#32 黒
今、俺の右手の中には清實さんに渡された毒がある。
「大丈夫よ。ちょっと死んで生き返るだけだから」
清實さんは何でもないように言っていたが、そんなこと言われてはいそうですかと飲めるものではない。
「それじゃあ、終わったら迎えに来るわね」
清實さんはそう言うと襖を閉めてどこかへ行ってしまった。
俺は再び手の中の銀色の玉を見つめる。
そもそも、毒を飲んで一度死んでから生き返るなんてことが可能なのだろうか。
一度仮死状態で臨死体験をして来いということなのかもしれない。
マンガとかでよくある死の危険を感じて能力が開花する・・・みたいな。
でも、本当にそんなに簡単にいくものだろうか。
そのまま生き返れないかもしれない。
そんな考えも頭をよぎった。
外の景色でも見て気持ちを落ち着けようとさっき清實さんが出て行った襖を開ける。
目の前には今いる部屋と同じ様な六畳程の部屋が広がっていた。
・・・さっき入ってきた時はここは廊下に続いていたような気がするのだが。
部屋が全方位同じつくりなので間違えたのだろうと自分に言い聞かせて今度は反対側の襖を開けた。
しかしその襖の先もさっきと同様に今いる部屋と同じような部屋が広がっていた。
他の閉まっている二つの襖も開けたが結果は同じだった。
いよいよおかしいことに気付いた俺はとにかく目の前の襖を開けて進んでいった。
しばらく進んでもう大分進んできただろうと思ったところでまた座布団のある部屋に出た。
振り返れば各部屋は十分に明るかったはずなのに部屋は奥に行けばいくほど暗くなり、先は見えなくなっていた。
前を向けば同じように先が暗くなりながら襖の開いた部屋が続いていた。
・・・・・つまり、この毒を飲まないと外に出られないということか。
なかなかにえげつない手を使ってくる。
ふと、毒である銀色の玉を握り締めている右手が随分汗ばんでいることに気付いた。
このまま悶々と悩んでいても仕方が無い。
清實さんの話を聞く限り俺も無関係ではなさそうだし、何より今俺がずっと願っていたことが叶い、知りたかったこともわかるのだから願ったり叶ったりのはずだ。
俺はこれ以上考えても怖気づいてしまうだけのような気がしたのでひと思いに手の中の毒を飲み込んだ。
・・・・・・・やはり毒と言えどもすぐに劇的な効果は見られないようだ。
毒が回ってくるまで特にすることも無いので今度は右手側にある襖を開けて進むことにした。
今度は進んだ先の部屋の左側の襖も開けてみる。
結果は同じ部屋がひろがっているだけだったが。
さらにその部屋の左側の襖を開けると普通に一周したようで進んだ部屋の開いた襖から座布団のある部屋が見えた。
どういう仕組みなんだろうと考えながらしばらくあちこちの襖を開けて回っていると、急に目眩がした。
ああ、やっと毒が回ってきたか、そう思ったのも束の間、平衡感覚がおかしくなったのか、まともに立っていられなくなった。
目が回る回る。
まるでコーヒーカップを高速回転させながらジェットコースターに乗っているようだ。
気持ち悪い、酔ったのか毒によるものなのかはわからないがとにかく気持ち悪い。
頭の中が割れるように痛い。
頭蓋骨をかち割って直接、脳に痛み止めの薬を塗りたくなる。
目の焦点がぜんぜん合わない。どんどん視界もぼやける。色々な光が交差する。
体もまるでいうことを聞かず、変な震えが止まらない。
息が苦しい。口をぱくぱくさせてるのにまるで空気を吸い込むことができない。
吐き気がする。腹の中が焼けるように熱い。
何で俺はこんな目に遭っているんだ。
俺は、畳の上をのた打ち回っている。
筋肉が変な風に痙攣をはじめた。
「あ゛あ゛あ゛」
からからになった喉から言葉にならない言葉が出てきたとき、尾てい骨の辺りから頭の天辺に向かって俺の体の中をもやもやとした細長い黒い物体が駆け抜けた。
黒い物体の長さは3メートル位だろうか。
まるで蛇のような・・・いや、あれは蛇じゃなくて・・・!
