プロローグ
戦場の後方に張られた黒い陣幕は、昼の光を遮り、静かな影だけを内に留めている。
ペルセウス・ヴェイル・ノクスは、その影の中で戦況図を見つめていた。
前線から届く報告はどれも芳しくない。
だが、王子の表情は揺れなかった。影の神に仕える者として、静けさこそが指揮官の武器だと知っているからだ。
周囲では、歩兵たちが設営作業を続けている。
張り綱の軋む音、杭を打つ鈍い響き。
その中に、ひときわ軽い足音が混じった。
若い兵の足取りだ。まだ十四、五歳だろうか。
こんな少年までも動員せざるを得ない状況に罪悪感を覚えつつ、ペルセウスは再び書類に目を落とした。
「殿下、お食事を」
側近が木盆を抱えて入ってきた。
ペルセウスは軽くうなずくも、書類をめくる手を止めない。
そのとき――
机を運んでいた先ほどの少年兵が、突然立ち止まった。
「歩兵、そこをどけ。殿下のお食事の邪魔だ」
側近が叱責する。しかし少年兵は動かない。
次の瞬間、震える声が陣幕に響いた。
「――待ってください!!」
ペルセウスはゆっくりと顔を上げた。
少年兵――ロアという名札が見えた――が、椀の中身を凝視している。
「その食事……『光が揺れて』ます!」
「何を言っている! 殿下に無礼だぞ!」
だがロアは怯えながらも、必死に続けた。
「……不気味な光が揺れていて……
見ているだけで息が苦しくなるんです。
ヤミヌイヘビの毒に触れたときと……同じような……!!」
兵たちはざわついた。
夜の民には『色』など見えない。
理解できるはずがない。
しかし――
ペルセウスはロアの目を見つめる。
その瞳には、恐怖と、焦りと、
そして『見えている者』だけが持つ確信があった。
「……その者を放せ」
陣幕の空気が止まる。
「で、殿下……?」
「この少年は嘘をついていない」
ペルセウスは椀に視線を落とし、匂いを確かめた。
「……確かに、匂いが違うな」
匙を置き、椀を脇へ押しやる。
その直後、陣幕の外で怒号が上がった。
「暗殺者だ! 捕まえろ!」
兵たちが駆け出し、影が揺れる。
ペルセウスは毒の椀を一瞥し、そしてロアに視線を戻した。
少年の瞳は、影の奥で微かに震えている。
ペルセウスは低く呟いた。
「……『色』か」
その言葉は、ロアにだけ届くほどの小さな声だった。
この物語の着想は、私の父が『色の見え方が少し違う人』だったことから生まれました。
子どもの頃から「父には世界がどんなふうに見えているんだろう?」と、ずっと不思議に思っていたことが、物語の原点です。
また、実家で飼っている犬と文鳥の違い、
・見える色は少ないけれど鼻がとても効く犬
・色に敏感だけれど嗅覚は弱い文鳥
その『感覚の多様性』も着想のひとつになりました。
この物語は、色覚多様性を持つ方を否定するものではありません。
世界の見え方は人によって違い、その違いは『別の強さ』や『別の感性』につながるという思いを込めています。




