お父さんが巨乳
なぜ父さんが巨乳ではないのか。私は不思議でたまらなかった――いや、過去形ではない。今も、恐らく、ずっと……。
勿論、父は男だ。半陰陽でも性転換者でもない。彼は男だ、まがうことなき男なのだ。なのに私の精神に眠るせむしの小人は私に囁きかけるのだ――何故、お前の父親は、巨乳じゃないんだ。
それが何を意味しているのか。私は父の顎に生えた髭にも、煙草を吸うごつごつしい手つきにも、何も嫌悪感は抱かない。しかし、幼少期にその広い胸板に抱かれた時、何故巨乳ではないのかと、おぞましく、泣き出しそうな気持ちに囚われたのであった。私の理性は父が男であるのも、男の胸部は平らであるのも、全て理解している。しかし、私の感情は逸脱し、父の胸にあるはずの巨乳を要求する!
私は、恐ろしいのだ。父が父でないような感覚が、肌の内側、神経をなぞるように蛆虫が鼓動するような不愉快な意識が私を苛む。この気持ちを誰にも伝えたことはない。当たり前だ、狂人には、なりたくない。私は私の父に、巨乳でない理由も聞いたことはない。ここまでは自制心が効く、しかし、小人を殺すことは出来ないでいる。
「由香、煙草買いに行くんだが、何か買ってきて欲しいものあるか?」
「……私も行くよ、買いたい雑誌があるから」
そうかと、朗らかに笑う父はなかなかに男らしく、素敵だ。何故私はこれを普遍に出来ないのか!? 靴を履き、先に玄関を出て扉を開けてくれている父の、服に覆われた胸の辺りが、膨らんでいないのに私は吐き気を催すような感覚に陥る。
「……なぁ、由香。最近、なんかあったか」
コンビニまでの間、父が探るような目で私を見ながら訊ねてきた。私は何もないよ、どうしてと、努めて朗らかに聞き返した。父は、雨に濡れた犬みたいな顔をしながら重ねる。
「いや、最近のお前は、妙に暗い顔をしているからな。母さんも不思議に思ってたらしいが、なんともないと答えるし。もしかしたら、母さんには何も言えないことがあるのかと思ったんだが……」
「……何もないよ、何も。困ってたら父さんに言うよ、17年一緒に生きてきて、分かってないんだねぇ」
私は、父の腕を取って腕を組んだ。おいおいと照れる父に、私は笑顔を贈る。腕に胸は当たらない。不愉快な意識、アンバランスな感覚。私は今日も、意義の一部が欠損したような父に笑いかけている。しかし、私は本当に笑えているのだろうか?