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神火のクレイオス  作者: 宮川和輝
第2部 昏き森と悪意の水都
53/64

53 それでも前へ

「調子は、どうだ?」


 ベッドの上の幼馴染の傍らまで進み、その脇に置かれた椅子に腰かけながら、クレイオスは決まり文句のようになった言葉で問いかける。

 この部屋に訪れた時はいつも必ずそう切り出すものだから、この幼馴染は会話下手だなぁ、とアリーシャは思わずおかしくなって微笑んだ。


「昨日よりはよくなってるわ。腕の痛みも薄いし、力もかなり戻ってきてる。……でも」


 少し言い淀んで、少女は己の左手の細指でそっと、目尻をなぞる。

 瞳の色の変化までは自覚できない。しかし、目に映る世界全てが焦点のあわないぼやけた有様となっていることは、どうあっても彼女に現実を叩きつけていた。


「動くものと、色くらいしかわからないのは変わらないわ」

「そう、か」


 彼女の言葉に、クレイオスは大きな失意を滲ませて肩を落とす。

 今朝、別の神殿の治癒司祭が招かれる、と聞いたばかりであったので「もしかしたら」という希望があったのだ。だがそれも力及ばぬ結果だったらしい。


 この騎士団の病室に居ることからわかるように、アリーシャの治療にはエーレオナ並びに、ノードゥスという国そのものから支援を受けている。

 各神殿の治癒司祭、ヒュペリアーナに住まうあらゆる高名な薬師、医術師らを総動員し、彼女の眼をどうにか癒せないかと八方手を尽くしてくれているのだ。

 それだけでクレイオスは十分に喜ばしいことであり、自身のなした事に釣り合う報酬とさえ思っている。

 そのことに結果が伴っているかどうかを論じるなど、慮外の話だ。


 ともあれ、幼馴染の最大の武器であった視力が未だ回復の兆しがないのは事実。

 胸中に、大きな穴がぽっかりと空いたかのような喪失感は消えることはなく、クレイオスは無意識に握りこんでいた拳を静かに見つめた。

 そんな、ともすれば自分以上に落ち込んでいる青年に、アリーシャは「やめてよもう」と笑った。


「そんなに落ち込まないで。あんな魔物モンストルムに攻撃されて生き延びただけでもスゴイ事なんだから」


 封印から逃れし、軍勢を生み出す魔物モンストルム

 鋼すら()()()紫電をその身に受け、様々な奇跡の末に生き延びたことはそれだけで英雄譚に謳われる。

 しかし、そんな気休めを聞いてもクレイオスの胸中の暗雲が晴れることはない。

 己がきちんとトドメを刺せていれば、こんなことにはならなかったのだ。


 表情を変えず、むっつりと黙り込んでいても、アリーシャには幼馴染の考えが手に取るようにわかる。

 怪我をしているのは自分なのに、励まされているのはクレイオス、という妙な事態にこれまたおかしくなってしまう。

 そんな微笑ましさを抱きながら、アリーシャは幼馴染を勇気づけるべくもう一つの朗報を口にする。


「実はね、たまになんだけど、物がハッキリ見える瞬間があるの」

「っ、本当かッ!」


 初めて聞かされるその朗報に、クレイオスは思わず身を乗り出す勢いで喜びを露わにした。

 久方ぶりの彼の笑みに、アリーシャは心洗われる思いをしながら、こくりとうなずいて話を続ける。


「いま、雷神フルグール神殿の治癒司祭さまが調べてくださってるわ。過去にも似たような症例があったはず、って言ってたから、期待していいのかも」

「そうか、そうか……!」


 彼女の言葉に、安堵したようにクレイオスは椅子の背へと身を預ける。希望が確かに見えてきたからだ。

 

 かの雷神フルグールは地を裂く怒りたる稲妻だけでなく、目の光――すなわち『眼力』を司る。現在のアリーシャの状況を改善するならば、まさしくうってつけの権能の持ち主と言えよう。

