62 三姉弟・慧木の期待
あまり遠くない所で、動く気配。
くぐもって聞こえる、間延びする乾いた音。
少し前から把握していた、しかし明確な認識には至っていなかった。だが何度も繰り返し知覚することで、父にしつこく揺り起こされた幼き日が連想される。
起きなければ。
朧げな意識が外からの刺激を受けとめ、ようやく浮上を始めた。重怠く、貪るような眠りを欲する頭を狩人としての矜持で抑えつけ、少女アリーシャはその意識を覚醒させる。
変事があったとき、眠ることにかまけていてはならない。
村一番の狩人であったタグサムの教えが彼女の中にも根付いている証拠だ。故に彼女はその気になれば名剣の如き鋭さで目覚めることができる。
意識を明瞭なものにしたアリーシャだが、すぐには起き上がらない。瞼を閉じたまま、周囲の様子を把握することに努めた。
ここは――そう、森人族の用意してくれた寝床。
クレイオスは、居ない。
外には激しく動く気配――喫緊めいた荒々しさはないし、殺気もない。運動をしているだけ。
音、木製のものを打ち合わせたような。動く気配の方から聞こえる、何をしているんだろう。
目を閉じ、視覚情報以外の五感で以て己を囲む世界を把握せんとする。
これが悲鳴や怒号を聞きつけていれば、跳び起きた勢いで弓に弦を張り、矢を番えて飛び出したことであろう。しかし、激しさはあれど呑気に思える気配と音に、彼女はその必要性はないと理解していた。
なので、安堵の息を漏らしながら瞼を押し開き――見えてしまったものを前に、己の短慮を激しく後悔した。すぐに目を閉じ、大きく息を吸って苛立ちを押し流すように吐き出す。
この眼は本当に問題だらけだ――アリーシャは深刻にそうぼやいた。
少女アリーシャの抱える問題は、視力低下したその両眼であることは言うに及ばず。その上で、それはさらに幾つもの面倒を抱えている。
一つは、生体魔素の運用によって視力回復した際に伴う激痛。
日に五度を超えて運用すれば、ずっと響くような頭痛・鈍痛に悩まされる。それが翌日まで続くのだから、本当に洒落になっていない。幸いにして、昨日はそこまで視力回復せずに済ませているのでこちらは問題ない。
二つに、本題である寝起きの気持ち悪さ。これは痛みを伴わないものであるが、しかし爽やかな朝を最低の気分にしてくれる代物だ。森神の気配に満ちたこの朝が、急速に色あせて感じるほどに。
目覚めた直後、瞼を押し開けば視界いっぱいを侵す斑模様の紫が存在しているのだ。空気に色がついたかのような、流動的でぼんやりとしたものがもったりした動きで動いているさまを見せつけられる。
それがアリーシャの感性を、爪を突き立てて搔きむしるが如く刺激するもので、一度嘔吐してしまったくらいには嫌いだ。
雷神神殿の視力低下した患者は似たようなことを一切訴えていなかったそうで、原因も見えているものも不明。とにかく意味不明なものが見えて、しかも動いているのが気に食わなくてしょうがないのである。
唯一の救いと言えば、眼球付近の魔素を視力が回復しない絶妙な具合で整えることでそれが見えなくなることか。
故に、落ち着ける朝はできるだけ、瞼を開けずに生体魔素を調整する作業に勤しまなければまともな朝も迎えられなかった。
これが腹立たしいほどに繊細な作業なので、朝のアリーシャはこうしてしばし寝床にうずくまる羽目になっている。尤も、今回は気分の悪さも多分にあるが。
一体何が見えているというのか。
視力の完全回復までは望まずとも、この気持ちの悪い紫色の正体だけは知りたい、と少女は切実に願っている。せめて理解さえできればこの嫌悪感も薄まるだろうに、という怒りを孕んだ願望であるが。
深呼吸を三度必要とする時間を以て、調整を終えたアリーシャはゆっくりと目を開く。
先ほど一瞬見えた、紫の斑模様はもう見えない。相変わらずのぼんやりとした視界が彼女の心の平穏を取り戻してくれる。
安堵のため息を漏らして、アリーシャはゆったりと身体を起こした。
荷物の上に放り出していた髪紐を使い、長い黒髪を一纏めにして結わえようとする。
そこで手の中で纏めた己の髪が水分を欲して乾いているのを感じ、アリーシャは細い眉を寄せた。
