29th Period エピローグ
小鳥がのどかに鳴き、柔らかい日差しが窓から差し込んでくる。冬日でも暖かく、大希は心地よく目を覚ました。しかし、彼は温もりの名残惜しさに布団を全身に引っ被ろうとする。
しかし、大希はすぐさま異変に気が付いた。布団が何かに引っ掛かるのだ。そもそも、肩が生暖かいものと触れ合っている。大希は寝返りを打つ。するとそこには、どこか嬉しそうな表情で、家猫のような雰囲気の女が身を丸めて寝ていた。
「うわっ!」
大希は布団をはね飛ばして起き上がり、半ば呆然と女の姿を見つめた。今だ寝ぼけているようで何が何だかわからない様子の大希であったが、目の前の美人を見つめているに従って、その目の光ははっきりする一方、どこか呆れ顔になり始めていた。そんな時、ようやく女は起き上がった。
「……おはよう大希。それにしても、うわぁ、って何? うわぁって」
栄花はいつも通りににやりと笑うと、布団の上で正座している大希の肩をせっついた。
「あ、いや。……ちょっとびっくりして」
「びっくりって……もう一週間でしょ。慣れてよ」
「……慣れられるわけないだろ。一ヶ月消えてたと思ったら、いきなりやってきて『住む場所ないからここに置け』、なんて」
大希は特大サイズのトランクを漁り始めた栄花をじっと見つめ、ややうんざりしたような口調で返す。彼女はウールのベストを手に取り、口を尖らせながら振り返った。
「いいじゃん別に。文句は無いって言ったじゃん」
「そうだけどさ……色々な手順がすっ飛んでるじゃんか。デートだって今日が初めてなのに……」
「恋にマニュアルなんかございませんよ。同棲から恋は始まっちゃダメなんですか?」
「いや、それは……」
口先だけはませている栄花は大希を言い込めてしまい、あまつさえその目の前で寝巻き代わりのトレーナーを脱ぎ出してしまった。耳まで真っ赤にし、大希は咄嗟にそっぽを向いて叫んだ。
「ほら、そうやっていきなり目の前で着替えださないでくれよ!」
「いいでしょ。全部脱ぐわけでもないんだし。それに、見て損したとは思わないんでしょ、どーせ」
ブラウスに袖を通しただけの姿で、栄花は大希の背後に迫る。彼は悄然と肩を落とした。
「そ、それは……」
「でしょ?」
妖しく微笑む栄花を横目にして、大希はすっかり気圧された調子で肩を竦めた。
「……でも、一応それなりの恥じらいは持ってほしいというか……」
ブラウスのボタンを留めながら鼻を鳴らすと、栄花は全く大希の言葉を顧みずにスウェットを脱いだ。
「ふうん。ま、諦めて。私そういう人間じゃないし」
ちらりと栄花がジーンズに足を通す姿を見つめ、大希は再び目を逸らして肩を落とした。
「あぁ。そうだな……」
大希はすっかり諦め、無造作にタンスを開けて洋服を漁りながら栄花の方を全く見ずに尋ねた。
「で、今日はどうするんだ。俺が非番の日、どっか行きたいって言ってたろ」
「そうそう。今日は日ノ出大学付属総合病院に行く予定だから」
「剣人のところか? いいけど、何でまたそこに行きたいんだ?」
そろりと振り返ると、栄花は既に着替えを終え、銀色の大きなケースを大希に向かって見せつけるように突き出していた。
「ちょっと今日は大切な用事がありまして」
一方、剣人の病室には早くからさくらが来ていた。コートを脱ぎながら、彼女はミステリを読みふけっている連れ合いを見つめる。今日から妻となる女性がやってきたというのに、剣人はページを繰る手を全く止めようとしない。本を読みだすと、いつも彼はこうなってしまう。さくらはがっかりして顔をしかめ、つっけんどんに話しかけた。
「剣人、今日婚姻届出してきたから」
「ああ」
うわの空の反応に、さくらは目を細くする。鋭い視線には全く気づかず、剣人は頷いたりため息をついたりしながら本に没入していた。さくらは眉根に僅かなしわを寄せ、さらに声を張り上げる。
「今日から私は正式に柳さくらってこと。いい? わかってる?」
「もちろん」
さくらは口を尖らせ、小さく唸った。剣人はそんなさくらに一瞥すらくれてやることなく、やはり本を読み続けていた。さくらは立ち上がると、いきなり本を取り上げる。
「うわっ! 何すんだよいいところなの――」
「いいところ! 何よ、現実に目を向けなさいよ! 私の話をちゃんと聞いてた? さっき婚姻届を出してきたんだって!」
さくらの攻勢に押され、剣人は彼女から目を逸らしながら他を指差す。
「まあまあまあ。病室、病室だぞここは」
「うるさい! もうちょっと感慨深くしてくれたっていいのに。私より本のほうが大事?」
剣人の両頬をつまみ上げ、さくらは好き勝手に引っ張り回す。困ったような目をして、剣人はさくらの頬の引きつった笑顔を見つめた。
「ごめん、ごめん。許してくれ」
