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1話 サイバー犯罪対策課


 棚元ツトムは明滅を繰り返す街灯の下で腕時計に視線を落とす。昨日買ったばかりのハイブランドの時計の針は二十三時五分を指していた。

「ふん……」

 ビンテージジーンズのポケットからスマートフォンを取り出した棚元は、親指をすいすいと動かしてメールを一通呼び出した。



――一月三十一日 午後十一時に樫ノ原公園に来い。お前が行ったことは全て知っている。死にたくなければ指示に従え。



 送信元のアドレスには見覚えが無いし、インターネットで検索をしてもそれらしい情報は得られなかったので、本来であればこんなメールに応対する義理など無いのだが『お前が行ったことは全て知っている。』という一文が棚元の胸をひどくざわつかせたのだ。しかし実際は約束の時間を過ぎてもメールの差出人らしき人物の姿は見えない。

 ただのイタズラか、とスマートフォンをポケットに収めた棚元がその場を離れようとした瞬間、視界が一気に暗くなる。ひんやりとした小さな手で両目を覆われたと気づいたときにはもう遅く、体がふわりと宙に浮かび、そして背中に強い痛みが走った。

「ぐ、うあ……ッ」

「こんばんは、ボクだよ」

 やけに近くで聞こえたハスキーな声に棚元が目を向けると、涙で滲む視界にぼんやりとしたシルエットが見えた。が、明滅する街灯と痛みに支配された脳ではぐにゃぐにゃと歪んだ相手の性別すら判断がつかなかった。

「棚元ツトムさん、だよね?」

「なんで……、名前……っ!」

「ボクのカレシが教えてくれたんだよ。アナタみたいな悪い人を見つけるのなんてちょちょいのチョイ! なんだって」

 棚元の顔を掬うように掴んだ相手はくすくすと笑い声を漏らす。

「ふむふむ、なるほど。こんな感じでどうかな?」

 親指の力がやにわに強まり、棚元の頬骨が軋む。

「ウワ、あ……!」

 棚元は冷たい指から逃れようとがむしゃらに暴れたが、相手の手はおろか指一本すら動かすことができなかった。

「ぎゃあぁッ!」

 軽い音を立てて骨が顔の内側へ折れると同時に激痛が走り、目が動かせなくなった。棚元の視界は赤く染まり、これまでの人生で経験したことのない痛みにまた藻掻くが、やっぱり冷たい手からは逃れることができないでいる。

「あんまり大きい声出さないでよ。それでも男なの? ちょっとは歯を食いしばって、かっこいいトコ見せてよね」

「いやだ、やめろ! やめてくれぇ!」

 棚元の叫び声は公園中に響き渡ったが相手の動きが止まることは無く、全身の骨を砕き、肉から引きずり出され、コンクリートには大きな血溜まりが出来上がった。

「こんなもんかな――っと。よし、任務完了!」

 棚元を一方的に凌辱した手の持ち主は、誰が見ても人とは思えぬ肉の塊の写真を撮影すると『CAPU』というチャットルームにその画像を送信した。



 犬丸(いぬまる)やよいは壁に掛けられた時計の針をじっと見つめていた。あと五分。あと五分で休憩時間がやってくるのだ。やよいの所属するサイバー犯罪対策課は良く言えば穏やかな。悪く言えば暇な部署のため、日々の業務は退屈であり、業務中の楽しみといえば毎日の休憩時間くらいなものである。こんなことを言うとまるで給食だけを楽しみにしている小学生のように聞こえるが、この部署が平和であることはすなわち世界が平和だという裏打ちなので、やよいはこのことについて文句は無かった。

 おさげにした毛先をくるくると弄りながら、一定の速度で時を刻む秒針の音に神経を集中させていたやよいの耳にふいに甲高い音が割って入った。弁当箱を置いた机のその先にある白い固定電話がけたたましく鳴り、蛍光緑の光を明滅させている。やよいはちら、と時計を見た。長針は先ほどから二目盛りしか進んでいない。つまりまだやよいの業務時間内である。なんとなく嫌な予感がしたやよいはその電話を受けたくなかったが、受けないわけにもいかなかった。

「はい。サイバー犯罪対策課、犬丸です――はい、はい……、分かりました、至急対応します!」

 受話器越しに礼を繰り返したやよいは受話器をとったことをやはり盛大に後悔した。それは刑事課からの応援要請で、やよいではとても対応しきれる内容ではなかったのだ。あと五分もすれば休憩時間が回ってきたというのに、こんな内容の電話をとってしまうとはなんともついていない。助けを求めようとサイバー犯罪対策課内を見回したやよいだが、上司である伊勢崎(いせさき)藤太(とうた)の席は空っぽだった。このままではやよいの休憩時間はなくなってしまう。

