48 王都防衛戦線(3)
時間を稼げば後は私が仕留める。
そんな意味を表すエーレオナの言葉にクレイオスは一瞬戸惑うも、すぐにその迷いを捨て去った。
疑問を投げる暇もないほど、目の前の王冠悪鬼の攻め手が鋭かったのもあるが、何よりも並び立つシュテウスの動きに一切の遅滞がなかったからだ。
騎士団長への信頼とこの凶悪極まる魔物を任せられた自負が、副団長として彼を全く迷わせない。
なればこそ、クレイオスは『彼女を信じるシュテウス』を信じることにした。
鋼の大剣が、唸りを上げて薙ぎ払われる。
二人纏めて真っ二つにして余りあるその斬撃を、クレイオスは片手を地面につくほど低く伏せて回避。
横でシュテウスがたまらず後退するのを視界の端に捉えつつ、青年は全身を跳ね上げるようにして槍を突き上げる。
全身の発条を利用した強力な一撃は、顎下に直撃する――その手前で、虹色に輝く防御膜によって押し留められた。硬質な手応え、あとどれほどの力を加えれば貫けるかもわからない。
『障壁』。
それが意味する詳しい意味はわからねど、どれほど厄介な代物かは身に染みて理解できる。
攻め手がまるで通じぬ有様に舌打ちを漏らし、クレイオスは即座に右足を王冠悪鬼に叩きつけて自身の身体を後方に離脱させる。その蹴り足すら防御膜に阻まれていた。
離れんとするクレイオスを、当然見逃すわけもなく魔物は大剣を両手に構えて突きの一閃。
咄嗟に身を捻る青年をそれでも正確無比に捉えるであろう刺突は、されどすぐシュテウスが全身からぶつかるように大剣に剣を叩きつけることで大きく狙いを外す。
クレイオスの脇下を鋼の塊が空気を吹き飛ばすような勢いで通り過ぎ、あまりの威力に空中の青年の身体がぐいと押し退けられてバランスを崩した。
何度も必殺の一撃を邪魔される蒼き悪鬼は苛立つように唸りを漏らし、大剣を引き戻さずにそのままシュテウスへ薙ぎ払う。
今度こそ、クレイオスが割って入る間もない直撃。即座に大剣が間に差し込まれるも、魔物の怪力の前には十全な盾とはなれないだろう。
だが、それを握るのは騎士団の副団長。
どれほど強力な一撃でも、それを真正面から受けてやる道理はなく。
また、そうするだけの技術を身に着けていた。
「――征ッ!」
薙ぎ払う一撃がぶち当たる瞬間、手首を捻り、腕を引くことで大剣の衝撃を分散。同時に刃と刃の噛み合う角度をずらし、魔物の怪力の向かう先をあらぬ方向へ向ける。
結果として――斜めにズレた大剣の刃をガイドに、魔物の薙ぎ払いがシュテウスの頭上、斜め上へと滑って行った。
王冠悪鬼は奇妙な感覚を味わったことだろう。直撃の硬い手応えではなく、ずるりと滑る生温い感触は魔物にとって完全なる未知であった。
その戸惑いによる意識の間隙、明確な『隙』に狩人が滑り込む。
大地を蹴飛ばした一歩で王冠悪鬼の斜め後方にまで跳ね飛んだクレイオスが、今度は背中への一撃を打ち放っていた。
完全な不意打ち、これならどうだと放たれた乾坤の一撃は――焼き増しのように、虹色の膜に阻まれた。手応えはまるで同じ、思わず「クソッ!」と悪態を吐く。
そんなクレイオスをまるで居ないかのように無視し、魔物はシュテウスへ再度攻撃を仕掛ける。
己の護りを信じ、王冠悪鬼は相対する二人が最もされたくない『各個撃破』をせんとしていた。
それも、大剣ではなく丸太のように太い脚をもってして振るわれる蹴撃。颶風を纏いて、触れるもの全てをへし折らんが如き勢いだった。
こればかりはシュテウスも対応を変えざるを得ない。防御したとて『障壁』がどのような悪さをするかわかったものではないからだ。
