27th Period タイムマシン
数分の後、栄花の手によって日ノ出市のガーディアンへと様変わりし、そこら中をせわしなく動き回っているシロアリを見つめながら、大希と未成は時計塔へと続く道を静かに歩いていた。
「百年もあったら、こんなロボットがじゃんじゃん作れるようになるのか」
整列して一糸乱れぬ動きを見せるシロアリ達を見つめながら、未成は大希の呟きを聞いて頷いた。
「まあね。サイバー兵器は百年で培った技術の結晶さ。検査もほとんどしないで実戦に突っ込んでるから、決戦兵器にはなりきれてないけどね。……僕達の世界には必要ないものだし」
「未成の世界には、戦争ってないのか?」
「戦争する事が愚かしいことだっていう共通認識が浸透してるから。戦争してる暇なんかないってね」
「そうか……大変な思いしてきたんだろうしな……工藤がいるぞ」
大希は時計塔の方を指差す。その先には、腕組みをして周囲を見渡している工藤がいた。
「工藤、待たせて悪かったな」
大希は駆けながらその名を呼ぶ。彼は崩れた建物、無事な建物を交互に見比べ、そして時計塔を見上げながら軽く肩を竦めた。
「いざという時に決意が鈍られても困るからな。大丈夫なのか?」
「ああ。まあ何とか……どうした?」
いつまで経っても時計塔ばかりを見つめている工藤を、大希は訝しげな目で見つめた。かれは大希の方にちらりと目を向けると、再び時計塔に視線をやった。
「百年前は、ただの鉄塔だったんだな、なんて思っていたんだ」
いたくセンチメンタルな響きのある呟きに、大希はさらに目を細くして工藤を窺った。工藤はため息をつくと、ゆっくりと大希の方に振り向いてタブレットを手早く操作し始めた。
「まあいい。準備ができているなら行くぞ。『マザー』はすでに準備を済ませている」
「準備?」
目の前までやってきた大希がオウム返しにすると、工藤はタブレットを開き、大希の前に突き出す。その画面にあったのは、白を背景にした、人の顔を模したようなシルエットだった。
『君が今村大希ですね。来栖未成から幾度か連絡を頂いております』
大希はそのシルエットを食い入る様に見つめ、静かに頷いた。
「ああ……お前が『マザー』、なのか?」
『その通り。詳しい話はまた後でしましょう。まずはこちらへ……』
言うやいなや、いきなり周囲が霧に包まれた。その光景に戸惑い大希が目を奪われた瞬間、縄で引きずられるような感触が大希を襲う。思わず膝をついてしまったが、何とかこの強い引力に抗おうとする。だが、未成は構わずずんずんと引力に抗わず突き進み始めた。
「大希。この力に抗っちゃいけない。引っ張られるままにして」
「あ、ああ」
大希は立ち上がると、素直に、引っ張られるがままに駆け出した。
「大希! 目の前に黒い空間が見えたら、そこに迷わず飛び込んで!」
大希は顔を上げる。霧の中、まさに暗い空間が今まさに広がりを見せ始めていた。大希は毅然とその空間を睨みつけると、脇目もふらずに飛び込んだ。
しばし暗闇に漂い続けていた大希は、いきなり外界に押し出された。よろめきながらも、何とか転ぶことだけは踏みとどまる。安堵の溜息を漏らしながら、大希は周囲を見渡した。白く輝く塀に囲まれた円形の空間で、間近に大きな鉄塔が建っている。じっと見つめていると、いつの間にやらそばに立っていた未成が声をかけてきた。
「気がついたかい?」
大希は未成の方に振り向く。小さく頷くと、再び興味深そうに周囲を見渡した。
「未成、ここが……未来の日ノ出市なのか?」
「そう。本当の意味で『時空都市』に変わった、日ノ出市だよ」
それを聞きながら、大希は改めてあのサイバー兵器群と同じ白の巨塔を見上げる。展望台と思しき部分には、スクリーンのようなものが備えつけられていた。
「百年経って、時計塔はあんな風になるのか……」
