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2話 調査開始

 サイバー犯罪対策課のある地下一階からエレベーターで上へ。鑑識は三階にある。

「ほんとうに私も一緒に行かなきゃダメなんですか?」

「当たり前だろう。後輩の育成だって仕事のうちなんだからな。特におまえみたいなタイプは習うより慣れろだ。俺の教育方針に意見するならもっと仕事ができるようになってからな」

「でもぉ……」

 藤太の言うことは最もであるが、それでもやよいの心はずっしりと重い。自分でも気づかぬうちにエレベーターの中で後退り、背中が壁にぶつかった。

「いくぞ」

 三階に到着したエレベーターはやよいの心境など知らぬとばかりにチン、と軽い音を立てた。

あらゆる女性に甘いと噂される伊勢崎藤太だが、どうやらやよいは例外らしい。眉を下げエレベーターの最奥でいやだいやだと首を振る部下に藤太は指をくいと曲げ無言の命令を下した。



 鑑識室の中にはやよいには使い方はおろか、何を調べるためのものかすら分からない大きな機械がいくつも置いてあり、ゴウゴウと不気味な音を立てている。機械音のせいかはたまた本当に誰もいないのかやよいには分からなかったが、藤太は遠慮なく他部署にずかずかと入りこんでいく。

「ルリ! この被害者の財布、見せてもらえる?」

 エレベーターの中でやよいと喋っていたときよりもいくらか甘えた声を出すと、部屋の奥のとりわけ大きな機械の間から白衣を纏った女性が顔を出した。真っ黒な長い前髪は顔の右半分を覆っていて、さらに顔を隠すような厚いレンズのせいで分かりにくいが、レンズの奥にある瞳は意外にもくりくりと大きい。化粧っ気がないせいでそばかすやホクロが目立つが整った顔立ちである。署内で女性を誑かすのは藤太だが、男性を誑かすのはこの女――鑑識官の三色(みいろ)ルリだ。

「藤太くんの頼みならなんでも見せてあげるわよ。今夜のディナーを一緒に行ってくれるなら、だけどね」

 聞いているだけで胃がムカムカするような甘ったるい声でルリは藤太に近づいた。まるで付き合いたての恋人のような距離だが、二人は付き合っているわけではない。もしそんなことが起きていたら署内はもっと平和で、休憩時間ぎりぎりになっても女性社員を口説く藤太が戻ってこず、やよいが昼食を食べ損ねることなどないのだから。

 やよいはこの機械だらけの部屋と、部屋を取り仕切っているこの女主人がどうにも苦手なのだ。ひとり蚊帳の外にされたやよいは、どんどん横道にそれていく話題を戻すべく藤太の袖を引いた。

「お財布なんて見てどうするんですか? もう刑事課の人たちが調べた後だから、身元を特定できるようなものは何もないってメールにも書いてあったと思うんですけど……」

「はぁ……。お前はそれでも俺の後輩か? 刑事課の連中が見つけられなかった手がかり、証拠、その他諸々を見つけて奴らの鼻っ柱を折るのが俺の楽しみだって知らないようだな。それに、サイバー犯罪対策課のやり方もな」

 藤太は偉そうにサイバー犯罪対策課のやり方、などと言っているが、やよいが配属されてからのサイバー犯罪対策課の仕事といえば、ピポリティのIDが分からない、パスワードを忘れてしまった、新しいアバターを一緒に考えてほしいなど、およそ警察の職務と呼べるものではなかった。故にこうして行方不明者――それも殺害された人物を探すといった大きな事件との向き合い方など知るはずもない。職務怠慢だ! と叫んでやりたかったが、そうしたところで嫌味が飛んでくることは明白で、やよいは口ごもるしかなかった。

 そうしてやよいが分かりやすく口を尖らせているのをにやにやと見ていたルリがするりと藤太の側から離れ、登場した時とは別の機械の間へと入っていき、次にまた別の機械の間から現れた時にはその手に証拠品袋に入った財布を持っていた。

赤茶色に黒い斑模様が入った長財布は特徴的な見た目をしている。

「刑事課はもう使わないって言ってたから、ゆっくり調べてね」

藤太に手渡された財布をやよいも覗きこむ。よくよく見てみれば、遠目に模様だと思っていたものはデザインされたものではなく、財布に染みて黒く変色した血液だったと気がつく。初めて見る禍々しい証拠品に、やよいは思わず小さな悲鳴を漏らした。



