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神火のクレイオス  作者: 宮川和輝
第2部 昏き森と悪意の水都
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56 昏き森の憂苦(2)

 唖然として、見つめあう両者。

 森の中、そこで森人族アールヴと出会う――それ即ち、敵対を意味する。

 クレイオスらにとってそれは記憶に新しく、一も二もなく鏃を向けられた鋭い敵意は忘れられない。

 まさか、迷い込んだこの森が森人族アールヴの森だなどと、誰が想定していたであろうか。

 事前に騎士団からそれらしい話を一つも聞けていなかったのも、今現在硬直する理由の一つだった。


 いや、とクレイオスは焦る内心から目を背けるように急ぐ結論に否を突き付ける。

 もしかしたら、この少年は王都の女職人アルアディアのように森を出た存在かもしれない。それがたまたま、関係のない森の中を歩いていただけだ。

 ほとんど現実逃避のような考えである。

 そしてそれは、見る見るうちに恐怖に蒼くなっていく少年の顔に否定されている気がしてならなかった。


 とにかく、アリーシャとクレイオス、この二人の中に、森人族アールヴの森には可能な限り近寄らない、という常識はあれど。

 うっかり足を踏み入れてしまった場合の対応策は、ないに等しかったのである。

 故に少年ともども硬直し――事態は悪い方向に転がる。


「――ユピテウス!」


 右方から男の叫び声。

 少年と共に声の方向を見れば、革鎧を纏った青年が森の奥から剣を構えて迫っていた。

 その明確な敵意の先には、クレイオス。

 驚く狩人の耳に――次いで、風切り音。

 左からだ、と判断するのと同時に、背から神槍を抜き放ちながらコンパクトに旋回、振り下ろす。

 見もせずに振るった一閃が、飛来した四本の矢を弾き飛ばしていた。ガゴン、という硬質な音はそのまま、その四矢の威力の高さを意味する。

 それを理解するのと同時に、クレイオスはアリーシャの腰を抱えて一息に後方へ跳躍。追撃を嫌い、その場から離れようとした動きは、そのまま少年からも離れることとなる。


 着地と同時、剣を握る青年が少年を庇うように立ちふさがり、その後方に女が弓を構えて降り立つ。

 敵意を剥き出しにこちらを睨む彼らは――皆一様に、緑の髪色に、尖った耳をしていた。

 悲しいかな、ここは森人族アールヴの森であったようだ、とクレイオスとアリーシャは苦い思いを滲ませる。


 樹上から降り立った女の森人族アールヴが、弓を構えたままに口を開いた。


「こんな奥にまで土人族ヒューマンに入られようとはな」

「番人は何を――いいや、違うな。こいつらが何か妙な手管を用いたに違いない。ユピテウス、ケガはないか?」

「え、あ……その、」

「もう心配ない。兄フィラウトが守ってやるからな!」

「そうだ、姉に任せよ、ユピテウス」