「こんなときに限って伊勢崎センパイってば……!」

 やり場の無い怒りを叫びに変えたやよいは、上司であり唯一の同僚でもある藤太を探しに部屋を飛び出した。



 パンプスの踵を鳴らし、廊下を早足で歩くやよいが目指す先は資料庫である。サイバー犯罪対策課から二階下、地下三階にある資料庫は人が寄りつかない場所のため、藤太お決まりの休憩及びサボりスポットなのである。階段を駆け下り、資料庫に近づくにつれてやよいの足は速くなる。歩幅が大きくなり、グングンとスピードを上げてあっという間に古びた扉の前に到着した。

「センパイ! いるのは分かってるんですよ――って、わ、ア!」

 扉を勢いよく開けたやよいの元に女性がひとりよろけてぶつかった。交通課で見たことがあるような気がする。頬を赤らめたその女性の手を握っているのは他でもない、やよいが探していた伊勢崎藤太その人である。

「なんだよ、やよい。俺はまだ休憩中なんだけど」

「きゅっ、休憩って、もうとっくにセンパイの休憩時間は終わってますっ! そんなことより、事件ですよ、事件ッ!」

 藤太は度々いろんな部署の女性と関係を持っている。この資料庫は藤太の口説きスポットでもあるのだ。本人曰く『キャリアとこの容姿があれば大抵の女性とうまくいく』らしい。そこまで身長は高くないが、すらりと長い手足と利発そうな顔は署内では上位を争う見た目である。

突飛な上司にやよいも初めこそ驚いたものの、人間偉いもので同じことが何度も起こるうち、上司が署内でナンパ行為を繰り返すという珍事にも慣れてしまうのである。

「俺が居なきゃダメなやつなの?」

「当たり前です。サイバー犯罪対策課の責任者は先輩なんですから、先輩が居なければ話が始まらないんですよ」

 やよいの言葉に藤太はめんどくささを隠そうともせず大きく息を吐き出すと、女性の首元に顔を寄せて「返事は急がなくていいからね」と囁いた。女性はますます顔を赤くし、反対にやよいの顔は険しくなる。

「こちらの返事は至急ですよ、センパイ」

「分かってるって。そう怖い顔をするなよ」

 藤太がわざとらしく女の髪を撫でたり別れの挨拶をしたりともたついたので、資料庫を出る頃にはもう、やよいの休憩時間は始まっていた。



 サイバー犯罪対策課に戻る道すがらも藤太は何かと不満を垂れていたが、いざサイバー犯罪対策課に戻ると藤太の顔つきはいくらか引き締まった。警察署には不釣り合いなほど高級なワーキングチェアを軽く軋ませて、デスクトップパソコンの電源を入れる。

「で、事件ってどんな? また、どっかのばーさんがピポリティのパスを忘れたとかじゃねぇだろうな」

「違いますよ! 昨晩起きた、樫ノ原公園での惨殺事件についてです」

「樫ノ原公園……? なんで現実の事件をウチが扱うんだよ」

「それが……被害者が原型を留めない程に暴行されていたため、血液から身元を調査しようとしたらしいんですが……その……被害者のピポリティアカウントが無いようなんです」

「なんだって?」

「死体の側に落ちていた持ち物にブランド品が多くあったことから、被害者はそれなりに裕福な人物であったと推察されているのに、ピポリティに登録が無いんです。あのアカウントが無いと銀行口座だって持てないのに……」

 やよいの話を聞いた藤太は椅子に座り直し、顎に手をやり小さく唸る。

『ピポリティ』。それは役所の各種手続きから日常チャットまで幅広く網羅した世界規模のトータルオンラインサービスである。このアカウントが無いということは、すなわち戸籍が無いことに等しい状態だとも言える。

「つまりピポリティにいない人物を探せってことか……」

「そうなんですけど、でも――そんなこと、できるんですか……?」

「あのなぁ、やよい。お前、自分で言ったろう。被害者は裕福、アカウントがないと銀行口座も作れないって」

「え? 言いましたけど……それがどうかしたんですか?」

 藤太は刑事課から送られてきていたメールにさっと目を通し、指をパチンと打ち鳴らした。

「よし。鑑識行くぞ。やよいも着いてこい」

「鑑識ですか? 刑事課じゃなくて?」

 ひとり納得した藤太は戸惑うやよいの言葉には何も答えず、再び椅子を軋ませるとひとりさっさとサイバー犯罪対策課を出て行ってしまった。

「え? えぇっ⁉ 待ってくださいよ、センパイ! 私、休憩がまだなんですけど!」

 やよいは机に置いていた弁当箱と開け放たれたままの扉に視線を往復させた。今日の弁当にはやよいお気に入りの総菜屋のハンバーグを入れてきたのだ。しかし警察官たるもの名指しされたからには逃げることもできず、やよいはひとつ地団太を踏んでから藤太の背を追ってサイバー犯罪対策課を後にした。


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