帰還
変身!
「――――てめぇを食い潰す!」
右腕とアルムレヒトの幾何学模様が血潮をあげて深紅に輝く。
その腕と大段平を頭上に掲げると、模様に添って右腕と竜の右腕が分解され、細かくなった大量の部品が赤い霧を纏って宙を回転旋回、鋭利な爪の生えた巨大な右腕へと再構成される。
そして、ジョシュアは解放の言葉を絶叫した。
「――――クリティカァァァァル・ブッレェェェェェェイクゥゥゥゥ!!!!」
その言葉を切っ掛けにジョシュアの全身に血管が浮き上がり膨張していく。バキボキと骨格が変形して組み替わり、破壊と再生の音をあげる。骨格の変形に着いていけず千切れた筋肉がミチミチと形成される。皮膚が黒ずんで鱗が覆っていき、要所要所に血液を固めた赤黒い外殻が形作られる。
バイザーが変形して前方に大きく突き出して短く太い一本角になり、口が横に裂けて刃物のような牙が生える。最後に尾てい骨から強靭な尾が伸びて地面を打った。
「――――ッグアアアアアアアアアア!!!!」
全身異形化を終えたジョシュアの咆哮がビリビリとダンジョンを震わす。
吼えるその姿はまるで竜。
岩のような両脚が爪で大地を踏み締め、大樹の如き重みを感じさせる尻尾がとぐろを巻き、胴体には莫大な熱量が生じている。ダンジョン深層に生息するリザード種の魔人よりもなお竜に近く、腕に翼膜がなく角が短いことを除くと装甲竜と呼ばれるドラゴンそのものだ。
「――――オオオオオオオオオオオオ!!!!」
答えて化け物が叫ぶ。その声色には抑えきれない闘争への狂喜が含まれている。
「行くゾ、テめェ!」
ジョシュアの背部外殻に切れ目が入り、更に四本の吸排気筒、合計八本の吸排気筒が縦に四本ずつ、背骨に添って生え出る。
吸気を始めた吸排気筒が大量の空気を取り入れ、膨れ上がる人工肺を胴体の筋肉が極限まで圧縮し発火、気体は超高温で爆発して肺から気管を通り咽頭を抜ける。その際、固く変形した喉仏と頚骨が音叉のように振動し、吹き抜ける高圧の息が高速で振動し、超音波となって口から吐き出される。
超音波レーザーが高温ガスと絡み一筋の光となって放射されたのだ。
化け物が無謀にも両腕の剣を交差して超音波レーザーを正面から受け止める。しかし、一瞬にして剣が超振動により溶け崩壊し、超音波レーザーが貫通する。
剣が溶けきる寸前に化け物は剣との一体化を解除して、潜るようにしてレーザーを回避した。
だが、直後超音波レーザーに絡む猛烈な高温ガスの火炎に巻かれる。それを無視して化け物は叫声をあげて進み、両手の拳を固める。もはや触手は高温の中で形を維持できずに溶け、全身の肉も所々爛れ落ちている。
ただ、火炎の中で火よりも赤い三つの球が輝いていた。
「てメぇ……」
同じような姿をつい先日見たことがある。あの時は爆発の中で赤目が光っていた。
その光景と化け物の割れた仮面の奥から、ジョシュアは化け物が何者かを理解した。
「赤目ノケント、新米にシちゃあマジデ大しタモンダゼ……」
無悸循環システムが際限なく血液を加速させ、人工心臓を通る度に熱くなる。まるで体内に溶岩が流れているようだ。
しかし、竜と化したジョシュアに冷却は不要であり、加速に限界はない。むしろ、竜にとって火や溶岩は空気や水と同義であり、熱くなればなるほどにその熱エネルギーを喰らい己の力に変えていく。
血液の高速化と高熱化、そして無尽蔵の酸素供給による身体能力とドラゴンブレスの向上。
それが無悸循環システムの真価である。
その恩恵を最大限に活用してジョシュアがケントを迎え撃つべくすすむ。
更なる巨体になったにも関わらず、より速く、より鋭くジョシュアが踏み込み、未だ火に巻かれたままの化け物、ケントに外殻に覆われた拳が迫る。まさに同時、ケントがジョシュアの拳目掛けて突きを放つ。
拳と拳がぶつかり合った瞬間、空気が弾け、突風が巻き起こり、ケントの火を掻き消した。
重すぎる。ジョシュアはまるで列車を正面から殴ったような錯覚を覚えた。それどころか不思議なことに自分の腕が豆腐のように柔らかくなったように感じた。
そして、衝撃が内側に入り込んできた。ジョシュアの左手が砕け、前腕が爆発したように出血する。
「っ、まだまダアアアアアアアア!!!!」