 剣を握る森人族アールヴが少年森人族(アールヴ)にニカリと笑い、それから油断なくクレイオスらを睨みつける。

 兄弟か、と髪色の似た三人を眺めながら、クレイオスは不思議な感覚を味わっていた。


 というのも、彼ら三人から、覚悟していたほどの敵意を感じないのである。

 無論、敵意はある。だが、以前、森の番人グアランスから受けた、『死ぬか出ていくか選べ』というような殺伐とした害意ほどに強くはないのだ。

 その証拠に、先ほど放たれたあの矢――クレイオスの周囲を射抜くばかりの狙いだった。反射的に弾き落としたが、そうせずとも直撃はなかっただろう。

 牽制の意味合いもあろうが、どこか手心を感じ取る部分がある。

 それに、三人ともがどこか浮足立った雰囲気を纏っているではないか。理由は不明だが、ともあれあの時(グアランス)よりも話し合いが通じる可能性がありそうだった。


 穏便に済むかもしれない。

 そんな一縷の望みに賭け、クレイオスと視線を交わしたアリーシャは緊張の面持ちで口を開いた。


「森の守護者たる森人族アールヴのみんな、話を――」

「――っ、貴様! その本はユピテウスのもの! 奪い取ったか、この下賤な土くれめがッ!」


 そうして、「とにかく森からはすぐに出ていくから」と続けようとした矢先。

 突如、激発した女森人族が、憤怒の形相と共に鋭い矢を放ってきたのだ。

 今度こそ直撃する狙い、しかも眼球を射抜く正確な一射をクレイオスはすぐさま槍で打ち払う。それからようやく、青年は己の左手に先刻拾い上げていた本があることを思い出した。

 そこで思わず本を持ち上げた動きで、兄を名乗る森人族の方もそれを認識したのだろう。

 女森人族同様、激しい怒りの表情を浮かべ、勢いよく大地を蹴る。狙いは当然クレイオス、肉食獣のようなしなやかな足運びで飛び掛かった。


「この、盗人がッ!」

「待て、違う!」


 間合いに捉えると同時に鋭く振り下ろされる一閃。

 クレイオスはそれをすぐさま神槍で受け止めて否定の言葉を放つも、止まる気配なく押し込んでくる。

 至近距離で見る瞳は激情に燃えており、己の言葉が届いている様子は皆無。話し合いの可能性は完全に消滅していた。


 鍔迫り合いとなり、停止する両者。とはいえ、その実情には大きな実力差が介在していた。

 方や片手で受け止め、方や全体重を乗せて押し込まんとする。しかしどちらも動かず、それはつまり受け止める側に余裕があるということだった。

 それも当然だろう。たとえ神火を発現していなかろうと、クレイオスは素で鉱人族ドヴェルグを凌駕する筋力を有する。

 人族の中で最も膂力に優れる鉱人族を、だ。

 彼と力比べしたくば、権能フィデスで以て強化された者を連れてくる必要があるだろう。


 つまりは、フィラウトと名乗る青年の森人族アールヴ――土人族ヒューマンより筋力で優れるはずの――では相手にならない。


――この土人族ヒューマン、どんな馬鹿力をしているっ!?


