第九話「チャケンダ」
題名「お花畑」
最終章「移動手段切り替え編」
第九話「チャケンダ」
俺はチャケンダと戦って、その勝ち負けで全てを決めることにした。
保全機能は、残された2310名の人類が”これから”を考える為に、この仮想世界を提供した。
その結論を、俺は原始的で大人気ない決闘で決めようと考えたのだ。
俺は頭が爆発しそうになるほど考えた。
そう、馬鹿の俺が、がらにもなく考えた。
俺やイェトが支持している回帰派マァクが示した未来は、無論正しい。保全機能の計画に最もフィットしている。それは星を食らって生きるという人類の業を容認するもので、チャケンダに言わせればきっと、亀の様にのろまで犠牲が多い、愚か者の選択だ。だから、どうしても両社は並び立たないのだ。
トポルコフが化けている偽ツワルジニは、その好ましいリーダー像で、ツワルジニの評判を上げた。彼が代表を務める最大派閥進化派の言い分にも一理ある。誰だって、折角手に入れた不老不死の肉体は手放したくない。とは言え、有限の仮想世界に留まったままでは人類の進化は酷く制限される。実に本物のツワルジニらしいわがままな選択肢だ。
楽園派のケチェが描いた夢は、実のところ残された2310名の多くが望んでいることだった。百年もの長きにわたってこの仮想世界での生活を続けた結果、皆、それに慣れてしまい、それ以上を望まなくなった。むしろ新しい惑星での生活を恐れたのだ。多くが永遠に仮想世界に居続けたいと思っている。それが、今時の考え方なのだ。
そして、チャケンダ。
俺は奴のことを心の底から嫌っていた。
しかし、俺は理解してしまった。
奴が何をしたいのか。奴がなすことに、どのような意味があるのか。
奴の選択は正義ではないが、人類が未来に行い続ける悪行を抑える、効果的な手段だ。
青い髪のハッカーは、人類の運命に抗い、その業を払拭せんとしているのだ。
今。
保全機能が計画している、移動手段切り替えを契機に、人類の思想はマァク陣営とチャケンダ陣営、真っ二つに分かれた。
細かい事はさておき、先ずは「新しい惑星に行く」か「仮想世界に残る」かを決める。
地球を食い尽くし唯一生き残った罪深い種として、今こそ許されざる俺達の総意を決めるときだ。
その決議の手段は投票によらない。
支持率は二人の間を行ったり来たりで、今はマァクが優勢。
いま投票をすれば、マァクが勝つだろう。
だが投票はしないのだ。
俺は、些末なことでころころと心変わりする大衆を見て、投票は無意味だと信じた。
多数の意見は移ろいやすく、あてにならず、意味をなさない。
そして俺は、立場上マァクの側につくが、チャケンダに滅ぼされ、ある意味奴の大成を祈願する人柱になってやってもよいと考えている。
今求められている資質は、間違いなく強さだ。
力を示した方が2310名を一つに束ね、未来に進める。
人類の未来を決める権利を勝ち取り、義務を背負う。
新たな時代のリーダーに課せられた、そういう試練。
だから、俺達は戦わなければいけないのだ。
一つだけ訂正しよう。
残された人類は2310名ではなく、2309名だ。
コジェヌという少年が、この仮想世界から永遠にいなくなった。
彼は人類の幸福を願っていた。どうしたら2310名全員が幸せになれるのかを考えていた。
もし、彼に死に値する罪があるとすれば、それは怠惰だ。
彼は生きると云う苦行から集団逃亡を計ろうとしたのだ。
怠惰の罪を差っ引いても、あの死に様は哀れだ。
可愛らしいレンガ造りの家が立ち並ぶ世界。
満身創痍のチャケンダをかばって、シシスカンとの間に割って入った俺。
痛みに苦しむ姿が不憫で、シシスカンのへそに刺した袖搦を引き抜いてやった。
朦朧としていた脳みその焦点が合うなり、彼女は再び俺に襲い掛かってきた。
途切れ目の無い猛攻を、俺は袖搦で左右に弾き飛ばす。
それがあんまりしつこいので、俺は彼女の攻撃をまともに食らいながら前進し、彼女の心臓に袖搦を突き立てた。
「ぐっ!!」
苦戦する大女にチャケンダが叫ぶ。
「今からでも遅くはない!ぼくのところに来るのだ!君はまだ強くなれる!!」
「うっせーよ!くそハッカー!はよ帰れ!あとシシスカン。頭を冷やしてやつを見ろ。今一度言うぞ。あれだけずたずたにしてやったのだ、もう、気がすんだろう?」
「アンタ!なにしてんのよ!」
イェトさんが俺をボコりに飛んでくる。
まずいな。イェトさんが相手じゃ俺に勝ち目はない。俺にとって絶対的に相性が悪い相手、それはイェトだ。いや、イェトもお花畑の化け物だけどさ…袖搦の力を借りてもなっていうかだな…ありゃあ別モノなんだよ。イェトって云うめったやたらな生命体だから。
彼女は俺が持っていないものを持ち、俺には逆立ちしても出来ないことを、当たり前にやって見せる。だから、俺の相棒として白羽の矢が立ったのだ。敵にまわしてはならぬという意味込みでな。
迫りくるイェトさんに、俺の冷汗は出るを惜しまない。
だが、飛んできたのはイェトさんだけではない。俺の親友もだ。デュフフ。
コの字が俺をかばう。愛してるぜ親友。
「ちょっ!コンスース!アンタまで!?」
「ニカイーの意見はぼくの意見だ。今回の場合はね。」
コンスースが相手となると、イェトさんも容易には突破できない。
コの字のスーツは生半可な攻撃ではびくともしない上に、彼の攻撃はかすっただけでも大きなダメージを与える。
イェトですら、容易に接近できない。
「チャケンダ、早く逃げてくれ。別な日に改めて勝負だ。」
コの字の柔らかい声に促されて、虫の息となった始まりの化け物は、床を這って行く。
足は大女に潰されていて、まともに歩けないのだ。
「くそっ!物理層最強の私が、なぜこの馬鹿を圧倒できない!?」
袖搦がもたらす痛みに苦しむシシスカン。
そんなに知りたければ教えてやる。
「袖搦が有るからさ。こいつの前では全ての化け物が悲鳴を上げる。たとえ物理層最強でもだ。」あ、イェトさんは除くけど。
つか、物理層最強を圧倒する俺、かっこよくね?やばくね?
