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悪鬼異行 異界復讐譚  作者: ジベタリアン
ダンジョン都市ドミニオン
35/56

マネキン工場

神を食らう獣、人を食らう人

リンメイ曰く、ここの通称はマネキン工場と言うらしい。

第一工程のレーンには次々と義体の一部が流れて一体のドールが組上がっていく。完成したドールがレーンの奥に積み重なるように格納される様はまさにマネキン工場である。

そして、重要なのはマネキン達の顔、そして構造がジャグラス邸の地下で見たセレブロマータと同じということだ。ここがシンレンマフィアにセレブロマータを納品しているのは確実だろう。


思案していると、女性の悲鳴が聞こえた。すぐに全眼の範囲を拡大すると、隣の空間に数人の男と、男に腕を捕まれている女性を見つけた。脳を摘出する為に捕らえられていたのだろう。

すぐにその方向に向かい、左腕の亜空間から刀を押し出す。ずるりと刀の柄が左手首から生える。それを引き抜きながら扉を蹴り開けて、すかさず男の上半身を切り飛ばした。


刀に着いた血を服の裾で拭き取りながら、念のため周囲を警戒した。そこは予想していた通り、人間の尊厳が徹底的に踏みにじられた空間であった。

厚いガラス壁の向こう側には、40枚程の金属製の板が規則正しく吊り下げられていた。各々の板には拘束具が付いており、一枚一枚の板には女性が磔にされていた。


(ほう、人間は酷いことをするものだな)


シアンは笑いをこらえているかのような声で言った。


……面白いかい?


(いや、これだからネキアは人を好かんのだ。すぐに狂気に呑まれる。それより後ろに神胚の感触があるぞ)


見えている。


後ろから泰然としていて、それでいてスムーズな歩みで足下まで覆う礼服を着た男が近付いてくる。余りにも滑らかな体重移動により宙に浮いているようにすら見えた。


「こんなところにまでいらっしゃるなぁんて」


そう言って牧師はハルセンの生首をケントの前に投げた。逃げ出そうとしたところをやられたのだろう。


「……イルファストス」

「おや、これはまた古い名前を持ち出してきましたね。勝手に私の部屋へ入られたのですか?ゴッドがお許しになりませんよ?」


すると、「フン、笑わせるな」と言ってシアンが私の背後から現れた。


「ゼルエムがそのような些事を気に留めるものか」

「……?シアンさんまでご一緒に。あなたはまるでゴッドに会ったかのような言い振りをするんですね。ンー……?」


牧師がシアンの言動に不思議がる。


「ケントよ!」


その間にシアンが振り向いた。その顔は場違いに晴れやかな笑顔だった。


「どうした?」

「覚えておるな」

「当然だよ」

「それで良いことを思い付いた。ゼルエムの神胚を喰らうのじゃ!」

「ほう?どうしてそんな面倒な」

「左腕に取り込めば足りる。いや、それでは消化できんな」

「シアン、何を言っているんだ?」

「ゼルエムに灸を据えてやるのじゃ」

「ほう、まあいい」


とりあえず、シアンの言うとおりにすることにした。私を食らおうと言うのなら、食われても仕方あるまい。


「ご相談は終わりましたか?それではこちらの番です。あなた方はまた私の食事の邪魔をした」


牧師は怒りをあらわにして、ちらりと部屋のすみで腰を抜かしている裸の女を見た。


「あんたの食事って言ったら人喰いだろ?止めて何が悪い」

「前もお教えしたでしょう?これは私の愛の形です。愛は止められない、そうでしょう?野暮に程がありますよ」

「黙れ狂信者め。押し付けがましいあんたの愛じゃあ相手も迷惑だろうよ」

「ふははは、何を言うかと思えば!愛は私の心だ!相手の気持ちなど、関係がない!」


グッ、と牧師が沈み姿が消える。来るか。


「またそれか。対策済みだ!」


透明になる能力。理屈は不明だが匂いや音、可視光線すらも断絶……いや透過させているのだろうか。だが、対策はある。左腕を根元から四つに裂いて振り回す。範囲攻撃。一番上の腕に何かが当たり押し飛ばした。空中にいたらしい。