大希がじっと時計塔を見つめていると、そこへ繋がる大きな鉄扉が開き、奥から工藤が姿を表した。こちらに向かって歩み寄りながら、工藤は親指で背後の時計塔を指で差し示す。
「そうだ。時計塔は五十年の時をかけて次々改造を施されていった。原子時計に始まり、今のサイバー兵器にも使われている、フィクションを現実にした『ミスリル合金』で鉄塔をコーティングし、果てには最新鋭のテクノロジー、『量子コンピューター』がセッティングされた。それが――」
いきなりスクリーンが白い光で満たされた。思わず見上げると、先ほどタブレットに浮かび上がっていた黒い影が浮かび上がる。それは、全てを包み込む柔らかい音声で工藤の言葉を継いだ。
「私、『マザー』と呼ばれた量子コンピューターなのです」
工藤は肩を竦めると、『マザー』を見上げてにやりと笑った。
「さあ。この二人がお前の罪を濯いでくれる。二つの世界は平行になり、全て助かるだろう」
マザーはああ、と声を上げ、二人を見つめるような動作をした。
「あなた達が、『特異点』なのですね。……私の愚かな失敗のために、こんな事態を招いてしまった。今も私は悔い続けております……」
未成はうつむきながら、右手を小さく挙げた。二人の視線が注がれ、マザーも未成に注目する。
「あの……工藤さんは罪、『マザー』は失敗といいます。あの事故の事ですよね? 原因は様々な憶測が飛び交ったまま、結局はうやむやになってしまったと言います……隠されたままというのは、どうにも納得行きません。本当の所を私達に教えてくださいませんか」
「だとよ。それが道理だ。包み隠さず全てを教えてやれ」
マザーはすぐさま工藤の言葉を了解した。深呼吸の代わりに電子音で周囲を満たし、マザーは静かに話し始めた。
「私はあなた達と同じく、感情を持ち、思考しています。それは……私が不完全であるが故です。私には致命的な欠陥がありました。それを補うため、私は常にシステムをリアルタイムで組み直すように調整されて何とか作動し、思考を始めるに至りました。ですが、どのコンピューターにも及びのつかぬ演算機能を組み込まれながら、やはり不完全で不安定なことには代わりがなかったのです」
マザーは一旦そこで言葉を切ると、静かに電子音を響かせた。数秒ほど沈黙したそれは、再び話し始める。その声は、わずかに明るい色を帯びていた。
「しかし、私はその不完全で不安定、事あるごとにシステム同士の連携を組み直すことで生じる揺らぎこそが、『感情』へと繋がるものだと知ったのです。怒りや喜びを覚え、私は『感じる』という事を学習しました。計算によらぬ不安定な思考。感情を私はわずかながらに解釈するようになったのです」
再び電子音が響き渡る。『マザー』の感情が移り変わっている合図だった。電子音が鳴り止んだ時、今度は悲しみを帯びた声でマザーは話し始める。
「ですが、私が『感情』を持つに至ったのは結局世界全体に不幸をもたらしただけでした。ある時、私は一三七番元素を用いたタイムトラベルの方法についての考案を私の製作者より求められました。それは彼が終生願ったことですから、私は懸命に、ありとあらゆる可能性を当たりました。しかし、結局判明したのは、どうあがいてもタイムマシンは実現できないという厳然たる真実だったのです……」
大希はぼんやりとマザーの言葉を聞き続けていた。マザーはうなだれるような仕草を見せると、声のトーンをさらに下げて続けた。
「ですが、私にとって、その事実を知らせることは自身に異常を来たすほどに苦しい事でした。……そして、私は『嘘をつくこと』を知ってしまったのです。私は一番それらしい手法を選択し、彼に提示しました。私が嘘をつくような愚か者だとはつゆほども思わず、彼は大喜びしました。その場をごまかすに過ぎぬ嘘をついた罪の意識も忘れ果て、私も同じように喜んでいました」
