25 商隊護衛(3)
ガラゴロ、ガラゴロと。街道上の小石で跳ね、馬車の車輪が軋む音が周囲を延々とやかましく彩っている。
それに合わせて上下左右に揺れる馬車の上は、お世辞にも快適とは言えなかったが、足を使わずとも後方に流れていく景色――そんな、初めて見る愉快なものを眺めていられるだけで、クレイオスは不思議と心躍った。
しかも前方の方へと視線を滑らせれば、縦に一列、綺麗に並ぶ馬車が五台前を進んでいるのが見える。商隊の行軍を最後方から眺めることができるこの特等席も、早くもクレイオスのお気に入りとなっていた。
現在右手に見えるのは、なだらかに続く牧草地と緩やかに膨らむ丘。このあたりも放牧地なのだろうか、見える範囲に草食動物の群れの痕跡が見られる。丘のせいで向こうまで見渡せないが、きっとどこかに小さな村があり、さらに遠くにはシウテ川が流れ出る海神の血潮――『海』があるのだろうか。
一方で左手には、セクメラーナを出てしばらくの間は林によって視界が覆われていたが、太陽神がもうすぐ姿を隠す夕刻の今ではさっぱりと視界が開けていた。
見える地形に起伏は少なく、遠目に村と思われる家屋の集まりのようなものが豆粒の塊となって、いくつか見えている。そしてさらにその向こう、北西方向には、手前の村々と比較してもずいぶん大きな『森』が広がっていた。
目算で五、六ベルムルはありそうな高さの木々が鬱蒼と密集していて、茜色の残光が差し込んで尚、闇色だけが奥へ奥へと続いているように見える。
一言で言って、異質な森。クレイオスも見たことがない不気味な雰囲気を醸し出していた。
「あれはなんなんだ?」
クレイオスは疑問を思わず投げかけるも、口に出してしまってからようやく、答えてくれる幼馴染が近くに居ないことを思い出した。
出発前にディルとイドゥらと護衛について話した時、自分たちは縦に伸びる商隊がどこから襲撃を受けても大丈夫なように、分散して配置しておくのが基本だと聞かされた。
その為、クレイオスは最後尾、その二台前にアリーシャ、更に二台前にディルが居て、一番前にイドゥというようにバラバラになっている。
特に一番前にはハバが居り、今回は保護司祭ミアラも居る。魔法師のイドゥを配置することで護りを盤石にしていて、そのフォローにすぐ回れるようにディルが近場に居た。
クレイオスは単純に足の速さをディルに買われ、万が一商隊から降りる羽目になっても走って追いつけられるから、と一番後ろにされたようである。そしてアリーシャはそんな彼と前方のフォローもできる位置だ。
最初は、ということで堅実な配置になったが、元よりこの街道で起きる襲撃など大したものではないのと今回『旅守』も居るということで、明日からは配置を変えたり二人一組にしたりする、とディルは言っていた。
そういうわけで、現在最後尾の馬車の屋根に座るクレイオスの近くには頼りになる幼馴染は居ない。
加えて、この馬車には途中で寄る村々で放出するための雑貨がぎっしり積まれており、出発前にチラと見た様子では誰も乗っていなかった。
すると馬車には御者とクレイオスしか乗っていないことになるので、彼の問いに答える者は居ない。その御者もこのうるさい馬車の上での呟きが聞こえたかどうか怪しい。
やれやれ、とすっかり気が緩んでいた己に細いため息を吐いた直後。
「あれかい? あれは森人族の森だよ」
なんと、聞き慣れない少年の声が、クレイオスの疑問に返事を寄越したのだ。
馬車の前方、御者台から聞こえたその声に、クレイオスが首を巡らせてそちらを覗き込むと、そこには今朝がた宿の前でディルらを待っていた少年アヴが手綱を握っていた。
この子が御者だったのか、とクレイオスは驚くも、思えば商隊が行軍を開始してから周囲の景色しか見ていない。同行者の顔さえ確認していない己の不注意さを恥じた。
それを表に出したところでどうにもならないので、心の中だけで反省しつつ、退屈そうに手綱と鞭を握っているアヴに話しかける。
「あれが、か?」
「そうだよ。えっと……」
「クレイオスだ」
「クレイオス兄ちゃんね、覚えたよ。僕はアヴリック、アヴでいいから。それで、森人族の森見たことないの?」
軽く自己紹介を済ませたのち、アヴは意外そうにクレイオスに尋ねた。
「俺の故郷はセクメラーナより東だからな」と答えてやれば、アヴは「そっかぁ」とどこか面白そうな声色で相槌を打つ。