 刑事課が調べ尽くしたという財布を手に入れた二人はサイバー犯罪対策課へ戻ると、さっそく財布を広げてみることにした。

 長財布の中身は十万程度の札、小銭が少しと、レシートが数枚入っているだけで身元が分かるものはもちろん、会員証などの名前が記載されているものは何一つとして残っていなかった。これは刑事課からのメールに書いてあったとおりである。

「んー……二重構造にもなってないようですし、やっぱり何も手がかりなんて無いんじゃないですか? 名前が分かるものだけ抜かれている感じですし」

「そんなことは刑事課からのメールに書いてあっただろう。いいか、やよい。あいつら刑事課のフィールドはこの現実世界だ。そして俺達のフィールドは仮想現実の世界――つまりオンライン上にある。この財布の中身で俺達のフィールドに関係するものはどれか分かるか?」

 そう言われ、やよいは改めて机の上に並べられた証拠品を見る。長財布、札、小銭、レシート……どれも現実世界でしか使用しないものに思えてしまう。が、藤太が言うからには答えはあるのだろう。やよいは眉間をぐりぐりと押しながら考えた。

「んん……強いていえばレシート、ですか? POS端末から出てくるのでオンラインを経由していると言えなくもないのでは」

「ではこのレシートから得られる情報は?」

「えっ⁉ えーっ、と……どれも、高級ブランド店のレシートばっかり……バッグや服が多いけど、化粧品も買ってる……うーん、被害者は、女性、ですか?」

 長短さまざまなレシートを睨み答えてみたが、藤太の反応は芳しくない。これ見よがしに人差し指を振ってさえいる。

「購入品に着目したのはいいが、違う。もっとよく見るんだ」

 よく見るとはそういうことではないと分かりつつも、先ほど読み取れなかった情報を見落とさないためにもやよいはレシートにぐっと顔を近づける。



【UILO銀座店 一月三十日 レジ担当……】



「あっ! これ――このお店! 日付が一昨日です。しかもクレジットカード払いになってるから……お店に行けばカード番号がわかるんじゃないでしょうか!」

「そうだ。よく気がついたな。じゃあ早速この店に行くぞ。準備しろ」

「はいっ!」

 藤太はぽん、とやよいの頭を撫でるとスーツのジャケットを羽織ってまたひとり、先にサイバー犯罪対策課を出て行ってしまう。珍しく素直に褒められたやよいはしばし呆然とその場に佇んでいたが、我に返ると肩掛けバッグにサイバー犯罪対策課のノートパソコンを押しこんで大股で藤太の後を追いかけた。



 被害者がクレジット払いをしたレシートのうち、殺害された日の前日に買い物をしていた《UILO銀座店》に向かうことにした。

 ピポリティ上でも商品をじっくりと見て選べるようになった現在でも、実店舗に足を運ぶ客は意外にも多い。高級店がずらりと並び、ブランド品をこれみよがしに纏った人が目立つ街で自前の高そうなスーツを着ている藤太はともかく、制服姿のやよいはかなり浮いている。ちくちくと視線が刺さるいたたまれなさを振りほどくためにひとつ咳払いをしてから、やよいはやけに重たいガラス扉を押し開けた。

「警視庁サイバー犯罪対策課の犬丸(いぬまる)やよいです。捜査協力願います」

 警察手帳を開いて名乗れば店内の視線が一斉にやよいに向く。静かな店内にやよいの声がよく響いた。外にいたときのちらちらと覗き見るようなものではなく、全員がやよいを凝視している。

「店長さんいます? あ、僕も彼女と同じ警視庁サイバー犯罪対策課に所属していて、伊勢崎(いせさき)藤太(とうた)といいます。」

 手帳を見せながら微笑む藤太がやよいの横をすり抜けて一歩踏み出すと、そこでやっと店員が頷いて慌ただしくレジカウンターの裏――バックヤードと思われるほうへと駆けていく。視線こそ散り散りになったが、店内の雰囲気はいまだ物々しい。

「店長の笹倉です。警察の方がどんなご用件でしょうか」

 先ほど裏へと向かった店員に連れられて、線の細い神経質そうな男がやってきた。後退の始まった髪をべったりと撫でつけ、細い瞳は不満の色を隠そうともしていない。あきらかに協力的では無い相手に怯みかけたやよいだが、髪が大きく揺れるほどぶんぶんと頭を振って弱気を振り払う。