即座に大きく跳び退き――耳にした魔物の唸りに、シュテウスは血相を変えた。
「『カッ』」
刹那、顕現する爆炎。およそ回避の間に合わぬ速度で以てして、あってないような距離を焼き潰してシュテウスに直撃する。
咄嗟に橙色の外套を盾にするように前面へと払ったようだが、そんなものが如何ほどの効果があるというのか。
耳をつんざく爆音をまき散らし、衝撃と熱波がシュテウスを至近距離から打ち据えた。
「ぐ――があぁぁぁっ!」
獣のような呻きを吐き出し、副団長の巨躯が後方に吹き飛ぶ。
巨人に殴り飛ばされたかのように派手にぶっ飛んでいく姿を見て、クレイオスは即座に攻め手を変えた。
王冠悪鬼の正面に躍り出て、その顔面へと鋭い刺突。
弾かれるのを想定して即座に槍を引き、続けて足先へ向けて鋭く横一閃を放つ。触れるか触れないか、という絶妙な間合いの一撃は、魔物の爪先の地面に一文字を刻み込んだ。
否が応にも意識を向けざるを得ない攻め手に、王冠悪鬼はうっとうしい羽虫を払うが如く大剣の薙ぎ払いで応えた。
それでも致死の鋭さを有する一撃である。クレイオスは曲芸染みた動きで上体を後方に押し倒し、ブリッジ一歩手前の体勢で制止。
腹の上を通り過ぎる剣に肝を冷やしながら、即座に切り返して打ち下ろされる一閃を真横へと転がるように跳ねながら回避する。
その回避の最中、決して目を離さなかった魔物の口が動くのを知覚した。
「『カッ』」
「――ちぃっ!」
詠唱とクレイオスの回避はほぼ同時だった。
至近距離から振り下ろされるハンマーの軌道で撃ち落とされた火球を、紅蓮の狩人は二ベルムルは超える横っ飛びで大きく回避する。
大地を打ち砕きながら撒き散らされる熱波に前髪を撫でられつつ、足を止めたクレイオスは視界の端から迫る大柄な影に瞠目した。
それは、魔法の直撃などまるで意に介さないかのような副団長シュテウスの姿だった。
大剣を脇に携え、口の端から垂れる血など存在しないかのように男は力強く、勇猛に突き進む。と、合図するようにクレイオスへと一瞬視線を投げた。
直後に青年の持つ白銀の槍を見てから魔物に視線を戻したのを見て、稲妻が迸るかのようにクレイオスはシュテウスの意図を理解した。
それは戦場における根拠のない超感覚だったが、これ以外考えられぬ、と狩人は大胆にも行動を実行する。
地面に足首まで埋まるほどの強烈な踏み込みの後、槍を握る右手を大きく振りかぶって――投げ放った。
刹那、爆発音と聞き間違うような轟音が鳴り響く。
手から離れた瞬間に、槍が空気の抵抗をより受けなくなるような形状に変化。それによって本来ならあり得ぬほどの加速の伸びを見せ、投槍は瞬く間に亜音速に到達した。
当然、弓矢など比較にもならぬ超高速の一投に反応などできようはずもなく、魔物がそれを知覚したのは防御膜に激突した轟音を聞いてからだった。
虹色の瞳をぎょろりと動かし、何が起きたのかを確認して――その落ちくぼんだ目が大きく見開かれた。
視線の先、虹色の『障壁』に、白銀の穂先が突き立っていた。
槍の先端部分が僅かなりとも傷をつけ、そこに辛うじてぶら下がっているような有様であったものの、圧倒的防御力を見せてきた『障壁』への明確な瑕疵だ。
それに対して魔物が動きを見せるよりも早く、副団長が更なる一手を放っていた。
「オォッ!」
裂帛の叫びと共に、大剣が暴力的な勢いで振り薙がれる。その速度は先ほどまでよりも遥かに増しており、本当に火球が直撃したとは思えないような力強さだった。
無論、シュテウスの打たれ強さもあろうが、その秘密は彼の権能にある。
