イレギュラーモンスター
燃えろ俺の血!
昆虫型の魔人の前進を止めるべく長剣で切りかかった巨体の冒険者を木っ端のように魔人が殴り飛ばす。
その背後から蜃気楼の如くケントが現れる。左手を柄の頭に、右手を鍔に置き、バットをフルスイングするような姿勢で全体重を剣に乗せてケントが剣を振るう。
冒険者に隠れて不意をついたはずが、ブンとうなり声をあげるそれを魔人はワンステップで後ろに避ける。しかし、その程度は予測の範囲内だ。ケントがフルスイングの勢いのまま回転して剣から片手を離し本命である左腕のパイルをぶちこむ。
機敏に反応した魔人が身をよじってかわすが、尖ったパイルの先が深緑の脇腹を削り、透明な体液が跳ねる。しかし、魔人が上の左腕を振り上げているのがケントの全眼に映った。ケントに視界の外など最早存在しない。
刀を上に翳しその腕を受け流す。
「ぐっ!」
受け流せない。重みに負け膝をついたところを、顔面をサッカーボールのように蹴り飛ばされる。壁にぶつかり柔い壁面が崩れる。
昆虫型魔人の一撃は身体能力が上がったケントですら受け流すことができない重さだった。
(大丈夫かケントよ?このままでは危険じゃ、いいから逃げるぞ!)
シアンが冒険者を掻き分けて駆け寄ってくる。
視界が揺れる。意識が更に混濁する。
「シアン、早く影の中に入るんだ……」
「よいか、我はお主が死なぬ限り不死身じゃ。だから、お主はお主自身のことを――」
魔人は近付いて来ていないようだ。
立ち上がり口に貯まった血を地面に吐きつける。
深呼吸、蔓に覆われたダンジョンの緑の匂いがケントの肺を満たす。気分が落ち着き何か違和感を覚えたが、それはケントの意識に引っ掛からなかった。
スピードには十分対応できた。しかし、予想以上の腕力だった。それだけだ。スリルが増して良かった。
通路は幅5mほどでダンジョンとしては比較的に狭い。剣を振るうには十分だが、集団で戦うには十分とは言えない広さだ。背後を取ろうにも魔人の後ろにはすでに二十を超える虫型魔物がいてかなり困難。やはり正面戦闘しかない。
魔人の燃えるような赤い複眼が完全にケントを向いている。怒ったようだ。来い、ここに俺はいるぞ。
魔人が四本の腕の手のひらを天井に翳し、その手をゆっくりと下げていく。
何かよくないことが起きる、直感がそう告げる。
手のひらが軌跡を残すように透明な体液がその場に留まりゆっくりと音もなく形を成していく。それは四本の長剣。血液から精製される魔人の業、ブラッドアーツ。
その四本の長剣を四本の腕に掴む。下の腕の片方をリラックスして下段に構え、もう一方を正眼に構えている。上の腕は両方とも大上段に構え、いつでも振り下ろせる状態に保つ。
その佇まいは達人のようでもある。
魔人の技術は総じて拙い。しかし、その中でも進化に至る者はそれまでの過程で自己流の技術を身に付けている場合がある。昆虫型魔人はその一体だった。
明らかに強いと分かる。強敵、難敵だ。勝てないかも知れない。いや、きっと勝てない。だが、闘争はこうでなくては。
集まっていた残り四人の冒険者たちが魔人の気迫に一歩下がった。二十人ちょっとはいた冒険者が逃げ、そして、倒され残ったのがこの四人だった。
「クソ、冗談じゃねぇよ。やっぱりありゃ王種っすよ」
「初めて見たよ、アタシ……やばいね」
「ぬう、仲間もやられてしまったが、逃げるわけには……」
そのうちの一人、バンダナを巻いた男が声をかけてきた。
「赤目の旦那。奴を倒せるかい」
赤目というのは私だ。左目がまた赤くなっている。
