第五話「スパイタ」
題名「お花畑」
最終章「移動手段切り替え編」
第五話「スパイタ」
始まりの化け物チャケンダは楽園派のケチェと手を組み、この仮想世界の実権を握るため、保全機能に反旗を翻した。
回帰派の副代表マァクと進化派の代表ツワルジニ(トポルコフが化けた偽物)は、この動きにどう対応すべきか、話し合いを重ねる。
マァクは彼女の強力な呪いの能力を誰かにハッキングされている違和感を感じた。
俺は保全機能の手ごまとして、チャケンダを迎え撃つ。チャケンダは個人的に気に食わないので、ほかに何の理由がなくても、取り敢えずぶっ潰すけどね。
俺たちの大事な仲間、みんなのアイドル、そして大きな戦力であるチョリソーとオウフはチャケンダ側に寝返ってしまった。
さて、チャケンダ。
あんの野郎は俺との最終決戦の準備を、着々と進めている。
「うん。STEP1の経過は順調の様だね。これだけ安定していれば、STEP2を実施できるだろう。」
チャケンダはシシスカンという名の大女を強化し、俺にぶつける気でいる。
シシスカンもお花畑の化け物の一人で、チャケンダの説明を聞いたうえで、危険な役目を引き受けた。
気が強く、おそらく短気だ。
「ずいぶんと慎重だな。新しい惑星に到着するまでには終わるのか?」
経路開通工事と云う強化のための施術は、幾つかのSTEPで構成されている。
そのうちまだ最初のSTEP1しか行っていないのだ。
大女の低い声からは、明らかに苛立ちの色が読み取れる。
「今、STEP2用のバイナリイメージをビルドする。まぁ、焦らず待っていてくれ。」
「もう既に2日待っている。」
「正確には1日と16時間だね。君はリスクを承知で志願をしてくれた。ぼくには万が一にも間違いが無いよう、最善を尽くす義務がある。」
「あまりちんたらしているようだと、ニカイーに襲われるのが先かも。」
「…おっと、完成だ。では早速、STEP2の経路開通工事を始めよう。ふふふ、ニカイーに先手をとられる前にね。」
余裕たっぷりのウィンクが嫌味ったらしい。
「君はまだ気付いていないが、STEP1の工事で新たなストレージが保全機能のシステムから不正に払い出された。ここにddコマンドでイメージを焼き、gpartedでサイズを変更。」
チャケンダは説明をしながら同時進行で手を動かし、作業を進める。
「そして一旦”/mnt”(スラエムエヌティー)にマウントし、homeディレクトリから必要なファイルをコピーし、オーナーとパーミッションを変更。blkidでUUIDを取得し、fstabに”/home”(ホームディレクトリ)にマウントするよう記述。vimで各サービスのリスタートスクリプトを記述。これでいいだろう。準備はできたよ。後は、”maunt -a”(マウントオール)してスクリプトを順に実行するだけだ。シシスカン。準備…覚悟はいいかい?今一度言うが君の精神に大きな負荷がかかる。今回はおとりを放っていない。君が変化してしまうと、ぼくらまで危険な目に会う。」
「くどいな。かまわぬと言っている。」
「理解してくれているなら構わないよ。では早速…」
チャケンダがシシスカンの首に指を突き刺した。
「さぁ、STEP2のはじまり、はじまり。」
彼女は平然を装っているが、精神には相当な負荷がかかっている。
認識の拡張。新しい概念。
世界が今迄と異なって見える。
人間の常識を持っては受け入れがたい、より正確な世界の真実。
より正しい真実を理解した存在は、その分夢や希望や好奇心を失っていく。
人間は馬鹿だから、夢を見たり、希望を持ったり、好奇心を持ったりするのだ。
知的に高位な存在が持つものは事実と確定的な予定だ。
そういった精神面の不整合に折り合いをつけるため、本来彼らは人の姿を捨てる。
それがお花畑の化け物だ。
その人類には理解しがたい状態は、この仮想世界で人の目には醜い化け物の姿に見える。
理解できないというだけで、人に忌み嫌われる。
保全機能が俺たちの前に姿を見せない、最小限の干渉しかしないのは、それが理由だ。
古来より、神や魔物は異形の姿に描かれてきた。
俺たち人類は、絶対に保全機能を受け入れることはできない。
シシスカンも、化け物に変化すれば楽になれる。
しかしそれは許されない。彼女が化け物になった瞬間、セカンダリがそれを検知、俺達がチャケンダの首を狙ってやって来る。
チャケンダも同様に俺の首を狙っているが、まだその準備ができてはいない。
マオカルがボディーダブルを手に入れ、チョリソーとオウフが寝がえりはした(この時点でチャケンダはまだ知らない)が、現状を冷静に判断すると、まだチャケンダたちの戦力で俺達を打倒するにはまだ遠い。
青髪のハッカーは保全機能に牙を剥こうというのだ。俺たちにてこずっていては話にならぬ。
だからシシスカンへのチャケンダの期待は大きい。
必死で化け物への変化をこらえるシシスカン。
「真実を恐れるな、抗うな、疑問を持つな。真摯に受け入れるのだ。」
シシスカンの体の一部が砂状になっては、また戻る。
彼女の体を構成するエーテルが不安定になっているのだ。
「受け入れろだって?生憎と自分は頑固でね。新しい概念とやらにがんくれたまま、突っ張り切って見せる。」
ガテン系の大女らしい、男前な姿勢だ。
彼女の肉体は化け物化したがるが、彼女のど根性がそれを許さない。
そのせめぎ合いが彼女を構成するエーテルを不安定にするのだ。
彼女の肉体は、何度もエーテルの塵になりかけた。
苦しみぬいた数分後。
シシスカンは、歯を食いしばって立ったその姿のまま、気絶をしてしまった。
指でチョンと押すと、全身の力が抜け、表情もうつろになり、ドダンと床に長く伸びてしまった。
「これは驚いた。本当に根性だけで耐え切るとは。実に非科学的だ。」
チャケンダはクスクスと笑っているが、そこに何の嫌みもない。彼は頭が良すぎるが故、常人とは物の見え方が違うのだ。
