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12th Period 再会

「大希……これは、一体……」

 時計塔の土台に立ち、広田は目を瞬かせながら目の前に広がる光景を見つめていた。

 広場の中に倒れ伏した女性と、そのそばに跪く大希。そして、何より広田の目を引いたのは、大希に向かって鎌を振り上げたまま、無言で立ち尽くしているカマキリの姿だった。

「大希!」

 カマキリを前にして呆然と立ち尽くしている大希に広田は駆け寄った。それでも大希は広田に一瞥すら送らずカマキリを見上げていた。広田はそんな部下の様子に溜め息をつくと、仕方なく大希の隣で共にカマキリを見上げた。

「大希……カマキリは止まった、のか?」

「……おそらく」

 大希は地面を見渡すと、おもむろに近くの石を拾い上げ、カマキリの頭に向かって放り投げた。鈍い金属音が周囲に響いたものの、カマキリはその目から光を失ったまま、微動だにしなかった。大希はカマキリをひと睨みすると、すぐさま後ろに振り返り、負傷した女性の元に屈みこんだ。

「大丈夫ですか? もうカマキリは止まりましたよ。とにかくこの場を離れて、応急手当をしましょう」

「ええ。ありがとうございます」

 大希は制服で彼女の足を縛って応急手当を施すと、広田の手を借りながら彼女を背負い、瓦礫を避けながら歩き出した。


 ひとまず女性を時計塔の辺りまで運び、救急車を呼んだ大希は、再び広田と共に瓦礫の中に身を投じ、他にも生存者がいないか必死に探し回り始めた。その頃には騒ぎを聞きつけ、または目の当たりにした人々が少しずつ集まり、彼らもまた汚水や血の匂いが交じり合ったひどい空気に耐えつつ、瓦礫の片付けや生存者の探索を始めていた。


「大希!」

 日も高くなり始めた頃、建物の瓦礫を押しのけながら、しかめっ面で大希は振り返る。交通機動隊の活動服に身を包み、健が周囲の光景を戸惑いの眼差しで見渡しながらやって来るところだった。

「遅えよ。もっと早く来れたろ」

 大希は低く唸って健に詰め寄った。健は顔を曇らせると、目を背けて頭を掻いた。

「悪い。遠出してたんだ。電話で知らされたときはまさかと思ったけど……酷いな……」

 健はわずかに青ざめ、唇を噛み締めていた。そんな横顔を見つめて大希は溜め息をつき、その肩を静かに叩いた。

「ああ。でも、さっき生存者を一人助けたんだ。まだ望みはある」

「そうか。じゃあ諦めるわけにはいかないな」

 二人は静かに頷き合うと、人を呼ぶ声がする方角へ走りだした。そんな二人から少し離れ、剣人は一人修羅場に立ち尽くして周囲を見つめていた。そんな彼に向かって、大きな声が飛んできた。

「剣人! 剣人も来たの?」

 いきなり呼びかけられた剣人は、ハッとなって振り向いた。そこには、作業着姿で瓦礫を乗り越えてくるさくらがいた。

「ああ。手の空いてる奴はみんな来てる。さくらのとこもだろ?」

「うん。それに……」

 さくらの目に涙が浮かぶ。唇はわなわなと震え、華奢な彼女の体は普段にも増して小さく見えた。剣人は目を丸くし、さくらの肩を掴んでその揺れる瞳を覗き込んだ。

「おい、どうしたんだよ」

「理加が……理加がいないの……」

 剣人は息を呑んだ。脳裏に思い浮かんだのは、さくらの隣で小さく微笑んでいる、いかにも大人しそうな女性の姿だった。

「理加って、お前の友達の?」

「うん。理加が住んでるのって、この辺りだから……」

 剣人は首を振った。さくらの肩を掴む手にも力がこもる。

「バカ、泣くな! 生きてるさ。信じて捜してやれよ!」

「……う、うん。そうよね、そうしないとね」

 さくらは小さく頷くと、そっと涙を拭いた。真っ白になっていた頬にも血の気が蘇り、目にも光が戻る。そのまま彼女は瓦礫を片付けようとしている集団を見つけ、それに向かって走りだした。

