第32話 黄金の果実 4/6
竜に乗っての空の旅は思ったよりも快適だった。
シルやヴィグ兄さんは俺たちを魔法で保護してくれているらしく、影響はちょっと強い風が吹きつけてきて肌寒いくらいのもの、ノラやディアがすごいすごいとキャッキャする余裕がある。
朝方に出発した俺たちは、途中何度か地上に降りての休憩を挟みつつ進み、夕方近くになって目的の霊峰に辿り着いた。
いったいどれくらいの距離を進んだのだろう?
飛行速度は確実に時速百キロメートルは出ていた。
さすがに三百キロは出ていないと思うが……まあ間を取って時速二百キロだった場合、八時間ほどの飛行だったので千六百キロメートル進んだことになる。本州の長さくらいか? こう考えるとそう大したものでもないような気になるが、地球一周が四万キロメートルらしいので、つまり二十五分の一をぶっ飛ばしてきたことになる。結構な大移動だ。
霊峰は小ぶりな富士山とでも言えばいいだろうか、大地が盛り上がった実に山らしい山であり、山頂付近まで林冠で覆われている。ただし山頂は平らな荒野となっており、中心部だけが草原、そして真ん中にはでっかい木――霊樹が生えていた。
霊樹は俺の想像よりは小ぶり。高さは百メートルくらいだろうか? まあ枝の広がりがすごいので、確かにびっくりするほどの巨大さではある。
シルとヴィグ兄さんは山頂の上空をぐるっと一回りしたあと、草原にある小さな村落へと舞い降りた。
俺たちがえっちらおっちら竜の背から下りていたところ、なんか美男美女が二十人ばかり集まってきた。誰も彼も良い身なりをしており、これから晩餐会にお出かけと言われても違和感がない。
「おお、ヴィグ、遅いぞ。結構ぎりぎりじゃないか」
そう気安く声をかけたのは集まってきた内の男性。
なんとなく予想していたが、この集団はみんな竜なのだろう。
若者ばかりなのは……あれか、親に面倒事を押しつけられたか。地域の仕事を押しつけられるみたいな感じで。
「あれ? もう? もう少し後かと思ってたけど」
「収穫は明日か、明後日かってところだ。で、シルちゃんはちょっとぶりだな。お土産に貰った酒は大事に飲んでるぜ。もうちょっとしかないが」
酒……もしかしてシルがお土産に大量に持って帰って、親にお裾分けさせられたあれか?
どうやら評判は良いようで、集まった竜たちは「うちはもう無い」とか「親がわけてくれない」とか話している。
「シルちゃんも撃退に参加してくれるのか?」
「いや、シルはどちらかと言えば見学になるかな。友達と一緒に」
「うむ。討ち漏らしの退治くらいはするがな」
「ほう、友達か……」
と、ここで竜さんたちの注意が草原へと下りきった俺たちへ向けられる。
「紹介するよ。まず彼はケインくん。使徒だから変なちょっかいはかけないようにね」
「し……!?」
人化したヴィグ兄さんの紹介に、竜さんたちはざわっと反応。
おかしい、どうも好意的ではない。
俺は無害な使徒なんですけどね、なんで引くんですかね。
「あとシルが贈ったお酒はすべて彼が用意したものだから」
「え……!?」
このヴィグ兄さんの言葉に、やや引き気味だった竜さんたちの反応が一転し、なんか好物でも見つけた獣の目になった。
「なるほど……。ふっ、我が友たるヴィグの妹の友なら、我が友も同然だな!」
なんか師の師は師も同然みたいなこと言いだした。
周りの竜さんたちはもっと率直に「あのお酒、まだあるー?」とか「売ってくれないー?」とか好き勝手言い始め、ちょっと紹介どころではなくなってくる。
「ああもう、兄上は余計なことを! これではここに居る間、ずっとつきまとわれるではないですか!」
「いや苦手意識を持たれるよりはいいかなと……」
でも予想より食いつきが凄かった、と。
「姐さん、姐さん、ここはオレに任してくだせえ! 師匠!」
「へいへい」
アイルが何をしようとしているかはすぐにわかったので、俺はさっさと〈猫袋〉に入れてきた屋台を出す。なんでまた屋台なんぞ持ってきたかと言うと、アイルが故郷のエルフたちに立派になった姿を見てもらいたいとお願いされたからであった。
屋台を出したあと、さらにテーブルやイスも出し、みんなにも手伝ってもらって配置する。各テーブルにまず作り置きしておいた大皿に山盛りのカラアゲ、それからキンキンに冷えたビールが注がれたジョッキをどんどん置いていくと、いったい何が始まったのかと唖然と見守っていた竜さんたちがふらふらと吸い寄せられるようにテーブルにつく。
なんというドラゴンホイホイであろうか。
まんまと誘き寄せられた竜さんたちは、まずビールをぐびびーっと飲み干し、これで完全にスイッチが入ったのか、あとはもう飲み食いして騒ぐだけの集団と化した。
なんか身なりが良いせいで結婚式後の二次会みたいだ。
ヴィグ兄さんもしれっと混ざってるし……。
△◆▽