 巨木を相手に押し切ろうとしているのかと錯覚するほどに、ピクリとも目の前の槍が動かない。

 さしもの力の差に、冷や水を浴びせられたかのように思考を明瞭なものとした森人族アールヴ。頭が冷え、不利を悟るや否や、すぐさま別の一手を打ち放つべく動き出す。

 それと同時にクレイオスは、今まさに鍔迫り合いしている剣が、木剣・・であることに気づいた。手ごたえの重さを見るに、鉄木フェッルムだろうか。


 思わぬ得物に思考が逸れる狩人を他所に、フィラウトは強固な槍を押しのけるように両腕を鋭く突き伸ばす。しかし、その狙いは真逆のところにあった。

 微塵も動かぬクレイオス()を押せば、動いてしまうのは己の方。ならば同時に自分から大きく飛びずさってしまえば、弾かれるように鍔迫り合いから脱したのだ。

 森人族は五歩ほどの距離を一息に離れ、そこで剣を肩の高さで水平に構える。

 何かする気だ、という警戒をクレイオスが抱くと同時、女森人族から飛来する二矢。

 上体を揺らすような動きで矢を避けた直後、木剣を構えた森人族が攻撃を仕掛けた。


「穿てッ!」


 裂帛の叫びと共に木剣が突き出され――刹那、クレイオスは直感に任せて身を捩った。

 そして身を捩って尚、避けきれずその一撃・・はクレイオスの肩口を直撃する。

 ドゴン、という重低音を響かせ、青年の身体が宙に浮き、半回転。衝撃で左手に持っていた本が投げ出され、少年森人族(アールヴ)の前に落ちる。


 咄嗟に獣のような柔軟さで体を捻りながら着地したクレイオスは、己を打った一撃の正体を見据えた。

 先ほどまで自分の身体があった場所、そこには――伸びた木剣。それを握るのは男森人族(アールヴ)のフィラウト。

 何らかの権能フィデスか、と推察する。

 彼の握る木剣が瞬間的に、クレイオスでも捉えきれぬ速度で伸長したのが攻撃のからくりだった。


 そしてそれはフィラウトにとって、よほどに自負ある一撃であったらしい。仕掛けた側が、唖然とした表情で硬直している。


「無傷だと――!?」


 思わず零したその言葉通り、クレイオスに然したる怪我はなかったのだ。

 例え木剣ゆえに貫けずとも、衝撃で骨を砕きながら頭を揺らし、容易に行動不能にまで陥らせるような一撃だというのに。

 無論のこと、半神半人アモルデウスの肉体が頑丈なのもある。だが、一撃を無力化した主な要因は、彼の纏う革鎧が伸びる(・・・)刺突を完璧にいなしたところにある。

 魔獣の革と魔物の骨皮。異常極まる防御力を有する素材を、職人がその技術の粋を以てして組み立てたのだ。それは尋常非ざる防御力によって衝撃を逃し、主を見事に守って見せた。