「多少でも傷つけられたのはあんただけだ」
「……さあな」
勝ち筋が見えない。四つの長剣を完全に避けるのは困難だ。そして、その剣を潜り抜けても甲殻を打ち破るほど強力な攻撃をする隙も間合いもない。この先は危険。抗いがたい誘惑がある。
「そうかい。……こんな魔人、放っときゃあよかったぜ」
そこでバンダナが息を吸って、周囲にも聞こえるように言った。
「これ以上は撤退すらできなくなる。15秒後に通路を封鎖する。倒れてる奴等を拾ってくれ。ほら、ゲッコーも走れ!……あん?お嬢ちゃん、何でこんなとこに!?早く逃げな!」
「よい、我は不死身じゃ」
「はあ!?じゃあいいから後ろにいな!」
そして、バンダナが動きを止めて魔法のための集中に入る。
周囲の三人もそれに合わせて行動を始める。一人は腕を伸ばして掴み、一人は俊足で引きずり、一人は魔法で負傷者を近寄せた。
シアンはバンダナの後ろで突っ立っている。
刹那、魔人が膝をたわめ肩甲骨の辺りの甲殻を甲虫が羽を伸ばすときのように開いた。そこからジェット噴流のような勢いで風が起こり、残像が見えるほどの悪魔的な加速でもって魔人がバンダナに迫る。視界の端でその後ろにシアンがいるのが見えた。
「うおおおおおおオオオ――――」
狂気の扉がゆっくりと開く。
同時にケントが前進した。魔人の二本の長剣が交差してケントの剣に真正面からぶつかり火花が散る。怪力に加えて驚異的な加速。しかし、ケントは左手の剣で魔人の勢いを防ぎきり、あまつさえ弾き飛ばした。
「――――オオオオオオオオオオ!!!!」
空中で魔人が姿勢を整えて着地する。その複眼に感情は見えない。されど、見ているところは何となく分かった。
ケントの左腕、それはもはや手ではなかった。鋼色の触手と化したネキアの肉が剣の柄を掴み呑み込んで、刀身へと巻き付いて硬化し一体化している。どこまでが剣でどこまでが左腕か分からない。長大な手刀だ。
それに加え、ケントの服の下をネキア肉が覆っていき、更にその上を装甲のように硬化した皮膚が張られていく。ケントの体重変化は硬化した部分にしか作用しない。これにより得た600kgもの体重を足しての渾身の斬撃。北極熊とすら対等に殴り合える重量、如何に魔人であっても易々とは打ち破ることができない。
「――オオオオ……!」
だが、その代償に制御しきれないほどの暴力衝動が体内に混ざっていた。
「十秒経ったぞ!おい、赤目の男!もう十分だ、速くこっちに来い!」
その声はケントの耳に届かない。
それをどう解釈したか、冒険者が「そうか、武運を祈る」と言った。
そこにバンダナの魔法が通路に向けて炸裂する。青い燐光を残し魔法が壁面、天井を崩落させる。
「よし、撤退だ!数分は稼げる。早くプライマリ呼びにいくぞ。おい、お嬢ちゃ……いない?」
ケントは魔人と無数の虫型魔物の前、一人残った。狂気に振り回され、半ば呑み込まれて。
空中から急接近し剣を振り下ろす魔人を剣と一体化した左腕で力任せに押し止め、刀と一体化した右手で切り払う。
その合間に膝丈の草の間から襲い来るローカストを左肩から生やした触手で貫き魔人めがけて弾丸のごとく放り投げる。
仲間であるはずのそれを魔人は躊躇なく八つに切り分け、魔物が消滅する際の灰に隠れて回転しながら突撃する。
左目に二つの輝きが光り、ケントはそれを的確にいなして背後に受け流した。
ケントの左目があった部分には二つの球体が並んでいる。瞳孔も何もない真っ赤な球体である。正面にある方が元の目と同様の働きをし、もう一つ外側にある方があらゆる魔力を見切る。