マザーの声にノイズが入る。それは、確かに泣いていた。
「自信たっぷりに、彼は私の提示した手法を全世界に向けて発信しました。それに飛びつかぬ先進国はありませんでした。タイムマシンを実現するだけの資金と技術を持った国は、こぞって建造に明け暮れました。私の製作者はそこに災いの種を感じ取りました。この開発競争が再び国家間に摩擦を生じるのではないか……と。そして彼は提示しました。『全ての実験を、同時に行いましょう』と」
事の真相を聞き、未成は唖然としてマザーを見上げていた。彼女は深々とため息をつくと、絞りだすように続けた。
「私は高をくくっていたのです。『どうせ失敗したところで、単にタイムワープができない程度だろう』と。あるいは、彼だけが一番乗りで実験をしていたなら、今しがた言った通りで済んだのかもしれません。ですが、全世界で同時に実験が行われた結果、この通り世界は一気に崩壊し、今再び崩壊の危機に瀕しているのです……これが真実です。来栖未成さん」
全てを知った未成は、血の気のない顔でマザーを見上げていた。その目の決意は鈍ってはいない。しかし、その視線が大希の方に移った時、彼は苦渋な表情を浮かべて拳を握りしめた。
大希は顔に感情を取り戻していた。怒りとも悲しみともつかない鈍い光を瞳に宿して、大希はマザーを見上げた。
「俺達を消そうとしたお前のことは許せない。けど、お前を責めたって、今更こんな状況が良くなるわけでもないしな……俺は改めて世界のために全力を尽くす。自分にしかできない事なら、なおさら」
未成は責任感に溢れた親友の表情を見つめた。驚きと呆れで険しくなっていた表情を緩め、ふと息をついてマザーの方に目を戻した。
「僕も大希の決意に従います。時は一刻を争うはずです。あなたも罪の意識があるなら……私達をしっかりとバックアップして下さい」
モニターのシルエットは、静かに頷いた。責任感を帯びた強い口調で、マザーは話し始める。
「もとよりそのつもりです。あなた方が今いらっしゃるのは南の『次元間転送装置』です。只今準備を進めております。……三十分後、北の『タイムマシン』に来てください。そこでまたお話ししましょう」
そう言って、マザーはモニターを消した。工藤はため息をつくと、首を捻りながら歩き出した。
「だとよ。俺は先へ行ってる。……まあ、お前らは適当に時間を潰してくればいいだろう」
遠くなっていく工藤の背中を見つめながら、未成はぽつりと大希に話しかけた。
「大希、一緒に時計塔の展望台へ行こう。見せたいものがあるんだ」
その頃剣人の病室に、栄花が訪れていた。
「失礼します。……いきなり、私に何の用事ですか?」
栄花は僅かな警戒心を見せながら、病室にゆっくりと足を踏み入れていく。剣人は、腕を枕にしてベッドに寝転び、穏やかな顔だけを栄花に向けた。
「ああ、君が『栄花』か。……なるほど。惚れにくい大希も一発で落ちるわけだ。この顔じゃ……」
「い、いきなり何ですか。下らないこと言ってないで、質問に答えてくださいよ」
「ああ、すまない。大希が惚れた女が一体どんなもんなのか、ちょっと確かめてみたくなってな。大希の母さんは避難中だし、代わりに見定めてやらないとさ」
剣人を始めとした友人達が柔和な表情で頷くのを見て、拳を握りしめた栄花は眉根にしわを寄せ、唇を震わせる。
「下らない。大希はもう……帰ってこないのに……」
「『かもしれない』よ。訂正して」
困ったような笑みを浮かべたさくらが小さな声で指摘すると、栄花は目に涙を溜め、今まで何とか保ってきた緊張をかなぐり捨てて叫んだ。
「何を言ってるんですか! 身体が消えちゃうって言ってるんですよ! そんなところからどうやって戻ってくるっていうんですか! ……私には信じられません。大切な人が死にに行こうとしているのに、そんな穏やかな顔をしてるのか……」
