空飛ぶモモンガ
I believe I can fly.
「ツ、ツィタゾ。ソコヲ曲ガルト」
「案内に感謝する。報酬だ」
案内人が分隊長から鱗のある手で金貨の入った袋を受け取る。
「ウン、ジャナ……死ヌナヨ」
案内人は音もなく水道迷路の闇に消えていった。
リザードマンの亜人だろうか。舌が共通語の発音に適していないらしく発音が不安定だった。
時は夕暮れ。場所は北区地下水道迷路。
ここまで来るのに何時間かかっただろうか。案内人がいなければとてもたどり着けなかったな。
白い鎧を隠す真っ黒いローブを目深に被り、分隊長に着いて角を曲がる。
スパイの報告通り見張りは三人いたが、サイレンサー付きの銃で遠方から射殺した。一人は予想より高レベルで銃弾が逸れたが分隊長がナイフを投擲してあっさりと仕留めた。
作戦の決行時間まではあと数秒……。……3、2、1。決行時間だ。
分隊長が静かに号令を出した。
「……第二作戦開始。静かに殺るぞ」
扉を静かに開けた。遠くから怒号と剣戟が聞こえる。
すでに一番特攻隊が正面から突入している。僕たち分隊は彼らを陽動にして内部から潜入して挟撃に当たる。
シンプルだが効果的な作戦だ。僕たちは一人一人が熟練した戦士だが、マフィアに比べると数が少ない。作戦は必須だ。
明かりのないコンクリートの階段を上り、分隊長が目の前に現れた敵を切り裂く。続いて僕も側にいた男の上顎から上を切り飛ばした。ダスク・ウェポンズの片手剣は金属を固めただけではなく魔鋼が組み込んである。魔力を通せば骨密度300%の頭蓋骨だってプリンのように切り飛ばしてくれる。
階段の上は小さな部屋だ。部屋の隅に腰を抜かした男がいる。
「て、敵ぃ……ひゅう」
叫ぼうとした瞬間後続の同志が首筋を切った。男の首筋から息とどろりとした液体が漏れるのを目にして僕は暗い興奮を感じた。ミズガルズの隊員ならみんなこの気持ちを分かってくれる。だから、居心地がよく、隊が一つになれる。
「クリア」
「クリア」
「了解、透視はできるか?」
「無理です。扉にまで鉛が仕込まれています」
「屋内もか……嫌な感じだな。続行する、扉を」
分隊長に指示されてドアノブを握る。扉の向こうから人の気配はしない。よし、大丈夫。思い切って扉を開ける。
「!?」
ビクッ。
「どうした?」
「いえ……人形が」
ここは何だろう。部屋を覆う配管と、真っ赤なドレスを着て無機質な少女の顔を張り付けた大量の人形が部屋の壁側に並んでいる。
「よく見ろ、人形じゃあない。自動人形だぜ……が、なぜこんなところに」
「えらく別嬪さんだな」
「へっ、おおかた金持ちの慰み物だろ」
同志の一人がピラッとドレスの下を覗いた。
「……セクスィー、本物そっくりだ。こいつはよく売れるだろうよ」
「生身の方がよくないか」
「はっ、生身は面倒くせぇ」
「とか言っても、お前はモテないせいだろ」
「うるせえ」
オートマタは微動だにせず俯いている。なのに、
「――生きているみたいだ。今にも動きそうですね」
小さなふっくらとした唇。透き通るような白い肌はうっすらと桃色を帯びている。スラッとした手足は力なく下げられていて自然だ。
「怖いことを言うなよ。オートマタは操者が触れて魔力を流さないと動かない。絶対だ」
「なんだ?怖いのか?」
「ちげぇよ馬鹿!」
分隊長が指を唇に当てるジェスチャーをする。瞬時に同志たちが静かになった。
