第25話 誰かにとっての不吉な預言
しばし続いた歓声もやがて落ち着き、今度は晴れて聖騎士となったシセリアがスピーチをおこなう番となった。
大神殿に到着した朝から式典開始までの間にシセリアがスピーチ内容を捻り出したとは思えないので、きっとレオ丸たちが用意しておいたものをなんとか暗記して喋るのだろうが……はたして大丈夫だろうか?
これだけの視線を一身に浴びるとなると、よほど人前に出ることに慣れている者、あるいは注目されるのが好きな者、もしくは底抜けなのん気者なんかでなければ緊張から平静を保つことができなくなり、ただ話をすることも困難となる。
そんな俺の心配をよそに、シセリアはてくてくレオ丸のところへ。
その表情は……あー、神妙ではあるものの、それでも俺には『面倒くせえ』って思ってる顔だってわかる。
緊張していないことを幸いと思うべきだろうか?
ともかくシセリアは人々の前に立ち、ふう、と小さな深呼吸をしてから静かに喋りだした。
「この寒空の下、本日はわたくしシセリア・パティスリーの聖騎士認定式典にお集まりいただき誠にありがとうございます」
うん、やっぱりシセリアの言葉じゃねえな。
と、思ったら――
「――」
シセリアは黙った。
黙って、そして固まってしまった。
出だしを無事に言い終えたことで油断したか、どうもスピーチ内容がすこーんと頭の中から飛んでいってしまったらしい。
となると、ここからは地獄の時間の始まりだ。
この先の人生、ふとした瞬間に思い出されて『ぐあーッ!』と悶えること請け合いである。
さすがにそれは不憫かなーと俺は思い、ひとまず場を取り繕うにはどうしたものかと考えた。
が、その時である。
シセリアはすうぅっと大きく息を吸い込み――。
そして叫ぶ。
「皆さーん! こぉーんにーちはー!」
『……!?』
会場は静まってるし、拡声魔道具もあるのでこうも声を張りあげる必要はない。
にもかかわらず声を張りあげて挨拶をしたシセリア。
これが完全なアドリブであることは、目をまん丸にして固まっているレオ丸を見ればわかる。
「……おや? 挨拶が返ってきませんね? ではもう一度挑戦してみましょう! 皆さーん! こぉーんにーちはー!」
『……こ、こんにちはー……』
「いやいや、小さい、声小さいですよ!」
ちょっと待て。
これ……この流れ、観客の注目を集めるためのパフォーマンス?
シセリアあいつ、この土壇場で自ら編み出したのか……!?
「こぉーんなにたくさんの人が集まってくれているんですから、もっともっと大きな返事が返ってくるはずです! それこそ大神殿の上でぐっすりな猫ちゃんが目を覚ますほど! でも本当に目を覚まされたら困るので、そこそこ控え目でお願いします!」
どっちだよ、と思ったのは俺だけではないだろう。
きっと観客たちも思った。
それは人々の中にあった『式典ではお偉いさんの話を拝聴するもの』という常識に入ったヒビだ。
「それでは三度目いきますよ! 普段の生活のなかで繰り返し三度も挨拶するなんてそうそうないことですから、それだけでも今日ここに来たかいがあったのかもしれませんね! ではでは! みぃーなさーん! こーんにーちわー!」
『こーんにーちわーッ!!』
返ってくる、先ほどの承認に勝るとも劣らない声の波。
これでシセリアは満足したらしく――
「あはは、すっごい大声ですね! 今、聖都では風邪が流行ってるって聞きましたが、きっと今できれいに吹き飛んでしまったことでしょう!」
楽しそうに笑っている。
予定のスピーチなどそもそもなかったように笑っているのだ。
ちょっとしたバケモノである。
もしかして、あいつの天職ってアイドルとかなんじゃね?
