第25話 出世街道真っ逆さま
森ねこ亭の猫まみれ問題が片付いた。
ニャンゴリアーズは出ていかず、さらに猫娘が追加されてしまうという致命的な結末であることに目を瞑れば、なのだが。
しかしながら、ニャンゴリアーズの面倒はクーニャが見るわけで、なにも俺がお世話に忙殺されるわけではない。であればクーニャというやや狂信者に両足を突っ込んだ娘が同じ屋根の下にいるという問題はあるものの、猫がいる生活というのはそう悪いものでもないはずだ。
なにしろ、元の世界では猫カフェなる猫との触れ合いの場を提供する喫茶店が存在するくらい猫は人々に求められていた。猫と触れ合う時、人は不安やストレスが軽減されて安らぎを感じ、医学的には血圧が下がることが認められている。
さらに聞くところによれば、いずれ猫は癌に効くようになるらしい。
いや、それどころかそう遠くない未来、人は猫によって老いすら克服するとかなんとか。
さすがに狂気である。
いったい猫をなんだと思っているのか。
まあともかく、森ねこ亭が猫カフェのようになるのか、それとも多頭飼育崩壊を起こしての半廃墟になるのか、これはクーニャの手腕にかかっている。
森ねこ亭に泊まると宣言したあと、クーニャは神殿にこのことを伝えるべく一度引き返していった。
おそらくは認められ、後日ウニャ爺さんが挨拶に来るのではないかと言っていたが、果たして……。
クーニャが出掛けたあと、俺たちはクーニャの宿泊祝いと、森ねこ亭が正式に『満室』となったことを祝うための宴の準備を進める。
やがて夕方になったところで、大荷物を背負ったクーニャが神殿から戻った。
そして戸惑った。
「い、いったい何が始まるんです……?」
「宴だ」
「え?」
「お前がこの宿に宿泊することを祝うと同時に、この宿がめでたく満室になったことを祝う宴だ」
「???」
なに言ってんだコイツ、って顔された。
ちゃんと経緯を説明しても、たぶん同じ顔されるんだろうなとわかってしまうのがちょっと切なかった。
△◆▽
森ねこ亭の『満室』を祝う宴、その翌朝。
宿の裏庭にはニャンゴリアーズの輪ができており、その中心では跪いたクーニャが瞑目して天を仰ぎうにゃうにゃ言っていた。
「うにゃ、うにゃ、にゃざとおす、ごろにゃん……! うにゃ、うにゃ、にゃざとおす、ごろにゃん……!」
「発情期か」
「ちがわい!」
呟いたら怒鳴られた。
が――
「あ、ケイン様でしたか、すみません」
呟いたのが俺だと知り、クーニャはひとまず立ち上がって取り澄ます。
「でもケイン様、今のはちょっとひどいですよ?」
「配慮に欠けたか」
「そうではなく……! まず私は発情などしておりません。――ってどうしてそんな疑いの目を向けるのですか? 本当ですよ? こんな早朝から発情して外で悶えているとか、ケイン様は私をどんな変態だと思っているのですか」
「どんなもなにも、まず発情期という発想がお前の人となりから導き出されたものなわけだし……」
「初めてお目にかかった時のことを仰りたいのですね? 誤解です。あれは信仰心の発露です。ついうっかり漏れてしまったのです」
「……」
あれを否定できればまだマシなんだがな。
それをしない、つまり内心は肯定しているというわけで、まさにそこがこの猫娘のアレなところだ。
「それで……ああ、私が唱えていたのはニャザトース様への祈りの言葉ですからね? 信徒は朝昼晩と、このように祈るのです」
「ウニャ爺さんもか?」
「ウニャ……? あ、ウニャード様のことですか。それはもちろんですが……ウニャ爺さん……ふふ」
「ちなみにお前はクーニャだ」
「にゃ!? そ、そう来ますか。にゃあにゃあ言っていた幼い頃はそう呼ばれていましたが……懐かしいよりも気恥ずかしいですね」
そう照れるクーニャはその仕草も含め実に可愛らしい。
狂える信仰心さえなければさぞ……。
完璧超人なんてものは存在しないのだな、としみじみ思えてしまう。