「おのれっ!!」
ガテン系の大女はしぶとく抵抗を続ける。
「狂犬だな。もういっそのことROM化しちまうしかないか?」
どうせお花畑の化け物は、全員ROM化せねばならぬのだ。イェトやコの字も含めてな。じゃ、そうしちゃおっと。では早速と、セカンダリに視線をくれて呼んだ。彼女は袖搦を担いで、チョコチョコとやって来る。
俺が袖搦に力を加えようとしたとき、マァクが静々とやってきて、苦しむシシスカンの肩を抱いた。そして俺にうったえる。
「この子は見逃してあげてください。」
俺は表情に難色を示しつつため息。
「マァクの頼みなら断れねーな。けど、チャケンダが逃げ切るまで待ってくれ。」
奴はまだ地べたを無様に這っている。
奴がダメージの回復にこれほど時間を要するとは。シシスカン。やはり、最強を名乗るだけはある。
俺が戦ったシシスカンは、本当に全力だったのだろうか?圧倒的な力を持つが故の心の隙は無かったろうか?そのような疑問すら頭に浮かぶ。
チャケンダの言葉を信じるなら、彼女にはさらに強くなる余地がある。
俺たちの御旗はマァクだから、どうしてもと願われれば彼女を立てるが、やはりこの大女は早期にROM化してしまいたい。危険な匂いがする。
さて、マァクがイマルスに攻撃中止の指示を出してくれたようだ。
間もなくニューオンとマオカルがやってきて、チャケンダを助け起こした。
チャケンダは二人を連れて、この世界を去った。
「さぁ、もういいでしょう。この子を放してあげて。」
マァクが俺に詰め寄る。
そう、むきになって迫らなくても、そのつもりだ。
俺は袖搦を引き抜いてやった。
「ぐはあっ!!」
あんまり大量の血を吐くので、大袈裟だなぁと思ったが、化け物のレベルに比例して、袖搦のダメージは大きくなるらしい。彼女は最強の化け物だから、最狂の苦痛を味わっていたわけだ。そいつぁ、悪かった。
膝をついてしまったシシスカンをマァクが「一緒に帰りましょう。」と誘う。
オレンジ色のつなぎを血で汚した大女は俺をにらみつけ、「お前たちと一緒はこりごりだ。」と吐き捨て、チャンネルを切り替える手続きを始めた。
彼女の怒りに血走る瞳が、チャケンダの首を取り損ねてどれだけ悔しかったかを物語る。
彼女は一人でチャケンダを追う気だ。
マァクが「わたし達の傘から出ないで。チャケンダに利用されるだけよ。」と説得する。
シシスカンは跳躍して屋根の上から俺たちを見下ろす。
「お前たちと居ても、お前たちに利用されるだけだ。」
「それは絶対にないわ。私を信じて。」
マァクの心からの言葉すら彼女には届かず、大柄で頑固な立ち姿は俺たちの前から姿を消してしまった。
コンスースの特殊スーツがアタッシュケースの形に戻っていく。
「ニカイー。君は女性の扱いが下手だね。」
コの字はまじめな顔をしてそうぼやいた。
親友よ、大女を逃がしたのは俺のせいだと言っているのか?
イェトさんがすたすたとやってきて、俺の後ろ頭をはたいた。
「折角、シシスカンの信頼を得かかっていたのに。」
やっぱり、俺のせいだと言っているのか!
「それは悪かったよ。」
皆が睨むので謝ってみた。
「本当にそう思ってる?随分とさっぱりした顔をしているけれど。」
さっぱりした顔は当然だ。迷いが吹っ切れ、俺はこの場に居る。すがすがしい気持ちでイェト達のところに戻ってこれた。
「次の戦いはちょいと派手になる。人類がマァクについていくか、チャケンダについていくか。勝っても負けてもいい。負けた場合はせいぜい俺が殺されるくらいだ。どうせ地球で一度失った命だ、惜しくはない。気楽なものさ。」
イェトさんが俺の股間を蹴り上げた。
俺は両手で股間を抑えて膝を屈し、苦しみにピョンピョンと跳ねる。
「わたしは負けるのが大嫌いなの。知っているでしょう?戦うなら絶対に勝つわよ。」
マァクは彼女のデリンジャーを取り出した。
「次の戦いでは、この呪いの力が必要になるわ。急いで、この銃を修理しないと。」
チャケンダは新しい隠れ家で、パーフルオロカーボンで満たされた浴槽に沈められていた。
浴槽の脇にはポンプがあり、液体中に空気を供給する。
この仮想世界はエーテルで出来ており、傷の復旧もエーテルで行う。
そしてエーテルの密度は、一般的に気体より液体のほうが高い。
だから、チャケンダは液体の中で回復を急いでいるのだ。
それ程、シシスカンに受けたダメージは厄介で深刻だともいえる。
チャケンダはニューオンにメッセージを送る。
『次の戦いで敗北は許されない。われらが線をひた設計図が実現するか、ゴミ箱行きになるか。それが決定する。』
「はい。」
『作戦が必要だ。必勝の策。犠牲を恐れない。手段を選ばない。感情に揺るがない。』
「はい。」
『チョリソーとオウフを呼んでくれるかな?彼女たちの協力が不可欠だ。』
ニューオンは二人にメッセージを送り、二人を目立たぬよう隠れ家に連れてくるために、その世界のエントリーポイントに向かった。
翌日。
ニューオンは黒羊の元になるテニスボール大の球体に、記入済みの婚姻届を食わせている。十個の球体は牙をむいて、バリバリと婚姻届けをかじった。
「残さず食べるのよ。あなたたちを理想的な色男にしてあげるわ。」
マオカルは4機のボディーダブルを操作するために、肉体を4体に分ける訓練をしている。
体がエーテルで出来ている仮想世界ならではの技。
彼の体重は90kgなので、分割後は1体22.5kg。筋骨隆々の彼でも、ここまで希薄になると、動きにキレがない。それは、彼の動きに連動するボディーダブルの戦力の低下に帰結する。
「3体が限界なのか…」
3体ではコンスースに勝てなかった。3体ではダメなのだ。
行き詰っているマオカルにチャケンダが声を掛ける。
「一時的に、君のエーテルの密度を高める必要があるね。」
「可能でしょうか?」
「うーん…無理かな。」
青い髪を揺らして、ケラケラと笑う。
戦場で英雄と呼ばれた男は顔を結んで、いかんともしがたい難題の前に立ち尽くしている。
「マオカル」
「Yes, Sir.」
「君は目的地に車を走らせるとき、ハイウェイしか使わないのかい?」
「No, Sir.」
「今、ハイウェイは大渋滞だ。裏道を探すべきだね。」
「Yes, Sir.」
「そうだ。外骨格でアシストしてはどうだろうか?」
マオカルのため息。
「外骨格の類は安全のため、早い動きや不安定な姿勢が出来無い様になっています。戦闘には使えません。」
「あははは。」
英雄の顔にかかった暗雲を、ルール破りのハッカーが笑い飛ばす。
「それを何とかできるハッカーがここに居るじゃないか。」
チャケンダは自分を指さした。
「ROMはカリッカリにチューンしてあげるよ。ブレイクダンスでも踊るといい。」
改造外骨格を用いて、分身で馬力を失った肉体に、戦士としてのキレを与える。
それならば行ける!