『太陽の威光を浴びている間、怪力を得る』権能。時が経ち、真昼となって太陽光を最も強く浴びる現在、副団長の力は最高潮に達していた。
その剛力で以てして、狙うは防御膜――ではない。
シュテウスの想定した状況とは些か異なっていたが、しかし好機以外の何物でもないのだから狙わない道理はない。
防御膜に突き立ち、今にも落ちそうな槍の柄尻へと狙い澄ましたように大剣を叩きつけた。
そのダメ押しの一撃により、槍の大きな穂先の半ばまでが防御膜を貫く。
だが、それだけ。先端が魔物に届く一歩手前で停止せしめられ、直後に魔物が危機感を覚えたかのように唸りを上げながら跳び退くことで振り落とされてしまった。
虹色の膜が魔物の周囲で薄く明滅していることから、『障壁』はいまだ健在。それでも、魔物の右肩あたりの個所に穴を開けられたのは大きな収穫だ。
さてここからだ――と槍を回収する算段をつけんとしたとき、クレイオスの耳が響き渡る鈍い音を捉えた。
それは、尖塔の鐘鳴役によって打ち鳴らされる銅鑼の音。
何故このタイミングで、とクレイオスは魔物からけして目を離さないようにしながら視界の端で城壁の方を確認すれば、そちらから今まさに打ちあがる無数の火球。
射程距離を考えるに、既にここは十分な範囲内。クレイオス達だけでなく、多くの騎士や傭兵も巻き込みかねない危険な一斉射だった。
どういうことだと思考を巡らせるより先に、視界の反対側、危険視していた魔物が動きを見せる。
王冠悪鬼も火球の群れが己を絨毯爆撃する軌道にあることを見抜き、故に行動を起こしたのだ。
「『シィ――ギァッ』」
たった二音の唸り声なれど、それは明確な『詠唱』。
クレイオスとシュテウスが身構えるよりも先に、魔物の眼前の空間がぐにゃりと歪んだ。否、違う。
散り舞う砂埃が引き込まれるように渦を巻いていることから、あの魔法は空気を操って収束させているのだ、とクレイオスは直感的に理解した。
その一瞬の収束の後――耳をつんざく破裂音と共に、何かが撃ち放たれる。射出物の軌道を目で追うよりも、その結果が現れる方が遥かに早かった。
刹那、青空の下で無数の紅蓮が花開くように爆散する。
一つの撃ち漏らしもない。魔法師部隊による火球の軍勢は、ひとつ残らず迎撃されてしまっていた。
いったいどうなっている、と思わずクレイオスは目を見開く。散りゆく紅蓮を呆然と見上げたその時、更なる異変が蒼穹に生じていた。
空中で飛散し、消えゆくだけの炎。そのすべてが、突然動きを変えた。不自然な力場に従って、大地へと滝のように流れ落ちていく。
全ての炎、小さな火の粉ですらその流れに従い、曲がりくねって一点へと集まっていくのだ。
その一点とは、すなわち、エーレオナ・トラロマティが力強く掲げる長剣の切っ先。
魔法師から放たれ、そして迎撃された炎の全てを剣へと集中していく。
やがて青空の下から一片の紅蓮も残らなくなった頃、火炎を集めきった長剣は――太陽神と同じ色に光り輝いていた。
これこそが、英雄エーレオナの切り札。
時間をかけて完成された『太陽の剣』の価値を示すように一振りすれば、むせ返るような重たい熱波を撃ち放って彼女の紅蓮の髪をなびかせる。
「待たせたわね。――行くわよ」
覚悟を決めるその言葉と同時にエーレオナが姿勢をぐっと下げ、刹那の間にその体は魔物の眼前に躍り出ていた。
気づけば、その全身にはシュテウスと同じ橙色の帯が巻き付いている。違うのはその本数と色の輝きだ。無数ともいえる太陽の色の帯が、彼女の身体能力を――ともすればクレイオス以上に――引き上げていた。