しかし、見切れたとしても避けれるかは別だ。重すぎる体は避ける程の身軽さを持たない。では、防げるか。二本の腕と一本の触手では同時に迫る四本の腕を防ぐことはできない。
姿勢を整えて翻った魔人の四本の腕と剣が左下から来るのを剣で落とし、右上から来るのを刀で受け流し、左上から来るのを触手で止めた。腕と触手は尽きた。
だが最後、右下から迫る剣を止めたのも触手。
右脇腹の背中側の皮膚を押し上げ突き破って生える自らの血に濡れた二本目の触手である。
以前、手榴弾にかき混ぜられた肝臓が形を変えたものだ。
手が尽きたならば、更に増やせばいい。
ケントの容貌はすでに魔人よりも人間からかけ離れていた。
「オオオオオオオオオオオ!!!」
理性の消えた咆哮を喉から発し、触手の先を剣のように硬く鋭く研ぎ澄ます。先端には若干の重り。イメージは鞭と槍。どちらも『インペリアル・アーツ』に含まれている武器だ。
刃物と一体化した両腕と二本の硬化した触手を携えてケントがゆっくりと草を踏みしめて歩きだす。
呼応して魔人が鞘羽(背部甲殻)を開き、排気をする。
一瞬の交差、先手を打ったのは魔人であった。加速した魔人が草花を巻き上げて迫り、必殺である豪快な剣撃が四つの腕から連続で出される。それはまるで大きな顎のように広がりケントを中心に飲み込もうとする。ケントが遅れて右下と左上の剣を空気が爆ぜるような衝撃音と共に両腕の刃で受け止める。
全身をネキア肉で覆うことにより増加した出力は今や魔人を超え、魔人の剣を受け止める程度容易い。
反面、硬化したネキア肉は収縮力が著しく低下し全身をネキア肉で覆えば出力の増加より速度の低下の方が激しくなる。だが、それも触手が補っていた。
「グウァァァァァ!!!」
ケントが獣じみた咆哮をあげる。
ケントの触手がうねって丁寧に魔人の剣を横から弾いて軌道をずらし、剣がケントの頬を掠め、逆に二本の触手は鞭のようにしなって当たる瞬間に槍のように鋭く魔人の肩関節を穿ち大腿を突き刺す。触手の動きはインペリアルアーツを元にしてあるだけあって、いっそ優雅ですらある。
更に触手が魔人の体内を貫き、割れた甲殻の隙間から粘性のある体液が零れる。
「――――!」
魔人の口がガシャガシャと音を立て、足掻く魔人の剣が下から上に走り、鋼色の触手を切り飛ばす。
切り上げられた触手が地面に落ちる刹那、横様にケントが剣を振るい魔人の胴体を狙う。
魔人が避けようとするも肩に刺さったままの触手が先端を花のように開きそれを食い止める。
そして、ケントが一歩地を揺らして進み、すれ違い様に強烈な斬撃が魔人の剣を壊し、緑色の甲殻を砕き、胸部を半ばまで切り裂いた。
「――――ッ!!!!」
魔人が声なき声をあげる。
破壊された魔人の背部ジェットから漏れる噴流が暴れ、きりもみしながら魔人が体液と甲殻の破片を撒き散らしながら落ちていった。
その複眼にもはや光は浮かんでいない。
残る魔物たちが王を失い、ざわざわと色めき立つ。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
ケントが咆哮をあげた。
それは決して勝鬨などではない。
荒れ狂う獣がただ次の獲物を探し求める声を叫んでいるだけだった。
切られた触手が、傷付いた全身が、再生していく。
再生が終わると同時に走り出し、すれ違う魔物を触手と両腕で斬殺していく。マンティスを鎌ごと叩き斬り、スパイダーを撫で斬りにして、アントを滅多斬りにする。
まるで無人の野を行くが如く泰然として進み、近付く魔物は一太刀で屠り、離れた魔物は容赦なく触手の一刺しで屠った。
