ブレインウォッシュ
夜の闇より暗く眠らない街
それから幾つかのロープウェイを降りて第四柱にたどり着き、インテリオルに入ってエレベーターに乗り40階まで上がった。
「着いたぜ、にいちゃん!」
目の前の店のボロボロの看板にはブレインウォッシュとだけ書かれている。周りの店は看板をネオンで光らせているので、何だかブレインウォッシュだけやたらと陰気で店舗の間に隠れてしまいそうだ。一人で見つけるのは本当に困難だったかもしれない。
リャンに会ったのは幸運だったかもしれないな。労ってやろう。
「はい、報酬の1000エリスと賃金200。あと、チップだ」
チップに100エリスくれてやる。元々ぼってるんだから安いチップでも文句ないだろう。
「ほんと、話が早いな!ちょっと待ってな。呼んできてやるよ」
そう言ってリャンはブレインウォッシュの中に入って行った。
「おーい、爺さーんいねぇのかー?」
「ああ、リャン君かい?」
いきなりだからびっくりしたよ、と答えたのは店員とおぼしき男性だ。
そこに、年老いた老人が上階から降りてきた。背筋を伸ばし総白髪を短く刈り込んでいる姿は、若々しさに溢れていた。
「どうかしたかね、リャン」
「お、爺さん!客連れてきてやったぜ!」
「リャンが客だって?また騙くらかして来たんだろう」
「何だよー、客は客だろー」
リャンがぶつぶつと言うのを無視して、お爺さんがこっちを向く。矍鑠とした老人である。
「すまないね、若いの。どうせいい店があるとか案内料がどうだとか言ってたんだろう、あの馬鹿?」
そう言いながらもお爺さんの顔は暖かい。
「いえいえ、店についてはエリオットさんが。それに案内についてはちゃんと交渉して契約したものですからいいんです」
「そう言うならワシは気にせんよ。エリオットの紹介なら少し安くしてやる、ゆっくり見ていきなさい。面白そうなものがあったらそこの弟子に聞きな。おい弟子、しっかりと説明するんだぞ」
「おい弟子、しっかりと説明するんだぞ!」
最後のはリャンだ。面白げに真似している。それから二人は上階に上がっていった
とりあえず、ゆっくりと見て回ろうか。
まずはダンジョンマップだ。『上層 2000』『中層 3000』『下層 4000』『セット 7000』とある。
無論買うならセットだな。
「これ下さい」
「はい、ダンジョンマップセットですね。あれ、マップなしでここまで来たんですか?」
「いえ、連れてきてもらったようなものですので」
実際自分一人だったのは一階と蟹食ってた時くらいだ。
お買い上げどうもー、と言って渡されたオーブを額にあてがう。すると、第三の目が開眼したかのような得も言えぬ感覚と共に知識が入ってくる。2分ほどそうして摂取し、終わると若干の酔いを感じた。
んー、ほろ酔い気分だ。自分の口角が上がっている気がする。悪くない気分だ。
ふと、お弟子さんを見ると何やらニヤニヤとこちらを見ている。
「お客さんもなかなか行ける口ですね」
すると、「ちょっと失礼」と言って、お弟子さんが手を伸ばし私の前髪を少し上げた。
「んー、まだレベル3手前ってところですね」
ほう、なんで分かるんだ。
「あ、失礼しました。霊脳核の色で分かるんですよ」
お弟子さん曰く、霊脳核の色はレベルが高くなるほど濃くなるらしい。
霊脳核の色は誰もが最初は無色透明で、外から見ると脳の色が透けて灰色にピンクが混ざったような色になる。
それが徐々に白くなり、次に色が差してくる。その色は人によってどんな色にもなるらしい。
私のは黄色ですよ、と弟子さんが見せてくれた。
私のは未だ灰色だそうだ。
「しかし、なかなか博識のようですね。お客さんの霊脳なら後40カットはいけそうです。でしたら……」
「あの、カットって何ですか?」
お弟子さん曰く、霊脳にも容量があるらしい。
容量に余裕があると霊脳核のカット面が増えて煌めきが増し、余裕がなくなるとカット面が減り輝きが増す。そして、容量がいっぱいになると綺麗な球状になる。
優れた魔法使いはなんかは大体58面程度にカットを留めておくそうだ。そのくらいが最も煌めきと輝きの調和が美しいそうだ。
また、容量を増やすには、レベルを上げるか、勉強やパズルなどで生身の脳をよく使えばいいらしい。
