#41 僕の夏休み(後編)
八月になり、僕が長崎に来てから二週間程経った昼下がりだった。
僕と恵瑠ちゃんは仕事を終えた後、誰もいない裏世界の喫茶店の窓際の席に座っていた。
さっきの戦闘の反省会と特訓の進捗状況の確認だ。
その頃にはなんとなくだけど自分の中の魂だとかの気配が分かるようになってきて、感情が昂ぶって魂の一部が出て行く、というのがどういう状態なのかを感覚的にわかるようになっていた。
まだわかるだけで思うように操作はできないけれど、そんな日頃の感覚の変化などもノートにまとめて提出する。
「まだ完全じゃないにしても意識的に精神と魂に働きかけられるようになってきているみたいだし、なんとなくでも体の中の気の流れが分かるようになってきたら、その後は結構早いと思うの」
電気の付いてない自然光だけの店の窓辺で僕の渡したノートを見ながら恵瑠ちゃんが満足そうに頷いた。
恵瑠ちゃんは態度は可愛らしいし口頭での教え方も優しい。
説明もわかりやすい。
ただその教え方が実践的というか、スパルタだ。
最近恵瑠ちゃんの授業を通して思ったことは、もしかしたら僕の幼少期のトラウマの数々も、本当に恵瑠ちゃんなりに良かれと思って僕を鍛えようとしてくれた結果なのかもしれない。
だからといってそれら全てを受け入れる気にはなれないが。
「そういえばさ、修司お兄ちゃんは向こうの学校に好きな子とかいるの?」
恵瑠ちゃんはノートに目を向けたまま尋ねてきた。
「いたけど、ふられちゃったよ。他に好きな人がいたみたいで」
「ふ~ん、ちなみにその好きだった子とは今も友達?」
「普通に仲良いよ。今はその子も前から好きだった人と付き合ってるみたいで、その子が好きだった人も含めてよく話すようになったよ」
「へー・・・・・」
気の無い返事をして恵瑠ちゃんが静かに僕の隣に席を移動したかと思った瞬間、僕の額に恵瑠ちゃんが自分のおでこをくっつけてきた。
いきなり何をするのかと思ったのとほぼ同時に、僕の中にこちらを覗きこんでいる女の子の顔がありありと浮かんだ。
女の子の方もこちらに見られていることに気付いたらしく、随分驚いた様子だった。
そして、なぜかその隣には天野さんもいて、女の子にどうしたのか話しかけている様子だった。
何が起こっているのかわからないでいると、バチッとどこかで聞いたことあるような音がして映像が途切れた。
なんなんだ今のは。そう思っていると恵瑠ちゃんに今のこちらを覗きこんでいた女の子に心当たりはあるかと聞かれた。
確か、同じクラスの有馬さんだ。
そしてもう一人の有馬さんに話しかけていた女の子も同じクラスで天野さんだと言うと、恵瑠ちゃんの目が見開かれた。
「天野さんって、下の名前は?」
「鞠亜だけど・・・」
僕がそう答えると恵瑠ちゃんはやっぱり・・・と呟いて、今日はもう帰ろうと言い出した。
元々用事はもう済んでいたので帰るのはやぶさかではなかったが、恵瑠ちゃんの急に態度が変わったのが気になった。
翌日、恵瑠ちゃんは佐倉家の現当主で母親である侑子さんと一緒にウチに来たかと思うと、夏休み明けから恵瑠ちゃんをこちらの学校に転校させると言い出した。
何でそんな話になっているのかと父さん達も驚いていた様だけど、侑子さんが一言
「姉の、倫子の娘の鞠亜が見つかったわ」
と言った途端なぜか納得したようだった。
「できるなら私が直接出向いて確かめたい所だけど、今は私も手が離せない案件をいくつか抱えているし、人員不足で余り多くの人間を送ることはできないの。だから直接恵瑠をそちらに送って鞠亜や周りの人間関係等の様子を調べさせて、話し合いで解決できそうならそうするわ。そして、最悪の場合は全部恵瑠に潰させるわ」
侑子さんが何を言っているのか僕にはよくわからなかった。
第一、潰すだとか物騒な言葉が出てきているけど天野さん達一家が一体何をしたって言うんだ。
「修司お兄ちゃんは覚えてないの?小さい頃私達と3人でよく遊んだまーちゃん。しょっちゅう骨折られたり高いところから突き落とされたりしてたじゃない」