「ハバ師匠の商隊は、カリオンからセクメラーナを通って、テイル川――えっと、森人族の森から南西にある、シウテ川と同じくらい大きい川の、中流あたりの街まで行くんだ。しかも帰りはこうやって通った道を遡って帰ることになるから、僕らずーっと森人族の森を遠目に見ることになるんだよ。会う人みんな、そういう場所に住んでる人たちだから、見たことない、なんて言う人居なくてさ」
「そうなのか。じゃあ、森人族に会えたりするのか?」
少年はまだ幼いながらも商隊の一員としての人生を送っているようで、クレイオスにしてみれば飽きの来ないこの景色も、文字通り飽きるほど見てきたのだろう。
自分より余程豊富な人生経験を経ていそうなアヴに、興味本位でそんなことを聞くと、少年はとんでもない! と言いたげな大仰な動きで首を横にぶんぶんと振った。
「会えるわけないじゃん! 仮に会えたとしても、そうなったら僕、食べられちゃう!」
「……食べられる?」
「そうだよ! 森人族って、子どもの土人族の肉が大好きなんだよ! 普段はわざわざ狩りに来ないけど、のこのこと森に近づいてくる子供はあっという間にさらっていっちゃって貪り食うんだ」
ぶるりと震えて森人族の恐ろしさを語るアヴに、クレイオスも「そうなのか……」と深刻な表情で呟く。
かつて子供の頃、アリーシャと共にテンダルの蔵書を読んだ時にはそんな記述などなかった気もするが、きっと怖がったアリーシャが読み上げなかっただけなのだろう、とクレイオスは勝手に結論付けた。
彼の中で森人族がおぞましい魔物っぽいイメージになってしまったところで、「でも」とアヴが話を続ける。
「今回は『旅守』さまが居るからね。きっと近づいても大丈夫なんじゃないかなぁ」
恐れてはいてもやはり気にはなるのか、そうぼやいてアヴは茜色の夕日に照らされる森を遠目に眺めた。
その言葉からは、あの月女神司祭さえ居れば大丈夫、というアヴの心からの信頼が感じ取れる。アリーシャやディルもそうであった姿を思い出し、クレイオスは思わず問いかけた。
「なぜ、『旅守』が居れば大丈夫なんだ?」
「えっ? クレイオス兄ちゃん、知らないの?」
「ああ。旅に出たのもついこの間だからな」
クレイオスの疑問に、再びアヴが驚いたように碧眼を見開いて、彼を振り返る。揺れる焦茶色の髪を眺めながら肯定すると、アヴの見る目が物珍しいものを見るソレに変わった。
だが教えることに抵抗はないようで、むしろ楽しげな笑みを浮かべて「じゃあ教えたげるよ!」と得意げに話し出す。
その声の跳ね具合は幼馴染の説明好きとよく似ていて、思わずクレイオスは笑みを浮かべた。
「『旅守』っていうのはね、保護司祭さまの別の呼び方のひとつなんだ。それで保護司祭っていうのは、『安全を守る』とかなんだとか――とにかくそういう権能を授かった神官がなれる身分なんだって。その中で、旅人や商隊と一緒に旅してくれる司祭さまを、『旅守』、って呼ぶんだ」
「一緒に行動すれば、危険な旅路の中で安全を守ってくれる――だから『旅守』か」
アヴの説明に、クレイオスはなるほど、と呟いてその名の由来を把握する。
神より授かる権能を、己の為だけではなく、旅路の危険にさらされる見知らぬ旅人の為に行使すべく、自分から行動している保護司祭を呼ぶ名こそが『旅守』。
なるほど、確かに神官らしい高潔な在り方だ、と素直に思えるし、商隊頭のハバがありがたがるのもクレイオスでさえよくわかる。
アヴの言う『安全を守る』権能とは如何様な代物か、実感していない為にクレイオスにはわからないが、仮にも神の力の一端たる権能。絶対的な効力を持っていることに関しては、疑いは持てない。
そんな存在が共に居るなら、確かに心強いのだろう。
この商隊に蔓延している緩んだ空気の正体をようやく理解したクレイオスは、その旅守の居るであろう前方を見やる。
一人の人間が居るだけで安全とは、不思議な感覚だ――などと思案していると、気が付けば先頭のハバの馬車が本筋の街道から枝分かれした道へと進んでいるのが見えた。それに続く後続を眺めながら、クレイオスはアヴに問う。
「どこへ行くんだ?」
「え? あー、もうこんなとこまで来たんだ。あの道の先に村があるから、その近くで夜を明かすんだよ。商売もできるし、野宿よりよっぽど快適に眠れるからね」
クレイオスの問いかけに、アヴが御者台から身を乗り出して前方を眺めて行き先を確認すると、商隊の目的を答えた。
夜を徹して移動するわけでもなし、どこかで夜が明けるまで動きを止めるのも当然の話だ、と今更ながらにクレイオスも少年の答えで理解する。その野営地も、適当に選んだ場所ではなくせめて人の営みが近い場所の方が安心できるものだ。