続けてジョシュアが更に奥に踏み込んで金属質の右の拳を放つ。それに対しケントは左の拳で応じ、奇妙な歩法で移動してジョシュアより更に内側から狙い済ましたかのように二人の腕が交差し、クロスカウンターが決まる。溶岩のような血が鱗に覆われたジョシュアの顔面で弾ける。
だが、その瞬間、高熱により活性化した竜細胞は一瞬にして細胞分裂を繰り返し、左腕と顔面に赤い蒸気を残して復元する。
ケントが続けて右指先を硬化させて、腰を回しジョシュアの腹目掛けて貫手をしようとする。だが、そこに一陣の火が走った。ケントより遅れて動き始めたのに、ジョシュアは復元した左拳でケントより早くケントを撃ち抜いた。
剛腕で宙に浮いたケントにジョシュアが連打を加える。
殴り、打ち、叩き、振り、潰す。一撃ごとに体温が上がり、加速していく。残像すら見える速度で繰り出される拳は空気を圧縮して加熱していくが、その熱すらも己のエネルギーに変えていく。拳からは幾度も血が噴き出し、血はそのまま赤い蒸気となって広がり周囲一帯を焼き焦がしていった。
身を焦がす高熱の空気の中、触手も剣も失ったケントはなす術なく、体を丸めジョシュアの連打を防ぐ。連打は更に加速して残像と陽炎により防御は極めて困難になっていた。更に、ジョシュアの肉体はいつしか触れるだけでネキア肉を溶かす程の高熱を発し、ケントの腕はすでに指が癒着するほどのダメージを受けていた。それでも、ケントは機械的にジョシュアの攻撃を防ぎ続けるが、次第にケントは滅多打ちにされていく。
ジョシュアの拳が当たる度にケントを覆う硬化したネキア肉が焼かれ無数のヒビが入る。
勝機を見たジョシュアが、最後の一撃の為に必殺の右腕を引き絞る。
「――――パンツァー・ファウスト!!」
瞬間、一際ケントの目が光りジョシュアの右腕を後ろに流しながら掴み、捻り、極めながらぶつかり、回して、足を掛け投げ飛ばす。パンツァー・ファウストの強大な威力にそれを掴むケントの手がひしゃげるがケントは意に介さない。
魔法でもかけられたかのようにジョシュアの体が前に流れて、宙を舞う。両足が天井を向き、頭が地面に近くなる。
必殺の勢いそのままにジョシュアの体が地面に向けて宙を回る。その間にジョシュアの首を刎ねるべくケントが右手を刀状に硬化する。
しかし、その刹那、ジョシュアの尾が地面に先回りして受身を取った。その反動で、ジョシュアが体を回転させて完全に着地する。
それは人には決してできない動きであり、地球で学んだ武術の埒外であった。
そして、着地したジョシュアが尻尾を振り回した。太い尻尾がしなりケントの腹に直撃、ドラゴンブレスで黒く焼かれた壁に一直線にぶつかる。間髪いれずに、ジョシュアが吸排気筒から呼気を開始して、肺に空気を取り込み、ドラゴンブレスを放つ。閃光が衝撃と共にケントの腹を貫いた。
風に煽られて植物の灰と土煙が舞い上がった。
衝撃によりケントの硬化肉が砕け散り、大量の黒い破片が混じっている。
ケントは土煙の中から動かない。
それを目の前にしてジョシュアが動きを止め火炎混じりの溜め息を吐く。
「……危ねエシ、殺しトクカ?」
けど、目覚め悪いよな、とジョシュアは続け、全身異形化を解いた。またもバキボキと音が鳴り骨格がもとのサイズに戻っていく。
土煙が収まると、ケントが横たわっていた。
ケントの右目以外を覆っていた仮面が割れて素顔が露になっている。気絶しているようだ。
「やっぱり、ケントだな……なにがどうなってんだ?」
ジョシュアがケントの顔を覗き込みならが、どうしようか、と呟く。
ノスフェラトゥの実験は危険過ぎたらしく一度しか行われなかった。つまり、殺し方は判明できたものの、それ以外は完全に不明だ。
戻せるのか?ジョシュアは縁を大事にする男だった。戻せるなら戻してやりたい。
吸排気筒を稼働して体内に籠った熱気を吐き出し、アンバランスに大きい右腕を再構成して大段平と分離する。
それからシュテールンナーゲルを抜いてケントの首に当てた。
「……熱いし、腹減ったし、やっちまうか?」
そこに鈴の鳴るような可愛らしい声が響いた。
「やめよ、ジョシュア」
刃先の横で闇が凝り、いつの間にか少女の手が剣先を掴んでいた。
「あ゛あ゛ん!?」
さっき見たガキだ!