恵瑠ちゃんが不思議そうに首をかしげた。
「まーちゃんが?」
「そうだよ?それで修司お兄ちゃんが、どうしたらまーちゃんといてもこんな目に遭わずに済むかって聞くから、そんなの自分で跳ね返せるくらい強くなったら良いよって、私と一緒に今みたいに特訓してたじゃない。その後すぐまーちゃんはいなくなっちゃったけど」
なんだか感覚的で的を得ないような説明だったが、なんとなく当事の記憶が蘇った。
確かに僕は小さい時恵瑠ちゃんの従姉妹のまーちゃんが好きでよく遊びに誘っていたのだけど、なぜかまーちゃんと遊ぶと毎回大怪我をするので、まーちゃんといつも一緒にいてもなんとも無い恵瑠ちゃんにどうして恵瑠ちゃんは平気なのかと尋ねたような気がする。
そして、なぜかどんな大怪我をしても恵瑠ちゃんや侑子さんが手当てをしてくれるとすぐに直るので、あれはずっとちょっとした打撲を子供だから大げさに痛がっていたのだとばかり思っていた。
その後まーちゃんがいなくなっても恵瑠ちゃんの特訓は続き、僕のトラウマが形成されていったのだ。
天野さんがまーちゃん?言われてみれば少し面影があるようなきはするけれど、もしそうだとして、天野さんと幼なじみの龍太も鈴木さんもなんとも無さそうに思える。
「仮に天野さんがまーちゃんだったとして、どうしてそれがこんな大事になるの?」
「言ってみれば、彼女は佐倉家が作った最終兵器のプロトタイプの様な存在なのよ」
「例えるなら、人型超大容量外部電源?」
侑子さんと恵瑠ちゃんが一応説明してくれたが、例えが抽象的でいまいち要領を得ない。
「もっとちゃんと説明してください」
「これは佐倉家本家の秘術に関わるわ。修司君、貴方は魔術師になるつもりも無くただ力のコントロールだけ憶えられればそれでいいと言っていたそうね。それを咎めるつもりは無いけれど、そんな人間にこのことを話したところで何になるのかしら」
侑子さんの声はとても冷ややかで、その目は怒気をはらんでいた。
「確かに、僕は魔術について何も知らないし、今後深く知ろうとするつもりもありません。だけど僕は天野さんの友達です。彼女がまーちゃんだというのなら幼なじみでもあります。加えて恵瑠ちゃんのことも小さい頃から知っているし、これから恵瑠ちゃんが僕の通っている学校に転校してきて何か騒動を起こそうとしているのなら、全くの無関係ではないと思うんです。
秘術の説明は要らないので、これから何をしようとしているのかだけでも教えてください」
そう言って僕が頭を下げると、それならそうと最初から言いなさいな、と侑子さんの声がした。
顔を上げると侑子さんの目からはもう怒りの色は消えていた。
「要するに、恵瑠と合わせてものすごい力を発揮するはずだった有望株が父母の乱心によって連れ去られて行方知れずになり、つい昨日見つかったってことよ。それでどうするのかと言えば、もちろん連れ戻すのよ?」
凄くざっくりとだけど、佐倉家が何をしようとしているのかはわかった。
恐らく天野さんの両親はこの紅鏡のコミュニティが嫌になり、逃げたのだろう。
連れ戻すというのは、向こうで普通に楽しそうにやっている天野さんを無理矢理こっちに連れてくるということだ。
やっと片思いが叶って付き合えることになった鈴木さんから引き離してだ。
しかし両親の反応からして、ここで僕が何を言っても黙殺されるだろう。
どうにかして平和的に佐倉家を引き下がらせる方法は無いだろうか。
そうして二週間恵瑠ちゃんの特訓を受けながら色々と考えた結果、結局解決策は見つからず、手続きの関係で早めに現地に向かうことになった恵瑠ちゃんと僕達家族は一緒に埼玉に向かうことになった。
「何で恵瑠ちゃんも一緒にウチに来てるの」
空港から電車に乗って当たり前のようにウチに来て家族団らんという感じでくつろいでいる様子にそう言わずにはいられなかった。
「あら、だって女の子の一人暮らしって危険じゃない。それに恵瑠ちゃんはまだ中学一年生なのよ?佐倉家の人はこっちに来れないって言ってるし、ウチで一緒に住んでもらうのが一番でしょ。ホームステイみたいなものよ」