するとそこで、大人しかったニャンゴリアーズがなあなあと鳴いてクーニャにすり寄り始めた。
「はいはい、食事ですね。それではケイン様、私はこの子たちの朝食の用意をしないといけませんので」
微笑みつつ、クーニャは体を擦り着けようとしてくるニャンゴリアーズを連れて裏庭を後にした。
出会いが強烈であったため、本当にニャンゴリアーズの世話をしっかりしてくれるかちょっと心配だったが、あの様子なら杞憂ですんでくれそうだ。
何故か宿泊客も宿屋一家と一緒になって朝のお仕事をするこの森ねこ亭、クーニャの仕事はそのまま滞在目的でもあるニャンゴリアーズの世話になるだろう。
餌の用意、水の交換、猫用トイレの掃除と、この辺りは基本となるが、さらにクーニャはニャンゴリアーズの簡単な健康診断とブラシがけを行うようだ。
で――
「ケイン様! これなんですか!? これ! 驚くほど毛が取れるのですが!」
クーニャはファー○ネーターを試し、その性能に驚嘆した。
どうやらノラとディアにお勧めされて試してみたらしい。
「なんだと言われても、そのまんま驚くほど毛がとれる櫛だな。でもたくさん毛がとれるからって、やりすぎてもよくないんだ。もう昨日やったから、しばらくやらなくていいぞ」
「おや、そうなのですか」
クーニャはちょっと残念そうにファー○ネーターを見つめる。
そしてぼそっと。
「これでウニャード様の髭を梳かしてみたい……」
「気持ちはわかるけど、たぶん効果ないぞ」
「え、こんなに取れるのに?」
「ああ。あんまり毛が収穫できるんで、もしかして毛をすいてる、もしくは引っこ抜いてるんじゃないかと疑って自分の髪を梳いてみたことがあるんだ」
結果、ザリザリと櫛にあるまじき音はさせたものの、毛がすかれたり、引っこ抜かれることはなかった。
ファー○ネーターはマジで抜け毛を取り去る構造なのだ。
ちょっとお高いのも納得である。
△◆▽
そんな少し話題に上ったウニャ爺さんがオードランら神殿騎士をともなって森ねこ亭を訪れたのはお昼過ぎのことだった。
「この度はうちの猫たちがご迷惑をおかけして大変申し訳なく……」
来て早々、ウニャ爺さんは皆が集まる中で謝罪。
それからあらためて猫どもを回収しにくるのに丸二日かかった理由の説明があった。
初日は俺に付いていったことがわかっていたので、そのうち戻ってくるだろうと気楽に考えていたらしい。しかし二日目になっても帰ってこず、これが三日目になったところで、神殿側は俺が猫たちを気に入って引き留めていると考えるようになったそうな。
なんでやねん、と突っ込みを入れたいところであったが――
「あの猫たち、実はニャルラニャテップ様に仕える特別な猫でして、たとえ部屋に閉じ込めようと空間を飛びこえて逃げ出すことができるのです。となれば、使徒様であるケイン様が側に居てほしいと願ったことで留まっているのではないかと思いまして……」
ニャンゴリアーズは俺の想像よりもワンランク上の妖怪だった。
つまり俺はニャンゴリアーズが神殿からのこのこ付いてこようとした段階で「このクソ猫ども! 付いてくんじゃねえボケェ!」と追い払わねばならなかったのか。
猫嫌いでもなければ、普通そんなことしねえよ……。
「なるほど、話はわかった。でも神殿としては、猫たちがこっちに居てもいいのか? なにか不都合があったりはしないか?」
「不都合はありませんね。こういう猫たちは神殿で世話をするのが通例ですが、ケイン様の側にいることを望むのであれば話は別となります。まずそもそも、それを止めることができませんし」
つまり昨日のクーニャは『神殿に戻りたいにゃん……』と思っているであろう猫たちのため、俺と交渉するために訪問したわけだ。
だが実際は『絶対ここに住むにゃん! 住むにゃん!』であり、俺が迷惑していたために世話係として留まることを決めた、と。
