第3話 黄金の水の体験
異世界生活三日目――。
最初はなかなか使えない魔法を気合いのごり押しでどうにかしようと叫びまくり、跳んだり跳ねたり、歌ったり踊ったりと謎の儀式を行い、さらには『もしかしたら尻からなら出るかも』と踏ん張ってみたりしたが、結局出たのは検問を突破した屁くらいのもので、魔法はさっぱりという結果に終わり、そして現在に至っている。
要は大いなる『3の法則』に従い、俺は順調に衰弱しているということだ。
現状、俺の未来は実にシンプルなことになっている。
(1)ハンサムの俺は突如魔法を覚えイノシシを倒す。
俺のスローライフはこれからだ!
(2)衰弱死。現実は非情である。
残念、俺のスローライフはこれで終わってしまった!
この、たった二つしかない未来で実現する可能性の高いのが――
「ま、魔法……頼む、水、でろ……お、お水さま……でて……」
残念ながらの二番!
地に伏してうめく俺は、いよいよ限界が近かった。
もう辺りにこれでもかと茂っている木々の葉とか、草とか食べて水分補給したいところ。だが忌々しいクソイノシシがマジで乙事主さまみてえに執念深く俺を狙っているせいで安全地帯から出ることができやしない。こっちの姿が丸見えなこともあり、こっそり離れた場所から脱出しようとしても、奴は何食わぬ顔でトットットと軽快な足取りで回り込んで待ちかまえてきやがる。マジでファック。
「水……ああ、水……水ほしい……」
ただ、今はただ水が欲しい。
この渇きを潤せるなら、きっと世界だって滅ぼせる。
平和、自由、平等、そんなものより水が欲しい。
なるほど、環境保護が持てる者たちの道楽であるわけだ。
衣食足りて礼節を知る。
持たざる者はただ抗い戦うのみ。
一人の命は地球より重いのだ、自分にとっては。
「お、俺の冒険……じゃなくて、スローライフは、ここで、終わってしまう……のか?」
魔法さえ使えたらすべてが解決する。
なのにその魔法が使えない。
でも、神さまは誰でも使えると言っていた。
この世界を創造した神さまが『使える』と言っていたものが『使えない』という状況は『おかしい』のだ。
だから使える。
使えるはず――じゃなくて、使えるんだ。
つか、使わないと死ぬ。
始まったばかりのスローライフが、たったの三日で終わってしまう……!
「そ、そんなのは……認め、られない……!」
よろめきながらも立ち上がる。
この、ちょっとばかしハードなチュートリアルをクリアして、俺はスローライフを続けるのだ。
「ぬあぁぁ――――――――ッ!!」
生まれてこのかた、これほど真摯に願ったことはない。
強く強く、ただただ『水よ出ろ』と念じる。
「はッ!!」
突き出す右手。
でも、水は出なかった。
「ちくしょう! なんでだよ!?」
やはり現実は非情であった。
「なんて、こった……」
膝をつき、天を仰ぐ。
「神さま、見ていますか、それとも俺のことなど忘れて毛繕い中だったりするんですか。せっかく安全地帯を用意してくれたのに、俺はそこから一歩も出ずに死にそうになってますよ……」
こんなことなら、大人しくすぐ魔法を使えるようにしてもらえばよかった。
俺が望んだ『適応』は、この状況でいったいどのような働きをしてくれる? そのうち飢餓に『適応』して、水も食料も摂取しなくとも生きていけるようになったりするのだろうか?