それに母さん娘も欲しかったのよ~と母さんは嬉しそうに言った。
・・・・・恵瑠ちゃんにはこっちに来てからも引き続き特訓に付き合ってもらうことになっている。
こちらには紅鏡の管轄する裏世界が無い。
よって汞の裏世界の管理の仕事も無い。
しかも天野さんの身辺調査はもっぱら学校で行われるだろうし、学年が違っても僕が天野さんと親交があるということはそれを出汁にして天野さん近づき易くなる。
つまり恵瑠ちゃんの仕事は学校にいる時に行われ、その後は大体フリーになる。
加えて、同じ学校に通い同じ家に帰るとなれば、一緒にいる時間も格段に増える。
夏休み中、僕は感情が昂ぶった時の方が生霊を飛ばしたりしやすいので、生霊を飛ばさないための精神鍛錬と言って、小さなお守りを一つ持たされてどんな恐ろしい目に遭っても反撃しないでやり過ごすということを何度もやらされた。
結局それは失敗に終わり、僕は力を制御できず相手を攻撃して倒してしまったのだが、全て終わった後ふとお守りを見たら、間違えて安産祈願のお守りを渡されていたことがあった。
ご利益も何もあったもんじゃない。
そんな感じの特訓が毎日恵瑠ちゃんの気が向いたときにいつでも始まるかもしれないと考えると軽く目眩がした。
しかもそれなりに効果が上がっているから文句も言えないのだ。
「これからよろしくね。修司お兄ちゃん」
ニッコリと微笑む愛らしいその姿は僕には悪魔に見えた。
翌日、僕は恵瑠ちゃんに特訓と称してゾンビの群れに放り込まれる夢で目を覚ました。
どうか正夢になりませんように。そんなことを思いながら洗面所に向かえば、一足先に身支度を終えた恵瑠ちゃんの姿があった。
「おはよ、修司お兄ちゃん」
ニッコリと笑うその姿に
『大人しくしてれば可愛いのに』
と思わずにいられなかった。
今日は昨夜、家に届いた恵瑠ちゃんの荷物の整理がある。
そういえば、まだ夏休みの宿題も終わっていない。
朝食を終えた僕達は、恵瑠ちゃんの荷物の整理から始めることにした。
父さん達は恵瑠ちゃんの転校のための手続き等のせいで午前中は家にいられない。
つまり僕と恵瑠ちゃんだけで荷物の片づけをしなければならない。
部屋は余っていたのでとりあえずそこに荷物を置いてもらったのだが、元から誰かが泊まりに来たときのための部屋兼物置部屋だったので、既にダンボールを運び込まれた部屋はかなり狭くなっていた。
恵瑠ちゃんの荷物自体はそんなに多くは無いけれど、如何せんしまうところが無い。
とりあえず部屋の中に元々あった物を他の場所に片付けてスペースを確保するしかないだろう。
「あ、見て見て。これ私の通ってた中学の制服なの。こっちの学校の制服ができるまではしばらくこれで通うことになるんだけど、可愛いでしょ?」
振り向けばブレザーの制服をダンボールから出して体に当てている恵瑠ちゃんが居た。
「うん、可愛いからそれはこのクローゼットにしまおうか、今から他も片付けるから」
そう言って僕は備え付けのクローゼットを開けた。
というか、衣替えで冬服になる頃には制服も出来上がるのではないだろうか。
昨日、荷物がこれから届くと聞いて慌てて母さんが片付けていたのでクローゼットも半分位は空いている。
他は置く場所がなかったらしい。
とりあえず昨日通販で注文した衣装ボックスが届くまでは畳める衣類はこのクローゼットにダンボールのまま入れておくしかないだろう。
その後あれこれとダンボールを開けてはその品について説明してくる恵瑠ちゃんを適当にあしらいつつ、昼過ぎに父さん達が帰ってくる頃には何とか荷物の整理はひと段落ついた。
後は後日収納グッズが届いてからやれば良いだろう。
「ところで、浩司さん達はこの町で魔術的な物を扱える可能性のある人間の心当たりはありますか?」
遅めの昼食に蕎麦を皆ですすっている時、恵瑠ちゃんが尋ねた。
「近所のお寺の住職さん位かしらね、前に修司が泊めてもらってお礼に行ったのだけど、良い気を纏ってたわね。単純に禅宗だから習慣として座線を組んでそうなっているだけかもしれないけれど」
