36 暴虐悪鬼(5)
村人がクレイオスに縋るように助けを求めた先は、村の避難所である集会所だった。
襲撃を受けてすぐさま戦えない村人たちはそこへ逃げ込んだものの、幾ばくもしない内にソレを狙って魔物どもが集まってきたのだという。多くの村人を救ってほしいという願いは至極当然だったが、その村人がそれ以上に守ってほしいとしたのは、集会所近くにある村の『貯蔵庫』だった。
そこには村がこれまで貯め込んだ財産と――昨年収穫した大量の麦がある。
村の生命線であるこの麦の蔵にまかり間違って火でもつけられれば、例え人が生きていても村はその後が立ち居かなくなってしまうのだ。
故に、人々と村の将来の両方を救ってくれ、と村人は強き青年に縋りつく。
今日初めて訪れた、見知らぬ村を救え。
青年一人が背負うには重いそんな大役を、しかしてクレイオスは顔色ひとつ変えずに首肯し、承諾した。
迷いなどない。もとよりそのつもりで駆け馳せたのだ、今さら怖じ気づくことなどあり得ない。
そんな力強さを前に、頼み込んだ男の方が気圧される。生唾を呑み込む男に避難するよう告げ、青年は教えてもらった方向へと振り返ることなく走っていった。
村人が見送ったその背は、間違いなくこの村を救うであろう英雄のソレだった。
*
その俊足を十全に活かした疾走は、すぐさま村の南西へと紅蓮の青年を到達させた。
翡翠の瞳はそこで、一際大きな家に群がる魔物の群れを捕捉。それが道中の村人から聞いた集会所であると理解し、奥歯を噛みしめて腹を括る。
数は、商隊の護衛で出会ったときよりも多い。そしてこの村に、イドゥのような優れたる防衛者はおらず、クレイオスのような強い戦士は居なかった。
その結果が、大地に転がる多くの骸だ。村を守る役割の人間もいたのだろうが、誰もが志半ばで朽ち果てている。
護り切れぬ無念と、自身の死への恐怖で歪む表情に死神への追悼を捧げつつ、クレイオスは走り抜け様に死人の一人が握る槍を拝借した。
神の槍とはとても比べ物にならぬ粗末な代物だが、しかしてクレイオスには充分。神の槍はむやみに振るわぬと決意している現在、こうして武器を調達して戦わんと行動する。
手にした槍を、クレイオスはすぐさま逆手に握り、高く掲げて後方へと腕ごと引く。まるで引き絞った矢の如き投槍の構えを見せた直後、大気を破裂させる音と共に槍が勢いよく放たれた。
パアン、という鞭が大気を叩く音に似通ったソレが響き渡り、超高速の槍が魔物に向けて飛来。
目の前の獲物に夢中になっている苔色の小人三体を、真横からまとめて貫いて串刺しにする。それでも勢いはとどまらず、数体の魔物を吹き飛ばしながら槍は建物の壁に突き立って停止した。
そこでようやく、自分たちを攻撃する存在に気付いた魔物の一体が振り返り――迫り来る革靴の底を最後の光景として網膜に焼き付ける。直後、その頭部は剛力による蹴撃で蹴り砕かれた。
一体の魔物を殺しながら、群れのど真ん中に着地したクレイオスは、さらにそこに転がる槍を手にする。それを即座に旋回、背後から奇声を上げながら飛び掛かる魔物を、見もせずに串刺しにして貫いた。
更に、その小人の身体を引っかけたまま長柄の槌でも振り回すように大きく回転。周囲の魔物を纏めてなぎ倒し、その回転の終点で突き刺さったままの魔物を手首の捻りを利用して遠くへと放り投げる。それがまた更に魔物に悲鳴をあげさせながらなぎ倒すのを見ながら、クレイオスは槍を構えなおした。
突然現れたかと思えば、瞬く間に仲間を倒していった存在に、さしもの魔物どもも気勢を殺がれて「ギィ……」という醜い鳴き声と共にたじろぐ。
それは襲われた側だけでなく、助けられた側も同じだった。
クレイオスの背後、壊れた壁の向こうでは呆然としたまま身を寄せ合う村人たちが居る。今まさに家屋の中に侵入せんとしていた連中を、まとめて押し留めたのだ。
「あ、あなたは……?」
「助けに来た。俺のことはいい、早く逃げろ!」
我が子を胸に押し抱く女性から誰何の声が上がるも、クレイオスは短い応えだけを返す。そして、その背を押すように腹の底から怒号を発した。
雷神の雷鳴のような、轟く声。鼓膜を乱暴に叩くそれに、肩を跳ね上げて小さな悲鳴をあげながら村人たちが我先にと建物の奥へと逃げていく。おそらく裏口があるのだろうが、そちらへ行くのは目の前の魔物の群れをどうにかしてからだ、とクレイオスは冷静に判断した。