マオカルの前に活路が開けた。
勝利の片鱗が見えた。
それに手を伸ばすは、コンスースへの意地か勝利への渇望か…彼は、もうひと押しを望んだ。
「では、外骨格は5機ご用意願えますか?」
「5機のボディーダブルの同時運用か。君の精神が持つかな?」
「10分だけ持てば十分。後は永遠に心を失ってもかまいません。」
その言葉を聞いて、チャケンダ自身も決意を新たにした。
奴は俺との戦いで死を覚悟している。
それと同時に、全ての悪行は己が成さなければいけない。全てを成し遂げるまでは死ねないとも考えている。
彼は他のどの化け物よりも、保全機能に近い存在なのだ。
だから他の誰でもない、悪の看板は自分が背負わなければいけないと自覚していた。クソで汚れるのは自分の名だけで十分だと。
全ての業と悪事の責任は自分の背にだけ背負い、自分一人でその責任をとらなければいけない。
そういう覚悟を決めていた。
だから、昨日はジェジーの策略で奇襲を受け、逃げる隙さえなくシシスカンに追い詰められ、肝が冷えた。
彼は自分に課した責任から逃げるつもりはない。
その上で、次の負けが許されない戦いでは、自分の身も危険にさらして賭けに出ざるを得ない。
前置きが長くなったがつまり…
チャケンダは、いよいよ自分の体にメスを入れる決心をした。
自らも改造をして、強力な兵器と化す。そうしなければ、力の天秤を自分達の方へ傾けることはできない。責任の大きさに由来する重圧によって奴は、その様に自らを脅迫し追い詰めていた。むせるほどの息苦しさを味わっていた。
だが、それでもまだ、俺達には敵わないのではないかと、不安ばかりが膨れ上がる。それは、暗闇に潜む居やしない幻の幽霊。闇を恐れる者にだけ、見えてしまう。きっと百万の精鋭を得ても、論理層の化け物に薙ぎ払われると考えるだろう。もはやノイローゼに近い。
俺たちに勝っても、まだ奴には保全機能との戦いが待っている。先は見えず、気を張っていないと心は退路に逃げ込む。こんな苦しい事、止めようと思えばいつでも止められる。退路が無ければ心は揺るがない。退路という誘惑があるからより苦しいのだ。
心の奥底から、ささやく声が聞こえるのだ。
悲しいかな、悪知恵だけが心の救い。
”ケチェとシシスカンを利用しろ。”
心の声よ、その通りだ。束ねるべきは素手で簡単に折れる矢ではない。一騎当千の戦闘機械が束になって、人類の明日をかけた一戦に臨むのだ。
彼は己の心の声に従った。
ニューオンは明日に民を導くため、彼女であるまま生き残ってもらう。
他の全員は明日に民を押し出す為、命を捨てていただく。
捨て駒にして心が痛まないのは、ケチェ、シシスカン、そしてヒエレの三人。
先ずはROM化されていて、容易に手駒にできる、ケチェとヒエレの回収だ。
回収に向かう前に、あの男に話を通しておかねばならぬ。
奴は、音声データ回線の接続要求を投げた。
「ニカイー」
『なんだ、もう命乞いか?』
「ふふふ。相変わらず冗談がきつい。」
『他に用事があるのか?』
「ROM化されている仲間を2人解放したいんだ。」
『ケチェか?』
「ああ。」
『弱いとは言わないが、イェトさんの丁度いいサンドバッグだぞ。』
「魔法の薬があるのさ。」
『分かった。化け物の反応を二つだけ見逃せばいいんだな。』
「ああ。約束したよ。」
『チャケンダ』
「なんだい?」
『魔法の薬に毒が入っていないことを祈るよ。』
「…」
毒をくらわずして勝てる相手ならば世話はない。奴は苦虫を噛み潰したような顔で回線を切った。
ニューオンを伴って出立。
ケチェを回収後、ガーウィスの世界に向かう。
いない。
そこにROM化されている筈の首だけドラゴンが居ない。
いや、コジェヌを使って論理層から脱獄の処理を行ったから、おそらく人間の姿でROM化されている筈。
どちらにせよ居ない。
過去の慣例に習って、お花畑の化物本人の世界に移設されたのかと思ったが、ヒエレ本人の世界にも居ない。
ヒエレは今、彼が先生と呼ぶエリヒュの世界に居る。
そのいきさつを知らないチャケンダは、彼が俺たちの戦力として利用されている可能性を恐れた。
奴の頭の中にある力の天秤が、再び俺たちの方へ傾く。
眩暈がして、息は詰まる。
ニューオンがチャケンダの両手を握り、視線を合わせる。
「少し、力を抜いてください。その様な状態では、戦う前に負けております。」
「ああ、だが、全てぼくの背にあるのだ。未来の生贄にされる何百、何千兆と云う命が。それが重いのだ。」
ニューオンは手を強く握りなおし、涙を悟られぬよう、おでこを男の胸に押し付けた。
