ボランティア
はあ、とシアンがため息をついた。
「自ら神を喰ろうたか。これはとんだ拾い物じゃぞ、ネキア」
シアンはゆっくりと歩み寄って、膝をつくケントの肩にその細く白い手を置いた。
「今回もギリギリじゃな。あれはそう何度もできるものではなかろうに」
「ああ……大丈夫さ、大丈夫だと思う」
あの姿になるのは長くて10分が限界だろう。それ以上は戻れる気がしない。
「それで、どうする。この有り様じゃが」
シアンがぐるりと見渡す。
工場は無惨にも幾つかの柱が立っているだけで、ケントとイルファストスの大暴れにより大半が崩れ去っていた。生存者はシアンが連れて逃げた女性の他には数名の気絶した女性たちだけのようだ。
これでは資料を探そうにも難しいし、尋問をしようにも相手がいなかった。わざわざここまでやって来てただ工場を潰しただけになってしまう。
「どうしようか……」
とりあえず、服を探して瓦礫の上を歩き回る。作業服を見つけたのでそれに着替えた。そこでキラリと光る宝石のような輝きを見つけた。
「ああ……」
「なんじゃ、なにか見つけたのかの?」
それは牧師の鼻から上の部位だった。白濁した網膜が垂れた髪の毛の間から覗いている。黄色の霊脳核が光を反射したらしい。拾い上げてみると脳もほとんど無傷で残っているようだ。
少し考えて、ゆっくりと自分の霊脳核と牧師の霊脳核を近付けた。
「おい、お主。何をするつもりじゃ。馬鹿な真似はするでない」
ケントが思い付いたのは、霊脳ハック。
マックスの言葉を思い出していた。
『人の霊脳核に自分の霊脳核を合わせると少しだけ相手の霊脳に干渉する事ができるんだ。摂取インジェストと一緒さ』
『なにか考えているようだけど、人の霊脳を覗き見ると自我が崩壊するぞ』
『当然だろう?人の意識には通常ロックが掛かっている。そのロックを潜るんだから同一化しないといけない』
『正気でいたいなら人の霊脳には手を出さないことだ』
『――――絶対にやってはダメだ』
彼女が言っていた。
『不可逆的に人格が崩壊してしまう』
いいさ。それを聞いたところで本当のところ私は何も思わなかった。私はとうに狂気に呑まれている。私の人格はネキアを受け入れた時、いや、それ以前からすでに崩壊しているのだ。
牧師の顔面を両手で挟み、霊脳核同士を重ねた。ちょうど熱を測る時の姿勢だ。
摂取の時と同じように……。
「うわあああああああああああああああああ」
眼前の風景が遠退く。感覚が引き延ばされて、霊脳核から自分がドロドロと漏れ出していく。その雫が牧師の霊脳核にたどり着いた瞬間自分が逆流を始めた。
不可思議で奇妙な体験だった。自分の外に自分がいることを初めて知り、流れ込んでくるそれもまた自分であることに驚愕した。
その自分はイルファストス・ゾルベルトだった。
イルファストスの人生が走馬灯のように甦る。
イディアック共和国に奴隷として生まれ、誰にも愛されずに生きた幼少期。
知らずに親を殺され、新たな母と共に自由を獲得した少年期。
母として師として女として愛した者を喪った青年期。
仲間を捨てて一人ドミニオンで愛を語り暗殺者として生きた壮年期。
そして、死期。
眼前に迫る漆黒の巨人(そう、それも私だった)の手刀が私の鼻に食い込み、潰し、突き進んで両断する。視界はグルグルと回り水気のある音を立ててべちゃりと地面に落ちる。そして視界は暗くなり、消えた。消えた。消えた。消えた。消えた。消えた。消えた。消えた。消えた。消えた。消えた。消えた。……。……。
永劫の時が流れた。私は心地よい闇の中にいた。不思議と覚えのある感覚だった。
――――これは誰の記憶だ?