「行くぞ」
「了解」
同志たちの声が重なる。
分隊長が扉を静かに開けて飛び込んだ。
……何もない。コンクリートが打ちっぱなしの大きな部屋だ。
「クリア」
「クリア」
「何もいませんな」
「待て」
ガチャンと重い金属が落ちる音がした。
「悪い予感がする」
「分隊長……?」
「侵入がバレてる。来るぞ」
歯車の擦れ合う甲高い音ともに正面の壁がゆっくりと持ち上がっていく。その向こうから現れたのは巨大な四本足の魔鋼の塊。
「……歩行戦車だと?糞食らえ!」
四つ足の蜘蛛に機関銃と主砲を二つ載せたような姿のゴーレムが鼓動のように蒸気機関のピストンを動かす。
あの主砲ならばレベルにより多少弾道が逸れたとしても周囲ごと破壊してしまうだろう。
「北の戦場でしか拝んだことねぇぞぉ。おっかねぇなぁ」
「軽口を叩くな。侵入がバレてる上に今からあれを破壊せねばならんのだぞ」
がしゃん、がしゃん、がしゃん。
四本脚をぎこちなく動かしてゴーレムが突入してくる。大きささえどうにかすればユーモラスと言ってもいいかもしれない。
「散開、回り込め。ゴーレムならば三人は乗っているはずだ。搭乗者を狙え」
「了解」
マシンガンの掃射を避けてゴーレムの懐に入り込む。……あれ?
「分隊長!これ、人が乗れるようなところないですよ!?」
「なんだと?よく見ろ!」
ゴーレムの本体は棺のようの長細い箱のように見える。どう見ても成人男性が窮屈に寝転がるのが精一杯で、あれでは操作球を入れる隙間もない。
「おっと」
迫り来るゴーレムの太い脚を避けて擦れ違い様に切りつける。
一筋引っ掻き傷のような跡をつけることには成功したが、戦力上の意味は特になかった。
なんてことだ、僕の剣はダスク・ウェポンズの一級品なんだぞ。
「やっぱり乗れそうなところないですよ!」
「右に同じ!これじゃ一人も乗れませんぜ!」
「それより主砲が来ます」
「避けろ!」
主砲が青色の光を放つ。地下の空気が振動して耳が潰れそうだ。光は同志を数人消し飛ばしてから天井に当たり、ぶち抜いて消えていった。
「被害は!?」
「無事です」
「ぐああ……」
「おい、耳から血が……」
その他、周囲から声が聞こえる。くそ、あんなもの屋内で撃っていいものじゃないだろ。
「分隊長、このゴーレムには人型のものは何も乗っていません」
透視ができる同志の声だ。
「ちっ、何だと……!」
分隊長が呻く。それを見て同志たちが大笑いする。
「おーけーおーけー、ではとりあえず胴体をぶっ刺してこじ開けてみましょうや」
「そりゃいいな、話が早い!行くぞ!」
同志二人が銃弾を避けながらゴーレムに飛び掛かり、主砲が乗った胴体の搭乗口に剣を差し込む。
流石だ。僕じゃ引っ掻き傷しかつけられなかったのにしっかり刺さってる。
「よし、こじ開けるぞ!」
二人が全体重を差し込まれた剣に掛けて後ろに倒れる。蝶番の軋みが僕の耳にまで届いた。
よし、もう少しだ!
その時、おかしな気配を感じた。
背後から床を軽く踏み鳴らす無数の足音が聞こえたのだ。
「おい、後ろだ……!」
その声と同時に振り向く。
――視界にあったのは白磁のような脚とはためく赤いドレス。反射的に剣を構えるが弾かれて、半回転したもう片方の踵が腹を強打した。
「くぁぁぁ!!」
――オートマタ!!
そんな、なんで!?動かないんじゃなかったのか!