「もし、一人で背負いきれないなら、今すぐ敗北宣言をして、ニカイーにその首を差し出してください。」
顔を隠しても、小刻みに振るえる肩が涙の存在を告げる。
彼女が涙するほど苦しんでくれたおかげで、ふと、気が楽になった。
始まりの化け物は頬をさすりながらケラケラと笑う。
「君こそ気負いすぎじゃあないかな。激しい感情に力を使い果たして、決戦を前に燃え尽きるかも。」
「お互い様です。」
瞬間とも言えるわずかな時間で、気のせいとも思ったが、彼女は彼に確かにキスをした。
そのとき、二人にあるうわさが流れているという情報が飛んできた。
”チャケンダが恐怖の化け物シシスカンを打ち倒した。お花畑の化け物は彼によって統制されている。”──そういう噂だ。
大衆のチャケンダ離れが加速する中、危機感を抱いた彼の信者がその場しのぎに流したデマのようだ。
この様な見え透いた嘘はすぐにばれる。恥をかき、始まりの化け物の名は失墜するだろう。奴はその名にかけて、事実とは異なるデマを訂正しなければならない。
なにせシシスカンはぴんぴんしている。彼女が出てきたら…
まてよ…
チャケンダは考える。
「このデマを使って、シシスカンをおびき出そう。マァクの目を盗んで、どうやって彼女を捕らえるか、それが問題だったんだ。」
チャケンダは、脳をハッキングされ彼の操り人形と化したケチェに、ライブ動画を配信させた。
彼は彼の世界の壇上で、高々と両腕を上げて、自分の体の隅々までレンズに映させてその映像を配信する。
「──
見たまえ。私は人間だ。
よく見るがいい。私は人間だ。
お花畑の化け物とは程遠い、人の姿をしている。
そして、私が誰かを侵食して化け物にしてしまうことはない。
安全な存在だ。
シシスカンという狂人を恐れる必要はない。
我々にはチャケンダがいる。
心優しきお花畑の化け物の中で、シシスカンだけが唯一の例外だった。汚点であった。
だが、我々にはチャケンダがいる。
我々の理想に例外などあってはならない。
…
…
──」
シシスカンを煽るケチェの動画配信は続く。
その壇上の裏手で、チャケンダたちが念押しの打ち合わせをしている。
「判っているね。一瞬で勝負を決めるよ。シシスカンが現れた瞬間、マァクはこの世界にニカイーたちを送り込む。」
「シシスカンは来るでしょうか?」
「来るね。ああ、きっと来るさ。」
チャケンダはこぶしを握り締め、壇上のケチェに更に強烈な煽り文句を言わせる。
「あの大女をいぶりだして見せる!」
その気迫が、彼女を呼んだ。
…あのガテン系は、俺より馬鹿な子なのか?
「私はここに居るぞ!ほら吹きめが!」
果たしてシシスカンは壇上に現れた。
飛んで火にいる夏の虫。
ケチェの左腕が黒羊のごとき鋼鉄の巨大な剛腕に変化し、シシスカンの上半身を鷲掴みにする。
「こんなもの!」
大女は力任せに鋼鉄の指を引き千切らんとする。
それでいい。
ケチェは彼女をおびき寄せる餌であり、チャケンダ達が飛び出すまでの時間稼ぎだ。
マオカルが操る3体のボディーダブルと、ニューオンが操る4体のマッチョ野郎型黒羊が、ビーチボールで遊ぶように、シシスカンを丸く囲んで殴り飛ばし続けた。
「ぐああっ!!つまらぬ攻撃をっ!!」
屈強な大女が体勢を立て直す直前。
彼女も単純な女だからな。
自身の怒りで、近付く一人の青年など見えていない。
彼女の視界の外からチャケンダは近接し、彼女の首に右手の指4本を突き立てた。
大女はスイッチが切れたように、ガクンと膝をつく。
そしてチャケンダはすぐさま左腕を伸ばし、ニューオン、マオカルそしてケチェ3人に腕を握らせ、ケチェの世界を去った。
遅れること数秒。
イマルスとナイアラがケチェの世界に現れた。
「やられたな…」
無人の壇上が忌々しい。
シシスカンを奪われ、尚且つ、チャケンダがシシスカンを制したという実績を作ってしまった。
翌日、チャケンダは彼とケチェとシシスカンが笑顔で手を重ねている動画を配信した。
「──
今!
誤解は消え、
すべての問題は解決し、
お互いの協力を誓い合い、
我々は一枚の割ることが不可能な岩盤となった。
きっとニカイーを打ち破り、保全機能からこの仮想世界の実権を奪い取る。常春は君たちのものだ。
──」
ケチェが操られるままに、輝ける明日をうたい上げた。
動画が終了した直後、俺とマァクあてに、差出人不明のメッセージが飛んできた。
”明日の午前10時に、チャケンダの世界で待つ。”
お、いよいよか。俺が戦いを心待ちにするなんて、これが最初で最後だ。
未来を切り開く力を有するのは、マァクかチャケンダか?
