手遅れ
選択が責任を生み出し、責任が人間を支える
「ねえナターシャ、これ下に降りてない?」
アイナとかいうハンチング帽を被った赤髪の女がナターシャに尋ねた。まあ、目が猫のように大きくて悪くない顔立ちをした女だ。
「降りてるわよ」
「なんで?」
ここは地下だ。普通に考えて出口は上にしかないのではないか。
「だって上に戻るとノスフェがうじゃうじゃいるもの」
アイナが渋い顔をする。
「大丈夫よ、地下にも逃げ道があるから」
逃げ道か。それよりも、だ。
「……それはいいんだけどよぉ。この先でいいんだよな、ジャグラスがいんのはよ」
「そうよ、ちゃんと着いていらっしゃい」
とりあえずここは付いて行くしかねぇ、と俺は思い、ナターシャとかいう妙なチビを追いながらアスクラピアの更に奥に進んでいく。カビの臭いがする。感覚としては落ちるに近いかもしれない。どんどん暗く、空気は重くなっていく。気がするだけだ。実際には、1,2,3,4。ほら歩幅は変わっちゃいない。一歩進んで二歩進むだ。
通ってきた通路のどん詰まり、一番奥っぽい所に鉄板のような味気なく錆びた扉があった。
「何かこの扉ヤバい気配しない?」
アイナが呟いた。
「どうかしらね」
ナターシャが準備はできてる?と囁いてきたのでゴールデン・ドリルを握り、頷いてみせる。
「そっちじゃなくて心の準備よ」
何のことだ?
「アスクラピアの癒しは人をそれ以外のモノにしていくわ。ここでは癒すことは置き換えることなの。私たちは人を生き返らせることさえもできる。けど、人の死は一度だけ、生き返るのはよく似た別人」
「何の話だ?」
「欲しいモノは何?ここにそれはないという話よ」
いよいよなに言ってんのかわかんねぇ。そもそも何が不気味かって言ったら今一番気味が悪いのはナターシャ何だよな。だから言ってやった。
「意味わかんねぇし、これ以上意味わかんねぇこと続けたらぶっ殺すからよ」
「もう十分意味のわからないことは言ったつもりよ。入りましょう」
ナターシャが扉を開ける。俺は促されたので先頭に立って扉の奥に入った。
扉の奥も20m程の通路が続いていて、両脇には壁の代わりに鉄格子が並んでいた。どう見ても牢獄だ。
「うあ……あああ……AHHH……UGHHHH」
呻き声。ビクッとアイナが首をすくめた。
「ねえ、ナターシャー?ここ絶対通らないとダメなの?」
震えるアイナの問いにナターシャは頷いた。
牢の中から声が聞こえてくる。俺は嫌な胸騒ぎを抑えて覗き込んだ。
「……フレッド」
全身が灰色に覆われて歪に隆起していても、その顔はかつての仲間のものだった。
隣の牢を見てみた。やはり、見知った顔がそこにはあった。どうしようもないクズであったが、それでも俺の友人には違いなかった。
「……全員なのか?」
俺は溢すように呟いていた。
「全員、こうなったのか?」
誰に宛てたわけでもないがナターシャが答えた。
「知らないわよ。60人くらいじゃない?」
「……じゃあどこに行ったんだよ、みんな」
そして、引き付けられるかのように視線が一番奥に動いた。吸いつけられた。
そこには、やはり一体のノスフェラトゥがいて、半ば壁と同化するように磔にされていた。
すぐにそれが誰か気付き思わずその名前を呟いた。
「ジャグラス・ジャグリム」
名前を呼ぶと信じられないことにジャグラスはゆっくりと顔を上げた。
「……アインヘル・スティンガー。隣はツァルカのクソガキか」
掠れた低い声だ。
驚いた。喋れる。意識があるんだ。
「ひでぇ面だな、叔父貴」
「……叔父貴と呼ぶか、わしを」
「あんたのことは嫌いだったけど、分かるか、今の姿。今はどうすればいいかわからんくなった」
「殺せ、早く。わしを、わしらを、コレが終わらばわしらはもう戻れぬ」
「……待てよ、何があったかくらい教えてから逝けよ」
「裏切られただけよ、間抜けにもな。そうしてこの有り様じゃあ」
「ざまあねぇな。みんなは?」
「そこらにおるのが最後までわしに着いてきたアホ共じゃ。他は知らん。ダンジョンの奥に逃げよったわ」
「……じゃあまだ生きてるんだな」
「ふん、追うなら好きにしろ。しかし、わしを殺せ。もうじきにわしは変わる」
