第33話 黄金の果実 5/6
山頂の村落に一泊しての翌朝。
目覚めはこれまでにない体験と共に訪れた。
甘く爽やかで瑞々しい果実の香りに誘われての目覚め――。
そう聞くととても清々しいものであるかのように思えるが、実際は脳が誤作動を起こし、今まさにその果実を食べているのだと錯覚して口をもごもごさせ、結果として『食べているはずなのに味がない、おかしい、なんだこれは!?』とびっくりして飛び起きることになった。
きっと居眠りしている鼻先におやつを近付けられて目覚める犬猫はこんな感じなのだろう。
香りは霊樹に実る生命の果実から発せられるもの。
どうやら明け方あたりに漂い始めたらしい。
「あー! いい匂いするー! あー!」
「いい匂いー! すごくいい匂いー!」
「んー! んー!」
「あおあおーん! あおーん!」
おちびーズは香りに脳をやられ、ちょっとした錯乱状態。
居ても立ってもいられず、村落を飛び出すと霊樹に向かって草原を駆ける。しかしはやりすぎた気持ちに体がついてこなかったのか、途中ですてーんとノラが転び、それに巻き込まれてディアやラウくんも転び、そこに追走していたペロやニャンゴリアーズが飛びかかってわちゃわちゃし始めた。
「これ香りにやべえ成分混じってんじゃねえの?」
転んだきり、ジタバタしながら「いい匂いー!」と叫ぶばかりになったおちびーズ。
見ていて心配になる。
「どうやら子供たちには刺激が強かったようだな。だがこの香りは体に悪いものではない。心配するな、いずれ落ち着く」
「ならいいが……」
シルに言われ、少しほっとする。
それと同時に、おちびーズがああなのだから、人よりも嗅覚に優れた獣が押し寄せてくるのもなるほどと納得できた。
「でも本当にいい香りですよねー。なんだか口の中に甘みを錯覚するほどですよ。ケインさん、果実ってどんな味だったんです?」
尋ねてくる食いしん坊。
俺が果実を食べた経験があることは、空の旅の休憩時にちょっと説明した。皆の反応が「ふーん」とか「へー」程度でしかなかったのがちょっと意外。やたら寿命の長い種族がいる世界だからだろうか。何故かエレザだけはすごい目で見つめてきたが。
「味か……。美味しいは美味しいが、正直この香りに見合うほどではなかったな……」
見た目はリンゴのようだが、味や食感は固い品種の桃みたいな感じだったことを覚えている。ちなみに種なしだ。
「エレザはどう感じた?」
「あー、すみません、食べるのに必死で、味はまったく覚えてないんです。……てへっ」
おどける二十――いや、十四歳。
年相応だ。
心が軋むのは錯覚だろう。
「まあこれですさまじく美味しかったら……あ」
と、俺はふとした思いつきを言葉にしかけ、ハッとして口を噤む。
「どうした?」
「いや、大したことじゃないんだ。気にするな」
そうシルに答えつつ、俺は平静を装う。
危ない、うっかり『美味しかったら創造して食べたくなるかも』なんて口走りそうになった。もし実際に創造できてしまった場合、たとえそれが効果の劣化した代物であっても俺の立場は非常に危ういものとなることだろう。なにしろ量産できるからな。あの婆さんたちに知られようものなら、きっと悠々自適は光の速さで遠のいていくはずだ。
「ケイン様、ケイン様」
「うん?」
「御存知でしょうか、わたくし、口の堅いメイドなんですよ」
「え」
「口の堅いメイドなんです」
「……う、うん、口の堅いメイドなんだな。わかった。いつかエレザにはちょっとした実験に付き合ってもらうことになるかもしれない」
「はい、その時が来ることを心待ちにしておりますっ」
にこっと微笑む笑顔が恐い。
これでもし創造した生命の果実に若返りの効果がなかったら俺の命が危ういかもしれん。
いざとなったらシルにおねだりしよう。
そうしよう。
△◆▽
錯乱するおちびーズを落ち着かせるべく、俺はぐるぐる渦巻きのペロペロキャンディーを配った。これによりおちびーズはふんふん香りを嗅ぎながら一心不乱にペロペロキャンディーをペロペロするようになり、ひとまず落ち着きを取り戻す。ペロもペロペロキャンディー持ち係に任命したシセリアが持つペロペロキャンディーをペロペロ。ペロペロキャンディー持ち係を全うする条件としてペロペロキャンディーを要求したシセリアも自分のペロペロキャンディーをペロペロだ。
ニャンゴリアーズは勝手に来た罰として何も無し。すると猫どもは『ふざけんな!』『おやつよこせ!』と俺をよじ登っての抗議行動を始めた。だがこれで根負けしておやつを与えようものなら、奴らは圧力を掛ければ要求が通ると歪な学習をしてしまう。そこで俺は一計を案じ、マタタビの小枝を放った。愚かな猫どもはすぐさまこれに反応し、我先にと飛び掛かると醜い奪い合いを始めた。クーニャも混ざった。ちょっとした地獄がそこにあった。
「ふははは、争え、もっと争え」
そんな若干カオスな状況になっていたところ――
「ケインくーん」
ふわっと舞い降りてくる竜。
