第9話 影結び
春の気配が、夜の森にも少しずつ満ち始めていた。
ロアは卒業式を数日後に控え、胸の奥がそわそわしていた。
夜の民の学校では、卒業前に『影守りの紐』を自分で編む決まりがある。
影の神に守られるように――そんな願いを込めて。
先生から配られた麻ひもを手に、ロアは家に帰った。
そのまま使うのが決まりだと分かっている。
けれどロアは、麻ひもを机に置くと、幼いころに石を拾った小川へ向かった。
春はまだ浅く、夜風は少し肌寒い。
けれど、小川のほとりには――
あの頃と同じ、焔のように揺らめく花が咲きかけていた。
月明かりに照らされ、蕾の先だけがほのかに光を帯びている。
(……これがいい)
ロアはそっと花をいくつか摘み取り、家へ持ち帰った。
小さな器に花を入れ、指先で丁寧にほぐしていく。
花びらがほどけるたび、光がふわりと散ったように見えた。
少し水を加えると、器の中に焔のような輝きが広がっていく。
ロアは息をのんだ。
(きれい……)
その水に、配られた麻ひもをそっと沈める。
紐はゆっくりと、まるで小さな焔を宿したように姿を変えていった。
森の絵の授業で怒られて以来、ずっと優等生を演じてきたロアが、
初めて見せる、静かな反抗だった。
そして、卒業式の日が来た。
学校長のリーファ先生が式を取り仕切り、影の神への感謝を捧げた。
そして家族が見守る中、子どもたちは『影歩き』の儀式を披露する。
ロアたちは一列に並び、月明かりの下で、自分の影と足並みを合わせる。
影が揺れないように、静かに、滑るように歩いていく。
影と心をひとつにする――
この地に生きる者たちが、長く守り続けてきた歩法だ。
会場には、子どもたちの足音すら吸い込むような静けさが満ちていた。
式の最後には、大切な人に影守りの紐を結んでもらう『影結び』が行われる。
仲の良い子同士は紐を交換して結び合い、家族は子どもたちの手首に結んで祝福するのだ。
特別な親友のいないロアは、
在校生席に座るリオのところへ向かおうとしていた。
――そのとき。
フローラが、まっすぐロアの前に歩いてきた。
周りの子どもたちがざわつく。
「ロア。……あなた、私と影結びしなさい」
強がった調子なのに、かすかに震えていた。
「えっ……僕でいいの……?」
「いいに決まってるでしょ。
あなたが……助けてくれたんだから」
ロアはそっと、フローラの手首に紐を結んだ。
ロアの結んだ紐を見て、フローラは目を瞬かせる。
「この紐……なんだか良い香りがするわね」
「えっ……あ、その……」
「花の香り……? ふふ、あなたらしいわね」
フローラも、ロアの手首に紐を結んだ。
「……ほどけたら嫌よ。
ロアのは、ちゃんと結んでおいてあげる」
「ありがとう……フローラ」
フローラは少しだけ目をそらしながら、小さく言った。
「……卒業しても、私のこと忘れないでよね」
「忘れないよ。絶対」
「……なら、いいわ」
フローラの耳は、紐を染めた花のように静かに火照っていた。