一方の魔物どもは逃げていく獲物たちに惜しそうな視線をくれるも、眼前の脅威から背を向ける愚は犯さないようだった。手に手に武器を構え、警戒の声を上げながらじりじりと距離を詰めている。
数は十数体、一番後方にいる連中は隙を見て村人たちの方へ行こうとしているが、それはクレイオスが視線と殺気を飛ばすことで抑え込んでいた。狩りをする上で、殺気を消したり飛ばしたりして獲物の意識を操作することは必要な技術だ。
その高等技術を如何なく発揮しながら、クレイオスはどうするか思考を巡らせる。先ほどは急いでいたため、大立ち回りを演じたが、そのせいで拾った槍は嫌な軋みを鳴らしながらヒビが走ってしまっていた。あまり長持ちはしないため、その後の立ち回りを考える必要がある。
戦場に視線を走らせ、クレイオスは武器の場所を確認した。
これらをどう活用するか――、と数瞬考えた直後。
狩人の知覚に、恐ろしい速度で迫る殺気の塊を感知した。
方角は斜め後方、速度は――自身の全力と同等。
つまり、接敵まで振り返る暇さえなかった。
全力で手の槍を構え、身体を捻る。どうにか敵の方へ向こうとするも、それよりも早く剛撃がクレイオスを打ち据えた。
防御に構えた槍を折り砕き――クレイオスの身体を容易く殴り飛ばす。
信じられない馬鹿力。咄嗟のこととはいえ、鉱人族よりも力があるクレイオスが踏ん張り切れずに吹き飛んだのだ。
「がっ――!?」
吹き飛んだ身体は家屋をさらに打ち壊し、奥の部屋のベッドを破壊してようやく停止する。
その衝撃と驚愕で一瞬ふらつく頭。しかしそれらを一気に振り払うべく、クレイオスは己に喝を叩きこんで持ち直し、瓦礫の中から勢いよく跳ね起きた。
思い切り殴り飛ばされたが、槍が粉砕されただけでダメージは少ない。故にすぐさま顔をあげて――自身が開けた大穴の向こうで、大きく何かをふりかぶる巨影を目にする。
「――――ッ!」
無手ではまずい、と即座に判断。床を蹴飛ばし、真横の壁をぶち抜いて外へと飛び出す。
直後、大岩が家屋を貫いて飛んでいった。
度重なる破壊によって、村の集会所がクレイオスの真横で音を立てて崩壊していくも、それを見やる暇は青年にはない。幸いなことに、近くにあるという貯蔵庫は無事なようだが、今後もそうであるという保証はなかった。
なぜなら――目の前の『巨影』が、あまりにも恐ろしい相手であったから。
クレイオスが見上げるほどの、二ベルムル半はあろう巨躯。その肉体を覆う筋肉は内側から膨れ上がっているかのように中身がパンパンに詰まっていて、自身と同じ大きさの岩を投げ飛ばせるほどの怪力を誇っている。肌はまるで鮮血を頭からかぶったような真紅の色をしており、事実として返り血がそこかしこの真紅を黒ずんだ色で上塗りしていた。
巨大な牙が覗く口腔を開けて風切り音のような吐息を吐くその化け物は、周囲の苔色の小人と類似する落ちくぼんだ瞳でクレイオスを睥睨している。感情は読みとれないが、その凶暴性は隠し切れてなどいない。
直感的に悟る。
こいつもまた――魔物である、と。
当然、周囲の小人など比較にならない強さであろう。よもやこんな化け物がいるなど予想だにしていなかった、とクレイオスは己の不覚を恥じるも、それは致し方のないことだ。運命神でもなければ未来などわかるまい。
故に問題は、この魔物をどう下すか、というところ。
この巨躯の魔物の数も、その生態も気になるところであるが、今クレイオスが為すべきことは、人々を救うこと。その為にはここで見逃して野放しにできるわけもなく、打倒以外に道はない。
だが、それは容易いことではないだろう。表面上は無表情のクレイオスだが、己と力勝負できる存在と相まみえるなど初めてのことだ。その内心は驚きに満ち、かの蛇人間と対峙した時より久しい緊張に張り詰めている。
油断はできない。敵は『今』の全力を賭すに値する。ならば――安い命を懸けて覚悟するしかない。
「――……仕方ない、か」
真紅の巨躯を油断なく見据えながら、小さく嘆息を漏らす。
それは己への失望だ。簡単に覆すことになった安い覚悟を抱いた自身を嘆き、己の無様さを嘲っている。そんな情けない己を叱咤し、だからこそ新たな覚悟を固いものとするのだ。
右手を背中に回し――白銀を手に取る。二度神の槍を揮うという暴挙に手を染めながら、青年は心の内のみで祈りを捧げる。
