Fifth Period 第二の殺人
二日後、当直を終えた大希はわずかばかりの仮眠を取り、正午あたりには既に市街地で活動を始めていた。目的は一つ、大希に似ているという被害者が殺され、消えてしまった事件を個人的に追ってみることだった。
「すいません、僕に似た人物を、先週あたり見かけませんでしたか?」
大希は目撃情報のあったビル街で、知人の小太りなおばさんを呼び止めていた。日ノ出市立第一高校の食堂で働いている彼女はこのあたりでも有名な噂好きで、顔も広い。大希が予想していた通り、おばさんはにこにこしながらすぐに興味を示してきた。
「その事、私も柳くんに聞かれたわ。立派に刑事してるじゃない」
「あ。それなら話が早いですね。何かわかりますか?」
「もちろん。食堂で色々聞いてみたんだけどね、何とこれが! すごい話聞いちゃったのよぉ」
おばさんはやたらと声を弾ませている。噂好きで知られている通り、とにかく誰かに伝えずにはいられないという様子だ。大希は肩を竦めて苦笑すると、携帯を取り出しながら尋ねた。
「どんな事ですか? 一体何を聞いたんです?」
「藤枝さんと浅田さんから、あなたに似た人をそれぞれ違う場所で見かけたって聞いたんだけどね、それを見かけた時間、ほぼ同じだったのよ」
「何ですって?」
おばさんの囁きに、大希は思わず我が耳を疑った。携帯で素早くメモを取りながら、大希は再び尋ねる。
「もっと詳しい事は聞いてないんですか?」
「もちろん聞いてるわ。時間帯は九時くらい。藤枝さんは塾に息子を迎えに行った時、浅田さんは家族で映画を見た帰り、『サンライズ』のすぐ外で見たって言っていたから、時間は正確だと思うわ」
駅前デパート『サンライズ』の周辺に学習塾はない。おばさんの言う通り、二人が同時に大希に似た人物と出会ったことは間違いない。大希がその事実を突きつけられて呆然としていると、おばさんは心配そうな顔で大希を覗き込んできた。
「ちょっと。顔色良くないけど大丈夫?」
「ええ。別に体は大丈夫です。ちょっとこんがらがっちゃって」
「そう? しゃんとしなさいよ? 『黄金世代』、期待してるんだからね!」
おばさんに力強く肩を叩かれ、大希は照れくさそうに頭を掻いた。
「はい。頑張ります……お手数おかけしました」
「いいのよ、気にしないで。あ、でも、何のために調べてるの? お巡りさんなんでしょう?」
「いや。ちょっと個人的に興味があって……」
「首を突っ込みたがる性格は相変わらずなのね。まあ、頑張って」
おばさんは去り際に笑顔で手を振ると、そのまま足早に駅の方角へ歩いていった。その背中を一通り見送った後、大希はメモに目を下ろした。
「同時に俺と似た人物を見かけたって……? どうなってるんだ」
自らに瓜二つな人間が殺されたというだけで驚くべき出来事だが、二つの場所で同時に自らに瓜二つな人間が見つかったとなれば、いよいよ不可思議な事態だ。大希が頭を強く掻きながら唸っていると、今度は背後から彼のことを呼ぶ乾いた声が飛んできた。
「今村先輩じゃないですか! そこで何してるんです?」
大希は弾かれたように振り返った。そこには、ジーンズを履きこなす小洒落た童顔の青年が、ポニーテールが似合うスレンダーな少女と並んで立っていた。
「ん? 滝川じゃないか。……お前学校は?」
今日は火曜日である。だが滝川は第一高校の二年生で、本来ここにいるはずはない。しかし、滝川は肩を竦めて顔を綻ばせた。
「何言ってんですか。今日は開校記念日で学校休みですよ」
「あれ、そうだった? ……卒業してもう六年だから覚えてないな。……で、この子は彼女?」
大希が次に目を向けたのは少女の方だった。細い輪郭、大きな瞳、高い鼻は美少女と言うに十分だった。滝川は照れくさそうに頷くと、手で彼女を指し示す。
「ああ。まあ一応。森本彩奈って言うんです」
彼女はちょっと頭を下げるようにしてみせると、そのまま滝川に振り向いて、大希を指差した。
