アスクラピア行脚
生と死の二重奏。アスクラピアには闇がある。
「ナースステーションってどこに在るんですか?」
イグレシアスが尋ねた。
アスクラピアは二つの棟からなる。入り口である四角と円柱で乱雑に組み合わせて形成された棟は新館と呼ばれ、診察室や手術室といった最新の治療設備を備えている。他方、旧館と呼ばれる二つ目の棟は新館の奥に建ち、入院患者のための病床がぎっしりと詰まっている。アスクラピアの敷地の大半を占める旧館は上から見ると十字型をしており、最上階は小さなドーム状になっていた。新館と旧館は地上の廊下と四階の渡り廊下で繋がっている。
「新館の入り口近くよ。そこから全館に放送ができるわ」
入り口近くなのか。
「それってもう敵陣の真っ只中じゃ……」
「連絡通路を使うからそんなにあの人たちとは会わないはずよ」
「大丈夫ですか?僕、ナターシャさんを守れる自信ないですよ」
「あーら、イグレシアス君ったら私を守るつもりでいたのね。大丈夫よ、あなたのことは私が守ってあげるから」
「そんな、僕は守ってもらう必要なんてないですよ!」
「大きな声ださないで。着いたわ」
角から覗き込むと、5人ほどの男が玄関ホールで雑談に興じていた。ナースステーションの内部は見えない。
「どうします?思ったより少ないですけど」
マフィアも人手不足なのかもしれない。末端構成員となると莫大な数になるが低レベルでは肉の盾にしかならない。ガーディアンを倒すならば最低でもレベル7は超える必要があるだろう。
「いるわね。ジョシュア君ったらどこに行ったのかしら。蹴散らしてくれてると思ったんだけど」
ナターシャさんは振り向いてうるうるとした目でジッと僕を見上げた。
「なんですか?」
「イグレシアス君って、つよーい第一部隊に所属しているのよね?」
「ええ、まあそうですけど」
一番隊は警備も巡回もしない。ひたすはに悪人を斬るためだけの部隊だ。対人戦闘に関しては他の部隊や其処らの冒険者よりも経験豊富な自負はあった。
「そうよね、じゃあ大丈夫ね。行ってきて」
「え、うわあ!」
ポンと小さい体は想像もつかない異様に強い力で背中を押されて角から弾き出されると、玄関ホールにいた男たちと完全に目があった。
「お?んだあ、てめぇ?」
「どしたん?」
「何か来やがったぜ。おうおう、剣持ってやがる」
「病衣を来てるからここの患者だな。邪魔だ、チャキッと殺すぞ」
「あいよー、へへ。丁度暇になったところだったんだよなー」
男たちがそれぞれ散弾銃を取り出す。
同時に脳の奥でカチリとスイッチが入った。
……悪党に生きる資格などない。
視界が広がり研ぎ澄まされる。焦点がボヤける代わりに全体像が浮き出し、ボヤけた細部を脳が補完する。習慣化された脳による補完は霊脳にまで波及し、蓄積された周囲の記録を参照して緻密な視界を再構築する。
戦場の感覚だった。
抜き放った剣に魔力を込めると、斬りたい、斬りたいと刃が哭いているような気がした。
「撃つぞーっと」
気の抜けた男の掛け声と共に放たれた散弾は、因果干渉によりイグレシアスから逸れていく。数発が体を撫で、幾つのかの玉はかする。直撃しそうになる弾も適当に振るわれた剣に切り裂かれて、疾風の如き踏み込みを止めることすらできなかった。
「え、なんで当たら――――」
その男は最後まで言葉を紡ぐことなく胴体を袈裟斬りに裂かれた。付着した血液が剣の軌跡に沿って延びた。
次いでイグレシアスは切り捨てた勢いのままに、その奥にいた男の腹にズブリと深く剣身を突き入れる。男はゴボッと血を吐いた。血の臭いを凌駕する酷い口臭にイグレシアスは眉を寄せた。
今日は体も剣も調子がいいようだ。治ったばかりなのに異様に力が湧いている。入隊祝いに隊長に買って貰った最高級の剣。斬れば斬るほどに鋭くなっているような気がする。
「くそ、てめぇふっざけんな!」
残りの男たちが一斉に散弾を発射するのを予測し、その場に伏せて同士討ちを誘う。
「ぐぇ、てめぇ、俺まで……」
「うへぇ、すま」
イグレシアスの頭上を抜けた散弾は背後にいた男の胴体に風穴を開け、それを放った者も瞬く間にイグレシアスに切り伏せられた。