「・・・ろ、く・・・てば、黒ってば!」
気がつくと俺は少女が入っている布団の上に体を投げ出しており、少女に頭を抱えられていた。
「黒・・・・?」
そう聞き返せば俺を覗き込んでいた少女が元気良く笑った。
「そう!×××の新しい名前!黒いから。×××よりも可愛くて良い名前でしょ?」
少女が口にしたのは俺の本当の名前の様だが、なぜか聞き取れなかった。
「今、なんと言ったんだ?」
「×××よりも可愛くて良い名前でしょ?」
聞き取れない。まるで頭が理解するのを拒否しているようだ。
「さっき話してたら、急に気を失って落っこちちゃったんだよ?大丈夫?」
心配そうな顔で少女、竹が顔を覗き込んでくる。
なんでこんなことになっているのか、記憶を辿ってみたが全く思い出せない。
それどころか、竹と会う前の記憶がほとんど無い。
俺は代々この家に生まれてくる姫巫女を守護していた龍神で、特にこの竹はこの家が始まって以来、待望の特別な存在だということはかろうじて思い出せる。
しかし、なぜ竹が特別だったのか。
確か、未来を予知する力を持っていた先代の姫巫女にくれぐれもよろしく頼まれたのだが。
その先代の名前さえも思い出せない。
気を失う前、何の話をしていたのだったか竹に尋ねてみた。もしかしたらそれに今陥っている事態を説明する手がかりがあるかもしれない。
すると、ああそうだったと竹が先程話していたらしい話の続きを始めた。
「だから黒は、ことあるごとにお母さんなら~曾おばあちゃんの時は~って私を前の姫巫女達と比べてお説教始めるでしょ?私は私だもん!他と比べないで私を見てよ!」
さっきとは打って変わって怒りだす竹を見ながら、確かにそんな話をしていたような気がしないでもないと曖昧な記憶を探る。
「私はもう七歳よ!七五三だって済ませたし、もう立派な大人なのよ!」
寝起きらしく、盛大にうねっている髪で言われても説得力に欠ける。
昔から竹は寝相が悪く、今朝も枕があらぬ方向へ投げ出されている。
生活面で言えば食事も好き嫌いが多いし、後先考えず思いつきで行動するし、我慢と言うことを知らない。
これを大人扱するにはいささか無理がある。
「七歳はまだ子供だ」
呆れてそう言ったが、やはり竹は引き下がらなかった。
「でも、『未成年でも結婚してれば大人としてみなされる』ってこの前お爺ちゃんに聞いたもん!私は黒のお嫁さんなんだから大人でしょ!」
余計な入れ知恵しやがって。
心の中で竹の祖父に悪態をついた。
姫巫女は代々龍神の嫁として一生この神社で暮らす。
大体は五つか六つの頃には龍神の姿を認識し、明らかに普通の人間ではない力を現し始めるのでその頃には自動的に龍神の嫁として扱われる。
夫婦の部屋として小さい頃から一つの部屋が与えられるし、家を出たいという様な物でなければ大抵のわがままは聞いてもらえる。
代わりに姫巫女に求められることと言えば、せいぜいその神通力を使ってこの神社の広告塔になることくらいだろうか。
姫巫女に発現する力は毎回違う。
ある時は天候は自在に操るものであったり、ある時は他人の記憶を盗み視るものだったりする。
・・・・さて、竹は何の力を持っていたのだったか。
さっきからどうにも全ての記憶が曖昧だ。
竹の力と関係があるのだろうか。
早く戻させなければ。
そう考えていると、障子の向こうに人影が見えた。
「竹ちゃん朝よ~入っていい~?」
い~よぉ!と元気に竹が返事をすると障子が開き、一人の少女が部屋に入ってきた。
竹の姉の松だ。今年で確か十五だっただろうか、穏やかで気立ての良いしっかり者の娘だ。
母親が竹を生んですぐに死んでしまい、八つの頃から竹の世話をしていたせいか、二人の関係は姉妹と言うよりは母と娘に近いかもしれない。
「さっき話声が聞こえたけど、龍神様とお話していたの?」