「えー、それでは! これから皆さんにはしばし私の話を聞いてもらうことになるのですが、ちょっと話す内容を忘れてしまったので喋りたいことを喋りますね! まあそもそもあれなんですよ、神官さんたちは私のために一生懸命話すことを考えてくれたんですけど、それってなんかすごい立派な人が話すような内容だったんですよね! いやいや、忘れちゃってますけど、内容はなんとなく覚えてるんです!」
うん、本当に好きに喋り始めたな。
そんなシセリアをレオ丸たちが止めない――止められないのは、あれで観客たちがちゃんとその話に耳を傾けているからだろう。
「大神官さんがいっぱい私のことを喋ったので、皆さんはきっとすごい人なんだろうと思っているかもしれませんが全然そんなことはないです! なのでさっきの話は忘れちゃってください! 今こうして皆さんの前で喋っている私がそのまんまの私です! というわけで、さっきの話に対抗するわけではありませんが、皆さんには実際の私がどんな人物なのかわかってもらうために私が私自身のことを話すことにしましょう! そうしましょう!」
レオ丸の語った自分の経歴に思うところがあったのだろう。
ほとんどヤケクソのようにシセリアは自分のことを語ろうとする。
「まず! わたくしシセリア・パティスリーは美味しい物を食べることが好きです! お菓子なんかは特に好きです! 大好きです!」
あいつ信仰の中心地でなに叫んでんの?
さすがにこれは無茶苦茶だと思ったか、静観していた枢機官たちが『これどうする?』といった感じでひそひそ言葉を交わし始める。
このままではシセリアは話の途中で神殿騎士に連行され、代わりに熊のぬいぐるみかなんかがぽつんと置かれることになってしまう。
が、その時であった。
『うぬぉぉぉん……! あんぶるあぁぁ……!』
来た。
森ねこ亭に置き去りにしてきた強化オプションが勝手に来た。
もわもわーっと不吉な黒い靄がシセリア横の空間から溢れだし、その中からずももっとスプリガンが現れる。
『来たぞ、主よ! 前回は不評だったゆえ、今回はいつも通りだ!』
「呼んでないんですけどー!」
まずシセリアはそう怒鳴り、それからひどく面倒そう、さっきのハイテンションが嘘であったような声音で観客にスプリガンの紹介をする。
「あー、皆さん、これが大神官さんの話にちょっと出てきた鎧です。見た目はアレですが、なんか偉そうに喋るのが癪に障るくらいで実害はないので安心してください。――で、なんの用ですか?」
『主人の晴れの舞台、不参する我ではない!』
「不参もなにも、貴方お呼ばれされてないじゃないですか!」
『ふっ、我が主よ、そう邪険にしてくれるな。そう心配せずとも、このめでたき日に無粋なことなどせぬよ』
「いや、こうして現れることがすでに無粋なんですが!?」
『そんなことは知らん!』
「知らん!?」
禍々しい姿ではあれど、観客からすればスプリガンは主人の晴れ舞台に駆けつけた忠義の鎧だろう。
にも関わらずぞんざいな扱いをするシセリアと、しかしまったく堪えていないスプリガンとのやり取りは密かに観客の笑いを誘った。
もしかしたら観客はこの掛け合いを仕込みと思っているのかもしれないが、なんとこのやり取りはシセリアの日常の一幕にすぎず、ある意味でそれはシセリアの『自分を知ってもらう』という発言を今まさに実行しているとも言えた。
『そういうわけで装着だ! ぬぶるぁぁぁぁ!』
「あー、やっぱりぃー……」
シセリアがあきらめの呟きをこぼす中、濃密な黒い靄が両者を包み込み、やがて晴れるとそこにはどこぞのご令嬢のようであったシセリアの姿はなく、見る者に恐れを抱かせるおぞましき暗黒の騎士がちょっとしょぼくれた感じで佇んでいるだけであった。
このあまりの変貌ぶりに、見守っていた観客たちもさすがにびっくりしたらしく会場がどよめきに包まれる。
が、事態はまだ終わらない。
「よーし! ワタシたちも行くわよ!」
「おうよ! 乗るしかねえぜ、この流れに!」
妙にテンションが上がっている邪妖精たちが、わーっとシセリアに群がっていく。
そして黒い光が。
音色のごとき破砕音が。
人々は見た。
まだ若干の禍々しさはあれど、妖しくも美しいドレスアーマーを纏ったシセリアの姿を。
『おおぉ……!? おお、うおおおぉ――――ッ!』
どよめきは感嘆のうめきに塗りつぶされ、やがてそれは歓声となった。
もちろん観客たちは事態を把握できていない。
できていないが、『なんかすごいものを見た!』ということで興奮して思わず大声を上げているのだ。
「あー、この姿になるのは妖精界ぶりですね~……」
『ふっ、我としてはやや不本意だが、ずいぶんと好評のようだな。――どれ、ここは一つ、歓声に応えておくとしようではないか!』
「ちょ!? なにを!?」
戸惑うシセリア。
が、遅い。
突如としてシセリアの背に生まれたものは『翼』だ。
鳥とは違う、妖精たちのような昆虫的でも、悪魔のようなコウモリ的でもない、言うなればそれは黒いジェットフレイム。
スプリガンの力が噴き出した奔流であった。
その『翼』は先から黒い靄を発生させ、それはうっすらと薄く伸びて透き通る帯のようになり、やがてはより巨大な翼を形成。
そして両腕で抱きしめるように会場を包み込む。
『シセリアよ、知っているか。呪いと祝福は非て似たるものだ』
薄くはあれど黒い靄。
日差しが遮られたことで会場は日食時のように薄暗くなり、人々は戸惑いの声を上げることになったが、翼の抱擁を受けたことによる効果を実感したことで戸惑いの質が変化していく。
暗から明へ。
怯えから喜びへ。
「これは……身体の活性化、か?」
影響は俺にもあり、なんかちょっと元気になったような感覚を覚える。
その程度?
