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神火のクレイオス  作者: 宮川和輝
第2部 昏き森と悪意の水都
55/64

55 昏き森の憂苦(1)

――世界樹ウーニウェルスムを己が目で見る。


 東端の王国『ノードゥス』の民にとり、それは人生の一つの目標と言っても過言ではない。

 王都に住まう、今わの際となった老人が「ああ、せめて一目見ておきたかった」と口惜し気に呟くほどに、その憧憬は根強いものだ。

 まして、ノードゥスにおいての最東端――『セルペンス山』の向こうという辺境中の辺境を故郷とする二人からすれば、いわんやどれほど難しい話であったか。

 そもそもにして村を出る考えもなかったクレイオスはさておくとして。

 書物から外界の情報を数多く得ていたアリーシャからすれば、今現在、己が目にするこの光景は待ち望んだ瞬間の一つであった。


 我らが大地テラリアルと神界を繋ぎたもうたる大樹とは、どれほどの大きさなのだろう。どんな形をしているのだろう。どんな色をしているのだろう――


 初めて書物で知った日の夜、そんな想像を大きく膨らませながら眠りについたことを思い出す。翌日、クレイオスに興奮しながら話したことも含めて。

 だからこそ、かの巨大樹との邂逅は光り輝く感動に満ち溢れていた。

 胸の前で両手を握り、湧き上がる感動に心を浸す。一瞬だけ見えるようにした視界、そこに映り込んだ景色を心にしっかりと刻み込む。

 森神シルワを信ずる者の一員として、アリーシャは今この瞬間への感謝を、かつてないほどの敬虔さで祈りを捧げていた。


――クレイオスのことがなくても、この為だけに村から出ていたかもしれないわね。


 ともすれば、アリーシャが思わずそんな仮想を抱くほどに。


 その隣で佇むクレイオスとて、ズレた感性を持っていようとかの巨大樹を前にすれば言葉を失うほかない。

 彼もまたこの大地テラリアルに生まれ、そしてその神話を寝物語に育った子である。

 幼馴染のお喋りも含め、話でしか知らない『実物の神話』を目にしてしまえば、胸の内に暖かな感動が生ずるのは当然だった。


 そう、二人の狩人が暫時足を止め、山の頂より遠い巨大樹を見つめる理由わけ

 人智を逸したそのおおきさ、山二つと国一つを越えねばならなかったこれまでの道のりの長さも十分な理由ではある。


 また、田舎育ちの二人には与り知らぬことではあるが、このマルゴー山脈が「魔獣が多く潜む苛烈な環境」として知られているのもノードゥスの民が簡単に世界樹を見れぬ理由の一端だ。

 王都と隣国を隔てる境界となっているのは伊達ではなく、よほどの命知らずか騎士団くらいしか山には易々と入れない。

 隣国との交流は、基本的には海路か、北部のバルドリッグ領を通る山脈の中の緩い谷を経由してのものだ。

 王都からまっすぐ山を抜けられるのは、この二人が優れたる狩人であることと、そして片割れが魔獣ベスティア程度ものともしない英雄であるからだ。


 だが、これら『容易にはたどり着けぬ境地』という理由以上に――世界樹ウーニウェルスムが『現存する神話』であること。

 それが、何よりもこの大地テラリアルに生きる人族として、感動せずにはいられない事実なのである。


 『世界樹ウーニウェルスム』。

 それは、魔物モンストルムとの戦いが終わり、そして全ての母神(テラリア)が姿を消した後――神々が人族を生み出した、その頃から存在している。

 残った大地のど真ん中にあるそれは、森神シルワだけでなく多くの神々の力を以てして一晩のうちに生育されたのだという。

 その目的は、遥か天上に在る神々の世界、『神界カタラム』とこの大地テラリアルを繋ぐこと。

 如何なる理由か――人族が知る術は今を以て存在しないが――大地ではなく空の上に住まいを置くこととした神々は、さりとて大地とそこに生きる人族を見捨てることなく世界樹を設置したのだ。