彼はシシスカンという素材のポテンシャルに驚き、満足した。益々シシスカンという資質が気に入った。
彼女は車にはねられた死体の様に横たわっていて、意識なんてないと思ったのだが、かすれ声が聞こえてくる。
もう意識があるとは、回復力の早さも飛びぬけている。
「……で、次のSTEP3は何時だ?あと何STEP残っている?」
指一本だって動かせない状態で、視線だってうつろなのに、気持ちは突っ張っている。
「あと2つ。STEP4で終了だよ。今回の工事で、君は自力で化け物に変化したり、人間の姿に戻ったりできるようになった。だから、残りのSTEP3とSTEP4は、ぼくが合番する必要がない。実のところぼくは、君が変化してしまったときに後始末をするためにいるようなものなんだ。」
「ならば、残りのSTEPの手順を教えろ。」
「知る必要があるのかい?実施するタイミングはぼくが決める。いかんせん君は急いて居るから、早まるかも。新しい経路が安定するまで待つんだ。」
「何も知らなければ、より苛立って、何をしでかすかわからぬぞ。」
チャケンダのため息。
「まぁ、それぐらいの喧嘩腰でなければ、ニカイーの相手は務まるまいよ。うん、良いよ。すべて教えてあげるよ。」
チャケンダはシシスカンに仕様書、ソースコード、ビルド環境の仮想マシン、その他ツール類一式を送った。
「仕様書はもれなく書いてある。まぁ、ぼくの記憶のコピーだがね。君も技術畑の人間なら、理解できなくはないよね?」
やしそうな笑顔でなんと意地の悪い。
青髪のハッカーは、彼女が彼の高度なプログラムを理解できるなんて、これっぽっちも思ってはいない。
彼女が訴える通り「教えた」という結果をつくり、シシスカンをお手軽に黙らせただけだ。
だが、彼女にはそれで十分だった。
最終STEPまでの手順と、それを実施すればチャケンダに勝った俺を倒せるほどの力が得られるという事実。
彼女がチャケンダのもとで手に入れられるカードはそれで全部。
与えられた部屋に戻った直後、彼女は「次に会う時が楽しみだぞ。」と言い残して、チャケンダにもニューオンにも何も伝えず、その世界を去った。
夜。
ニューオンがシシスカンを夕食に誘うが、テキストメッセージに応答がない。
疲れて寝ているならば起こさなければ。
やむなく彼女の部屋に向かう。
ドアをノックするがこれにも応答がない。
ドアは施錠されていたので、Administratorユーザーで開錠し、ドアを開く。
見てびっくり。
中はもぬけの殻。
シシスカンも、彼女の工具ボックスもない。
ニューオンはすぐさま、チャケンダにメッセージを投げて現状を報告した。
始まりの化け物は、キッチンでレモンスカッシュを作っていた。
その手が止まる。
「フフフ…」
腕を組み鼻の下に握り拳をあてがい、うーんとニヤケながら唸る。
「あははははは!」
ニューオンが戻ってきた。
「チャケンダ様。万が一のことを想定して………笑っていらっしゃるのですか?」
「ああ。すまない。話を聞こう。」
「万が一のことを想定して、別な候補を探したほうがよろしいでしょうか?」
ニューオンはシシスカンが経路開通工事のつらさに耐えられずに逃げたとでも思っているのだろうか?
チャケンダはまだ笑いが止まらない様子。
「いや、その必要はないよ。彼女がベストだ。彼女をニカイーにぶつける。」
チャケンダはシシスカンの気性がたいそう気に入ったようで、上機嫌。
鼻歌を歌いながらレモンスカッシュを作る。
「うーん。」
「いかがなされましたか?」
「彼女も夕飯を食べてから出ていけばよかったのに。お腹を空かせていなければいいけど。」
少年コジェヌはガーウィスの世界に居る。
自身の能力”ラインランド”で一次元の空間に籠城し、ヒエレのハッキングに挑戦している。
彼は残された人類2310名全員の幸福を望んでいる。
彼は人類の幸福とは、つまるところ死であると考えている。自分も含めて2310名の命を等しく奪うつもりなのだ。
彼は自身の望みをかなえる第一手として、ROM化されたお花畑の化け物ヒエレのハッキングを始めた。
ヒエレの能力であるリモコンがどうしても必要なのだ。
少年に、ハッキングの技術は無い。
重ねて念を押す。「知識」ではなく「技術」がないのだ。
今の時代、知識に関しては、無いと言えば嘘になる。
何故なら人類は脳を常時オンライン接続するようになって以来、信頼されている最新の科学と技術を知りえるからだ。
科学者とは頭のいい馬鹿で、このシステムにより万人があらゆる専門家になれると考えた。
大間違いだ。
どれだけ知識があったって、それを使いこなせなければ専門家にはなり得ない。
実際、この画期的なシステムが運用された後、一人の数学者が数学が苦手な子供たちに、彼が作った実験用のテストを解かせた。
そのテストの問題は簡単なものも難しいものも、オンラインで取得できる公式にそのままぽんと値を当てはめれば解けるものばかりだった。
しかし、子供たちは数学の問題を解くことはできなかった。
子供たちは科学者が実装したオンラインのシステムで、どの公式を使えばいいのかは知っていたのだが、どう使えばいいのかを全く理解できなかった。
科学者たちは不思議がった。
科学者たちはそのシステムで、それまで見たこともない公式を用いて、それが何であるかも理解せぬで、答えを導きだせたからだ。
自分たちに出来て、子供たちにできないことを、大いに不思議がった。
俺に言わせれば当然のことだ。
俺が手作りのパンに対して、どれだけこだわり、情熱を注ぎ、時間と労力をつぎ込んだのかっていう話だ。
俺は頭も体もパン職人だ。それ以外の何物でもない。他は、何もできない無能で構わない。
短い人生で、自分の絶対なる一を極める。
それが人間さ。
科学者たちは、全ての人間を万能にしようとしたが、んなもん出来てたまるか!