所詮はチンピラ。戦闘力も連携も百戦錬磨のガーディアンに及ぶべくもなく、散弾銃を持とうが敵ではない。
「はあっ!」
次弾を装填しようとする最後の一人に剣を投擲し串刺しにして、敵が全て倒れ伏した。
角から覗いていたナターシャもそれを見て玄関ホールに出てきた。
呼吸は少しも乱れていない。ナターシャが見るにイグレシアスの体は万全以上のようだった。
「あらぁ。ほんとにあっという間だったわね。人殺しがお上手なこと」
「いえ、隊長ならば撃たせる前に終わらせていたでしょう。ですが、ミズガルズに入って随分と上達しました」
嫌味のつもりだったんだけど……。
ナターシャが微妙な顔でイグレシアスを見るが、彼は一向に気づかなかった。
「いいわ、先に進みましょう」
ナターシャがナースステーションを受付から覗き込んで人が見当たらないことを確認して扉の前に立つ。
その時、カシャッと金属が擦り合う音が扉の奥から聞こえ、イグレシアスは咄嗟にナターシャの腕を引こうとした。しかし、その前に発砲音が轟く。
「ナターシャアアアアアアアア!!」
イグレシアスの目にはスローモーションのように写った。
扉を貫いて表れた18の散弾は、まず扉に伸ばしたナターシャの右手に当たった。右手の指を無惨に散らせ、前腕がひしゃげて眩しい程に白い骨を露出させる。散弾の威力はなおも止まらず、続いて左肩周辺に着弾した。それはナターシャの下顎を吹き飛ばし左肩をほとんど抉りかろうじて繋がっている状態にした。
そして、彼女はイグレシアスの目の前で回転しながら倒れた。
イグレシアスの視界を鮮血が赤く染めた。
「ああっ……ああああああああ!!!!!!!殺す」
殺してやる
ナースステーションの扉から入ると狙い撃ちにされる可能性があることを見越し扉ではなく受付を飛び越えようとする。
と、足を背後から掴まれた。ビクッと体が動かなくなる。
足元にナターシャの血が流れ流れて靴を濡らす。
そして、舌足らずな低い声が聞こえた。まるで化け物が人間の声真似をしたような。
「うヴん、死ヌぁないっで分クぁってるとォどうしィでムぉぉぉぉ……ェオッ……ん、勘が鈍くなっちゃうわね」
後ろを振り向くとナターシャが地面に手を付いてゆっくりと立ち上がるところだった。
開放骨折した右腕はギシギシと軋みゆっくりとささくれた骨片を束ねながら体内へ戻る。顔を上げたナターシャの下顎からは急速に骨格が生えていき、続いてピンク色の肉芽が剥き出しの白い骨に沿って這うように伸びだし、最後には浮き上がるように皮が表れて、元の褐色で整った顔に戻る。
「イグレシアス君、少し下がりなさい」
「うあ、は、はい」
一瞬前に胸の中に生じた酷い喪失感と怒りはナターシャの異常な再生力を前に霧散してしまい、大人しく道を譲ってしまう。
「おいたした子は、お仕置きしなくちゃダメよねぇ」
そう言ってナターシャが扉に入り、イグレシアスの目の前で淑やかに閉める。
ズダン。それから間もなく発砲音。
その向こうから叫び声が響く。
「ぅえ、なんだこいつ……!あ……触んな、やめ、うおおおおおお……おお」
幾つかの悲鳴。それから静かになる。
イグレシアスは扉の向こうで何が起こっているのか気になり、受付に目を向ける。受付に手を着いて首を伸ばせば中を覗くことができる。
だが、何か嫌なものを見そうでイグレシアスは受付には近付かないことにした。
「どうしたの、イグレシアス君。入ってもいいわよ」
静かになって数秒後に中からナターシャの呼ぶ声がしたので、若干の緊張を覚えながら中に入る。
一見したところ血液が壁一面に撒き散らされているわけでもないようだが、奥にある棚の裏側から血が漏れているのが見えた。
その手前には二人分の死体があった。
「やあね、死んでないからね。医者が人殺しなんてできないでしょ?」
ナターシャがくすりと笑う。
「そうですか……」
鞘に戻そうとしていた剣を握り直して振りかぶる。
「……では殺してもいいですか?」
「んー、そうね。だめ、かな?何もできなくしたからさ」
「……そうですか。館内放送はありましたか?」
