買い物
我は買い物がしたい!
夜が明けると、宴会の参加者は5分の4が消えていて、部屋は竜巻の後のように散らかっていた。空っぽの鍋、大量の瓶と杯。いくつかは寝ている者と一緒に転がっている。その中に老人の姿はない。曰く、老いると夜中までには家に帰らないと疲れが取れないらしい。
起き出したお弟子さん、クルスと共にそれを片付けていく。「お客さんにそんなことさせられませんよ」と言われたが、宿を無償で貸してもらった上に食事まで頂いてしまったのだ。
更に何故だかライシンに気に入られ、余っているからとお古の刀を渡され、酒屋の息子ジェフには試しに作った回復薬入りの酒を5瓶、他の人からも昔使ってた剣やら鞄やら投げナイフやら昨晩使いきれなかったオーブを渡された。先達から新米へのプレゼントとのことなのでありがたく頂戴しておいた。
こうして色々な物を宴で貰ってしまった以上、ただ客というだけで片付けもしないなんて流石に悪いし、落ち着かない。
片付けが終わる頃にはシアンも残っていたウォッシャー達も起き出して、ブレインウォッシュから退店していった。
リャンとミカは手を繋いで出ていった。二人は同じ孤児院に住んでいるらしい。
残ったのはマックスという女性研究者だった。確か昨日、電気とか電磁波とかそういう類いの話について一方的に話された気がする。
「おはよう、ケント君。じゃあ、また会おう」
「はあ、ではまた」
マックスはボサボサの頭のままブレインウォッシュを後にした。余り見た目には頓着しないのだろうか。
彼女には昨日電気について説明された時、何も考えずに浅薄な現代知識を披露してしまった。
それでもゼラスではまだ知られていない知識だったらしく目をつけられ、「君とはまたじっくりと話したいね」と言われた。美女との食事を断る理由もなく首肯し、後日会う約束をした。
それから、クルスとオイレインに感謝し、ブレインウォッシュを出る。
シアンにせがまれたので服を見に隣の第三柱に寄ることにした。どうにもシアンの小さな手に引っ張られると抗えなくなる。
エレベーターに向かう。
真鍮製のフレームで覆われ、少ないながらも装飾が施された扉が横にスライドして、二人を迎え入れる。中に入り、扉の脇に設置されてあるダイアルを回して階数を決め、スイッチを押すと蒸気の抜ける音と共に扉が閉まり、エレベーターを吊るす魔鋼製の頑丈なワイヤーが歯車に乗せて巻き上げられる。目的の階に着くと、パイプの継ぎ目から白い蒸気を漏らして扉を開閉する歯車が回り始める。扉が開くと外に出た。
ウォールに出てロープウェイへ向かう。アンダーシティには昼も夜もない。一応、魔光の明かりが半日ごとに色を変えるが明るさは変わらない。ウォールの屋台は常にどこかしらは開いていて活気が絶えることはない。そこで、昨日使った滑車はすでにリャンに返していたことを思い出した。仕方ない、周りに見られると変に思われるかもしれないが、左腕を滑車に変える。どうせ、アンダーシティは地下の街であり寝ても覚めても闇の中だ。周りに見られることは滅多にないだろう。
「おいで」と言って、万歳をするシアンを招き寄せ小脇に抱える。それから左腕をロープに乗せて滑り降りた。夜の街を生身で飛んでいるような気分だ。あるいは、スパイダーマンのような。どちらにしろ楽しいと思える。足のバネで強引に止まりロープウェイから降りた。第三柱に到着だ。
第三柱は服飾店を中心に形成されているファッション街だ。他のセブンスと同じように根の辺りにはバザールがあり古着や駆け出しデザイナーの意欲作が売られており、上部にはブランド品が売られている。
シアンは喜んで、下の方から回りたいと言った。私もそこまで急ぐ用事もなかったので頷いてシアンの行くに任せることにした。
服飾品のバザールは色彩的に極めてカオスであった。ドバイの商店街のように色とりどりの布が売られてある。一部には黒、灰色、茶色を基調とした何かそれなりの事情、例えば浮浪者に扮する必要があるような妙な場合にしか使わなさそうな汚れた古着を扱っているところもあれば、一部には赤青黄色と言った原色を使いまくり芸術と題して下品な服を売っているところもあった。