 まだ安心するには早いが、希望がないよりはずっといい。

 そんな様子の青年に、少女は思わず窓の外へと視線を逃がした。

 心優しい彼女の胸を占めるのは、自責の念である。


 旅の始まり、つまりは村を出た当初。

 あの頃は、クレイオスの正体も知らなかった。ただ村を出るであろう彼の様子を察し、衝動的についてきただけだった。

 彼を()()にしてはいけない、という根拠のない予感だけを頼りに。

 無論、世界を見たいのは本当だったし、己の知識なくばクレイオスが路頭に迷うであろうことは容易に想像できる。同行する理由を示すには、充分であった。


 だが、ここに至るまでの途中。

 具体的には悪鬼オーガの脅威を退けた日。

 彼の――クレイオスの旅路の運命は、こういう『敵』が道を阻んでいるのだと直感的に理解した。

 その懸念は正しく、今こうして恐ろしい魔物、鬼母邪神を倒すにまで至っている。


 この事実は同時に、「自分という凡人はどこまでついていけるのだろう、どれだけ邪魔しないでいられるだろう」――と。

 頼りにしていた蝋燭の火を消されたかのような、漠然とした闇の不安がアリーシャを覆ったのだ。

 実際、戦争の最中に彼女にできたことは遠方より心もとない矢を射かけることだけであり。

 そして現在、負傷した自分の為に、クレイオスは使命を置いて立ち止まっている。

 彼のことだ、この目がどうにかなるまで神託すら放り出すかもしれない、と幼馴染の勘はありうる未来を囁いていた。


 窓越しに青い空を眺める。

 雲の狭間を飛ぶ鳥すら捉えた眼は、今は雲と青空の境界すら定かではない。そも、鳥の存在すら把握できない。


 己の自慢の武器が失われた?

 もうかつての狩人にはなれない?


 ――それがどうしたというのだろうか。


 そんな()()を嘆く精神性は彼女に元より存在せず、それ以上に青年のことを考えるアリーシャは一つの決意を抱く。


「クレイオス」

「どうした?」

「私、あなたの旅についていくの、辞めたりなんかしないから」

「それは……構わない。だが、」

「目が治ろうと治らなかろうと、一月以内にはこの国を出立しましょう。神託を果たす為にも、立ち止まり続けるのはよくないわ」


 彼女の言葉に、クレイオスは眉根を寄せて困惑を露わにする。

 お互いに幼馴染であるというのに、この青年には彼女の意図が読めなかった。

 完治するかもわからぬうちに何を、と。

 そんな彼を黙殺し、少女は真正面からクレイオスを見つめる。


 ――ああ、ぼやけていようと、その顔だけはよくわかるんだから。


「大丈夫よ、なんとかなる。なんとか、してみせるから」


 強い決意のもとに、笑みを浮かべた少女は宣言する。

 たとえ己という存在が彼の重しであろうとも。

 もしかすると傍に居ない方が、今後の運命において彼の為(・・・)になるのだとしても。

 共に歩むことだけは、決して諦めるつもりはなかった。







 果たして、少女の決意から半月以上の時が流れた。

 勝利を祝う祭りこそ終わりを告げたが、この大きな都の騒がしさは些かも落ち着いたりはしていない。

 今回の戦いで失われた物資や騎士団の装備などの、補填を目的とした商人たちの出入りが激しくなり、それに準じて物流も変化。王都の景気が大きく上向きとなり、この騒がしさに拍車をかけている。


 おまけに、今回の戦いは人同士の戦いではない。

 悪しき魔物の軍勢の侵略を打破した――それだけならば、人側がただ損害を被っただけになるが、果たして人族とは強かな生き物だ。

 打倒した魔物を、魔獣ベスティアなどと同じく資材・素材に加工してしまえ、と解体したのである。

 その神すらも驚嘆しかねない所業は、強靭な装備を生み出すという思わぬ結果となり、それに商人が目を付けた。

 結果として、大量に手に入った魔物の素材を騎士団が放出することで国庫が潤う形となり、更にはそれを目当てに様々な人族が王都にやってくるという好景気の循環が発生しているのだった。