松は竹にそう話しかけながら手馴れた手つきで持ってきた桶から手ぬぐいを取り出し、硬く絞るとそれで丁寧に竹の顔を拭き始めた。
「うん。×××って可愛くないから黒って呼ぶことにしたの」
「呼ぶことにしたって、一応お嫁さんである姫巫女にしか呼ぶことを許されてない名前なんだからもったいないじゃない」
「黒は前の姫巫女達も呼んでない、私だけの呼び名だもん」
松は少し呆れた様子だったが、でもそれも竹らしいわね。と、特に咎めるでもなく部屋の隅にある化粧台の前に竹を座らせ髪をとかし始めた。
「でもどうして黒なの?」
「黒いから!」
松に問いかけられると竹は上機嫌で答えた。
「そういえば昔お母さんに龍神様ってどんな姿してるって聞いたら黒い龍の姿をしてるって言ってたわね。竹は一緒に過ごしてなくても、ちゃんとお母さんと繋がってるのね」
松の目が感慨深そうに伏せられた。
「う~ん、私はお母さんと過ごした記憶とかないし、よくわかんないや」
しかし竹のその言葉を聞いて、松の髪を梳かす手が止まった。
「・・・ごめんね、こんな話しても竹ちゃんは寂しいだけだよね」
松は困ったように笑ったが、竹は意味がわからないというように首をかしげた。
「なんで?私はお姉ちゃんといるから寂しくないよ?お母さんはいないけど、代わりにお姉ちゃんがお嫁に行くまではお姉ちゃんを独り占めできるもの」
お嫁に行くまでか、と松の顔が少し暗くなった。
「竹ちゃんは、お姉ちゃんにお嫁に行って欲しい?」
少し寂しそうな顔で松は竹に尋ねた。
「うん、お姉ちゃんがいなくなっちゃうのは寂しいけど、お姉ちゃんには幸せになって欲しいもの」
当の竹はそれを気に留めた様子も無く無邪気に笑った。
松はそれを聞くと目を涙ぐませた。
なぜそこで涙ぐむのだろうと不思議に思い意識を傾けると、松の思考が自分の中に流れ込んできた。
松は小さい頃から特別な力を持った母に憧れを抱いており、その母と同じ姫巫女である竹を内心羨んでいる一方で、母と言う存在を知らない妹を哀れに思っているようだ。
加えて竹の上に自分と弟がいる以上、竹が跡取りになる可能性は極めて低く、慣わしで一生普通の家庭を持つ事を許されないであろうことを後ろめたく思っているようでもあった。
そういえば、松は特に母親になついていたような気がする。
きっと自分の家庭を持つことに対する憧れも強いのだろう。
「お姉ちゃんどうしたの?目にゴミでも入ったの?」
竹は不思議そうに首を傾げたが、松はなんでもないと言って竹の髪を整えて二つに分けて三つ編みにすると、布団を手早く片付けてからちょっと顔を洗ってくるから先に居間に行ってて。と言い残して出て行ってしまった。
「意外だな。竹がそんなことを言うなんて」
松が出て行った後、そう言わずにはいられなかった。竹のことだから大好きな姉が嫁に行くと聴いたら結婚しないでとごねるのではないかと思っていた。
「だってお嫁さんって家の中で一番偉いでしょ?だから私はこの家で一番大切にされてる訳だし、お姉ちゃんも結婚したらそうなれるんだったらその方がいいでしょ?別に一生あえなくなるわけでもないし」
・・・・何か、竹と松の間には決定的な認識のズレがあるような気がする。
確かにこの家においては明らかに竹が一番大切というか、甘やかされてはいるが。
「なぜ、嫁が家の中で一番偉いことになるんだ?」
「家の主は旦那さんだけど、旦那さんは奥さんに頭が上がらないものなんでしょう?お爺ちゃんもそうだし、お父さんもそうだったって言ってたよ」
竹は得意気に主張するが、それは恐らく二人とも婿養子でこの家に来たからだ。
竹の祖母の代は男が生まれ無かったし、竹の母の代にいたっては姫巫女である竹の母以外、親戚の家も子宝に恵まれなかったので仕方なく婿養子を取ったのだ。
自分の生家でもないのだし、周りは嫁の家族ばかりなのだからそれなりに肩身は狭いだろう。
