第3章 影なき男
半年後、リハビリを終えた草薙は、米国日本大使館に職場復帰の報告に来ていた。
「今日から職務に復帰します。色々とご迷惑お掛けしました。明日日本に帰国します」
草薙は大使に深々と頭を下げた。
「よく頑張った。外務省のエースの復帰、心待ちにしていたよ」
大使は草薙の肩を軽く二回叩き労った。
「期待しているよ! 今日は自宅に帰って帰国の準備したほうがいいんじゃないか?」
「お言葉に甘えさせて頂きます。皆さんに挨拶して帰ります」
草薙は、大使と握手を交わし執務室を出ると、米国滞在中にサポートしてくれた職員達に感謝を伝えた。
大使館を後にした草薙は、タクシーに乗り自宅へ向かう帰りの道中、吏絵にメールを送っていた。
「明日の便で日本に帰ります。落ち着いたら家に寄るから宜しく」
草薙がメールを打ち終えると同時に二階堂から着信が入った。
「明日、帰国予定だったよな?」
「はい。午後の便で発つ予定です」
「わかった。休んだ分、働いてもらうからな!」
草薙は電話越しに頭を下げ電話を切ると、タクシーは自宅前に到着していた。
「そういえば、メール全然見てなかったな」
草薙は自宅に戻ると、PCを開き休職中の間溜まっていたメールの確認を始めた。一日一件、規則正しく外務省からの業務連絡を受信しているだけだったが、見知らぬアドレスから一件メッセージが来ていた。
「困ったらこの番号に連絡」
差出人不明のメールには電話番号が記載されていた。
草薙は迷惑メールを削除し、帰国の準備に取り掛かった。
翌日、草薙がJFK空港のターミナルで日本行きの便を待っていると、本条から着信が入る。
「どの辺にいる?」
「中央のターミナルにいるよ」
草薙がターミナル周辺を見回すと、本条が手を振りながら近寄ってきた。長身モデル体型の本条は人混みを歩くだけでも存在感が際立っている。
「手振らなくても分かるよ」
「せっかく来たんだからもうちょっと嬉しそうにしなよ!」
草薙は照れ隠しの為、あえて冷静を装った。
「笑みが溢れてますけど?」
本城は笑顔の草薙を見つめる。
「雰囲気、だいぶ変わったね。すごくいい感じ」
草薙は気付くと本条を抱きしめていた。本条は驚いたが何も言わず草薙の胸に顔をうずめると、両腕で草薙を抱き返した。
「本条、ありがとう。生きてて良かった」
草薙は不思議な感覚を覚えた。人に素直な気持ちを伝える事は不得意な部類である。ましてや、女性を大勢の前で抱きしめる事は人生で初めての体験だった。
「そろそろ、時間じゃない?」
本条の声で我に返った草薙は、急に恥ずかしさを覚えとっさに距離を置いた。
「そろそろ行くよ。日本に来たら連絡頂戴」
「分かった! 元気でね」
草薙は、本条に別れを告げ搭乗ゲートに向かった。ふと、本条を抱きしめた事を思い出す。搭乗手続きを済ませ座席に着席すると、先程の記憶が鮮明に蘇ってきた。
「本条を抱いたのは、初めてじゃない・・・・・・」
成田空港に到着した草薙に二階堂から着信が入る。
「今空港に来ている。長旅の所悪いが、一緒に来てくれ」
「何かあったんですか?」
「米国大使館に呼ばれたんだよ。しかも名指しで」
「何かの事件ですか?」
「詳しい事は分からん。とにかく車に来てくれ」
草薙は電話を切り二階堂の待つターミナル中央口に小走りで向かった。
中央口に到着すると、二階堂は車のドアに寄りかかり、落ち着きなく腕組みして待っていた。
「わざわざ空港まですみません」
「挨拶は後だ。乗ってくれ!」
草薙が車の助手席に乗り込むと、二階堂が早速切り込んできた。
「米国で何かあったのか? 大使館に呼ばれるなんて、大事だぞ」
「全く心当たり無いです。心臓移植がまずかったんですかね?」