壁を破壊して第一工程のレーンまで飛ばされた牧師が吹き出した蒸気に包まれて一瞬だけその輪郭を見せる。


「対策はしたと言った」


ケントが亜空間から触媒を取り出し、地面に叩き付ける。砕けたガラス瓶が飛び散り、同時に足元から冷気が爆発し空気中の水分が塵と結合して白い粒となる。ここは地下工場だ。塵と蒸気には事欠かない。


「これで貴様の動きがよく分かるぞ、牧師ぃ!!」


範囲を周囲3mに限定した全眼に白い粒が消えていくのがはっきりと映る。それが自らに伸びてくるのを間一髪で交わして、右手でおよそ牧師がいそうなところをぶん殴った。


「ぐうっ」


牧師の呻き声。拳の感触から鎖骨に当たったことが分かった。すかさず、顎にもう一打撃ち込もうとすると、牧師は姿を現してその手を掴んだ。


「その左目ですか?この前潰したはずなんですが」

「残念だったな。治した」

「……本当に厄介だ。相当の祝福を受けたと見える」


牧師が空いた手で銅パイプを掴んで、高温の蒸気が吹き出すにも関わらず振り下ろした。

それを刀で向かい撃ち、返す刀で袈裟斬りに牧師の上半身を狙う。それから失敗したことに気付いた。


鍛治職人ゲンドー謹製の刀が甲高い音を立てて折れる。


ちっ、また怒るぞあの人……ゲンドーの髭だらけの顔を思い浮かべつつ頭上で回転する刃先を掴み、もう一度振り下ろす。

しかし、その刃先も砕け散り、私も背後に押し飛ばされた。尻餅を突きそうになり、側転して距離を取る。


「……対策をされるとは、このような気分なのですね。とても不愉快だ。いいでしょう、音もなく忍び寄る(シレニカ)は不完全ながらも対策されたと認めましょう。だからこそ、貴方を逃がすことはもうできない」


不機嫌に眉を寄せる牧師に言い返す。


「逃がす?それはこちらの台詞だ」

「ですが、いと貴き触れ得ぬ者(アイハダール)がある限り貴方は私に触れることさえできない。貴方は私のにえに過ぎないのです」

「贄ね。やはり貴様と私では違う。求めているようでは」

「ンー?」

「私は求めない」


ケントが駆け出す。その動きはまるで獣の如く、手で大地を掴み、足で大地を蹴る。異様な移動方法は牧師の虚を突き一瞬だけ牧師の体の動きが遅れた。ケントは止まらずに牧師の腰を目掛けて突き進み、タックル。牧師は膝蹴りを前に出すが、予測済みであり、腕で押し退けて牧師の体を持ち上げる。

牧師は即座に肘をケントの後頭部に落とす。

しかし、それも腰から生えた二本の触手が防いだ。


牧師の背中がロボットアームに激突する。刹那、牧師の全身が一瞬にして硬直する。


スパーキンとかいう技の準備行動だ。咄嗟に左腕で頭をカバーし右半身を牧師に押し付けた。頭部以外の右半身は手榴弾によりネキア肉の割合が高く、再生力が高い。


「スパーキン!!」


牧師の体がまばゆく輝く。ケントは牧師を掴んだ右手を可能な限り硬化させる。直後に牧師が破裂する。爆風に煽られてケントの大柄な体が浮き、後ろに5mも流される。起き上がると右手を確認した。右手は……


「ッ!」


右手は砕け散り手首から先が無くなっていた。

欠損はすでに10回ほど経験しているが、何度繰り返してもこの喪失感は慣れることはなさそうだ。


――――だが、間に合った。




牧師を始末するに当たり、最優先で解決する必要がある事柄があった。牧師の硬化による防御だ。

それでセレブロマータ引きずって地下から出る間シアンと攻略法を検討した。




(奴の始末の仕方を考えた)


ほう?