俺なら、そうだな──
「なーぁに、にやけてんのよ。」
イェトさんがカウンター越しに、俺の頭をトレイでぺしぺしと叩く。
「え?俺、にやけてるか?」
イェトさんは俺を正面から見て、その画像、つまり俺の顔近影を俺に送信。
確かに、にやけている。
「いや、チャケンダはやる気満々だなと思ってなぁ。いい感じじゃあないか。」
「アンタのやる気はどうなのよ?」
「ん?まぁ、ボチボチって処だな。」
動画を見ながら、欠伸をかます俺。
イェトさんが俺の頭をトレイの縁でべっきべきと叩く。
「いたい!いたい!わーってる!ちゃんと全力出すから!!」
ジェジーとマァクが明日に備えて作戦会議を始めた。
盗聴などを嫌って、イマルスとナイアラが店の外で警戒をしている。
だからなんで重要なことを、パン屋で話し合うんだよ。
でさ、あの二人組さ、客を外で追い返してるよね?営業妨害なんだが。
「君は、あてにしていいのかい?」
ジェジーがツイカウに答えを求める。
「ああ。だが、ぼくの相手はチョリソーとオウフだ。」
「そうか…ではもう一人必要だね。君の相方は誰がいいかな。希望はあるかい?」
決戦の相手に恋人を選んだ男は首を横に振る。
「一人でいい。」
「相手は攻防一体のチョリソーとオウフだぞ。勝ち目はない。作戦立案担当としては認められないね。」
「二人のことは誰よりも知って居る。」
「チョリソーの攻撃力とオウフの防御力に付け入る隙は無いって事をかい?」
「コンスースの技術が力になってくれる。二人との決着はぼくに任せてくれ。」
「君の覚悟なんて知らないよ。勝てるか勝てないかだ。策はあるのかい?」
再戦の機会なんて無い重要な一戦ともなれば、ジェジーの追及は厳しい。
ツイカウのため息。愛する者を打ち倒す方法を口にしなければならない。
「オウフの能力には弱点がある。コンスースに改造をしてもらった鎧なら、オウフを倒せる。チョリソーは、防御力の差でぼくの勝ちだ。」
戦略家はしばし思案する。
「分かった。二人は君一人に任せよう。」
少し間を開けて、再びジェジーがツイカウに語り掛ける。
「ツイカウ。」
「ん?」
「辛いな。」これは戦略家としてではなく、人としての言葉。
「ぼくは彼女を諦めてはいない。」これは戦士ではなく、男としての言葉。
進化派代表のツワルジニ(トポルコフが化けた偽物)は、副代表のッタイクに「次の決戦には関わるな。」と釘をさした。
マァク側の戦力として、マオカルあたりをフルボッコにしてやるつもりだった彼女は、がっくりと肩を落とす。殺る気満々だったのに。
「どちらが勝つか分からぬ。もし、負けた側にいたら立場が悪くなる。戦いに参加しなければ負けは無い。負けさえしなければ面目は保てる。」
実にトポルコフらしい、へっぴり腰で矮小な考えだ。
だが、
「解りました。」
そう言って従うしかない。
偽ツワルジニの目の前で、マァクに戦いに参加できぬ旨連絡をする。
ジェジーも近接戦闘の要として彼女を当て込んでいたので、不参加の知らせを聞いたときは苦い顔をした。
作戦会議の後、ジェジーが夜なべをして、マァクのデリンジャーを修理している。
で、寝ていた俺が起こされた。
「夜遅くに済まない。接点に頼みごとがあるんだ。」
「ん?俺のほうから接点に連絡をとる方法は無いぞ。」
ジェジーは俺のわきの下あたりを、ちょんちょんと指さす。
「あー。ならば直接言え。返事は聞いてやる。」
俺はわきの下にへばりついて、腰をヘコヘコしていたプライマリを引っぺがして、ジェジーの眼前に突き出した。
「マァク様を論理層に送って欲しい。彼女のデリンジャーを修理したいんだ。」
プライマリの返事はOK。
マァクは一階の店内にいるそうだ。
プライマリと一緒に一階に行こうとしたジェジーを、俺が止めた。
マァクを論理層に送るためには、プライマリが人前で声を発さなければならぬ。
ジェジーに、接点の声を聴くことは許されていないはずだ。
「理由は話せないが、二人きりにしておけ。」
「そうかい。マァク様の能力はここ一番の切り札だ。是非とも明日の決戦までにデリンジャーを修理しておきたいんだ。彼女の能力は物理層では小さな銃でしかないが、論理層では複雑かつ大掛かりなからくりでね。ぼくが見たところ、ポート割り当てのあたりに問題がありそうなんだ。だが話は簡単で…おや、ニカイー…寝てしまったのかい。」
俺は寝言で「人類の言葉で頼む。」とつぶやいた。
翌朝、俺はいつものように4時過ぎに起きて、俺の体側にへばりついていたプライマリをシーツでくるんで堅結びにし、2階の窓から庭に放り投げた。2階の洗面所で顔を洗ってから、パンを焼くために1階に下りて行った。
入り口付近の二人掛けのテーブルで、マァクのデリンジャーを前にジェジーが考え込んでいる。
「おはようジェジー。その顔から察するに、徹夜かい?」
ジェジーのため息。
「修理は完ぺきなのに、能力が発動しないんだ。」
「ああ、そう云うもんだ。高性能なメカニズムは必ず難しい問題を抱えている。だから、なんでも簡単な方がいいのさ。例えばパンは手作りが一番だ。」
俺は鼻歌を歌いながら、パン生地をこねだした。
6時過ぎにイェトさんが2階から降りてきた。
俺は無言でカウンターの上に出来立てのドーナッツと紅茶を置いた。
彼女はドーナッツの山をあっという間に平らげた後、裏庭にトレーニングに行ってしまった。
7時前にコンスースとツイカウがやってきた。
俺はジェジーも含めた3人分のプレートを用意する。
チョリソーとオウフが居ない以外、いつも通りにもほどがある。穏やかな日常だ。
本当に今日は決戦の日なのだろうか?残された人類のゆく道を決める日なのだろうか?
マァクたち3人は8時きっかりにやってきた。
「何か飲むかい?」
「では、ハーブティーを。」
ジェジーが彼女のデリンジャーをもって、彼女が座ったテーブルに向かった。
「今日の決戦はぼくも同行いたします。戦力としてではなく、このデリンジャーを何とかするためです。マァク様の能力が必要になる、その時までには、きっと動かして見せます。」
店のドアが勢いよく空き、ちいさなエリヒュちゃんが駆け込んできた。そして、ツイカウの腕に抱きついた。
「わたしも戦うわ!チョリソー姉さんに間違った道を歩かせるわけにはいかないもの!」
心意気は見上げたものだが、エリヒュちゃんは戦力的にマイナスだろうが。
だがツイカウは「ああ、あの二人の人生に、一点の汚点だってあってはいけない。一緒に彼女たちを連れ戻そう。」と、彼女の小さな手を握った。
チョリソーとオウフの相手は自分一人だと強弁に主張していたツイカウが、三人だけの世界にエリヒュちゃんの存在を認めた。
少女のチョリソーへの思いに共感したのだろうか?