オンラインで知識を得るそのシステムは”口ばっかりの脳”と揶揄されながらも、みな便利に利用した。俺も便利に使っている。
忘却せず網羅的に知識を引き出せるところがいい。
そして、トトと云うシステムが完成したのだ。
さて、話をコジェヌに戻そう。
彼にはハッキングの技術もないし、才能もない。
だから複数のQAサイトをラップして、カスタムAPI経由で質問をした。
すると、”レモンさん”というハンドルネームの匿名の誰かから応答があった。
『デバッガをつなぐ必要がある。トトのセキュリティーを突破し、特定のゲストOSを脱獄させるんだ。』
「デバッガって何ですか?」
『店のURLを送る。外で作業をするならバッテリーか発電機も必要だね。説明は購入してからだ。現物があった方が話が早い。』
コジェヌは一旦ガーウィスの世界を離れ、デバッガとバッテリーを購入してきた。
そして質問を投げる。
「デバッガは買ってきたのですが、どう使えばいいのか全く分かりません。」
『無線接続だからバッテリーにつないで放っておけばいい。箱の裏のタグを見るとURLが取得できる。それを君のソースリストに加えて、ツール類をインストールしてくれ。』
「わかりました。やってみます。」
ツール類をインストールすると、コジェヌの脳内にポップアップが表示された。
デバッガがペアリング可能という通知だった。
そんな調子で、都度”レモンさん”を頼りながら、コジェヌは自分が何をしているのか理解せぬままハッキングを進めた。
そして、ファイル名が文字化けしてしまっているオブジェクトを発見した。
レモンさんは言う。
『おそらくそれだ。』
「やった!」
コジェヌは喜び勇んでファイルコピーを試みるが、エラーメッセージが表示されるばかりでコピーできない。
んでもってメッセージは文字化けがひどくて読めやしない。
「レモンさぁーん。」
何から何まで、頼りっぱなしだ。
『あはは、そういうときはねぇ~、』
レモンさんの指示通りにファイルのプロパティーを調べると、ライセンス情報が壊れている。
『いや、たぶん、壊れているのではなく、そういうライセンスなんだ。コピーはできないが移動ならできるかもしれない。その場合、オブジェクトを持ち主から奪うことになるけど、どうする?』
コジェヌは迷わず、移動でファイルを自分のものにした。
どうせ、自分も含め全員殺してしまうつもりなのだ。死者に現世で持ちうるあらゆるものは必要なかろう。いわんや仮想世界の特殊能力をや。
『そのファイルを解析すれば、目的の機能を起動できるはずだ。』
「えへへ。」
ヒエレのリモコンの能力が手に入った。
これで俺を論理層で暴走させることが出来る。
人類を幸せにできる。
コジェヌの子供らしい純粋な笑顔。
彼が人類の幸せを祈っているのは、間違いのない事実。
俺のパン屋を出て行ったチョリソーとオウフはケチェを訪ねた。
パン屋を去った後、やはり今からでも仲間の元に戻ろうかと二人は悩んだ。
一つの嘘もなく、二人はパン屋の仲間たちを愛している。
共に過ごした時間は二人の宝物だ。
その喪失感は計り知れない。
特にオウフはツイカウの優しい笑顔を思い浮かべては涙した。
その様な思いまでして、二人は俺たちを捨てた。
結局、来てしまった。
ケチェの元へ来てしまった。
チャケンダを選んでしまった。
ケチェを前にした二人の表情は、仲間を裏切った後ろめたさで暗く沈んでいた。
彼は変人だが紳士だ。特に自分が認めた才能に対しては。
楽園派の代表は、二人の心中を察し、目じりに涙を浮かべて出迎えた。
「案ずるな。人がなすことは全て過ちだ。それが故、神は全てをお許しになる。」
二人の歌姫は彼の涙に誘われて、お互いに抱き合って、それまで抑えていた感情の枷を外した。
人を選ぶ紳士は二人のために祈り、そして肩を抱いた。
「君たちが、君たち自身と正面から向き合える場所を提供しよう。」
ケチェは二人に、彼の屋敷の一室を与えた。
まるで海の中に居るようなその部屋は、ケチェが二人のためにあらかじめ用意をしておいたものだ。
天井の映像には、水中から見上げたような太陽がぼんやりと揺らめいている。
壁の映像では、延々と続く濃いブルーの中を、魚の大群がこの部屋を連れて、はかない命を燃やしている。
床には底が知れない海溝の映像があって、由来のしれない泡がぷっくらぽっかりと湧き上がってきている。
「この部屋の映像は中に居る者の感情に反応して変化する。今一度、よく考えたまえ。その結果、君たちがやはり古巣に戻るという結論に達しても構わない。必要なものがあればこの部屋に語り掛けてくれ。使いの者をよこす。」
二人を残して部屋を後にし、廊下の角を曲がったところでチャケンダに連絡。
「今、二人の歌姫を我が屋敷に招き入れた。」
『それは吉報だね。』
「やはり、仲間を裏切らせるようなまねは流儀に反する。」
『それはぼくも同じさ。』
「罪に曇った歌姫の顔をお前は見ていない。輝くべき才能が路傍の石の様にくすんでいる。それは我々の罪だ。」
『大恩ある保全機能に牙を剥こうと決めた時点で、ぼくたちの手は汚れている。それでも、進むべきはこの道なのだ。人類は同じ過ちを繰り返さない。そういう未来をぼくたちは共通に見ている筈だ。そうだろう?』
「詐欺師め。だが、今はお前のシナリオに書かれている役を演じてやる。例えば、ジャズ愛好家の流儀でだ。」
『あはは。戦力の天秤は大きくぼくらの方に傾いたんだ。それは喜ぼうよ。おっと、もう一ついい知らせがあった。』
チャケンダは芝居がかってもったいぶったのだが、ケチェからの反応はない。
つれない男だなと、ふざけて喉を鳴らす。
『マァクの厄介な能力だが、どうにかできそうなんだよ。』
ケチェの屋敷の一室。
ベッドの上。
チョリソーとオウフはお互いの手を握りしめ、見つめあう。
波の網目模様が、二人を幻想的に彩る。