闇の底から淡く輝く記憶が泡のように浮き上がってきた。その光に照らされて私は輪郭を取り戻す。
それは妻と娘の記憶だった。XX県の山奥で黒い涙と血反吐流す天使のような二つの生首。
後を追うように幾つもの記憶が浮き上がってくる。
娘を抱き上げた時。奴隷だった女。妻とのデート。マリアの鉈。同僚の検事達。小学校のクラスメート。遠足。ゾルベルトの子蜘蛛。共和国の街並み。アイナ。葬儀社の同僚。北区の地下道。ジャグラスの飲む酒。ケイトの唇。火を噴く竜人。ヒルコ。ギルドへの潜入経路。子供達の肉の味。シアン。
それはいつしか滝のように激しくなり渾然一体となってこの身を煌々と照らしあげた。
「アインー、何かすごいことになってるよー?」
猫耳の少女が眉を八の字にして言った。
「ひでぇなぁすげぇなぁ」
坊主頭の青年が困惑を露に答えた。
「すげぇゆうより、こりゃいったい何があってんな?ボロボロっちゅうレベルちゃうで、何ものうなってしもうとるやんけ」
最後にオレンジ色の髪と真っ赤で毛皮たっぷりの成金ガウンを着た長身の男が言った。
周囲は跡形もなく破壊された工場の残骸が覆い尽くしていた。
「うわー……ちょっとこれ見てよー。誰か浮いてるー」
猫耳少女が血溜まりに浮く男を発見して指差した。ガス管が爆発したかのような窪みに正体の知れない巨大な生き物の血液が大量に溜まっているのだ。
「おい、生きてんのか?」
坊主頭がじゃぶじゃぶと血溜まりを掻き分けて男を地面に引き上げる。
「なんだコイツ、すげぇ重いし固い。シゴコーチョクじゃねぇの」
「何や、また死体かいな」
成金が呑気そうに引き上げた男の顔を覗き込む。続いて猫耳少女も男の顔を確認した。
「ひゃあ、ボロッボロやなこいつ」
「あれー、何か知ってる顔な気がす……あっ」
「どないしたんや?知り合いか?あっ!もしかしてストーカーか!死んでんねやったらそらよかったで!アーシェの貞操はワシが守るんや!」
「テイソー?何かよく分からないけどペル兄気持ち悪いね!」
猫耳少女が邪気のない笑顔を成金に向ける。
「うぇへへ、アーシェちゃんの罵倒やったらノーダメージや」
「うっさい、ペル兄のせいで誰だったか忘れちゃったよー」
その背後で闇が収束して形をなした。それは可愛らしい鈴のような声で、老人のような口調をしていた。
「やや、貴様はアーシェではないか」
「あれ?シアンちゃん?」
「うおおおおおおお!?」
前ぶれなく現れた美少女にツァルカが腰を抜かして野太い悲鳴をあげた。
「おおおおおおおおおおおおおおお!?」
「うるっさいよ、ペル兄!」
「そうだぜ、兄貴。ただのガキじゃねぇか」
男の生死を確認していたアインヘルもアーシェに同意する。
「いやいやいやいや、なんでお前らそんな平然としとんねん!だっておかしすぎるやろ!このガキどっから出てきてんな!?」
「まあまあ、ペル兄。シアンちゃんはそういうタイプの子だから」
「タイプも何もあるかい。え、知り合いかいな」
「うん、お友達だよねー?じゃあこれケント?死んでるのかなー?」
アーシェが男を指差した。
「左様。しぶとく生きておるがな」
シアンは尊大に頷く。
「ところでおい、そこの若造、我らを地上まで運ぶがよい」
「ああ?なんだこのガキ。やたら偉そうじゃねぇか」
「ほざけ、若造。我は如何にも偉いのじゃ」
「ったく、舐めてんじゃねぇぞこのクソガキ。軽く焼き入れとくか」
社会的に生存不可能なレベルに沸点の低いアインヘルが額に漫画じみた青筋を浮かべ、シアンに向けて膝を上げる。
「何子供にマジなっとんねん」
同時にツァルカがアインの坊主頭をはたき倒した。
「痛って。へい、すんません」
素直に謝るアインヘル。どうにも話が進まないのでツァルカは話を主導することにした。