攻撃のチョリソーと防御のオウフ。これに一人で立ち向かおうってだけで厄介なのに、足手まといが居ては輪をかけて勝ち目がない。
俺は少女がツイカウの負担になると考え、「エリヒュ。ヒエレの方はいいのか?」と、少女を追い払う為のこざかしい質問をした。
「ヒエレはもう大丈夫。わたしの世界で大人しくしているわ。」
ぬうっ。
ヒエレめ。もうちょっとむずがって、エリヒュちゃんの手間になっていてくれればよかったのに。
続けてガーウィスが、組みあがったばかりのマイクロ10を伴って現れた。
「わしは戦力にならぬで同行できないが、代わりにマイクロ10が戦う。連れて行ってやってくれ。」
飛び入りの助っ人は、更に続く。
もう一人。最後の一人。赤黒い仮面で顔を隠した、忍者装束の巨乳の少女がやってきた。
「儀により、私も共に戦います。」
「おお、ッタイク!来れるようになったのか。お前がいると心強いぞ。」
俺はぶんぶんと袖搦を振って出迎えた。
だが彼女は、ツーンとそっぽを向いている。
「ッタイク?それはどなたでしょうか?私は仮面のくノ一クロカゲです。」
顔を隠して巨乳隠さず。
あの質量を隠しようがない訳だが。
巨乳でバレバレですよ。
まぁ、いーけど。
皆、彼女をクロカゲと呼称することで合意した。
ジェジーが大急ぎで作戦を練り直す。
10時15分前、俺たちはチャケンダの世界にチャンネルを切り替えた。
俺たちがチャケンダの世界に到着するなり、千発の榴弾が飛んできた。
「おお、お前が言った通りだったな。」
「だろう。」
ジェジーは眼鏡をくいっと指で押し上げた。
俺達はあらかじめ、コンスース、イェト、そしてイマルスを先頭に配置して、エントリーポイントに現れた。
コンスースが真ん中で、右にイェトさん、左にイマルス。
無論、ジェジーの策だ。
イェトさんが札で、イマルスが雑草の壁で榴弾を迎撃する。
それでも落とし損ねたやつはコンスースが引き受ける。
コの字の特殊スーツは榴弾ごときではビクともしないからな。
俺はコの字の後ろからチャケンダに向かって「まだ、10時前だぞ。」と皮肉った。
奴の世界は、虚無の地平線に溢れんばかりの椿の花が密生し、虚無の空間にも椿の花びらが舞っている。
花びらにチラチラと隠れながら、遠く…遠くに奴の姿が見えている。
奴は「10時まで攻撃をしてはいけないとは言っていないよ。」などとしれっと言いやがって微笑む。
「気を緩めないで。陣形を変えて、前進!」
マァクの号令でイェトさんとイマルスが下がり、集団の右にナイアラ、左にマイクロ10が出る。
そしてコンスースを先頭に前進。
作戦の立案はジェジーが適任だが、現場の指揮はマァクの方が上手い。
指示を出すタイミングや臨機応変さ、細かい心配りなど、あらゆる面で優れている。
ナイアラがスリングショットで卵を3つ打ち出した。卵は3羽のフクロウになって3手に分かれて、飛んでいく。
左側に飛んだフクロウが騒ぎ出す。
マイクロ10がフロントカメラのレンズを望遠に変えた。
チャケンダの世界は桁違いに広い。
一辺が10km以上あり、少しずつだが今なお拡大をし続けている。
600m先。
黒羊の頭の上で、対物ライフルを構えているボディーダブルを発見。
「赤警告です。」
マイクロ10の全身の模様が赤色に変わった。
「10時の方向に敵有。戦闘モードに遷移します。」
6つのカメラがとらえた画像を分析。
「例外を投げて、緊急処理を開始します。以降、予告なく作戦行動をする場合があります。ご注意ください。」
ボディーダブルの対物ライフルから、直径1インチの銃弾が発射された。
マイクロ10はバックパックに取り付けられている怪力破壊銃を手にして引き金を引いた。
ズダダダン!!
マイクロ10専用重火器怪力破壊銃はいわゆる3点バーストで、引き金を引くと、三発だけ発射される。
しかもマズルスパークが派手でしょうがない。
2回、3回と引き金を引く。
果たして1インチ弾は俺たちに届くことなく撃ち落されたのだ。
いや、一発だけ撃ち漏らしている。
ガチン!!