母さんがそういえば、という感じで言った。
「というか、そんなの見ただけでわかるの?」
思わず僕はそう聞かずにいられなかった。
「わかるぞ?修司は毎日ボックス呼吸をしてなんとなくでも自分の中の気の流れを感じられるようになっただろ?アレは一種の瞑想なんだが、それがある程度できてくると自分の気の流れだけでなく、他人の気の流れも分かるようになってくるんだ。
それは魔術を扱う上での必須事項なんだが、座禅もやり方は違が瞑想法の一種だからな。
毎日座禅を組んでいるであろう住職の気が魔術師のそれと同じようになっていても不思議ではないんだ。まあ単なる健康法として瞑想をする人もいるし、生まれつき何もしないでそれができる人間もいるから、コレだけでは一概に相手が魔術師だとは言えないんだが、少なくともそれ位はできないと魔術なんて扱えないな」
父さんはそう教えてくれたけど、あれってそんな意味があったんだ・・・と、僕にとってはちょっとした驚きだった。
いつもその呼吸法をやった後、裏世界に連れて行かれて恵瑠ちゃんの仕事の手伝いをすることの方が僕の中では特訓の主となりつつあったので、これからはもう少し真剣にボックス呼吸に取り組もう。
「でも、魔術かはわからないけど、悪霊を祓ったりはできるらしいよ?そこの寺の息子の龍太が言ってた」
「つまり、修司お兄ちゃんはその寺の息子と友達なのね?」
そうだけど、と答えると、恵瑠ちゃんは少し考えるそぶりをした後、この辺の地理がわかるような地図ってあります?とと父さん達に聞いていた。
少し考えるそぶりをした後、僕に何か言いたそうな様子だったけど、その後食事が終わっても僕が恵瑠ちゃんに何か聞かれることは無かった。
昼食を終えると、恵瑠ちゃんは町を散策してくると言って出かけて行ってしまった。
正直、訓練と称して時間が空いた時に何をさせられるか恐かったので、これには内心安堵した。
そして久しぶりに静かな時間が手に入ったので、僕は今のうちに夏休みの宿題を片付けてしまうことにした。
宿題を始めてしばらく経った頃、龍太から長崎はどうだというメッセージが届いた。
昨日帰ってきたことと、色々とやることがあるので夏休み中は遊べそうも無いことを伝えた。
恵瑠ちゃんから夏休み中に人間関係やこの町のことを把握するからそれまでは極力学校の知り合いと接触しないようにと言われたのだ。
しかし、その割には恵瑠ちゃんからその辺のことをあまり聞かれなかったような。
まあ必要になったらいつでも聞いてくるだろうと思い、僕はまた宿題に取り掛かることにした。
夕方になった頃、恵瑠ちゃんが興奮した様子で帰ってきたかと思うと、僕の交友関係について、というか主に龍太について聞かれた。
「昼頃話してた寺の息子ってどんなの?妹とかいる?ツインテールの。あと、蛇とか好きだったりする?まさかまーちゃんと恋仲だったりする!?あ、そういえば左手に数珠つけてた!」
何があったのかと聞けば、この町にあえてわかりやすい気配を出しながらあちこちランダムに透視して回っていたら、一人反応を返してきた人間がいて、それが僕と同い年位の男子だったので昼に僕が言っていた龍太のことを思い出したらしい。
「龍太は一人っ子だから妹はいないはずだけど、ツインテールの女の子と一緒にいたのを見たんだったら多分鈴木さんかも。龍太の幼なじみだよ。天野さんとも恋仲ではないけど幼なじみだよ。蛇が好きかは知らないけど、よく左手に数珠は付けてたかも」
僕がそう答えると、恵瑠ちゃんにガシッと力強く両肩を掴まれた。
「じゃあその龍太さんと前に言ってた有馬さんとまーちゃんについて詳しく説明して」
その目は獲物を狩る猛獣の様だった。
「その、説明しても良いけど、できるだけ穏便にね・・・・?」
そうして僕はその三人について僕がわかる範囲で説明したけれど、なぜか有馬さんのことは上手く説明できなかった。
鈴木さん達とは仲が良さそうだけど、そういえば僕はあんまり有馬さんと話したことは無かった。
話したのは林間学校の時位だろうか?
