47 王都防衛戦線(2)
大変お待たせしました……。
人々の祈りをそのまま己が力とし、歴史上類を見ぬほどまでに膨れ上がった大紅蓮。
事前に作戦としてわかっていても、それでも見上げるほどの第二の太陽ともいえるこの火球の顕現は、城壁の上やすぐ下の傭兵部隊からどよめきを漏らした。
このノードゥス国の歴史において、この権能が過去に使われたのはたったの二度。それも大量発生した魔獣を薙ぎ払うために使われた程度であり、その大きさも大人二人が両手で抱えられる程度のものだった。
だが、今回の未曽有の事態を前に、騎士団長エーレオナは油断も慢心も、様子見も是としない。持てる全力を以てして、最速かつ最小の犠牲を目指して解決することを決めたのだ。
故に、『王都に住まうほとんど全ての人間の祈り』という最大火力をここに発揮し、それを直接魔物の軍勢にぶつける。
神聖なる大火球が魔物たちの頭上で、彼らの暴威を鎮めるべく――炸裂する。
光、音、熱。
ほぼ同時に、この全てが最大威力で撒き散らされる。火球に比較的近かった騎士団は揃ってこれを知覚するのを避け、外套を頭からかぶることで目と耳を護らんとした。当然、クレイオスも倣って橙色の外套をかぶっている。
それから一拍もなく、同時といっていい瞬きの後に撒き散らされる、太陽神の武威。
すなわち、嵐と見紛う桁外れの熱風。
それは精強なる騎士団が武器を地面に突き立て、深く身を沈めることでどうにか耐えられる強烈な爆風だった。クレイオスでさえも一瞬苦悶の声を漏らすほどの重たい衝撃を伴い、数瞬遅れて王都の城壁に叩きつけられる。
それは傭兵部隊やその上に居た弓兵部隊からも悲鳴が上がり、城壁がミシリと軋むほど。
だが、それら全ては味方へもたらした影響。ならば、それよりも遥かに至近距離にあった魔物どもは?
大火球があったその真下。およそ爆心地ともいえるその場所は、大地が黒く焦げ付いており、今も白い煙を幾筋も立てている。真円の黒い広場が作られ、その上には生き物がいた痕跡――死骸すらもなかった。
そこから離れ、数ベルムルもしたところでようやく魔物かどうかも判別できない小さい黒焦げの塊がゴロゴロと転がっている有様になり、更に離れると呻きをあげるボロボロの悪鬼が数匹いる程度となっていた。
その後ろにはひっくり返った小鬼どもが痙攣していて、そこから離れてようやく、まともに動けそうな魔物どもがどよめいているのが見える。
俯瞰してみれば、魔物の波濤の最前線を巨大な顎が一噛みし、その三割を喰って去っていったかの様に見えるだろう。
その戦果を見て、外套を後ろに流したエーレオナは理解する。
(損害が軽すぎる――やってくれたわね……ッ!)