村に居る時はよかったが、こうして旅に出るとなるとたった一日山歩きをしただけでこれだ。土埃に塗れ、乾いた空気に痛めつけられている。長さもあって、手入れは相応に大変だ。
結わえなければ腰元まであるこの長さ、木や茂みにひっかける間抜けは晒さないが、しかし今後邪魔になるかもしれない。
切ろうか――と一瞬だけ考えて、すぐにアリーシャは自分で首を横に振って考えを捨てた。
ここまで伸ばすのも苦労したし、父は「お母さんに似ている」とこの長い髪を思い出と共に喜んでくれた。
そして何よりも、あの口下手でお喋りの苦手な幼馴染が「綺麗だな」と一度だけであっても褒めた髪なのである。
今でも思わず口元が緩む思い出だ。であれば、この長い髪と付き合っていくのも吝かではない。
そんな回顧をしつつ、アリーシャは髪をいつもより低い位置で緩めに結わい終える。のんびり過ごすならこれくらいでいいだろう、と判断したからだ。
それからアリーシャは眠気を払うように、冷たい手で顔を揉みながら立ち上がる。
胸当てを含む防具を身に着けていくか悩んだが、クレイオスの革鎧が残っているのを見て自分も置いていくことに決めた。
今日一日は、この森で過ごすことが決まっている。何をして過ごすのか考え付かないが、物騒な用意はしなくていいだろう、と少女はこの村が安全圏であると信じていた。
胴衣の皺を伸ばしつつ、緑の住居から首を伸ばして外を覗き見る。眠っている人の近くで朝から大立ち回りしている連中は誰だ、と少々の不満を抱きながら。
見えたのは、柔らかな朝日が零れ落ちる森の一幕。
背丈の近い青年二人が、木棒を得物に打ち合っている様子だ。
片方は右へ左へと激しく動き回り、もう片方はどっしりとした構えでそれを迎え撃っていた。
予想はついていたが、アリーシャには一方の正体がすぐにわかる。
動きの少ない赤髪の人影は、間違えるはずもなくクレイオスだ。対し、動き回る森人族らしい濃緑の髪の方は――ぼやけた視界ではちょっとわからない。見知らぬ森人族の可能性もあるが、アリーシャはなんとなく三姉弟の長男フィラウトではないかと考えた。
顔を確認するために視力を回復することも一瞬思考に上ったが、痛むことを思えばアリーシャとしても流石に躊躇が勝る。声をかければわかることか、と一歩踏み出したところで、間近で立っている人影にようやく気付いた。
寝床である緑の住居の真横、一本の若木に寄りかかって立つ細身の姿。限りなく森と同化し、視界に映らなければ存在の認識も難しいほど。
こんなにすぐ傍にいても気づかなかったなんて、と少々ではない驚きを顔にまで波及させながら、アリーシャは反射的に魔素を回して視力を取り戻す。そして迸った痛みに眉根を寄せながら、人影の正体へと視線を向けた。
見えるようになった目で確認できたのは、長姉モルハウトの秀麗な横顔。流し目で己の間抜け顔を見られているのを理解し、慌てて取り繕う勢いでアリーシャは口を開いた。
「お、おはよう、モルハウト」
「ああ、よく眠れたようでなによりだ」
何とか挨拶をしてみれば、モルハウトから薄い笑みと共に面白がるような色を滲ませた返事が寄越された。
それから彼女が自分の側頭部を指でちょいちょいと示してきて、一瞬の困惑の後に意図を理解する。まさか、とアリーシャが思いながら己の同じ位置に手をやると、そこには跳ねた寝癖がしっかりと存在を主張していた。
顔から火を噴く勢いで慌てて手櫛を梳き入れながら、アリーシャはくすくすと笑う端正な横顔から視線をそらした。
恥ずかしさが主要な理由であるが、その美貌にちょっとした嫉妬を抱いたのも事実である。
さやさやと流れる、朝露に濡れた緑葉の如き髪。額からすっと通った鼻梁は横顔の輪郭を美しく描き、アーモンド形の目は女性的魅力と気高さに溢れている。薄い桃色の唇は厚みを持たないが、故にその怜悧な印象を強調してくれていた。
さほどに多くの人と会ったわけでもないアリーシャだが、記憶の中でも一等美人であることは間違いないと断言できる。王都を軽く歩いた際にすれ違った人々に、これほどの発光するような美しさを見た覚えがない。
そもそもにして、自分と彼女では種族が異なる。
姿に美醜の差がある土人族に対し、皆が容姿端麗な種族である森人族。そう在るべくして生まれた彼らに、嫉妬することそのものが間違っているのだ。