闘争がケントを純化していく。有り余る力は制御を失すればたちまち奔流に変わる。
間もなく魔物は魔石を残しケントの前から消え去った。
「待たせたな。プライマリのジョシュアだ」
太陽の様に燦々と輝く光球と天井に張り付くように燃え盛る高温ガスが、緑豊かな10階の大地と青い地下湖、白い浜辺を暖かく照らす。その中に建てられた、長い間明かりのない地下にいる者たちを慰安するための施設、グランドホテル内のギルドロビーにジョシュアはいた。
ジョシュアがギルド職員に手を差し出すと、職員が応じ握手して着席を促した。
「お待ちしておりました。状況はご存知ですか?」
早速職員が用件を切り出す。
「おう、聞いたぞ。セカンダリじゃ歯が立たねぇ魔人が出たって話だろ?」
「はい、ですが、どうやら虫型への命令権を持つ王種個体のようです」
危険性を認識し、ジョシュアのバイザーが光る。
「つうことは、なんだ?雑魚を従えてるのか」
「その通りです。それがここユグソール目掛けて迫ってきていまして、近辺のプライマリに緊急ミッションを発行することになりました。ですが、プライマリ・ランクの冒険者様はアンダーシティ以降にいることが多いので一人も見つからず……」
「そこで丁度よく通りかかったのが俺ってわけか。話は分かった。いいぜ、案内はいるんだろうな」
ジョシュアが快諾したので、職員は安心して表情を緩めた。
「感謝いたします。はい、じかに交戦したセカンダリが案内にあたります。それで報酬についてですが」
「いい、帰ってから聞く」
「はい、案内の冒険者は街の入り口の方で待っておられますので、そこまで案内いたします」
ギルド職員に案内され、入り口に向かう。真っ白い石造りの門の脇に同じく白い建物がある。そこには二十人程のセカンダリがいた。その先頭にいる男の額にはバンダナが巻かれてある。
「案内のカリオスでさあ、待ってましたぜ。さっさと行きましょうや」
「おう。ギルドのあんた、案内ありがとよ」
よろしくお願いします、と挨拶をしてギルド職員が戻っていく。
「じゃあ行きましょう、プライマリの旦那」
ジョシュアが頷いて門の外に歩き始める。
男がやけに先を急いでいることに気付いた。
「……誰か残ってんのか?」
「ああ……いや、赤目の奴が俺たちを逃がす為に一人残ったんだけどよ、多分もう生きちゃいないだろう」
「……赤目、だと?左目だけか?」
「ん、左目だけだったな。何だ、知り合いかよ」
「ちっ……少し縁があってな。早く行くぞ」
ケントとかいったあの新米、生きていたのか、いや死んだのか。バンダナに先を促し、その後ろをついていった。
胸部が破壊され、内臓系にもかなりの損傷がある。右背部噴気孔の反応物質も大半が漏れだしてしまった。人間、人間め。
あの狂った人間はどこに行った。配下共は。
この再生には相当の魔力が必要だ。
這いずり、落ちている魔石を拾い、口に入れて咀嚼する。
魔石とは本来生きている者から離れて存在することの出来ない魔素の塊だ。魔族の肉体を根本的に構成するのは全てこの魔石から供給される魔素であり、破壊された肉体を再生するだけならこの魔素を直接魔石から吸収するのが最も効率がいい。
幸い、魔石は地を埋め尽くす程に落ちている。
再生はすぐに済むだろう。
配下を呼んで、体を再生して、人間への復讐はそれからだ。
「いた、あの魔人だ。くそったれ、ピンピンしてやがるぜ」
「いるな」
「魔物もさっきほどじゃねえが、かなりいやがる」
「よし、俺があの魔人を仕留める。まずは魔人を奥に殴り飛ばすからてめぇらに他の魔物は任せたぜ」