そう、被害を抑え込まれてしまった、と。
本来であれば、あの火球はそのまま落ち、魔物の軍勢を蒸発させ、その半分を行動不能にまで陥らせていただろう。
だが、そうはならなかった。空中で爆散し、その余波を叩きつけただけだ。
この想定外の現状を導いた原因など、必死に探すまでもない。
周りの魔物が余波を受けて瀕死の中、どういう道理か、火傷すら負わずに群れの一番前にまで繰り上がった場所で悠然と佇む蒼き存在――王冠悪鬼の仕業に決まっていよう。
エーレオナの視線を受け、王冠悪鬼は虹色の瞳を不敵に輝かせる。その不気味さを胸中に収めながら、即座に騎士団長は次の一手を打つ。
紅蓮の髪を豊かに躍らせ、白銀に輝く剣を真横に薙ぎ払う。それを見た壁上の鐘鳴役が短く銅鑼を打ち鳴らした瞬間、騎士団の空気が一瞬で変わる。
体勢を立て直していた彼らがあっという間に陣を整え、ひたりとその空気が冷えた。
それを待っていたかのようにエーレオナが剣を正面にひたと据え、戦場に強く響き渡る大音声で叫んだ。
「総員ッ! 突撃――――ッッッ!」
次の一手、それすなわち、騎士団と傭兵部隊による攻勢だった。
号令に合わせ、騎士団が一体となって鬨の声を上げながら突撃する。その後ろを様々な恰好をした傭兵たちが咆哮して追従していく。
鏃の形となって進む騎士団のその最先端にいるのは、エーレオナ騎士団長その人だ。今この瞬間、彼女はこの戦いの指揮官であることを擲ち、強力な一己の英雄エーレオナとして戦いに臨む。
これも全て、事前に決めた作戦のうち。大火球の一撃ののち、確実にこの魔物の軍勢を討ち果たすための大詰めである。
狙いはもちろん――この波濤の首魁、王冠悪鬼の首。
指揮官相当である彼奴を討ち取ればこの軍勢は維持できず、烏合の衆と成り果てて散っていくであろうことを見越した大胆な行動だった。
相手が大きく動き出したのを見てとった王冠悪鬼もまた、ようやくその威容に動きを見せる。
脇に固まっていた小鬼たちがやにわに蠢き、その痩躯を震わせながら一本の大剣を王冠悪鬼に差し出した。
その柄を握り、小鬼たちが切り裂かれるのも気にせず抜き打ちに薙ぎ払う。力強く空を裂き、そしてその口腔を裂けるように開いて重く叫んだ。
『ヴ オ オ オ オ ォ――――ッッッ!!!』
瞬間、熱波の衝撃でどよめいていた魔物どもの空気が変わる。
視線の先に迫る人族たちを見据え、途端に粘つく殺気が急激に膨れ上がった。
直後、波濤の全てが――叫ぶ。
『ギ ギ ギ ア ア ア ァ ァ ァ ――――ッッッ!!!』
鬨の声などと形容できぬ、殺意と悪意と邪気に満ちた叫び声。
人族を殺戮し、その肉を裂き、腸を啜って腹を満たしてやろう、という怨念を肌で感じるようなおぞましい代物だった。
邪悪に過ぎるその大音声は高い城壁すら飛び越え、神殿に集まって祈りを捧げる王都の民の耳にすら届く。
人々は本当に魔物の群れが迫っていることを理解し、城壁の内側に居るというのにあの化け物どもは建物のすぐ外に居るのでは、と錯覚して震え上がるほどだった。
そんな叫びを間近に浴びた騎士団は――されど怯まない。
信頼できる背中が目の前にあるがゆえに。その背中が決して止まらぬがゆえに。
英雄エーレオナが、勇気と怒りを以て突き進む限り、《日輪の栄光》騎士団は止まらない。
「――行くぞッ! 我ら《日輪の栄光》の熱で以てして、神敵を焼き払えッ!」
『応ッ!』
エーレオナの怒号に騎士団が応えると同時に、彼らは魔物の波濤と正面から衝突した。
*
赤と緑の入り混じる波濤の如き群れに、銀と橙色の鎧を纏った騎士たちが猛然と討ちかかる。
そこかしこで怒号と咆哮、悲鳴と断末魔が響き渡り、血と死の匂いが一瞬にしてこの平原に渦を巻いた。
戦況は、膠着状態。
精強な騎士と傭兵たちは常に魔物一体に対して複数人で戦い、目に見えた死者や怪我人を出さずに次々と斬り倒している。