イルカの鳴き声が心地よく、二人の精神は集中してゆく。
二人はお互いの知識を接続し、脳内で二人の過去を回想していた。
ああ、いとおしい友たちよ。得難い仲間たちよ。
「これからも私たちは親友よ。」
チョリソーがつぶやいた。
「この世界には私とチョリソーの二人しかいない気がする…ツイカウ…」
恋人への未練がオウフの胸を引き裂かんとする。
それを察知して、チョリソーはオウフを抱きしめた。
「大丈夫。後戻りはできないけど、償いならできるわ。希望を捨てないで。」
二人の心は海の中にある。
エリヒュちゃんからテキストメッセージが来た。
読んではいないが、自分を案じての引きとめかもしれない。
少女の優しさに悪いとは思ったのだが、メッセージを破棄し、ポートを閉じてしまった。
チャケンダとの通信を終了したケチェの、深いため息。
実のところ、ケチェは何につけてもチャケンダの言いなりになっている現状に不満を感じていた。
自分の思い通りにならないのが嫌なわけではない。
彼はそのような小さな人間ではない。
チャケンダが自分より正しいのならば、喜んで従う。
ただ…特に技術的な面だ。自分が完全には理解できていない状態で、そうするしかなく首を縦に振らされるのが嫌なのだ。
彼の前には「賛成」と書かれたボタンしか置かれていないのだ。
夢を語る変人でよかった、過去の自分とは違う。
ケチェは彼の意志で、彼に賛同する者を自分の戦いに巻き込んだ。
彼は、自分が責任ある立場にあることを自覚している。
だから個人ではなく”楽園派”として、すべてを誰に対してでも説明できる必要があるのだ。
彼は他のボタンも持っている必要があった。
「却下」とか「保留」とか「立案」。
そういったボタンが欠如していた。
「チョリソー!チョリソーはどこ!?」
俺のパン屋にエリヒュちゃんが血相を変えて駆け込んできた。
彼女が慕う、チョリソーの姿を探す。
少女は本家爆弾娘にメッセージを送ったのだが一向に返事が無く、直接俺の店にやってきたのだ。
いつも彼女が座っているテーブルにはツイカウが一人だけ。
彼は背中を丸めて闇に落ち込み、醜気を噴出している。
「え!?」少女は事態を呑み込めていない。
二人がいないだけなら、仕事に行ったのかと考えるが、クールガイのあの有り様はどうしたことか?
イェトさんがエリヒュちゃんの目を手で覆う。
「子供は見ちゃダメ。」
回れ右をさせてカウンターの方へと連れてくる。
入り口付近のテーブルでは、コンスースとジェジーが向かい合って座り、同様に醜気を噴出している。
コの字はしあわせシステムという黒歴史を持つが故、自分の中学生時代だけ、歴史から切り取って、無かったことにはできぬかと、本気で思い悩んでいる。
ジェジーは尻生け花の痴態を女神と崇めるマァクに見られ、誰もが不死身のこの仮想世界で、どうやったら死ねるだろうかと、本気で思い悩んでいる。
「はい。これも見ちゃダメー。」
カウンターの裏側に連れてきた。
そこでは、俺とプライマリの最低な下半身の攻防が繰り広げられていた。
興奮してパンティーを脱ぎ始めたプライマリの手を抑えて、何とか淫乱チビを落ち着かせようと悪戦苦闘する俺。
「あー。見ちゃだめよー。」
イェトさんはエリヒュちゃんの目を手で覆った。
「お姉ちゃんの部屋に行きましょうね。」
階段を上がり、2階のイェトさんの部屋に向かった。
なんだろうか。俺の自慢のパン屋が。手作りのパンがおいしい、家庭的で、仲間が集まる楽しい空間が、秘宝館あたりと同レベルになっている気がする。
自室で、イェトさんはエリヒュちゃんにチョリソーがケチェ側に寝返った件を説明した。
「うそっ!」当然、目をまぁるく見開いて驚くわけだ。
「兎に角そう云う訳だから、トラブルは私が聞くわ。」
少女はチョリソーの裏切りにしばらくショックを受けていたが、頭の中で自分の問題に優先順位をつけ、先ずヒエレの問題を解決することにした。
「ヒエレが消えてしまったの!」
「んー?ヒエレって、ああ、あの私が殴り倒したドラゴンだっけ?」
「そう。ガーウィスの世界でROM化されていたのだけど、男の子が来て、一緒に消えてしまったの!」
「男の子?いまいち話が見えないわね。」
「その男の子は2310名全員を殺すために、ヒエレのリモコンを欲しがっていた。きっとヒエレはその子に連れ去られたのよ。」
「チャンネルを切り替えて、どこかの世界に行ってしまったってこと?」
「そういう感じではなかったわ。いきなり、何の前触れもなく、ぱっと見えなくなったの。」
俺はプライマリと実りのない下半身の攻防を続けていた。
そこに、考え事をしながらイェトさんが近づいてきた。
「接点ちゃんごめんなさい。」
イェトさんはプライマリに拳骨を落とした。
俺は、気絶したプライマリをカウンターに放り投げて「どうかしたのか?」と、悩めるイェトさんに顔を向けた。
「実は…」かくかくしかじかとエリヒュちゃんに聞いた話を俺に聞かせた。
「うーん。そう云った話は接点にするのがよろしいだろう。しかーし。」
プライマリを起こすと、下半身の攻防が再び勃発してしまう可能性が高い。
そこで、プライマリの手足を柱に縛り付けた状態で、バケツの水をぶっかけた。
目を覚ました彼女は、自分の状態を瞬時に理解した。
そして、変態幼女はこれ以上なく興奮して、俺の脳に直接語り掛けてくる。
『おお!よいではないか!!ニカイー!やっとやる気になってくれたか!今すぐ、私のパンティーを降ろして(以下自粛)』
本当にこのだね、脳に直接っちゅうのをだね、俺が聞かされたの全部、インドの由緒ある寺院の地下あたりに封印していただきたい。この世の穢れそのものなんだわ。実際。
俺は掌底で彼女の顎を突き上げた。
痛みに悶絶する幼女は、俺の脳に文字化けしたテキストデータを送ってくる。
ええい!錯乱しおって、鬱陶しい!
