店にやって来た下手な日本語の男(前編)
ドタバタと階段を駆け上って弥生と滋が一階の和菓子屋へと顔を出すと、店内の隅で背筋を伸ばして腹の前で手を組み、風格よく立っている濃紺のスーツを着た若い男の姿を目にする。丸渕のメガネをかけたその奥の瞳は茶色で、肌は白い。髪はブロンズで、前髪は上げてサイドは刈り上げて、真面目な印象があるかと思えば、顎と鼻の下には無精髭も生やしている。よく見るとネクタイもしていない。弥生たちに気付くと何度か頷いて、頬を緩めて小さく笑う。弥生たちも軽く会釈するが、頭を下げながら視線はその男の目に据えて、二人はぎこちなく笑った。弥生は滋の耳元で、
「私、もう少し屈強な人を思い描いていたけど、あれで白衣を着たら、どこかの大学の教授の助手みたいな印象ね」
と、囁く。わかるような、わからないような比喩である。背丈は百七十cmほどか、体格も頑強とは言い難く、体が細いせいか白人のわりには顔もそれほど小さいとは感じない。
「滋君、英語、話せる?」
「え? 僕はそんなに話せないけど…」
「そんなに? 曖昧な言い方ね。ちなみに私は英検でいうと二級くらいのレベルよ。正直言って自信ないわ」
「僕もありません。早口で言われるとまったくわかりません」
「じゃあ、どうする?」
「どうするって… 村田さんはまだ下にいるし…」
村田頼みで切り抜けたいが、彼は確認したいことがあるといって、まだ地下にいる。村田の考えでは、この店に現れたあのイーニアスが本当にイギリスのUWのエースと呼ばれる彼本人なのかと疑問にあるらしい。先ほど電話で応対してからまだ三十分強、イギリスから掛けていたとしたら瞬間移動でも使わない限り、この日本にそんな短時間で現れるなどあり得ない。この業界故、そういう能力者がいても不思議ではないが、それでもすぐに疑念を払えないのである。店で応対した事務の清水たちの話では、このイーニアスは片言の日本語で話しかけてきたと言う。村田が先ほど電話で話したときは流暢な日本語で話していたため、その点も引っ掛かるそうだ。弥生たちは、このイーニアスを名乗る男の足止めを頼まれているのであった。
「アナタガタガ、UWノ、人タチデスカ?」
イーニアスが歩み寄って、片言の日本語で話しかけてきた。店の中には客が二組ほどいる。UWの名を口にしても、客たちは特に気に止める様子もなく、菓子を選んでいる。軽々しくその名を口にするこの男に、弥生も偽者と疑い始める。それにしても偽者が、この基地に何の用があるのかわからない。この業界のことを調べにきたジャーナリストか、もしくはスパイの類か…
「あ、こっちです、こっちです」
機転を利かせて弥生は突然愛想良く言って、イーニアスを外へと案内する。まるですでに予約を入れた客のように扱う。滋も引き連れて店の裏へと回す。イーニアスも小首を傾げながらついてきた。店の裏からさらに小坂を上って、やや広い芝の上に出る。人通りは少ない。中央には太く高い広葉樹が一本立っている。その前でイーニアスと対峙した。
「それで、あなたの用件は何?」
弥生は途端に厳しく問い詰めた。
「オウ、サスガニ警戒シテマスネ。ワタシ、イーニアス・ローウェル、桐生誠司ニ会イニ来マシタ」
やはり胡散臭い。
「誠司に何の用? あいつはいま出張に出てるから、しばらく戻ってこないわよ」
「オウ、ソレハ残念デス。彼ニ協力シテモライタイコト、アリマシタガ、ドコヘ行ッタカ、ワカリマスカ?」
「どうしてあんたにそれを教えなきゃいけないのよ。頼みがあるなら私が聞くわよ」
「オウ、私、イーニアス・ローウェル、隊長ニ用ガアリマス。アナタデハ話ニナリマセン」
「あんた、ストレートになかなかムカつくことを言うわね。本当にイーニアス・ローウェルなの? 噂じゃその人、光を扱う能力があるっていう話じゃない。それに日本語も結構上手く話せるっていうし」
「オウ、私イーニアス・ローウェル…」
「だから、それはもういいわよ。ちょっと、あんた、試しに力を見せてよ」
続きます