「地上に連れてくのはまあええか。ほんでまあ、これどないしてんや?」
「うむ、それについては道中話そう。まずは生存者を保護するのが先じゃ。ほれ、そこの若造。元気が余っておるなら動け」
「はあ?こんなとこまで来てボランティアかよ」
シアンはどこから出したのか豪奢な扇子を片手にはためかせてアインヘルに指図した。
確かに正論と言えば正論だ、とツァルカは納得しアインヘルに対して頷いた。
「まあええわ、やったれアイン。けどお嬢ちゃん、後でちゃんと話せよ」
「ったく、何で俺が。ほいよっと!」
アインヘルがぐったりしたケントをベッドに投げ込む。
「こら、若造!ケントを雑に扱うでない!」
「うるっせぇぞお子ちゃま!」
アインヘルはドシンとソファーに倒れ込んだ。
一行は蒸気車両を駆りツァルカの隠れ家に着いていた。ジャグラスも知らない北区西端に位置する廃ホテルで、立地も悪けりゃサービスも悪い、その上宿泊料が高いといいとこなしの経営のせいで一瞬で潰れたホテルをツァルカが買い取ったものだ。
「にしても、コイツが牧師を殺っちまったってのはマジなのかよ。言うほど強そうには見えねえが」
「マジじゃ。見事な鏖殺っぷりじゃった。牧師は頭をほんの少し残してこの世から消滅したぞ」
「ちっ。……牧師の頭なら見たよ。血の池にプカプカと浮いてたからよ」
アインヘルは天井を仰ぎ呻いた。
「つうことはよ、コイツはでっけぇ借りができちまったってことかよ」
「ほう、借りとな?」
「まあな」
アインヘルがにかりと少年のように笑う。
「牧師のぶっ殺し方がさっぱりでよお、どう殺してやろうか悩んでたんだよ。なあ兄貴!」
「まあ、せやなあ。ワシは別に借りとは思ってへんけどな」
「俺が借りだと思っちまったからいいんすよ」
「はあ、お前はほんまアホやなぁ」
暖かい眼差しでもってツァルカは笑った。
ヒルコはアスクラピア地下の広大な闇に一人佇んでいた。
人格は脳に焼き付いた焦げ跡のようなもので、その焼け付きに沿って思考はフローし、性格やら癖やら個人を識別しうるだけの多様性が生じる。この焦げ跡は人それぞれに意味を持ち整理されて一つとして同じ物は出来上がらない。
そこに新たに二つ目の焦げ跡を付ければ最初の焦げ跡は無惨にも意味不明になり、当然二つ目の焦げ跡も元の形を保てず、流れる思考はメチャクチャに走り回ることになる。
このように一つの脳に二つの人格を刻めば通常は両方ともが駄目になってしまう。これを人格の崩壊という。
サルベージ(死者の脳髄から情報を得ること)を生業にする者にとってこれは死活問題だった。下手をすれば人格を喪い、ともすれば金になる情報すら消えてしまう。
しかし、彼らは諦めなかった。自らの人格を脳という物理的な枠組みに押し込み、何度も何度も深く刷り込んで消えないよう混ざらないようになるまで自分の人格を埋め込む。
この深い刻印は、他の焦げ跡よりも明確にその紋様を判断でき、識別できる限りにおいて人格の同一性は保持される。
「あら?あてが外れたなぁ、院長先生よお。似ちゃあいるが、結局あんた全然関係ないじゃないの」
八百組の頭領、ヒルコは今しがた引きちぎったアスクラピア院長の首に語りかけた。
院長は何も答えないが、彼の不屈の生命力を思えばまだ数刻は生きているだろう。
だが、ヒルコはすでに院長の脳内をシナプスがズタズタになるまで検索しており、もはや院長の人格はもとに戻るものではなく用済みだった。
ヒルコは院長の頭頂部に人差し指と中指を突き入れて指を引っ掛け、それをぷらぷらと揺らしながら瀕死のゲイルに近付いた。
「名前、なんだっけ?」
「ごふっ」
「ごふっ、じゃねぇだろお前よお。それじゃあ死ぬぜ?ほら、名前言ってみろって」
「あ……が」