 そんな姿を、未成は瓦礫の上に立ち尽くして眺めていた。彼は崩れ去ったホテルの跡に目を向けようとするものの、すぐに逸らしてしまう。

「理加さんか……けど、彼女は……」

 未成は誰にも聞こえないほど小さな声で呟き、静かに目を伏せた。

「犬が反応したぞ!」

「みんなこっちだ!」

 助けを求める叫びが遠くから聞こえてくる。その声の方角に向かって人々が走る足音もする。未成もその動きに流されて足を踏み出しかけた。しかし、彼の中にある何かがその足を止めて、未成をその場に縛り付ける。未成は再びホテルの方角に目を向けた。

「変えようとしなきゃ、世界は変わらない……」

 未成の頭の奥に、一人の遺体の前にくずおれる人影、天を衝くような慟哭が蘇る。そして、工藤の見下すような冷笑が脳裏によぎった。その瞬間、未成は目の奥に炎を宿らせ、腕時計にちらりと目を向ける。正午の十五分前だった。拳を固く握りしめ、未成は今工藤が閉じ込められているであろう方角を見つめた。

「まだ十五分ある。工藤……この十五分で、僕は運命を変えてやるよ」

 未成は真っ直ぐホテルへ向かって走りだした。その視界に大希と健の姿が映り込み、未成は走りながら大声で呼びかける。

「大希! 健! こっち!」

 大希は未成の鋭い剣幕に目を丸くし、慌ててその後を追いかけた。健も引っ張られるように付き従う。

「未成、一体どうしたんだ!」

「この下に生存者がいる。健、すぐに機材を呼んできて!」

 大希と健はおずおずと顔を見合わせた。まだホテル跡の捜索をする人影は少ない。大希は目を細めながら未成に尋ねた。

「本当なのか?」

 既に瓦礫に手をかけ始めた未成は、訝しげにしている大希を見据えて声を張り上げた。

「迷うな! 僕を信じてくれ!」

 健と大希はじっと顔を見合わせた。やがて、二人は静かに頷き合う。

「ああ。お前がそこまで言うなら信じてみるよ」


 理加はぼんやりと目の前を見つめていた。大きな瓦礫とカウンターに守られ、奇跡的に理加は生きていたのだ。だが、彼女の瞳は虚ろに死を見つめていた。

「どうせなら、一思いに殺してよ……」

 理加は運命の神に恨み言を呟いた。彼女は確かに無傷だ。だが、彼女は期待を持てず、すっかり消沈した表情を浮かべて右手のカバンを引っ張った。しかしカバンは全く動かない。手で探ってみると、カバンは半分が潰されており、財布に筆記用具、そしてプレッツェルだけが無事だった。理加は心底うんざりした調子でため息をつく。

「どうせ私はこんなふうに地味な女ですよ……」

 四苦八苦しながら箱と袋を開けて、理加は一本、また一本とかじった。その度に彼女が思い出すのは、山も谷もない人生だった。普通の家に生まれ、普通の友達をつくり、それなりに恋の駆け引きを学び、それなりに勉強して、ぼちぼち今年に仕事を始めた。プレッツェルをかじっているうちに、理加は涙が浮かんできた。お菓子を探る手を止めて、理加は眼鏡を外して涙を拭う。

「あ……」

 その時、理加はある人物を思い出した。ある時だけ、理加はコンタクトをしていた。引っ込み思案なその性格ではなく、見た目を『可愛らしい』と褒めてくれた、たった一人の男のために。

『眼鏡は止めなって。泣きぼくろが目立たなくなるだろ』

 あの男は確かそう言った。ハードボイルドに憧れ、必死に自分を飾るあの男。常に現実を見てしまう彼女とはやや反りが合わず、次第に彼女は身を引いていた。いつしかコンタクトがなくなり、理加はまた眼鏡をかけるようになっていった。眼鏡をかけ直し、理加はため息をついた。

