ダンジョン一階
動きが見える
服屋を物色していたシアンを呼び戻して大通りを西に進む。ドミニオンの中心部に向く方向だ。
人の波に乗って進むごとにドミニオン中心部にそびえ立つ塔が近付いてくる。目的地はそのふもとのダンジョン入り口だった。
塔の土台は巨大な施設となっており、その一部がダンジョンへのゲートである巨大な階段となっている。
雰囲気としては、そう。テーマパークの入り口に近い感じがする。ゲートの上にはでかでかと「ようこそ、ダンジョンへ!」や「夢を掴み取ろう!」などの怪しい文句が載せられており、妙に緊張感が削がれる。
看板の一つに「ダンジョンに挑む方は左の受付で手続をしてください。」と書かれてあった。見るからにチケットブースのようなものがあって、人々が並んでいる。
手続きか……。入場料が必要なのだろうか、と悩みつつ順番を待つ。
結果としては、入場料は不要で、単に名前と冒険者登録の番号を控えられただけだった。
それから、レンタル武具の話をされたが、幸い武器ならば盗賊から奪ったボロボロの剣がある。とりあえずはこれで頑張ろう。
「さあ、行くか……!」
蜘蛛だ。
色は黒褐色、八の目が光り八本の脚、各脚の先には二つ鋭い爪が生えていて、そして、体長1m程。
それが二本の前足を掲げて威嚇している。
昔、昆虫が人間サイズだったらどうなるだろう、と考えたことがあった。
ノミは体長1mmながらその体長の150倍の高さまで跳ね、ミツバチは自身の300倍の重量を引っ張ることができる。
では、蜘蛛は?
高速で接近する前足を左目で確認しつつ間一髪でかわし、続く二撃目を右手に握る剣で弾く。
離れたところに飛んでくる蜘蛛の糸を余裕をもって大きく避け、踏み込んで前脚の関節を切断。流れるように一気に刃を頭胸部に突き入れて、頭部と胸部に大雑把に断ち切ってやる。
スピード自体はかなりのものだし、蜘蛛の糸は絡み付くとなかなか離れず引きちぎるのは極めて困難。一方、体は脆く素手でも貫ける。
それがダンジョン一階の蜘蛛だった。
初めて見たときは生理的な嫌悪感があったが、動きに慣れれば大したことなかった。
また、スピードもネキアの左目ならば見切るのも容易だった。
ネキアの左目。
加納敬志に脳味噌ごと抉り飛ばされ、ネキアの肉で埋められた左目は左腕や右手と同じく、元のものより優れたものとなっていた。
特に実感できるのは動体視力。
集中すれば左目から得られる情報が飛躍的に増え、宙に浮かぶ埃の一つ一つや、迫り来る牙の本数まで数えることまでできた。
そう言えば野犬の動きを見切った時や、盗賊の剣を払った時、異様に世界が遅くなったのを覚えている。
加納敬志との死闘で経験値が上がったのかと考えていたが、それだけで簡単に強くなれるわけなかった。
シアンいわく、頑張れば暗視も拡大も透視もできるようになるらしいが、見方がわからずに成功していない。
暗視についてはダンジョン内で使うと思っていたが、ダンジョンが思いの外明るくて使うことはなかった。
地下ダンジョンなのだから当然洞窟だと思っていたが、ダンジョンの浅層付近はギルドによって定期的に整備されているそうで、道幅は6m、高さは7mほど、床はタイル張りで天井と足元に近付くと点灯する灯りまで設置されてあり、地下道のようで戦うのに一切の支障がない。
最後にビクリと跳ねて絶命した蜘蛛が末端から崩れ去り、ビー玉サイズの歪な形の石とそれにまとわりつく幾片かの肉片だけが残った。
肉片を引きちぎり石をポケットに入れる。
8つ目の魔石だ。この若干透き通った石が魔石というものらしい。魔物は死ぬと売却価値の高い魔石を残して崩壊する。わざわざ死んだ魔物を解体する必要がなくて便利だ。
不思議だが魔物はそういう生命体なのだそうだ。
では、野犬は一体なんだったんだ、という話になるが、魔物であったとしても通常の生物と同じく、他の生物を食らっていると徐々に死んでも消えない肉体になっていく。
つまり、ダンジョンで死んでも崩壊しない魔物が出てきた場合は、多くの場合冒険者を食らった魔物であるということだ。
先に進むと、曲がり角の向こうで光がついているのが見えた。
ここの灯りは生命体に反応する。冒険者であっても、魔物であっても同じように反応する。
通路の奥の壁に写った影はまともな人間の形ではない。だが、ここの人間はそもそも人間の形をしてないやつらが多すぎて、まだ判断がつかなかった。
