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Sixth Period USB

 翌日正午。大希は日ノ出署の鑑識課を訪れていた。ノックをして入ると、そこにいるのは制服を着た鑑識課の面々ではなく、スーツを着込んだ警察の裏方担当、事務職員だった。入ってきた大希を一瞥しても、それ以上は気にする事もなく他愛もない話をしながら昼休みを満喫している。そんな中、大希はあどけなさと大人らしさが同居している女性に目を留めた。彼女こそが先日の電話の主、(しろ)さくらだった。桜色の弁当箱を広げていた彼女は、近づいてくる大希に向かって笑いかけた。

「あら、大希じゃない? どうしたの?」

「ああ、事務室に行ったら、今日はみんなここにいるって聞いたからさ。何しているんだ?」

「見てわからない? 今日は鑑識課のパソコンの定期検査の日なの」

 さくらは腕をしなやかに伸ばして部屋の奥のパソコンを指差した。大希は一瞬そのパソコンに視線を送った後、すぐにさくらを手招きした。

「ごめん。ちょっと外に来てくれないか?」

 大希が申し訳なさそうに眉をさげながら手招きすると、さくらはその子犬のように丸い目を大きく開きながら首を傾げた。

「え? どうして?」

「どうしてって言われても……時間は取らせないから、うん。五分くらい付き合ってくれない?」

 さくらは艶やかな黒髪を掻き上げながら鼻を鳴らした。ややあって、彼女はリスのように機敏な動作で立ち上がった。

「よしわかった。五分間ならいいよ。本当は昼休み返上で検査しなきゃならないんだけど、まあそれくらいならいいでしょ。ね、理加」

 さくらは隣に座っているいかにも華奢で大人しそうな女性に尋ねる。彼女は眼鏡をかけ直しながら小さく微笑んだ。

「うん。大丈夫だと思うよ。……と言うより、大丈夫じゃないって言っても、さくらは行くんでしょ?」

「まあね。幼馴染は大切にしなきゃ」

 さくらは流れるような動きで大希の背後に回ると、部屋の外に向かってぐいぐい押し始めた。

「ほら、行くんでしょ?」

「あ、ああ……押さなくていいって」

 大希はさくらの手を振りほどこうとしながら足早に鑑識課を出た。さくらはそっとその扉を閉め、ゆっくりと大希に向き直る。

「で、どうしたの? 私にどんな用事?」

「ああ。ちょっとこいつを調べて欲しくてさ」

 そう言いながら大希が取り出したのは、昨日殺人者に押し付けられたUSBメモリだった。さくらはメモリを受け取ると、しげしげとそのメモリのマークを見つめた。

「何これ? どこで手に入れたの?」

「話せば長くなるけど……とりあえず拾った」

「拾ったって……それなら拾得物係に届けてよ」

 さくらがメモリを突き返しつつ頬を軽く膨らませると、大希は苦笑いしながら肩を竦めた。

「まあ、それはさくらの言う通りなんだけどさ、ちょっと調べてみたい気がして」

「知りたがりはいつになっても変わらないわね。どうする? これが実は国家機密のデータが入ったメモリで、開いた瞬間スパイ扱いされたら」

 さくらが手錠をかけるような真似をしてみせると、思わず大希は笑みを凍りつかせた。しかし、慌てて表情を繕いながら首を振る。

「ナイナイ。そんな事は無いから大丈夫だって」

「……まあいいや仕方ない。大希は一度こうするって決めたら折れないし。夜の八時半、私の家に来て。自前のパソコンで調べるから」

 しばらく大希を胡散臭そうな目で睨んでいたさくらだったが、やがて肩の力を抜くと、わがままな弟を見るような目で微笑んだ。大希はぱっと顔を輝かせ、仰々しく頭を下げる。

「いやぁ、ありがとうございますさくらお嬢様。いや本当に」