さっきの再生能力は一体何だったのか聞こうと思ったがが、ナターシャの眼が底知れぬ闇を湛えているように見えてなにも言えなくなった。
「ええ、あったわよー。ほら」
ナターシャが指差したところには対人用の大きな斧が突き刺さっていた。
「魔石が砕かれていますね。これでは……」
どうやらアスクラピアの館内放送の仕組みは伝声管を利用した単純なものらしい。無数に枝分かれする伝声管の中央にある巨大な拡声触媒が館内に張り巡らされた伝声管を伝って声を届ける仕組みだ。そして、その拡声触媒を起動させるスイッチがナースステーションに設置されたこの魔石。
とすれば、この魔石が砕かれてしまえば館内放送はできない。
「半分正解。ここからじゃ旧館にまで放送はできないのは確かだけど、新館用の拡声触媒はちょっと手を伸ばせば届くわ」
「ここからは、ですか?」
「ええ。旧館に昔の設備があるから、そこまで行ければね。少し静かにしててね。とりあえず、新館に放送しないと」
ナターシャが斧が刺さっている部分に手を触れる。一見したところ明らかに「ちょっと手を伸ば」したくらいでは届かないと思われたが、ナターシャは触媒に手が届いたらしく、凶器を持った不審な集団に侵入されたなどと現状を説明し、職員とミズガルズに対し個別に戦わず旧館の地下に向かうように告げ、患者には職員の指示に従うように言う。
「後は、管理室に連絡を取りたいのだけれど……ダメね。伝声管がどこかで壊されているみたい。隔壁を下ろせれば一掃できるのに!」
それを聞きながらふと気になって棚の裏から流れる血液の出所を調べる。
そこには
服を裂かれたナースの死体があった。
首筋には横一文字に傷がある。
直ぐ様きびすを返し、依然気を失っている二人の首筋に剣を叩き込んだ。
皮を破り肉を切り裂き骨に食い込む感触が剣を伝い体の芯に残る。温かい血飛沫が噴水のように噴き上がり、棚に置かれたカルテが真っ赤に染められていく。
振り返るとナターシャがいた。
「すいません、ナターシャさん。やっちゃいました」
「はあ、やっちゃったね」
ナターシャはイグレシアスを見て少し悲しげに目を伏せた。
「治しますか?」
「や、治さないわよ。コイツらは私の患者じゃあないからね。……急ごうか。すぐに人が来ると思うし、嫌な胸騒ぎがするの」
二人は連絡通路に戻り旧館を目指す。
時は少し戻りメインストリート、アスクラピア玄関前。
「フォーメーションCだ!意味わかるか?Cだぞ!」
「あい?ローチ隊長何か言った?」
ジョシュアが力一杯振るった大段平は宙を切った。正確には宙を切り裂き、真空を生ぜしめ、それが戻ろうとする際にできた風圧でもってマスクを着た男たちをひっくり返し、その背後の屋台をも薙ぎ倒した。
「バカ!三列に並ぶやつ!練習しただろ!」
「ほえー?んあ!あれっすか!」
周囲には20程の派手に両断された肉塊が転がりあちこちに血溜まりが広がり徐々に下水道に流れ込んでいく。
とはいえ、シンレンマフィアの面々はまだ10の犠牲でもってジョシュアの一方的な暴力に耐えていた。
「急げ!……よーし、できたな。散弾銃撃てぇ!」
何か五月蝿く指示をしていたリーダー格とみられる男の号令に合わせ一列になったマスクのギャングたちが散弾銃を発砲する。
もはや一つの壁と化して撃ち出された散弾には逃げ場などなく、確率の左右すべきところは少ない。
「ちっ、コートが破れちまうな」
帝国の技術の粋を集めて精製されたジョシュアの右腕に血液と同色の光線が走り、大段平に繋がる。
「アルムレヒト、展開っ」
大段平アルムレヒトの剣身が開き盾のように広がる。
ジョシュアはその背後に隠れ散弾を弾きながら前に走り、そのまま盾と化したアルムレヒトを空気抵抗をものともせずに隊長格の男目掛けて振り下ろした。
ローチ隊長はとっさに近くにいた目の離れたバカっぽいギャングの襟を掴み前に突き出した。
「すまん!」
「ちょっ、ローチ隊長おおおおお……!?……おん?」
ガン。
硬質な音ともにアルムレヒトが止まる。
「……あん?」
ジョシュアはその感触に違和感を覚えた。硬い。異常に硬いが弾力があった。
