破戒の末
私の名はビヒィカリ。幼き頃に捨て子となった私は親の顔を知らない。きっと愛されなかったのだろう。そして、私を拾ってくれた主人は、私が労働力になると、朝から晩まで荷物を運ばせた。食事は一日に一食で、しかも粗末なものしか食べさせてくれなかった。
私は、子供である前に奴隷であった。
私の名はビヒィカリ。幼き頃に捨て子となった私は親の顔を知らない。きっと愛されなかったのだろう。そして、私を拾ってくれた主人は、私が労働力になると、朝から晩まで荷物を運ばせた。食事は一日に一食で、しかも粗末なものしか食べさせてくれなかった。
私は、子供である前に奴隷であった。
主人の元では同じ境遇の子供が大勢いた。皆、不満こそ口にしていたが、どうすることもできず、やがて考えること止め、奴隷であることを受け入れていた。しかし、私はその理不尽に堪え切れず、自由と幸福を求め、月あかりがない夜に逃げ出した。そして、捕まらぬよう村や都を転々としながら“物乞い”をして生きてきたが、読み書きもできず、かといって犯罪に手を染める勇気のない人間は人として扱われることはなかった。
なにもできぬ私は空腹を満たすだけの生きる屍であった。
けれども、ある日、道端で説法をなさるお師匠様の言葉に耳を傾けていると、心の底で何かが弾けた。それは暗闇の中に一筋の光が差し込むような想いだった。
私は、お師匠様が説法を終えると、拙い言葉に身振り手振りを加え懸命に、「言葉に出来ぬ思い」を伝えた。
物心ついたころから、平等に扱われたことがなく、自分の発する言葉など誰も聞いてくれなかったが、お師匠様は言葉も拙く身なりの汚い物乞いの私に対して、嫌な顔ひとつせず、接せられた。
もはやこの世に未練はない。と思うほどに多幸感に包まれ、自然に涙が溢れ出ると、お師匠様は微笑みながら、「私と共に布教の旅に出ませんか?」とまで言ってくださった。
その心の広さに感動した私は、お師匠様に一生仕えてゆこうと固く誓い、お師匠様が導かれた“ムール”の教えを学びながら共に行脚した。
しかし、布教の旅は決して容易くなかった。常に命がけであった。
風雨、寒暑、空腹を耐え凌ぎ、高い山をいくつも越え、山賊と対峙し、心ない人々からの罵声、投石も日常茶飯事であった。それでも、“ムール”の教えを広め、多くの人を救いたいという想いは消えることはなかった。
行く度の困難と苦難を乗り越えて、粘り強く布教を行っていると、かつての私のようにお師匠様の説法に心打たれ、熱心にムールの教えに耳を傾けてくれる人や、それまでの生活を捨てて弟子入りする者も現れ始めた。
その様子を側で見ていて、同志が増えてゆくことに喜びを感じていたが、過酷な布教の旅の途中で夢から覚めたように脱落してしまう者には戸惑いも感じた。
去る者を優しく見送るお師匠様は、引き留めることも、叱ることもせず、「信仰は強要されて身につくものではありません。自分で気づき、心に深く根差さして初めて信仰しているといえるのです。しかし、それでも信仰の入り口に立ったというだけのもので、真理はその遥か先にあるのです。迷いながらでも、そこまで歩み続けること。これが一番難しいのです」とおっしゃられた。
その言葉を聞いて、ある人にとっては、目に見えぬものを、何の形もない「言葉」を信じることは、決して容易いことではないのだと思った。
幾人もの脱落者を出しながら、農民、猟師、商人、廷臣、盗人、僧侶、乞食、流浪人、私を入れて九人の弟子が残った。
私はこの集まりこそが“ムール”の元で一つになった人達だと思って喜んでいた。