「聞け変態。普通の少年がROM化された化け物と一緒に消えた。どういう手品だと思う?」
『何の話だ?』
「そういう不思議が起きたんだよ。突然、何の前触れもなく、ぱっと消えてしまったそうだ。」
『うーむ。すぐには返答できないが。確実に言えることはある。』
「聞かせてくれ。」
『少年も化け物も、化け物がいた世界にまだ居るぞ。私たち以外に、化け物を手回り品扱いにしてチャンネルを切り替えられる者は居ない。あの、チャケンダが出来ないのだ。誰に出来るものか。』
「そいつぁー吉報だ。」
『そうなのか?』
「ああ。その少年は残された人類の命を狙っている。放っては置けないよな?探すならガーウィスの世界に絞られていた方が楽だ。」
ケチェの演説を聞いた人類の多くが、仮想空間を必要としていた。
本来保全機能は、人類が自分たちの未来を話し合う場として、仮想世界を提供した。
それがどうだ?人類は仮想世界での不老不死の生活を満喫し、あまつさえ依存しているのだ。なんという怠惰。なんというご都合主義の甘ったれ。でも、それが人間なんだ。
前回のケチェの演説でそれに気づかされた大衆は、今回のケチェの演説で確信した。
”我々は仮想世界での生活を愛している”
”永遠にこの仮想世界にいたい”
しかし、それは保全機能が許してはくれないだろう。自分たちは新しい惑星に置き去りにされるのだ。
新しい惑星に着いたら、不老不死の肉体を失ってしまう。お気に入りの姿も、元に戻ってしまうかもしれない。
それは嫌だ。
仮想世界での生活を守ってくれるのはだれか?
人類には理解できない英知、保全機能に太刀打ちできるのはだれか?
「チャケンダ」と誰かがスレッドに書き込んだ。
誰もが恐れた始まりの化け物チャケンダ。
おお、彼ならば。いや、チャケンダにできなければ誰にできるというのだ。
スレッドにはチャケンダを押す書き込みが多数投稿され、奴目はあれよあれよという間に革命の象徴に祭り上げられた。
ニューオンがこのスレッドを読み、チャケンダに報告した。
「絶好の好機と考えます。」
「そうだね。今ならば大衆は、ぼくを恐れず話に耳を傾けるかもしれないな。」
「何かお考えがあるのですね。」
「ああ。動画を一本投稿するよ。うまく行けば、大衆を使って、ニカイーを追い詰めることができる。うまく行けばね。」
慣れないことをやらかすつもりのようで、奴は言い訳がましく「うまく行けば」と二度繰り返した。
チャケンダは脳内で自分の3Dモデルを作成し、アクションと合成音声のセリフをつけて動画を一本完成させた。
「さて、どうなるかな?」
動画を投稿する。
「──
親愛なる仮想世界の皆さん。
革命の同志諸君。
ぼくは皆さんに伝えたいことがあって、この動画を配信しています。
ある男の正体を伝えたいのです。
真の化け物は誰かを伝えたいのです。
皆さんを悪戯に怯えさせてしまうだけかもしれないので、本当は隠しているつもりでした。
ぼくが恐れられていることは、よく判っていましたしね。
そして、その男はぼくが責任をもって、秘密裏に打ち倒すつもりでした。
その決戦を前に、ぼくも恐怖を感じたのでしょうか、皆さんにその男の脅威をシェアしておかなければならないと考えたのです。
ぼくが命をかけて立ち向かう男。
その男の名はニカイー。
彼は2310名居る人類の中で唯一、この仮想世界を破壊できる存在なのです。
事実、以前にぼくが彼と闘ったとき、ニカイーはこの世界を破壊しかけました。
保全機能はその事実を隠蔽し、あまつさえそのような危険な男に大きな権限を与えて、この仮想世界を管理させているのです。
この話は皆さんが敬愛する回帰派のマァク副代表もよくご存じです。
ぼくの話をお疑いでしたら、マァクに真偽をお尋ねください。
2310名居る人類の中で彼だけは排除しなければなりません。
ぼくは”始まりの化け物”と呼ばれておりますが、この仮想世界で化け物と呼べるのはニカイーただ一人です。
ぼくは彼を打ち倒すべく準備を進めています。
けれども、皆さんの勇気にも期待しています。
彼はぼくたちお花畑の化け物と呼ばれる存在には攻撃をしてきますが、皆さんのような一般人には絶対に危害を加えないはずです。
それが保全機能の意思だからです。
保全機能に立ち向かえるのはぼくだけかもしれません。
しかし彼の立場を考えると、ニカイーを倒せるのは、むしろ一般人の皆さんかもしれないのです。
──」
この動画にちょろく踊らされた大衆が、30名は居たかな?俺の店に殴りこんできた。
この時、入り口付近の二人掛けの席に座っていたのは、ジェジー、コンスース、そしてガーウィスの3人。3人ともチャケンダの動画は見た。
「やばい!やばい!」
3人が体を張って頭に血が上った大衆の前に立ちふさがる。
「なんだお前たちは!!」
「貴様らもニカイーの仲間か!!」
「君たち!ちょっと落ち着かないか!?」ジェジーが説得を試みるが、それは無駄なことだ。
「ニカイー!逃げろ!!」コンスースが叫ぶ。
コの字を盾にして逃げる。その選択肢だけは絶対に無い。
「バカヤロー!お前たちを置いていけるか!?」
「ぼくたちは大丈夫だ!君が!君だけが危険なんだ!頼むから逃げてくれ!!」