(奴の異様な堅さは我が思うに、完全に物理法則を超えておる!)


魔法なんてものがある時点で物理法則は超えているじゃないか。


(そうではない。魔法は可能なものを実現するだけだ。不可能までは実現せん)


それくらい知っていた。霊脳は実に便利で、記憶力がまるっきり無意味になるほどだ。


(ふん、そのわりには使いこなせてないようじゃな。つまり、奴の堅さは不可能の域にある)


ああ、だからこそネキア肉の効果なんだろう?


(我々の肉体はそんな万能なものではない。治癒が早い、形が変わる、魔力に反応する、そして異界を内包しているだけじゃ)


異界を内包する……。そうか。


(左様。奴の肉体は堅いのではない)


皮膚表面で空間を断絶させているのか。そんなことができるのか?


(ネキアを喰らったお主では無理じゃがゼルエムの肉片ならば容易いじゃろう。実に悔しいがゼルエムの肉一片とネキアのでは比べようもないほどに神素しんその濃さが違う。信者があと1億もおればあんな奴けちょんけちょんにしてやるというのに!)


ああ、それでどうするんだ?


(奴の異界をお主の中に取り込むのじゃ。幸い、神胚の総量では我らの方が圧倒的に有利。取り込んでしまえば容易に異界を押し退けられよう)


ほう。で、それはどうやる?俺の異界は内側で動かれるとすぐ破れるぞ。


(内側にまで引き込む必要はない。5秒触れて、そして引きちぎれ)




「ンー?……アハ、これは、何だろう。ンー?あれ?何をしたんですか?」


牧師が左腰を押さえていた。その指の間から血が漏れている。


「骨盤を引きちぎった」


ケントが口角を上げる。腸骨の左側のほとんどと、そこに繋がる大腿筋を握り潰した感触があった。立っているのも辛いはずだ。


「くはは。あんたの肉、見せてやろうと思ったが俺の右手と一緒に吹き飛んだようだな」

「……ははは、そんな馬鹿な」


神胚かみはらは、信仰篤き者に対する神の恩恵ギフトである。それは信仰の証であり、その力の程は信仰の強さを表す。もっとも、その信仰は教義に合致している必要がある。


「私のアイハダールが破られるなど……」


牧師の唇が色を失う。よろめいて倒れた。


「神よ、愛が足りないとでも言うのですか?」


鼓動する毎に牧師の腰から血が噴き出す。


「ならばより愛を、愛を、愛を」


牧師は頭を地面に押し付けて祈っていた。


ゼルエム教の教義は、ゼラスに幾つもある宗教の中で最も単純であった。

「生きよ」

ゼルエムの言葉を咀嚼すると、生きるとは生命を長らえることに尽きるものではない。可能性を模索することを生きるという。可能性を実現することを生きるというのだ。

そして、全ての生命は何らかの可能性を実現しながら生きている。結局、ゼルエムは全ての生きとし生ける者を肯定する。

後は、信仰の多寡だった。


牧師が床に爪を立てる。コンクリートに穴を穿ち、そこに指をかけるほどに。牧師の祈りは終わらない。


塵と血に汚れた礼服の下で牧師の体が力む。肩甲骨の上を跨ぐ筋肉が信じられない程に盛り上がる。シレニカにより輪郭が霞む。――――跳ねた。


ケントは左腕を前にして硬化。透明化した牧師が高速で飛来してすれ違う。


「っ!」


衝撃と共に左腕が一部(かじ)り取られていた。歯形がある。人よりも小さい。以前左目に突っ込まれた杭の先に着いた口だろうか。更に背後で破砕音が響き、壁が崩れる。遅れてケントも振り向いた。


牧師は勢いのままに第二工程に飛び込み、素体を磔にしているガラス室に侵入した。厚いガラスが粉々になり、砂煙と蒸気が視界を失わせた。


左足が動いていないとはとても思えない動きだ。いや、そもそも素手であのガラスを砕くことなどできるのか?牧師の身体能力は私と違って、素のままと思っていたのだが。


(知らぬ。これは何の音じゃ?)


