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第13話 紐の行方

その日は年明けの祭りだった。


村の広場には屋台が並び、たくさんの人が集まっていた。

焚き火のぬくもりが漂い、子どもたちのはしゃぐ声があちこちで弾んでいる。

笛や太鼓の音が夜風に乗り、ハレの日の空気が村を満たしていた。


フローラは街の女学校に通っている。

だがこの日は、冬休みで村に戻ってきていた。




ロアは人混みの中で、フローラの姿を見つけた。


髪はきれいに結い上げられ、所作のひとつひとつに気品が宿っている。

ロアには、自分とは遠い存在に見えた。


「フローラ、雰囲気……変わったな」


思わず小さくつぶやいた。


そのとき、フローラがこちらを振り向いた。


「……ロア?」


一瞬だけ表情がゆるむ。

だがすぐに、いつものツンとした顔に戻る。


フローラは、小さく手を振った。


ロアも手を上げかけた。

だが――


牡鹿を仕留めた日の、血で濡れた自分の手が脳裏に浮かぶ。


あの熱い光。

命の灯が噴き出した瞬間。

震えが止まらなかった自分。


ロアは反射的に、手を引っ込めた。




フローラが、歩いて近づいてくる。


「久しぶりね。元気にしてた?」


声はそっけないのに、目だけが心配そうだ。


ロアがうなずくと、フローラは少しだけ視線をそらした。


「……その、お父さんのこと。聞いたわ」


「うん。……でもなんとか、やっていけてるよ」


「なんだか……ロア、変わったわね」


フローラは、一瞬だけ言葉を探すように息を止めた。


「特に、目の感じが――前と違うわ」


ロアは俯く。


フローラは気まずさを隠すように言った。


「べ、別に深い意味はないわよ。……ほら、屋台でも見ていきましょ」


二人は、ぎこちない沈黙のまま歩き出した。




少し歩くと、酔っ払った服屋のおじさんが話しかけてきた。


「よう、牡鹿狩りのロアじゃないか!」


「牡鹿……?」


「そうか、嬢ちゃんは知らないのか! 見せてやるよ」


おじさんは自分の店の方に歩き出した。

ロアは嫌な予感がしながらついて行った。




服屋に着くと、牡鹿の毛皮が飾ってあった。


「ロアが仕留めたんだぜ? こいつは上等だ」


その毛皮はまだ獣の形を保っており、自分が命を奪ったことを想起させた。

ロアは俯く。


「……綺麗」


フローラの小さな声に、ロアは顔を上げた。


(……引かれると思ってた)


あの日の血の熱さも、槍を突き刺した感触も、まだ手に残っている。

こんな生々しい毛皮を見たら、フローラはきっと嫌がる――そう思っていた。


けれど。


「綺麗」と言ったフローラの声は、まっすぐだった。


ロアには罪の重さにしか見えない毛皮が、

フローラにはただ美しく映っている。


「すごいわ、この毛皮……灯りに照らされると光るのね」


そして、ゆっくりロアの方を向く。


「……えっ、これを、ロアが?」


フローラの瞳には純粋な驚きと、少しの尊敬が混じっていた。


「初めて見たわ……光るから『月光鹿』っていうのね」


フローラは毛皮にそっと触れながら言った。


「うん……満月みたいに、少し温かく見える」


ロアが答えると、フローラは小さく首をかしげた。


「満月って、そんなに暖かかったかしら? でも……これで作るコートは、きっと暖かいわね」


嬉しそうに微笑むフローラを見て、ロアはほっと胸をなでおろした。




そのあと二人は、屋台を見ながらゆっくり歩いた。


焼き団子の甘い匂い、鹿肉の串焼きの香ばしい煙、

子どもたちの輪投げの歓声が夜風に混じって流れてくる。


村娘の舞を見たり、焼き菓子を分け合ったりしているうちに、

ぎこちなかった空気も少しずつほどけていった。


「……女学校って、どんな感じ?」


ロアがふと尋ねる。


「村の学校なんかとは全然違うのよ」


フローラは手に持った菓子を見つめながら答えた。


「教室がたくさんあって、お裁縫や、お歌なんかも習えるし。

都会の子たちばかりで、みんな綺麗なお洋服を着てて――」


そこで、フローラは少し俯いた。


「……でも少し、落ち着かないわ」


ロアは何を言っていいかわからず、ただ歩みを止めた。


フローラは、ロアの手首に目を落とした。


「その紐……まだつけているのね」


ロアもつられてフローラの手首を見る。

そこには、あの日と違って何も結ばれていなかった。


「紐なんて……女学校では誰もつけていないの」


フローラは小さく笑おうとしたが、うまくいかなかった。

潤んだ瞳が、灯りに揺れた。




そのとき、隣の屋台に細工の施されたかんざしが並んでいるのが目に入った。

鹿角を薄く削り、花の形に彫り込んだ繊細な飾りだ。

灯りを受けて、縁がほのかに光っていた。


ロアはそれをひとつ手に取り、代金を置いた。


「……これ、フローラに似合うと思って」


フローラは驚いたように目を瞬かせる。


「鹿角の……かんざし?」


「うん……月光鹿の角は、持つ人を守るって言われてる」


フローラはかんざしを受け取り、指先でそっと撫でた。

その瞳がまた揺れる。


「紐の代わり、ってこと?」


ロアは小さくうなずいた。


フローラは唇を震わせ、けれど今度は笑った。


「……ありがとう。すごく、綺麗」



フローラはかんざしを胸の前で握りしめたまま、

しばらく黙っていた。


ロアは迷った末に、静かに口を開く。


「……つけてみる?」


フローラは驚いたように顔を上げたが、すぐに小さくうなずいた。


ロアはかんざしを受け取り、フローラの髪にそっと通した。

鹿角の細工が、灯りを受けてふわりと光った。


「……似合ってる」


フローラはかんざしを指先で確かめるように触れた。


「……これなら、つけていられるわ」


静かに微笑んだその横顔を、ロアはただ見つめていた。


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