「あいよぉ! カラアゲ揚げたてぇ! シセリア、空いてるところに持っていってくれ! クーニャはジョッキの回収頼む!」
「はふっはふぅ、ふわーい!」
「どうして私が給仕の真似事などを……」
突然の屋台営業となったものの、アイルは生き生きとしている。
駆り出されたシセリアはつまみ食いできるのでまんざらでもなさそうだが、クーニャはちょっと不満そうである。
この竜さんたちの酒盛り、珍しい光景ではあれど見ていて楽しいものでもないため、おちびーズはエレザに任せて霊樹の見学に行かせた。
そのためこの場には遠目に酒盛りを見守る俺と、酒盛りにちょっと混ざりたそうな顔をしているシルが残されている。
「シルも混ざってきていいぞ?」
「むぅ……。いや、今回はお前の案内みたいなものだから」
「案内ねぇ……。あ、そういやどういう流れで収穫するとかまだ聞いてないな」
「流れ? ふむ、収穫時が近づくと、果実は半日ほどとても良い香りを放つようになるのでな、これに誘き寄せられた魔獣を撃退するのだ」
「撃退しつつ隙を見て収穫って感じなのか?」
「いや、香りがしているうちはまだ収穫しては駄目なんだ。収穫は香りが収まってからになる」
「ああ、その香りがする半日を守り抜けって話か」
「うむ。実際にはそこまで長い時間ではないのだがな。香りが漂い始めて、それに誘われた魔獣がやってくるまでに猶予がある」
なるほどなー、とシルの話を聞く。
俺はさらに詳しく防衛戦のことを尋ねようとしたのだが――
「ケインさ~ん! ちょっと来てくださいよー! なんかアイルさんがエルフの人たちと揉めちゃってるんですー!」
つまみ食いに勤しんでいたシセリアが助けを求めてきた。
ひとまず屋台まで行ってみたところ、そこには十人ばかりのエルフの集まりができており、さらに遠巻きに様子を窺っているエルフの集団があった。たぶんこのエルフたちが霊樹の世話係なのだろう。
そして屋台に集まったエルフたちのうち、一人が代表するようにアイルに絡んでいる。
だが当のアイルはというと、構わずカラアゲを揚げ続けていた。
「里を追い出されて少しは懲りたかと思えば、よりにもよってこの聖域で鳥料理の提供だと!? お前はどれだけ金色の鷲の里を虚仮にすれば気が済むのだ!」
「いや別に追い出されたわけじゃねえし。それにここの責任者の竜たちは喜んでくれてるぜ? 屋台開いたら駄目なんて取り決めがあるわけじゃないんだろ? ったく、相変わらず親父は頭が固ぇな」
どうやらブチキレてるのはアイルの親父さんらしい。
これは……絡みにくいな。
むしろ俺は行かない方がいいかもしれない、そう思ってこっそり逃げようとしたが――
「あ! 師匠! 紹介するぜ、このうるせえのがオレの親父な! 集まってんのが里の者で、離れて見てんのが各里の長老と他の里の連中だ!」
「お、おう……」
残念、アイルに見つかってしまった。
「師匠だと……? 貴様か! うちの娘をますますおかしくした元凶は! ただでさえ鳥が守護幻獣の里で生まれ育ち、名前が鳥を愛する者だというのに鳥が好物という異端だったのだぞ!? それがさらに鳥専門の料理人だと!? 我らを馬鹿にしているのか!?」
アイルの親父さんがめっちゃ食ってかかってくる。
屋台に集まっていたエルフたちも同意見なのか、俺に対して厳しい目つき。
どうしよう、反論したいけど事実その通りなので何も言えねえ。
「宣戦布告なら受けて立つぞ!? もしこれが我らを怒らせ、里から誘き出す企みであったなら残念だな! その場合、貴様は我らだけでなく我らを保護する――」
「親父、師匠は使徒なんだから喧嘩売るのやめてくれよ。下手するとエルフが滅ぶだろ」
「え?」
このアイルの言葉に、親父さんはアイルを見て、俺を見て、またアイルを見て、そして俺を見る。
「きさ――貴方は使徒なのですか?」
「まあ、使徒だな」
「……」
ついさっきまで元気ハツラツだった親父さんがしゅーんと項垂れ、集まっていたエルフたちも、すん、と大人しくなった。
突然のお通夜。
どうしたものかと思っていると、遠巻きに見ていた集団から年寄りエルフたちがしずしずとやって来る。
「あ、師匠、先頭にいるのがうちの長老爺ちゃんな、他は別の里の長老たちだ。っと、カラアゲ揚げたてぇ! シセリア、頼む!」
「いや、お前この状況でもカラアゲ揚げ続けるのおかしくね……?」
アイルのモンスターメンタルに驚いているうちに、長老たちは俺の前まで来ると、静かに跪いた。
「うちの者が大変な失礼を……」
「ここはどうか我らの首でお許しいただきたく……」
「エルフを滅ぼすのはどうかご勘弁願えませぬか……」
「首とかいらねえし! えっ、なんなの、アイルといい、あんたらといい、エルフってお詫びで首をやり取りする種族なの!?」
もし俺が無礼を働いた場合、首を要求されるのだろうか?