「ねえ、今村先輩だっけ? この人と速人はどんな関係なの?」
速人は胸を張って頷くと、身を翻して大希の側に立って彼を手で指し示した。
「今村大希先輩。一高剣道部の『黄金世代』だった時の人さ。今でも稽古を見に来てくれることがあるんだけど、すっげえ強いんだぜ。ちなみに俺は、小さい頃から道場が一緒だったんだ」
「そんなに褒めるなよ。剣人や健と違って、俺は大したことないさ」
森本は感心したように目を丸くしたのを見て、大希は頬を赤らめながら手をひらひらと振った。滝川は腕を組むと、にこにこしている大希に向かって再び尋ねた。
「で、今村先輩はここで何してたんですか?」
「ああ。まあちょっとした散歩だ」
「散歩?」
滝川は全く信じている様子がなく、訝しげな顔をして大希の表情を窺った。事件を勝手に追っているとも言えず、大希は苦笑いしながら両手を挙げた。滝川はさらに目を細めて大希の目を覗き込んだ。頬を引きつらせた大希が一言も言わないでいると、ようやくため息をつきながら一歩退いた。
「まあいいです。この前随分暗い顔していたから、ちょっと気になっただけなんで」
「この前? 一体いつだ」
大希が首を傾げると、滝川も鏡に映したように同じ動きをしながら答えた。
「土曜日の昼だったかなあ……部活帰りに会ったじゃないですか。橋の辺りで。もう、魂抜けたような顔して、僕が声かけても無視しましたから、何かあったのかなあって、ずっと心配してたんですよ?」
「あ? いや……その時、俺家で寝てたんだけどな……」
大希は耳を疑い、表情を歪めてこめかみ辺りを掻いた。滝川も眉根にしわを寄せると、礼儀を忘れた強い口調で大希に迫った。
「は? 冗談よしてくださいよ。俺は先輩をこの目で見たんですから」
「いやいや。冗談なわけないじゃないか。当直明けにそのまま動けるほど俺は強くない……む? ちょっと待ってくれ。お前、今いつ会ったって言った?」
大希はようやく滝川の言葉の違和感に気がついた。滝川は納得が行かない様子でため息をついたが、彼は渋々繰り返した。
「土曜の昼です。それがどうかしたんですか?」
大希は呆然となった。大希に似た男は、それよりもずっと前に殺されているのだ。
「……それは俺じゃない。それだけは確かだ」
「え? じゃあ、今村さんにそっくりな、別人ってこと?」
森本が口を挟むと、大希は素早く頷いた。
「そうさ。話が早いな。……すまん。俺ちょっと用事ができたから失礼する。じゃあな」
大希は小さく手を振ると、首を傾げて顔を見合わせているカップルを尻目にその場を立ち去った。そのまま大希は携帯をいじり始める。
「そうかそうか……こうなったら、徹底的に調べてやらないとな……」
夜八時。人影もまばらになり、接客する若者達もどこかぼんやりとしているファストフード店に大希はいた。カウンターの前には未成もおり、大希はしきりに彼の事を窺っていた。未成はにこやかな顔で注文の品を受け取ると、早足で大希の座っているテーブルまでやって来た。
「やあ、待たせたね大希」
「いや。いきなり呼んで悪かったな」
大希はポテトを口に運びながら手を振る。脇に置かれた携帯は既にメモの準備ができていた。未成は白い画面になっている携帯をちらりと見遣った後、ゆっくり店を見回した。五十近く座席があるが、一人のサラリーマン、そして一組のブレザーを着たカップルが遠くに座っているだけだった。
「事件の話をこんなところでするの? って思ってたけど、大丈夫そうだね」
「ああ。夜は大体こんなもんさ。……じゃあ、早速話を聞かせてくれよ」
大希は携帯を構えながら息を潜めた。未成はもう一度周囲を窺うと、囁くような声でおもむろに話し始めた。
「ああ。遺体が消えた、なんて事を知らされた僕達は、ひとまず病院に行って、盗まれたような痕跡はないかって調べ始めたんだ。だけど、そんな痕跡は一つもない。ベッドなんか、それこそ寝ている人がそのまま消えちゃったみたいに小さく盛り上がっていたよ。現時点では、『盗まれてはいない』というのが結論さ」