 ――そんな話を、クレイオスは職人アルアディアから聞かされていた。

 お喋りな性質たちの彼女に、王都の騒がしさに驚いている、といった旨の話を振ってみたところ、そうした景気の現状を知ることになったのである。

 ただ敵を倒したことだけが喜ばしいわけではない。

 魔物モンストルムという存在すら経済の一部に取り込んでしまうとは、人族はなんとしたたかなことだろう、とクレイオスは唸るように感心する。

 尤も、己こそがこの好景気の立役者であるという自覚は、相も変わらず皆無なのだが。


 さて、クレイオスとアルアディアという取り合わせは、特に理由もなく雑談に興じる関係性にまで至っていない。

 半月を経た今、ついにクレイオス所望の『革鎧』が完成間近という報を受け、しばらくぶりに彼女の工房を訪れたのである。

 そこで身体に合わせた最終調整を行いながら、そんな話をしていた。


 話が終わり、折よく調整も終えてアルアディアは「よし」と笑みを浮かべて両手を合わせる。

 視線の先、革鎧を身に着けたクレイオスが手足を曲げ伸ばしして具合を確かめているところだった。


 青年のためにあつらえられたソレは、灰色を基調としながら、各部を蒼い色に染めた美しい革鎧である。


「どうかな、英雄殿。違和感はあるか?」

「ないと言えば噓になる。が、これは鎧というものを着慣れていないせいだろうな。そこ以外のことを話すならば、快適だ」

「そうだろう? 例の蒼い魔物モンストルムの、伸縮性の高い皮を関節部に用いているのさ。これだけの薄さ・柔らかさでありながら、まともな刃をとおさない頑丈さは驚嘆に値するね。防御力に関しては、並みの金属鎧を容易に凌駕することを約束しよう」


 己の作品がどれほど素晴らしいか、半ば早口でまくし立てるアルアディアをクレイオスは思わず閉口してまじまじと見つめる。

 そんな彼の様子に気付いているのかあえて無視しているのか、森人族アールヴの女性の口はまったく止まる気配を見せない。


「これほどの皮ならば全身に用いてもなんら問題ないが、注文は君の持ち込んだ大熊の魔獣の革を用いろとのことだ。無論、革職人として大歓迎であったし、この革は王都ここでもなかなかお目にかかれないほど上質で素晴らしいものだった。この魔物の皮と共に用いても力不足となりえないほどにな。だがいかんせん、革と皮は同時に用いるには素材として別物であり、ましてや魔物と魔獣という――」

「悪いが、そのあたりの事情を俺が知っても仕方がないと思うんだが……」

「――それもそうだ、このあたりにしておこう。いやすまない、これでも五徹目でね、気持ちが昂っているんだ、大目に見ておくれ」

「そうか。別に気を害したわけではないから大丈夫だ」


 止まる気配を見せない女性をなんとかなだめる。アルアディアのほうも正気に戻ったのか、気恥ずかし気に視線を窓の外に向けていた。

 そんな彼女を見て、ゴテツとはなんだろうか、と思考を若干明後日に向けつつ、クレイオスは己の胸部を守る胴鎧に目を落とした。

 クレイオスの激しい動きを邪魔せぬよう、その鎧の腹部は蒼い皮で覆われている。

 その代わり、胸部を重点的に守るかのように灰褐色の革が分厚く盛られるように数枚が重ねあわされていた。それだけでなく、軽く這わせた手に革だけではない硬質な感触が感じられる。

 その様子を見て、視線を戻したアルアディアがにんまりとした笑みを浮かべて口を開いた。


「わかるか? 英雄殿にはただの革鎧では不足であろうと思ってな。胸部には魔獣の革を三枚貼り合わせているだけでなく、その中に君が打ち倒した女の魔物モンストルムの骨も仕込んでいる。鋼よりも硬く、さりとて砕けにくいほどに強靭な代物だ。真正面から大槌の一撃を受けても中に衝撃を徹さないだろう」


 やや抑えめの早口で言い、続けて古傷にまみれた指でクレイオスの左手を指す。

 その左手は同じようにやや分厚く作られた腕甲と蒼い手袋に包まれていた。クレイオスには何の支障もないが、ただの腕甲としては奇妙なほどに重量がある。


「その左腕の部分にも、とりわけ多くの骨を仕込んでいる。積層構造に組むことで、そこいらの盾以上に役立つ盾となるだろう」


 言われて、改めてクレイオスは左腕を持ち上げて見せる。

 明確に何かを仕込んでいるとわかるほど、分厚く嵩があるが、クレイオスの膂力を以てすれば動きを阻害することはない。慣れは必要であろうが、そう長い時間はかからないだろう。