可能性を重んじ、差があることが大好きな神――幸運神の気性。
そして、神族の中で最も気高く、己が美貌を月女神にさえ誇ることもある神――森神の性格。
この両者がそれぞれの思いを乗せて設計したのが土人族と森人族であるのだから、美的感覚における優劣は明白と言える。
「彼らの美貌を羨ましがることはすなわち幸運神への文句である」――父の蔵書の文言が頭に浮かび、アリーシャはひっそりとしたため息を零した。
そんな土人族の少女に、モルハウトは「気分でも悪いか」と不思議そうに尋ねる。
「ううん、なんでもない」とようやくにして手応えを失った寝癖に満足しつつ、アリーシャは首を横に振った。
深く追及するほどに興味もなかったのか、美しき森人族の女は気を取り直すように「そうか」と頷くと自分の腰元に手を伸ばす。
帯に引っかけていた広葉の袋を持ち上げ、アリーシャに向けて差し出した。
受け取り、開いてみれば昨晩の夜食と同じ果実と干し肉が艶やかな色味を発している。採れたてのような瑞々しさを誇る果実を手に取ってみれば、モルハウトは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「朝食だ。変わり映えしない献立で悪いが、夕食に期待していてほしい」
「ありがとう。この森の果物は本当においしいから、また食べられて嬉しいわ」
対し、アリーシャは笑顔を浮かべて応えを返した。本心からの言葉である、見知らぬ森のこの果実は実に彼女好みの味であった。
その言葉に安堵したのか、釣られるように笑みを浮かべたモルハウトはそのまま視線を元の方向に戻す。
そちらにあるのは、アリーシャが姿を見せるより前から眺めていた、弟と客人の手合わせ。
木棒を弾き飛ばされるフィラウトを見ながら、堪えきれぬため息を長姉は漏らした。
「意気揚々と『食事は俺が届けてこよう』と云うから任せてみれば、あんな風に棒を振り回して遊んでいる始末。その上、一人分の朝食も忘れていくのだから始末におけない愚弟よ」
「あぁ……なるほど」
フィラウトとクレイオスが手合わせしている流れ、モルハウトまでがやってきた経緯まで一口に説明され、アリーシャは何とも言えない表情になりながら理解を示す。
間抜けな弟の尻拭いをする形となった長姉は額に薄い青筋を浮かべつつ、されど激することはなく、視線の先で動き回る二人を見つめ続けていた。
どうやら試合している二人は相当に熱が入っているらしく、こちらの存在に気づいている気配がない。手合わせの形式は一本取りでは終わらないもののようで、弾き飛ばされた木棒を鋭い転身で空中で掴みとり、フィラウトはそのまま逆撃へ持ち込んでいた。
体力の続く限り、と言わんばかりの勢いで打ち合う二人は随分と活き活きとしており、あまりに楽しげなので声をかけるのも憚られるほど。
この姉が黙って眺めているのも、同じ気持ちであるからだろう、とアリーシャは思いを巡らせる。
その想像は間違っていないようで、果実を齧るアリーシャを話し相手に定めたのか、ぽつりと口を開いた。
「愚弟であるが、あれでも村随一の戦士でな。ああも手玉にとられているのは久方ぶりに見た。三十年は久しいか……」
「三十年、ね……」
さらりと零れた一言に、アリーシャはなお強く種族の違いを感じた。土人族であれば壮年期となる数字を、こうも安く口にできるのだから長命の彼らは生きる時間が違いすぎる。
見た目の年齢はかなり近いが、モルハウトもフィラウトも――おそらくあの幼げなユピテウスでさえも、アリーシャの倍する年月を生きているのだろう。あるいは倍を倍しても足りない可能性がある。
だが、こうして普通に会話する分には年月を思わせる老獪さなど少しも感じない。それほどの威厳があったのはコルルクくらいだろう。
確か、本には見た目の成熟と比例して精神性も成長すると書いてあったっけか――とアリーシャは咀嚼した果実を嚥下しながら記憶の蔵書を引っ張り出した。
そんな考え事をしながら返事しつつ、アリーシャも倣って打ち合う二人を見据える。
手玉に取る、とは言うが、アリーシャにはクレイオスも随分苦慮しているように見えた。ぼやけた視界に表情は映らないが、砂埃を巻き上げる勢いで疾駆するフィラウトに思い切った動きができていないのはわかる。