下から石畳の破片が飛びその中から灰色のぬらっとした腕が伸びてアルムレヒトを受け止めていた。
時間が一瞬止まる。誰も動かず、音もしない。ただ一つ聞こえたのは降り始めた雨がパラパラと石畳を打つ音だけだった。
石畳から伸びる一本の腕はまるで芸術的な彫像のようですらあり、暴力が飛び交う大通りにおいてさえも強い非日常を感じさせた。
石畳が崩れる音が響き、また時間が動き始める。穴の中から腕同様に灰色でぬらっとして凹凸の無い楕円形の球体が姿を表す。
ジョシュアはその全体が出てくるのを待たず、その球体を思いっきり蹴っ飛ばすとその灰色の生命体はぬるりと地表に突き出した腕を引っ込めて石畳の中に消えていった。
「……なんだ?」
今蹴った球体は生物の頭部のように見えた。それも、ジョシュアの蹴りをまともに受けて千切れ飛ばないほど頑丈な首を持つ。
首の頑強さは全身の頑強さに通じる。
「ぜ、前列下がれ、次列撃てぇ!……応援が来たぞおおお!」
再度アルムレヒトを掲げ散弾をやり過ごす。その足元で石畳が大きく崩れ、ジョシュアは下水道に落ちていった。
くそ!またか!って、この下って下水道じゃねえか!
旧館四階、西棟。確か、精神に問題がある患者が集められている棟だ。耳を澄ませても病室には分厚い鉄板のような扉が付いていて、廊下からは人の気配を感じられない。
旧館の廊下は非常に暗かった。両側が病室になっているため採光窓が一つもなく、明かりを全て魔光灯に頼っているからだ。そう言えば、この魔光灯の光は誰の魔力によって賄われているのだろう。魔光灯は、魔力を込めてスイッチを押すことにより発光が始まり燃料が尽きるか、スイッチを消されるまで点り続ける。すなわち、起動には魔力がいるのだ。アスクラピアの規模ならば、数人が分担して魔力を込める必要があるはずだが、アスクラピアにそんな職員……。
ん、カルラちゃんを追っていたつもりが完全に見失ってしまった。
アイナが慣れた調子で足音を殺しながら病室の前を通っていると、ギシッとベッドが軋む音が聞こえた。
周りを見回しても廊下の奥で職員が忙しそうに走り回ってるだけだ。
病室の中から聞こえたのだろうか。西棟、精神病棟。この病棟の患者とは関わりたくなかった。
病室を通りすぎることに決めると、ダン、と突然銃声が聞こえ、忙しそうに動いていたナースが倒れるのが見えた。
「げぇ」と呟いて、咄嗟に音もなく目の前の病室に忍び込み鍵をかける。
曰く、隠密活動はジャーナリズムの基本らしい。ラカン所長の明らかに間違った教えは、今思えば、こと週刊Anotherにおいては至極真っ当な教えだった。何と、誰も情報を提供してくれないから盗み見て盗み聞くのが、ほぼ唯一の取材方法となるのだ。
当然、これがAnotherの記者が取材対象から嫌われる由縁である。ちなみに、本社の記者は嫌ってくる人に対しては更に粘着して面白おかしく悪し様に書き立てることを好む。そのせいで、どこからも圧力をかけられ、かけられ過ぎて、逆に吹っ切れてほぼ全ての権力に喧嘩を売りながら発行しているのが我が週刊Anotherである。それでも意外と売上は落ちないそうだ。何せ、人は人が人の悪口を言うことを大変好むおかしな性あるからだ。
「誰かいるの?」
か細い女性の声。
病室の奥に行くとベッドに女性が寝ていた。同い年くらいのようだ。顔を見る限りはまともそうだった。その顔を見ていると、ふと見覚えがあることに気付いた。
「あれ?会ったことあったっけ?絶対会ったことあるよね?」
病人の知り合いなんて居たかなー。考えながら一歩近付いてベッドの側に寄ると「ひっ……!」と怯えられた。結構ショック。
「あ、ごめんねー。私出てくね」
扉に戻ろうとして、廊下の奥でナースが殺されていたことを思い出した。今出ていくと二の舞になってしまう可能性がある。
「ちょっと待って。すぐ出ていくし」
またベッドの側に戻るとやはり怯えている様子だ。
んー、絶対会ったことあるよねー。最近だと思うんだけど。
霊脳を検索してみる。人に関する情報を覚えるのはとても苦手で生来の脳味噌にはかけらも情報が残らないのだが、だからこそ意識的に霊脳に記録をしていた。あ、いたー!