「こッ、この店に手がかりがあるのです!」

 ずばり笹倉を指さして宣言したが、やよいの声は上ずっていた。

「そう言われましても全く理解が出来かねますね。お客様もいらっしゃるので、詳しい話は奥の部屋で伺わせてください」

 笹倉からは溜息を。藤太からは失笑を浴びせられたやよいは、燃えるような羞恥心を堪えるべく唇をぎゅっと噛みしめた。

「堂々としててよかったぞ。まあ、ちょっとドラマの見過ぎだがな」

 顔を真っ赤にしたやよいはけらけらと笑いながら笹倉の後に続く藤太の背中に犬の威嚇さながらイッと歯を見せた。

「先輩のいじわる!」



 店内の華やかさとは裏腹に、高級ブランド店のバックヤードはこざっぱりとしていた。小スペースに小さなロッカーやノートパソコンが置かれた机、黒いソファとローテーブルは来客用だろうか。藤太は笹倉に勧められるより先にそのソファに腰を沈め、笹倉はその向かいに座る。一番最後にバックヤードに入ったやよいは所在なげに室内を見回してからそろりと藤太の横に立つことにした。

「それで、手がかりというのは……」

 笹倉が鋭い視線を藤太に向けたが、藤太はどこ吹く風である。

「はい。ご説明させていただきます。

 先日とある事件が起きました。これはまだニュースにはなっていないものですが、人が一人、亡くなっています。その被害者を特定しようにもピポリティのアカウントが見つからず、身元が不明なんです。被害者のそばに落ちていた財布の中にはレシートが入っていて、どうやら事件発生の前日にこのお店でクレジットカードを使って買い物をしていたようなんです。つまり、クレジットカードの取引履歴を見れば、被害者の身元がバッチリ分かるというわけですね。先ほど彼女が言った〝手がかり〟とはこのことです」

「そういうことなら最初からそう言ってくださらないと……うちのお客様には財政界の方も多くいらっしゃるんです。そういう方の前であのようなことを大声で叫ばれると、店の信用が揺らぎかねません」

 不満を顕わにした笹倉の眉間の皺は深くなり、細い目がより細くなる。

「すみませんね、まだ新人なもので。こいつにはよく言い聞かせておくので、端末お借りできますか」

「ほんとうに頼みますよ――端末のデータはあのパソコンでも確認できますのでご自由に」

 笹倉はいま一度鋭い視線をやよいに投げ、それから黒いノートパソコンを示すとバックヤードから出て行った。



「じゃあ始めるぞ。俺がピポリティ内のデータを見てくるから、やよいは一応従業員の監視をしつつ、サポートを頼む」

「おまかせください!」

 やよいはサイバー犯罪対策課から持ってきたノートパソコンをバッグから取り出すと、店舗のパソコンと持ちこんだそれを有線ケーブルで繋げる。やよいが操作するサイバー犯罪対策課の液晶モニタにはピポリティのログイン画面が現れた。

 ソファに深く腰掛け、目を閉じた藤太は右手薬指にはめている指輪に口を近づける。頻繁にピポリティにアクセスするようになった現在において指輪やピアス、イヤリングなどの装飾品の形状をした外部デバイスが一般的になっている。これらは肉体に触れていることを条件とし、持ち主の声紋または指紋認証によって起動する。起動後はデバイスから発信される電気信号が直接脳とピポリティを繋ぐのだ。

『ディープコネクト』

 藤太の声に反応してログイン画面が切り替わり、モニタには現在藤太とやよいがいる店舗とそっくりの店が表示された。そして店の前には3Dスキャンで作った藤太のアバターが出現した。藤太の精神は今、仮想現実――ピポリティにある。



 ピポリティにある《UILO銀座店》に入った藤太は慣れた手つきで管理画面に入りこむ。そこからリンクを踏んで飛べばそこはもう、クレジットカード会社のサーバー内である。

『ここか……』

 藤太のアバターは画面の中でゲートに囲まれている堅牢そうな見た目の建物を見上げる。余分な装飾は無く、長方形そのものといった薄墨色の建物には入り口らしきものは見当たらない。取り扱っているものがものだけにセキュリティを強固なものにするのは当たり前だが、いささか無機質すぎるな、と藤太は思う。