そのあまりにも急激と言える身体能力の向上に、魔物の反応は大きく遅れつつも大剣を迎撃に振り上げんとしていた。
そこへ、騎士団長よりも先んじて突き進んでいたシュテウスの大剣が上から全力で以て叩きつけられる。
額に血管を浮かべ、奥歯を砕かんばかりに歯を食い縛ってシュテウスは魔物の剛力に対抗する。結果として、恐るべきことにかの魔物の剣を一時的とはいえ完全に封じ込めることに成功していた。
防御が抑えられ、回避は間に合わない。なれば、太陽の剣の直撃は何者にも邪魔できない。否、たった一つであるが絶対的な防御が残っている。
王冠悪鬼の首を狙って大気を焼き焦がしながら迫る光の刃を――輝く虹色の防御膜が阻んだ。
だが、エーレオナはこの防御膜に無策で突っ込んだわけではない。
その輝く刃をぶち当てたのは『障壁』に唯一存在する弱点――クレイオスとシュテウスの開けた穴だ。
直後、キィィィ――ッ! という金属をこすり合わせたような不快な高音が鳴り響き、激しい火花が接触面から撒き散らされる。
想像以上の硬さにエーレオナの顔が苦悶に歪む。が、それでも彼女が諦めることなどありえない。
「はぁぁぁ――ッッッ!」
叫びと共に――長剣が、振りぬかれる。
その軌道を後追いするように、虹色の破片が舞い散った。
圧倒的な硬度によって剣を大幅に逸らしながらも、それでも『障壁』は『太陽の剣』によって粉微塵に打ち砕かれていた。
驚くべき快挙であるが、そこで止まるわけにはいかない。
即座に切り返さんとするエーレオナに、魔物も驚きに固まってはいられないとばかりに大地を蹴飛ばして大きく跳躍しながら後退。空中で姿勢を立て直し、着地と同時に口を開く。
「『シィ――ギァッ』」
最速の詠唱にて発動される魔法。空気の矢が圧縮によって一瞬にして形成され、間を置かず横殴りの雨のような弾幕として発射される。
それに対し、エーレオナは大きく太陽の剣を引く。転瞬、風切り音と共に薙ぎ払われた刀身から溢れるように、苛烈な炎が打ち放たれた。
まさしくそれは、紅蓮の波濤。炎で形成された大津波は天高く巻き上がり、一時的な『炎の壁』と化して魔物の魔法を迎え撃つ。
直後、空気の矢と炎の波が真正面から激突。豪快な紅蓮が見えない矢の全てを薙ぎ払い、天高く燃え上がって蒼天に爆音を鳴り響かせる。
その下を掻い潜るように、再び騎士団長が疾駆。迫る彼女の姿を今度こそしっかりと見据える魔物は、どっしりとした構えで待ち受ける。
そんな王冠悪鬼の眼前で力強く踏み込み、エーレオナは両手で握った太陽の剣を勢いよく振り上げた。
対し、王冠悪鬼は巨躯に見合わぬ迅さと鋭さで以て大剣を操り、殺意と悪意を凝縮した意気で輝く刃に向けて振り下ろす。
『障壁』を砕いた危険性も理由の一つだが、魔物は己の敵たちがこの剣に希望を乗せていることに気付いている。故に、それを砕くことで絶望を与えんと邪悪な画策をせんとしていた。
かくして、交差した互いの刃は、甲高い金属音を打ち鳴ら――さない。
ずるり、と。
まるでバターでも溶かすかのように、鋼の刃が切り落とされる。
そのまま、魔物の胸に超高温の刃を一閃。鮮血が噴き出る代わりに、肉と血の焦げる嫌な音が確かな傷を与えたと教えてくれる。
王冠悪鬼にとって、予想外に過ぎる展開。されど、驚きも悲鳴も飲み込み、即座に反撃の詠唱をすべく口を開こうとする。
だが、そんなことは許さない。
剣を砕こうなどとという稚拙な遊びを考えなければ結果は変わっていたのであろうが、運命は既に定まった。
鋭角的な角度で切り返した光の白刃が、魔物の蒼い首を正確無比に刎ねた。