 己が鎧に守られた自覚のないクレイオスは、さてどうするか、と思案する。

 目の前には隙だらけの森人族アールヴ。速攻を仕掛ければ無力化は容易いが、それが最善であろうか、と思わず迷う。

 この期に及んで、まだ話が通じるのではないかと青年は考えていた。


 というのも、今の攻防において、木剣の狙いが甘かったのが原因だ。

 橙色の外套マントを纏っているとはいえ、クレイオスが革鎧を着ているのはわかっていたはずだ。だというのに、最も頑丈な胸部を狙った一撃が飛んできた。

 それ故に回避し損ねたが、もし仮に頭部であったならば、例えクレイオスであっても命中すれば重傷となっていた。万が一にも即死していた可能性もある。

 意図的にか無意識にか、殺すことを忌避している甘さが見受けられるのである。


 だからこそ、まだ話が通じそうなのだが――と、思考するクレイオスだが、視界の端で女森人族(アールヴ)が動いたことで対応せんとする。

 三度みたび射かけられる、高速の矢。

 これもまた、殺意が薄い。

 矢の狙いが、避けやすくさりとて当たれば負傷となる『脚』であると看破して、クレイオスはそう呟いた。

 最初の一矢こそ、殺す気の顔面狙いであったが、それ以降の射撃はどうも勢いに欠けるのだ。負傷は狙えど、即死はしない、といったものなのである。


 とりあえず、同じく槍で弾き落とそうとして――横合いから飛来した別の矢が、森人族の矢を打ち弾いた。

 無論、それはこの場の別の弓使い、アリーシャだ。

 瞬間的に視力を取り戻し、放たれた矢を打ち落とす絶技を見せつけたのである。

 そして同時に、彼女は別の狙い(・・)も完遂させていた。


「……森人族アールヴのみんな、『同じ森神シルワさまの信者』として、少しだけ耳を貸してほしいわ」


 その言葉、そして落ちたアリーシャの矢を見て――女の森人族アールヴと男の森人族が顔を見合わせる。

 そう、今見せたのは、狩人の絶技だけではなく、アリーシャ自身の権能フィデスの気配。

 『森で放った矢は木々に邪魔されない』という権能は、目で見てわかる派手さはない。だが、森神シルワの子たる森人族アールヴが、その気配を間違うことはありえない。

 己は敵ではないというなによりもの証拠であり、故に二人の森人族は迷いを見せた。


 停止する戦場。

 そこへ――一言たりとも発さなかった少年が、ようやくを以て叫んだ。


「こっ、この人たちはっ! 魔獣ベスティアから僕をっ、た、助けてくれて! 本は、ただ、落としたのを拾ってくれただけでっ!」


 内向さが伺える、必死な声色で少年が訴える。この土人族たちは敵ではない、と。

 精一杯の勇気と気力を用いて叫んだのだろう。本を両手で抱え、肩で息をしながら姉と兄を涙目で睨む少年に、二人の森人族アールヴは再度視線を交わして――


 ――たっぷりの間を置いてから、同時に武器を下ろした。


「……我らには言葉による理解が必要なようだ。先に鏃を向けた手前、言うことではないが――」

「――すまない。まずは俺たちの謝罪を受けてくれる、だろうか」


 実に気まずげな表情で切り出す彼らに、思わずクレイオスはアリーシャを見やり。

 対する少女は、あの森人族アールヴもこんな顔をするんだ、とつい噴き出したのだった。











「まずは我が恥として名を明かそう。は『胡桃くるみの木』のモルハウト。先の無礼、どうか許してほしい」

「俺は『すももの木』のフィラウト。我らの弟を助けてくれて、本当にありがとう。そして、その……すまなかった」


 場が落ち着き、少しのやり取りを経て。

 森人族の二人は己が名を明かし、素直に自分たちの非を認めて頭を下げた。そこには言葉の通り、大事な弟を助けてくれた感謝も含まれている。

 頑固で誇り高い人族としてよく知られる森人族アールヴが頭を下げる、という光景に、アリーシャは慌てたように首を横に振った。


「も、もう気にしてないわ。だから、頭は上げて?」


 森に住まう森人族アールヴといえば、最初に遭遇したグアランスが典型例だと思っていた。そのため、これほどまでに素直で実直な二人というのは、アリーシャにとって実に調子の狂う話であった。