下品と言えば、少し上に登った所には、扇情的な衣服、もはや露出率が下着と変わらないようなものや、大事なところに穴が空いてしまっているような衣服も売られてあった。興味深そうにそれを手に取るシアンを教育上の理由で引きずってさらに上に登る。勿論、シアンを教育する権利も義務もないのだが子供に見せるようなものではないだろう。まあ、子供ですらないのだが。
20階辺りになると質もデザインも安定してきた。地球にあったのと似たTシャツやジーンズのような衣服もある。冒険者は大陸全土からここに集まる。だから許容している文化の幅もやたらと広いのだろう。民族衣装のような服もよく見かける。通行人の服装も同様に多様だった。アフリカの奥地のような腰簑に冠を載せた者もいれば、着物を優雅に着こなしている女性もいる。
シアンは色々な店を適当にちょろちょろと見回っていく。そう言えば、シアンはどんな服が好きなのだろう。
シアンを見ながら第三柱を登っていく。子猫のように元気に動き回り、黒いフリルを右へ左へと揺らす。私はそれを見て愛らしいと思わずにはいられない。思い出す。私はこのようにして歩きたかったのだ。妻と娘と。7年と少し前はそれが当然のことのように思えていた。目の前にいるシアンは妻と娘とは違う。けれど、それは幾度も見た夢の景色と重なって見えた。
シアンが足を止めた。55階の店に入っていく。ショーウインドウには人間とは思えない程に美しい女性が漆黒のドレスを着て仮面のような笑顔を張り付けてポーズを取っている。人形かと、最初は思った。しかし、女性は絶えず動いて別のポーズを取った。女性はポーズは取るもののショーウインドウの外を見ているようにはみえない。左目に魔力的な内燃機関が映る。自動人形だ。
店内には誰もおらず、シアンだけが目を輝かせて乱雑に置かれた人形の間を縫ってドレスを見て回っていた。店内は照明が暗くどことなく頽廃的な雰囲気を醸していた。生命のない人形達が光の当たるショーウインドウで一人ポーズを取るオートマタを羨んでいる、そんな妄想が頭をよぎった。ここは何となく生命が薄い気がする。
その店内をシアンが踊るように歩き、ドレスを手に取る。この店のドレスは黒が多い。どうやらシアンは闇を変化させてドレスを作れるようだが、元が闇なせいか黒か濃い紫にしかならない。そのシアンにとってはおあつらえ向きな店だ。
「――――ゃく、なさ――ますか?」
ビクッと後ろを振り向く。全眼をオフにしていたから気付かなかったが、黒衣の幸薄そうな女性が幽鬼じみた蒼白な表情で店内に立っていた。
聞き取れなかったので無言でいると、女性がうっすらと涙目になり震え声でもう一度言った。
「ご、ご試着なさいますか?」
「うむ、頼む!」
シアンがいつの間にか隣に立って数枚のドレスを掴んでいた。
どれもヴィクトリア朝のようにフリルとレース、リボンが過度とも思える程に装飾されていて多分に少女趣味である。その一方、古めかしく暖かみの欠けた礼服のような印象も受ける。
「はい!」と店員さんは反応してシアンと共に奥に入って行った。
奥から「ほう、これはよいな」「とてもお似合いです」「そうじゃろう、我だからな」「えへへ、こんなに似合う人いませんよ」「ヌフフ、そうかそうか。欲しいな」「きっとお父様が買ってくれますよ」などと言う声が漏れてくる。その度に店員さんは奥から出て来て新しいブーツや手袋やヘッドドレス、チョーカーを持って戻る。
出て来た時にはシアンは立派なゴスロリ少女になっていた。その傍らで店員さんが、私に声を掛けた時とは対照的な真っ赤に興奮した顔でどや顔をしていた。
「どうじゃ、お主?」
シアンが少し恥ずかしげにこちらを見つめる。私は思わず店員に言った。
「買おう、いくらだ?」
折角一晩必死で戦って稼いだエリスはきれいに消え去った。
ダンジョン中層は上部が森のように植物に覆われ、中部は正に岩だらけ、下部は湿気が多く川や池がある。
現在は11階なので植物に覆われている。
その中をケントは高速で駆け回り、巨大昆虫の群れを相手に闘争を繰り広げていた。