眼球を痙攣させながら「ゲイ……ル」と答えた。
ヒルコは突如絶叫した。
「ゲエエエエエエイルウウウウウウウウウウ!!!!!ほらよ」
ヒルコはゲイルを覗き込むとその上で院長の頭を握り潰した。大量の血液がゲイルの傷口に振りかかった。
ヒルコは手を振って血を払うと「ミコト」が見下ろす玉座に身を委ねた。
宙吊りになっている「ミコト」の左目がギョロりと動いた。
「ここ、悪くない研究してるよな、ミコッちゃん。お陰で面白い悪戯を思い付いたぜ」
ヒルコはまるで会話をしているかのように返事の間を空けながら独り言を話した。
「ミコト」の発声器官はとうに失なわれている。返事ができるわけもない。しかし、相手の心を完全に理解できたらどうだろうか。心の動きを一つ一つシミュレートできるとしたらどうか。
「……ちゃあんと完成させてやるからよ。……無理じゃねぇ、てめぇらが低脳過ぎたんだ。……また抗争を始めるに決まってんだろ。今度は誰も助からねぇぞ。」
つまんねえなあ。脳裏に浮かぶのはいつも埋め込まれた地球での最後の記憶だ。余りにも強烈過ぎてゼラスでの記憶が霞んでしまうほどに強く感情を揺さぶられる。
だが、今はまだ準備期間だ。
この世は広く鉄火と闘争に溢れ、未だ点火を待つ導火線が無数にあるに違いない。それを一つ残らず燃やし尽くすその時まで――――。
起きてまず最初に気にしたのは私が誰かということだった。だから、シアンの台詞はまさに予想したところだった。
「よく眠っておったのう。さて、お主は自分が何者かわかるか?」
自分の手のひらを見てみる。皮が少し厚いが綺麗なものだ。見覚えがないこともないが、そもそも自分の手のひらをまじまじと見て記憶している人は少ないだろう。私が誰かを確認する決定打とはなりえない情報だった。
「ふむ、聞こえておるのか?」
次に部屋を見渡してみた。どうやら知らない部屋のようだ。
部屋はかなり狭く、置いてあるのは小さな机と椅子、鏡台、後は私が寝ていたベッドだけだった。ベッドの枕元に虫食いだらけの本があった。おそらくここは宿泊施設なのだろう。だが、営業しているかは疑わしい。
詰まるところ、何も情報を得られなかった。私は誰だ?
「どちらなのか訊いておるのじゃが、わからんか?」
「シアン、どうやら私は私が誰か把握していないかもしれない」
私は苦心しつつ答えた。すると、シアンは不安げだった表情を一転晴れやかな笑顔に変えた。
「ふはははは、我が言葉が分かるようじゃな!」
「そりゃ分かるよ、馬鹿にしているわけじゃないよね」
シアンは腹を抱えて笑った。その姿を見ていると本当に馬鹿にされているような気がしてきた。
「そんなに笑うものじゃないだろう」
「いいや、笑ってしかるべきじゃ。これは安堵の笑いじゃからな」
一呼吸置いてシアンは続けた。呟くように語りかけるように、慈愛の潤いと聖母のような視線で名前は紡がれた。
「ケント」
その名前、多様ならぬ唯一の存在を表す記号は私の鼓膜を震わせて染み込んだ。
「……あ」
頭をハンマーでぶん殴られたかのような衝撃が走り、私の意識は遥か宇宙の彼方にまで飛んでいった。そして、たちまちに何処かから記憶を拾い集めて持ち帰ってきた。そうだ、私はケントだ。ケントだった。
「ふむ、思い出したようじゃな」
「ああ、思い出した。記憶喪失とはあんな寄る辺のない気分になるんだな。そのわりにシアンは大笑いだったが」
「我の姿に異常がない時点で深刻な問題がないのは分かっておったのだ。この姿はケントの意識に依って立つものじゃからな。それに、お主はちゃんと返事をした。人格が無理に混合しておれば言葉の意味すら理解できなくなるはずじゃ」
シアンは嬉しそうに喋っていた。そうは言ってもこうやって話すまでは心から安心することが出来なかったのだろう。