大希が素早くメモを取りながら相槌を打っていると、未成は思い出したように手を叩いた。
「それでねぇ、そのせいで病院内は不思議な噂で持ちきりになってるんだ。『遺体が動いて姿を消した』、なんて」
「遺体が動いた……確かに、何の痕跡もなしに無くなったら、怪しく感じるのも無理ないか」
大希はあごをさすって唸ると、一つ前のメモを開いた。知人の話を丁寧に整理してまとめておいたそのメモだったが、やはり情報の奇怪さは変わらず、彼はメモを見ながらしかめっ面になってしまった。
「俺も色々調べてみたんだけど、こっちでも不思議な話を二つくらい聞いた」
「ふうん……一体どんな?」
大希の苦い顔を見た未成は、仰け反るようにしながら曖昧な笑顔を浮かべた。
「まずは昔お世話になったおばさんから、俺に似た人影が二つの場所で同時に目撃されたって話を聞いた。この話からすると、俺にそっくりな奴は少なくとも二人いることになる。で、後輩が土曜の昼に俺を見たって言ったんだ。でも、俺はその時寝てた。つまり、後輩は俺にそっくりな人物を見たってことだ。もうそいつは殺されているのに」
弾みそうになる声を何とか押さえながら、大希は早口で情報を並べ立てた。未成はそんな様子を見つめながら静かに微笑むと、コーヒーにミルクを入れ、ゆっくりとかき混ぜ始めた。
「その二つの話を総合すると、君に似た姿の人物は複数いる。なんてことになるね」
「ああ。そういうことさ。まあでも、未成はどう思う? この街に俺と双子みたいにそっくりな人物がいるってだけで驚きなのに、それが一人だけじゃないんだ。不思議だと思わないか」
大希は頷きながら、コーヒーを飲み始めた未成に向かってさらに尋ねた。未成はコーヒーを置くと、唸りながら鼻先をこすり始めた。
「まあ確かに、三人のドッペルゲンガーに会うと人生終わりなんて言い伝えもあるし、単なる偶然で片付けるには難しいくらい珍しい事かもね」
大希は頬が引きつった笑みを浮かべながら頷くと、ため息をつきながら携帯を取った。
「まあ、だからって『これは陰謀だ!』何て事は無いんだけどな」
大希はメモの文章をなぞって消していき、『遺体は盗まれていない。消えた。未成より』のみを残してメモを閉じた。そのまま携帯をしまうと、大希は深呼吸を二回繰り返し、ハンバーガーの包み紙を勢い良く剥がしてかぶりついた。
「まあいいや。明日も聞き込みだな。真相を知るにはもっと情報が必要そうだ」
「大希……刑事になった方が良かったんじゃないの?」
未成が呆れたように鼻を鳴らしながら苦笑すると、大希はもごもごと口を動かしながら首を振った。
「いや。興味本位で事件を調べるような奴は刑事になんか向かないさ。剣人みたいに、きっちり使命感を背負って働ける奴の方が似合ってるよ」
事も無げに呟く大希を、未成は寂しそうな瞳で見つめた。
「謙遜しなくてもいいのに。大希だって、ちゃんと使命感を持って仕事してるように見えるよ」
「いやいや。剣人には敵わないよ。外見も中身も伊達男だからな。約束も、あいつならきちんと果たしてくれるさ」
あくまで剣人を立てる大希に、未成はやはり光を失い鬱々とした目を向けるだけだった。
「さあて……明日はどこで聞き込みしてみるかな……」
帰り道の違う未成とは別れ、大希は家に向かってオフィスの蛍光灯がまばらになっている暗いビル街を歩いていた。もしかしたらとビル街の路地に目を向けてみたり、携帯のメモを見つめて唸ってみたり、とにかく彼は落ち着かないようだった。
そんな時、前方から白バイがやってきた。大希は無表情のままそのバイクを見送ろうとしたが、いきなりそのバイクは大希の側で停止した。彼は目を丸くし、手招きされるまま白バイの方へと近づいた。
「な、何ですか?」
「大希か? お前が大希だよな?」