蒸気の向こうでバキバキと音がする。ゴムが弾けるような音。何かを啜る……。


――――ああ。


これは不快な音だ。


風の触媒を前方に叩き付けて魔法を発動する。一陣の突風が駆け抜けて砂埃と蒸気を晴らした。


絶句。


その向こうで牧師は意識のない女性をむさぼっていた。腹部に頭を突っ込み、右手の杭を頭部に突き入れて脳髄を啜っている。あまりに人間的ではない。


腹から内臓を掻き出して肝に食らい付き、太腿をへし折ってむしゃぶりつく。ほとんど一瞬で人間まるまる一人を喰い終えて、次の一人に手を伸ばした。

待て、と声が出る。私はそれを止めようと走り寄るがとても間に合わない。

牧師の顎が大きく開く。

120度を超えている。開きすぎじゃないか。

ガチン、と音を立てて歯が噛み合わさる。

一口で胴体の半分が無くなった。

待て待て、人間の一口がそんなに大きいものか。それに人間が数人も入るほど人の胃は大きくない。


「うおおおおおおお」


全体重を乗せた飛び蹴りを牧師の背中に入れる。

だが、超発達した背筋に遮られ牧師はぐらりと揺れたものの、異様な食事を続ける。

巨大な左手で鷲掴みにして、素体を磔にする拘束具を破って頭から喰いちぎる。残った下半身を頭の上で逆さにしてドロドロと崩れ落ちる腸を喉に流し込む。空っぽになった下半身を口の中に放り込んで咀嚼する。ゴリゴリ、バリバリ。


明らかに牧師は巨大になっていた。今や体長は3mを軽く超えて、横幅に至っては3倍近くあるように見える。


これも神胚の力なのか。


(我にも分からぬ。……いや、まさか、そんなことが人間ごときにできるというのか……?)


どうした?


(神素が強まっておる。我には神胚を引き込んでいるように見える。考えがたいが異空間を通じてゼルエムから肉を奪っておるようじゃ)


つまり?


(じきに理性も無くなる。そうなったら災害も同然、逃げるが勝ちじゃ)


ほう。……ならば、今しかない。今の牧師にならばできそうだ。やるぞ。


(仕方あるまい。許可する)


左腕、左頭蓋、右手、肝臓から大量の触手が伸びて全身に這いずっていく。


「オオオオオオオオオオオ」


対峙する。

敵を設定する。

敵の設定は、思い込むことで達成する。

自らの感情を一瞬だけ騙す。

加納敬志とイルファストス・ゾルベルトを重ねる。


そして、スイッチを入れる。


妻に会った時からだろうか。頭の中の一部を一つの感情が占めるようになった。妻と会った時は楽しいという感情だった。結婚してからは愛しいに変わり、死んでからは憎悪になった。ゼラスに来てからのそれは狂気だ。しかし、その前からずっと狂気だったのかもしれない。


頭の中の感情はいつしかスイッチの形になっていた。それは黒い涙を流し、夜の海に揺蕩う髑髏どくろのようだった。


――――カチッ。


押し込めていた狂気が決壊する。奔流が体内を巡り、体の端々《はしばし》から漏れ出す。狂気をコントロールしようとすることはそれ自体狂気の沙汰だ。そんなことをすれば一瞬にして飲み込まれる。溢れ出す狂気には触れず、努めて正気を維持する。

洪水の中で侵食される中洲のようだ。


大量のネキア肉がケントを中心にとぐろを巻いて収縮していく。次第にそれは人の形に収まっていった。表面は硬化して超重量の鎧が幾重も重なり、その下にある凝縮したネキア肉は鋼鉄を紙のように引き裂くほどの怪力を実現する。


「オオオオオオオオオオオ……」


イルファストスがゆっくりと振り向いた。

人間の面影はほとんどなかった。全身は石膏のような生白い肌に覆われている。四肢は獣のように地面に付けていて両腕が脚よりも長くなっている。しかし、腹部が肥大していて腹も床に着いていた。口はあまりにも巨大で人を丸呑みにできそうなくらいだ。