「その通りだわ。私に感謝しなさい。直々に手を貸してあげるんですもの。……なあんて」

 幼馴染二人は、見つめ合うと一気に顔をほころばせた。冗談を交えた軽妙なやり取りは、小学生の頃から始まり、今になっても変わらない。

「ありがとう。助かるぜ」

「うん。また後でね」

 さくらと手を振り合い、大希は揚々と署の廊下を歩き出した。ポケットからメモリを取り出すと、日輪と時計の文字盤を象ったそのマークを見つめる。

「大丈夫だよな? うん、大丈夫だ。問題ない」

 一瞬大希は腫れ物を扱う目つきでメモリを見つめたが、ほどなくして笑顔を取り戻し、力強く廊下を歩いていった。


 一方、鑑識課に戻ってきたさくらは、ゆっくりと腰を理加の隣に落ち着けたところだった。デザートの柿を口に放り込んでしまうと、彼女はてきぱきと弁当箱を片付け、スーツの胸ポケットから銀色ハーフフレームの眼鏡を取り出した。理加はそれを見て目を丸くする。

「あれ、眼鏡変えた?」

「うん。ちょっと前にね。どう、似合う?」

 素早く眼鏡をかけると、さくらはにやにやしながら眼鏡をくいと持ち上げるような仕草をしてみせる。そのようにしておどける彼女に、理加はくすりと笑った。

「そりゃあ、さくらは美人だから何かけたって似合うよ。でも、伊達眼鏡なのに変える必要あるの?」

「伊達だからこそよ。顔が子どもっぽいってよく言われるから、できるだけ『デキル女』に見せておかないとね。理加とか、眼鏡かけてる女の人ってどことなくスマートに見えるからねえ」

「そう? ありがと」

 さくらはひとしきり笑い合うと、いきなり膝を叩いて立ち上がり、理加に向かって目配せした。

「さあ、食べ終わったし、先に再開してるね」

 さくらは一足跳びで一番奥のパソコンに向かい、勢いよくイスに腰かけた。そのままマウスを動かすと、背景無しのシンプルな画面を見つめる。

「さてさて、ウィルスなんてあるわけないよね……?」

 一人調子良く呟きながら、昼食前から働かせていたスキャンソフトを呼び出した。既に検査は終わっており、どんな種類のウィルスも目の前のパソコンを侵していないことを示していた。だが、さくらの顔はみるみるうちに真剣なものと化し、その目は一つの文章に注がれる。

「何よこれ……」

 スキャンソフトに一つのクッキーが引っかかっていた。危険度も高い。さくらは直ちにウイルスなどに対する防御策を講じながら、恐る恐るそのクッキーを探ってみる。すると、途端にパソコンはブラックアウトしてしまった。

「ひゃっ」

「ど、どうしたの?」

 さくらの小さな悲鳴を聞きつけ、理加が慌ててやってきた。さくらは表情を歪ませて唇を震わせながら、ブラックアウトした画面の上に浮かび上がった緑色の文字列を見つめる。

『パスワードAを提示して下さい。入力のない場合、三十秒後に強制切断します』

「ね、ねえさくら、これ何なの……?」

「強制切断なんて、こっちからしてやるわ」

 肩を掴みながら理加が尋ねると、青くなったさくらは震える声で呟きながらキーを叩き、ブラウザを閉じてしまった。すぐさまブラックアウトした画面は、元の地味なデスクトップに戻る。息を荒げながら、さくらは激しくキーを叩き始めた。

「何なのよ。ここを使ってるのは誰?」

 声を押さえたままさくらはシステム画面を開き、データが弄られた形跡がないかを探り始めた。怖いのは捜査情報の流出だ。さくらは苦々しい表情でコードの羅列を見つめていた。

 ふと彼女はデスクの棚に目を向ける。そこには、『来栖未成』の名が記されたマグネットが貼られていた。さくらははっとなり、思わず目を瞬かせる。そんな折、蒼白な顔の理加がさくらの肩を再び叩いた。