俺はゴールデンドリルを振りかぶり起動させた。それは棍の先に円錐が付着した形をしていて、円錐部分は更に二本の円錐とチェインソーで構成され、触れたものを引き込み、削り、砕き潰す凶悪な兵器で、ペル兄がどこかから仕入れてきたものだ。
「……ゆっくりと眠れや、叔父貴」
ゴールデンドリルをジャグラスの胸に叩き付けた。心臓を削り取りゆっくりと沈み込んでいった。
ジャグラスは呻き一つあげずに息を絶やした。
一仕事終わりカフェラテでも飲みたくなる気分で大きく息を吐いた。
すると、パンパンとペル兄が手を叩いたのでそっちを見る。
「ほんで、まあジャグラスは死んだわけやけど、アイン?次はどないするんや」
考えるまでもなかった。
「ダンジョン、行くしかねぇよな」
そう言うと、ペル兄はにやりと笑った。
「しゃあないな、ついていったるわ」
ペル兄は俺の肩を叩くと踵を返した。
「その前にここから無事に出ないといけないんじゃないかしら」
ナターシャが呟く。同時にビクリと磔にされたジャグラスが痙攣した。
「……叔父貴?」
いや、死んでるだろ。確かに手応えがあった。喧嘩で人をぶん殴るよりずっとずっと重いそれは命の感覚だった。
ジャグラスはじろりとアインヘルを睨むと見る間に眼孔が骨殻に覆われていく。ノスフェラトゥへの変化だ。口の端が大きく裂け、開く。真っ暗い喉の奥から細い呼吸音が漏れだした。次第に太く、咆哮に。
「GAHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH」
バキバキと通路奥の壁を引き剥がしながらジャグラスが自由になる。壁の奥が見えた。そこにも大きな部屋があった。そして、ピンク色の巨大な肉塊がジャグラスと繋がっているのが見えた。
「右じゃ、アイン!」
戦慄に身が動かせないでいる中、ツァルカが叫ぶ。
「SHAHUUUUUUU」
アインヘルが横を見ると、目の前にハグをするように鋭い爪の生えた腕を広げ、凶悪な牙を剥いたノスフェラトゥがいた。
咄嗟にゴールデンドリルを突き出す。眼前を恐ろしい爪が通過する。ドリルを前に出していなかったら無惨に顔面を剥ぎ取られていただろう。
「くそ、落ち込んでる暇もありゃしねえ!!」
ドリルの魔導モーターが唸りを上げる。ノスフェラトゥの皮膚は異常に硬い。最初の一撃はかわせたがゴールデンドリルは刺さらず、ノスフェはのし掛かるようにして迫る。アインヘルは重みに耐えかねて尻餅をついた。ノスフェラトゥの陶器のような灰色の手が迫り頭蓋を掴もう手を伸ばす。
「うおおおおお!」
寸前、ゴールデンドリルがズブリとノスフェラトゥに突き刺さり力を失わせた。
およそ、五秒間だった。五秒間ドリルを押し当てれば心臓を突き抜くことができる。
「まだや、アイン!」
すかさず、ペル兄が倒れたノスフェラトゥの首にどこから取り出したのかチェインソーを押し当てて切り落とし、更に霊脳核を踏み砕く。
「気いつけろ、アイン!コイツらしぶといねんやから!」
「すまねぇペル兄!」
どうやら余裕こいても要られねぇようだ。牢屋の鉄格子をひん曲げて次々とノスフェラトゥが現れやがる。
「この鉄格子何の意味があるのよ!バッカじゃない!?」
アイナが叫んでいる。
「おい女、俺の後ろに付いてろ!」
「アインはジャグラスをきちんと終わらせたれ、アイナちゃんは俺が守っとくから!」
「けど、ペル兄戦えんのかよ」
「アホか!戦えるに決まっとるやろ。あと、ちゃんと鎧も起動させんかい」
ペル兄は答えながらチェーンソーの回転数を上げた。
アインヘルもキングアーマーを起動させた。肩の後ろから赤いマントがこんもりと生えて、鎧の意匠が金色に輝くと共にくすんだ灰色が銀に変わる。真紅のマントをたなびかせた白銀の鎧。トゲもバリバリに生えていて超格好いい。デザインはアインヘルが紙に書いたものをツァルカがどこぞに持って行き、それから10日で完成品をスーツ着た男が持ってきた。
「うおりゃあ!」
ゴールデンドリルでノスフェの胸を一突きすると、硬い皮を圧搾して槍先がノスフェに沈み込んだ。先ほどと違い5秒もかからなかったのは、突きの威力が大きく上がったお陰だ。キングアーマーは筋肉状の収縮繊維が付いていて力を何倍にも増幅させる。
次に背後から飛び掛かる別のノスフェの顎下をドリルの柄で殴り上げ、頭上で回してドリルの先端でがら空きになった首を抉り抜く。ずしりと膝をつくノスフェの前頭部を返す腕で吹き飛ばして霊脳核を砕く。