 もう少し話の拗れるものかと思っていたのだが、想像以上にこの二人にとって彼――少年ユピテウスは大事な存在で、信頼が置ける者らしい。


 話し合う四人の隣――そこにはクレイオスが蹴り殺した魔獣ベスティアが引きずり出されている。

 藪の向こうに転がっていたため、後から来た二人は気づかなかったものだ。

 それをユピテウスが己が言葉の傍証とするために見つけ出してきて、兄姉の二人にクレイオスらは敵ではないと改めて説得してくれたのだ。

 弟の言葉が本当にウソではなかった、と理解した森人族たちは、完全に「やってしまった」と空を仰いだというのが先刻の状況。


 名を明かしたのは自己紹介だけではなく、「恥知らずの私の名を知ってもらって構わない」という言外の贖罪でもある。

 誇り高き人族らしいやり方であるが、そこまで重く受け止められても困る、というのがクレイオスの口には出さない感想だった。

 代わりに、青年は別の疑問を口にする。


「その、「胡桃の木」、というのはなんだ?」


 唐突に放たれたひたすら純粋な疑問に、「今訊くこと?」とアリーシャが勢いよく振り返る。

 名乗りの際に耳慣れない単語が出てきたので尋ねてみただけなのだが、そんなにおかしかっただろうか――クレイオスは会話の投げ方が下手だった。

 対する森人族アールヴたちも、問われた内容の意味がわからなかったのか、首を傾げて顔を見合わせている。

 場が一瞬沈黙し、思わずアリーシャがクレイオスの脇を小突いたところで、下の方から「えっと」と声がした。


 視線を下ろせば、そこには兄姉に挟まれてずっと沈黙していた末弟ユピテウス。手元の本を睨みながら、もじもじと何かを言おうとしている。

 自分に意識が集まったのを感じたのだろう、内向的な少年は一瞬言葉を詰まらせながらも、それでもしっかりと口を開いた。


「そ、の。僕たち森人族アールヴにとっての、生まれを意味するもの、です。あなたたちにとっての、姓、でしたっけ。それと、似たもので……」

「そうなのか。じゃあ、フィラウトは李の木から生まれたのか」

「そんなわけないだろう」

「そんなわけないでしょ!」


 ユピテウスが頑張って説明する言葉に、クレイオスはやはり森人族は木から生まれるのか、と感心したように呟いた。

 即座にフィラウトは呆れたように首を振り、横の幼馴染が青年を肘で強めに小突く。

 違うのか、と困惑したように眉根を寄せるクレイオスに、ユピテウスは慌てたように視線を左右に振りながら言葉を続けた。


「え、と。僕らはちゃんと、人族から産まれ、ます。でも、そのとき、森の木の名を授けられて。それが僕たちは木と共に在る、ということを、示す『つながり』でして」

「……ほら、私たちが親の名前の一部を名乗るように、彼らも森の木を名乗ってるっていう、そういう話じゃない?」

「ああ、そういうことだったのか。説明してくれてありがとう」

「い、いえ」


 ユピテウスの説明に首を傾げるクレイオスに、アリーシャは嘆息しながら簡潔にまとめ上げる。

 そんなに珍しい話ではない、ということをようやく理解し、クレイオスはユピテウスに頭を下げた。博識な少年への、素直な感謝だった。

 それに照れたのか、相変わらず目を合わさないように顔を本で隠しつつ、それでもユピテウスは小さく返事をする。

 そこで、ふと新たな疑問を浮かべたクレイオスは、少年に問いかけた。


「お前の木はなんというんだ?」

「あ、すみま、せん。名乗り遅れ、ました……『楓の木』の、ユピテウス。土人族ヒューマンらしくいうと、ユピテウス・アケル(楓の木)と、言います」


 怖々としながらも、それでも少年は己の名を恥じることなくはっきりと口にする。

 それがユピテウスなりの誠意だとわかり、クレイオスは「楓か、俺も知っている木だ」と薄く笑みを浮かべてみせた。

 この少年は内向的ではあるが、問われたことには答えるし、相手にもきちんと理解できるようにかみ砕いて説明できる。その見た目の幼さとは裏腹に、クレイオスはユピテウスに隣のアリーシャとの相似を見た気がしていた。