ならば、この村への進路変更も、何度もこの街道を往復する中で決まった旅程の一部なのだろう。
今日の行軍は終わりか、となぜか物惜しげな気持ちを抱きながら、クレイオスは徐々に暗さを増していく空を仰いだ。
*
山向こうにある夕日に照らされて、かすかに空に茜色が残る時分に、商隊は村へと辿り着いた。
何度かここに立ち寄ったことがあるおかげか、大所帯の商隊は簡単に受け入れられ、それどころか歓迎するように多くの村人が手を打ってはしゃいでいる。
そんな彼らの姿にどこか既視感があるかと思えば、この光景はカーマソス村にやってくるメッグを歓迎していたときの自分たちの姿そのものだった。
メッグはいつもこの視点で見ていたのか、と思えば、何故だか可笑しさを覚える。ついこの間まで、向こうで喜んでいた側だったというのに。
そんな感慨深さを覚えながら、ハバの部下たちがこの村で売れる分の商品を広げるのを横目に、村の外にある開けた場所でクレイオスたちはキャンプを張るのを手伝った。
これにはさしものアリーシャも未経験であったようで、二人して困惑しながら火を熾したり、馬車の中で寝られない人の為の簡易なテントを作ったりと挑戦していた。
その際、お人好しのディルがアレコレと世話を焼いてくれたおかげで、野営に必要な知識と経験が得られたのは、何もかもが素人である二人にとって非常に嬉しいことだった。
しかも護衛中の朝食と夕食は、このような野営地で作ったものを振る舞ってくれるというので、自身で用意する必要もない。
そうして作られた食事を、商隊の大勢で一緒に食べる、というのもカーマソス村での祭りを思い出すもので、同郷の二人は顔を見合わせて曖昧に笑いあうしかない。干し肉を戻したものと安価な根菜を煮たスープ、固いパンという食事ではあったが、些細な違いでしかない。
その後、翌日は日の出にあわせて出発する、ということなので商隊は早々に床に就き、月がまだ東の空に見える時間には騒々しかったキャンプは静まり返っていた。
護衛の面々は、旅守のおかげで危険はないにしても、一応盗みなどを警戒するために夜番をしなければならず、交代で行うことに。その一人目はクレイオスだったが、特に何か起こるということもなく、交代した後も朝まで平和に過ぎていった。
そして翌日、簡単な朝食を終えた商隊は、日の出前から活動し始めていた村人に見送られて出発する。
まだ仄暗い朝霧の中を、踏み固められた街道を頼りに進んでいき、無事に本筋の道に戻れたころには温かな太陽が東の空に燦然と浮かんでいた。
その頃になると眠気も緊張も晴れた商隊の面々も、お喋りに興じたり何かの作業を始めたりするのだが、生憎なことに今日のクレイオスの傍には御者を担う少年が居ない。
というのも、先日の話し合い通り護衛の配置換えがあり、クレイオスは最後尾ではなく前から二番目の馬車に居た。護衛に合わせて馬車の順番まで変えてしまうわけではないので、せっかくの話し相手をまた探さねばならなくなったわけだ。
とはいえ、唯一場所の変わらなかった前方のイドゥは、真剣な様子でハバと話しているように見えるため、わざわざ届くような声で話しかけづらい。
今乗っている馬車はどうかと言えば、御者は見知らぬ老人でそっぽを向いているし、乗り合わせた商隊の人間は積み荷と手元の資料を見比べて忙しそうだ。漏れ聞こえる会話から察するに、昨日の売り上げの確認でもしているのだろうか。
その為、またしばらく風景でも眺めているか、とクレイオスは昨日よりも近さを増した森を眺めんとすると、ふと、前の馬車の幌がそっとめくられた。
視線をそちらに移せば、このあたりの人間特有の碧眼と目があう。馬車の屋根の上に居るクレイオスを明確に見る人影は、幌をどけてすぐ彼と目があうとは思っていなかったのか、僅かに驚いた気配をさせながらも数度瞬きしていた。
だが、すぐに落ち着きを取り戻して幌を馬車の骨組みの一端にひっかけると、改めて笑みを浮かべてクレイオスに話しかける。
「おはようございます、クレイオスさん」
「……ああ、おはよう。ミアラ司祭」
にこやかに挨拶してきたのは、ハシバミ色の柔らかな長髪をゆったりと下ろした『旅守』ミアラだった。
眼前の馬車に彼女が居ることは知っていたが、まさか話しかけられるとは思っておらず、数瞬困惑しながらもクレイオスは挨拶を返す。その間も笑みを絶やさず待っていたミアラの姿は、自分たちとさほど年も離れていないだろうに随分と大人びていた。
そんな彼女は、無愛想なクレイオスの態度など意にも介さず、続けて話しかけてくる。