さくらの肩に手を置いて、剣人はゆっくりと彼女を引きはがす。そのまま椅子に座らせると、剣人は枕の横に放り出された本を取り上げ、表紙をさくらの前に突き出した。
「……俺も考えてたんだよ。義足で警察官やっていくのは難しいだろ。蹴られて壊れたらお終いだ。でも、こんなところで約束を降りるなんてわけには行かない。……さくらには迷惑をかけるかもしれない。でも、俺は、探偵として、この街の治安維持に関わりたいと思ってる」
剣人は探偵モノの本をテーブルに投げ出すと、伸びをしながらベッドに寝転んだ。さくらは口を尖らせるのをやめ、柔和な表情で彼の面持ちを見守る。
「爺さんや親父みたいにはいかないと思って避けてたけど……やっぱり柳はとことん探偵業に縁があるんだろうな」
観念したような口調に、さくらはにっこりと笑った。
「そんな事ないよ。あの時だって、バッチリ解決してたじゃん」
「探偵の仕事って、ああいうんじゃないんだけどな」
彼が頭を掻きながら微笑むと、さくらは腕組みをして何度も力強く頷いていたが、突然相好を崩し、思いついたように口を開いた。
「じゃあ、私も警察辞めようかな」
剣人はしたたか衝撃を受けて、あんぐり口を空けたままさくらの天真爛漫な笑顔を覗き込んだ。
「はぁ? いきなり何言ってるんだ、お前」
「明智探偵の横には、文代夫人がいるじゃない? 柳探偵の横には、さくら夫人がいなきゃ」
「むむ……。まあ、貯金はそれなりに作ったし、依頼がちょくちょくあれば、何とかやっていけるか……? でもその代わり、新婚旅行はなしだぞ」
剣人がそう言った途端、さくらは目を丸く見開き、子猫のような声を上げながら剣人にしなだれかかる。その様子に耐えきれなくなったか、周囲三つのカーテンはいきなり閉め切られてしまった。
「ええ? ハワイ行きたいよお」
「ふざけるな。義足のお金だってかかる。開業費用だってかかる。いくら退職金が出るのかは知らないけど、それだけで軽く吹っ飛ぶぞ」
「むう……まだまだ景気はよろしくないねえ……」
さくらは不満そうに小さく唸る。剣人にしても、さくらとの新婚旅行は夢に見ていただろう。その顔は少々曇っていた。
「義足のお金は心配する必要ないわ」
その時、扉が開く音と共に栄花の声が二人のところまで飛んできた。二人は反射的に入り口の方に目を向けた。そこには、デートに行っているはずだった大希と栄花、そしてその後ろに健と理加がいた。何やら大荷物を大希に持たせ、栄花自身は大手を振って二人の方までやってくる。
「何だ? 今頃お楽しみだと思ってたのに」
「栄花が今日は病院に行きたいって。理由もごまかしてばっかりで教えてくれないんだ」
栄花にケースを手渡しながら、大希はやれやれと肩を竦めた。剣人は首を傾げると、そのまま健の方に向き直った。
「健は?」
「別に。見舞いに来たんだよ。ほら」
無造作に突き出された紙袋を両手で受け取ると、剣人はすぐに中を漁る。そこから出てきたのは、どれもこれも封が切られたジグソーパズルだった。
「パズル?」
理加は剣人の表情を恐る恐る窺いながら頷いた。
「健が、剣人くんはパズルが好きだって言ってたから。お古だけど、使ってくれたら嬉しいな……と思って……いや、新しい方がいいよね、普通」
声が先細りになってしまった彼女に、剣人はパズルを振りながら優しく笑いかけた。
「そんな事ない。物を大切にするのはいいことだからな。それに、退屈してたところだから助かったよ」
「そう? 良かった……」
理加がほっと胸を撫で下ろしているうちに、栄花はケースの中から白い人の足を取り出した。いきなり飛び出してきたものに、五人はぎょっとして栄花の方を見る。ややあって大希は義足だと気づき、じろじろと覗き込んだ。
「栄花、何で義足なんか持ってんだよ?」
「そりゃあ、今から付けるからに決まってるでしょ?」
「はあ?」
平然と答えた栄花の顔を、周囲は奇異の目で見つめた。栄花は義足を両手で抱えたまま、口を軽く尖らせて見つめ返す。
「何よ? 何にもおかしいことは言ってないでしょ? 剣人さん、この前見舞いに来た時に測ったじゃない」
「へ? ……ああ、そういやそうだったっけ? やる意味がわからないから覚えてなかったよ」
そう言いながら、剣人は頭を掻く。実は先日、ふらりと栄花が現れ、いきなり左足の写真を取ったり、左足の重量や寸法を測ったり、様々なことをして帰っていったのだ。栄花は楽しそうに笑いながら、剣人の前に白い義足を突き出した。
「運の良いことに、剣人さんの足とほぼ一致する型の義足が、私が属していた研究チームでできてたのよ! 私が生きてきた世界でも最新鋭のものよ。……どう? つけてみない? 貰う代わりに、データはこっちに送れって先輩に言われてるんだけど、それを呑んでくれるなら謝礼として毎月一万円出すよ。神経電流を取り上げて解析し、本物の足と違わない動きをなめらかに再現できるの。ネックはバッテリーだけど、それも日常生活する分には支障なし! どう? つけてみる気になった?」