「それで、ここはどこなんだい?」
手元にあった本を見てみた。裏表紙にウェストサイド・ホテルと記入がついている。そのまま西区なのだろうか。本のタイトルはぱっと見でわかった。幾度も読み返したゼルエム教の教典だったからだ。
「ンー?」
脳みそに直接ノイズを流し込まれたような意識の混濁が生じた。
ケントの意識にまで牧師の記憶が流れ込んで混ざっている。教典についての記憶は牧師の方がずっと強い。
「かー、ほら言うたことか。人格はもうすでに混ざっておる。もはやゼラスの方法では取り除けぬぞ」
シアンは呆れ顔だ。
「……承知の上さ。それにマックスが言っていたよりもまだマシだ」
ケントは肩をすくめて「だって私はまだ人格を保っている」と続けた。
「ふん、その人格が元のものと同じかは分からんがな」
確かにその通りだと、感覚的に分かる。
部屋を沈黙が覆い、少ししてドアが開いた。
入ってきたのは脇に巨大な槍を抱えたアインヘルだった。
「おお、やっと起きたのかてめぇ!」
アインヘルの蛮声に不快感を覚えたが、シアンの顔を見てどうやらこの男が私をここまで運んでくれた者だろうと見当がついたので、それを外面に出すのは抑えた。
「君は……アインヘル・スティンガーさんですね」
「あん?そうだけどよ、てめえ何で俺の名を知ってやがんだ?」
何ということだ。まさか、マフィアのクズに助けられるとは思わなかった。
「……君はぁ街の有名人だからね」
一応、マフィアの主要幹部は全員霊脳に記憶していた。
それに、牧師がアインヘルのことをよく知っていた。
「ちっ、有名つってもどうせ知ってんのは初代のことだろ。俺のことじゃねえ」
「正しい自己認識だ。君はその初代の孫だから私も知っていた」
「てめぇうぜえ話し方するよな」
「気に障ったかな。そんなつもりじゃないんだ。君がここまで運んできてくれたんだろう?」
「おう、まあな」
「感謝する」
アインヘルはおかしな表情を浮かべ、それから破顔して笑った。
「おう、いいってことよ!それにあんたには借りがあるからな!」
借り?
(この者らはお主が牧師を始末したことに感謝しておる)
チラッとシアンを見ると、何とも嫌らしくニヤニヤと笑っていた。
そうだな、勿論だ。利用できるなら利用させてもらうさ。気分的にも使い捨てやすい。
でも、こいつはマフィアだ。きっと相容れないと思うけど。
「アインヘルさん」
「あん?アインでいいぜ」
「オーケー、アイン。助けてもらっておいてなんだが、頼みがある」
「おう、いいぜ。けど、飯ができた。食いながらでいいよな」
「ふむ、わかった」
ベッドを降りて階下に向かう。
シーツにも床にも埃が積もっており、動く度にそれが舞い上がった。通路に敷かれてあるカーペットは、設置された当初は高級感を覚えるくらいにはフワフワであったのだろうが、今は経年劣化のせいか、擦ると粉のような繊維がボロボロと出てくる。
アインに勧められてダイニングテーブルに着席した。大きな長方形の木製テーブルだが、周りの調度品と趣が違うので最近になって持ち込まれたものだろう。
それから、アインとシアンも同様に座り、次にアーシェとツァルカが料理を運んで席に着いた。
「今日の献立は根野菜とシラカバスのアクアパッツァや!召し上がれ!」
ツァルカはにんまりと笑ってケントの前に皿を置いた。
「温かい夕飯、感謝します」
「かまへんかまへん。大変な時はお互い様や、なあ?」
ペル・ツァルカ。シンレンマフィアのファミリーメンバーの中でも有数の資産家だが、派閥争いには関わろうとしない変わり者。牧師の記憶ではそうなっているようだが――――
……政治家の顔をしている。きっと私の苦手なタイプだ。
(政治家は苦手なのかの?)