そう思ったがすぐに思い直す。
もともと健康だった俺が実感するほどともなれば……?
あー、そりゃ喜びの声も上がるわ。
「い、いったいなにをしたんです!?」
『ささやかな祝福を。得意とは言えぬが、な』
スプリガン曰く、これで寒さによる肩こりや腰痛、神経痛などがやわらぎ、風邪程度ならば治るそうだが……この世界では風邪ってけっこう厄介な病なんじゃないか?
ちゃんと栄養を摂取して、温かくして安静にしている、なんて環境に身を置ける者がどれだけいることだろう?
すさまじいとまでは言えない恩恵。
だが、それでもどっかの地域で面倒くさいけど御利益はあるってことで神さまとして祀られてもおかしくないレベルだと思う。
こうしてわけもわからぬまま元気になった観客は興奮冷めやらぬままシセリア様シセリア様と叫び始め、やがてそれは会場全体へと伝播していった。
『シセリアよ、皆が汝を讃えているぞ』
「いやいや、私はなにもしてないじゃないですかー」
『やれ、主人はいつもそれだ。違う。我が我だけであればこうはならぬ。まず我がこれだけの力を振るえるのも主人あってのこと。長き年月に老いさらばえたとはいえ、それでも我を十全に使える者など主人しかおらぬのだ』
普段とはちょっと違う感じで語るスプリガン。
今回ばかりはシセリアをおちょくるためではなく、本当に応援のために現れたようだ。
『威張れとは言わぬ。が、そろそろ誇れ。汝はすでに比類ない』
「そーは言われましてもねぇ……」
と、この状況においてもシセリアとスプリガンは変わらず言い合いを続けており、式典が完全にぶち壊しになったことなど気にも止めていないようであった。
これはさすがにレオ丸も腹を立てるかと思いきや――
「ふふっ、なんでしょうね、これは……」
なんか嬉しそうだ。
「この季節は人々の表情も固くなるものですが、今は誰もが笑顔で、嬉しそうに声をあげて。とても騎士が成すことではなく、まるで……そう、物語に謳われる聖女のようではありませんか」
ますます興奮の高ぶりを見せる観客を眺めながら、そう微笑むレオ丸は本当に嬉しそうだったのだが、それじゃあすまないのが実質的な式典の運営である枢機官たちだ。
みんなしてスマホがトイレにぽちゃんしちゃった時みたいな顔して固まっているのである。
結局、もう式典をたらたら続けていられる状況ではないと判断され、シセリアの挨拶は中止。さらにこの後の予定も中止し、すぐにパレードが始められることになった。
こうして妖精騎士フォームのシセリアは神殿騎士団に混じり移動舞台で聖都を巡回する。
思いついたことを好き勝手喋りながら愛想よく笑顔を振りまき、ついでに黒い祝福もばら撒いて人々を元気にしつつ、音楽隊が奏でる荘厳な音楽に合わせて即興で踊り続けるというわけのわからない才能を発揮しながら……。
この日、聖都はメルヘンに包まれた。