ヘルメットで顔がわからなかったが、声は正しく健のものだった。大希はにやりと笑うと、やたらと戸惑った様子でいる健の肩を何度も叩いた。
「なんだ、健か。どうしたんだよ。『何事にも心揺すぶられないのがハードボイルド』だろ? その割には随分戸惑ってるな」
「……そりゃ戸惑うさ。ついさっき、向こうでお前がぼんやり歩いてるのを見たんだからな」
「おい、それ本当か?」
健が指差した方角を見ると、大希は目を見開きながら何度も健の肩を揺すぶった。バランスを崩しかけた健は慌てて大希を突き放し、姿勢やヘルメットを整える。
「やめてくれよ。嘘付くはずないだろ?」
「ああ。そうだ。確かにそうだ!」
大希は感情の高ぶりに任せて叫ぶと、健がやってきた方向に向かって走った。ビルとビルの狭い隙間に逐一目を向けながら、夜のビル街を走り続けた。そして九つ目の路地に差し掛かった時、ついに大希は『自分』と出会った。
「そんな、バカな……」
最悪な形だった。黒い作業服と思しきものを身にまとっている自分と瓜二つの青年は、のけぞるような形で不自然に立っており、その胸からは、鮮血が滴る刃物が飛び出していた。
青年は白目を向くと、そのままぐったりと動かなくなった。刃物がゆっくりと抜き去られ、彼は静かに倒れた。その背後には、黒いコートで全身を包み、フードの影で顔を隠した男がじっと立っている。大希は蒼白な顔になっていたが、それでも自分の職務は忘れていなかった。
「お前。一体何をしたかわかってるのか」
「……ああ。お前を殺していたのさ。今村大希」
蛇が鳴くような声で放たれた言葉に、大希は目を見開き、唇を噛んだ。
「どうして俺の名前を。……それに、『俺を殺した』ってどういうことだ」
「それは今のお前が飲み込みきれる真実じゃない。……そういえば、俺からの贈り物は読んだのか?」
「お前からの贈り物? 知らないな。……とりあえず、現行犯逮捕だ。大人しく捕まれ」
大希が一歩ずつ足を踏み出しながらドスの利いた声で迫る。しかし、男の不審で不可思議な態度は全く変わらず、その男は肩を少し竦めただけだった。
「やはりそれとなく置くだけでは読まないか。まあいい。なら今度は直接叩きつけてやるだけだ!」
大希が左手を突き出しながら駆け出すと同時に、男はナイフを懐に納めて飛び出した。男が右腕を振り抜き、大希は手刀でその右腕を叩き落とし、そのまま当身を食らわそうとした。しかし、男はいきなり五メートルほども飛び退る。すっかり狙いが外れ、大希はよろけた。それを逃さず、男は再び飛び出し拳を大希の鳩尾に叩き込んだ。
「……この!」
大希は一瞬息を詰まらせたが、すぐに男の拳を払って太ももを蹴りつけ、さらに左の拳を男の肩に叩きこもうとする。しかし、男は四メートルほども飛び上がり、その拳は空を切った。
「ただの人間が、俺をねじ伏せられるものか!」
男は急降下し、肩に思い切り手刀を振り下ろした。重い一撃に、大希は思わず膝をつく。そこを容赦せず、男は思い切り大希をビルの壁に向かって蹴り飛ばした。したたか壁に叩きつけられた大希は、震えながらその場に倒れこんでしまった。
「ちくしょう……」
「わかったか。今のお前じゃ俺には敵わない……大人しく俺の行動を見つめているんだな」
男は大希のそばに立つと、懐から何かを取り出し大希の頭に向かって落とした。それは大希の頬でバウンドし、暗い路地に落ちる。
「受け取れ。そして調べろ。そうしたら、お前は未だかつてなかったほど驚くはずだ……じゃあな。またどこかで会おうじゃないか」
男は身を翻すと、路地を颯爽と駆け抜けていった。大希は悔しさに顔を歪め、コンクリートに拳を叩きつけた。何とか起き上がった大希の目に、男が残していったものが目に入る。中心に日の出市のマークが刻みつけられた、白いUSBメモリだった。歯を食いしばりながらUSBを取り上げ懐に収めると、大希は俯きながら携帯を取り出した。