恐い。
「おいアイル、なんとか……って何めっちゃ笑ってんの!?」
「ふひひひっ、いや、ほら、長老爺ちゃんたちもオレとやること同じだったから、なんか面白くてさ!」
「真面目に首を差し出される俺は笑えんわ。とにかくどうにかしてくれ、俺は怒ってねえし、怒ってたとしてもエルフを滅ぼしたりしねえから!」
「しゃーねーなー」
と、ここでようやくアイルは作業を中断し、長老たちの誤解を解くべく説得を始めた。
△◆▽
誤解については、以前アイルが俺に真っ向から喧嘩を売ったものの許された話をしたことでなんとか解けた。
長老たちはアイルが自分の首で事を収めようと試みた話に何故か感心し、長老爺さんはなんかでっかい珠のついた首飾りをアイルに贈り、そのあと発端となった親父さんに対しては「お前は頭が固い」と窘めていた。
こうして誤解はどうにかなったが、それでも俺がいるとエルフたちは恐怖――いや、恐縮してしまうようだったので、俺はシルと一緒に屋台を離れておちびーズの所へ行くことにした。
「己の過ちを認めた愚かなエルフたち、長たちは己の首を差し出そうとするも、慈悲深いケイン様は……」
そんな俺とシルの後を付いてきながら、やや捏造した事実をガリガリ記録しているのはクーニャである。
そしておちびーズを探すことしばし。
ようやく見つけたおちびーズは、何やら婆さんたちの集団に囲まれていた。
もう個人としての特徴すら老いすぎて消えかけている婆さんたちは、おちびーズを可愛いねぇ可愛いねぇと愛でている。おそらくそれは本来であればほのぼのとした光景なのだろうが……なんか妖怪の集団が美味しそうな獲物を可愛がっているようにも見えて困る。
「あ、ケイン様、こちらの方々はヴィグリード様の説明にあったという監視人の方々です」
「あ……」
そのエレザの話を聞いたとき、俺の胸に去来したのは謎の納得であった。深く考えてはいけない。婆さんばかりなのは、なんて突っ込みなどもってのほか、ただありのままを受け入れるべきだという、そんな納得だ。
「おやおや、お前さんがシルちゃんのお友達かい」
「あのちっちゃかったシルちゃんがねぇ……」
「ふぇっふぇっふぇっ、儂らが歳を食うわけじゃて」
おい、この婆さんたち竜であるシルを孫扱いだぞ。
いったいどれほどの……って、ダメだ、考えてはいけない。
「さあシルちゃん、この婆たちにお友達のことを聞かせてくれるかい?」
「順番にずいぶん焦らされたものの、こんな楽しみがあるなら話はべつさね」
「いや、あの、私は案内をだな……」
こっちゃ来い、こっちゃ来い、と誘う妖怪――ではなく婆さんたちにシルも強くは出られず、俺に助けてほしそうな目を向けてくる。
だが……すまんなシル、それは無理な相談ってものだ。シルを孫扱いするような婆さんたちにどう立ち向かえと言うのか。もし巻き込まれて昔話でも始まろうものなら、俺は寿命を迎えるまで解放されることはないだろう。
こうして婆さんたちはシル、さらにはおちびーズとエレザを連れ去っていったが、どういうわけか一人の婆さんが俺の側に残った。
「お前さんお前さん、知っておるかね、この霊樹がどうして存在するかという話は」
「い、いや、知らないな」
「そうかいそうかい、じゃあそう嫌な顔せんで聞くといい。この霊樹はね、ニャザトース様がわざわざここに置いたものさね」
「ほう? 神さまがわざわざか」
「そうさね。ニャザトース様の待ち人が、いつかこの世界に生まれ落ちたとき、なるべく長く過ごしてもらえるようにとね」
「あの! それはもしかしてニャザトース様を抱く女性の像の、あの女性ではないですか!?」
そう言えば残っていたクーニャが話に食いつく。
すると婆さんは深々とうなずいた。
「その通りさね。そんな由来があるのでね、この地は同じ時を生きられない者たちにとって特別な場所でもあるのさ」
「へー」
「……おおう、清々しいほどにわかっとらん。こりゃシルちゃん頑張らんとのう……」
「うん?」
シルが何を頑張るのか――そう思った、その時だ。
「ケインさーん! ケインさーん!」
またしてもシセリアの呼ぶ声が。
屋台で何かあったのかと思いつつ俺は目を向け、そして目を剥く。
「なんか置いてきた猫ちゃんたちが居るんですけどー!」
「なんで居るの!?」
そこにはシセリアの後を追ってくるニャンゴリアーズの姿があった。
空間を渡るとは聞いたが……まったく、恐るべき猫どもである。