「ねえ、私みんなに知らせる?」

「ううん。ちょっと待って。……お願い理加。これは調べてから私が説明するわ」

 さくらは小さく首を振りながら、『来栖未成』の文字を射抜くように見つめていた。


 約束の時間、大希はさくらの家を訪れていた。駅のすぐ北にあるマンションの一室で、日ノ出市の中ではそこそこ家賃が高い。木目美しいフローリング、タイルが光っている玄関を見つめながら、大希はさくらに向かって嘆息した。

「いや、こういう家を見ると、お前はやっぱりIT企業の社長の令嬢なんだなって思うな」

「まあね。一応家だけは世話してもらったの。それ以外はちゃんと自分で稼いで生計立ててるよ」

 頭を掻いているさくらに笑みを送り、大希は居間に足を運ぶ。そこで本を読みながらくつろいでいるスウェット姿の人影を目にして、思わず大希は目を見開いた。

「剣人! 何でお前がここにいるんだよ!」

「あ? ああ、さくらに来てって呼ばれたからさ」

 大希の驚きに反して、剣人は居て当然という顔をしていた。大希の後を追うようにやってきたさくらは、にやにやして腰に手を当てながら大希の目を覗き込む。

「だって、夜に男と女が二人きりなんて危ないじゃん。特に大希は独り身でございますしねえ」

「なに? お前、からかうのも大概にしてくれよ。剣人もいるってのに、誰がお前なんかと」

「ふうん? じゃあ、もし私が独り身だったらどう――うわっ」

 悪戯っぽく笑いながらからかい続けるさくらの頭を、大希はいきなり掴んだ。引きつった笑いを浮かべながら、ぐいぐい指をさくらの頭に食い込ませる。

「やめてくれないか。俺は一年彼女が居ないんだぜ? そういう冗談は心に刺さるんだ」

「イタタ。ごめんごめん、許して許して。そういうつもりで剣人を呼んだわけじゃないの! ねえ?」

 さくらが視線で救援を求めると、剣人は本を閉じ、ため息をつきながら二人の方をちらりと見た。

「そうだ。お前にちょっと伝えたい事があるんだよ。他意はないって」

「本当か?」

 大希がさくらを睨みつけると、彼女は小刻みに頷いた。深々とため息をつくと、ゆっくりと彼女の頭から手を放す。

「ったく……本当は一発入れてやりたいとこだけど、勘弁してやるよ」

 大希は特に気にせず呟いたが、さくらははっと声を上げ、いきなり軽蔑するような眼差しをした。

「ええっ? 一発挿れて? うわあ……勘弁してよ。やっぱり剣人を呼んで――いたっ」

 間髪置かずに大希のデコピンがさくらの額を鋭く捉えた。景気のいい音がして、彼女は顔をしかめて赤くなった額を撫でる。大希は首を振りながら舌打ちした。

「調子に乗んな。いい加減にしろっつの」

「ご、ごめん」

 くぐもった謝罪の声を聞きながら、大希は思い切りため息をついた。肩を竦めると、リビングテーブルにセッティングされたパソコンを認め、そこまで向かっていって腰を下ろした。

「もういいや。さっさと調べてくれよ。そしたら俺は帰るから、その後二人で楽しめよ」

「まあまあ。そうやって捻くれんなって」

 剣人は大希の隣に腰を落ち着けつつ、その肩を優しく叩いた。しかし、剣人の慰めでは大希の気は休まらない。ただただ口を尖らせてため息をついただけだった。

「はいはい……ふざけるのはここまで。ここからは真面目モードで行くから。大希、メモリ出して」

「ああ。ほら」

 眼鏡をかけながら急にやる気を見せ始めたさくらに、大希は仏頂面のままメモリを手渡した。彼女は丁寧にキャップを外すと、端子をそっと白いノートパソコンに接続した。真っ先にセキュリティチェックを済ませると、彼女はゆっくりとファイルを開く。そこには、二つのフォルダがあった。さくらは横目で大希を窺う。