「はいよー、お前ら聞いたな!」カリオスが剣を上に掲げた。「くそったれの魔人はプライマリの旦那に任せて俺らは魔物を狩るぞ」
「「「おう!」」」
「よし……」
ジョシュアがコートを脱いで脇に放り、霊脳から指令を出して心臓の下に作られた人造の器官、無悸循環システムを起動させる。背中から二本の吸気筒とそれに対応する二本の排気筒が突き出し強引な呼吸を始め、人造肺が膨大な酸素を血液に溶かし、人造心臓が高速で間断なく血液を循環させる。
通常の人間ならば一瞬で全身の血管が破裂するような血圧でもキメラジェネティクスの最終型たる融合体ならば何の問題もない。
「おお、さすがプライマリ、初めて見る追加物だな、帝国の方かい?」
「詳しく聞くと後悔するぜ」
「じゃあ聞かねぇよ」
「そうするんだな」
ジョシュアが魔人を睨み、姿勢を低くしてスタートダッシュの態勢を取る。足元で地面が弾けた。
無悸循環システムにより潤沢なエネルギーを与えられた脚がジョシュアを一瞬で魔人の眼前にまで押し進める。
周りの魔物が一切反応できない中、魔人は反射的にジョシュアを左側の剣二本で迎撃の構えを取る。
それを見たジョシュアはその二本の一歩間合いの外で左足でブレーキを掛ける。
止まるためではない、下半身で体を止めた大地からの反動を上半身に伝えていく。大腿四頭筋が固まり股関節に力を伝導し、腰でそれを回転運動に変換して背筋と大胸筋がそれを強化、魔鋼製の右腕に力が蓄えられていく。
だが、それは未だ魔人の剣の一歩外。ジョシュアの腕がいかに長かろうと右腕の届く距離ではない。だが、
「だあああー!【パンツァーファウスト】!!」
破断しそうなほどの力が右拳まで伝わった瞬間、右前腕の半ば辺りが赤く光り爆発して文字通り宙を飛び二本の剣の間を抜けてジョシュアの右腕が魔人の腹に突き刺さる。ロケットパンチだ。
右腕に乗せられた全ての運動エネルギーが魔人に伝えられ魔人が勢いよく魔物の群れのなかから吹っ飛ぶ。ジョシュアはその群れの中を駆け抜けながら自分の右前腕を拾って、立ち上がりかけた魔人の顔面をもう一度蹴り飛ばして完全に群れから分断する。
策も何もないただの腕力だけで魔物を平伏させる異次元の強さ。
これがプライマリ。バンダナがひゅーっと口笛を吹く。
ジョシュアから少し遅れて他の冒険者も魔物の群れに突入していく。三々五々ではない、確かな連携を基にした狩りである。
必ず一対多数になるようにして複数人がかりで魔物を仕留めていく。ゆっくりながら着実に包囲して仲間同士で死角を補い合い、かつ、死角からの攻撃を心掛ける。基本は防御で、攻撃は手の空いた者が隙をみてする。
魔物の群れは冒険者たちに任せ、ジョシュアがバイザーで魔人を分析する。一部が生命ではなく魔素で構成されている。何者かに破壊されて急遽再生したのか結合が脆くなっている。
理由はわからないが、思ったよりも早く終わりそうだな。
ジョシュアはスムーズな動きで左大腿のホルスターから馬鹿デカい黒鉄のリボルバーを引き抜く。
フォルセリオン帝国制式回転式拳銃「シュテールン03カノン・特務仕様改」。銃弾は鋼鉄を徹して対象の内部から炸け裂く炸裂徹鋼弾。
帝国で支給されたリボルバーを原形を失う程に改造し、ドラゴンの鱗ですら撃ち抜く威力にまで高めたジョシュアの長年の相棒だ。ジョシュアの手の中でこそ少し大きめのリボルバーに見えるが、実際には人間に扱えるサイズでも重量でもない。
魔人が縦に開いた口の牙を擦り合わせキシキシと生理的に不快な音を立てて、剣を構える。いつも通り上に二本掲げ、一本を下に降ろし、一本を正眼に。