二人は車内で理由を考えるが、答えは出なかった。
「まぁ、いいか。それより米国生活はどうだったんだ?」
「睡眠、食事、運動。ひたすら繰り返すだけです」
「正直、移植しないと助からないって聞いた時は俺も半分覚悟していたよ。俺が外務省にお前を呼ばなければ病気にならなかったんじゃないか? なんて考たり・・・・・・」
二階堂は涙を浮かべていた。
「二階堂さんに責任ある訳ないですよ! 移植の為に尽力して頂いた感謝は一生忘れません」
草薙は身を乗り出し二階堂に反応した。
「お前の感謝は身に沁みて分かってるよ。大使館に着くまで寝ろ。時差ボケだろ?」
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
草薙の寝顔を見た二階堂は、手で涙を拭うとアクセルを踏み込み車のスピードを上げた。
車が高速道路の出口を通過すると草薙は目を覚ました。
「起きたか。そろそろ着くぞ。」
溜池山王に到着すると、二階堂は米国大使館近くのコインパーキングに駐車した。
「緊張してきました」
草薙はシートベルトを外す作業がややもたついていた。
「大丈夫、俺が一番緊張している」
二階堂は落ち着きないそぶりで、歩くスピードも若干早くなっていた。
二人は米国大使館の入口で入館手続きを済ませると、職員に応接室に案内された。
「自分を呼び出したのは誰なんですか?」
草薙は案内した職員が退室すると、二階堂に問いかけた。
「大使だよ。緊急の用事らしい」
二人が出されたコーヒーを一口飲むと同時に応接室にノック音が響いた。
「失礼します」
ドアを開けた大使ともう一人、筋骨隆々の男が入室してきた。
草薙は、二階堂と立ち上がり一礼すると、大使の隣に立つ男と目が合った。
「ケニー?」
「煌太郎久しぶりだな!」
驚く草薙に二階堂が訊ねる。
「こちらは?」
「FBIアカデミーの時の同期です。卒業した後もたまに連絡を取り合っていました」
ケニーに会った事で草薙の顔は緊張感が和らいでいた。
「単刀直入に話します。草薙さん、お父様の記憶はございますか?」
大使の言葉で若干和やかだった応接室は、再び緊張感が走った。
「いえ、全く無いです。何かあったんですか?」
草薙は大使の質問に考える間もなく返答した。
「半年前のN.Y地下鉄テロ事件、おぼえてるか?」
「入院してた病室でテレビを見ていたから覚えてるよ。何か関係が?」
草薙がケニーの質問にも迷う事無く答えると、大使が一冊のファイルを開きテーブルに置いた。
「この資料に載っている人物は日本人である事が分かりました。」
草薙は、冒頭の父親の話とファイルの資料が日本人である事から、呼出された理由に勘づいた。
「この人は私の父・・・・・・ ですか?」
草薙はファイルを手に取り、資料を見ながら大使に尋ねた。
「草薙煌史郎、ファイルの男の名前です。妻は草薙吏絵、子供は一人」
大使は草薙に視線を向けた。
「煌太郎・・・・・・」
大使と視線を合わせた草薙は、鋭い目つきで答えた。
「テロ事件の実行犯、そして国際テロ組織H・A・D・E・Sのメンバーであるという事です」
「間違いないのでしょうか?」
俯く草薙を横目に見ながら二階堂は大使に尋ねた。
「間違いないです。僕の目の前で隊員を一名銃殺しています」
大使を遮りケニーが怒りのこもった口調で答えた。
「銃殺?人も殺しているんですか・・・・・・」
草薙には絶望にも似た感情が沸き起こる。会った事もなければ顔も見た事も無い。その父親がテロ組織の一員で人殺しという事実に。
「同期のヴィンセントだよ。覚えてるだろ?」
その瞬間、草薙は席を立ち応接室を出るとトイレに駆け込んだ。