ヌッ、と何かが曲がり角から顔を出した。
肌は灰色でどこかぬらっとしていて、顔は細く鼻がほぼなくて口が裂けている。
冒険者ではなく、魔族の亜人だとわかった。
実のところ、最初は異様な姿をした冒険者と思って話しかけたのだが、問答無用で襲いかかられた。
そこで反撃すると魔石になったので間違いないだろう。
亜人はその爬虫類じみた目に殺意を灯し、腕を振り回す。
その手に握られているのは不細工ながらも紛れもなく剣。
それを受け流すが体ごと弾き飛ばされそうな威力があった。
技術は明らかに拙く、素人よりもなお悪い。が、人間と魔族では肉体の規格自体がそもそも違うらしい。
まともに受けたら二合も耐えられない怪力だ。
けど、
「――――下手くそ!」
ガンッ、と一度だけ剣を合わせると同時に剣を手放して懐に潜り込み、亜人の飛び出た顎に左腕の怪力で掌底を叩き込む。よろよろと後ろに下がった亜人の膝を蹴り砕き、止めに拾い上げた剣を降り下ろした。
安全を期して一合打ち合って隙を作っているが、慣れればその必要すらなくなるだろう。
9個目の魔石を拾い上げた。
魔物との戦闘というから、どんなに恐ろしいものなのかと思ったら大したことないな。
この調子ならもう少し奥まで行っても大丈夫、と判断して「二階→」の矢印に沿って歩いていく。
逆の方には「←ドミニオン」と書いてある。
――ん?
そこでうっすらと岩が砕かれるような激しい音が聞こえてきた。
工事現場でなければ戦闘音だろうか。
耳を澄ますと「――――待ちやがれっ!」という声が聞こえてきた。
周りを見回しても誰もいない。煉瓦のような素材で整備された通路が自分の周囲だけ照らされている。
「――――クッ、人間メ!爆ゼロ!!」
また、爆発音。そして、その前に間違いなく人間の声が聞こえた。
遠くはない。ダンジョンで人間同士の戦いだろうか。魔石の奪い合いとかはありそうだな。
好奇心に動かされて音の方へ近付いてみることにした。
すぐそこの角から土煙が漂ってきていた。
「ちぃっ!逃がした……!」
その曲がり角から覗いてみると、そこは突き当たりだった。そして、その突き当たりを前にしてバカみたいに幅広くて反りのない大段平を背負った大男が一人で立っていた。後ろを向いているが、タバコに火を点けているようだ。
ここで戦っていたらしいのに、相手の姿が見えない。
「ん、誰かいるのか?」
大男は後ろを向いていたはずなのにあっさりと覗き見がバレた。背中に目があるのだろうか。
その男は恐らくギルドの受付で私の前に並んでいた男だった。
「えっと、こんにちは?」
あなたのことを覗いていた、と真正面から伝えるのも変だな、と思い挨拶をしてみる。挨拶は素晴らしい、人間関係の礎だ。
「なんだ、ここには何もねぇぞ」
なんだとはなんだ。
「二階はあっちだぜ?」
適当に返事された。
「はあ、知ってますけど音が聞こえたもので。あなたはここで何を?」
「ああ?別になんでもねえよ」
聞いて欲しそうではないな。釈然としないが、仕方ないか。別に取り立てて興味があったわけでもない。
「そうですか。では、これにて」
どうやら話は聞けそうにないと察し、潔く諦めて二階に向かうことにした。
あんな行き場のない突き当たりで誰かと戦ってその相手を逃がした、と。でも、私の方には誰も逃げてこなかった。妙な話だ。相手は透明人間だったとでもいうのだろうか。
ふーむ、と考えながら一歩踏み出すと足元がみしり、と先行きが不安になる音をあげた。
「――――おい、逃げろ!!」
大男が鋭く声をあげる。
しかし、あえて言うなら遅すぎた。
足元の地面はすでになく、落ちながら後ろを見ると助けようとしたのかこちらに手を伸ばしながらこれまた落ちていく大男、そうだ、何と言ったか。そう、ジョシュアだ。目の前でジョシュアが落ちていった。
「起きたか」
ケントの顔を覗き込むようにしてバイザーの巨漢がヤンキー座りをしている。
彼の名はジョシュア・コールマン。退役軍人であり、さっき付けでプライマリ・ランクになった冒険者である。
「――――っ、痛」
ケントが崩落に巻き込まれて打った頭をさすっている。とっさに壁に左腕を打ち込んで落下を和らげたものの、最後に頭をぶつけたのだ。
その点、ジョシュアは自らの脚だけで衝撃を吸収してのけた。それだけで高度な魔導工学か融合遺伝学によって異形化改造を受けていることは明らかであった。