膝を着きそうになるのを気力で止めて、逆に後ろに仰け反る。
たおやかな指先が非人間的な動きで身を隠すための黒いコートを切り裂き白い鎧を削ったが何とか死んでいない。
「倒れろ!」
すぐ後ろから分隊長の声が聞こえて、そのまま後ろに倒れる。目の前に白銀が現れる。それは刃となって過ぎ去り、オートマタの額に侵入し脊椎の上部から抜けていった。軌跡には灰色の液体が伸びている。
「あっと……助かりました」
手をついて膝を立てると、オートマタの断面が丁度目前にきた。
そこには――。
「ほら、立て。まだまだ来るぞ。ったく、どうなってんだ」
分隊長の声は喧騒の中に消えて耳には入らず、僕は目の前のそれに意識を集中し何とか、それを解釈しようとしていた。
「……の、脳?」
最初は自分の喉から出た言葉の意味が理解できなかった。今、僕はなんと言った?
灰色で柔らかい桃の種のような物が金属製の半球から零れている。分隊長が切り落としたもの。
それは、脳だ。
前を向くと、同志がオートマタに頭部を殴り潰されて灰色の脳漿をぶち撒けた。その向こうでは頭部を砕かれたオートマタが灰色の脳漿を撒き散らしている。どちらも同じ色だ。同じ。
「こ、れは、オートマタなんかじゃありません!分隊長!」
「……そんなことは見れば分かる。コイツらは敵だ。我々はミズガルズ。敵は殺す。いいか、落ち着いて唱えろ。見敵必殺、悪即斬、見敵必殺、悪即斬」
「……見敵必殺……悪即斬……うあああああああ」
迫るオートマタの首を切り飛ばした。綺麗な顔をした頭部と流れるような黒髪が宙を舞う。関節の気味の悪い可動範囲と異常な加速に目が慣れればどうということはない。脳味噌くらい何度も切り飛ばしたことがある。問題ない。見敵必殺、悪即斬。我々はミズガルズだ!
「分隊長、こじ開けました!」
「あーん?なんだぁこりゃ?」
ゴーレムに取り付いていた二人が蝶番を破壊して中を覗き込んだ。中にはキャベツ程の大きさの球が三つ等間隔に収まっていて、全てのコードがその球に繋がっていた。
「何でもいいからぶち壊すぞ!」
「合点承知!」
不安定な足場の上で二人が回りのコードごと球に刃を突き立てた。切っ先から琥珀色の液体が漏れる。
カチッ。
ゴーレムのどこかからそんな音がした。
カチッ。カチッ。カチッ。カチッ。
周囲の頭部が壊れたオートマタたちも同様の音を鳴らし、その胴体がガパッと開き赤い光を点滅させた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。
5秒後、ゴーレムとオートマタの中心に火が灯り内側から膨らんだ。
(風が気持ちよいのお)
そうだな。
夕陽が沈み、夜風が吹いている。朽ちかけた給水塔の上には風を遮るものがなく、頭の中にこもった熱まで拭い去っていくようだ。
遥か眼下ではミズガルズの本隊とシンレンマフィアの戦闘が始まっていた。マフィアは数が多かったがミズガルズの隊員の方がよほど練度が高く、バタバタとマフィアが倒れていく。特に先頭にいる短髪の男が圧巻の一言に尽きる。
太刀の二刀流で何らかの触媒を使っているのか、その太刀に火が纏わりついている。それを遠目からでも盛り上がっていることが分かる肩と背中の筋肉でまさに烈火の勢いで振り回している。
悪名高い一番特攻隊の隊長、修羅、アダムとはあの男のことだろう。
だが、シアンが盗み見た情報によると彼らはあくまでも陽動だ。本命は地下から侵入する分隊。今頃逃げ出そうとするマフィア革新派のトップを地下で待ち構えようとしているところだろう。
つまり、私がそのトップと歓談しようとするならば、本隊が突入した後、トップが分隊とぶつかる前に遭遇しなければならないわけで、今がその時だ。