マイクロ10が最後の一発を指でつまんで止めた。
そしてしげしげと眺め、足元に置いた。
どうやら観察するために、わざと一発撃ち漏らしたようだ。
「これまたお前の策通りだったな。」
俺は、ジェジーの胸をはたいた。
<※ジェジーです。全身ギークスアウトフィットできめているという設定。>
「屋根の上にはスナイパー。地面の上には死体。それが戦場さ。」
一切戦わないくせに知った口を聞くが、彼だから許される。
「ここからよ。手順は頭に入っているわね。」
マァクの気品ある声で太く轟く檄。皆、気合が入る。
右側を索敵していたフクロウが、ナイアラを呼びに戻ってきた。
そう、俺たちの先鋒はナイアラだ。
「本当に、一人で大丈夫か。」
イマルスが彼女を心配する。
「おくのてがあるから」
などと声は脱力感たっぷりなのだが、表情は緊張して引き攣って居る。
決して大丈夫ではない。
無茶をしてやろうというのだ。
「まぁくさま。まんがいちのときはおねがいします」
口下手な女の子は、フクロウに導かれて、走って行く。
「次は私だな。」
イマルスが集団の右手に移動した。
2羽のフクロウが、彼女の相手を探す。
ジェジーの作戦によれば、二番手はイマルスだ。
しかし────
「オーーォワーーーーフィッッ!!」
突然、ツイカウが自分を抑えきれず飛び出してしまった。
オウフの姿を見つけたようだ。
彼女の名を呼んだようだが、興奮しすぎて、最早人語になっていない。
エリヒュもついていってしまった。
しかし、フクロウに反応はない。
マァクは罠だと感づきツイカウを呼び止めるが、愛するオウフを思うツイカウに、その声は届かない。
やられた。
精神的に一番脆いところをチャケンダに突かれた。
だが、こういう時こそ、指揮官の腕が試される。
「ッタイクさん。」
マァクが声をかけたにもかかわらず、ッタイクはそっぽを向いている。
「クロカゲさん。」
今度は、マァクの呼びかけに「なんでござるか?」と応えた。
急に”ござる”キャラになるなよ。
「ツイカウを追ってください。おそらく罠です。」
「承知いたした。」
ナイアラは自分が倒すべき相手、シシスカンにたどり着いた。
チャケンダは禁断の改造をした彼女を俺にぶつけるつもりだったので、2kmも離れた場所に隠すように配置していた。
この配置はジェジーの読み通りで、きっと単独で控えている筈だから、一対一の対決に持ち込めるという算段なのだ。
物理層最強の彼女を誰が抑えるかは問題になったが、なんといつもイマルスの後ろで押し黙っているナイアラが手を挙げた。
彼女はこの人類の未来を掛けた決戦で、出し惜しみは許されないことを理解していた。
彼女には前回の戦いの窮地でも使用をためらった奥の手があった。
シシスカンは大柄な体のせいもあるが、ナイアラを見下して「最強の私をお前ひとりで?笑わせるな。」と遺憾の表情すら見せた。
チャケンダに操られていても、シシスカンはシシスカン。性根は変わらない。
ナイアラの目は怯えていた。
「たしかに、このじだいではさいきょう」
「フン!」自信過剰の大女は、一々力が抜けるイマルスに、帰れと言わんばかりだ。
「でも、あーたよりつよいせいぶつがいたじだいがある」
「はぁ!?」
ナイアラはこれから自らが行うことに怯えていた。
「まぁくさま。きっと、きっとたすけて、、」
「戦う前から命乞いか。」
物理層最強…ただし現代…は舌ったらずな彼女を見下すあまり、彼女の変化に気付かなかった。
ナイアラは全身をぶるぶると震わせ、その表情は目をぎらつかせて獣のよう。
「キギャアアアアァァァッッッ!!!!」
彼女は、人が発したとは思えない金切り声を上げた。
「なっ!!」
その雄たけびは、シシスカンでさえ圧倒した。
ナイアラは大きな卵をいくつも取り出して、地面に投げつけた。あるいは上空に投げた。
卵から現れたのは中生代の恐竜たち。
空にはケツァルコアトルス×3。
陸にはギガノトサウルス×3、アロサウルス×1、そしてモノロフォサウルス×4。
ナイアラは自身の精神を過去の時代に同調させることで、その時代の生物を呼び出せる。
しかし、それは彼女から現代の人間の知性が失われるということでもある。
ナイアラはこの奥の手で、自分が自分でなくなってしまうことを恐れていた。
シシスカンの前。
椿の花吹雪の向こうに、血に飢えた中生代が居る。
「があるああああっっ!!!!」
獰猛な恐竜に先んじて、目を血走らせたナイアラが獣人の様に走り、シシスカンの首筋にかみついた。
「ぐるああぁぁぁっっ!!!!」
野獣と化したナイアラは、シシスカンの首の肉を食いちぎった。
ナイアラの雄たけびは、2km離れた俺達にも聞こえていた。
「ナイアラ…始めたようだな。」
イマルスの表情が曇る。
「え?あれ、ナイアラの声なんか??」
驚く俺に、彼女は黙って頷いた。
「ツイカウといいナイアラといい、テンション高すぎだろ。」
「ジェジー。私のデリンジャーは直りそうですか?」
「直ってはいる筈なんですが…何が原因なのか?その…気が付けば簡単な話だと思います。」
「頼みましたよ。ナイアラとシシスカンのために。」
椿の花びらをかき分けて走るツイカウとエリヒュ。
「左から装填音!!」
聴覚に優れるッタイクが対物ライフルの存在に気付いて叫んだ。
きっと、マオカルが操るボディーダブルだ。
ツイカウは左腕にガントレットを装着。
青白い炎で1インチ弾を蒸発させた。
「いけない!四方を囲まれている!!」
ッタイクの警告を聞いて、ツイカウは右腕にもガントレットを装着。
1インチ弾2発を蒸発させた。
ッタイクも両手にウェットティッシュのプラボトルを持ち、1発は防いだ。
だが、これが屈強な男子であるツイカウと、女の子ッタイクの体格、腕の長さの違いで、最後の1発はわずかに軌道をそらすにとどまった。
「クっ!」
彼女は口惜し気に銃弾を見送る。
その1発がエリヒュちゃんのわきをかすめていく。
小さな少女の軽い体躯は、その程度でも簡単に吹き飛ばされてしまう。
「エリヒュ!」
ツイカウが駆け寄る。
少女の横っ腹から赤い血がどぷどぷと流れ出ている。
血の赤と椿の赤が小さな少女を彩る。
「これはいけない。早くこの世界から離脱するんだ!」
その間にも1インチ弾は飛来するため、その迎撃をせねばならず、ツイカウもッタイクもエリヒュを手当てしてやれない。
「でも、わたしはチョリソー姉さまを…」
「それはぼくに任せておけ。早く安全な世界に移動して傷を治すんだ!」
「ううっ、」
足手まといを自覚する。
エリヒュは悔しそうにチャンネルを切り替える手続きを始めた。
そして、敬愛するチョリソーがいる筈の、このチャケンダの世界を去る間際に「絶対に戻ってくる」と涙した。
四丁の対物ライフルに狙われ、完全に足止めを食らっている二人。
「ッタイク~じゃなくクロカゲさん。」
「なんでしょうか?」
「君のウェットティッシュは耐火性能も付加できるのかい?」
「ええ、可能です…可能でござる。」
「それはよかった。」
ツイカウは鎧を身にまとった。
全身から青白い炎が噴き出す。
「熱っ!熱いにもほどがあります!!」
ッタイクはウェットティッシュ20枚で盾を作り、ツイカウに向けた。
「君の能力はすごいね。この超高温の炎を前に、手が届くほどの距離に近づけるなんて。」
「いえ。やはりあなたからは離れていようと思います。5分もこうしていたら食べごろに焼きあがってしまいそうです。ご、ござるっ!」
「あはははは。よし。じゃあ前進だ。」
姿を見せぬボディーダブルの狙撃をものともせずに進む二人。
直径1インチの銃弾は、ツイカウの炎ですべからく蒸発してしまう。
ツイカウが通ると、虚無の空間を漂う椿の花びらが燃えて、遠目には蛍の様に見える。
もうすぐ、ツイカウがオウフの姿を見た場所に到着する。
真っ赤な燃える花びらのベールのその先に二人が見たものは、チョリソーとオウフではなく、30体の黒羊だった。
ッタイクがマァクに「やはり罠でござった」と、メッセージで報告をする。
円錐形をした30体の黒羊はロケットエンジンで飛び上がり、一斉に急降下をしてきた。
円錐形と言っても、パーティー用のクラッカー程度の大きさではない。巨大な20tの鉄の塊だ。
それが30体も居るのだ。
見上げれば見渡す限り、虚無の天空一面を黒羊が覆っている。
足で走っていてはかわし切れない。
20tを一瞬で吹き飛ばす方法もない。
どうする?