「元気なのかな……このことに巻き込まれて無かったらいいけど……」

 その時だ。頭上が急に明るくなった。どこからか人の叫び声も聞こえてくる。

「誰か! いるんでしょ! 返事をしてください!」

 理加はにわかに心臓が湧き、冷えかけていた体に熱が蘇ったのを感じた。細い手で必死にカウンターを叩き、声を限りに叫んだ。

「ここ! 誰か、誰か助けて!」

 外の人々は気づいてくれたらしく、外が急に沸き立った。

「いる! いるぞ!」

「慎重に行けよ。こっからが勝負だぞ!」

 光の差す穴が徐々に広がり始め、理加はまぶしい光に目を細めた。そしてついに大きな瓦礫がどかされて、その光を背に一人の影が身を乗り出してくる。理加は迷わず手を伸ばそうとしたが、その時その影は不思議そうな声を上げた。

「理加?」

 理加は眉間にしわを寄せる。彼女にもその声には間違いなく聞き覚えがあった。顔を上げ、理加は戸惑った声で尋ねる。

「健? 健なの?」

「ああ。そうだ。ちょっと待ってろ」

 健は後ろを向いて何事かやり取りすると、いきなり穴に潜り込んできた。そして、その右手をぎりぎりまで伸ばしてくる。理加は、その勇ましい姿を見て涙が浮かんできた。

「理加! 何とか掴まれるか!」

「うん!」

 理加が懸命に伸ばした右手は、しっかり健と繋がる。その手は力強く、そして暖かい。彼女はゆっくりと引き上げられている間、天に昇っているような心地だった。

「健。まさか健に助けてもらえるなんて」

 瓦礫の上に立ち上がり、理加は目を丸くして健を見つめる。健は苦笑しながら頭を掻いた。

「俺だって、生き埋めなのが理加だとは思わなかったよ」

 二人が妙な運命に驚いていると、未成の鋭い声が広場の真ん中から聞こえてきた。

「健さん! 早くそこから離れて!」

「え? 何?」

 健と理加が同時に問い返した時、急に足元が揺らぎ始めた。その小刻みな震えは強く、その場に立っているのも難しくなってきた。

「うん……理加、とりあえず言うこと聞いておこう」

「そ、そうね」

 二人が瓦礫を下り終えた途端に、先日とは比べ物にならない揺れが襲いかかってきて、二人はその場に立っていられず投げ出されてしまった。その激しい揺れに耐えかね、残骸はにわかに崩れ始める。そして、理加が今までいた隙間をも埋め込んでいった。

 揺れが収まり、立ち上がった大希達はホテルの残骸を見つめていた。ただ一人、未成だけが真剣な顔をしている以外は、呆気に取られて言葉も見つからない、という調子だった。だが、やがて大希がはっと気づく。

「こんなことしてる場合じゃない! 再開しましょう!」

 この叫びで大地震の呪縛が解け、人々は再び瓦礫との格闘に赴いていった。後には、健、理加、未成の三人が残される。

「もしかして、あともう少しでも助けが遅れていたら、私、死んでたの?」

 理加がか細い声で呟くと、未成はホテルの瓦礫を見据えたまま頷いた。

「ええ。きっと」

 理加は言葉を失い、一気に血の気を失った。足の力が抜けて、ふらふらとその場に崩れ落ちそうになる。気づいた健が慌てて彼女を支えてやった。

「大丈夫か?」

「ごめん。ちょっとダメかも……」

 健に寄りかかり、理加は今にも消えてしまいそうな声で呟く。ため息をつくと、健は理加を横抱きにして、時計塔の下に張られた天幕に向かって歩き始めた。

「仕方ないやつだな、お前は」

「ごめん。健」

 瓦礫を乗り越えながら健は頷く。その目は、理加の顔をしっかり捉えていた。

「で、結局眼鏡に戻したのか。それじゃダメだって言ったろ」

 曇っていた表情をほんの少しだけ和らげると、理加は眼鏡を外して胸ポケットにおさめた。

「うん……ごめんね」



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