しかし、そんなことを言っても今の竹にはそんなことはきっと理解できない。
「たとえ夫を尻に敷いたとしても、その夫の親の舅姑というものがいてだな・・・」
「でももう子供が結婚する時にはおじいちゃんとおばあちゃんでしょ?ケンカになったら若い旦那さんやお嫁さんの方が強いに決まってるよ!」
人間関係の大変さを教えようとしたが、そう言い返されるともう何を言っても無駄な気がした。
そういえば、竹の母は例外だったが、生涯この家で暮らす姫巫女は小姑の立ち位置であり、姫巫女はこの神社の看板であるので家族も無碍には扱えない。
そう考えると、たとえ成長して大人になっても竹がその辺のことを本当に理解する日は来ないのかもしれない。
ここは神社なので一番高い立場にあるのはここの祭神である俺になるだろうし、姫巫女はその嫁ということになっているので言ってみればこの家にいる人間の中で一番立場が上なのだ。
朝食を済ませた後、松は女学校へ、長男で今年十歳になった大吉は小学校へ出かけて行った。
竹はその間家で父から読み書き等を教わる。
竹の力は危険なので、父や祖父母はなるべく神社から出さないようにしたいらしい。
そんな姫巫女の例は確か今までにもあった気はする。
念動力を持った姫巫女が、近隣の子供と些細なことでケンカになりその子供の腕をへし折ったり、天候を操る姫巫女が自分の力を制御できずにいくつかの家を丸ごと大雨や土砂災害によって潰したり、激昂して生身の人間相手に落雷を落とした時等だろうか。
両方ともその姫巫女は龍神の力をより強くする力を持っており、特に龍神のお気に入りなので彼女に危害を加えたり、機嫌を損ねたりすることがあれば文字通り龍神の雷が落ちる。
姫巫女がもう少し成長すれば、龍神を上手くたしなめる事もできるようになるだろう。
ということにして、本人の自制が効くようになるまでは家族以外の人間との接触は禁止されていた。
不思議と名前は思い出せないのに、何があったかだけはなんとなく思い出せた。
昼食頃まで父の授業が続くと、その後は父も神社の雑務の方へ行ってしまうので、竹は兄や姉が帰ってくるまでは適当に遊んで時間を潰している。
もう十一月も終わりで外はすっかり寒くなっていたが、この日竹は外に遊びに行こうと言い出した。
と言っても神社の敷地の中なのだが。
竹は神社の敷地内の森の中をあえて参道に出ないようにして散策し始めた。
道が悪いのでせめて参道を通ったらどうかと言ったが、それではつまらないらしい。
そうしてしばらく歩いていると、どこかから子供の泣き声が聞こえた。
声のする方に向かうと、一人の少年がしゃがみこんで泣いていた。
「どうしたの?」
そう竹が声をかけると、少年はびくりと肩を震わせた。
年の頃は竹と同じくらいだろうか。
どうやら神社の森に入ったら、戻り方がわからなくなったらしい。
竹はそれを聞くと、それじゃあ参道まで案内するからそうしたらしばらく一緒に遊ばないかと少年に持ちかけた。
今まで遊び相手と言えば、姉か兄、もしくは俺位で自分と同じくらいの子供と遊ぶことに飢えていたのだろう。
少年が二つ返事で了承すると、竹は上機嫌で少年を参道まで案内した。
案内する途中で聞いてわかったのは、少年は耕四朗という名前で、この辺の子供らしい。
いかにも気の弱そうな子供で体も細く、なんとも頼りなさそうな印象だった。
参道に着くと竹はそこからの大体の帰り方を耕四郎に教えた後、何をして遊ぶかと楽しそうに話し出した。
その時、耕四郎と目があった気がした。
なんとなく気になって、目の前まで寄って行って、なんだ視えてるのか。と呟けば、耕四郎は少し怯えたように頷いた。
「そうなの!?」
その様子を見た竹は興奮した様子で耕四郎に詰め寄った。
無理も無い。瀧澤家において、龍神の姿を視ることができるのは姫巫女である人間だけなのだから。