腕を30cm程度伸ばし、腕と触手、それから触手と足の間に膜を張る。空飛ぶ大モモンガ、フライング・ケントの誕生だ。
錆びた給水塔の縁に足を掛けて力一杯給水塔を蹴って夜空に身を投げ出す。同時に剰余魔力を目一杯使って、自分自身の体に向けて風の触媒を複数使用することにより揚力を得て高度を上げてから滑空を始める。
スカイダイビングを3、4回やったことがあるが、その経験を生かせる時が来たようだ。
スラム街は所々に焚き火のような明かりが見えるだけで、そのほとんどが真っ暗だ。ただ、マフィアの豪邸だけが場違いな程に煌々としている。
「おおおう!!?」
ダメだ。スカイダイビングと勝手が違いすぎた。
速度が上がってきりもみ回転を食い止められずぐるぐる回る。何とか全眼を使って台風の目の如くあまり動かない前方だけを見つめる。どうやらマフィアの豪邸には真っ直ぐ進めているようだ。そして、夜風を乱暴に切り裂きながら、邸宅内部を透視してやたらと警護されて移動する一団を発見。何とか微調整して狙いを定める。
膜を畳み、体を丸め頭をガードして全身の硬化を進める。更に自身の許容可能な限界、300kgまで体重を増やし、一発の砲弾と化した己が邸宅に着弾。木材石材を破壊する音を轟かせ屋根、三階、二階の床を貫いて、一階広間に半ばめり込んで止まる。
ケントは暫し無言で微動だにしなかったが、その後硬化を解きながら動き始めた。
「……いってぇ」
砕けた骨をネキア肉で補強し、傷付いた内臓をゆっくりと修復する。危うく致命傷だった。
上手くいくと思ったのだが。
(お主は時々馬鹿じゃな)
シンプルでいい作戦だったろ。
(我の知る限りでは、これは作戦とは呼ばず無謀と呼ぶのだがのう)
仕方ないじゃないか、急だったんだから。何せ、昨日知って今日特攻だ。まあ、危なくなったら何とかして逃げるさ。
マフィア共の本拠地だけあって豪華な内装だ。ただし、天井の大きな穴からは星が瞬き、シャンデリアは落ちて粉々にガラスを撒き散らし、絨毯にはクレーターが開いている。
さっきの一団目掛けて落ちたはずだが、もう一度透視してみる。鉛が入っていて見辛いが全眼で見通せないほどではない。
さっきの一団は更に下、地下にいるようだ。
階段を探して降りてる暇はないな。
さっき着弾した床ならば5回程パイルを撃ち込めば抜けそうだった。
折れたあばら骨に若干の痛みを感じながら左腕にパイルを埋め込む。
それから間を空けず、豪邸が揺れて轟音が響いた。
更に連続で爆発音、地下からだ。恐らくミズガルズの分隊に何かあったのだろう。
床や壁にヒビが入り転びそうになる。そのヒビの奥から声が漏れていた。
「なんだぁぁぁあああ???」
「お怪我はありませぇんかぁ?」
「爆発だ!裏口からだぞ、道はあるか?」
「気を付けろ、天井が落ちるぞ!オヤジを守れ!」
「――計画通りだろボケ共が。やかましい、行くぞ」
クレーターから床が少し崩落して、何とか降りられそうな程の穴が開く。その奥から十数人の男の声が聞こえる。
「……運が良かった」
ケントが呟いた。
オヤジとは革新派のトップ、ジャグラス・ジャグリムのことだう。すなわち、今回の取り調べ対象だ。
しっかり影の中に隠れていなよ、シアン。
(無論じゃ。気にせずお主のしたいことを成せ)
ケントが粉塵の舞う穴の中に飛び込み、地下廊下を移動していた集団のまさに中央、ジャグラスの目の前に大胆にも着地する。
「あぁん、誰――「ジャァァアアアグラァァアアアス・ジャァァァアアアグリィィィィイイム」
遮るように名前を呼んで、肝臓から生やした触手二本を揺らめかせながらゆっくりと立ち上がった。