私の場合、後7つ位はオーブを摂取できるそうだ。
『剣』『片手剣』『両手剣』『細剣』『双剣』『刀』『槍』『棒』『杖』『斧』『鎖鎌』『投擲』『弓』『弩』『銃』『狙撃銃』『走破』『体術』『格闘』『拳打』『蹴撃』『関節』。
ざっと見るだけでオーブの数がアスクラピアの数倍はある。
この上、共和国流やら帝国流やら色々と細分化されているのだから、とても全部は摂取できないな。
「お師匠様はこれのほぼ全てを摂取していらっしゃるんですよ」
お弟子さんが誇らしげに語る。
「そうなんですか。それじゃあきっとお強いんでしょうね」
「それがお師匠様は勉強ばかりで摂取しかしないものですから、オーブ作成に関することしかできないんですよねー」
「ほう、そういうものですか」
「ええ、魔法使いといっても色々いますからね。お師匠様はただただ知りたいだけなんです。商品は決まりましたか?」
「いいえ、もう少し」
ふーむ、とケントは思案に入り、そろそろ伸びてきた髭を撫でた。
ケントは親の方針で色々な武道に触れ、その中で剣道も嗜んでいた。
しかし、ゼラスで初めて握った剣は刀とは勝手が違った。まず、柄が短い。これは致命的だった。あと、重心の違いもある。反りがないので、もっと全身を叩きつけるように使わないと威力がでない。とりあえず、自分の技術では上手く使えず力任せに振り回すのが精一杯であり、棒きれの方がまだ上手く使えただろう。
なので、まず一枠は『片手剣』をカバーできるようなものがいいな。
あと、魔法も使ってみたい。
それから、魔物図鑑も欲しいな。魔物図鑑があるなら百科事典もいいだろう。
ってことで、方針は決まったのでお弟子さんに相談してみた。
「片手剣と魔法と魔物図鑑と百科事典が欲しいのですがどうすればいいでしょうか?」
口下手な私は基本的には直球と好意で日常生活を送っている。
「『魔物図鑑』と『百科事典』ですね。この二つはギルドの量産品ですが情報量も豊富かつ整理されていて、よくできてます。情報量が多いだけ嵩張りますけどね。んー、片手剣だけですか?それなら2カット程なので更に二つくらい合わせたりできますけど、どうせなら全武器網羅の『帝宮武術体系』なんてのも置いてありますよ」
おお、なんかスゴいのでた。
「それ買います!」
「お買い上げありがとうございます!後は、魔法ですか」
うーん、とお弟子さんが唸る。
「『魔法別触媒一覧』は名著なんで技術だけならこれでも足りるんですけど、基礎から入れとかないと威力がでないんですよね。なので、一般論として『魔法論』、応用論として『運命論』『因果論』『世界論』を入れときましょう。触媒魔法からの応用などはまた別の機会がよろしいかと思います。知識だけなんで合わせて10カットってところですね。後、二つくらい入れれますよ、どうします?」
どうしようかなー。
「我は色々観て回ったり、綺麗なホテルに泊まったり、美味しいご飯食べたり、お洒落とかがしたいぞ!」
シアンが胸を張って答えた。
それってただの観光じゃないか。着いてくるわりにはほとんど何もしないと思っていたが、観光目当てで降りてきたんだな。
けど、いいだろう。
「じゃあ、それにしよう」
「はい、承りました。
『ヴェルギア大陸観光紀行 全四巻』大陸中の名産品、絶景などを網羅した至高のシリーズです。
『ファティマ流調理術~王宮からサバイバルまで~』流浪の料理人ファティマのあらゆる食材に通じた知識の集大成とも言える料理本の傑作ですね。ゲテモノでも美味しく、美味しい食材はより美味しくをモットーに、食材の集め方、見分け方、注意すべきことまで詳しく丁寧に書かれてあります。
で、お洒落なのですが……申し訳ありません、一昔前の流行や芸術に関する理論などは置いてありますが、最近の流行に関してはオーブにはなっていなくてですね、お洒落については少し難しいかと」
「よい、服の審美眼は自前でよい。自前だからよいのだ」
「なるほど、勉強になります!」
お弟子さんが感心したらしく、シアンのセリフをメモし始めた。
「後、数カット残ると思いますがどうしましょう」
「お主、これはどうじゃ?」
シアンに白いオーブを渡される。なにこれ?