と言っても、龍神の姿を視られるのは別に姫巫女だけに限った事ではない。
見鬼の才があれば誰でも視られるだろう。
要するに、瀧澤家の人間は姫巫女以外は皆全くと言っていいほどその手の才能を持ち合わせていないのだ。
「私以外に黒の姿を視ることができる人に初めて会ったわ!この龍、黒って私は呼んでるけど、私の旦那さんなの。かっこいいでしょう?皆に視えるようになったらもっと色んな人に自慢できるんだけどなぁ」
竹は大層興奮した様子で耕四郎の手を握って一気に捲くし立てた。
「う、うん、かっこいいね・・・でも、あんまり視えすぎても良いことなんて無いよ」
耕四郎は、竹の勢いに押されてしどろもどろになりながらも、最後の方は妙に力強く言い切った。
それを聞いた竹は不思議そうに首を傾けた。
「視え過ぎると、困るの?」
「竹ちゃんは困らないの?夜中に恐い顔の女の人が顔を覗いてきたり、道を歩いていたら急に変な妖怪に追いかけられたりするんだよ?」
耕四郎の方も何で竹がそんなのんびりした反応をするのか不思議で仕方がないようだった。
「竹は生まれてからこの神社から出たことが無いからな。外の世界のことは知らないんだ。竹、この神社の敷地内は全て俺の家だから、その辺の妖怪だとか悪霊だとかの類は簡単に入っては来れない。入ってきたところですぐに排除する。だからこの神社の敷地にいる限り、お前がそんなものに会うことはないんだ。ところで耕一郎、さてはお前、さっき言っていた妖怪に追われてここに逃げ込んできたな?」
そう問えば、耕四郎はためらいがちに頷いた。
御龍神社の龍神と姫巫女の話はこの辺では有名なので、今日学校からの帰りにその妖怪に追いかけられた時、ここならば妖怪も入って来れないだろうとこの神社の森に逃げ込んだらしい。
そうして適当に時間を潰してそいつが諦めてどこかに行ってしまうのを期待していたようだ。
俺はその話を聞いて、まずいことになったな。と内心溜め息をついた。
今の話を聞いて竹がすっかり興味を持ってしまったのだ。
どんなのかなぁ、大きいのかなあ、一つ目だったり角が生えてたり、鋭い牙と爪を持っていたりするのかなぁ!
すっかり竹は面白がって見に行くつもりのようだ。
「あの、もういなくなってるかも・・・」
耕四郎は遠慮がちにそう言ったが竹は絶対まだいるよ!と力強く言い切った。
瞬間、森の前に強い気配を感じた。
竹と耕四郎も気付いたようで同時にその方向へ振り向いた。
「きっと耕四郎君を追いかけてきた妖怪だよ!」
そう言うなり竹は気配のする方に走って行ってしまった。
俺と耕四郎が後を追いかけると、森の出口に筋骨隆々の鋭い牙と爪を持った一つ目の七尺はあろうかという鬼が立っていた。
竹はその鬼のすぐ目の前まで行き、興味深そうに見上げていた。
「そんな・・・僕を追いかけてきたのはもっと小さい、痩せ細った河童だったのに」
耕四郎の言葉を聞いて、やっと思い出した。
竹の力は、思い込みで現実を捻じ曲げるのだ。
しかも困ったことに本人にその自覚が無い。
竹が五つになり、少しずつ言葉の意味を理解し始めた頃には竹は俺の存在を認識し、誰も教えてもいないのにこの神社の祭神である俺の名前を呼んだので、どんな力を持っているのかはまだ分からないが、姫巫女に違いないとそれなりに丁重に扱われてはいた。
ある時、お供えでもらった水あめを大層気に入った竹は、周りの目を盗んではつまみ食いをし続け、父が気付く頃には水あめを全て食べきってしまっていた。
当然叱られた訳だが、竹はそんなことは気にも留めず、それよりももう水あめを食べられないということに酷く落ち込んでいた。
周りはそれに気付かずきつく叱りすぎたのではないかと心配していた様だが。
しかし、それからしばらくすると、竹はどこからともなく水あめを手に入れて食べていた。