「栄花。俺達は……俗にいう絆だけで結ばれてるわけじゃないんだよ。俺達は十歳の頃に、五か条の約束を交わしたんだ。それは俺達の中で絶対だ。……それを守ってやるのが、あいつに対する礼儀だと思ってるからさ」
「約束……?」
栄花は唇を噛み締め、非難の目つきで剣人達を睨んだ。剣人はため息をつくと、天井を見上げ、本を一ページ一ページめくるように語りはじめた。
「そうさ。……大希、俺、健、さくらの四人は十歳の頃に誘拐されたんだ。身代金目当ての外国人グループだった。さくらは社長の娘だったから、付け狙われていたんだろう。言葉がわけわかんなくて、本当に怖かった。……そして、俺達は海辺の倉庫の一角に閉じ込められた」
栄花は目を見開いたまま、呆然と剣人を見つめていた。彼は顔をしかめて息をつく。
「けど、そのグループが電話をかけようと一息ついた瞬間に、一人の警察が倉庫に飛び込んできたんだ。それが大希の父親、今村竜将さんだった。竜将さんと友達だった親父が『最強のおまわりさん』なんて冗談交じりに言ってたけど、本当だったよ。そのグループ全員を相手取って大暴れ。奴らはむきになって竜将さんを追いかけた。……そしてその間に、大希が『おやっさん』って慕ってる、広田憲剛さんがこっそり俺達を助けに来てくれたんだ」
剣人が言葉を切ると、さくらは俯き、健は嘆息した。栄花はその重苦しい空気に押され、すっかり悄然として小さくなっていた。
「けど、あと一歩、というところでその作戦は上手くいかなかった。何とか外へ逃げ出そうとしたところを気づかれたんだ。グループはやけになって、俺達に向かって発砲した……でも、竜将さんがその射線上に立って庇ってくれた。そしてそれが、致命傷になった。それでも竜将さんは、意地で外国人グループを全員取り押さえたんだ。格好いいったら無かったよ……でも、まもなく竜将さんは死んでしまった……そばに駆け寄った俺達に、『助かったんだから笑いなさい』って、それだけを言い残して……」
剣人は顔色を曇らせると、声のトーンを落として続けた。
「でも……竜将さんはヒーローになれなかった。『単なる一巡査の暴走』として扱われたんだ。上の指揮の元で安全に解決できた事案だってね……広田さんも干されて、二十年以上勤務していても、能力はあっても、未だに巡査さ。そんな扱いのせいで、余計に大希は塞いだよ……そんな、大希がずっと暗いままだった時、竜将さんの手記が見つかったんだ」
わずかに剣人の顔が明るくなった。再び顔を上げると、希望がにじみ出る口調に変わる。
「周りがなんと言おうと、竜将さんは俺達のヒーローだ。だから、俺達は決めた。竜将さんが大希に、俺達に内心望んでいた四つの願い、そして、最後の遺言を含めた五カ条で、竜将さんの遺志を継いでいこう、ってな。『生きてる限り笑顔を忘れない』『一つの信念を持つ』『困っている人に必ず手を差し伸べる』『罪を憎んで人を憎まず』……『日ノ出市を愛して、守る』、この五つの誓いを果たして行こうって、俺達はずっとやってきたんだ」
剣人は静かに目を伏せると、拳を固く結んで、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……大希は今、全力でその誓いを果たそうとしてる。してくれてる。……そりゃあ、俺達だって止めたいさ。けど、止めたところで何になる。お前達のやったことを憎まず、消滅の危機に瀕して悲鳴を上げている人を救うために、そして日ノ出市を絶対に守るっていう信念を持って行ったんだ。俺達に、『生きてるんだから笑え』っていう原則まで突きつけてな。……それで行くななんて、俺達のわがままじゃないか。だろ、栄花」
剣人は小さく微笑みながら栄花の方を見遣る。栄花は既に涙を零していた。隊服のズボンを握りしめ、俯いたままで声を必死に絞りだす。