とにかく僕はわかる範囲で恵瑠ちゃんに三人の情報を提供した。
「修司お兄ちゃん、話したくないなら話さなくていいけど、前に修司お兄ちゃんが好きだった子って、有馬さん?」
僕は一瞬なぜか頷きかけて、首を振った。
「ううん、違うよ。僕が好きだったのは天野さんだよ」
何で僕は今、有馬さんと天野さんが同じ人だと思ったのだろう。
「そう、それじゃあもう一つ、そのまーちゃんが付き合ってるのって、女?」
「そうだけど、何でわかったの?」
「なんとなくね。ちなみに鈴木さんと有馬さん、どっち?」
「鈴木さんだけど・・・」
僕がそう答えると、やっぱりね。と恵瑠ちゃんは頷いた。
何がやっぱりなのかはわからないが、恵瑠ちゃんの中では全ての糸は繋がったらしい。
「とりあえず、ウチの身内にちょっかい出してるのが誰なのかはわかった。ただ問題はそいつが属しているコミュニティの思想と規模と、その中での立ち位置なんだけど・・・・でも、そもそもこんなことになった背景には仲介した人間がいるはずだから・・・」
恵瑠ちゃんはそう言ってうんうん唸りながらブツブツと言っていたけど、要するに天野さんの家が紅鏡から逃れて今は龍太の実家である青善寺のお世話になっている。ということが問題なのだろうか。
小さい頃の記憶を思い出すかぎり、まーちゃんの意思とは関係なく周りで勝手に事件が起っていた様に思える。
ということは、もし天野さんとまーちゃんが同一人物であると考えるならば、天野さんは血統系の家系で、力の暴発を抑えるために青善寺のお世話になっている。ということかもしれない。
・・・・しかし、そうなると佐倉家の秘術と関わる天野さんの力を部外者が勝手に封印して管理下においている、ということになり、それは紅鏡としては看過できないことなのかもしれない。
『最悪の場合は全部恵瑠に潰させるわ』
そんな侑子さんの言葉を思い出した。これは、一体どれくらいの事態に当たるのだろうか。
嫌な汗が流れた。
それからと言うもの、恵瑠ちゃんは毎日のようにどこかに一人で出かけては夕方に戻ってきたり、よくパソコンに向かったり誰かと電話をしているようなことが増えた。
その間にも僕は特訓を見てもらっていたけれど、ここのところは呼吸法とそれによる気付きについてのノートを見せて意見をもらうだけだった。
僕としてはその方が平和的で嬉しいけど、その裏で何か恐ろしい事態が進行しているんじゃないかと思うと落ち着かなかった。
何度か恵瑠ちゃんに何をしているのか聞いたけれど、仕事だとか極秘事項だとか言って詳しくは教えてくれなかった。
やがて新学期が始まり、恵瑠ちゃんは僕の学校に転校してきた。
といっても学年が一つ下なので、普段会うことはあまり無さそうなのだが。
そんなことを考えながら帰り仕度をしていると、
「あ、いたいた修司おにーちゃーん!一緒に帰ろぉ~」
という恵瑠ちゃんの声が聞こえた。
これは、明らかに僕を出汁に龍太達に近づこうとしている。
「修司、なんか美少女が呼んでるぞ」
とからかうように言う龍太に、なんとも言えない気分になった。
父親の健太さんはともかく、龍太は一体どれだけの力を持っているのだろう。
恵瑠ちゃんの話しぶりから察するに、ただ恵瑠ちゃんの気配に気付いただけでは無さそうだが。
心なしか恵瑠ちゃんの笑顔が邪悪に見える。
「友達でしょ?一緒に帰ったりしないの?」
恵瑠ちゃんの元に向かえば、小声でそう耳打ちされた。
「帰る方向が真逆なんだよ」
そう小声で返せば、なんだ残念。と言って恵瑠ちゃんは僕を引っ張って歩き出した。
「これからは、ブラコン気味の妹キャラでいこうと思うの」
帰り道、恵瑠ちゃんがまた訳のわからないことを言い出した。
「そうすれば修司お兄ちゃんにべったりでも不自然じゃないし、自然にまーちゃんにも近づけると思うの。大好きなお兄ちゃん近づく悪い虫、と言う体でつっかかって、説明されて和解した後、なつけば良いんじゃないかな」