キラーマンティスが振るう鎌をかわし、背中から迫るギガントビーの腹と胸を刀で切り離し、低空から足を食いちぎろうとする大型犬サイズのヒュージローカストを変動させた体重と槌でホームランする。
武器の持ち替えは容易だった。
ネキアの肉、その真の力は硬化、変形、伸縮、そんな物理的なものではなかった。
ローカストをぶっ飛ばした直後に槌を左腕に仕舞い、刀を取り出してマンティスと切り結ぶ。
シアン曰く、神と世界は兄弟に近い関係にあるらしい。神は自分自身だけの世界を内包している。それ故に、神はゼラスの外でも存在を保つことができ、代わりにゼラスの中に干渉することができない。しかし、そのルールには一つ裏技があった。それが、人間の体に神を仕込むこと、人間に神を食わせることである。このようにして、神は内包する世界の一部をゼラスに明け渡し、代わりにゼラスに侵入することができる。とはいえ、ゼラスに明け渡したとしても、その世界が無くなるわけではない。その世界はゼラスの一部と認識されつつも同化しきれずに半分位相がズレた状態で残ることになる。
その結果、ネキアの肉は亜空間そのものとなり、同時に亜空間への扉となる。
亜空間の使い方は、『不明』のオーブに入ってあった。あれはシアンが手ずから作ったものらしい。何故脳を最適化した時に入れなかったのか聞いてみると、入れはしたが亜空間ともなると完全に未知の感覚になるので、意識がそれを認識できなかったらしい。なので、意識する切っ掛けとしてオーブを使ったとのことだ。
これによりブレインウォッシュで貰った武器や道具は全部体内に仕舞うことができた。体内に仕舞える容量はこの肉体に同化したネキアの肉と同じ重さまでらしい。およそ800kgほどまでだ。なんとネキアは私に800kgもの肉を食わせていたらしい。無論、普段の体重は90kg前後だが、ネキアの肉の大半は体内に仕舞われてあって、それを亜空間から引き出すことによって体重を変動することが可能になっている。ネキア肉を硬化させると重量が増えるのは無意識に硬化部分を圧縮しているからのようだ。
マンティスは正面から戦うと殊の外強かった。真正面に立って切り合うと鎌が二本あるマンティスの方が一手速く防戦一方になってしまう。動体視力が数倍に強化されていても、やはり人間の眼では虫の複眼には並べない。このままではギリギリの切り合いになる。
それにも関わらずケントは妙に楽しい気分で刀を振り回していた。
アンダーシティを出てから数時間、オーブの効果を確認しながら50体を超える魔物を一心不乱に切り裂いてきた。30体目を超えた辺りから気分が高揚してきた。
切れば切るほどに力が湧く気がした。もう疲労も感じない。
ただ、相手の動きをかわし、相手の弱いところを探し、切りつけ、命を絶ち、次の相手に向かう。それをただただ早く、高速化していく。
自分が闘争に純化していく感覚を味わっていた。
マンティスに対する勝ち方は幾つか考えられた。後退して答え合わせがてら、魔物図鑑にアクセスしてみる。
キラーマンティス、ヴェルギア大陸全土、ダンジョン中層上部に生息。生態はいらない。繁殖方法もいらない。討伐記録、これだ。討伐記録には、魔物の弱点や有効な倒し方が書かれてある。攻略本のようなものだ。
討伐記録を確認し、答え合わせをしたあと、地を這うように姿勢を低くして走る。左腕を少し伸ばし、刀を握る。マンティスが近付き、鎌を振り上げる。その瞬間姿勢を起こしてジャンプ。マンティスの間合いのほんの少し外側から片手で刀を降り下ろし、鎌の上からマンティスの頭部を破断した。
マンティスは振り下ろす方向にしか鎌を振れない。よって、構えた鎌より上からの攻撃には対応が弱い。
巨大昆虫の群れはまだ奥に続いている。むしろ、ますます集まってきているようだ。その奥で何かが壁にぶつかる音、岩が砕ける音、鎧のぶつかり合う音、銃弾が弾ける音、戦闘音がしている。
その響きはまるで私を呼んでいるかのように軽やかに反響し響き渡り、私を誘う。
その後ろから実体化しているシアンが不安そうな顔で着いていく。
更に数体の魔物を始末して騒動の中心に向かう。魔石を放置して、手当たり次第に狩っていく。
オーブによって戦闘もダンジョンもかなり楽になった。