「ハバさんからお話を伺ったのですが、アリーシャさんとクレイオスさんのお二人は、今回雑務ギルドを介して護衛に雇われたのですよね?」
「ああ、そうだ」
「差し支えなければ、どうしてそのようになさったのか、聞かせていただいても?」
首を傾げて問いかけてくるミアラに、是非もない、とクレイオスは首肯し、自分たちがカリオンを目指す手段の為に護衛依頼を受けたことを明かした。
さほど珍しい話ではないのは本当のようで、ミアラも目立った反応はしない。話しているこちらも気分が良くなってくる、楽しげな相槌は打ってくれるが。
そのまま、何故カリオンを目指すのか。カリオンからヒュペリアーナに行くのはどうしてか。出身はどこであるのか――などなど、あれよあれよと話を聞き出され、気づけば昼を迎えそうな時間になるくらいには話し込んでいた。
この司祭はずいぶん聞き上手話し上手な人柄のようで、クレイオスも辛うじて核心――神託や自身の正体――は話さなかったが、あと少しで村を出る経緯まで話しそうになるくらいだった。
そうならなかったのは、ミアラがクレイオスらが旅に出て間もないと知り、嬉しげに自分の身の上も話し出したからだ。
「そうなのですね! 実は私も、季節で数えて半巡りほど前に故郷のメールビッジを旅立ったばかりなのです」
「メールビッジ?」
「テイル川の河口にある港町です。そこで私は母と同じ月女神さまを信仰し、季節で一巡り前に権能を授かりました。そしてこの力を役立てるべく、『旅守』となったのです」
ニコニコと両手を合わせてそう話すミアラに、権能、と聞いてクレイオスはふと昨日の疑問を思い出す。
旅守たる権能というが、どのような代物なのか、まるで見当がつかなかった。こうして本人に聞けるなら、とクレイオスは躊躇いなくどういった権能なのか尋ねる。
その疑問に、キョトンとした顔をしたミアラだったが、すぐににこやかな笑みを浮かべて「いいですよ」と快く応えてくれた。
「私が賜わったのは、月女神さまが司るものの一つ――『乙女』の安全を守る権能です。乙女である女性にのみ与えられ、その周囲の安全を保護していただく力。月女神さまが姿をお現しになる夜であれば、特に権能の効力は増すのです」
胸に手を当て、己に宿る神の慈愛を慈しむようにミアラは権能の正体を語る。
なるほど、確かにそのような権能であらば、ともに行動することで同行者の安全も守るという旅守の在り方に則している、とクレイオスは納得した。
特に、乙女の純潔を尊ぶ月女神の与える権能というなら、そのような保護の力であるのも当然だ。
ようやく疑問が晴れ、新たに知識を得たクレイオスだが、そんな彼にミアラが「では」と興味津々の様子になって、小首をかしげて問う。
「クレイオスさんの権能はどのようなものなのでしょうか? こうしてみれば、改めてお強い力を感じますので、さぞ強力なものなのでしょう?」
「……? いや、俺は森神さまを信仰しているが、権能は戴いていない」
「あ、あら?」
期待を込めたのであろうミアラの問いは、首を傾げるクレイオスに簡単に前提を否定されてしまった。
そもそも権能など持たない、という彼に、ミアラは困惑した顔になって頬に手を当てて考え込む。
「しかし、今もあなたからは高司祭さまと同じくらいの神性を感じますし……」
「――さて、な。俺は嘘は言っていないぞ」
「い、いえ。そう仰るならそれが真実なのでしょう。気にしないでください」
ぽつりと漏らした言葉に、クレイオスは彼女が感じているものの正体を察した。
半神半人――これ以上ないくらい、神性を帯びる生き物。彼女が何かを感じたというのなら、クレイオスのこの正体をおいて他にないだろう。
明かすわけにもいかない為すっとぼけたが、クレイオスの内心は驚愕に満ちていた。
まさか何もしていない状況から正体を気取られかけるとは夢にも思わなかったのだ。同じく権能を持つアリーシャ、ウッドナール、そしてギルドで対応してくれた星神信者の男性は何も言ってこなかったはずなのに。
だが、前述の三人と違い、クレイオスの前に居るミアラは強力な権能を持つ。力の大小がどう影響しているのか、さしものクレイオスも知らないが、違いと言えばそこだろう。そのおかげで、彼女はクレイオスの神性を察知できたのだ。
そういうこともあるのか、と世の新たな不思議を垣間見つつ、クレイオスはその話題を避けるようにミアラのこれまでの旅路について尋ねる。
ミアラもこれに喜々として応じ、二人はその日の行軍の終わりまで話を続けたのだった。