 その様子を兄であるフィラウトは微笑ましげに見ていたが、やがて気を取り直すように咳払いした。


「あー、その、だ。……土人族ヒューマンたちよ、色々と訊きたいことがある。こればかりは、弟の命の恩人であるとて不問にできない」


 それから見せるのは、己が失態を恥じる者ではなく、森の守護者たる森人族らしい鋭い眼光。

 色々と話が拗れてしまったが、最終的にはクレイオスらが森人族の森に足を踏み入れたことが問題なのである。

 迷い込んだ側からすれば勘弁してほしい、となるものだが、こればかりは文化の違いとしか言いようがない。

 それを理解するアリーシャは、話が通じるだけ全然マシか、と諦めがついている。

 そして一方のクレイオスは――


「そうだった。俺たちも名乗っていなかったな。俺はクレイオスだ」


 ――呑気に自己紹介を再開したのだった。

 フィラウトが、土人族ヒューマン、と呼び名に困ったのを見て差し出した名だったが、タイミングがどう考えても間違っている。

 己の幼馴染の豪胆さにため息が出そうになりながら、アリーシャは言葉もないフィラウトとモルハウトに告げる。


「えっと、私はアリーシャ。その、質問には答えるわ。続けて?」

「あ、ああ。まず、そうだな。お前たちはどこから森に入ってきた? これほど奥地に入られたことは一度もないのだ、侵入経路は何としても答えてもらおう」


 アリーシャに促され、困惑を露わにしながらもモルハウトは気を取り直して問いを投げた。

 遭遇当初も口にしていた疑問、この森の奥地・・に突如として現れた方法とは如何なるものなのか。

 眼光鋭くして答えを待つ彼女に、クレイオスとアリーシャは顔を見合わせてから、口を開いた。


「そうは、言われてもな。俺たちは山を越えてきただけだ。山から下りた場所がこの森の中で、そこでたまたま魔獣に襲われるユピテウスを発見したに過ぎない」

「――なにっ、山、だと?」


 背後、夕暮れに染まるマルゴー山脈を示しながら、クレイオスは事実を述べる。

 彼らが奥地だなんだと言おうと、入った場所がここなのだから、クレイオスからしてみればここが入口・・なのだ。

 対するフィラウトは驚きを隠せず、困惑したように山を見上げた。


 なにせ、彼が生まれて数十年・・・――山を越えてきたなどという人族は見たことがなかったから。

 山が鍛治神フェラリウスの領分であるという事実以上に、あの山は魔獣ベスティアの発生数が異常に多いことが森人族をして立ち入らぬ理由となっている。

 まして、つい先日、山が突如火を噴いて(・・・・・)砕けた(・・・)ところだ。

 理由もわからぬ天変地異に、鍛治神フェラリウスが癇癪でも起こしたのかと仲間内で恐々としながら話をしたばかりである。

 そんな山を越えてきたなどというのは、フィラウトの想像の埒外に在った。


 だが、モルハウトは違ったらしい。


「なるほど、山から、か。それなら納得できる」

「モル姉――あ、姉上、何か知っているのか?」


 訳知り顔で頷く姉に、地が出そうになりながらフィラウトは問いかけた。

 それを横目で睨みつつ、モルハウトは答える。


「ずいぶん前だが、鎧を着た一団が、山を越えてきたことがある。森の外を通った故、手は出さなんだが、この山向こうの連中が来れないわけではない、ということだ」

「そうか……」


 単純な話、フィラウトが見たことがないだけで、いないわけではなかったのだった。

 その話を聞いて、騎士団のことか、とアリーシャは納得しつつ、話を続ける。


「私たちは悪意あってこの森に来たわけではないの。迷い込んだだけで、そちらが出ていけというならすぐにでも出ていくわ。用があるのは近くの街で、この森ではないもの」

「だが、道はわからない。行くべき方向さえ教えてくれれば、まっすぐ出ていくことを誓おう」


 何の偽りもなく、二人はただの迷い子である。

 そのことがわかってもらえずとも、森を不可侵としたい彼らと衝突を望まないことは伝わるはずだ。

 そう考え、二人は言葉を重ねるも――モルハウトは何かを考えこむかのように、黙ってしまった。


 何が彼女を思案させているのか。

 理由がわからず当惑しているのは土人族の二人だけでなく、弟のフィラウトも一緒であったらしい。


「姉上?」

「…………ユピテウス」

「えっ?」


 長い沈黙の末、姉は末弟を呼んだ。

 しばらく蚊帳の外にいた少年が驚いたように顔を跳ね上げる。それに視線を向けることもなく、モルハウトはあいまいに問いかけた。


「彼らに頼んでもいいだろうか?」

「――! そ、それは……」


 言葉を省いた問いに、ユピテウスは迷うように視線を彷徨わせる。

 少年は姉の言葉の意味を正確に捉えているらしく、悩むように本を見つめていた。

 その隣、黙って話を聞くフィラウトの方はといえば、こちらは話がわかっていないようで、視線を姉弟の間で行ったり来たりさせている。

 そんな三人が暫し沈黙し――ようやく、少年は答えを返す。


「僕、は、いいと、思う。でも、ちゃんと、森長もりおさに、言わなきゃ」

「そう、か。そうだな。そうしよう――クレイオス、アリーシャ」


 末弟が最終的に出した結論は、肯定。

 幼き少年の言葉だが、しかし姉は心底安心したような笑みを浮かべて頷きを返した。

 それから、目の前のクレイオスたちに向き直り――一転して、緊張を滲ませた表情で告げる。


「二人に重大な頼みがある。長い話になるゆえ、ここではできない。なので――我らがパトル(・・・)に招待したい」

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