『さて、やよい。この店のログインIDとパスを入力してくれ』

「はい! お安い御用です」

 スピーカーから聞こえてくる指示に従い、笹倉から教えられていたIDとパスワードをやよいが入力すると、まず外側にあるゲートが物々しい音をたてて開き、次にコンクリートを塗り固めたような建物の一部がゆっくりと右へスライドした。藤太のアバターは『サンキュー』と言って手を上げると、口を開けた建物の中へと入っていった。



 無骨な建物の内部は物流倉庫を思わせた。天井にまで届かんばかりの背の高い棚には鍵付きのコンテナがぎっしりと並べられていて、それが無限に続いている。

『見た目に反して中のセキュリティ甘いんだな』

 情報がぎっしりと詰まった内部をぐるりと見回した藤太が呟く。

「内部までセキュリティをガチガチにしちゃうと、それはそれで大変ですからねぇ。とはいえ、私にはしっかりしたセキュリティに見えますけど」

『それはお前がまだまだスキル不足だからだ。俺の下にいたらすぐにここのセキュリティの甘さが分かるようになるさ――じゃあ、被害者さんを探しますか』

 藤太は仮想現実内でぐっと伸びをして手近な棚を見上げた。棚には〈A〉という見出しがついており、その棚にあるコンテナには全て〈A〉から始まる名前が書いてある。藤太が指を鳴らすと〈A〉と書いてあった棚の見出しが〈1〉に変わった。藤太が指を鳴らすたびに棚の見出しは次々と変わり、降順の日付並びになった。

『これがいいだろう』

 頷いた藤太は周りを見つつ庫内を進み、該当日時のコンテナを取り出す。

『警察です。中を改めます』

 藤太がそう宣言し胸ポケットから出した電子警察手帳をコンテナにかざすと、コンテナはRPGの宝箱のようにひとりでにパカリと口を開けた。中に入っていたデータがARのように浮かび上がる。


《棚元ツトム 1987/2/17 東京都江戸川区…… 勤務先 東京都江東区……》


 被害者の個人情報だ。

 これを見た藤太は左目を閉じてウインクの形を取る。すると、藤太が見ていた棚元のデータがスクリーンショットされてサイバー犯罪対策課のパソコンへと保存された。

『身元、判明したぞ』

「流石です、センパイ!」

 笑顔のやよいが丸型ワイプで表示された。

『身元は割れたし、一旦引き上げる、ぞ――ん?』

 結果が出たことと、ワイプのやよいに意識を向けていた藤太がクレジットカード会社から出ようとしたその瞬間、開いていたはずの扉が勢いよく閉じた。重たい鉄が激しくぶつかる音が響き、ワイプも乱れて消えてしまう。

『やよい! お前なにかしたか? 現実(そっち)は……』

「何もしてないですよぉ! こっちは、いきなりモニタが真っ暗になっちゃって……」

 音声だけは繋がっているようで、やよいが現実で慌てふためいている様がガチャガチャと激しくキーボードを叩く音を通して伝わってくる。

『こっちでもなんとか出られないか試してみるから、現実(そっち)でも――う、あっ⁉』

 藤太がなんとか脱出を試みようとやよいと交信を続けながら扉を調べていると、突如として体に電流が走った。庫内の照明が数回点滅し、そして真っ暗になる。ほどなくしてぽつぽつと非常灯が灯り、藤太の周りに薄暗い闇を作り出した。

『あーん、もう、サイアク! こっちが先に目をつけてたのにぃ!』

 庫内に響く声に藤太はあたりを見回すが、周りには誰の姿も見当たらない。

『ボクたちの邪魔、しないでよねっ!』

『ウわッ……!』

 対象を捉えられていない藤太は何かに体ごと吹き飛ばされ、棚に激突した。棚が倒れ、情報が床に散らばる。ピポリティで受けた刺激は現実世界にもリンクしているので、棚に激突したタイミングで藤太の体は大きく跳ね、そしてうずくまるように丸まった。

『邪魔? お前はここのセキュリティ、か?』

 藤太は痛む3Dの体を起こし、見えぬ敵に問いかける。

『セキュリティ……かぁ。うんうん、そうかもしれないね! アナタが見た情報は、プライバシーポリシーに反する気がするからここで始末させていただきます』

 当たりどころが悪かったのか藤太がうまく体勢を維持できないでいると、正面の景観がぐにゃりと歪み、三メートルはあろう巨大なカメレオンが姿を現した。


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