不思議に思った松がそれはどうしたのかと聞くと、自分で作ったと竹は答えた。
まさかこの歳で水あめの作り方などわかるのかと家族は驚いたが、姫巫女であるのなら何らかの神通力を用いてそれも可能なのかもしれないと納得した。
家族が見守る中、竹に水あめを作らせてみることになり、皆竹の様子を見ていると、まず竹は器一杯の水を用意し、その後台所から少量の味噌を持ってきてそれを器に入れてかき混ぜ始めた。
すると次第にその器の中身にとろみがつき、竹ができた!と皆の前に差し出す頃には誰が食べても水あめだと思えるものになっていた。
当然普通は味噌と水を混ぜ合わせて甘い水あめができる訳がない。
祖母はどうやらある物を完全に別の物に変化させる力なのかもしれないと結論付け、竹におわんの中に水を入れ、コレを味噌汁に変えてみるようにと言った。
しかし、竹は味噌汁はだしをとって具を入れて火にかけて、最後に味噌を溶いて作るものであって、水だけでは作れないと言い切った。
周りはいいから、それを味噌汁になるように念じてかき混ぜてごらんと言って竹にそうさせたが、水はいくらかき混ぜても水のままだった。
落胆する周囲の反応を見て竹は、
「だっておばあちゃん前に味噌汁はそうやって作るって言ってたじゃない!」
と少し腹を立てた様だった。
その時、大吉が何かに気付いたように少し待っているように言うと、しばらくして新聞紙の包みを持ってきた。
「今日学校でもらってきたんだ。竹が喜ぶと思って。なんだと思う?」
だいきちが竹にそう問えば、竹はなんだろう目を輝かせて包みを持とうとしたが、大吉はそれにあわせて包みを引っ込める。
「おっと、先ずは考えろよ。きっと竹の喜ぶものだぞ」
からかうように大吉は言った。
「喜ぶもの・・・あ、わかった!折り紙だ!可愛い柄が沢山入ってるやつ!」
竹のその言葉を聞くと大吉は包みを開けた。その中には艶やかな柄の千代紙が何枚も入っていた。
期待通りの物が手に入りはしゃぐ竹をよそに大吉は家族にこっそりと耳打ちをした。
「包みの中は最初何も入ってなかったんだ。つまり、竹は自分の思い込みを現実にするんだ」
その言葉に、家族は凍りついた。
今までの姫巫女は未来予知なら未来予知、念動力なら念動力とある程度できることに括りがある。
しかし、今回の竹は言ってみれば何でもありなのだ。
もし竹が明日大雨が降って洪水になると思い込めばたとえ日照りがずっと続いていても次の日にはとんでもない量の雨が降り注ぐだろうし、誰かがイタズラでこの神社が火事だと竹に吹き込んでそれを竹が信じた場合、たとえ火の気がなくてもこの神社は焼け落ちる。
そんなことが起こりかねないのだ。
もちろんそれはあくまで可能性の話であって、実際に竹の能力がそれとは限らない。
だからこそ家族は竹に気付かれないようにこっそりと何度も竹の力を探る実験を繰り返したが、結果はその仮説を裏付けただけだった。
そうしていよいよ竹の危うさに気付いた家族、特に父と祖父はそれ以降、竹を刺激せず機嫌を取ることに終始するようになったのだ。
思い出した。
思い出したと同時にこの事態をどう切り抜けようかと考える。
俺は今、自分が龍神としてどんな力を持っていて、どうすればそれが使えるのかも分からない。
とりあえずこの場合、実際の強さと言うよりも竹が俺をどれ位強いと思い、あの申し訳程度の皿と甲羅を持つ鬼をどれ程の存在と認識しているのかが重要だ。
「わあ、大きい!強そう!でもここは黒の家だから入れないのね!」
興奮気味に竹が歓声を上げる。
「竹、そこをどけ。すぐに片付ける」
「流石黒、全然余裕ね!」
なるべく焦りを感づかれないようにゆっくりと竹に話しかければ、竹は待っていましたとばかりに目を輝かせる。
その反応を見て、勝利を確信した。
「黒、雷よ!」