以前幾度か邪魔をされたことがあってね。いいかね、理想に燃えるペテン師を政治家って呼ぶんだよ。そういう奴は自分の嘘を信じ込むことがある。
ケントは隠れてため息をつき「そうですか」と答え、いつも通りの自己紹介をした。コールマン葬儀社の従業員であること、極東出身であること、シアンの兄だということ等々。
「ところで、アーシェは何故ここにいる?」
皿に顔を突っ込んで一心不乱にアクアパッツァを食べていたアーシェが矛先を向けられて顔をあげた。
「はえ?何か言ったー?」
もう一度、何故ここにいるのか尋ねた。
「それね!あたし、こいつの幼なじみなんだよねー」
ビシッと指を差す。
アインヘルは「指差すんじゃねぇよ」とぼやいた。
「ほう、君もシンレンマフィアだったのか?」
「違うよー。今こいつ友達いなくて可哀想だから手伝ってあげてるの」
「てめぇこら舐めてんのか!表でやがれ!」
今にも飛び掛からんばかりの剣幕でアインヘルがぶちギレるが、一方アーシェは猫耳をピクピクと動かすだけだった。
「いいからはよ飯食わんかい。せっかくワシが材料まで買ってきて作ってんやから」
「ちぇ、うぃっす」
ツァルカが二人を諌めるとアインヘルはすぐに怒りを収めた。
「作ったのミランダさんだよねー?」
ツァルカはアーシェをきれいに無視したので、私はとりあえず続けた。
「運び屋の仕事はいいのか?」
「うんとねー、今は二人がノラン農業国から葉っぱみたいなの輸入してるみたい。あたしは口が軽いからって留守番してるー」
二人とは運び屋仲間のゴードンとエディのことだろう。
つまり、アーシェは今暇なのか。
「暇なわけじゃないからね。ペル兄がお小遣いくれるからこれも立派なお仕事なのだ」
「せやで、しっかりしてや」
アーシェがしっぽを揺らすのを見てツァルカがにんまりと笑う。
「それでケントはん」
一転心なしか顔を引き締めてツァルカが私を見る。やはり、どこか嫌らしさを感じる。
「あんたジャグラスと戦いはるんやろ?ほな、ワシらと協力せえへんか?」
「どうしてそう思うんですか?」
「あんた、シアンやろ?」
この「シアン」は多分ネキア肉マスクを着けた状態の通称だろう。
「え!?マジか!」
アインヘルが食器を鳴らして驚く。
「シアンは妹ですよ?」
「ちゃうわ、ちょっと前に北区でギャングらに通り魔やってた奴や」
「……それは確かに私です」
「ほな、ジャグラスに敵対しとるんやろ?居場所でも探ってたんか?ワシらは奴の居場所知ってるで」
ジャグラスの現在地。ツァルカがカードを切ってきた。だが、そのカードはもう無意味だ。ジャグラスの居場所、奴らの移動する予定ルートは牧師が記憶していた。
「それで私に何を望むのですか?」
努めて冷静に、シラカバスという白身魚の小骨を箸で取りながら返答を続ける。
この世界にも箸があってよかったと思う。もっとも、ドミニオンで作られているのは調理用の菜箸だけで食事に使うための箸は極東にしかないらしい。
「……知っとるか、最近ジャグラスの周りを警護しとるバケモン」
「いえ、知りません」
「灰色のヌベーっとした肌しとる奴らなんやが、硬い上に全然死によらへんほんま気色悪いバケモノやねんけど」
「知りませんね」
ツァルカの視線は私から少し逸れている。こういう場面で人の眼を直視すると相手に警戒させることになるからだ。しかし、注視されている気配を感じる。ツァルカは何を知ろうとしている?私がそのバケモノについて知っていると考えているのか?
「うん、それでなぁ。それを指揮しとる奴がおるんや。名前を……なんやったかな――――」
ツァルカが顔を上げる。視線が重なった。
「――――そうや、サワジマ2号言うたかな」
「っ!」
サワジマ……八十重会の澤島のことか!?
重なった視線が自分でも動揺するほどにぶれる。その先でツァルカが静かに嗤う。
――――バレた。少なくとも私が何かを知っていることをツァルカは探り当てている。
だが、少しだけ強く息を吐き動揺を静める。声が震えるのは許されない。
「……それでそのサワジマ2号がどうかしたんですか?」
「変わった名前やろ?どこの国の名前なんやろな、ケントはん。まあそれは置いといてやな、頼みっちゅうのはや。そのサワジマ2号の命取っちまってくれや、なあ頼むわ?」
「ほう」
「こいつがすこぶる強くてな、一人であのアダムとかゆうミズガルズの頭おかしいのを食い止めてたらしいねん。ほんで、従えてるバケモノ共にも太刀打ちできひんし、こんなんじゃいつまで経ってもアインヘルをジャグラスのもとに送り込むのはかなわへん」
……サワジマ2号。そんな名の者がいるのならばジャグラスそのものよりも、気になる。
「いいだろう。やってみましょう。奴らの場所は?」
「ナッハッハ……!奴らは今なぁ、アスクラピアにおるで!」
「ほう?」
どういうことだ。予定と違う。
「アイツら、アスクラピアを乗っ取りよってん」
「……信じられないな、マフィアが表だってそんなことを」
「それでどないしよ?」
是非もない。
「襲う他にあるはずはない」