だが、相手は無尽蔵ともいえる数。先の弓矢や魔法、そして大火球によって最初の数からおよそ四割ほど削ってはいるものの、それだけ。倒しても倒しても次の敵が湧き出る戦いとなっている。
そんな戦いのほぼ中央で、王冠悪鬼は剣を片手に悠然と立っていた。
否――待っていた。
左右で小鬼が頭蓋を断ち割られても、視線の先で悪鬼が重音と共に倒れ伏しても。
何の行動も起こさずにじっと待っていれば――ほら、来た。
そう言わんばかりに、裂けた口を大きく開いてニタリと笑う。視線の先には、騎士団長と副団長、そして赤髪の青年クレイオスが居た。
周りからは他の魔物が一掃され、邪魔が入らぬよう傭兵部隊と騎士が包囲網を敷いている。その外部から迫る魔物どもと戦いながら、エーレオナらが十全に戦えるように広い空間を生み出していた。
それがわかっていながら、王冠悪鬼は何もせずに待っていた。出来上がるのが己の処刑場だとしても、まるで頓着せずに。
そのことを不気味に思いながらも、クレイオスは白銀の槍を黄金の籠手で以て構える。隣でエーレオナが銀色に輝く長剣を構え、その横でシュテウスが大剣を肩に担ぎあげた。
一拍の静寂。
戦端を開いたのは――薄く開いた王冠悪鬼の口だった。
「『カッ』」
「っ、避けろ!」
聞いたことのある、されど短すぎる詠唱にクレイオスが最速で反応する。
叫びながら真横に跳ね飛ぶクレイオスに遅れて、エーレオナとシュテウスが左右に回避行動を取った。その間を、大気を焼き焦がしながら悪鬼の頭ほどはある火球が通り過ぎる。
即座に体勢を立て直しつつ、クレイオスは吠えた。
「詠唱が短くなっている! 口が開くのを見逃すなッ」
「わかったわ。――いくわよシュテウス!」
「お任せあれ!」
青年の警告を耳にしながら、エーレオナはすぐさま体勢を突撃姿勢に変えつつ頼れる副官に合図する。
それを受け、大剣を肩に担ぎ直したシュテウスが土を抉り飛ばしながら一息に吶喊。その両手足には既に権能たる橙色の帯が巻き付いており、その膂力を大幅に引き上げていた。
放たれた矢の如し勢いで迫るシュテウスに、即座に王冠悪鬼は対応。兜ごと頭部を断ち割る軌道で大剣を振り下ろし、そこへ突っ込んだ副団長は同じ大きさの己の剣を振り上げて激突する。
激しい金属音と共に火花が散り、猛烈な勢いで突き進んでいた男の身体が圧倒的な力で上から抑えつけられる。兜の下、苦悶に歪むシュテウスの顔に驚きも入り混じった。
――クレイオスとの手合わせで理解したつもりになっていたが、しかし、膂力は彼以上か!
心中でぼやきながらも、シュテウスはその程度では止まらない。力自慢の権能が片手で抑えつけられてしまったことに驚きはあれど、しかし力一辺倒という一芸で副団長は務まらぬ。
即座に腕ごと大剣を回転させ、上からかかる圧力をずらす。土人族が磨き上げ続けてきた『技術』の粋を結集し、必殺めいた斬撃を受け流しにかかった。
対する王冠悪鬼も然る者か。手元の剣の挙動が己の意図せぬ力の流れにならんとした瞬間、それを嫌って己の生み出した斬撃を己の怪力で打ち消すように強引に剣を跳ね上げる。
結果、両者の激突の直後に互いの剣が弾かれるように素早く離れた。
そこへ――閃光のような速度で、電撃的に飛び込む小柄な緋色の影。
その手に持ちたるは輝く長剣。英雄エーレオナがその称号に恥じぬ勢いで飛び掛かる。
タイミングは完璧、大剣を振り戻して叩き落すことのできぬ速度で、エーレオナはその頭蓋に切っ先を突き立てんと長剣を突き出した。
短期決着を望んだその最速の一撃は――されど、硬質な音を立てて硬く弾かれる。
「っ!? うそ、『障壁』!?」
信じられない、と叫ぶエーレオナの眼前、剣を弾いた物が一瞬だけ正体を見せていた。
それは王冠悪鬼の全身を卵状に覆う、虹色に輝く薄い膜。