 この樹木が両方の世界を繋ぐことで、神々は大地を見守ることができるし、我ら人族は祈りを捧げることができる。

 仮にこの世界樹なくば、祈りは届かず大地は加護を失い、瞬く間に荒涼とすることだろう。


 それが、この大地テラリアルの子らが知る世界樹の全てだ。

 簡単に言えば、かの樹木は信仰の通り道(・・・)であり、故に人族にとっての生命線なのだ。

 そうなれば、人族が世界樹を神々の次に敬うというのも当然であろう。


 そしてそれは、森、ひいては木をルーツとする彼ら――森人族アールヴがより顕著と言える。

 世界()、つまりは樹木であり、さらにはその根元に広大な森を築いている環境から、今現在を以てして森人族アールヴ世界樹ウーニウェルスムの守護者となっているのだ。

 『世界樹森林ウーニウェルスム・プランテル』とは、世界樹真下の巨大森林を呼ぶ名前。

 それは大地テラリアルの真ん中を広く占拠し、同時に森人族アールヴの『』なのだという。

 伝聞形であるのは、例に漏れず、世界樹森林の森人族アールヴが他の人族との交流を徹底的に断ち切っているため。

 森に立ち入らんとした者は例外なく射かけられ、反撃しようものなら倍する数の森人族に矢雨を放たれるのだ。話し合いにもならない相手の文化を知るなど無理である。


 そういうわけで、土人族ヒューマンらの世界樹との邂逅は、遠間から世界樹を眺め、祈りを捧げるのが最高の形と言えよう。

 故に、クレイオスとアリーシャは、遥か遠くも雄大なる世界樹にささやかな祈りを捧げる。


――我ら(このひと)の旅路に、幸あらんことを。











 日が落ちるまで眺めていたい、という強大な誘惑が二人の感性を揺さぶったが、しかし今行っているのは山越え(・・・)の最中である。

 つまりは世界樹のある方角へ降りる途上であり、これから先いつでもあの巨大樹は視界に入るということだ。

 この初邂逅が無味になることはないが、さりとていつまでも足踏みしてはいられない。

 もう一度視力を取り戻して見てしまおうか、とソワソワする幼馴染の背を優しく叩き、クレイオスは山を下りるべく道を見定め始めた。

 今は視力の弱い彼女にとって、登るよりも下りる方が危険なのだから。

 とはいえ、その辺りの割り切りを見るに、信仰心の差が出ていなくもない。


 そうして山を下り始めた二人だが、見知らぬ山ということもあり、その速度は登りに比べれば随分鈍化していた。

 幸いにして木の上まで登れば目印となる世界樹が見えるため方角を失うことはないが、この山の中をどれほど進めば良いのか、まるで見当がつかない。

 迷い込んだ旅人を惑わせるかのように木々は鬱蒼と茂り、見覚えのない種類の草木があちらこちらに生えている。それらは珍しいというほどでもなく、目印とするわけにもいかない。


 王都を出立する前、山を下りればすぐそこは魔法大国エダークスが領地――『アルパリオス領』だと聞いていた。

 水都『アルパリオール』は目と鼻の先で、迷うことはないだろう、とも。

 だが、蓋を開けてみれば山を下りた先には深い森。人里の気配はなく、切り開かれた様子もない。

 ノードゥスの騎士団が山越えを試みたのは二十年も前という話であり、その時の様子を聞かされたに過ぎない。

 それだけの時間があれば、山の裾野が森に吞まれていてもおかしくはないだろう。

 参った、というのがクレイオスとアリーシャの素直な感想だった。


 既に太陽神ソールは空を真っ赤に照らしている。あまりぼーっとしていると月女神ルーナが顔を出してしまうだろう。

 別段、野営することにもはや抵抗はないが、見知らぬ森の奥で、というのは避けたいところであった。

 何が居るかわからないのもあるし、アリーシャの眼のこともある。視界を遮るものの多い場所は好ましくなかった。


 とにかく世界樹が左手に見える方向――北に突き進もう、と二人が方針を決めるのはそう時間のかからぬことであった。

 騎士団から聞いた話が正しければ、マルゴー山脈より北西に広がるのが大国エダークス。対する南側がストゥディウム王国。こればかりは二十年の時があろうと間違えることはない。

 ならば、北に向かっていればそのうち人の手の入った場所にたどり着けるはずだ。


 そう判断し、進み始めた矢先のこと――クレイオスの狩人・・の感覚が、見逃せないものを捉える。


 早足で進めていた歩を制し、視界の右隅に映った痕跡・・を見据える。

 自然と表情は険しくなり、次いで周囲を油断なく見回した。

 そんな青年の動きを見て、同じものをすぐには見ることのできないアリーシャが問いかける。


「どうしたの?」

魔獣ベスティアの痕跡だ。真新しい」


 踏み荒らされた藪、まき散らされた糞尿、苛立ちのままに削られた木の幹――存在を誇示する獣臭。

 それらすべては、見知らぬ森の中で目にする、故郷の森と同じもの(・・・・)