「猫たちの世話については、クリスティーニャに任せておけば問題ありません。もちろん、かかる費用はすべて神殿が負担します」
「世話係を別の人に代えてもらうことはできない?」
「ケインさまぁ~」
なんかクーニャの悲しげな声が聞こえたが気にしない。
「交代は可能ですが、しかしクリスティーニャ以上の適任はおりません。残念ながら」
「ウニャードさまぁ~?」
「クリスティーニャは猫たちと意思疎通できることもあり、これまで猫たちの世話を一手に引き受けておりました。それもあって猫たちもよく懐いております。やはり適任はクリスティーニャかと」
「適任なのか……」
「はい。申し訳ないのですが」
「うぅ……」
静かになったクーニャは恨めしげな顔で拗ねており、ニャンゴリアーズはそれを慰めようとしているのか集まってにゃごにゃご鳴いている。確かによく懐いていた。
「わかった。ひとまず認めることにする。ただ、またおかしくなった場合はどうすればいい?」
「その点については重々言い聞かせました。しかしそれでも問題を起こした場合は破門にしようと考えたのですが……いざ破門となったとき、逆に手がつけられなくなる可能性が高く、いっそ隷紋に頼ることを考えました。ですがそれすら信仰心で乗り越える可能性を否定できず……」
「そうか……」
恩恵の『適応』頼みだが全部盛りの拘束を突破したことのある俺はウニャ爺さんの危惧を笑い飛ばすことができなかった。
「これはもうその都度取り押さえるしかないと思いまして、そこで神殿騎士を一人こちらへ派遣しようと考えたのですが――」
「あ、それなら自分でやるぞ?」
「はい。ケイン様ならそう仰ると思っていました。しかし見た目は恵まれたクリスティーニャ、その都度叩きのめしていてはケイン様の体面に傷がつきます。そこで考えたのですが、どうでしょう、ケイン様の騎士であるシセリア殿を、神殿騎士団に迎え入れ、クリスティーニャの対処をしてもらうというのは」
「ん? わざわざ神殿騎士に?」
「はい。ユーゼリアの騎士のままでは、ケイン様の騎士とあっても神官に手をあげるのは少々問題があります。しかし神殿騎士とすることで身内の不届き者を処罰しているというだけの話にできます」
「なるほど。わかった、じゃあそうしよう」
と、俺が承諾した瞬間だ。
「いやいやいやいや! 待った待った、ちょっと待ってくださいって!」
ぽかんと話を聞いていたシセリアが我に返り、慌てて口を挟んできた。
「え、神殿騎士? 私が? いやいや、おかしい、おかしいですよそれは! だって私そんな強くないですし! 信仰心ないですし! 神殿騎士なんてなれるわけないじゃないですか!」
「ほっほっほ、特例ですよ。なにしろ世紀の大発見をもたらしてくださったケイン様の騎士ですからね。実はすでにユーゼリア騎士団には話が通っておりますので、あとはケイン様の承認だけでした」
「うぇ!? うぅえうぉ!? そんな馬鹿な!? いやっ、待ってください、私よりエレザさんの方が適任だと思います! すごく強いですし! エレザさんの方が!」
追い詰められたシセリアは慌ててエレザを推すが、話を振られたエレザはやれやれと首を振って言う。
「シセリアさん、ケイン様の騎士は貴方ですから、大人しく受け入れてください。よかったではありませんか、これで貴方はユーゼリア騎士団で初めての神殿騎士ですよ? ああ、もしかするとユーゼリア王国で初めてかもしれませんね」
「ひぃぃぃぃっ!? わ、私、何もしてないのに!? 何もしてないのにそんな歴史的な出世とか! これ後世の歴史家に『何もしてないくせに運良く出世した希代のポンコツ騎士』とか嘲笑われつつも変な人気が出るやつじゃないですかーッ! ヤダァ――――――ッ!」
シセリアはごねた。
それはもう床にひっくり返ってジタバタごねた。
しかし現実は非情であった。
この日、ユーゼリア王国に神殿騎士シセリアが誕生した。