唯一の名残は、その口の上、犬でいうと鼻がある部分に牧師の顔の上半分がそのまま残っていたことである。

牧師は鼻から液体を垂れ流し、目はあらぬ方向を向いていた。実際の機能は口の横に新たに形成されたリンゴほどの大きさの球状の器官が行っているのだろう。


イルファストスが巨大な体をたわめ、走り出す。

消えたと見紛う程のスピードだった。

地面を蹴る四肢がコンクリートの破片を後ろに飛ばし、その破片でまた磔にされていた女性が死んだ。


ケントは腹を引きずりながら突進するイルファストスを正面から受け止めた。受け止めきれない。体重は何とか勝っているが、馬力が到底足りていない。

「グオオオオオオオオオ」ケントが吠えながらイルファストスをほとんど弾かれるように後ろに受け流す。


「馬鹿げた速さじゃな……」


隅っこで気絶寸前の女を連れて縮こまっていたシアンがぼそりと呟いた。

すると、それを聞いたのかイルファストスの顎だけが異常に発達した顔がシアンに向けられた。ギュルリとあらぬ方向を見ていた目を戻して視線までシアンに向ける。

2秒ほどの硬直の後、イルファストスの巨大な顎の中から小さな口が飛び出して話し始めた。


「いえいえ、7人食べましたので当然私も7人分強くなるわけです。スピードも7倍ですよ。体重も筋肉も脳髄も力も知恵も速度も7倍になりました。そうでしょう。おや?あなたの側にもう一人いるようだ。どれあなたと合わせて9人分」

「ケント、こやつを黙らせろ!!!」


ケントが猛然とイルファストスに迫り、振り絞った右腕で相手の横っ面を殴り抜いた。生白い肉片が爆砕されて飛び散り、イルファストスの巨体が派手に宙を舞いながら吹っ飛び、勢いのままに転がる。ロボットアームが枯れ枝の如く容易く粉砕され、鉄骨入りの壁も砂のように崩れる。

しかし、イルファストスは何事もなかったかのように立ち上がる。


「ケントさぁン、そうやって貴方はまた私の邪魔を」


極端に比重の高いケントの足がコンクリートを踏み砕き轟音を鳴らす。それを早鐘のように打ち鳴らしながらケントは走り、まだ喋ろうとするイルファストスの鼻から上を手刀で切り飛ばし、イルファストスにあった人間の名残を消滅させる。ぐらりと上体を揺らし倒れかかる怪物の顎を下から蹴り上げた。

脳味噌を失ったイルファストスが後ろに倒れる。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」


吠える。声は地下道の湿った空気を震わせて響き渡った。吠えながらケントは跳び上がり全体重でイルファストスを踏みつけた。幾度も踏みつけ、赤黒い液体を散らす。最後に一歩下がると、サッカーのように踏み込みながら蹴り飛ばした。肉塊と化したイルファストスが工場をぶち抜いて地下道の壁面にぶつかる。


「キュオオオオオオオオオオオオオオオオオン」


仰向けに倒れたイルファストスの巨大な口が叫んだ。発声ができる構造になっていないのか、喉の奥から掠れたような高い音が吐き出される。


散らばった工場機械を自身の大質量により腹の下で潰しながらイルファストスが四つ足をじたばたと動かして再び立ち上がった。垂れ下がった内臓が早戻しのように体内に収まり、次の瞬間バン、とその下で地面が爆発する。バネ仕掛けのように跳んだのだ。イルファストスが20mもあった距離を一飛びで詰めてバクン。


生物の中で最も強い筋肉は咀嚼筋である。イルファストスの今や牙と言って差し支えのない歯が噛み合わさりケントの鋼鉄の如く硬質化した左腕に突き刺さる。竜の鱗ですら容易に噛みほどの顎だった。