「少し休憩にしましょう」
大使は二階堂に声を掛けケニーと退室した。
ケニーが草薙の様子を見にトイレに入ると、草薙は洗面台の鏡越しにケニーに気づき、頷き視線を外す。
「ヴィンセントの件、何て言ったらいいか・・・・・・」
「煌太郎が責任を感じる事じゃない」
草薙は強烈な震えを洗面台を掴み耐えている。父親を想像すると吐き気が襲っていた。
「落ち着いたら部屋に戻ってこいよ」
ケニーは草薙が話せる状態でない事を悟ると、一声掛けて去っていった。
草薙の心臓は、何かを訴えるかの様に激しく躍動していた。
ケニーが応接室に戻ると、大使と二階堂は既に着席し二人を待っていた。
「様子はどうでしたか?」
「冷静に話せる状態じゃないですね。無理もないですよ。誰でも気が狂うくらいの話です」
ケニーは遠回しに日を改めるよう促した。
「米国はどの程度情報を掴んでいるんですか?この資料には顔写真と名前くらいしか記載がないですよ」
二階堂はたった一枚綴ったファイルを手に取り問いかけた。恐らくこれ以上の情報を開示する気がない事は明らかである。草薙を呼出した理由は、父親と交流があるか反応を見て確認したかったのだ。
「機密情報になりますので、これ以上はお伝えできません。勿論、この話はお二人の中だけに留めて下さい」
大使の目つきに鋭さが増すと、一瞬、二階堂は怯んだ。米国大使に強気な姿勢を取った事を後悔した。
「今日の所はここまでにしましょう。また何かあればこちらから連絡します」
二階堂が応接室を出ると、ロビーのソファで草薙が項垂れていた。
「行くぞ」
二階堂は草薙を連れ大使館を出ると、無言で駐車場に向かった。
「家まで送るから今日は休め」
草薙は小さく頷き反応した。二人は車に乗り込むと、重苦しい空気の車内で草薙が口を開いた。
「父親の事、自分も追ってみようと思います。無論、日中業務に支障がない様にします」
「これからお前は米国の監視に置かれる。プライベートもクソも無い。サポートはできる限りするが、深入りしすぎるのは止めておけ」
二階堂は忠告したが、当然口だけである。
草薙が一度決めたら血眼になって突き進む性格は誰より理解している。それでも父親が国際テロ組織の一員という事は、到底受け入れられない現実だ。何より草薙自身が真相に近づくにつれ、より傷が深くなる事を危惧していた。
「なぁ、母親と父親について何も話してなかったのか?」
「はい。自分が母のお腹にいた時に仕事で海外取材に出たっきり、消息不明になったとしか・・・・・・」
「取材って事は、記者か?」
「国際ジャーナリストだったみたいです。映像や写真も全て母が捨てたので顔も分かりませんでした」
「お前のその探究心はジャーナリストの父親譲りだな! あっ、いや、申し訳ない」
やや怪訝な表情を見せた草薙を見て、慌てて二階堂は謝罪した。
「それより、どうやって調べるつもりなんだ?」
「まずは実家に帰って母に聞いてみようと思います。それと、ケニーに会います」
「そうか。手伝える事があれば言ってくれ」
「ありがとうございます」
草薙の顔から迷いは払拭されていた。
「久々に日本に帰ってきたんだ。今日はゆっくり休め」
二階堂は草薙を自宅前で降ろし、職場に戻って行った。
車が交差点を右折し、姿が見えなくなると、草薙は自宅前を通過するタクシーを呼び止め、実家に向かった。
行先を告げ一息つくと、草薙は長旅の疲労から強烈な睡魔に襲われ深い眠りについた。
到着の合図で草薙は目を覚ますと、料金を支払い実家の玄関前に降り立った。
インターホンを鳴らす間もなく合鍵でドアを開け、一目散にリビングに向かった。本棚のアルバムやビデオテープを片っ端から引っこ抜き、父親の手掛りを探した。