「ふざけんな!俺とお前は親友だ!その友情に傷の一つだってつけないぞ!俺はお前とここに居る!!」
「イェト!ニカイーを頼む!」
「わかったわ。」
イェトさんの拳が俺の胃袋にめり込んだ。
相変わらず、彼女の拳には一切の迷いも容赦もない。
「ごふぅっ!!うおおっ!」
胃袋が口から飛び出しそうだ。
意識はあるが痛みで何も考えられない。
「接点ちゃん、お願い。」
イェトさんが頼むとプライマリはちょこん頷いて、俺とイェトさんを連れて別な世界にチャンネルを切り替えた。
俺を逃がした大衆は、邪魔建てした3人を取り囲んでしまった。
真っ先に手を挙げて降参したのはコンスース。
「3人の中で戦えるのはお前だけじゃぞ。」ガーウィスが耳打ちをする。
そうだ、コの字が特殊スーツを着れば、30人程度の暴徒は腕の一振りで薙ぎ払えるはずだ。
だがコの字は言う。
「今は流れが悪い。彼らと敵対すればニカイーの立場はより悪くなる。」
「そうだね。今は大人しくして、機会をうかがうべきだね。」ジェジー先生の発言で3人の気持ちは決まった。
「何をこそこそと話している!!!!」
ジェジーとガーウィスも手を上げる。
「降参しようって話をしていたのさ。」
コンスースがため息まじりに首をすくめて応えた。
3人は拉致され、別な世界の電波暗室に閉じ込められた。
「まいったな、チャンネルの切り替えができないだけならまだしも、オフラインか。ぼくのサーバーにつながらない。トトもオフラインモードだよ。」
ジェジーが不安そうにしている。
「ひょっとして、オフラインはこれが初めてかい?」
コンスースの問いに照れ笑いで返すジェジー。
「ぼくは開発畑の人間だから慣れているけどね。そんなに不安なものなのかい?」コの字が心配そうに尋ねる。
「なんだろうね。サーバーと繋がっていないとそわそわするんだよ。」
ガーウィスは部屋の奥にあった長椅子にどてんと横になってしまった。
そして”くんくん”と匂いを嗅ぐ音を立てる。
「事態が好転する匂いはしないのう。お前たちも今のうちに寝ておくといい。」
俺のパン屋。
ツイカウはただ茫然として、窓際の4人掛けのテーブルにぽつんと残っている。
いつもの彼ならばクールガイオーラを発揮して、スマートに大衆の説得を試みていたかもしれない。
だが、オウフを失った彼は、完全にただのでくの坊だ。
何もできなかった自分に、さらに深く落ち込むツイカウ。
アンスリウムという尾のような花序が特徴的な花がある。
そのアンスリウムが咲き乱れるお花畑の化け物の世界。
プライマリはその世界に俺とイェトを連れてきた。
「なるほどねー。お花畑なら好んで探しには来ないものね。気味が悪いから。」
「くっそ!」
俺はチャンネルを切り替え始めた。
「どこへ行く気よ。」
「あたりめーだろ。パン屋に戻ってコンスースを助ける。」
イェトさんが俺の腹にグーパン2発。
手加減を覚えろ。手加減を。
「うぉえぇぇ…」
俺はゴトンと虚無の地平線に落ちた。
アンスリウムの花が散る。
「アンタほんと馬鹿ねぇ。三人ともきっともう連れ去られているわよ。」
「…じゃあ、うぇええ…な、なおさら助けないと…くっそ痛ぇ。」
「コンスースが居るんだから滅多なことにはならないわよ。彼がどれだけ強くて頭が切れるか、よく知っているわよね?」
「お前はそんな完璧超人と別れて、なんで俺と30年も付き合っているんだ?」
勢いだけで生きている俺の彼女は首をすくめる。
「わからないわ。その理由がわかるまではアンタと一緒よ。」
イェトさんは虚無の暗がりまで、俺を運んで行った。
「ここならばエントリーポイントからも見えにくいわ。いい隠れ場所ね。」
そう言って、イェトさんがエントリーポイントを見ると、そこにはいつの間にか一体の黒羊が立っていた。
「ちっ、チャケンダもとことん畳みかけてくるわね~。接点ちゃん。私の札を頂戴。」
プライマリは新しい方の札を渡す。
「見てらっしゃい。ここなら誰も聞いてないから、技名叫び放題なんだから。」
「おいイェト。俺が聞いてるぞ。つか、内臓破裂してるぞこの痛さわぁ。」
「アンタなかノーカンよ。憂さ晴らしにガンガン行くわよ!」
「マァク様、お茶が入りました。」
マァクの教会。
彼女は優雅に、イマルスがいれたハーブティーを楽しんでいた。
そこに彼女の信者からの一報がマァク達3人に届く。
チャケンダを祭り上げるスレッドの件。
チャケンダが投稿した動画の件。
ジェジー達が拘束され、俺とイェトが行方不明な件。
「マァク様!緊急事態です!!」イマルスがテーブルをたたく。
「そうね…あ、」
「どうかされましたか?」
マァクは彼女のデリンジャーを取り出した。
「まさか…」
彼女はイマルスに銃口を向けた。
その銃の危険性を誰よりも心得ている筈のイマルスに微塵の動揺もない。
彼女はマァクを崇拝している。
彼女の戯れで、地獄に落ちる呪いをかけられてもかまわないとさえ考えて居る。
イマルスの女神は、彼女に向かって引き金を引く。
彼女の呪いの能力が機能していれば、銃弾は絶対に的を外すことはない。
しかし、銃弾は、的であるイマルスを右にそれて、壁際の花瓶に当たった。