だが、現状はその『適応』を待たずして死にそうなのだ。
「まずは魔法……でも、お水でないお……」
どうやったら魔法が使えるか? 無愛想な神さまだが、質問にはちゃんと答えてくれた。難しい内容ではなかった。いや、むしろ簡単であり、すぐにでも使えそうな気になった。
要はその現象を発生させようとする『意志』と、それからその現象を発生させる『感覚』さえあれば――というだけの話だ。
どう考えても『意志』は充分である。
もう死ぬほど願ってる。
ならば俺に足りていないものは……『感覚』なのか。
「ああ、そうか……魔法の使える使えないはコレなのか……」
ここにきて理解する。
すぐ魔法を使えるようになりたいと願った連中はコレで躓くことなく魔法を使え、そして使うことでよりその感覚を獲得していく。
それに比べ、俺は体験する前にその感覚を獲得しろと求められている。まるで金庫の中の鍵だ。
「くそっ、魔法で水を出す感覚なんてわかるわけねえ……!」
もうダメだ。
そう絶望しかけた、その時――
「――ッ!?」
稲妻のような閃きが。
「いやっ、違う……! 俺にはその『体験』がある……!」
俺は震えながら立ち上がり、それから全裸になった。
べつに全裸にまでなる必要はなかったが、そこはもう勢いだ。
「うおおぉぉぉ――――――――ッ!」
そして俺は咆えた。
微かな希望を胸に、残る気力を振り絞り――
「むん!」
全身全霊でおしっこをしようと息んだ。
が、おしっこは出ない。
出るわけがない。
もはや俺の体内に余剰な水分など存在しないのだ。
けれど、出なくてもかまいはしなかった。
要はこの感覚。
おしっこを――水分を出すこの『感覚』を人差し指に込める!
「だっしゃぁぁぁ――――――――ッ!!」
瞬間、死の運命は裏返る。
しょばばばば――と、人差し指から水が放出されたのだ!
「あぁぁぁぁッ!! お水さま出たぁぁ――――――ッ!!」
水――水だ。
歓喜に打ち震えるのもわずかな間、俺は食らいつくように人差し指を咥え、実に三日ぶりとなる水を飲む。
「んがっ、んぐっ、むちゅちゅちゅちゅちゅ……!」
大自然の中、全裸のまま夢中で飲む水はあまりにも美味い。
美味すぎる。
これはもう犯罪的ぃぃ――――ッ!
「なんという美味さ……ッ! こんなに美味い水を飲んだのは初めてだ! なるほど、これがスローライフの醍醐味か……!」
つい先ほどまでは絶望すら感じていた。だが、やっとのことで使えた魔法がもたらした水、これが俺に活力を授け、折れかけていた心を立ち直らせ、また、スローライフへの志をより確かなものとした。
「ああ、素晴らしきかな、素晴らしきかなスローライフ!」
調子が出てきた俺は、指先から出していた水を今度は手のひらから出すことに挑戦した。
するとどうだ、あれだけ頑張っても出なかった水が、どばどばっと出て当然であるかのように溢れだすではないか。
「そうか、この感覚か……! そうかそうか! あはははは!」
俺はゲラゲラと笑い、笑い、笑い、それからこちらの様子が変わったことにちょっと戸惑っているイノシシに手をかざす。
「腹ペコだろ! 水を奢ってやるよ! 死ぬほど美味いぞ!」
もう感覚は掴んだ。
今となっては、どうして魔法を使えなかったのか不思議なくらい馴染み、使おうとした魔法は思った通りに発動、巨大な水の球がイノシシをすっぽり包みこむ。
「……ッ!? ゴボボ……! ボボ……ッ!?」
藻掻くイノシシ。
だが水球から脱出することは叶わない。
「知ってるか? 呼吸ってのは最優先で確保しないといけないんだぜ?」
いくらでかい図体を誇ろうと、呼吸ができなきゃ死ぬだけだ。
「……ボボッ……ゴボッ……」
イノシシはみるみる弱っていき、やがてうんともすんとも言わなくなった。
「いーち、にーい、さーん……」
それでも念のため、俺はイノシシを水球に閉じ込めたまま千数え、それからやっと解放する。
どさっと、ずぶ濡れの状態で地に伏すイノシシ。
「やったか!?」
さらに念を入れてフラグも立ててみる。
だが、イノシシは動かない。
動かない……よな?
うん、これはもう喜んでもいいだろう。
「――っしゃぁぁしゃあッ! よっしゃあぁぁッ!」
これでチュートリアルはクリアだ。
「水、オッケイ! 食料、オッケイ! オッケェェイ! スロォォ――――ラァァ――――イフッ!」
異世界生活三日目。
おちんこ出したりもしたけど、俺は元気です。