そこにジョシュアが引き金を引く。リボルバーが二度、マズルフラッシュを上げて炸裂徹鋼弾を吐き出す。その威力は反動ですら常人の腕を砕く。
魔人が素早く剣を横にして防ぎ衝撃で後退する。剣身に若干のヒビが入るがすぐさま体液が補充されて元に戻った。
追ってジョシュアが右腰に下げてある近接戦用非正規追加装備「ナーゲルEXver.3」をシュテールンに抜刀と同じ動作で取り付けて鞘から振り抜く。
魔人は見越していたかのように剣で防ぎ同時に別の腕で剣を振り下ろす。その剣をジョシュアは反射的に金属の右腕で掴んだ。別の方向からも剣が迫る。
瞬間、ジョシュアの右腕に複雑で幾何学的な紋様が浮かぶ。ジョシュアの血液が燃焼して右腕に更なる怪力を与えている。
「離すなよ?」
剣身を掴んだその手に力を込めて捻り、柄を魔人の腹に押し込んで思いっきり頭上高く魔人ごと持ち上げる。
それを壁に叩き付けた。
魔人は堪えた様子もなくすぐに背中から排気して態勢を整える。
その間に背中の鉄板のような大段平「竜の右腕」を右腕で肩に担いでいたジョシュアは、その長く厚く重い刃を力任せにぶんまわして魔人にぶつける。
三本の剣を使って魔人もアルムレヒトを抑え込もうとするが力づくで飛ばされて片膝をつく。
通常のヴァリアントでさえ敵わない魔人の膂力をジョシュアは軽々と超えていく。
そこにジョシュアの左腕が別の生き物のように独立して動き、シュテールンの狙いを定める。ジョシュアがバイザーの下で笑い、引き金を連続して引く。爆発音は三度。姿勢を崩された魔人はすぐに元の態勢に戻れず反応が遅れ、銃弾が魔人の再生したての部分に突き刺さり、炸裂する。甲殻が弾け体液が撒き散らされる。
「キシャアアアアアアアア――――」
魔人が初めて明確に声をあげる。
手に持った四本の剣が先端からアイスクリームのように溶けて体内に吸収されていく。体を震わせて血で体を修復する。傷からは内骨格が見えドロドロと粘性の高い体液が溢れていたが、傷口が段々と塞がっていく。
それを見て思い付いたのか、ジョシュアがシュテールンナーゲルを鞘とホルスターに戻し、アルムレヒトを背中のホルダーに納める。
「いいじゃねえか、やろうぜ」
拳を握り締めて歩く。
体を修復し終えた魔人も剣をなくした四本の腕を確認するようににぎにぎとあけしめを繰り返し、走り出した。
大振りに左二本の腕でジョシュアの顔面と脇腹をそれぞれ狙う。ドクン、と大きく心臓が鼓動を打ち、ジョシュアがその二本の腕より速く右拳が魔人の複眼のある顔面を殴りつける。瞬間的な加速は人工心臓に加えた、元々の心臓が血を送り出してなされる。
ぐらりと魔人が体を揺らすが、すぐに立ち直りジョシュアの顎を拳で跳ね上げる。ジョシュアが頭を大きく後ろにスイングして一歩後ろに下がりバランスを取ると、腹筋で体を戻して勢いのまま拳を繰り出す。
幾度も拳が飛び交い、その都度二人の体に衝撃が弾ける。
ほぼ互角。相手の腕が二倍多いなら二倍速く動く。
互角でもいつかは競り勝つだろうが、いつかを待つジョシュアではない。
「おおおおおおお!!!」
スピードを二倍から更に引き上げていく。体内をとめどなく循環する血液が人工心臓を通る度に加熱されていき、血管を焼き始める。それが人造肺で吸気筒からの空気によって冷やされ、体内で熱された空気が排気筒から吐き出されていく。二倍から三倍へ。三倍から四倍へ。
魔人はジョシュアの速度に次第についていけなくなり一方的に殴られ、ついに顔面の甲殻、縦に並ぶ牙を散らしながら膝をついた。
