ハード・アタック
ゴールまであともう少し。視界上のミラーに赤い後続車が見える。大方、一気にスピードを上げて僕を追い越すつもりなのだろう。そうはさせない。後続車が横に移動していくのと同時に、アクセルを踏みながらハンドルを切り後続車の前を車体で塞ぐ。ミラー内のフロントガラスの向こうで、運転手が舌打ちをしたような気がした。
僕は構わず、さらにスピードを上げて走り続ける。距離はさらに開く。10メートル、20メートル……追いかけてくる気配はなく、あっという間に鏡の中から赤い塊は姿を消した。
いったんブレーキを軽く踏んで、速度を調整する。さっきの車はおそらくすぐにはここまでこないだろう。今のうちに、いつものペースを取り戻しておく。
高速道路のような灰色の長い道の上で、白い煙を吐き出しながら僕の車は進む。
空はいつ見ても曇りだ。地平線の向こう側は果てしなく見えない。道幅はちょうど車が二台通れるぐらいで、道の端には何もない。少しでもタイヤを滑らせてしまえば、どこかに落ちていく。
いつから走っていたのか、正直なところ、覚えていない。
たった一つわかっていることは、どうも僕は、この道の上でトップを走っているらしい、ということ。
ゴールまであともう少し。僕は再びアクセルを踏む。唸りをあげて、加速する。キリキリと鳴る車体の音が、嫌に耳に残る。
僕はまだ走り続ける。
ミラーに影が差した。次の後続車だ。
ミラーの角度を変えて、敵を見定める。さっきの車ではないようだ。ライトとナンバープレートの顔つきからして、あまり温厚そうには見えない。
敵は徐々に迫ってくる。僕は若干距離を離して、動きを観察する。正直、あまり上手い運転とは言えない。スピードの調節も雑だし、タイヤの動きもふらふらしている。ここまで来れたことに興奮しているのか、最後の対決だと思って緊張しているのか。どちらにせよ、弱い心なのには変わりないのだが。
突然、タイヤが地面と擦れる音とともに、一気に車が急加速してきた。反射的にアクセルを踏んだが、間に合わずにぶつかってしまう。ミラーの中の車はさらにふらふらする。猪のように、またスピードを上げてぶつかろうとしてくる。
ハンドルを横に切り、ぎりぎりのところで攻撃をかわす。失敗したことに腹を立てたのか、体勢も整わないまま斜めに向かってくる。不意打ちではあったが、僕の加速の方が一足早かった。
突進の勢いで敵は危うく道から落ちそうになったが、間一髪のところで停車した。僕はそのまま加速しつづけ、さらに距離を離す。
だが、敵もまだあきらめていないらしい。僕よりもっと速いスピードでがむしゃらに向かってきている。僕は焦らず、アクセルを深く踏み込む。地面をはっきりと見るのが難しくなってきた。それでもまだ、加速はやめない。
敵もまた、加速を続けていた。距離がだんだんと縮んでいる分、僕よりもわずかに速い加速だ。曇ったフロントガラスを透視する目は、きっと狼のようにぎらぎらと光っているのだろう。
そろそろ、頃合いか。僕は加速を止める。急激に敵が近づく。チャンスだと思ったのか、敵は迷うことなく一直線に向かってきている。
僕はハンドルを回すと同時に、ブレーキを精一杯踏む。斜め方向に車が進んでいく。道路に黒い跡を残しながら、タイヤは減速を始めた。車の向きは45度。これぐらいなら、ちょうどいい。
敵は何も気づかないまま、まっすぐに向かってくる。
――当たれ。
斜め後ろから、強い衝撃を受けた。
ぶつかった敵の車は、斜めの面に思い切りぶつかったせいで、おそらく予想していなかったであろう向きへと無理やり進行方向を曲げられた。
気づいた時には、もう遅い。
悲鳴が聞こえた気がした。タイヤは無情にも止まらない。敵の車はそのまま道をそれて、遠い遠い地面へと落ちていく。そして後には、静寂だけが残った。
僕は額についた汗を拭き、力を抜いてリラックスする。いつだって、誰かを蹴落とすのは疲れる。嫌いではないが、面倒だ。気分だっていいものじゃない。精神的に大きく疲労をともなう行為なのだ。
それでも僕は、蹴落とさなくてはならない。
僕がトップである限り。僕が、他の誰かから蹴落とされない限り、僕は誰かを蹴落とし続けなければならない。
それが、僕なりの使命だ。
主役は一人がちょうどいい。僕はいつもそう思う。
この世のすべての人間が主役になったところで、一体何が面白いというのだろう。皆が平等であることばかり気にして、しかし誰もが心の底では、自分は誰かとは違う位置に立ちたい、と願っている。その思考回路を狡猾と言わずに何と言えばいいのか、僕には他に思いつかない。
一人の主役がいれば、何百何千の脇役がいる。誰かが頂点に立てば、誰かが底辺に沈む。一位がいれば、最下位がいる。それでいいじゃないか。みんなで一緒に、なんてことは絶対にありえない。
僕らはみんな、無意識に優劣を付けたがる。自分が他の誰かよりも優れていることを自信にしたがるし、自分が他の誰かよりも劣っていることを動機にして行動する。その中で、「みんなで一緒に」なんてことが一体どうして可能だと思うのか。それは結局、「みんなで一緒に堕落する」ことと同義ではないか。
誰もが知っている。本当の意味の平等なんてないのだ。相対的にも、絶対的にも、誰かが勝って誰かが負けている。絶対に覆すことの出来ない、この世の真理だ。誰もがそれを知っていながら、ただ都合よく、逃げたくて目を背けているだけだ。
僕は彼らに従わない。
僕はトップに立ち続ける。僕に代わってトップに立とうとする敵たちを、片っ端から蹴落としていく。それが、僕の使命。
彼らは同じ目をしている。トップに立ちたいという想いの底に隠れた、「怠惰への欲求」を隠そうともせずに向かってくる。彼らは立場がほしいだけ。端から「立ち続ける」気なんてない。「立つ」ことさえできれば、それでいい。永遠に安住したいと思いながらも、湧き出る怠惰がそれを許さないのだ。
僕は許したくない。怠惰に埋もれる人間の堕落を、見たくはない。
だから僕は標的になる。
だから僕は獲物になる。
どうあがいたって、彼らは僕に勝つ以外、怠惰を貪る術はないのだ。時間がそれを許しても、彼らの心がそれを許さない。そうでなければ、車から降りるか、道から落ちるかの、どちらか。僕はむしろ、そっちの方がまだ良いと思っている。でも、結局は彼らの人生だ。決めるのは彼らだ。僕がわざわざ、進むべき道を教示してやる義務なんてどこにもない。
だから僕は、覚悟を決めて走ってくる彼らに対して、何の容赦もしない。
頂点に立ちたいと思うなら、好きにすればいい。でも僕はそれを許さない。ここに来たいなら、怠惰を貪りたいのなら、力を尽くして僕を蹴落としてみせろ。
それ以外に方法はない。君が怠惰を貪る術は。
ゴールまであともう少し。
赤い車が近づいてきた。ぐんと加速して、僕の車の真横まで来る。
横を見た。白く濁った窓ごしに、彼は真顔で僕を見る。
きっと君が、僕の最後の敵だ。
君の瞳に、怠はあるか?
僕が試してやる。君が本当に、ここに立つべき人間だというのなら……。
滲んでくる手汗と一緒に、ハンドルを大きく回す。
確たる覚悟に、一撃。
さあ、来いよ。
落とせるものなら、落としてみな。