しかし、お師匠様の一番弟子であった猟師が病で、二番弟子の流浪人が不慮の事故によって失われると、我らの中に「死について」の考え方の違いにより不和が生じた。その様子を見つめていたお師匠様は、我らを諭すこともなく、ただ、「布教こそが彼らにとっての弔いであり、葛藤の中にこそ成長の種があるのだよ」と言われ、留まることなく布教の旅をつづけた。
我らに芽生えた小さな不和は、それ以来表に出ることはなく、脱落者を出さずに長い旅を続けられたが、我々がお師匠様の代わりに説法ができるようになると、ご高齢となったお師匠様は次第に衰え歩けなくなり、ついには病床に臥された。
我らは、お師匠様の意を汲み、布教を続けながら、交代でお師匠様の看病を行ったが、どんどんやせ細り、いよいよ水も飲めなくなり、呼吸も小さくなった。
そして、この世に別れを告げる時が来たと悟られたとき、我々に向けて、息絶え絶えになりながら最後の説法をなされた。
「これが最後の説法となるでしょう。だから、よくお聞きなさい・・・。“ムール”の教えを後世に残すには、お前たちが、この先も変わりなく戒律を守ってゆかねばなりません。
一つは、金品に執着してはならない。一つは、着飾り己を偽ってはならない。一つは、嘘を言ってはならない。一つは、女人に溺れてはならない。一つは、飽食してはならない。一つは、いたずらに殺生してはならない。一つは、常に弱い人の側に立て・・・・・・。何度も言いますが、これは常に自分の心を見つめ続けるためなのです・・・。戒律を一つでも破れば、自分が何者かを忘れてしまい、“ムール”は、無くなってしまうでしょう」
お言葉を一心に聞き入っていた我らは、
「お師匠様。私どもは必ず戒律を守り通します」
と告げた。すると、お師匠様は穏やかな笑みを浮かべ、
「ありがとう・・・。私の亡骸は、葬ることなく、この場においてゆけ。我らは自然の一部。したがって、朽ちた身は自然に帰す。それがムールの在り方なのだよ」と、いう言葉を残され”ムール“の元へ旅立たれた。
我らは、冷たくなってゆくお師匠様の手を代わる代わる握り、お別れをした。
死は必ず来る。これは、真理である。生きる屍であった私を救い、導いてくださったお師匠様の死はとても悲しかった。流れる涙を拭きながら失意に暮れていると、突然廷臣が、我らに向けて、声高らかに発した。
「“ムール”は確実に広まっているのだ。さらなる発展のためには、祖であるお師匠様の亡骸は山中に放置するよりも、教祖の死を世に知らせ、葬儀を大々的に執り行い、“ムール”を信じる者の拠り所を作くらねばならない」
その言葉に深く頷く僧侶も、「その通りだ。お師匠様の功績を今以上に高めねばならぬ。お師匠様の説法を我らの手で編纂し、纏め、さらに広めようではないか」
商人も「そのためには金が必要だ。お布施を募り立派な神殿を建てようではないか」
農民も「大勢の人手が必要になるな。俺が集めてこよう」と言った。
私は、彼らの主張に驚きながら、それが本当にお師匠様の望まれたことなのだろうかと考えていると、盗人は、「俺はお師匠様の弟子だ。お前たちなどには従わん。俺はこのまま旅を続ける」と言った。
確かに盗人がいうように旅を続けることが正しいあり方なのではとも思った。しかし、”ムール”の繁栄を主張した彼らの野心みたいなものを垣間見てしまった以上、後を継ぐ彼らが、お師匠様の“ムール”をどのようにして後世に伝え、戒律を守ってゆくのかを見守り、道をはずしそうになった時、彼らの信仰心を問う人がいなければ、”ムール”は本当になくなってしまうだろうと思い、私は彼らと行動を共にすることにした。
しかし、廷臣が中心となった“ムール”は次第に変容し、翌年には廷臣の口利きによって宮廷内の権力者の擁護を得、公に各地の信者からお布施を募ることができるようなった。そして、お師匠様の意に反して、亡骸は最初の神殿に祀られ、葬儀が盛大に執り行われた。