「さて、どっちから見る?」

「ん、じゃあ……まずは左から開いてくれよ」

 大希は好奇心に溢れた表情をしており、先ほどのいざこざなどけろりと忘れてしまったようだった。さくらは大希に言われるがまま、〇〇一番のフォルダをクリックする。すると、画像とテキストのデータが現れる。大希に促されるまま、さくらは画像ファイルを開いた。

「……これは、原子のモデルか?」

 脇から覗き込んでいた剣人が小さな声で呟く。そこにあったのは、中心の円を取り囲むように多数の輪、そして小さな点が並べられた図だった。さくらは顎を撫でながら小さく頷く。

「そうみたい……でも、一三七番なんて聞いたこと無いよ」

 その時、嬉しそうに大希が不思議そうな顔をしている二人を見渡した。

「俺、前にニュースで見た。最近一三七番元素の開発が始まったってさ」

「ふうん……そんなニュースがねえ……」

 さくらは何の気なしに呟きながらテキストファイルを開く。しばしぼんやりと文面に目を通していたさくらだったが、その違和感に気づいた彼女は目を何度もこすった。

「え? 一三七番元素、ギャラクシウムの性質? ……どうして開発が始まったばかりの元素の性質なんかわかるのよ……」

 さくらと剣人は空間を歪ませ云々、新エネルギーの筆頭云々と書かれたその文面を狐につままれたような顔で見つめた。その一方、大希は呆然と目を瞬かせていた。

「これ、前に見た落し物の教科書と同じ文面だ……」

「え? 教科書?」

 さくらが不審そうな顔をして振り向くと、大希は手で小さく画面を指し示した。

「あ、ああ……とにかく、もう一つのフォルダも開いてみてくれないか?」

 さくらがもう一方のフォルダを開くと、そこにあったのはインターネットに繋がるショートカットだった。さくらは一瞬自前で組んだプロテクトを確認すると、意を決してそのショートカットをクリックした。途端に画面はブラックアウトする。

「な、何だ?」

 大希は目を見開いて画面に魅入られる。その一方、さくらは凍りついた顔で画面に浮かび上がった文字を見つめていた。

『パスワードAを提示して下さい。入力のない場合、三十秒後に強制切断します』

 さくらは慌ててアプリケーションを強制終了した。息をすることも忘れ、彼女はしばしデスクトップを見つめる。大希も、剣人も同じだった。

 ややしばらくして呼吸を蘇らせたさくらは、ぎこちなく大希の方に振り向き、その肩を掴んだ。

「ねえ、本当の事言って。このメモリ、どこで手に入れたの?」

 大希は唇を噛んで視線を泳がせるばかり、逡巡しているようだった。さくらは眉根にしわを寄せ、彼の肩をさらに強く掴んだ。

「ねえ、本当の事を――」

「昨日起きた事件と前起きた事件の犯人は同一人物だ。俺はそいつに会ったんだ。捕まえようとしたけど……ボコられた上に逃げられた。……で、押し付けられたのがこのメモリなんだよ」

「じゃあ大希。……お前、被害者がまたお前に似てるってことは……」

 剣人が声を低くして尋ねると、大希は静かに頷いた。

「ああ。もちろん知ってる。まさにその顔を見たからな」

 三人は言葉を切り、しばしの間沈黙しながら画面を見つめていたが、いきなりその静寂を突き破って剣人がメモリをパソコンから抜こうとし始めた。だが、さくらはそれを遮った。

「待って。これを私に貸して」

「おい。これは貴重な捜査資料になるかもしれないんだぞ。一刻も早く鑑識課に持ってかねえと」

「いいから。その前に私に貸して。確かめたいことがあるの」

 いつもはふざけておどけるさくらの目が、いつになく真剣だった。大希と剣人は顔を見合わせる。彼女がこんな顔をする時は、何かを決心して行動しようとしている時だ。二人は肩を竦め、剣人はメモリから手を静かに離した。

「しゃあねえな。でも、すぐに渡せよ」

「うん。わかってる」

 さくらはそっとメモリを抜くと、それを強く握りしめた。



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