地下を照らす魔光球がチカチカと雷のようにその化け物じみたケントの姿を光の中に切り取る。
ジャグラスがケントの顔を注視。全身で威圧感と狂気を醸す男の姿にジャグラスは唾液が急速に乾いていくのを感じながら口を開いた。
「なんだ……てめぇ?」
ケントは律儀にその言葉に返答した。
「初めまして、ケントと申します」
「知らねぇが。てめぇのことなんて」
「私を知らなくても八百は知っているな。少しお話しできませんか?」
ジャグラスの眉がピクリと動いた。
「――へぇ。殺せ!」
鋭くジャグラスが命令した。
教えてくれるつもりはないようだ。予定通りだったがカッと瞼の裏が熱くなった。いや、熱くなったのは私の脳だ。いや、脳でもない、心臓だ。心だった。
ドッドッドッドッドッ、怒りに胸の中心が早鐘を打つ。
上等だ。
「続きは四肢を切り落としてからお聞きしましょううかああああ」
突如、調子の外れた声でケントが絶叫する。
ケントがジャグラスの足目掛けてぶっといパイルを発射する。ジャグラスは紙一重で足をずらし肉片をもぎ取られながらも逃げ出した。
「オヤジを守れえ!」
「逃いいいいいがあああああすうううううかあああ」
ケントが叫ぶ。
ゼラスに来て初めて見つけた加納敬志に繋がる人間。逃がさないい。
ジャグラスと入れ替わって近付いた側近の二人を一人はパイルで殴り付け、もう一人は鋭利に形を変えた右手で心臓を一突きに殺す。
そして、背中を見せて足を引きずりながら逃げるジャグラスに狙いをつけて、パイルを引き絞る。発射。先程と違いパイルは左腕を離れ真っ直ぐにジャグラスの腰に向かう。当たれば人の半身程度引きちぎるだけのエネルギーが乗った殺人パイルだが、ゼラスの冗談のような医療技術なら上半身が残っていれば大体何とかなる。
だが、手足をバタバタと動かした男が横合いから全身でぶつかり、臓物を散乱させながらパイルの進行方向をずらした。パイルがジャグラスから逸れて壁に食い込む。
「ちいっ……!」
……邪魔された。誰だ。
「喰らえっ」
野太い声と共に頭上から振り下ろされた斧を右手で受け止めて、斧の所有者である巨漢の男の腹部に触手を潜り込ませ内側から破裂させる。絶命した巨漢から斧を奪い取り、下敷きになる前に巨漢の側を抜けてジャグラスを追いかける。
逃がすな、冷静になれ、と頭の中で自分自身に言い聞かすが、頭から追い出した感情が触手の中に入り込んだかのように暴れて一人また一人と串刺しにした。
ジャグラスの逃げた出口に向かおうとすると、またも凄まじい勢いで成人男性がきりもみしながら飛んできた。
「ふんっ」
掛け声と共に斧でその飛来物を叩き落とすと、いつの間にか真正面にいた男に拳で顔面を殴り飛ばされそうになる。瞬時に反応するも、何か砂のようなものをかけられて目を閉じる。
通常の視界が見えなくなったので全眼の視野を周囲2mに限定。すぐさま、斧を捨てて接近戦の態勢を取る。
何者かの右掌底を払い、左中段突きを叩き落とし、異常な動きで翻って顔面に飛んできた左拳を仰け反ってかわしたところに胴回し蹴りをくらった。
格段に強い。さっきまでの奴等はセカンダリの中堅並みだったが、この男はプライマリクラスの戦力。その上、私と同様、あるいは私以上に対人戦に慣れている。
その男は――
「よく避けましたねぇ、ケェントさぁん」
――牧師。
ケントが警戒して動きを止める。
「……あなた、マフィアの仲間だったんですね」
「皆さん。ここは私に任せてジャグラスさんを守りに行って下さい」
「こっちを見ろ。私の敵なんですね?」
「ンフフ、私は常にゴッッド!の従僕です」
「そうですか。忙しいのでそこをどいてくれませんか?今すぐに」
「いえ、ゴッッッッドはそれをお望みではありません」