「でも……やっぱり嫌です……私は大希に行ってほしくなかった……」
さくらはとっさに顔を上げ、真っ赤な目で栄花を見つめながら首を振った。
「こらえて。もう、大希の運命は私達の手から離れちゃったみたいだから……もちろん、私達が大希に『死ね』なんて言えない。でも……『死なないで』とも言えない……全部、大希が決めることだから……」
「わかってます。わかってますけど……残していくより、残される方がずっと辛いから……」
健は顔を強張らせ、ぎこちない仕草で目をこする栄花の方に向き直った。
「お前が、それを言うのか? お前だって……大希を残していこうとしたんだろう?」
「……自己中心的な考えかもしれません。でも、でも、嫌なのは嫌だから……」
ついに栄花はしゃくり上げ、堰切ったように涙を溢れさせた。それを見た瞬間、さくらの目にも涙が浮かび始めてしまう。さくらは必死に目をこする。
「泣かないでよ……約束、結び直したのに、守れなくなるでしょ……」
「でも、だって……」
「くそ……こんなところで泣いたら、ハードボイルド、いや、男でもないってのに……」
ついに健までもが涙を零してしまった。共に涙を浮かべながらその肩を擦る理加、二人ですすり泣いているさくらと栄花を一人ずつ見つめ、剣人はただ一人顔を引き締めたままでいた。
「……大希、やっぱり、是が非でも帰ってこなきゃダメみたいだぜ……」
外は激しく風が吹き荒れ、雲が次々に形を変え続けていた。
「大希、これを見てよ」
「……これは、もしかして、全部街だったところか……?」
大希は、未成とともに日ノ出市を取り囲んでいる荒野を見つめていた。ところどころに大小の四角穴が空き、退廃した雰囲気を醸し出している。未成は深く息を吐き出し、ちらりと大希を見つめる。
「そう。どう思う。僕たちは……この地球に、どれだけ手を加えてしまったんだろうって、そう思わないかい。僕達が創りだしたもので今や地球は埋め尽くされている。全て無くなってしまったら……地球はこんなにも寂しいものになってしまう……」
大希はしばし呆然として砂嵐の吹く荒野を見つめ続けていたが、やがて彼はため息をつき、首を振った。
「やめよう。ただでさえ限界だ。訳がわからなくなる……」
「そうか。悪いことをしたね。……僕の見せたかったものはこれだけだ。行こう、世界を助けに」
「ああ。そうしよう」
大希は力強く頷くと、未成と拳を付き合わせて歩き出した。
たどり着いたのは、機械的な外見のドームだった。中央にはさらに一回り小さいドームがあり、金属の柱が二つの天井を貫いていた。薄暗い中、大希は周囲を興味津々に見渡し、ドームの壁に備え付けられた機材に近づきながら呟いた。
「俺の思っていたタイムマシンとは随分違うんだな」
大希が九つあるモニターのうちの一つを覗き込むと、いきなりそのモニターはマザーを映し出した。大希は驚いて仰け反ったが、マザーは構うことなく話し始めた。
「ここが全ての始まり、タイムマシンです。今ではこの世界に起きる時空の歪みを観測するレーダーとなっていますが……」
マザーが一人語る間にも、他のモニターが続々と起動し、文字列が次々に浮かび上がっていく。未成は勝手に動く機械を遠くで見つめながら尋ねた。
「作業員の方は?」
「今は家に帰らせました。不測の事態に最大限備えたいので、すべて私が操作しています」
工藤は腕組みしながら頷き、マザーのシルエットを見つめた。
「今度こそは本当に失敗できないからな。余計な要素は取り除いておくに限るさ」
「マザー。俺たちはどうすればいいんだ?」
大希がモニターを食い入るように見つめて尋ねると、マザーは隣のモニターに一つの図を提示した。工藤が先刻彼に見せた図だ。
「一七三番元素、アストロニウム。一三七番元素は時空を歪ませる力を備えていましたが、これはさらに途方も無い力、『真空崩壊』の力を秘めているのです」