膂力で圧倒するために、本来健脚を誇るその足を止めて相手をしている。そのことから察するに、彼の内心にはそれなりの苦虫が張り付いていることだろう。
アリーシャからすればそう見えるが、逆にモルハウトから見れば景気よく木棒を弾かれ続けている弟の姿はきっと似たような情景となっているに違いない。
楽しげに戦う男二人から視線を外し、アリーシャは隣のモルハウトの様子を伺う。
意外にも、その表情はどこか嬉しそうで、眇めた目は慈愛の色を込めて弟を見つめていた。
頼りであろう森人族きっての戦士が手も足も出ていないというのに、良かったなと言いたげな顔をしていればアリーシャとて気になる。
それに明日から共に旅をする仲なのだ、親しくなっておきたいと会話を膨らませるべく言葉を投げかけた。
「嬉しそうね」
「む、そう、だな。……お前たちには話しても構わんか」
不意を打ったらしいアリーシャの声に、モルハウトは驚いた表情を浮かべてから、少しの逡巡を見せる。一瞬悩んだ素振りを見せ、何かしらの決断を得たのだろう、女森人族は口を開いた。
「あの弟は随一の戦士であるが、あれで結構な土人族好きの変わり者でな。
幼き頃は大人が話す土人族との争いの話を好んで聞いて、それから鍛錬に熱を込める姿をよく見たものだ。だから、土人族と戦うことを望んで我らの講和の話を拒絶するものだと思っていたよ。
だが、実際のところは土人族の用いる戦術や戦闘技術に胸を躍らせていただけらしい。
本人の言うところによれば、寿命も力も素早さも劣るが故に磨き上げられた彼らの『技術』が、眩しいくらいに好きなのだと。
どちらかといえば、教えを乞いたいくらいなんだそうだ」
「……土人族の文化に強い興味がある、ってことかしら」
果たして姉が語ったのは、弟の持つ憧憬。
どういう心理であるのかは、他人でしかなく、さらに異性ともなるこの二人には理解できない。しかし、アリーシャとしては彼の考え方が森を出奔する森人族のソレと同じであるように思えた。
そんなところだ、と言わんばかりにモルハウトは肩をすくめ、言葉を返す。
「こと、戦いに関する方面に限定されるがな。だから、ああして土人族と手合わせしている現状にはしゃいでいるのだ。
……講和が成されるよりも一歩早い、夢の実現だからな」
楽しげに打ち合う弟に呆れながらも、しかし姉たる彼女は慈しみを以て彼を見つめていた。
フィラウトが抱いていた願望が、思わぬ形で実現している現状を祝福できぬほど腐れた性根は持たぬが故に。
何より、ああして土人族と隔意もなくやりとりしている様は、講和を望むモルハウトが抱く憧憬に重なるのだ。
気の済むまで遊ぶといい――そんな心持ちで二人の手合わせを眺めていたに違いない。
仲の良い姉弟だ、と微笑ましく思いながら、アリーシャはふと考える。
フィラウトには講和を望むだけの願望があった。ならば、とアリーシャは一歩踏み込むつもりで口を開く。
心の間合いの内側、ともすれば拒否感を以て追い返されるかもしれないところへ少女は問いかける。
「それじゃあ、あなたは?」
「む?」
「あなたには講和がうまくいってから、してみたいこととか、知りたいこととかないの?」
モルハウトの抱く願望、それは何なのか、と。
それを尋ねる必要があるのか、と問われれば、アリーシャもまた答える口を持たない。どこまでも純粋な興味でしかなく、昨日今日の仲である相手に話すことではない、と思われればそれまでだ。
だが、少女としては目の前の森人族の願いを知っておきたかった。自分たちにできることなどたかが知れているが、協力できるところがあるかもしれない、と思ったが故に。
それに、フィラウトのように部分的にでも叶えることができたらきっと素敵だろう、とも思えたから。
そうして問いかけるアリーシャに、再びの動揺を得たのか、数瞬黙り込むモルハウト。
考えるように瞳が虚空を見つめ、それからまたクレイオスとフィラウトの方へと戻った。
その瞳にはいまだ逡巡があるが、それでもその口は控えめに開かれた。
「……あまり、笑わないでくれると助かるのだが」
「もちろんよ」
「その、だな。お前たち土人族の――服を、着てみたい」
「服?」
思わず反復するアリーシャに、モルハウトはゆっくりとした速度で視線を落とすように頷く。