「ああ、それは空っぽの……あれ何か入ってる?ウィルスじゃ無いし、濁りもない。危なくはなさそうですけど。そんなものうちにあったかなー」
「じゃあそれ買います」
シアンが言うんなら、きっと大丈夫だろう。どうせ、余りだしな。
「ええ、本当にいいんですか?責任持てませんからねー。
じゃあ、
マップ 7000
帝宮武術体系 12000
魔物図鑑 7000
百科事典 10000
魔法別触媒一覧 10000
魔法論 3500
運命論 3000
因果論 3000
世界論 5000
ヴェルギア大陸観光紀行 全四巻 8000
ファティマ流調理術 ~王宮からサバイバルまで~ 6000
不明 500
計 75000エリス になります」
「どうも」
75000支払って、残りは146660エリス。
魔物を狩りながらドミニオンに戻れば借金は十分返せそうだな。
「あ、お客さん、泊まるところもう決めました?」
そうだ、そもそも野宿したくなくてダンジョンに入り、ここまで落ちてきたのだ。もう、朝に近い時間になっている気もするが。かなり眠気を感じる。
「いえ、それがまだなんです」
「じゃあ今晩ここ泊まります?お師匠様が明日宴会をしたいらしくてですね、宴会は人数は多い方が楽しいですから」
宴会、か。
「それじゃあお言葉に甘えて。ふあー」
つい欠伸がでた。
「あはは、少し寝ていきますか?オーブはお預かりしときますので」
そう言われるともう我慢ができなかった。
「お借りします……」
「あっと、寝る前にやるといいらしいですよー」
そう言って渡された『帝宮武術体系』を手に、指示された二階の大部屋で丸くなって、霊脳核にオーブを当てた。
おおおおお、入ってくるうううううう……zzz。
実によく眠れた。
身を起こすと声を掛けられた。お弟子さんだ。
「おはようございます、ケントさん。丁度いいですね、もうすぐっすよ」
「ああ、おはよう。よく眠れたよ」
そうだ、宴会をするんだったな。
手伝いを申し出ると、野菜を切るように頼まれたので調理場に立つ。野菜を切っているうちに続々と人が集まってきた。準備を見るにどうやら鍋を囲むらしい。
年配の方が多いが、私くらいの歳の者も、20代前半の者も、中には小学生くらいの者もいる。
野菜を大皿に盛り付けて大部屋に持っていく。宴会ももう始まるようなので、皿を置いて輪に混じって座った。
「皆さんようこそ!第246回ブレインウォッシュの会へ!」
お弟子さんのが台の上に乗って挨拶を述べる。
「うぃー待ってたぜえ!」「いよ!オイレイン師匠!」「今回は随分間が空いたな」「早く始めようや」「クルス君元気かい!」「今日はゴードンいないのか?」「ゴードンなら昨日仕事つって出ていったぞ」「マックスちゃん今日もきれいだねえ」「そんなこと言っても何も出ませんよ」「お、ミカちゃーん!」「ジジイ変なこと言うなよ」「お爺ちゃんだー」「ここにおるのは大体ジジイじゃがの」「違いねぇ、ハッハ」「お久しぶりです」「お、ライシンか。仕事終わったんか」「酒持ってきたぞー!!」「さっすがジェフんとこだぜ!」
賑やかなのはよきことだ。ひたすら八百組を追っていたせいで、長い間このような宴会の雰囲気から離れていた。しれっとシアンも混ざっている。
「皆さん、今日は新しい仲間も来てますよー!」
「お、最近は少なかったからな!」
「子供の頃に霊脳入れちまうと酔えねえらしいからなー」
「ああ、勿体ねぇよな」
ビシッとお弟子さんが私を指差す。ウォッシャーって何だろう。まず間違いなく自分が含まれていることは分かるが。挨拶しといた方がいいかな。
「初めまして、ケント・アズマです。冒険者を昨日からやってます」
「ってことは、もしや昨日霊脳入れたんかい?」
「ええ、そうですね」
「おお、コイツは有望じゃあないか!ほれ、こっちこい。さっさと一発目やろうぜ」
「ええ、じゃあ早速。皆さんご用意を!あ、ケントさんもこれを」
渡されたのは『魔法論』のオーブと酒の入った器だ。皆もいそいそとオーブを取り出している。
「お師匠様、音頭をどうぞ」
「うむ、クルス。皆の者、よく集まってくれた。少し仕事で帝国まで行っておって、間が空いてしもうた。では、今宵もよき宴にしようぞ。乾杯ーーーい!そして摂ーーーっ取!」
周りに倣い、酒をイッキ飲みして、オーブを霊脳核にあてがう。
ああ、これはスゴく効くな。酔いが回るのが異常に早い。何だか楽しい気分になってきた!
早速二つ目のオーブが手の中にあり、それを摂取すると魔物図鑑が頭に入ってきてスゴくいい気分になった。
自分が少しハイになってるのが分かる。
そこからはあまりよく覚えていない。ライシンの昔の話を聞いて涙したり、リャンと同い年のミカちゃんの頭をくしゃくしゃにしたり、マックスなる妙齢の美女から現代科学についての研究を語られたり、オイレイン師匠の深い話にしきりに感心したりしたような気もする。自分の中にこれを楽しむだけの感情の動きがあることにも驚きだ。
酒とオーブをひっきりなしに摂取し、鍋に野菜を入れ、魔物の肉団子を啄み、老若男女関係なく色々なことについて喋りあった。何しろ、オーブを摂取するのが病みつきになっている集団だ。最近の流行の話やら、大国の政治の話、共和国の民主制の是非、次世代霊脳核、魔法と魂魄の関係、魔鋼技術の最先端、再生治療、魔族を操る者、ドブネズミの大繁殖、ダンジョンで聞こえる妙な声……等々、話題には限りがない。
そうこうしているうちに夜は更けていった。