「……ここは?真っ暗ですね」
「この感じだと8階くらいか。結構落ちたな、くそったれ!……深度は大したことねぇが」
ジョシュアがバイザーを通してダンジョンの構造を確認する。周囲は真っ暗闇だった。落ちてきたはずの穴からも光は差していない。そして、その穴自体もゆっくりと塞がっていった。
「ギルドのマップに合致しねぇ。マップの外か。上か下か、適当に道探すしかねぇが、おいあんた」
ケントも途方に暮れながら答える。
「なんです?」
「ここで見捨てちゃ目覚めが悪いからな、着いてきな」
「よろしくお願いします、ジョシュアさん」
「おう。……てめぇ何で名前知ってやがる」
「さっき、ライセンスの更新に来ていたでしょう。丁度後ろにいたんです。新米のケントと申します」
「ああ、そうか。ケント、よろしくな」
新米かぁ、とジョシュアがボヤくがケントは聞いていないのか、気にしていないのか。
「ダンジョンに潜るのは何回目だ?最高深度は?暗視はできねぇのか?目も見えないようじゃ、流石にフォローしきれねぇぜ」
「ダンジョンに入るのは1回目です」
「はあ!?参ったな、こいつは……ってぇと暗視はできねぇよな」
「えっと、ちょっと待ってください」
ケントが何度か瞬きして「できました」と答える。
「できた?……ってならまあいいんだが。仕方ねぇな、行くぞ」
ジョシュアはできた、という表現に違和感を覚えるも深くは追及せずに先を急ぐことにした。
人間サイズの蟻が甲高い声で鳴きながら特攻してくるが、ケントは躊躇なく体全部でその顎に突っ込んでいく。
「大丈夫か」
「お陰さまで慣れてきました」
キラーアントの巨大な顎に剣を突き立てたケントが事も無げに返した。
「ずいぶんと余裕そうだな、新米さんよ」
歩き始めてからもう20以上の魔物を狩っていた。
ここの魔物は浅層にいるものより遥かに強い。
最初は手こずっていたものの、今やケントはそれに難なく対応していた。新米冒険者としてはかなり筋がいい方だろう。
「気は抜くんじゃねぇぞ。8層っつっても、まだ雑魚しか相手してないんだからな。特にアウトサイドは奴らの領域だ。どんな罠があるか分かったもんじゃねぇ」
とはいえ、ジョシュアが見る限りケントは体捌きに無駄もないし、特に人型の魔族に対しては危なげがほとんどない。筋力も中堅並みにありそうだ。
特に眼が良い。いや、良すぎる。何らかの改造がなされているのだろうが、性能が良い。
「見てみろ」
ジョシュアが指し示したのは穴だった。
「深いですね。さっきの穴と同じくらいだ」
ケントの眼が色相を変えながら穴の奥を見つめている。
ジョシュアのバイザーですら見通せない穴の深さを、ケントは見通した。
「ほう。ゆっくりとですが塞がってますよ」
「考える時間はなさそうだ。降りるぞ」
ケントは少しだけ悩み、すぐに肯定の意を示した。
8階相当の深度になってもケントにはまだ余裕があった。
人型相手ならば武器や左腕を使わずとも右手だけで心臓をぶち抜けたし、人型以外でもそこそこ対応できた。
ジョシュアの動きを左目で観察して霊脳に記憶すれば対処は容易だった。
それに、ジョシュアは背中の大段平を使っていないにも関わらず冗談のように強かった。
ついていく方がむしろ安全だろう。
「よし」
先行してジョシュアが飛び降りる。土色のトレンチコートをはためかせながら、壁を蹴りながら降りていく。
それに続いてケントが穴に身を投げ出す。
魔人街は、25階相当の深度にあるらしい。
だが、彼は一度もそこを見たことはなかった。
何故なら、彼にはまだその資格がなかったからである。
魔人街に入るには三つ必要だった。
一つ、『生命』を得ること
二つ、『知恵』を得ること
三つ、『魂魄』を得ること。
彼はまだ魂魄を十分に得てはいなかった。
あともう少しで魂魄を得れたところ、功を焦った彼は浅層まで上がり孤立していた冒険者に狙いをつけたが、ものの見事に失敗した。
まさに冒険者の首に手をかけて一捻りすれば殺せたところを、人間にしては屈強過ぎるバイザーを着けた冒険者に邪魔をされたのだ。
行き止まりまで追い詰められたが、爆破魔法で何とか姿を眩ませて逃げた。
その後彼は『抜け道』を二度通って15階相当まで降りてきた。
その時、あの冒険者も時間差で落ちてくるように調整しておいた。奴なら難なく追ってくるだろう。
ここでなら勝てる。来い!早く!