バナナのたたき売りのように迫ってくる栄花に押し切られ、剣人は耳を塞ぎながら小刻みに頷く。
「分かった分かった! 栄花がそこまで言うならつけてみるって。なんか胡散臭いけどな。これとか」
彼は顔をしかめながらすね部分に取り付けられたトリガー、膝についたダイヤルを指差す。さくらは興味津々にそれを覗き込むと、にこにこと剣人に笑いかけた。
「まあいいんじゃない? 何だかロマンがあって面白いと思うよ」
栄花は指を鳴らし、にやりと笑ってさくらの胸元を指差した。
「さっすがさくらさん、話がわかるじゃん。さあ剣人さん、右足出して」
「あ、ああ……」
剣人はもう言われるがままだった。右足の裾を捲り上げ、切断面が癒えたばかりの右足を見せる。生々しいその跡を見て、理加はほんの少し顔を曇らせた。一方の栄花は希望に目を輝かせ、丸く繰り抜かれたような形をしている義足の接続面を、剣人の右足に嵌め込んだ。
「痛ってえ!」
剣人はいきなり悶えた。栄花はそれを押さえつけ、不敵に笑いながら首を振る。
「動いちゃだめ。今右足の神経と義足の配線を接続してるの。少ししたら治まるから、それまで我慢して」
「何だよ……いきなりひどい目に遭ってるじゃないか」
剣人は文句を口走りながら大希の方に目を向けた。彼は自分の彼女の蛮行から目を逸らし、知らぬ存ぜぬの態度を決め込もうとしていた。健の方に目を向ける。同情するような目を向けてはくれたものの、結局は肩を竦めただけだった。剣人はついに諦めうなだれた。
「そうだな。楽になってきたよ」
うんざりと呟いた剣人のことなど気遣う様子もなく、栄花は義足のダイヤルを回して話しかけた。
「さあ剣人さん、試しに右足の親指を動かしてみて」
「ん? ああ……こうか?」
剣人は右足の親指を凝視する。すると、義足の指は造作もなく動いた。年柄にもなく、剣人は思わず声を上げて驚いてしまう。
「おっ! 本当に動いた……」
「接続面の摩擦は最大限減少させる作りになってるから、今から歩き出しても大丈夫だよ」
剣人は栄花に導かれるようにベッドを降り、静かに立った。何気ない動作にも義足は反応し、普段と全く変わらない動きで剣人は病室に立っていた。いよいよ義足の良さに気が付き、剣人は目を丸くして自分の右足となったそれを見つめた。
「すごいな……本当にすごい。走れるんだよな?」
剣人がわくわくと胸を弾ませながら尋ねると、栄花は肩を竦めながら答えた。
「まあね。このダイヤルをここに合わせれば、全速力でも走れるよ。四時間だけ」
栄花はダイヤルの一番左にある『4』の目盛りを指差した。剣人は唖然としてオウム返しにする。
「四時間! おいおい、日常生活って四時間生活か?」
「安心して。歩くだけならこのダイヤルを『1』に合わせておけばいいし、それなら二十時間持つよ。全速力で走ろうとしたら、反応感度を高めるための消費電量が増えちゃうんだよね。あ、電力で思い出した。充電は家庭用コンセントでできるんだ。これがアダプターね。ついでに説明書もあるよ」
栄花は通販番組のような手際の良さでケースからアダプターと説明書を取り出した。義足に向け続けていた目の輝きを小さくして、理加は苦笑しながら小さく呟いた。
「何だか急に俗っぽくなったね……」
「そりゃあ俗ですよ。世界シェアを目指してるんですから。私の開発した物で、みんな笑顔になってほしい。それが今の夢なんです」
栄花はにっこりと笑う。その目は、夢に溢れて輝いていた。大希は眩しそうに目を細め、その笑顔を見つめる。
「未成は帰って来られないって聞いた時のお前はどうなることかと思ったけど、もう大丈夫みたいだな」
「うん。……私も『約束』したからね。悲しんでばかりじゃないで、ちゃんと前を向いて、笑って生きていこうって。それに、大希の話がほんとなら、来栖先輩は、きっと私達の事見守ってくれてるから……だから、ちゃんと幸せになって、笑顔を見せてあげないと……大希、これからもよろしくね?」
栄花は上目遣いで大希の顔を窺う。しばらく目を丸くしていた大希だったが、すぐに満面の笑みを浮かべ、力強く頷いた。
「ああ。もちろんだ」
日ノ出市。その名に違わず、東の海岸の向こうに昇る朝日が美しい街だ。その朝日を浴びて人々は気持ちの良い朝を迎え、そして一日に赴く。それを、街の中心に立つ白い鉄塔はいつも見守っている。原子の力で動く時計を掲げ、果ては量子の力で思考するようになりながら、今も未来も、日ノ出の『時計塔』は、人々の営みをじっと見つめ続けている。
これが、未来と現在の日ノ出市が交差して巻き起こった出来事である。