「そっか、あなた拐われてた女の子じゃん。元気?じゃなさそうね」
「う……」
「覚えてる、あたしのこと?」
女性は顔が真っ白になっている。
あー、これトラウマになっちゃってるやつね。
「あの、はい。覚えています……ケントさんのご友人の方ですよね」
「友人?」
ケントさんが私の友人、ね。考えたこともなかったな。
「うん、まあそんな感じかも。ねえ、名前は?」
「あ、リンメイです」
どこかでばたんと扉を乱暴に開ける音がする。マフィアの連中が病室を一つ一つ開けて確認しているようだ。
「そう。じゃあリンメイさん。口を塞いで声を出さないようにしてね」
ズドン、と低い発砲音が響く。おそらく3つ隣の病室だった。
「ひゃっ」
「声出しちゃダメだってば、ね。危ないから」
耳を澄ますと悲鳴と怒号が聞こえ、連続して二つ発砲音がしてまた静かになった。
発砲音が二つ。装填する時間はなし。二挺持っているか、二人以上いるのかどっちだろう。つまり、戦えば私に勝ち目はない。そもそも、銃持ってる人間に近付こうなんていうのは頭のおかしい奴のすることだ。普通は逃げる。私も逃げる。
そして、今の音は2つ隣の病室だと思う。順番に病室を開けて皆殺しにするつもりのようだ。
リンメイちゃんを生け贄に捧げたらバレずに隠れられそう……だけど、やっぱ人間としてダメだよね。
とすれば、窓から逃げるしかないかな。
窓には南京錠が掛かっていた。
「あれ?開かないね。鍵はないの?」
「ありません。その……自殺防止用みたいなので」
病院と言うよりは牢獄のようだった。
「あー、なるほどね。そりゃ自殺したくもなっちゃうよねー」
薬漬けにされて囚われていたのだ。ただ囚われていただけに留まるとは思えない。
「え?……あ、あはは」
「だからって私の前で死ぬのはやめてね。さ、ここから逃げるよ」
髪からヘアピンを抜いて鍵穴に突っ込み、ゆっくりと回しながら錠の中にあるシリンダーを上げていく。
「ほら、開いた」
「すごい……上手ですね」
「まあ、仕事柄ね」
ジャーナリストの仕事でピッキングなんて習得するとは思わなかったけど。
窓を開けると突風と雨粒が吹き込み、髪がなびいた。外には足場に出来そうな突起は十分にあったが、何とかリンメイを連れていけそうなのは一つ下くらいまでと思われた。
リンメイの手を引っ張って立たせ、ぷにぷにのお尻を押して窓枠を乗り越えさせる。
「風が強いから気を付けて」
「怖いです……」
「スリル満点って感じ?」
アイナは嬉しそうに笑顔を浮かべた。それを見てリンメイは困惑する他ない。
「え?あの……いえ……」
ベッドのシーツを綺麗に整えてから、アイナもリンメイに続いて外に出て窓枠にぶら下がる。
「南京錠ね……」
ふと思い付いて、元の場所に南京錠を掛け、隙間からナイフを入れ窓の外から南京錠の鍵をかけた。
これで偽装工作は完璧でしょ。
納得して下に降りようとした瞬間、病室の扉が蹴り倒される。
ギリギリセーフ!あと少し遅かったら色々台無しになるところだった。
そろりそろりと降り始めると窓の隙間から声が聞こえてきた。
「おらへんな……メスの匂いしてる気がするんやけど。逃げた?」
「いや、窓に鍵かかっとるし、シーツも綺麗やからおらんかってんやろ」
「ほうか。俺の鼻はごっつええんやけどなぁ」
「火薬の煙でバカになっとるんちゃうか」
「せやろか。次どこ行くん?」
「なんや、作戦聞いてへんのかい」
作戦?