瞬時にケントは体に染み込んだ習性により深く腰を下ろして踏ん張った。素早く体勢を入れ換えて噛まれている左腕を大きく振るう。イルファストスの巨大な質量、速度、運動量に全身を持って行かれそうになる。

しかし、足から這い出た赤黒い触手が地面を突き刺して固定、腕を咥えたまま慣性のままに飛ぶイルファストスを引き留めて、引きちぎれそうな全身をこらえて相手を地面に叩き付けた。その衝撃にコンクリートの床がクレーター状に陥没、工場が震え、ついには地下道の天井が崩落を始める。

直後、イルファストスの口が完全に閉じられ、ケントの左前腕が歯の向こう側に消える。


「グオオオオオオオオオ!!!!」


ケントの絶叫が迸る。


「いかん、喰らい返せ!」


およそ理性など消えたように見えるケントに、工場から逃げ出したシアンが声をかける。


ケントは地面に叩き付けたイルファストスの顎関節を残った右腕で幾度も殴り付ける。

悲鳴のような甲高い音で鳴くイルファストス。

舞い上がる砂煙の中、更にもう一撃ケントが硬く重い拳を振り下ろす。ガン、と異なる音がして右手にヒビが入った。

アイハダール。

イルファストスは息を吹き返したように体を震わせながら跳ね起きた。

馬乗りになっていたケントも飛ばされて一瞬離れるが逃がさない。

イルファストスの離れた所からの踏み込みは驚異だ。離すわけにはいかない。すぐに接近してイルファストスに組み付く。そしてイルファストスの首筋に向けて口を開いた。ケントの頭部装甲の下半分が肉食性の昆虫のように四つに開く。


噛みついた。


アイハダールによる無敵の防御を、しかし、噛み付きはゆっくりと破る。ケントの大顎がイルファストスの首に埋まり、体を反らしてブチブチと肉を引き裂いた。大顎の一口は、イルファストスには及ばないものの、胴体と一体化した首の4分の1を喰らった。


「キュオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!」


イルファストスが暴れて体を捻る。

再び噛み付いたケントは右手だけでは踏ん張りが利かず、振り回されて地面に激突、イルファストスと上下が入れ替わる。

イルファストスは体を後ろに揺らして反動をつけ、一気にケントの顔面に牙を近付けた。


腐敗した肉をミキサーでかき混ぜたような生臭い息と汚泥の如き唾液がケントの顔に掛かる。


ケントは更に吠え、右手の爪を鋭く尖らせて、それをイルファストスの突き出た腹部に捩じ込んで円を描くように動かしながら引き裂いた。


「シャアアアアアアアアアアアア……!!」


イルファストスがゴツゴツとした歯茎を剥き出して悲鳴をあげる。

ケントの下半身に、血と肉を煮詰めたような液体が、割れた水風船のように降り掛かる。それは強い酸性を帯びているのか白い煙をあげてケントの鎧を溶かした。胃袋も傷付けたのか食われた女性の首と脚もこぼれ落ちていた。


イルファストスは吐き出す息で声にならない呻きをあげるも、強引にケントに噛み付く。すでに全身を神胚と置換したイルファストスには痛覚がない。痛みは恐怖と同様に傷付くことを回避するための機能であるから、イルファストスには不要となったのだ。

それはもう、人には知覚できない感覚と化しており、イルファストスの行動を止めることはない。そして、ケントの右肩を鎧ごと噛みちぎった。


鎖骨下動脈が傷付いたのか鉄砲水のように血液が噴き出す。その部位は未だケントの生身が残っている部位であった。しかし、流血はすぐに止まった。傷口が白く泡立ち生白い肉の芽が失った肉体を再生していく。否、それは侵略し占領しているのだ。


肩の傷口が埋まると同時に神経血液が通りケントの右腕に力が入る。その手を刃物状に変化させた。それでコンクリートにケントを押し付けるイルファストスの腕を切り飛ばし、相手の肩を掴み、お返しとばかりに噛み付いて引きちぎる、喉をならし飲み込む。咄嗟にイルファストスもアイハダールを用いるが、その間は本人も動けない。そして、動き始めると同時にまたケントの大顎がイルファストスの肉を引きちぎる。