・・・・・なんでそこまで事細かにキャラ設定を作りこんでいるんだろう。
「それと、やっぱりあの鈴木さんって人とあの寺の息子は親戚だと思う。なんか気の気配が似てるし」
「それって、何か重要な事なの?」
「結構重要だよ。魔術系のコミュニティにおいての血統はね。血の濃さを一定に保つために親戚同士で結婚するなんて事も結構ざらだから。だからこそ本家筋の序列だとか、親戚付き合いやその中での結びつきが重要になってくるんだよ」
それって、どんな気分なんだろう。
つまりは一生その繋がりの中で生きていかないといかない訳で、しかも恵瑠ちゃんは本家筋の一人娘だ。
分家筋である天野さん一家の様に逃げようと思って逃げられるものでもない。
「嫌になったりしないの?そんな生まれてから死ぬまで親戚にがっちり固められているような状態でさ」
「別にそこまでではないかな。皆良くしてくれるし。まあそれは私が皆にとって良い子だからなんだけど」
その言葉には、何か含みがあったけど、僕は何と声をかけたらいいのかわからなかった。
「前に修司お兄ちゃんに何で汞で危険な仕事してるのかって聞かれた時、鶴ばあちゃん達の前だったからもっともらしい理由を言ったけど、本当はね、金に入りたいからなの。紅鏡って結構な縦社会だから、上の決定は絶対!みたいな感じがあるし、それで下の人間が振り回されるのなんて日常茶飯事なんだけど、実際全体をまとめる機関がないと組織が回らないこともわかってるの。
だから私は紅鏡の実権を握るために金に入りたいし、そのためにはまず手柄を上げて汞の中での地位を確かなものにしなきゃいけないの」
「どうして、そうまでして紅鏡の実権を握りたいの?」
「言ったでしょ?上の命令は絶対だって。言ってみれば下の人間は上の言うことに従うしかないのよ。だからこそ私は上に立ちたいの。そうしないと守れるものも守れないから」
恵瑠ちゃんは、何を守りたいのだろう。
そしてそんな決意をするということは、過去にそれだけのことが彼女か身近な人間の身に降りかかったということで。
「その守りたいのって、まーちゃんのこと?」
意識するよりも先に言葉が出ていた。
しかし返答はいつまで待っても来ず、恵瑠ちゃんはしばらく歩いた所で止まった。
「私が守りたいのは、まーちゃんじゃなくちゃいけないの?」
突然空気が変わった。
何か、地雷を踏んでしまった様な気がして慌てて僕は謝った。
「ごめん、守りたいのはまーちゃんだけとは限らないよね」
「そうだね」
そう答えた恵瑠ちゃんの声はどこか無機質で、僕はいたたまれなくなった。
その後僕らはお互い無言で家まで帰ったけど、家に着いた後の恵瑠ちゃんはすっかりいつも通りで・・・逆にいつも通り過ぎて恐かった。
そして次の日から予告通り恵瑠ちゃんの猛攻?が始まった。
要するに僕を出汁にして天野さん達に近づこうとしている。
朝はわざわざ人の多い時間を選んで二人で登校する。
昼休みには僕の教室に恵瑠ちゃんが遊びに来る。
そして帰りには一緒に帰る為に恵瑠ちゃんがやってくる。
そして、龍太に絡む。天野さんに突っかかる。ついでに鈴木さんと早瀬さんにも突っかかる。
正直そんなことしたらかえって仲良くなりづらいんじゃないだろうかと思っていたら、一週間も経たないうちに和解して打ち解けていた。
恐い。
何が恐いって、全部前に言っていた恵瑠ちゃんの台本通りに事が進んでるのが恐い。
「本当にすっかり打ち解けちゃったね」
帰り道、恵瑠ちゃんにそう話しかければどこか浮かない様子だった。
「まあね。後は高尾先輩達にどうにか取り入って、それが少しでも親の方との交渉の時に有利に働けばいいんだけど・・・・。そうすれば、穏便に解決できる道が、見えてくる、かも・・・」
恵瑠ちゃんの声は次第に小さくなっていった。
「難しいの?」
そう聞けば、恵瑠ちゃんは小さく頷いた。