竹が元河童の鬼に向かってそういった瞬間、元河童に大きな雷が落ちた。
元河童はあっさりと跡形も無く消え去ってしまった。
しかし、それも納得する。
なぜなら俺は、あの河童の出自にも心当たりがあるからだ。
竹は祖父から聞かされる民間伝承や昔話が特に好きで、ことあるごとに祖父にその話をねだっているのだ。
その中に河童の話もあった気がする。
竹の力の危険に震え上がり、少しでも竹が不機嫌になることは避けたいのだろうが、その結果がコレだ。
もうしばらくしたら妖怪退治の依頼が神社に舞い込んでくるのではないかという気もする。
なぜ人間は目先のことに捕らわれずもっと全体を見ようとしないのだろうか。
「すごい、一瞬で消し炭になった・・・」
耕四郎が驚いたように呟き、しばらく間をおいた後ものすごい勢いで感謝されたが、元はと言えば耕四郎があの河童に追い回されたのも河童が鬼になったのも竹のせいではあるので、感謝されるようなことではないが、竹以外に俺の存在を認識できる人間がいると言うのは結構大きい。
恩を売っておくと後々便利そうなのでとりあえず黙っておくことにした。
耕四郎に今日はもう帰るように告げると、竹がまだ遊んでないと文句を言うので、耕四郎にまた明日今位の時間に神社の鳥居の前に来るように約束させて事無きを得た。
帰り道、どうして今朝あんな話をしていたのだったかと竹に尋ねた。
俺の記憶や名前を奪うような思い込みとは何なのか、どうしてそんなことになったのか。
それがわかれば俺の記憶と名前を取り戻す方法もわかるはずだ。
何とか竹を誘導して元に戻してもらわなければ、今後何かと差し障りがあるだろう。
「だって、黒はいつも私を子ども扱いして、全然私のこと見てくれないんだもん。話してる時も遊んでる時もいつもそんな調子で、ことあるごとにお母さんとか前の姫巫女の話するし」
竹は不機嫌そうに話すが、確か最初は竹の方から自分の母親はどんな人間だったか、前の姫巫女はどんなだったかとしつこい位に聞いてきた様な気がする。
俺はてっきり竹は自分には全くない母との思い出や、ぬくもりの様な物を求められているのだとばかり思っていたが、少なくとも最近は違っていたようだ。
しかし、今の竹はどこからどう見ても子供だ。八年早い。
「なんだ、やきもちか」
軽い気持ちで呟けば、竹の歩みが止まった。
どうしたのかと振り向けば竹の顔が赤く染まっていた。
「わかってるなら、もっと、もっとちゃんと私を見てよ!」
竹はそう言うと走って行ってしまった。
その気になれば平行して飛ぶこともできるが、流石にそれは可哀想な気がしたので、後から少し離れて付いていくことにした。
竹はしばらく全力疾走していたが、家への道のりの半分も行かないうちに息切れして歩き出した。
大丈夫かと声をかけたが返事はなかったので、とりあえず少し後ろからまた声をかける。
「もっと竹を見ろというが、既に十分・・・」
「見てないもん」
言葉を遮るように竹が言う。息が上がっているせいか怒っている様にも聞こえる。
四六時中一緒にいて、既にこれ以上ない程に竹を見ているとは思うのだが・・・。
そう呟けば、竹の足が止まった。釣られて俺も止まる。
「私は、黒に私だけ見て欲しいんだもん。だから他の姫巫女のことなんて全部忘れて欲しいし、名前も他の姫巫女と同じ呼び方じゃ嫌だもん」
・・・そうだ、今朝俺はまた今日も竹の寝相が悪いのを見て、母親はそうでもなかったのに誰に似たのかと言い、その時竹がそのことあるごとに母親と比べるのをやめろと言い出して、今と同じようなことを言い出したのだ。
そして俺はそれで竹の気が済むのならと、
「竹がそう言うなら前の姫巫女のことは忘れるし、俺のことも好きに呼べばいい。それが新しい本当の俺の名前だ」
そう宣言したのだ。
竹が驚いた様に本当に?と聞いてきたのでもちろんと頷いた結果、突然意識が混濁し、今朝の状態に至るのだ。