バイザーにも俺の感覚にも何の反応もなかった。何者だ?
「うむ、ジョシュアよ、よくケントを止めてくれた。貴様が来なかったら大変なことになっておった!」
女の子がナーゲルから手を離し、ピョンピョンと跳ねて全身で嬉しさを表現する。
……気が抜けてしまった。
「おい、ガキ。なにもんだ?」
「ふん、我をガキなどと呼ぶとは、貴様ふてぇ奴よの。我はシアン、ケントの妹じゃ!」
シアンが頬を膨らませて怒る。
口調はやたら尊大な癖に仕草は年相応だ。
「妹?」
怪しすぎる。魔人の可能性もなくはない。しかし、それなら俺の方がよほど魔人に近いか。
「……いや、いい。それより、ケントはどうなってんだ?説明してくれ」
「ふん。安心せい、もう正気に戻っておる。生まれて初めての連続戦闘。狂気の制御に失敗したんじゃろう。無理もない……」
「狂気の制御……?何の話だ?とりあえず、てめぇは詳しいようだな。だから聞くが、こいつ殺した方がいいんじゃねぇのか?」
「うむ、心配は要らん。目を覚ませば正気に戻っておるじゃろう。さあジョシュアよ、ケントを背負って行け!」
「……おい、何で俺がこいつを背負わなきゃならねぇ」
「……我を兄と共にこんなところに置いていくのか?可憐でいたいけな美少女である我をこんな誰もいない暗いダンジョンに置いていくのか?」
「何が美少女だ。ガキはガキだろ」
「この我に向かって言うに事欠いてガキとな!今の貴様は上裸の変態じゃぞ!」
「変態だと!これだからガキは……!」
まったく。
ジョシュアがケントの襟を掴んで持ち上げる。
「意外と軽いな。ほら、帰るぞ」
「よし、連れていけ!」
「いちいちうるせぇな!」
態度の大きいシアンに文句を言いつつジョシュアが歩きだす。
そこに男が駆けてきた。大きく手を振っている。
「いたー!プライマリの人!こんなとこで何してんすか!やっと集まってた魔物を倒したらいないんすから!」
「あん?なんだお前?」
「いやあ、魔人討伐に加わってたゲッコーです。カリオス兄に言われて探しにきたんすよー。あと、これ忘れ物っす」
「お!感謝するぜ!」
ゲッコーが、吸排気の邪魔にならないようにと戦闘前に置いていったコートを差し出したので受け取る。
そういや、魔人のとこまで案内してくれたセカンダリがカリオスって名前だったか。兄弟にしては少しも似ちゃあいないな。ゲッコーは赤髪に童顔でやんちゃなぼっちゃんって感じだが、カリオスは無精髭にバンダナと、盗賊にしか見えない形だった。
「すまなかったな。あ、丁度いい。ここまで来たついでにこいつを背負ってくれ」
「へ?」
ジョシュアがゲッコーの上にケントを乗せ、コートを羽織るとその内ポケットから煙草を取り出して火を点けた。
ゲッコーは一瞬姿勢を崩したがすぐに戻し、軽々とケントを背負い直した。
「はい!?誰なんですこの人。……うわ!赤目の人じゃないですか!生きてたんすね!じゃあ……やっぱりそこにいるのは一緒にいたお嬢ちゃんっすか!」
チラッとゲッコーがシアンの方を見た。
「すまんな、ゲッコーとやら。どうやら我は貴様をさっぱり覚えておらん」
「あはぁ、仕方ないっすよね!」
童顔に朗らかな笑顔を浮かべるゲッコー。
「ったく。おい、俺は帰るぞ。腹が減って仕方ねぇ」
「そうじゃ、早く行くぞ、ゲッコー!」
「えー、わかりましたよー!」
スー、ハー、と口から紫煙を吐き出してジョシュアが歩き始める。
その後ろからゲッコーが情けない声を漏らしながら追っていき、シアンはその回りについてケントから決して離れなかった。