 この腕甲は右腕にはない。それも当然で、黄金の篭手(シンケールス)があるからだ。


 それにしても、と。

 クレイオスは微妙な心持ちになる。

 命を賭して抗い、打破した魔物の血肉を己の防具にするのは、なかなかどうして皮肉が効いている。

 完全に絶命せしめた以上、これはただの骨であり皮でしかないのだが、このことを思い出すたび奇妙な気分になりそうだ、と少しだけ気を落とした。


 と、そこまで思い至って、クレイオスは思い出したように肩口に手を当てる。そこには、注文通りの()()()が存在していた。


「ああ、それか。妙なことを注文するものだから、実に手間がかかったぞ。幸い、強度はそれほど落とさずに済んだがね」

「すまないな。だが、本当に助かる。……試してみるから、少し離れてくれ」


 「試す?」と首をかしげながらも、言われたとおりにアルアディアは距離をとる。

 周囲をよく見まわして安全を確認したのち、クレイオスは――神火を解き放った。


 瞬間、その身から熱なき紅蓮が解き放たれ、工房に突風をまき散らす。

 魔物と戦った時に比べれば()()といえるほどのものだが、それでもアルアディアのような女性ならばたたらを踏むほど。

 近くにあった机に手をつき、あっけにとられながらも森人族アールヴの女は納得の言葉を漏らした。


「――なるほど、そういうことか」


 視線の先にあるのは、クレイオスの革鎧。

 肩口、肘、手首、背中、腰、脚――鎧の各部位が、内側から放出される紅蓮の炎によって押し開かれ、バタバタと暴れているのだ。

 これが、クレイオスの頼んだ仕掛け。

 『神の憤怒(デウス・イーラ)』を発現させたとき、鎧を内側から破裂させないよう、逃げ道となる()を作るよう発注していた。

 そのとき、理由を教えてもよい相手かわからず、ただアルアディアを困惑させたのだが、それでも彼女は注文に従ってくれた。

 それどころか、普段は防具が穴を覆うように垂れる形にデザインしてくれており、そこが露骨な弱点とならないようになっている。一部を固定して垂れているだけなので、紅蓮の放出を邪魔したりしない。


 数瞬の放出を以て確認したクレイオスは、紅蓮を収めてアルアディアに向き直る。


「最高の出来だ。感謝する。そして、謝罪を」

「その言葉だけで職人にとっては十分だよ、英雄殿」


 頭を下げようとするクレイオスを制し、女職人は手をひらひらと振って笑みを浮かべた。

 本当に気にしていなさそうな様子に安堵し、クレイオスは居住まいを正す。

 落ち着いた青年を見て、アルアディアは「それじゃあこいつで最後だ」と部屋の隅にかけられていた()()を示して見せた。

 それは橙色に染められた、見覚えのあるもの。


「騎士団長からの贈り物だよ。騎士団秘蔵の特殊技術や高司祭の祝福がこれでもかと用いられている。そこに、女の魔物の頭髪を織り込んでさらに強度を増しているらしい。こちらも並大抵の刃物では傷つけられんから、便利に使うといいさ」


 アルアディアの説明を聞きながら、クレイオスはその外套マントを羽織る。首元の固定具でぱちりと留めれば、太陽神ソールの加護か、仄かに暖かさを感じた。

 それから、<職人ギルド>から借り受けてきたという大きな鏡台へと身を映してみる。

 そこには――自分でも驚くほど立派な――戦士の出で立ちをした青年が居た。

 およそひと月ほど前まで、辺境の山で狩人をしていたとは思えない。

 無骨なだけと思っていた己でも、ここまで変われるのか、と静かに驚嘆する。

 隣で「立派じゃないか」と茶化すように笑う職人に肩をすくめて見せつつ、クレイオスは改めて頭を下げた。


「深い感謝を、アルアディア。俺はこれからの戦いで、この鎧のありがたみを知ることになるだろう」

「私は注文を受け、それを職人としての誇りを以て実現して見せたに過ぎない。だが、その鎧が貴殿の助けとなることを切に願うよ」


 胸に手を当てる、森人族の祈りの仕草でアルアディアはクレイオスを祝福する。


「明日には王都を発つのだろう? 君の相棒――幼馴染殿ともども、君たちの旅路が苦痛ではなく、森神シルワ様に祝福された喜びに溢れんことを」

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