「何も無い・・・・・・」
母親が全て捨てたとは聞いていたが、父親に関する全ての痕跡がこの家に一切無い。そもそも、父親の情報が何も無いという違和感に今更ながら草薙は気付いた。離婚ならともかく、失踪であれば捨てる理由は無い。身内の捜査はご法度の意味を痛感した。
一時間程で外出していた吏絵が帰宅する。カギが開いていた事に焦りを覚え、小走りでリビングに入ってきた。
書類や写真等が散りばめられたリビングを見て呆然としていると、二階から降りてきた草薙が声を掛けた。
「おかえり。俺の父親の話、聞かせて欲しいんだ」
吏絵は草薙の声に振り返ると、空き巣ではなかったという安堵の表情を一瞬見せたが、すぐさま困惑した。
「煌太郎、急にどうしたの?」
「俺の父親が米国で発見された」
草薙は吏絵を気遣い全ては伝えなかった。案の定、吏絵は言葉も発せずダイニングテーブルに顔を伏せている。
「母さんの知っている事、全部教えてくれ!」
草薙の言葉に反応した吏絵は、立ち上がり、散らかったリビングの片付けを始めながら口を開いた。
「私とお父さんは大学時代の同級生。お父さんは卒業後、大手新聞社の記者になった。一生懸命働いて、念願だった米国支社へ異動となったタイミングで結婚したの。お腹に煌太郎がいる事を伝えたら、涙を流して喜んでくれた」
父親との昔話を懐かしむ吏絵の穏やかな表情を見れば、夫婦の時間が幸せだった事は容易に想像がついた。
「失踪したのはいつ?」
「中東の紛争地帯に取材に行ったのが最後。大使館に何度問い合わせても見つからなかった・・・・・・ でも、あなたがいたから落ち込んでる暇は無かった」
吏絵が草薙に向けた力強い視線は、女手一つで育てた母親の生き様を感じた。
「前を向く為に父さんの物は全て捨てたって事か」
「違う。お父さんは自分が撮ることは大好きだったけど、撮られる事は頑なに嫌がった。だから捨てたのは衣類や生活用品」
恥ずかしいにしても、家族写真すら撮らない事などあるのだろうかと草薙は腑に落ちなかった。
「でも、どうしてお父さんが見つかったの? 今何をしているの?」
「大使館経由で聞いたから詳しい事は分からないんだ。もしかしたら母さんに連絡があるかもしれない。何かあったら直ぐに連絡して」
真実を話せば、希望に満ちた表情が一瞬で崩れると思うと、草薙は顔を見る事が出来なかった。
散らかった部屋の片付けを終えた草薙が一息つくと同時に、二階堂から着信が入る。
「今送ったメールのURLを見てくれ!」
草薙がメールに記載されたURLを開くと、動画投稿サイトに接続された。動画は「H・A・D・E・S」がライブ配信で次の標的をデジタル文字で画面に映し出していた。
「Next Target Tokyo」
画面に表示された文字を見た草薙が、テレビの電源を入れると、どの局も速報ニュースでテロ予告を伝えていた。
「犯行日時が出ていないですね。恐らくこれから東京はパニック状態になりますよ」
「ああ。緊急招集が既にかかっている。それより、今家か?」
「今実家に来ています。これから戻ります」
会話しながら吏絵に視線を送ると、軽く頷き帰ることを促された。
「親子団欒中に悪いな。明日の朝一オフィスに集合してくれ」
「了解です」
草薙は電話を切り、帰り支度を整えると、テロ予告に再び父親が絡んでいる可能性が脳裏をよぎる。
「母さん、そろそろ帰るよ」
「気をつけてね。お願いだから無理だけはしないで」
吏絵は草薙の両腕を力強く掴み、祈るように言葉を掛けた。
日本でテロが行われれば、父親の状況が吏絵に伝わる。草薙はテロ阻止に不退転の決意をした。