お許しあれ、と。
*
斥候部隊七人の後背を突くようにして現れたのは、真紅の巨影だった。
体高二ベルムル半、真紅の肌をぼろ布で纏い、手には岩塊のような大斧が握られている。
全員が咄嗟に振り返り、視覚的に理解できたのはそこまで。その直後には、部隊を巨躯に見合う暴力の嵐が襲いかかった。
まず、最後方に居たエスカペオスに向けて、超高速で迫る巨躯から無造作な横薙ぎの一撃が放たれる。
それに完璧に対応してみせ、背中の大斧を抜き放ちながら迎撃せんとしたエスカペオスは流石の戦士であった。だが、相手が悪かった。
鉱人族渾身の逆撃を、魔物の一撃が真正面から激突。一瞬の拮抗――の直後、重音を響かせて、エスカペオスの小柄な体が大斧ごと勢いよく吹き飛ぶ。
土人族三人力――成人男性三人と綱引きして勝つ――で有名な鉱人族に、力勝負で打ち勝つ怪力。
そのことに驚く間もなく大斧が翻り、第二撃が次へと放たれる。
一撃が向かう先は、エスカペオスの傍にいたテルナ。呆然とする彼女めがけ、致死の剛撃が迫り――その直前、灰の影がその間に割って入る。
ナイフを逆手に構えたテティスが妹の前に躍り出たのだ。だが、相手は鉱人族を殴り飛ばすような相手。土人族の青年にどうにかできるわけもなく、できたことはナイフで防御することのみ。
「ご――ぁッ」
結果、ナイフを打ち砕かれ、大斧はテティスの胸にゴッ、という鈍い音を立てて突き立つ。青年が喀血するのと同時、後ろのテルナすら巻き込んで斧は勢いよく振り抜かれた。
斧の軌道に血の線が引かれつつ、兄妹が吹き飛んでいく。
その最中でも真紅の化け物の足は止まらず前進していた。だが、ここに来てようやく、残った者達の意識が現状に追いつく。
「エスカペオス! テルナ、テティス!?」
アリーシャが悲鳴のように殴り飛ばされた者達の名を叫びながら、弓を構え矢を番える。直後、三矢が一斉射。
目、鼻、喉を狙った射撃は、しかして魔物が首を軽く振るだけで狙いの場所に当たらず、それどころか硬い皮膚が鏃を通しすらせず弾かれたのだ。
革の防具すら貫く自身の射撃が通じないことに目を見開くアリーシャの鼓膜を、イドゥの声が焦りを多大に含んだ色で叩く。
「『――固き護り、我らを護る者よ。魔法神の名のもとに、顕現せよ!』」
それは、以前の襲撃にて放った詠唱よりもずっと短い言葉。詠唱を三語に圧縮し、生体魔素を多大に消費しながらも素早く魔法を発動させる高等技術『三語詠唱』。
彼女の魔法師としての腕前が確かな証拠を発揮し、魔物の正面に浅葱色の薄い膜が顕現する。
無数の矢を阻んだことのあるソレを前に、魔物は鬱陶しいとばかりに渾身の咆哮を放った。同時、隆起した筋肉を以てして三度目の大斧が振り抜かれ、魔法の盾と激突。
今度は魔物の足を止めるほどの拮抗。魔素特有の空色の燐光が抵抗するように閃き、斧の一撃を押し留める。
そして――一拍の停止の後、斧は力強く振り抜かれた。
膜が砕け散り、無数の破片となって空しくばらまかれる。その中を、再び魔物が進撃を始めんと一歩を踏み出した。
そこへ、鋭い男の声が突き刺さる。
「『我らが風神よ、御身の猛き吐息をここに!』」
アリーシャらの後方、最前列に居たモイラスの叫びだった。
同時、ディルがアリーシャとイドゥの腕を引いて街道の外へと無理矢理に転げ出る。それに逆らわず慌てて転がれば――その脇を、轟、と突風が通り抜けた。
否、突風どころの威力ではない。押し込めるように固められた風の塊が、矢の如き速度で放たれたのだ。
それは、魔法の盾を打ち砕いた直後で動けぬ魔物に直撃。真紅の胸板に命中し、同時に全方位に荒れ狂う旋風がまき散らされて魔物の固い表皮に裂傷を刻む。
風神の権能たる強烈な一撃に、ついに魔物の足がたたらを踏んで止まった。
だが、それだけだ。
ただの人間が受けたならば全身バラバラにされてもおかしくない威力であったというのに、魔物はちょっと切り傷を負った程度。
その渾身を放ったモイラスは、肩で息をしながら忌々しそうに顔を歪める。
「クソッタレが、こいつが例の――」
『ヴ オ オ オ オ ォ――――ッッッ!!!』
口汚く罵らんとした彼の言葉を、二度目の咆哮が遮る。
鼓膜を貫く大音声に全員の動きが止まる中、魔物はゆっくりと残る四人を睥睨した。
その顔面に浮かぶは、笑み。
自分より弱い者共をいたぶることに喜悦を覚える、残虐極まる表情だった。