大変な勇気を必要として口にしたのだろうか、多大な羞恥で感情を満たし、ぼやけた視界でもわかるくらいにはその長い耳まで肌を真っ赤に染め上げていた。その様はアリーシャも思わず、かわいい、と心中で漏らすほどの愛らしさがある。
だが、それはとても意外な願望であった。
そういった俗的な願いを抱く人物像だとは思っていなかったので、アリーシャもどう反応すべきか幾分か惑う。そして下手なことを言うよりも、彼女の願いの本質を聞くべきだろう、と続きを促すように「どうしてかしら」と問いかけた。
対する長姉はよほどに恥ずかしいのか数度パクパクと口を開け閉めして言葉に詰まりつつ、それでも己の憧憬を口にする。
「一度だけ、土人族の女性を見たことがあるのだ。彼女は……とても綺麗な服を着ていた。
色鮮やかな紫色で、滑らかな質感の輝くようなきらめきを放っていて。あんな服を、どれほど先になってもいいから、着てみたい
――それが、私の願いなのだよ」
顔を赤くしながらも、その緑の瞳をキラキラと輝かせながらモルハウトは思い起こすように目を眇めた。かつての記憶を思い起こし、きっとそこに色褪せぬ憧れを見出しているのだろう。
その願い、そして今の表情が想像以上に童女的で、アリーシャも初めは面食らって口をつぐむ。
だが、すぐにも彼女の憧れを、同じ女の子として理解した。果たして誰が笑えようか、全ての女子が抱く、「綺麗な服で着飾りたい」という思いを。
だからこそ、ニコリと笑ってアリーシャは大きく頷く。
面白がるところなどなにもない、素晴らしい願いじゃないか、と。
「素敵ね、それは。……私も山奥の村で生まれ育ったから、貴女の言うような綺麗な服は着たことないわ。
だから、私もいつかはそんな服で着飾ってみたい、っていうの、よくわかるわ」
思い起こすのは、故郷の村での一時。
商人メッグがやってきて、そこで見せられた綺麗な髪紐や布を悩みながら手に取ったりもした。多くは持ち合わせもなく諦めたものの、それらを身に着けた自分を妄想したことは数知れず。
だからこそ、モルハウトの思いは理解できる。
否、それどころか、この森人族の森ではカーマソス村以上に物を手に入れることなどできない。なればこそ、彼女の思いは募るばかりであっただろう。
それを考えれば、アリーシャは尚のことモルハウトの願いを叶えてあげたいと強く思った。強い親近感を抱いた、というのが正しかろうか。
世話焼きの血が騒ぎ始めたとも言え、急に活き活きとしだす少女に女森人族は困惑を露わにたじろぐ。
「私の服……は、流石に大したものがないからちょっと貸してもどうしようもないけれど……水都についたら、一緒に反物とか仕立て屋を見に行きましょう。古着を売ってるところなんかもあるかもしれないわ!」
「あ、う、うむ。いや、そのような暇はないだろう。遊びにいくわけではないのだぞ」
まるで都を知っているかのような口ぶりで、アリーシャはニコニコとモルハウトを誘う。
基本的に、王都で療養中に騎士団の女性から受けた言葉をそのまま使っているだけであるが、それだけ彼女と街を回ってみたいと願っていた。
そんなアリーシャの心の距離がぐっと近づいてきたのを感じ取りながら、モルハウトは戸惑いつつも首を横に振る。
「あら」とつれない返事に目をぱちくりさせる少女に、モルハウトは長い髪の毛先を指で弄びながら答えた。
「私としては、この講和が成ってすぐにも願いを果たしたいわけではない。それはフィラウトもユピテウスも同じだろう。
お前たち土人族からすれば気の長い話であろうが、十年、二十年先でもよいのだよ」
「……なるほどね。確かに、それくらい経てばもっとお互いが平和に森と街を歩けるかもしれないものね」
それは長命故に抱く長い展望だ。彼らにとっては十年であろうとも、『ちょっと待つ』程度で過ぎ去る時間でしかない。
改めて感じる種族の違いであるが、アリーシャは微笑みを浮かべて理解を示す。今は無理でも、いずれはそうして服を探すためだけに街へ繰り出せる日が来るだろう、と心から信じるように頷いて。
そんな彼女を眩しく思うように、モルハウトは顔をそらす。
「……だが、誘いは嬉しかった。ありがとう」
「ふふ、どういたしまして」