侵入、影の能力者(前編)
何が変わっているという訳でもない。護衛の黒スーツが病室の前からいなくなっただけである。中に入ったか、トイレにでも行ったか、常人の考えるところで判断すれば見逃してもいいところであろう。だが、妙に勘のいい桐生とヴァイスだけに、嫌な空気を察して病室目掛けて走り出す。
「沢村さん!」
ドアを押し開け中に入ると、黒革のシングルのライダースジャケットにライダースパンツ、黒ブーツ、黒いフルフェイスのヘルメットを被った、見るからに怪しい格好をした男が部屋の中央に立っている。男と見るのはその体のラインや体格からで、桐生たちとさほど差のない身長と筋肉質な体をしている。その男の前で病室の中にいた黒スーツの護衛の一人が宙に浮かび、首下を己の手で押さえながらもがき苦しんでいる。足元では口から泡を吹いて倒れている外にいたもう一人の護衛の男の姿がある。シペルは無事だが、沢村もベッドの側で片膝をつきながら護衛の男と同じように首に己の両手を回して苦しんでいる。共に見えない力で首根っこを押さえつけられ声が出ない。いや、凝視するとフルフェイスの男の足から薄く延びた影が人のように地に立ち、沢村たちの喉に腕を伸ばしている。その能力、直接に見たことはないが、桐生は噂で耳にしたことがある。何者で何をしていると確認もせず、もちろん問答もなく桐生はそのフルフェイスの男目掛けてすぐに飛び掛かる。男の脇下に蹴りを叩き込むと、壁まで吹っ飛ばしてしまう。床に落ちるや、フルフェイスの男はサッとシペルのベッドの下に滑り込み身を隠してしまう。すると宙に浮いていた護衛の一人も落下。意識はあるようだが、同じく首を絞められていた沢村と共にひどく咳き込み、すぐには動けない。
「どいてください」
桐生はうつ伏せてベッドの下を覗くが、フルフェイスの男の姿はすでにそこにない。どこかに逃げてしまったと思うのは早計で、
「相手は影の中に潜めるぞ」
そうヴァイスが助言するので、桐生はその腕力を発揮してシペルを乗せたままベッドを持ち上げてみる。ベッドの影が動いても敵は姿を現さない。
「自分の影を操るだけじゃないんだな?」
一旦ベッドを床に置く。シペルを側のイスに座らせると、再度ベッドを持ち上げて今度はそれを壁目掛けて勢いよく放り投げた。乱心ではなく計算あっての行動である。さて思惑通り、壁にあたった衝撃が影の中の敵にも伝わると、フルフェイスの男が肩を手で押さえながら姿を現した。男は英語で、
「夜まで潜むつもりだったが、その男が現れたということは三つ巴だな」と言う。
沢村も今更ヴァイスに気が付いた。
「いつの間に彼が… 三つ巴とはどういうことだ?」
「先ほど来させてもらいましたよ、沢村さん。でも、あなた方の依頼できたわけじゃない、ということです」
「桐生、これはどういうことだ?」
「そいつの言うとおりです。いつの間にか侵入してましたよ、この病院に。幻惑領域も効き目がなかったみたいです。このヘルメット男にもね」
皆の視線がヘルメットに集中する。男は側で咳き込む護衛の男の影に潜り込んでまた身を隠した。
「何度隠れても追い出してやるというのに」
呟きながら手の甲の関節を鳴らす桐生に護衛は怯んでしまう。ところがその護衛の体が、彼の意思とは別に勝手に動き出す。無理やり立たされ、腕を持ち上げられる。顔だけは戸惑いを浮かべて、何が何だか解せないでいる。体を操るのは間違いなく影に潜んだヘルメット男の仕業である。護衛はぎこちなく一歩一歩進んでシペルに近づいていく。
「やられた護衛もこういう感じで部屋に入ってきた。潜むだけじゃなく、操ることもできるのか。ええい、シペルに近づけさせるな、彼を人質に取られると面倒だぞ!」
怒鳴って指示を出す沢村だが、誰よりシペルに近いのは彼本人。どうやら腕力の行使は苦手と見える。
「わ、私はどうすれば…」
気の毒なのは操られる護衛のほうだが、
「とりあえず堪えてください!」
桐生が叫ぶと護衛も力を込めて操られることに抗う。すると、操られた動きがまた一段ぎこちなくなる。影から体を操るにしてもそれは所詮人の力のなす技のようで、操られるほうが操るほうとの力比べで勝れば、好きには操られない仕組みらしい。
続きます




