Seventh Period 未成とさくら
翌朝、さくらは日ノ出署の休憩スペースに未成を呼び出していた。やってきた未成にさくらは白い目を向け、彼の事を困惑させた。
「ど、どうしたんだいさくら……そんな怖い顔しないでよ」
太陽光が届かない薄暗いスペースで、彼女の顔には暗い影が落ちていた。未成は愛想笑いを浮かべながら、そっと両手を挙げる。さくらは腰に手を当ててため息をつくと、懐からUSBメモリを取り出し、未成に向かって強く突き出した。
「これ、もしかして見覚えない?」
さくらは未成の前でメモリを曰くありげに振ってみせるが、当の彼は首を傾げるばかりだった。彼はメモリを受け取ると、不思議そうに鼻を鳴らしながらメモリのマークを見つめた。
「ううん。こんなメモリ、持った覚え無いけど……」
「そうなの? でも、どうも私は引っかかるんだよね」
そう言うと、彼女は一枚のメモを取り出し、今度はそれを未成の鼻先に突きつけた。それを見た途端、未成の目が一気に見開かれる。笑みが一気にぎこちなくなり、声も震えた。
「こ、これが……一体どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないでしょ? あなたが鑑識課にある自分のパソコンで繋いでいたくせに。ねえ未成、このサイトは一体何? 入ろうとした瞬間パスワードを要求されたけど、何かとんでもないことを隠したサイトじゃないでしょうね」
「違う。そんなサイトじゃない……」
さくらは未成の目を睨みつけながら首を傾げ、彼が力なく握っていたメモリを取り上げて再び見せつける。
「このメモリは、大希が一人で事件を追ってた時、犯人に遭遇して押し付けられたものらしいよ。昨日私が中身を調べてみたんだけど、未成が繋いだサイトと同じサイトに繋がるショートカットが見つかったんだよね……」
未成はメモリを凝視し、白くなるほど唇を噛んだ。少々怯えた目をしながら、未成はさくらのきつい眼差しを見つめる。
「さくら……君は一体何を言いたいんだい?」
「別に未成が殺人犯だと言うつもりはないわ。……でも、犯人が手渡してきたメモリとあなたが繋いだサイトが一緒だとなると、あなたと犯人との間に関わりがあるんじゃないかって、疑わなきゃならない……」
さくらの目がわずかに潤み、声も震える。中に抱えている苦しみが、外にも溢れかけていた。
「付き合ってまだ一年くらいだけど、私や大希達は未成の事を大切な友達だと思ってるの。だからあなたの事は疑いたくない。……まだ誰にも話してないよ。だから本当の事を言って。私、あなたの言葉を信じるから」
未成はさくらの様々な感情が入り乱れた瞳をじっと見つめる。そっと視線を伏せると、彼は深呼吸を繰り返し、そしてゆっくりと口を開いた。
「あれは高機能な演算処理能力を備えたサーバーに接続するアドレスなんだ。研究者の知り合いのつてで使うためのパスワードを教えてもらったんだけど、普通のパソコンなんかまるで敵わないくらい処理が早いから、こっちでも有効に使おうかなあ、なんて思ったんだ……でも、事件の犯人も使えるような危ないサイトだとは思わなかった。……信じてくれ。最近の事件の犯人も同じサイトを使っているなんて、僕は全く知らなかったんだ」
目を逸らさず、未成は自分の中から絞り出すように言葉を並べ立てた。その顔は、友人に責め立てられる痛みに歪められている。さくらも目を大きく見開き、じっと未成の顔を見つめていた。
ややあって、ふとさくらが微笑んだ。その太陽のような笑みに、未成は呆然と目を瞬かせる。
「そっか。なら良かった。じゃあ私の思い過ごしってことにしとく。ゴメンね。もしかしたら未成が犯人なんじゃないかって疑ってかかっちゃって……友達なのに、最低だよね」
「ううん。現に君は僕の事を気にして、こういう風にしてくれたんじゃないか。素晴らしい人だよ。君は」
未成はふとまなじりに浮かんだ涙を拭きながら、何度も何度も頷いた。さくらは肩を竦めると、手を伸ばして優しくその肩を叩く。
「ほら、男なんだからそう簡単に泣かない。せっかく顔がいいのに、それじゃ台無しだって」
「は、はい……」
未成は深々と頷くと、ぎこちなく笑みを作ってみせた。さくらはその顔をしばらく眺め、満足気に頷いた。
「そうそう。元気になってね。じゃあ私は行くわ。時間取っちゃってごめんね」
「いや……別に構わないよ」
「良かった。じゃあね」
メモリを片手に弄びながら、悠然と廊下を歩いていくさくら。その背中を見つめていた未成は、ふとその目を逸らし、再びうつむいてしまった。
「どうして……あんなに優しい人が……」
一度は収まったかに見えた涙が、彼の頬を伝って落ちていった。
夜、車通りの少ない道路を、一台の流麗なフォルムのバイクが走っていく。非番を利用して『一人旅』に興じていた健が、まさに帰宅しようとしていたのだ。公私ともにバイクが好きな彼は、休暇に遠出をすることがある。全ては『ハードボイルド』への憧れ故だった。