そうかい。
「じゃあ死ねッ!」
ダン、と右足を一歩前に踏み出し、重心を腰から引き抜いて胸に、胸から左腕に、左腕から牧師の顔面にぶつける。
「おやン゛ッ!!」
雷鳴の如く鈍い金属音が響き、牧師の顔面で空気が炸裂する。だが、手に残ったのは異常に硬い感触。命を刈り取った手応えは、ない。だから、
「――ッ、連打アアアアアアアアア」
右ジャブ、右鉤突き、左フック、左ロー、左ロー、右ミドル、左掌底、右ストレート。無呼吸で体の動くままに連撃する。全眼で相手の姿勢が手に取るように分かるため、外しはしない。
「ン゛ッ!ン゛ーー!!いきなり連打とは……まぁだまだですねッ!」
「黙れ!」
股間を蹴り上げて、更に右手で殴り付ける。
「ン゛ッ!金的はよくないですよ、本当に。あそれ!」
「ぐっ」
その右腕を取られ、あっという間に視界が上に向き、背中が地面に叩きつけられる。
「かはっ」
肺から空気が漏れ、ケントの顔が歪む。
拳を撃ち下ろそうと目の前に来た牧師の顎を全力で蹴り飛ばし、触手で押し飛ばして立ち上がる。
「お前、牧師さんよ。あなたは一体ここで何をやってるんですか?」
会話をして呼吸を整えながら油断を誘うも、一分の隙も見せない。
「ンー、神の従僕としてやぁるべきことをね」
「あなたのやるべきことはあの孤児たちを守ることじゃないのか」
ジャグラスが遠くなる。これ以上は全眼で捉えられなくなる。
じれて触手で牽制しながら無理にローキックをしてみるも、あっさりと脛で防がれて突き飛ばされた。
「ンー」
ジャグラスが50m以上離れ全眼で捉えようとすると、牧師が目の前にいるにも関わらず一瞬意識が飛んだ。
くそ。
――畜生!!今すぐ追いかけないと!!
この……!
……無理だ。牧師を無視して追いかけるのは不可能。あるいはネキア肉をすべて引き出せばすぐに始末して追いかけられるかもしれないが、その後自分の意識が残っている可能性は少ない。
深呼吸、落ち着け。意識を切り替えろ。元々あまりに急な計画だったのだ。機会はまた必ずある。必ず追い掛けて追い詰める。いつも通りだ。
だが、この男は邪魔だ。丁度いい、殺していこう。そうすれば次回は邪魔されないだろう。
「実は教会を守るために、ジャグラスさんのお手伝いをしているんですよ」
白々しい。聖人の顔をしたクズ。
「何を手伝っている?」
「暗殺ですよ」
「暗殺。八百を知っているか?」
「知りませんねぇ、私には関係がない」
牧師の瞳が何かを思い出すように一瞬上に動く。
……嘘をついている。ターゲット変更。
ケントが舌で唇を濡らし、会話を続ける。ジャグラスは逃がしたが、代わりに牧師から聞いてやろう。
「暗殺ね……誰をやったんだ?」
「秘密ですよぉ」
「ほう、神様ってのは暗殺も許してるのか?」
「おや、まさかケントさんは私のゴッドの教えをご存知ない?」
牧師の目に狂った火が灯る。
「神は『生きよ』と仰った。どんな風にでも、何をしてでも、生き、子をなし、好きな様に死ね、と」
ゼルエム円字教。いつ聞いても犯罪者に都合のいい教えだな。
(うむ、信仰と生き、子をなす意志があれば千人殺しても後は仔細構わぬ、というのがゼルエムじゃ)
ここの神様は無責任だ。
(個人に興味がないのじゃよ)
そんなのを信仰するこの男も、ゼラスの民もろくなものではない。
「なので、私は好きぃな様に生きるのです。それを神が、許しているから!ジーメイ!!」
欲望、信仰、依存。
シワを刻んだ牧師の顔は子供のように、あるいは爬虫類のように口を裂き、大きな笑みを浮かべている。そして、その目はどこを見ているかわからないくせに澄んでいる。
「人を殺しながらか?」
