すようになって初めて見た表情に、ハルヤは驚きつつ得意げな気持ちで目を細めた。そしてダイキの顔を覗き込み、悪戯っぽく言葉を返す。
「生徒数多いからね。まだまだこんなもんじゃないよ?」