私が普通の体ならば今のマンティスにすらあっさり殺されていただろう。しかし、まともな体の冒険者もすぐこの階層にまで降りてくる。彼らがどのようにして戦うかというと、今の私のようにオーブから知識を得て、適切なメンバー、適切な装備、適切な作戦、適切な技術でもって戦うのだ。
それができず冒険してしまう冒険者はすぐに死んでしまう。
しかし、今のケントはそうではない。後も先も考えず、力だけで押し進んでいる。
ならば、ケントは例外なのか、というと、それは違う。
上層下部及び中層上部は最も冒険者の多い領域であり、色々な冒険者とすれ違う。ダンジョンですれ違う冒険者が皆パーティを組んでいるわけではなかった。
4分の1はソロである。
そして、ソロで魔物を食い散らかしていた。
彼らはまともな冒険者ではあるが、およそまともな人間ではない。
一人は両腕から剣が生えていて、正に手足のように剣を使って魔物を解体していた。
一人は背中から生えた触手で魔物を縛り上げて悠然と剣を突き刺していた。
一人の肌は鉄のように硬く、亜人の剣は何度彼を切りつけても傷付けることすらかなわなかった。
彼らの体は生まれつきのものではない。そのように過剰に攻撃的な肉体に生まれるのは、生命を殺し尽くすべく生まれた魔族だけである。
異形化改造手術。
帝国の融合遺伝学により身体の一部を魔物と結合させて得た人外の攻撃力。あるいは、共和国の魔導工学により魔鋼を体構造に組み込んで得た超常の防御力。
その人を捨てて得た力を持つ者たちが彼ら、異形である。
その力は通常の人間からすれば圧倒的。
これにより人類は魔物と同等の力を得て、単独で魔物に抗うことができるようになった。
だが、ケントの目の前でそのヴァリアントたちが面白いように投げ飛ばされていた。
強い敵がいる。燃えるような闘争本能がケントの心中で渦巻く。
騒動の中心にいるのは昆虫であろうか。チラッと見えた。強靭な一本角、焦げ茶の甲殻に深緑の関節、六本脚で、頭と胸と腹が別れていない。昆虫型の魔物ではないようだ。六本あるうちの上四つが腕で、二本が足で胸と腹はその間に収まっている。人型の虫、魔人。強敵だ。
魔物図鑑を参照する。
虫型で六脚の魔人種はインセクター種とバグ種だけ。だが、この階層にはバグ種しかいない。なのに、バグ種にしては強すぎる。
進化、という言葉が『百科事典』のインデックスから引き出された。魔力を蓄えた魔物は時に急激に構造を変化させ、上位の生命体に生まれ変わることがあるようだ。
苦戦する冒険者の言葉が聞こえてきた。
「くそ、甲殻が硬すぎる」
「ドラコの盾ごと投げ飛ばされた。あいつ強いよ」
「それより、虫型が集まってきてやがる!」
「これ、逃げた方がいいんじゃねぇか?」
「あーちょっとプライマリ呼んでくる」
「ありゃかなわねぇわ、俺たちは抜けるぞ!」
「くそ、逃げるな貴様!ユグソールか近いんだぞ!」
逃げた冒険者と入れ替わり、魔人を視認する。敵う敵わないなんて関係ない。攻撃するのだ。攻撃しなければ闘争は始まらない。命を燃やし尽くすことこそが闘争の唯一の本質だ。
「むう……お主、ちょっと待つのじゃ」
シアンがケントの異常を察して諌める。
(闘争心が暴走し始めておる……ネキアめ、厄介な)
「シアンはもう戻るんだ」
「お主は自分の状況を分かっておらん!」
「大丈夫、あいつの首を落としてくるよ」
「全然分かっとらんではないか!」
(全然話が通じん!やはりネキアの分身たる我では逆効果にしかならんか……)
右手を私と同じような爪に変えた冒険者が魔人の懐に入り魔人を引き裂こうとするが、魔人の脇腹は傷一つつかず、冒険者は下の腕で殴り飛ばされる。
次いで大剣を構えた上裸の戦士が「はあっ!」と気合一閃、大剣を振り下ろす。これに対して魔人はびくともせずに茶色の前腕で受け止めてから蹴り飛ばした。
爪の攻撃では動きすらせず、大剣の攻撃は見るからに硬そうな前腕で受け止めた。
なけなしの理性が大剣ほどの攻撃ならば傷をつけられると判断する。相手の動きは今までの魔物と比べれば速いが、今の俺とならほぼ同格。
きっと楽しい闘争になる。
そして、ユグソール防衛戦が始まった。