「ええ、マッフィアは金払いがとてもいい。おかげさまで不自由なく生きていけますよ」
牧師が目を瞑り恍惚とした表情で両腕を広げる。
「子供を育てて?」
「孤児を育て、貧者に餌を食わし、崇められる。人を生かすのも我がゴッドの教えですからねぇ」
今度は地面に何かを撒くように片手を横に振る。
「――で、人間も食うと」
「おや、お気付きだったんですか」
「味、スープ、骨を喰う白い鳥。おかしいところばかりだ。それでも誰も人食いなんて思わないだろうがな。そんなもの、信じたくない」
「……えぇ、私は人を喰うのが大好きです。昔、少ぉし飢えましてね。その時、聖者が私に御ぉん身を食らえと仰ってくれまして、彼女を食べると彼女が飢えた五臓!六腑!に染み渡ったぁ……。嗚呼、人体は完全食品!今でも月に一度は食べるようにしております」
「……」
「あなたも美味しそうに食べていましたねぇ。ンフフ、いいことを教えてあげましょう。子供の方がねぇ、美味しいんですよ」
「……」
そろそろ目に入った異物が涙で流れきるところだったが、待てなかった。
ケントが左腕から取り出した手斧を力任せに投げて牧師の鼻柱にぶつけた。何故か酷く苛立つ。
「……理解できん」
牧師が瞬きをする0.3秒の間に瞬時に近付いて左頬を殴り抜く。やはり異常に硬い。
ジャグラスを目の前にして久しく噴き上がりかけた感情が行き場を失ってまだ渦巻いている。この苛立ちはそのせいだろうか。
ゼラスに来てから、日に日に感情を制御できなくなった。
その一方で、頭の中は鈍く沈んだマグマのように静かに、牧師の話を聞いてゆっくりと吟味していた。
まずは機動力を奪う必要がある。足を切断するか縄で縛るか。どちらにしろ、あの異常に堅い皮膚をどうにかしなければならない。殴って千切って掴んで剥いでやる。
こいつは最低の殺人牧師で最悪の食人鬼だ。この狂気と衝動をぶつけてもいい、都合のいい相手だ。八つ当たりじゃない。ケイトの依頼もある。牧師を殺す正当性、合理性、必要性は十分に過ぎた。
「大事な時には手ぇ塩にかけた特っ製の子を食べることにぃしているのです」
牧師がなに食わぬ顔で続けた。
「……お前は人間じゃないよ」
心の底からそう思った。今まで見た中でも特上の異常者だ。
「ンフフ、私は人間ですよ。哀れな子羊の一人に過ぎません。あなただって同じでしょう?」
牧師が頬に当たっている私の右手を払って、薙ぎ払うように蹴るのを握り拳で打ち落とす。カッと目を見開いて至近距離で睨みあった。
「私は人を食おうだなんて思わない」
「でぇすぅがぁ、私と同じように愛しているのでしょう?」
「はあ?何を」
「あなたはかつてぇ、空っぽだった。そして今も空っぽです。だがぁ、あなたは激ぁげしく怒っている。一度満たされたのを奪われたから怒っている。そうでしょう?」
「意味がわからないな」
「分かりますよ。私とあなたは同じですから。同じだ。同じように愛し、無くし、求め続けている。止めることなんてできない。あなたなら、私をわかってくれるでしょう?」
「……」
牧師が途端に懇願するような顔で笑みを浮かべる。
狂っている。何を言っているのか、理解できない。いや、私は本当は理解できていた。ただ、理解したくないだけで。
「私は生きるために愛しい彼女を食らぁいました。そして、今も食らい続けている。あなたも同じだ。私も、あなたも、愛に狂っている」
感情が何十本もの針のように心臓を刺激した。
「あなたのその感情は同族嫌悪だ」
「――いいだろう。殺してやる」
北区の地下に広がる水道迷路はいつ作られたのかも誰に作られたのかも一切不明で記録になく、その深さは誰も知らない。地下迷路に住む彼らを別にして。