イルファストスは防ぐのをやめた。学習したのではない。

溢れた水が流れて最後には一番下に向かうのと同じだ。

目的に向かう行動は収束する。

イルファストスの毛の一本もない乳白色の巨体がケントに食らい付いた。自らが食われることを無視して食らいにいった。


互いに殴り合い、押さえ付け、巨大な顎が引き裂き、牙が突き立てられ、瓦礫を蹴散らし、血液をぶちまけ、神胚を喰らい合う。一度イルファストスが馬鹿げた口を閉じる度にケントは二度三度食いちぎった。欠損した部位は瞬時に消化された神胚で再生された。そして、再生しきる前にまた喰いちぎられた。幾度幾度も繰り返し、次第に均衡が崩れ始める。


それは人知の及ばない戦いだった。神聖な神の儀式だった。同時に人間に満たない獣の泥臭い生存競争に過ぎなかった。そして、それが人外の争いならば、勝つのはより人から外れた方だ。


シアンが零れ出すように呟いた。


「イルファストスよ。貴様は愛と言うが人を食らうことのどこが愛と言えるのじゃ。罪深さのあまりに愛とすり替えたのではないか。愛を知らぬから、それを愛だと偽っておったのではないか。貴様自身本当は疑っておったのだろう。故に我が答えてやろう。……貴様はただ生きたかったのじゃ。さもなくば、ゼルエムが加護を与えることはないよ」


俯く。


「……ケントは違う。あ奴にゼルエムの加護は決して与えられぬ。故に、不憫なのじゃ」


シアンは二人の人外の争いをその終わりが来るまで見守り続けた。




「ガアアアアアアああああああ……」


ケントが暴れる全身を震わせて、ネキア肉を亜空間に収納していく。溢れる狂気を引き絞り心の奥に沈めていく。


大丈夫だ。600kgなら大丈夫。人型も留めている。鎧も残っている。私は私だ、羽山健斗だ。大丈夫だ。思い出せ、牧師は加納敬志じゃない。


ネキア肉がゆっくりと体内に消えていき、肌色の裸身が露になっていく。


「はあ、はあ、はあ……」


膝を着き、大きく肩で呼吸する。


そして、目の前でうねうねと蠢いていたイルファストスの最後の一片を握り締めて、口の中に放り込んだ。


はは。少し笑いが漏れた。

今さっき山ほど食らったはずなのだが、その時はとても味わっていられなかった。


「神の肉か……意外と美味いじゃないか」

いつかのディナー


「ケェイトー、ご飯ができましたよ。今日は角牛の照ぇり焼ぁきリぃブでぇす!」

「はい、牧師様!食卓の準備をしますね!」

「わあ、いい匂い!肉ですね!?」

「あらサハム君、丁度いいところに。ねぇみんなを呼んできてくれる?」

「はぁい!」

「ああ、サハム君!私からもよぉろしくおねがぁいします。いいですね?」

「任せてください、牧師様!」

「ああケェイトー!待ってください、食器棚の二段目に金細工のお皿がありますので、それを並べてくださいますか。あれは角牛の血の赤がよく映える」

「はい、牧師様!」

「ありがとうございます。配膳は私がしますので後は任せてあなたも子供達を呼んできてくださいますか?」

「え?はい、わかりました、牧師様」

「んふふ、ゆっくりとでいいですからねぇ~」


「変な牧師様、いつも配膳のお手伝いしてるのに。みんな、ごはんできたよー!ってみんなもういるのね。ではダイニングに戻りましょう」

「えぇ、ダメだよ!まだ牧師様の合図が来てないから」

「合図って?」

「ああ!言っちゃダメなんだよー」

「牧師様の合図あったよ!」

「もう!合図って何の話なの」

「いいから、ご飯食べに行こうぜー、ケイト姉ちゃん」




「「「「ケ(ェ)イト(お姉ちゃん)誕生日おめでとう」」」」

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