「ははっ、ペル兄!こいつは……こいつはすげぇぜ!体が軽すぎて、はーはっはっは!」
また1体をバレリーナのように回転しながらドリルで殴り飛ばした。
「せやろ、アイン!羽根のように軽やかで、黒鉄のように重厚!うちの技術の粋をかき集めて蒸留して成形した試作品をちょろまかしてデコりまくった傑作やからな!」
一方でツァルカはどこから取り出したのかもう一本チェインソーを手にしており、チェインソー二刀流などという曲芸染みた動きでノスフェと対等に戦っていた。筋肉が収縮して関節を動かすのに加えて、関節にモーターが仕込まれたような機械的で圧倒的な動きも含まれている。
ナターシャに至っては両手が紫色の扇、あるいは巨大な蛙の前肢
のようになっており、それで子供をあやすかのようにノスフェラトゥを転がしていた。
そしてアイナは傷付いた脚で必死で逃げ回っていた。
アイナは場数を踏んでいないし、生まれもった才能も特殊な技術もない。
この場でただ一人の素人で役立たずで足手まといだった。
だが、その目はいつものように傲然としている。
逃げるが退く気はない。人の不幸と悪意、悲哀、血、涙、ジャーナリズムは地獄の美学だ。アイナは自らのジャーナリズムが叫ぶところによりこの場所が事件の中心であると確信していた。ここが地獄の一丁目だ。
時を遡ること数時間。
アスクラピア最上階のコントロールルームでアイナ、ナターシャ、リンメイ、イグレシアスの四人は立て籠っていた。
アスクラピアの至るところに仕掛けられていた過去の軍備をフルに活用してコントロールルームに設置されたコンソールを操作して、実に容易くマフィア達を次々と射殺していった。
照準も備え付けられた生体CPU、つまりはミコトが自動的に定める。
ナターシャはただ撃てと指示をするだけで済んだ。
外敵の駆除は順調に進んだが、異変は地下から始まった。
砕け散る廊下、隔壁。その向こうから現れたのは奇妙に凹凸のない灰色の巨人。だが、本当に危険なのはそんなものではなかったのだ。
それは折れ曲がったパイプから垂れ流れる液体の中から前触れもなく余りにも当然のように起き上がった。人型ですらなく無数の肉塊とアメーバを混ぜたような姿をしていた。そして、廊下の天井に触れるほどに巨大だった。
肉塊は灰色の巨人にも敵視されているらしく、猛烈な攻撃を加えられていたが身動ぎ一つで吹き飛ばし、大量の肉塊と粘液を高速で噴出させて質量で灰色の巨人を砕き尽くした。
肉塊の常識はずれの攻撃を何とか凌いだのはジョシュアとカルラだけだった。
肉塊はまたプルプルと震えるとその表面に幾つかの目玉をしわの奥から露出させた。そして、セキュリティルームに目を向けるとジョシュアとカルラが反応する間もなくまた肉塊を噴出させた。
それはもはや波だった。圧倒的で無味乾燥な暴力。体内に入った雑菌をくしゃみで吹き飛ばすようなあっけないものだった。
生存者はいない。ナターシャは確認する必要すら感じなかった。あの波の中で人間は生きていられない。
ジョシュアとカルラはすぐにそれを察すると灰色の巨人が開けた隔壁の隙間から逃げ出した。肉塊は逃げる者を追う様子はなく、数十秒静止した後、出現したときと同様に水溜まりに溶けていった。
「……今の、なんなの?」
カメラを通して地下の様子を見ていたアイナは顔を真っ青にして呟いた。
「ミコトよ」
ナターシャが答えを返した。
「誰?」
「うちのシステムを全て統括するセントラルユニットよ。もうとっくに意識はないはずなのに、本能で自己防衛をしたのね」
次の異変も同じ場所から始まった。
彫像のように美しく均整の取れた体つきをした男だった。陶磁のように白い肌はきめ細やかで光を弾く様は神々しささえ覚えさせるほどのものだった。
その男は施設に侵入するといやに俗な動きで監視カメラを指差した。
「お!カメラ発見~」
男は強烈な美貌の上に醜悪な笑みを浮かべた。
「今からそっち行くぜ」
コントロールルームの四人は自らの運命が決したことを予感した。
事実その通り、20分も経たぬうちにイグレシアスは頸骨を握り潰され、ナターシャは内容物を全てぶちまけられた。そして、リンメイとアイナは悪鬼に囚われたのだ。アイナは運良く選ばれなかったが、リンメイは……。