ジョシュアが全身から蒸気を立ち上らし、魔人を見下ろして言う。
「なかなか強かったぜ、お前」
そして、右腕の鉄槌を魔人の頭部に降り下ろす。
複眼の輝く魔人の顔に吸い込まれ、ぐしゃり、と弾けた。
跳ね返る体液に体を濡らすジョシュアの前で魔人がゆっくりと倒れる。
王種が倒れれば、その指揮下にあった魔物たちも弱体化する。それによりセカンダリ達による魔物の掃討も順調に進んでいくはずだ。
ふと、気配を感じジョシュアが倒れた魔人の更にその奥の通路を見る。
「――――なんだ?」
黒いドレスを着た女の子が闇の中に佇んでいる。その周囲だけ異様に暗い。まるで女の子の周りだけ世界が違うような違和感だった。
「おい、ガキ。そんなところで……?消えた!?」
咄嗟に女の子がいたところまで駆け寄る。しかし、周りを見渡してもいない。
「――――こっち」
声のした方向に振り向くと遠くにまた女の子がいた。闇の奥の方を指差している。
そっちに何かあるのか?
空気に溶けるようにして女の子が一瞬で消えた。
残りの魔物はもうセカンダリに任せても大丈夫だろう。
嫌な予感がするが女の子を追うことにした。
5分程歩く。
そこには大量の魔石と魔物の死体が転がっていた。壁面も崩れており激しい戦闘があったことが伺われる。
その中心にそいつが、化け物が立っていた。
恐らく元々は人型。顔には強烈に光る赤い球が三つ、顔の左半面に付いてあり、右半面には淡く光る青い光球が一つあった。また、右目に当たる青い光球を除いて顔面の全てがマスクのような物に覆われている。
左肩からは二本の触手が生え腰の少し上辺りからも触手を二本生やし、それが宙でゆらゆらと揺れていた。
そして、両腕には鋭利な剣がぶら下がっており、先端をカラカラと地面に引きずっている。
「……魔人か?」
新種の魔人?
当然のように答えは返ってこず、化け物は微かに唸り声をあげただけだ。理性の欠片も感じられない。
服の切れ端が全身を覆っている筋肉のようなものの下に見える。
ジョシュアの頭の中に複数の疑問が浮かぶ。ダンジョン内ではおかしなことが頻繁に起こるが、現れたり消えたりする怪しい女の子に誘われて着いていくとわけの分からない化け物に出会うなんてことは初めてだ。
魔人だとすると初めて見るタイプ。
だが魔人にしても奇妙。進化個体だとしても、明らかにこの階層にそぐわない威圧感を覚える。
時折ダンジョンに現れるというイレギュラーモンスターかもしれない。
人間と同様の動きでゆらりゆらりとジョシュアに向かい歩いてくる。視認されたようだ。
ジョシュアは思い出した。
そう言えば、見たことがある。
ヴァリアントは人間と魔物や魔鋼を結合させたものだ。だが、本来ならば免疫機構や血液凝固によって異なる生体や物体を人体に結合させることなど不可能。それを無理矢理に可能にしているものが生物を殺すことで得られる魔力である。
故にもし、魔力の少ない低レベル冒険者などが異形化手術をすると、魔力不足に陥り結合崩壊を起こして死に至る。
では、もし異形化手術が成功した後に魔力不足になればどうなるのか。
一般的にはこの場合もまた結合崩壊を起こして死に至るといわれている。
しかし、通常では体を維持できない程に魔力不足になることはなく、魔力が不足しそうになると体が危険を感じ昏睡状態に陥って魔力の回復を始めるので異形化手術後に結合崩壊になったヴァリアントは公式には確認されていない。
しかし、軍の機密ファイルを興味本意で盗み見るとそこにはある実験の経過が書いてあった。