 幼少より祖父から、森で行動するなら何を差し置いても意識しろ、見逃すな、と頭蓋の内側に叩き込むように教えられた『危険の象徴』である。

 狩人にとって魔獣ベスティアの痕跡を見逃すとは即ち、自分だけでなく村を危険に晒すことと同義であった。


 それを習性として目ざとく見つけた青年だが、さてどうするか、と思案する。

 見知らぬ森の中、魔獣がいる事実そのものに驚きはない。問題は放置するか否か。

 基本的に、魔獣ベスティアは縄張り意識を持たず、人の気配を恐れない。動くもの全てを敵、或いは獲物と認識しており、視界に入ってしまえばどこまででも追いかけてくる。

 そういう生き物故に、野営を考えるとその危険度は普通の獣の比にならない。

 火を熾していようと関係なく襲ってくるだろう、とクレイオスは未経験ながらも確信を得ていた。

 それに、近隣の人里のことも心配だ。ここで見逃したがゆえに被害が出るとなればあまりにも寝覚めが悪い。

 片手でひとひねり、とまではいかずとも、労せず狩ることのできる狩人だからこそ、そんな思考の余裕があった。


 隣の狩人アリーシャも近しいことを考えている。

 ともあれ、自分も痕跡くらいは見ておくべきだ、と少女は眼の周辺に生体魔素ウィータ・マグを集中させ――


「っ」


 奥歯を小さく嚙み締めた。

 そっと隣の青年を伺い、こちらの(・・・・)様子・・に気づいていないことを確認して安堵する。

 アリーシャが、幼馴染に秘匿したたった一つの秘密。できることならこの先ずっと、秘しておきたい事実がこのに眠っている。


 生体魔素ウィータ・マグを集中させ、視力をまばたきする時間だけ取り戻すとき――頭を斧で割られた上でかきまぜられるような、そんな激痛が伴っていた。

 変調した生体魔素を短期的に力技で治しているのだ、その跳ね返り(・・・・)がこのおぞましいほどの頭痛だった。

 同じ年ごろの少女であれば、泣き叫んでもおかしくないその痛み。それを、アリーシャは顔色一つ変えずに堪えて見せている。

 すべては、青年に無用な心配をさせないために。彼の旅路についていくために。

 それは少女の覚悟のあらわれであった。


 今回もまたそうして痛みをないものとしてふるまって見せたアリーシャは、魔獣の痕跡を見据える。

 足跡、糞尿の量、幹についた傷の高さ――熊の魔獣だろうか。

 短い制限時間で、情報を可能な限り取り込むように眼球を動かす少女は、その甲斐あってかクレイオスも見落としていたものを見つけ出す。


「クレイオス、あの藪の中」

「藪……? む」


 見えたものをアリーシャが示唆すると、あっという間に濁った視界の中で、クレイオスだと認識できる赤い頭の人型が動き出した。

 彼も同じものを捉えたようで、迷いなく藪の前に立つと手を突っ込んでそれ(・・)を引っ張り出した。


「本、だな」


 そう言うクレイオスの手の中には、古ぼけて傷だらけの装丁の本。思わず開いてみれば、表紙に対して中の頁は思ったよりも綺麗に残っていた。

 雨や露に濡れた様子もなく、じんわりとした温かさを感じる。

 文字はいまだ読めないので内容はさっぱりわからないが、それでもわかることはある。

 それはこの本が大事に使われていたということと――これが落とされたのはごく最近であるということだ。


 眉間に緊張が走り、ついで周囲を注意深く見やる。

 目立つ魔獣の痕跡を除外し、森の草木を見れば――あった。

 あまり大きくない、少年ほどのサイズの足跡。それが慌てた歩調で森の奥へと続いている。そしてそれを追いかけるように伸びる、獣の足跡。


「まずい、子供が森にいる」

「っ、わかった! 先導して、クレイオス!」


 青年の端的な言葉に、アリーシャは即座に理解を示す。

 すぐさま弓を取り出した少女を背に、クレイオスは飛び込むように森の奥へと走り出した。


 少女を置いてけぼりにせず、さりとて手遅れにならぬよう急ぐ駆け足。

 慣れぬ森の中を跳ねるように突き進み、少年と魔獣の痕跡を必死の思いで追いかける。見知らぬ土地といえど、子供の命の危機を前に躊躇する二人ではなかった。

 駆ける二人の耳に、獣の唸り声が突き刺さる。

 それは痕跡を追いかける先、進行方向。

 地面から視線を上げたクレイオスの正面に、後ずさりする少年とにじり寄る熊の魔獣の背中が見えた。

 魔獣ベスティアがその気になって飛び掛かれば、クレイオスの半分ほどの背丈しかない――故郷に置いてきた弟子メレアスと同じくらいのあの子供は一撃で絶命することだろう。


 そうはさせない。


「――ッ!」


 瞬間、点火・・

 両足が神炎を吐き出し、同時に大地を蹴って加速、跳躍。背中からも紅蓮を噴き出して、推進力を糧に森の中を地面と平行に飛翔する。

 人の身ではあり得ぬ機動力を以てして、アリーシャがまばたきするよりも早く魔獣の背中にその蹴り足を着弾させていた。

 瞬間、轟音。

 少年の目の前で魔獣の身体がくの字に折れ、骨が砕け肉がちぎれる音がした。同時に魔獣が真横に吹き飛び、木々を折り砕いて凄まじい勢いで視界から消えていく。


 一撃で以て少年を救ったクレイオスは、軽やかに地面に着地しながら油断なく魔獣の吹き飛んだ方向を見据えた。

 藪の向こうに転がっていった魔獣は――生きている気配なし。どうやら当たり所がよかったらしい、背骨を砕いたか心臓を破裂させたか、動く様子はなかった。

 安堵のため息を漏らし、少年の方へと視線を戻す。

 彼の体を見やって、血が出るような大きなケガをしていないのを確認して――それから、さしものクレイオスも固まった。

 それは追いついて、視力を回復させて様子を見ようとしたアリーシャも同じ。


 目を見開き、こちらを驚きの表情で見つめる少年。

 短い髪は濃緑色、見つめる瞳は浅緑で、性別を見失いそうなほどの端正な顔立ちをしている。

 そして、その耳は、尖っていた(・・・・・)


 助け出した少年は、森人族アールヴであった。

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