ヴィグ兄さんだ。
「僕たちはそろそろ撃退の準備を始めるから。ケインくんたちは霊樹の根元あたりで見学するのがいいと思うよ。それじゃ」
そう言い残し、ヴィグ兄さんは飛び去る。
すでに村落にいた竜や婆さん、エルフたちは動き出していた。
竜たちは竜化して散り、霊樹を囲むようにして荒野、またはその上空で待機。婆さんたちはより内側――荒野と草原の境界辺りに間隔をあけて陣取り、エルフたちはさらに内側、霊樹を中心にして方円陣を形成する。
俺たちはヴィグ兄さんに言われたとおり、霊樹の根元に移動して待機することにした。
しばらくはのどかなものだった。
だがおちびーズに与えたペロペロキャンディーがペロペロされつくされる頃、遠くでドゴーンと爆発音があり、見れば土煙のほか魔獣らしき影がまとめて吹き飛ばされているのが見えた。
そしてこれを皮切りに、頂上のあちこちから同じような爆発音が響いてくるようになる。
「んー、よく見えないの」
やや不満げにノラが言う。
確かにここからでは、なんとなく魔獣が撃退されているとしかわからない。
そこで俺は物見の塔を作り上げ、双眼鏡を創造して皆に配った。
「これものすごく見える!」
「うわー、魔獣がいっぱ――あっ、まとめて飛ばされた!」
撃退の様子が見えるようになり、ノラとディアは大はしゃぎ。
ラウくんは静かだが、それでも目が離せなくなっているのはわかる。
「あっ、見たこともない走鳥がいるじゃねえか。しまったな、余裕があれば仕留めてくれって頼んどきゃよかった……。いや、飛んでくる奴らは墜落するだろうし、それを貰えばいいか」
昨日、なんだかんだで竜たちと仲良くなったアイルの呟き。
相変わらずその方向性にブレはない。
しかしそんな暢気な面子がいる一方で――
「なんか見たこともないヤバイ魔獣ばかりのような……」
怯えているのがシセリアだ。
「まあここもユーゼリアの森みたいなものだからな。魔獣もそれなりに強いものが多いぞ」
「ひえっ」
シルが親切に教えた結果、シセリアはますます怯えることに。
確かに襲われたらひとたまりもない魔獣がここ目指して押し寄せているのだから、それも致し方ないのだろう。
しかし――
「いざとなったら俺を守るべき騎士がこれでは困るな」
「いや、かろうじてのお世話係な私にそんな荷の重いことを求められても困りますよ。そもそもこんな私が、ケインさんをいったい何から守るって言うんですか」
「んー……世間体とか?」
「それこそ無茶ですよー」
我が騎士は失礼だ。
神殿騎士に任命されたのはその世間体が関わっていたというのに。
そんな俺の世間体を脅かす原因たるクーニャは素知らぬ様子で撃退の様子を見守っていたが、ふとシルに尋ねる。
「シルヴェール様、どうも見たところ、魔獣を蹴散らすばかりで殺してはいませんよね? どうしてですか?」
「……」
「ケイン様、シルヴェール様が口を利いてくれないのですが……」
「シル、気持ちはわかるが、俺も気になるし教えてくれないか」
「むぅ……。まあ殲滅してしまえば話は簡単だよ。しかしある意味あの魔獣たちもこの場所の守り手なんだ。よけいな者が近付けないようにというな。それにあまり本気で攻撃してしまうと荒野どころではなくなる」
「そういうことか」
だがそうなると、魔獣どもが諦めるなり気絶するなりしないことには、数は減るどころかどんどんと増えていくのではないか?
そんな思いつきは、すぐに現実のものとなった。
全方位から押し寄せる魔獣に対処するため、竜たちの攻撃頻度が急増し、なんだか急ぎ過ぎた花火大会みたいにボカーン、チュドーンと爆発音がひっきりなしに聞こえてくるようになった。
もはや土煙は晴れることがなく、山頂の平地はぐるっと土の壁でも生えてきたような有様である。
ここまでくると討ち漏らしの魔獣もちらほら出てきて、この対処を任された婆さんたちは正体を見破られた妖怪が発するような奇声を上げながら爆発を起こしたり竜巻を発生させたり、稲妻を放ったり氷山を降らせたりと天変地異もかくやという激しさでもって魔獣の草原侵入を阻んでいる。
しかしそれでも一匹二匹の小さな魔獣が包囲網を突破するため、最終防衛ラインを任された武装エルフたちが悲壮な雄叫びを上げて突撃していく。
どうも手加減する余裕はないようで、完全にぶっ殺す勢いでの戦闘だ。
雄の鹿みたいな角を生やした枝角兎や、背中にぶっとい棘を生やす槍大鼠との戦いは熾烈を極めている。
「おお……なんかすごい! せんせー、私も冒険者になったらこんな感じの戦いに参加するのかな!」
「わたしもするー! はやく魔法おぼえないと!」
「うん、この光景を見ても臆するどころか嬉しそうなのはすごいな。でも普通の冒険者がこんな戦いに身を投じることはないよ? 俺でもこの規模の戦いを見るのは初めてだよ?」
いつか大森林から魔獣が溢れだしたらそんな機会も生まれるかもしれないが……間違いなく俺は付き添いだな。
さすがに心配すぎる。




