Fourth Period 遺体が消えた
大希と剣人が『旭日』で会った翌日、未成は同僚や上司と共に集めた現場の証拠を整理していた。広いデスクの上に写真を広げ、ああでもないこうでもないと会話しながら、現場の全景、足跡、死体の倒れている姿などをより分けてホワイトボードに貼っていた。
「こいつは参ったなあ……」
白髪交じりの鑑識課課長が腕組みをしながらため息をついた。目の前には血溜りを踏み分けた幾つもの足跡の写真があった。それらはサンダルの跡だったり、スニーカーの跡だったりと種類が一つに定まっていない。これでは靴から犯人を特定することができない。隣で見つめていた未成も上司に倣った。
「はい……興味本位で踏み込んでもらいたくないものですね」
「ああ。他に目立った証拠もない。これじゃ俺達の立場がないぞ」
二人が憂鬱そうな顔でそんなやり取りをしていると、いきなり同僚の一人がドアを慌ただしく押し開けて課に駆け込み、息を切らしながらいきなり叫んだ。
「大変です! 解剖を待っていた遺体が病院から逸失したそうです! 」
「何だと!」
人々は写真などをより分ける手の動きを止め、一斉にその青年の方を見た。彼は相当慌てていたらしく、今も肩で息をしている。そんな青年のもとに近づき、課長は静かに尋ねた。
「それで、病院からは何と?」
「はい……すぐに病院に行って、遺体の行方を追ってほしいと……」
課長は部下たちの方に振り向いた。彼らも目尻をつり上げ、真剣そのものの眼差しになっていた。
「聞いていたな? 今すぐ日ノ出市総合病院へ向かうぞ。まずは我々で事態の把握に努めるぞ」
「はい!」
人々は慌ただしく上着を着ながら課を飛び出していく。そんな人々の背中を、未成は腕組みをしながらじっと見つめていた。
「こんなことになるのか……」
どこか思いつめたような表情で一言呟いた彼は、静かに同僚たちの後を追った。
その頃、大希はちゃぶ台を前に座り込み、日ノ出市の地図を広げていた。そして、彼は剣人から受け取った目撃情報を元に赤いバツ印を付けていく。その距離は、歩いて移動するには相当無理のある距離だった。大希はため息をついて赤ボールペンを投げ出した。
「ううん……こいつは何を考えていたんだ……」
大希は思わず独り言をつぶやいた。地図で示された被害者の経路は、全く一貫性がなかった。東西南北適当にほっつき歩いていて、どこかへ向かっている様子がない。大希は腕組みをして黙りこみ、地図をじっと睨みつけ始めた。
そうして思案の海に飛び込んでいる大希を、携帯の着信音が引きずり上げた。その甲高い音に大希ははっとなり、焦って携帯を手に取った。
「はい。い、今村です」
『ねぇ、大希聞いてよ!』
大希が舌を噛みそうに応対すると、名乗りもせずに女の声が携帯から鋭く飛び出してきた。思わず大希は耳から携帯を遠ざけ、苦々しげに口を歪ませた。
「なんだ、さくらか。いきなりどうした」
『大希、聞いてよ! 剣人と今日はデートのはずだったのにいきなりおじゃんになっちゃったの! そのくせ私には、ごめん、仕事が入った。だけよ! ひどいと思わない?』
さくらと呼ばれた女は、またも声を張り上げて矢継ぎ早に文句を並び立てた。よほど感情が昂ってるのか、大希は携帯を腕いっぱいに遠ざけなければやかましくて仕方ないほど彼女は喚いていた。
「うるさいなぁ。お前らしくないぞ。欲求不満か?」
『むう……』
冗談混じりの軽い口調で尋ねた大希だったが、どうやら図星のようで、さくらは唸って黙り込んでしまった。大希は電話を前に肩をすくめると、落ち着き払った様子でさくらに話しかけた。
「仕方ないだろ? 俺達は『有給取ります』って休めるような仕事じゃないんだから」
『わかってるよ。だから大希に愚痴ったんじゃん』
「なんじゃそりゃ。俺はサンドバックとおんなじ扱いかよ……まあいいや。で、剣人はその事件についてなにか言ってなかったか?」
『え? うーん……』
大希が辟易して頭を掻きながら尋ねると、さくらは一瞬考え込んだ様子を見せ、記憶をたどたどしく辿っているような口調でゆっくりと答え始めた。
『えっと……確か、この前の通り魔事件の遺体が病院からなくなったから、探さないとならないって』
「は? 遺体が消えた?」
『うん。盗られたのかも、って剣人は言ってたけど……』
さくらは曖昧に言葉を濁した。続きを言うことに迷っているようだった。大希はペンを取ってくるくると回しながら、彼女が濁した部分をそっと引き取った。
「遺体なんて誰が盗むんだ? ってことか」
『そう。……だからといって、ひとりでに消えちゃった、なんてことも考えられないんだけどねぇ』
さくらの呟きに、大希は不審な表情を浮かべ、ペンの尻でこつこつちゃぶ台を叩き始めた。
「ああ。さくらの言う通りだな。……わざわざ遺体を盗み出して何になるんだ……わかった。ありがとうさくら。色々助かったぜ」
大希が小さく微笑みながら礼を言うと、さくらは慌てた声を上げ、丸く滑らかな声色から、いきなり強い語調に戻ってしまった。
『え、ちょっと待ってよ。ここで電話を切る流れ? 私まだたくさん大希に聞いてほしいことがあるんだけど』
「別に俺に言わなくたっていいだろ。剣人だって夜にはヘトヘトになりながら家に帰るさ。その時呼びつけてやって、ベッドの上で労ってやればいいじゃないの」
大希がにやにやしながら彼女はいきなり猫が威嚇するような声を上げた。
『くうう! ……へいへい。そうですかそうですか。是非ともそうさせてもらいやす!』
喚くだけ喚くと、そのままさくらは乱暴に電話を切ってしまった。大希は痺れたようになった耳を押さえると、深々とため息をついた。
「発情したメスほど怖い奴はないな……まあいいか」
大希はゆっくりと携帯を充電ボックスに戻すと、顎をさすりながら地図をじっと見つめ始めた。
「俺に似た遺体が見つかって、そしてその遺体は消えてしまった……」
大希の表情は真剣そのものだったが、その目には強い好奇心の色が浮かんでいた。