どこのコミュニティにも属していない一般的な寺の場合はそこを傘下に納める形で何とかなるかもしれないが、既にどこかのコミュニティに属している場合、それも難しくなるらしい。
そして龍太の実家である青善寺は後者の可能性が高いらしい。
「でも、もし高尾先輩の家が紅鏡みたいな何らかのコミュニティに属していたとしても、そこの規模だったり、理念によってはまだ和解の可能性もあるし!」
そう自分に言い聞かせるように恵瑠ちゃんが声をあげた時、恵瑠ちゃんの携帯が鳴った。
携帯に出てなにやら話している恵瑠ちゃんを見ながら、なんだかんだで恵瑠ちゃんも事を穏便に済ませたいのだなと思った。
選択肢の発想が侵略者だけど。
まあ、それも紅鏡の方の方針であって恵瑠ちゃん自身の考えではないと思う。
恵瑠ちゃんは、何か電話口で揉めている様だったけど、しばらくすると声を落ち着けて淡々と話を聞いていた。
・・・・この反応は、何か嫌な予感がする。
電話を切ると恵瑠ちゃんは立ち止まって僕の方を振り向いた。
「青善寺とつながりの深い籠目教っていう宗教団体は、今の紅鏡の金の内の一人が昔揉めた事があるらしくて、話し合いは無理そうだって、もう強行突破しかないし、その場合、全面戦争も辞さないって」
そう僕に告げる恵瑠ちゃんは、どこか呆然としているようで、きっと僕も今同じ顔をしているんだろうなと思った。
恵瑠ちゃんの話によると、紅鏡としては最悪鞠亜ちゃんだけ自分達の元に戻ってくれば良いらしく、既に昔まーちゃんの両親とは話し合いも決裂しているし、今まーちゃん達一家が身を寄せている籠目教とは端から話し合うつもりはないので、相手にこちらのことを感付かれる前にまーちゃんを攫ってこいとのことらしい。
そして、もし邪魔された場合はこちらの正体がばれても良いので相手方を全力で潰してしまってかまわないし、そのための秘術の使用も許可すると言われたらしい。
「恵瑠ちゃんは、本当にそれでいいの?」
僕がそう聞けば、恵瑠ちゃんは眉間にしわを寄せた。
「修司お兄ちゃんは、私にどうして欲しいの?」
「なんとかして天野さんを攫わず、龍太達の家ともぶつからないで丸く収められないかな、例えば、龍太達とぶつかる様に見せかけてわざと負けて手に負えないので引き下がります。とか」
僕がそう言えば、恵瑠ちゃんは盛大なため息をついた。
「修司お兄ちゃん、私、魔術の名門と言われる佐倉家始まって以来の天才と呼ばれてて、実力がものを言う武闘派の汞でもこの歳で一人で仕事を任される位の出世頭なんだよ?だからお母さんもこの件は私に一任してきたんだし。
その私が手に負えないってさじを投げたらどうなると思う?それこそかなりの危険分子として認識されて紅鏡は全力で潰しにくるよ?」
・・・恵瑠ちゃんは確かに腕も立つし自分のことをエリートだと言っていたけどまさかこれほどだったとは。
道理で侑子さんがあっさり恵瑠ちゃんに邪魔するやつは潰していいなんて最初から恵瑠ちゃんが勝つ前提で話を進める訳だ。
「私が今考えてるのはね、高尾先輩も鈴木先輩もまーちゃんもまとめて紅鏡に引き抜けないかってことなの。ウチは基本来る者拒まずだから、私が推薦して高尾先輩達がそれを望めばそれも可能だし、そうなれば紅鏡も籠目教も下手に動けないし話し合いに応じると思う。それに、まーちゃんをいつでも呼びつけられる状態にして私がまーちゃんのそばにいる状況ならこっちに住んでても問題ないと思うの」
確かにそれが上手くいけば僕も嬉しいけれど、僕にはそれが簡単には思えない。
「でも、言ってみればここは紅鏡にとってアウェーな訳だし、籠目教の影響力がどれくらいのものなのかはわからないけど、そう簡単にいくかなぁ」
僕がそう漏らせば恵瑠ちゃんは静かに首を横に振った。
「いかないと思う。籠目教がどんな団体なのかもわからないし、引き抜きに成功したとして紅鏡が高尾先輩達を信頼に足る人物と判断するかもわからないし、まあそうなると高尾家・鈴木家・天野家全部に家ごと紅鏡に所属してもらうことになるんだけど、どう説得したものやら・・・」