特殊な霊脳を用いて外部コントロール可能な状態においたヴァリアントを強制的に魔力不足の状態にさせる実験だ。
その結果、確かに結合崩壊を起こすヴァリアントが確認されたらしい。
だが、それだけではなかった。
十分に人体と結合部が馴染んだヴァリアントは結合崩壊を起こさなかった。実験は進められ、更にその状態で外部コントロールを外すとどのような振る舞いをするかの実験が行われた。
その結果、実験施設が破壊され施設にいた研究員の大半も殺害されたらしい。残った情報から推察すると、この実験体となったヴァリアントは理論上このヴァリアントには破壊不可能であった実験室を想定を大きく凌駕する力で破壊して逃走。更に施設内を破壊して回り、研究員を見つけるとその場で研究員を殺害し血を吸い尽くしていった。
この状態になったヴァリアントは肉体を破壊しても追加物が肉体を侵蝕して瞬時に再生し、頭部の破壊、胴体の切断すらも治してみせ、無力化するのに心臓と頭部の同時かつ完全な破壊が必要になった。
この実験結果から魔力不足により凶暴化したヴァリアントを不死者ノスフェラトゥと呼称することになったそうだ。
そして、今目の前にいる化け物は、資料にあった写真とよく似ていた。
だとすれば、最悪魔人よりよっぽど強いってことになる。
ジョシュアが唾を飲み込む。
そのタイミングで化け物が走り出した。
速くはないが化け物の足元にヒビが入っている。見た目にそぐわない重量をしているらしい。
ジョシュアが大段平アルムレヒトを引き抜く。右前腕から小さな補助腕が飛び出しアルムレヒトと繋がり右腕とアルムレヒトが一体化し、右腕から浮き上がる幾何学模様がアルムレヒトを覆い模様に添って血液が循環していく。文字通りアルムレヒトは右腕の一部と化した。
数メートルまで迫る化け物が肩の触手で先制攻撃を始めるのを僅かに足を引いて最小限の動きでかわし、間合いに入った瞬間両手持ちでアルムレヒトを振るう。アルムレヒトは常に必殺の一撃だ。しかし、それが宙を過ぎ空振りに終わる。
化け物が後ろに引っ張られたような奇妙な動きで避けたのだ。
追撃に降り下ろしたアルムレヒトを交差した剣で防がれる。地を這うように襲い来る触手が到達する前に、アルムレヒトから左手を離し首に掛けた触媒を外して衝撃魔法を放つ。
化け物が2mほど吹っ飛んだ。
「ちっ、マジかよ……」
ジョシュアはその手応えと結果に驚きを禁じ得ない。
今の衝撃魔法はオーク程度の敵なら30mはぶっ飛ばすそれなりに高価な魔法だ。それが2mとは、重量が見た目と違うとしても異常。
ふと、バイザーのソナー機能で化け物の背後を解析する。
「触手……」
化け物の腰から生えた触手がジョシュアからは見えづらい位置に突き刺さっていた。
これで体を支えたり後ろに引っ張ったりしていたのか。
獣染みている癖にいやに計画的な動きが気持ち悪さを加速させている。
大してダメージを受けていない化け物はすぐさま再度突入してくる。それを二度、三度と魔法で弾き返す。
触媒の量には限りがある。このままじゃじり貧じゃねえか。
加速してアルムレヒトを竜巻のように振り回すが化け物の両腕は的確に受け、弾き、流す。少し精彩を欠くが、紛うことなき剣術だ。腕力はむしろ化け物の方が上のようで両手で振るうアルムレヒトを片手で受け止められている。
やるしかないか、久し振りだが。
「おい化け物。てめぇ名前はなんだ?」
「……」
「まあ、なんでもかまわねぇんだが」
「……」
右腕を砲塔に見立て、12時の方向に向ける。
「――――ジョシュア・コールマン特務准尉、白兵戦車、てめぇを食い潰す!」