不安そうに見上げているリンメイに指を唇に押し当てるジェスチャーをして、耳を澄ませる。盗聴もジャーナリストの嗜みってね。
「順繰りに下に行くんだよ」
「はあ?下行ってどないするん?」
「だから、上から順に地下まで押し込んで行くんだって」
「ほーん」
「んで、ここの地下のど真ん中にシェルターがあるからそこに追い込むんやって。んで、最後にズドンしたら地下通って逃げるんやん?」
「ふえー?まあええわ。皆殺しゃあええやろ」
「そういうこと。ほな行こか」
ふーん、地下にシェルターがあるんだ。けど、そこに行くと「ズドン」されちゃうと。
どちらにしろ、カルラちゃんと離れちゃったからどこかに避難しないとダメだけど、地下はダメなのね。
ヤモリのような動きで外壁を伝い、あっさりとリンメイを追い抜いて三階の窓に向かう。
そして、誰もいないことを確認して、窓ガラスのサッシにナイフを突き入れる。するとほとんど音もなく放射線上にヒビが入り、三度目にはアイナの小さな手ならば余裕を持って入れられるだけの穴を作ることができた。窓ガラスをどけて手を差し込み鍵を開ける。
するりと院内に体を滑り込ませてリンメイを待つ。
「リンメイちゃん、今誰もいないから大丈夫だよ!」
「はい!本当にお上手ですね」
「これくらい誰でもできるよ」
「……」
リンメイは、この人は泥棒さんなのかもしれない、と思ったが引っ込み思案な彼女は何も言わないことにした。
手を取って手伝いながらリンメイを院内に下ろし、見回す。そこはこじんまわりとした病室だった。
耳を澄ませてもリンメイの息遣いしか聞こえない。
「あの、何が……?」
「そうだね――――」
簡単にシンレンマフィアがここアスクラピアを襲っていて皆殺しにしようとしてることを教える。
「なんで、そんなひどい……」
「アスクラピアはほぼ死体でも治療しちゃうからね。特に白犬ってやたら丈夫な奴ばっかだし。だからって、まさかアスクラピアを襲うなんて信じらんないけど」
アスクラピアはドミニオン唯一の総合病院だ。簡単な応急処置程度ならギルドでもやってくれるが、本格的な手術はアスクラピアでしか行えない。
よって、ドミニオンに住む多くの者にとって命綱となるのがアスクラピアだった。もちろん、ドミニオンには山ほど闇医者がいたが、看板を掲げている者は少なく普通の住民が渡りを付けるのは困難だった。
言わば、アスクラピアに対する襲撃はドミニオンの全住人に対する宣戦布告に等しい。
……逆に言えば、シンレンマフィアはそれに対抗するだけの兵力を有しているということ?
確かに、シンレンマフィアの規模は万に達すると言われている。しかし、実際には千に満たないミズガルズのみでシンレンマフィアと対等に戦えてしまう程度の組織だ。ドミニオン全てを敵に回すなんて、無謀。
しかし、ジャーナリストの勘が囁く。
無謀などではない。
裏があると。
Another編集部にようこそ!
新入社員となったあなた方にはまずは研修を受けていただきます!
さて、我が編集部の研修ですが、あなた方には二つの選択肢があります。一つはオーブを使う方法、もう一つが自力で覚える方法です。オーブにすると結構数が多いので節約したい方には自力で覚えることをオススメしますよ。どちらにしろ体で覚える方法ですことになりますし。
オーブの場合はこちらを摂取していただくことになります。お手元のリストをどうぞ。
『解錠術』
他人の家や金庫の鍵を10秒で開ける驚きの解錠術。
『読唇術』
遠くから見るだけで会話を盗み聞き。
『伝説的スリ師の手腕』
街を歩いて軽くタッチ、いつの間にか財布が増えてる!?
『声真似』
にゃんにゃん!わんわん!オレオレ!
『変装術』
瞬きする間に衣装を変える。顔までは変えられない。
『初級調合術』
ちょっとした睡眠導入剤や自白剤なんていかが?
『三流暗殺術』
無音で歩き、扉を開け、忍び寄る。後ろを向いたら消えている。
『喧嘩殺法初段』
ガンを付けて、メンチ切って、タンカも切って、汚い言葉は当たり前。挑発、喧嘩の売り方教えます。
もちろん、この他にも習得すべき技能は多々ありますが、一先ずオーブとして取り扱われているのはこの程度になります。
特に『伝説的スリ師の手腕』と『声真似』はあまり市場には出回っていないので、これらについてはオーブで摂取しても損はないと思いますけどね。