スピードを緩めながら、健は一軒のコンビニへとハンドルを切った。隅の方に停め、ヘルメットをバイクのハンドルに引っ掛けながら、ふと周りを見回す。道路を挟んだすぐ向こう側には、申し訳程度に遊具が置かれた公園があった。ひっそりとしていて、佇む遊具が青白い街灯に照らされ不気味に光っていた。小さく息を吐き出した健は、公園から目を離してコンビニへと向かおうとした。
しかし、一瞬目の端に捉えた光景が彼の目を釘付けにしてしまった。茂みの影から、異様な形で向き合う二人の姿が現れたのだ。一人が胸に向かって腕を突き出し、もう一人はひどい猫背の姿勢で硬直していた。細かいところまでは見えなくとも、何が起きたかなど明白だった。健は目を見開き、二人の方に向かって駆け出した。
「お前!」
健が叫ぶと、黒服の青年を刺した男は刃物を青年の胸から抜き去った。既に絶命していた青年は、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。それを見届けた男は、静かに健に目を合わせた。
「お前は、違うな」
健は男を睨みつけたまま、一歩前に踏み出す。ハードボイルドを気取っている健も、いきなり目の前で起きた殺人にほとんど冷静ではいられなかった。
「お前……一体何をしたかわかっているのか!」
「俺に質問をするな」
男は押し殺した声で呟くと、いきなり道路を駆け出した。すぐさま後を追おうとした健だったが、あまりに男の足が速すぎた。車と並走でもできそうなほどだ。健は舌打ちをすると、全速力でバイクの方に戻り、すぐさまエンジンをかけた。ヘルメットを被ると、男が逃げた方角に向かって走り出す。
「おい! 止まれ!」
男は遥か前方を走りながら、瞬間的に後ろを振り向いた。健はアクセルを全開に回し、バイクの性能を存分に発揮させようとする。男はさらに足を早めるものの、さすがに白バイと同じ車種の機動力には敵わない。徐々に距離が詰まってきた。
しかし、信号が煌々と赤い光を放つ。今の健は一般市民だ。信号を無視する権限など無い。生憎車両も何台か通ろうとしていた。健は舌打ちをしながらブレーキを握りしめる。にわかに犯人の男と健との距離は離れていき、そして見えなくなってしまった。
「……ちくしょう」
健は小声で呟くと、バイクから降りて歩道まで押した。そして携帯を取り出すと、静かに一一〇番を押したのだった。
時同じくして、制服を着込んだ大希は広田と共に平穏な時間を過ごしていた。近辺に居酒屋が少なくない都合上、酔っぱらいを家に帰るよう説き伏せたり、あるいは家族に迎えに来てもらったりする事がよくある。しかし、今日に限ってはそれもなかった。ペン回しに挑戦しながら、大希はぼんやりと呟く。
「今日は何も起きませんねえ」
「何も起きないのが一番だ。俺達が忙しい状況なんて、健全なわけがない」
広田は新聞を読みながらのんびりと応える。責任感の強い頑固者の広田が暇つぶしをしているのは、本当に何事も起きていない証拠だった。大希は小さく頷くと、再びペンに目を落とした。
その時、大希の胸ポケットが震えた。広田に小さく頭を下げると、大希は交番の奥に引っ込んで携帯を取り出した。
『もしもし、健だ。時間あるか?』
「あるっちゃあるけど、今は仕事中だ。手短にしてくれ」
大希は頭を掻きながら声を尖らせる。電話の向こうで、健が曖昧に応えた。
『わかった。そうする。……じゃあ単刀直入に言うぞ。またお前と瓜二つの男が殺された』
「な、何? 何だって?」
大希は耳を疑い、携帯を強く耳に押し当てながら聞き返した。だが、帰ってきた言葉は一言一句違わず同じものだった。大希は半ばうんざりしたような声を上げ、壁にもたれながらしゃがみ込む。
「ああ! 一体、俺は一体何人いるんだ……」
『それは俺に言われても知らねえよ。……ただ一つ俺が言えるのは、この事件は犯人までおかしいってことだな』
「どうしてだよ?」
健は電話の向こう側で唸ると、じっくりと言葉を選ぶようにしながら話し始めた。
『俺、ちょうど殺された瞬間に出くわしたんだ。その場で犯人は取り押さえてやろうと思ったけど、全然ダメだ。奴の脚は異常だ。どう軽く見積もっても毎時六十キロは出てたな。バイクで追っかけたけど……逃げられちまった』
「……そうか。俺もどこか人間離れしているとは思ってたけど……そこまでヤバイ奴だったのか」
『ああ。何となくお前に知らせといたような気がしたんだけど、知らせないほうが良かったか?』
「いや、助かったよ。ありがとう。じゃあ、それ以上の話は今度聞かせてくれ。それじゃ」
大希はため息をつくと、ゆっくりと携帯を切った。だが、次の瞬間再び携帯が震えだす。大希はしかめっ面で発信元を確かめると、面倒そうに電話を取った。
「何だよ剣人。いきなり電話なんかしてどうした」
『どうしたもこうしたもない。またお前似の遺体が消えたんだよ!』
大希は思わず言葉を失った。頭を押さえると、呻きながらどうにか言葉を絞りだす。
「ああ。そんなまさか。……本当なのか?」
『俺が嘘ついてどうすんだ? 本当に決まってるだろ。今から捜査だ。……どうせ窃盗の痕跡なんか出ない気がするけどな……』
「……そうか、分かった。知らせてくれてありがとな」
『ああ、じゃあな』
慌ただしく電話が切れた。大希は携帯をぼんやりと見つめながら、頭を激しく掻きむしった。
「ちくしょう……本当にどうなってんだよ……」