「真空崩壊?」
「そうです、今村大希。『真空崩壊』とは、アストロニウムが秘めている膨大な力の根本で、真空より電子、陽電子対が生まれる現象。つまりそれは、無から有を創造したということ。それはすなわち、小さな宇宙の誕生に等しいのです」
マザーはさらに違う画面に新しい図を浮かび上がらせた。今いるタイムマシンと思しき場所の断面図と、三人の人影が描かれている。そこからマザーの言葉にいよいよ熱が帯び始める。
「あなた達には、今からこの『時空間転送装置』、通称『タイムマシン』に入って頂きます。本来はギャラクシウムを動力にしていますが、その代わりにこのアストロニウムを用います。真空を崩壊させるエネルギーによって、タイムマシンは時空を越え、世界そのものと繋がります。そう……工藤雅人氏が体験したことと同一の事象を、確実に行うのが今回の目的なのです」
「そうだ。そして……お前たちは世界の中へと還り、内側から二つの世界の安定を取り戻す。それが、お前たちがやり遂げなければならない使命だ。それが、俺の導きだした方法だが、帰る術はわからない。無いかもしれない。だが、お前たちはやるんだ。人間を思うならな」
工藤がマザーの言葉を引き継ぎ、厳粛な雰囲気で口を開いた。その瞳の奥には、世界そのものが透けて見えた。人間というちっぽけな存在などは意にも介せず、時には人の常識など軽々と踏み越えてしまう残酷な事をやってのけ、それでいて時には味方するかのような仕草を見せる。やはり、彼は世界の一部であった。大希は観念して表情を緩め、工藤に向かって微笑んだ。
「覚悟の上だ。俺がいなくたって、みんなきっと大丈夫さ。上手くやっていく」
「僕はあまりに無駄な時間をすごし過ぎた。……僕にだって事態を泥沼に変えた責任はあります。だから、自分で落とし前はつけて見せます」
未成の決意が込められた眼差しに、工藤は微笑んだ。今までの見下したような笑みではなく、満たされたような笑顔だった。
「そうか。ならもう議論の必要などないだろう。大希。未成。俺と共に来い」
工藤は二人の前を横切ると同時に、様々なところから起動音が始まった。タイムマシン全体がわずかに震え、薄暗かった照明が眩く光りだし、否応なしに始まりを予感させた。工藤は中央のドームを開き、堂々と闊歩し中へと足を踏み入れる。大希と未成はその後に従う。
「ああ……何だかすごいな……」
大希は呆然と周囲を見回した。内壁が白く輝くドームの天井に、玉虫色に輝く天板が嵌めこまれている。そこにあったのは、暗闇の中で光る銀河のような輝きだった。工藤は一瞬斜に構えた表情へと返り、小さな声で吐き捨てた。
「俺も最初はそう思ったもんだ。……だが、やっぱり俺としては忌まわしい光だな。さっさとこんなところは離れたいもんだ」
未成は工藤がぶつぶつとこぼす不満を聞いて頬を緩め、天板の光を見上げた。
「なら、すぐに動きましょう。世界を早く救うに越したことはありません」
「ああ。マザー。もう準備はできているな?」
工藤がドアに備え付けられたマイクに向かって話しかけた。
「アストロニウムはすでに十分に加速をしております。十秒後にタイムマシンを起動しますが、それでよろしいですか?」
「構わん」
マザーの返事と共に、通信は静かに途絶えた。同時にドームが大きく震えだし、足元がおぼつかなくなり立っているのも難しくなる。大希は壁に寄りかかり、天井を見上げた。
「いよいよ始まるのか……」
「ああ……これで、ループは最後だ」
工藤がそう言うやいなや、天板から眩い光が放たれ、一気に広がり大希達を包み込んだ。重力から解き放たれ、大希達はふわりと浮かび上がる。そして彼らの体は薄く光りだす。そのうちに光は強まり、周囲の輝きと同化していく。大希は眠気に襲われ、静かに意識の底へと落ち込んでいった。