花瓶に空いた穴から、小便小僧のように、間抜けに水が流れ落ちている。
「マァク様、これは?」
あらかた察しはついている。マァクの呪いは熟知している。イマルスの額に汗。
翻ってマァクは冷静に事態を受け止めている。
「私の、呪いの能力が失われた…いえ、奪われたのかも。」
「それは一大事です。ニカイーも襲われました。マァク様の能力は強大ですから、同様に襲われてもおかしくはありません。」
「その真偽はともかく、ニカイーについて真偽を問われる事態は避けなければなりません。保全機能の使徒、そしてこの仮想世界の守護者は、彼にしか勤まりません。私の安全というよりは、ニカイーの秘密を守るために、私も身を隠すべきでしょう。」
「はい。」イマルスはマァクの深い思慮に感服して返事をした。
「私には卑怯な呪いの能力なんかなくても、あなた達がいます。何を恐れる必要がありましょう。」
「はい。」イマルスは身に余る光栄に頬を染めて返事をした。
そしてふっと目を伏せて、マァクの言葉にしばし酔いしれた。
「先ずは忍びつつスパイタの所に行きましょう。恐らく、彼が事態を打開する鍵になります。」
マァク達3人はチャンネルを切り替えて教会を後にし、行方をくらませた。
スパイタの世界。
<※スパイタです>
アーキテクトである彼が設計した、前衛的で実験要素の強い建物が立ち並ぶ。
その手前、エントリーポイント側にある、全面ガラス張りの家が彼の住まいだ。
エントリーポイントに誰かが現れた反応に過敏に反応し、スパイタはソファーの後ろに隠れて、誰が来たのかと恐る恐る覗き見た。
なんてことだ。
「ケチェ!!」
もっとも会いたくない男がそこに居た。
震え上がるスパイタ。
ケチェはスパイタの技術的な知識を必要としていた。チャケンダと対等に話をするために、彼に技術面の相談役をやらせるつもりなのだ。
スパイタはその様なケチェの事情は全く知らない。
ただ、ケチェが恐ろしくて、即時にマァクの世界にチャンネルを切り替えた。
マァクの教会に駆け込む。
しかし、そこにマァクの姿はない。
先日マァクのもとに駆け込んだときに払い出してもらったポートをたたく。
緊急時のホットラインだ。
間もなくマァクからコールバックが来た。
『何かありましたか?』
「私の世界にケチェが来たのです。恐ろしくてすぐに逃げ出しました。今はあなたの教会に居ます。」
『分かりました。ケチェは私が何とかします。』
「本当ですか。」
『あなたが自分の家に戻れるようにしましょう。その代わり、今夜会って頂けますか?』
「構いませんが、どのような御用向きですか?」
『今夜話しましょう。事態は極めて複雑です。あなたの協力が必要なのです。』
「ケチェとチャケンダの横暴は人類の恥になります。私にできることなら、何なりと。」
マァク達3人はスパイタの世界へ向かった。
全面ガラス張りの家の前にケチェが座っている。
マァクはしずしずと歩み寄り、彼の前に立つ。
「やぁ、マァク。皆にニカイーの説明はしなくてよろしいのか?」
マァクの深いため息。
「見下げ果てたものですね。今あなたは、自身の程度の低さを語ったのですよ。チャケンダと手を組んであなたは変わった。」
「ああ、その通りだ。わが手に正義はない。この身はふしだらな渇望に突き動かされている。」
「私はスパイタの代理でここに来ました。彼に代わって話を聞きましょう。」
ケチェは小声で、皮肉たっぷりに笑う。
「話を聞く…だって?私をたたき出しに来たとはっきり言ったらどうだ?」
「そうね、そうするわ。ケチェ。スパイタの世界から今すぐ出て行ってちょうだい。そして、二度とここには来ないで。」
「それがスパイタの意志か?」
「そうよ。」
「奴の助力がないと、私はいよいよチャケンダの言いなり。操り人形になってしまうぞ。お前はそれを望むのか?」
「彼がいたなら、彼さえもチャケンダの操り人形にされるわ。まだ分からないの?2310人の中で、チャケンダが思い通りにできないのは、ニカイーだけなのよ。」
「ニカイーとは何なのだ?」
「この仮想世界の絶対なる抑止力よ。」
ケチェは目を閉じて、マァクが意味するところをかみ砕いている。
そして「天罰」と小声でつぶやいた。
マァクは続ける。
「だから、彼が危険なのは、当然のことなのです。危険でなければ抑止力にはなりません。」
「ああ、そうか。そうなのかもしれない。」
この時、ケチェには自分たちの行く末が漠然と見えた気がした。
「帰ったら、チャケンダに伝えなさい。この仮想世界でニカイーに歯向かうのは無駄だと。そして二人とも、かなわぬ夢は捨てるのです。」
「夢を捨てる…」
「そうです。」
「愚かな人であるこの身に、それは難しい相談だ。」
「ならばチャケンダに夢を捨てさせなさい。より保全機能に近い彼ならば、夢など必要ない筈です。」
「なるほどな。実はそれが最も健全なのかもしれない。そして人は、自らの限界を認めても、人類の限界を認めたがらない。出来ると信じている。」
ケチェは深く考えながらチャンネルを切り替えて、スパイタの世界を去った。
「マァク様。痛めつけずにケチェを返してよかったのでしょうか?」
何故、痛めつけたがる?