クレイオスは、かつてイドゥが防御するために見せた浅葱色の膜を即座に想起したが、同一ではないだろうと理解する。
堅牢な護りを見せたそれによって一撃を容易に弾かれた騎士団長は、想定外の事態に空中で体勢を打ち崩していた。
その隙を見逃す魔物ではない。
手首を返し、脇を締めながらコンパクトに大剣を振り下ろす。威力は格段に落ちるなれど、斬閃の速度は数段勝る。故に防御を間に合わせぬ致死の迅刀が、空中にて避けられぬエーレオナに迫った。
が、ここに並び立つのは三人の勇士。一人が突き崩されても、残った者がそれを護る。
エーレオナの後背にて、彼女の後に追撃を行わんとしていたクレイオスが一陣の風となって方針を急転換。
腕を直接狙うことも一瞬考えたが、先ほどの防御膜を貫けない可能性を考えて棄却。それよりも、さきほどシュテウスと打ち合って問題のなかった大剣に一撃を加えた方が確実だと判断を下した。
騎士団長の左手に躍り出て、即座に上半身を捻転させつつ白銀の槍を駆け躍らせる。大地を強く蹴り穿ち、飛び出すように放った一閃は魔物から繰り出される高速の一閃を狙い過たず撃ち抜いた。
甲高い金属音と共に、鉄の薄い刃と白銀の細い穂先が奇跡のような一点で激突。両者の怪力によって拮抗が生みだされる。
しかしそれも一瞬。空中に身を躍らせているクレイオスの勢いが瞬きの合間に失われ、利を悟った王冠悪鬼が唸り声と共に振り払うような薙ぎ払いを放つ。
即座に手首を捻り、一閃を槍の長柄で受け止めつつクレイオスは殴り飛ばされるように吹き飛んだ。
地面と水平にぶっ飛んでいくその姿は派手ではあるが、実質のダメージはゼロ。猫のようなしなやかな体重移動で衝撃を逃す狩人の技術で負傷を免れたクレイオスは、今の交錯で得た情報を吟味する。
やはり、想像できてはいたが、前回の戦闘時よりも力が増している。
その上で魔法をより短い詠唱で発動し、更には堅牢な護りを得ていた。威容の変化は伊達ではないらしく、群れの長に足る脅威性を増しているらしい。
その事実に思わず顔に苦い色を見せるクレイオスだが、同時に違和感も覚える。
この短期間で、この魔物はどうやってそれほどの力を身に着けたのか。
神からの言葉によれば、魔物というものは神によって封じられているもの。何らかの要因で外に出てその悪意をまき散らす、というのが大筋なのは理解できる。
だからこそ腑に落ちない。おそらくつい最近封印より脱出したであろうこの魔物が、どうすればここまで圧倒的な力を次々と身に着けられるのか。
――何か、何か見落としてはならない部分がある気がする。
直感的に、狩人の獲物を追うための感覚が警鐘を鳴らす。
しかし、それにばかりかかずらっていられない状況なのもまた事実。意識を目の前の王冠悪鬼に集中せねば、次の瞬間に死ぬのは己なのだから。
そんなクレイオスの思考を他所に、無傷で着地しつつ追撃で振り薙がれた剣を回避したエーレオナが叫ぶ。
「こいつは『障壁』を展開しているわ! 下手な攻撃は通じない! やるなら全力で、鋼を貫くつもりでやりなさい!」
「これほどの魔物であれば、鋼どころでは済まないかもしれません、な!」
王冠悪鬼の嵐のような斬撃を掻い潜り、シュテウスが大地を踏み割らんほどに足を叩きつけて踏み込んだ。
同時に魔物の脇腹へと叩きつけるように大剣を薙ぎ払えば――やはり、硬質な音を立てて大剣が容易く弾かれる。
「ちぃッ!」と焦燥を滲ませた舌打ちを発しながら、シュテウスは弾かれた勢いに逆らわずに大きく一歩後退。
その脇に再びクレイオスが紅蓮色の風となって飛び込み、副団長への致死の一撃を渾身で以て弾く。
先ほどの焼き増しではあるが、されど、役者が異なれば続く展開も違う。
魔物の一撃に思わず手のしびれを感じ取るクレイオスの耳に、エーレオナの声が滑り込んだ。
「クレイオス! そのままシュテウスと一緒にそいつを押さえて! 私が終わらせる!」