「盾から手を離すな!」
ツイカウは爆炎の推進力で加速させた拳で、ッタイクの盾を殴り飛ばした。
「きゃーっ!」
ッタイクは吹き飛ばされたが、円錐の下敷きにならずに済んだ。
その代わりにツイカウは20tをもろに食らった。
20tの円錐が再び虚無の虚空を上昇してゆく。
虚無の地平線には、押しつぶされたツイカウの姿。
「ツイカウ!」身代わりになった色男を案ずる乳袋。
「大丈夫。鎧が守ってくれた。」
彼を守った鎧は、両手両足を残して粉々。
つまり、次の一撃には耐えられない。
その、次の一撃が来る。
30体の黒羊は落下を開始した。
「ツイコオオオーウ!!!!」
ッタイクは手を伸ばし駆け寄ろうとする。
「来ちゃあだめだっ!!!!」
円錐の先端はツイカウの頭を狙っている。
その時。
「1回目の攻撃は隕石落としです。出力最大。危険です。近付かないでください。」
跳躍するメタルボディー。
体の模様が赤いのは、卑劣な悪に怒りを覚えている証。
ガキイィィッッ!!
槍のように鋭く敵に向けた彼のつま先が、ツイカウを狙った円錐を蹴り飛ばした。
「マイクロ10!来てくれたのか!」
「今朝ロードした戦略″KATANA″によれば、黒羊の相手は私です。」
「そうだが…このデカさ、この数だぞ!」
「はい。分析するまでもなく、圧倒的な劣勢です。しかし…」
30体もある、全長12m、重さ20tの鉄の塊に全く臆することなく、身長175cm、体重160kgの鋼の戦士は拳を構えた。
「…私は、恐怖を感じることができません。」
ツイカウは、人間よりも人間らしい鋼の戦士に「嘘つき」と言ってやりたかった。彼は恐怖を感じている筈だ。それを押し殺している。そして自分はそんな彼の勇気に、期待するしかない。
ツイカウにチョリソーからメッセージ。
『わたしの世界に来て。チャケンダの世界は邪魔が多すぎるわ。わたし達だけで決着をつけましょう。』
ツイカウは手足にわずかに残された鎧を見やる。
ボロボロだ。
脳裏に、自分が無様に負ける姿が思い浮かぶ。
負けると分かっていても、二人との決着はつけなければいけない。
敵の罠にはまり、小さな女の子を巻き添えにし、自分はズタボロ。
この上仲間に尻をふかせるなんて、最低。色男が台無しだ。
笑える。情けなくて笑える。
「マイクロ10…悪いがあとは任せたよ。」
ツイカウはチョリソーの世界にチャンネルを切り替えた。
マァクの元に残っているのは、俺、イェトさん、コンスース、イマルス、そしてジェジー。
フクロウがコンスースとイマルスを呼びに戻ってきた。
これはマオカルとケチェが同じ場所にいることを示している。
マァクはしばし考えた後、イマルスに「やれますか」と問うた。
ジェジーの作戦によると、マオカルの相手はコンスース、ケチェの相手はイマルスだ。
「ボディーダブルのうち一体をマオカルのコンテナの護衛に残すと読んだのだが、そうかケチェか。ぼくの読み間違いだ。」
ジェジーが立てた作戦では、イマルスはケチェとタイマンの予定だったのだ。
2対2の戦いになった場合、二人のうち弱い方、つまりイマルスが集中攻撃を受ける可能性がある。
イマルスはコの字の方をちらりと見て、なぜか頬を染め、「やれます」と答えた。
「単なる虚勢ではありませんね?本当にやり遂げることができるのですね?」
マァクもきついことを言うな。
しかし、言う通りだ。
仕事に努力賞はない。
出来るか、出来ないかだ。
出来ないなら、出来ないと言わなければいけない。
コンスースレベルになると、よほどのことがない限り出来ないとは言えない。
コの字は俺たちの中でも最強だ。
コの字にできなければ他の誰にもできない。
幸いイマルスは弱い。
だから、気軽にギブアップしてくれていい。
それでもイマルスはコの字の方をじっと見て、「やれます」と返事をした。
「よし。じゃあ、行こうか。」コの字のいつもの笑顔。
彼女はコンスースと並んで、案内役のフクロウを追った。
俺はイェトの手を握った。
「なによ、こんなところで。こんなときに。」
「いいじゃないか。奴のところまで、手をつないで行こうぜ。」
「んー?まぁいいけど。」
チャケンダは遠くに見えている。
虚無の虚空を舞う椿の花びらに紛れてチラチラと。
これはジェジーの読み通りだ。
「チャケンダは、一定の距離を保ちながらぼくたちにその姿を見せ続ける。罠に誘導するためにね。」
ジェジーはそう言った。
そして「彼の近くには必ずニューオンが居る。」とも言った。
チャケンダはボディーダブルと黒羊で俺たちの戦力を削り、シシスカンを俺にぶつけるつもりだった。
もしジェジーの作戦がなかったら、エントリーポイントについてからものの2~3分で、戦力の半分を失っていただろう。
そのジェジー先生は今、マァクのデリンジャーとにらめっこをしている。
俺はチャケンダに向かって手を振る。
「おーい!俺たちもそろそろ始めようぜ!」




