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第5章 闇の中へ

「------おい! 聞こえてるのか!?」

 草薙は耳をつんざく二階堂の声で我に帰った。

「......自分が内閣府で会っていたのは国家公安委員長です」

 つい数十分前に一緒にいた人間が爆破テロで死亡したという事実が草薙の思考を奪っていく。

「何?どういう事だ」

 二階堂が草薙を問い詰めようとした瞬間、再びニュース速報が流れ出した。

『――速報です。先ほど発生した爆発事件について、新たな情報が入りました』

 無機質な女性アナウンサーの声。

『警視庁によりますと、本日午後、国家公安委員長・篠原 恒一氏が乗車中の車両が爆発し、死亡した事件について、霞が関合同庁舎から出発する直前まで同乗していた人物がいた事が明らかとなりました』

 草薙の心臓が、強く脈打った。

『同乗していた人物は外務省職員・草薙 煌太郎という事が発表され、事件の重要参考人として警視庁が身元捜索を開始しました』

「嘘だろ......」

 口に出した言葉は、喉の乾きに引っかかり、情けないほど掠れた。

 草薙は慌てて携帯電話を握りしめ二階堂の怒鳴り声に反応した。

「さっきから着信が鳴り止まん。ひとまず詳しい事情を警察に話すんだ! また連絡する!」

 一方的に切られた電話の音がまるで、これからの自分の未来を暗示している様で、心臓病が発見された時に似た絶望という感情が草薙に湧いてきた。

 地下鉄虎ノ門駅の地上入口に立ったまま、草薙は数秒、呼吸の仕方を忘れていた。

 耳元の携帯電話からは、切れた通話の余韻だけが冷たく残っている。

『外務省職員・草薙 煌太郎――事件の重要参考人として警視庁が身元捜索を開始』

 電光掲示板の白い文字が、脳の奥を直接焼いた。

 目の前を通り過ぎる人々の足音が、急に遠くなる。

 草薙は反射的に周囲を見回す。

 どれも、もう疑ってしまう。

 次の瞬間、駅前の交番から警察官が二人出てきた。

 草薙の顔を見たわけではない。だが、胸の奥に刺さる感覚があった。――来る。

 草薙は反射で踵を返し、人の流れに逆らうように歩き出した。

 走れば、追われる理由を自分で作る。

 携帯電話が震えた。母吏絵からの着信。

 指が止まる。出なければ、母は不安で壊れる。

 草薙は息を吸い込み、通話ボタンに触れた。

「……母さん」

「煌太郎?今ニュース見たの…… あれ、本当なの?」

 母の声は震えていた。

 草薙は、一瞬だけ目を閉じた。

 母の顔が浮かぶ。実家で掴まれた両腕の感触が、皮膚に残っている。

「今は説明できない。落ち着いたら必ず連絡する」

「お願い、無理しないで…… お願いだから……』

 母の声が途切れた瞬間、草薙は足を止め、膝に手をついた。

 吐き気が喉まで上がる。心臓が痛いほど跳ねる。

 携帯電話の画面に、次の着信が出る。

 非通知。一瞬、躊躇した。

 だが、今の草薙には確かめるしか武器がない。

「……もしもし」

「困ったらこの番号に連絡。そう書いてあったはずだ」

 男の声だった。低く、乾いている。

 草薙は背中を冷たい汗が伝うのを感じた。

「誰だ」

「名乗る必要があるか? 君は今、東京で一番触れてはいけない存在になった。警察も、内閣府も、米国も君の身柄が欲しい」

「……何が目的だ」

「君の父親の居場所を知りたい。…… いや、違う。君に父親の場所へ来てほしい』

 草薙の視界が狭まる。

 草薙煌史郎。会ったこともない。顔も知らない。だが、今や世界がその名前で動いている。

「お前は…… HADESなのか」

 男は短く笑った。

「質問の順番が逆だ。君は父親が敵であってほしいか? それとも味方であってほしいのか?』 

 その言葉は、草薙の胸を正確に刺した。

 敵なら憎める。味方なら救える。だが、そのどちらでもない可能性が一番怖い。

「会うなら場所を言え」

「焦るな。ひとつ選べ。このまま警察に出頭して冤罪を晴らすか。それとも、東京の破滅を止めるために罪を背負うか」

 草薙は答えられなかった。

 父の罪、自分の冤罪、テロの罪。胸の中で言葉が絡まって、息ができない。

「草薙煌太郎、君の心臓はもう君だけのものじゃない」

 通話が切れた。

 その瞬間、背後のビルの影から、二人の男が現れた。

 スーツ姿。イヤホン。歩幅が揃いすぎている。

 草薙は息を殺し、地下街への階段に足を掛けると知らない記憶が視界を掠める。 

 

 プラットホーム地下通路で歩いてくる1人の警官。

 乾いた銃声。

 頭から崩れ落ちるプラチナブロンド。

 

 草薙の喉から、声にならない息が漏れた。

「…… ヴィンセント」

 名前を口にした瞬間、背後に嫌な感覚が走る。

 草薙は地下へ降り、人混みに紛れた。携帯電話を握りしめた手だけが、異様に冷たかった。

 地下街のガラスに映る人影。

 スーツの男二人。歩幅が同じ。視線の角度も同じ。

 間違いなく追われている。

 草薙は人の流れに合わせ、あえてエスカレーターを降りた。

 降り切った瞬間、角を曲がり、雑踏の中へ紛れる。

 そのまま書店に入り、雑誌を手に取るふりをして立ち止まった。

 数秒後、背後を通過する二人の気配。

 草薙は本棚の影から様子を伺い、二人が遠ざかったのを確認してから、ゆっくりと書店を出た。

 心臓の鼓動が耳の奥で鳴り続けている。

 鳴り止まない携帯電話。草薙は立ち止まり、深く息を吸ってから電源を切った。

 その瞬間、世界が少しだけ静かになった。

「動かないで」

 低い男の声。

 振り向くと、私服警官が二人。無線を耳に当て、草薙を挟み込むように立っている。

「草薙煌太郎だな。任意同行――」

 草薙は一歩、後ずさった。任意という言葉が、嘘であることは分かる。

 だが、その瞬間、地下街の照明が一斉に瞬いた。

 非常灯に切り替わる。

 同時に、遠くで悲鳴。

「停電?」 

 警官の視線が一瞬逸れた。

 草薙はその隙に、人の流れに身を投げる。

「待て!」

 叫び声が追いかけてくる。

 だが、地下街は人で溢れていた。

 草薙は人波に押されるふりをして、出口とは逆方向へ流れた。

 地上に出ると雨が降り始めていた。微細な粒が頬に当たり、妙に現実を取り戻させる。

 振り返る。追ってくる影はない。

 草薙は人目につかない路地へ入った。

 濡れた壁に背を預け、息を整える。

 心臓が痛いほど跳ねている。

 その鼓動の中に、違うリズムが混ざる錯覚がした。

 ―――あの停電は偶然じゃない。

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