恵瑠ちゃんはそう言って頭を抱えていたけれど、僕はその様子に、恵瑠ちゃんの本心が垣間見えたような気がした。
現状において紅鏡の決定に逆らうことはできないけど、その中でも何とかして皆が丸く収まる方法を模索しているのだ。
「恵瑠ちゃん、僕じゃ役不足かもしれないけど、僕にできることなら何でも言ってよ。僕も天野さんを攫わないでいいように協力するから」
気が付けば恵瑠ちゃんの手を握ってそう宣言していた。
「うん。頼りにしてるね」
嬉しそうに目を細めた恵瑠ちゃんの手は思ったよりも冷たく汗ばんでいた。
「龍太、今日の放課後ちょっといいかな」
「いいけど、どうかしたのか?」
「実はちょっと家のことで悩んでて・・・他の人には話しにくいし・・・」
「わかった」
数学の授業中、龍太にメッセージを送って放課後呼び出した所、龍太はあっさりとOKしてくれた。
一応これも家のことではあるし、嘘はついてないけれど少し心苦しかった。
今日の僕の役割は龍太の足止めだ。
恵瑠ちゃん曰く、この学校の生徒の魂を透視した所、龍太だけが読み取れなかったらしい。
鈴木さんも魔術師の様な気を纏っていたらしいけど魂に異常は見られ無かったそうだ。
天野さんの魂については教えてもらえなかったけど、早く何とかしないととは言っていたので何かまずい状態になっているのかもしれない。
恵瑠ちゃんの作戦としては、戦闘力がありそうなのは龍太と鈴木さんの二人だけなので二人を引き離して、鈴木さんを無力化し、恵瑠ちゃんが自分と天野さんの魂をチューニングした後僕らの元にやってきて、龍太達三人に紅鏡に入ってくれるよう説得するつもりらしい。
「無力化って、何する気なの?それに流れ的になんだか物騒な感じするんだけど」
僕がそう恵瑠ちゃんに説明を求めた所、
「実際、ある程度の力の差をはっきりさせておいた方が交渉をスムーズに進められることも多いんだよ。それに万が一怪我をさせてもちゃんと治療するし、ちゃんと誠意も見せるよ。そうしないと今後の信頼関係も築けないし」
と、妙に慣れた様子に、なんでそんなに落ち着いてられるのと聞いたら、
「だって私はそうやって汞でのし上がったんだから」
と帰ってきた。
それを聞いて、恵瑠ちゃんが過去に武闘派の汞で何をしてきたのかはなんとなく想像は付いた。
しかし、この際最終的に皆が納得して事態をなるべく穏便にするにはそれしかないだろう。
僕は恵瑠ちゃんにできる限り鈴木さん達には手荒な事をしないよう約束してもらい、今回の作戦を実行する手伝いをすることにした。
放課後、龍太は鈴木さんと天野さんを教室で見送った後、僕を特別教室と空き教室がある第二校舎に案内した。
第二校舎はこの時間は一部の部活の人間以外余り人が来ないらしいのでちょっとした内緒話なら丁度良いだろうとのことだった。
案内された一階の空き教室は物置部屋という感じで、机や運動会等で使いそうな道具が置かれていた。
困った。恵瑠ちゃんには龍太を呼び出すときは絶対に学校の敷地の外にしろと言われているのだ。
よくわからないけど、学校は完全にあちらのテリトリーらしい。
「でも話も長くなりそうだし、近所の土手とかに行かない?」
僕がそう言った時、ゴロゴロと雷の音がした。
それと同時にザーザーと激しい雨の音が聞こえてきた。
「お、雨降ってきた。これじゃあ土手は無理そうだな・・・修司、傘持ってるか?」
教室のカーテンをめくって龍太が言った。
傘は持ってきていないと僕が答えると、
「だよなー、俺も。まあでもしばらくここで話してれば止むだろ」
と龍太は適当に近くにあった椅子を持ってきて腰掛けた。
まだ蒸し暑さが続くし、今の時期の突然の夕立は別に珍しいことじゃない。
だけど僕はこのタイミングで降りだした雨に、不穏な気配がして仕方なかった。
次回更新予定は2/28です。