・・・まさか、本当に忘れることになろうとは。
竹が俺の言葉を信じた結果でもあり、竹の力を知っていながら迂闊な発言をした俺の自業自得とも言える。
明らかになった真実に愕然としつつも、俺の中にはそれとは別にある疑問が浮かんだ。
「竹は、俺のどこがそんなに好きなんだ?」
竹にその辺の記憶を削り取られているのかもしれないが、記憶している限りではどの姫巫女も形としては龍神の嫁だったが、恋愛対象は普通に人間だったはずだ。竹の母以外はどれも叶わなかったが。
俺は龍であって人ではない。
その気になれば人に化けることはできるのかもしれないが、少なくとも竹の前でそんなことをした憶えはない。
「いつも一緒にいてくれる所でしょ、かっこいいのもあるけど、なにより、いつもさりげなく私の願い叶えてくれる所!」
・・・・・前二つはともかく、最後については心当たりが無い。
「前に私のお手玉が破れちゃった時も、お気に入りの櫛の歯が折れちゃった時も、私が寝てる間に直してくれてたよね」
それは竹が余りにも泣くので朝になればこの位なら一晩たてば勝手に直るとその日一日言って聞かせた所、竹がその言葉を信じ本当に勝手に直っただけだ。
「私が去年育ててた花、後からおじいちゃんに聞いたんだけど、本当は冬には咲かない花だったんだね。球根を持ってきてくれた人も驚いてたみたい。
球根を埋めてから私が毎日きっともうすぐ花が咲くに違いないって言って楽しみにしてたから、外は雪が降ってたのにあんなにきれいな花を咲かせてくれたんだね」
なんとも美しい話になっているが、もちろん俺は何もしていない。
竹が花は球根を埋めて毎日水をやれば時期にかかわらず数週間で花を咲かせると思い込んでいたからそうなっただけだ。
「家の中は夏は涼しくて冬は暖かいのは当たり前だと思ってた。でも、普通はそうじゃないんだね。去年の夏、うちに来たお客さんがどうしてこの家は特別涼しくなるようなことを何もしていないのにこんなに涼しくて快適なんだろうって不思議がってたよ。気になって冬もお客さんの様子を見てたら、火鉢も何も焚いてる様子も無いのに何でこの家の中はどこも暖かいんだろうって驚いてたよ。こっそり私達が快適に暮らせるようにしてくれてたんだね」
それは大吉が竹のこの思い込みの力を何か有効利用できないかと考え、家の人間に夏は家の中は涼しい、冬は家の中は暖かいとことあるごとに竹の前で言わせ、竹の知らない間にそう思い込ませていただけだ。
確かに家の中は快適なったのだろうがそれも俺の手柄じゃない。
しかし、竹に自分の力を自覚させてしまうと危険なので、皆とりあえず竹に尋ねられて普通では説明つかないことは全部俺の仕業ということにしているのだろう。
「私が眠れない時は一晩中でも話し相手になってくれるし、森の中で道がわからなくなっても黒がすぐに参道への出方も家への帰り方も教えてくれるもの。コレはさっき知ったんだけど、黒はいつもこの神社に悪いものが入らないように守ってくれてたんだね」
・・・・・これは、まあ俺なのだが。
「だから、私はそんな黒が大好き。ちょっとずつの好きが集まって、大好きになったの。・・・ホントは黒が私によくお母さんの話をするのは、昔、私がお母さんってどんな人か黒を質問攻めにしたりしたからだってことはわかってるの。
始めはそれも嬉しかったの。まるで私の知らないお母さんって存在がいつも一緒にいてくれるような気がして。
でも、その話をしてくれるのは黒だったし、一緒にいてくれたのは黒だもの。
黒のことが大好きになるうちに、なんだか黒がお母さんの話するのが嫌になったの」
そう言いながら竹は泣き出してしまい、俺はどうしていいのかわからなかったが、不思議と竹のその言葉や仕草に胸の中が温かくなった。
次回更新予定は12/27です。