ジェジーとコンスースにもえらいことしてくれたけれども、イマルスって実はドSなのだろうか?
「いいえ。あれで十分です。ケチェは賢い男ですから言葉で足りるのです。」
イマルスからの連絡を受けて、スパイタは全面ガラス張りの我が家に戻ってきた。
そこにマァクたちは居ない。
3人は隠れ家を確保したり、有事の逃走経路を決めたりと、自分たちの足場固めに忙しい。
彼女たちと会うのは夜になってからだ。
「ふぅ、」
ようやく人心地ついたスパイタはクッションを床に放り投げ、そこにばすんと頭を落っことしてうとうととしていた。
エントリーポイントに誰かが来た反応があり、飛び起きる。
マァクと約束した時間にはまだ早い。
まさかケチェが性懲りもなく戻ってきたのか?
彼はソファーの後ろに隠れた。何しろ全面ガラス張りなので、身を隠せる場所は限られている。
エントリーポイントに見える人影。
背丈はケチェと同等かそれ以上あるが、どうやら女性のようだ。
知らぬ顔だが、ケチェの使いではあるまいな。
その女性は真っ直ぐスパイタの家には来ず、辺りをうろうろとしている。
彼の家がどこかわからないのか?
ケチェの使いならば、迷わずガラスの家にやってくるはずだ。
すると、単なる観光目的の来訪者か?
「スパーーーーイタ!!!!」
どんな肺活量をしているのか?通りのいい声が、ビルの間をぬって、鮮明に聞こえてきた。
彼女も相当な強者であると察しが付く。
スパイタは女性の目の前のビルのAR掲示板に「お前は何者だ。」と表示した。
女性は大声で「私の名はシシスカン!!チャケンダの敵だ!!」と答えた。
彼女の言っていることが本当ならば、会って話を聞くのはやぶさかではない。
チャケンダの敵はケチェの敵。そしてマァクの味方だ。どちらかと言うと、だが。
うまく仲間に引き入れることができれば、来るべき決戦に向けて、彼女は力になってくれそうだ。
大柄な体躯と威勢の良さに、力を感じる。
今夜会うマァクに手土産があってもいい。ケチェから助けてもらった恩返しにもなる。どうするか?
しばし間が開いた後、「エントリーポイント前のガラス張りの家に来い」とAR掲示板に表示された。
スパイタはシシスカンを玄関で出迎え、客間に通した。
「チャケンダの敵と言ったな?」
「ああ、私怨があってな、チャケンダの脅威になりたいのだ。」
「怨み?」
「私はチャケンダがROM化された後、望まず化け物にされてしまったのだ。」
スパイタはジェジーの研究があれば、彼女が近い将来、普通の人間に戻れることを知っていた。
しかし、それを彼女に教えると、彼女の恨みが消えてしまうかもしれない。
ケチェが狂ってしまったと脅える元腹心は、真実を彼女に伝えることをためらった。
彼が押し黙ったので、彼女が話を続ける。
「ニカイーのパン屋に行ったのだが、誰もいなかった。根が暗い男が居たので聞いたところ、ニカイーは逃走し、私があてにしていた技術者の連中は囚われの身と言う。」
「なんと!そんなことになっていたのか。」
俺の陣営がガタガタになっていることを知り、スパイタは強い危機感をつのらせる。
「いよいよマァク様が頼りだな。」
「その根暗男が、お前も優秀な技術者だと言っていた。」
「君は技術者をお探しかい?ぼくに何をさせたいんだね?」
シシスカンは経路開通工事の全情報をスパイタに送った。
「私にはまるで理解できないが、STEP4まで行えば、私はチャケンダより戦闘力で勝る化け物になれるのだそうだ。」
ドキュメントを解析するスパイタ。
「いや、戦闘力だけならSTEP3までで最大になるようだ。STEP4で、さらに能力は付加されるが、戦闘において必須ではないだろう。」
「本当か!?実はもうSTEP2までの工事は済んでいるのだ!」
「ならばきっとログが残っているだろう。それを参考にしながら、ぼくが工事をすることは可能だ。」
「良かった。やってくれるか?」
「君がチャケンダを倒すと約束してくれるならね。」
「言われるまでもない。」
「ならば決まりだ。準備ができるまで、この世界の好きな建物を使ってくれ。」
ガラスの壁越しに外を見渡すと、奇抜な建物ばかりで、うーんと唸るシシスカン。
正直、どれも嫌だ。趣味が悪い。
「普通の家はないのか?」
「あるじゃないか。」
「はぁ?」
「見えている建物、全部だ。」
この5話までで、最終10話の結末に至るヒントは出し尽くしました。
6話以降は順に畳んでいくだけです。