お師匠様の説かれた“ムール”は僧侶によって、平易に改訂されると、不思議と多くの大衆に受け入れられ、熱心な信者を獲得していったが、純真に“ムール”を信じる者が増えたというよりも、宮廷での不正や汚職に対して苦しめられていた民が、“ムール”の力によって宮廷を打倒せよという一派を支持したことによるところもあったと思う。
宮廷では、『”ムール“はいずれ脅威となる』と考えるほどになり、自分の身に危機が訪れると恐れた君主と側近は”ムール”の代表となった廷臣と交渉し、“ムール”を国教と定め、宮廷に不満を持つ民衆の鎮静化を図ったが、弱みに付け込まれた君主と側近は失脚し、廷臣と密であった権力者が新たな君主となった。
その働きによって、廷臣は宮廷内で、“ムール”を総括する者となり、信者の拡大に貢献した僧侶は廷臣から”ムール“の正統継承者として承認され、神殿の統治者となった。
農民は全国から集まる“ムール”の新たな弟子たちを纏める人事を執り行うものとなった。商人は“ムール”が国教に定められると、ムール教の分家の拡大を押し進め、本殿への上納金を分家同士で競争させ、上納金の多い分家はより高い位を与えるという制度を“ムール”の解釈を歪曲して作り出した。
それによって膨れ上がったムール教の財務のすべてを掌握すると、宮廷の一部の者との癒着を強め、裏では廷臣と同等の権力を持つようになった。
彼らは、お師匠様の”教え“から離れ、威張り、着飾り、飽食し、女人に溺れ、嘘をつき、己の益のために尽くすようになり、”ムール“は人も建物も宮廷のようになってしまった。
私は、何度も、「本当に、これが、お師匠様の望まれたムールなのでしょうか」と異を唱えたが、力を持たぬ私の言葉は聞き入れられることはなかった。
お師匠様に誓った言葉は、何であったのだろう。彼らの豹変に戸惑いと怒りを覚えたが、私が怒ったとしても、彼らの心は変わりはしない。むしろ私の心が疲弊してしまうだけであり、“ムール”も戻ってこない。
私は、彼らは”ムール“から、『去った者』なのだと理解し、お師匠様がされていたように、穏やかな心を保ちながら、“彼らのムール”から離れることにした。
私が去る際、商人から「不服があるなら分家で布教すればよいではないか。おぬしは良き心の持ち主であるから、きっと信者を増すことができるであろう。人が集えば金も集まる。そうすれば豊かな暮らしができ幸福になる」と、言って”彼らのムール“に留まることを進めたが、腑に落ちず、
「・・・・・・そういう捉え方もあるのですね。しかし、それが本当に幸福といえるのでしょうか・・・。かつて私は物乞いをして生きてきました。豊かになりたくて幸福を求めました。そして、お師匠様と出会い、幸福とはなんであるかより深く考えるようになりましたが、未だに幸福とはどのようなものか上手く説明できません。ただ、”ムール“の真理を知るには、戒律を守ることが厳守であろうと思います」
そのような返答をして商人の申し出を断った。
その後、“彼らのムール”に集う者達は、私が間違った“ムール”であると教わったと、風の便りで知った。
私は今、お師匠様と出会った時のお師匠様と同い年になり、“彼らのムール”が届かない人里離れた場所で、再び、物乞いのような生活をしている。しかし、お師匠様の教えを実践し、時頼行う説法に耳を傾けてくれる者達が集うようになってくれたおかげで、慎ましくも充実した日々を送れ、ようやく幸福がどういうものなのかを理解できてきたと実感している。
そして、お師匠様が根気よく教えてくださり、ようやく身についた『文字』で、後世の者達が同じ過ちを繰り返さぬようにと、事の顛末を記している。




